良月(りょうげつ)の たび日記

神奈川県 湘南地区在住。折口良月(おりぐち りょうげつ)の神奈川、東京、静岡、山梨、長野など関東近郊地域への行楽、外出。美術館、博物館めぐり。その他国内旅行などお出かけの記録。

2014年11月

 

学問の神様 北野天満宮 参拝

 2014.10.26

  北野天満宮へ。「北野天神」「北野神社」ともいいますね。
 上の子が行きたいと行ったので、向かうことにしました。学問の神様だからなのでしょう。
 円山公園の地下駐車場を出て、祇園さん前の信号で待ちます。北に曲がります。そして、途中(百万偏?)で西に曲り、御所の北、同志社大学の前の道を北野天神方向へ向かいます。この前年のこと。同志社女子大学の校舎で英検を上の子は受験しましたが、見事に不合格でした。だったら、家の近くで受験すればよかったのに、わざわざ観光先で受験してこのザマで、観光時間が削られただけでした(笑)。
 学問成就を祈願しに行く途中に「因縁の場所」を通るには縁起が悪いでしょうか!?。

 駐車場に車を停めます。参拝者専用で無料です。時間制限はあったと思います。
 ↓ 百人一首の額がありました。 百人一首に最近関心があるので、今度は下の子が「クイツキ」ました。
   (マンガの影響なのですけどね(笑)。)
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 百人一首の額。

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 ↓ 境内案内図。 秀吉の時代「北野神社の境内で大茶会・・・・」と「北野神社」と言われていたと思いますが、正式には案内図にあるように「北野天満宮」です。時代を経て呼び方も変わっていると思います。

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 本殿。説明には「社殿」とあります。国宝指定です。慶長時代の建築のようです。
 鈴を鳴らす人が行列しています。

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 昇殿祈願をしている人も。小学生くらいの子が親と来ているケースも多い。男の子も女の子も。中学受験でしょう。10月下旬ともなれば、受験もそろそろ近づいていますね。年明けの寒い時期に祈願に来てもカゼをひいてしまいます。特に京都は私学も多いので中学受験も盛んでしょう。
 七五三はあまり見かけずでした。10月ではまだ早いのでしょうか。

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 本殿の欄間の彫刻が見事です。まるで聚楽第の遺構にような豪壮な建築をほうふつとさせます。秀吉時代の桃山様式を今に伝える極彩色の彫刻とも言うべきでしょうか。

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 本殿前の門(三光門) 重要文化財。西本願寺の唐門のような金箔貼り??の豪華な造りです。

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 先ほどの 百人一首の額のある建物の下で休憩です。
 「絵馬所」とあります。てっきり休憩所と思っていました(笑)。 現に長イスがありますので。
 慶長時代に建築された歴史ある建物です。京都では最大、最古の規模とあります。多くの人が願いを込めて絵馬をここに奉納したのでしょう。 
 上の子は御朱印を別の場所でもらっています。その間、ここで休憩しました。(笑) 宝物館は公開していません。11月には公開があるようです。告知では国宝「北野天神縁起」も公開されるようす。以前、東京国立博物館で見たような記憶が、「大神社展」だったでしょうか。それとも別の神社の縁起絵巻だったでしょうか・・・忘れました・・・・。

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国立公文書館 企画展「ようこそ歴史資料の宝庫へ」 見学(後半)

  (2014.11.3訪問)
 続いて後半です。
 ここ国立公文書館の展示スペースは、「口」の字状になっていることは何回も書いています。←、↑、→、↓、← の順番です。(わかりにくい。笑)順路に沿って、前半の「逆コの字」の展示スペースが古い時代、後半の「コの字」の展示スペースが新しい時代(の展示)になっていめることが多いです。
 後半は、明治以降の文書の展示です。「公文録(図表共)並索引」として重要文化財に指定されてます。漢字の羅列で江戸期のものにも感じてしまいますが、要は「日本政府の公文書をもとめて保管していたもので、図や表も附属していて、さらに索引もあります。」ってトコでしょう。(笑)
 ↓写真は、明治時代の灯台の配置図。今まで数々の灯台を訪れている私です。そのため、熱心に見入っていまいました。ここに記載されている灯台で行ったところは・・・・、えっーと・・・省略します。(笑)それほど行っていないかも。(笑)
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 なんと、1872年の犬吠埼の灯台の絵図。説明よると今でもほぼ当時の姿を残したまま灯台として使用されているとか。
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 昭和に入って、「第一回文化勲章」の受賞者決定の公文書。天長節(当時)の前日である4月28日に決定されていたことがわかります。おりから、本日は(戦後に制定された祝日である)文化の日。皇居の宮殿では、文化勲章の親授式が行われます。
 受賞者筆頭は、物理学者の長岡半太郎。正三位で、すでに勲一等を授けられています。帝国大学教授としての業績などによるものでしょう。同じく、本多光太郎など著名な学者もすでに叙位叙勲されています。芸術家としては、洋画家の藤島武二は、すでに勲三等。竹内恒吉は、勲四等。誰かな?と思いましたが、文学者なのでしょうか?。「無位無勲」は、幸田成行と横山秀麿の二名。つまり、露伴と大観という、近代日本を代表するビッグな作家と画家が、です。これは、意外です。
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(帰宅後に調べたところ、竹内恒吉は、「栖鳳」であることがわかりました。本名は意外とどこにでもいる名前というか・・・。「東の大観、西の栖鳳」という言葉がありますが、当時、公的立場は栖鳳が上だった、ということになります。大観が「無位無勲」なのは、かつて官立の東京美術学校を辞職し、日本美術院を立ち上げ、長く在野の画家であったことと無縁ではなさそうです。今以上に「官職にあった」または「官に近い立場」でないと、勲章は授与されないでしょうから。栖鳳は、昨年お隣の近代美術館で展覧会がありました。現在のところ、栖鳳の作品中、唯一の重要文化財指定の「斑猫」の展示もありました。行っていませんが・・・。)

↓ 写真で撮影すると文字が判然としませんが、二・二六事件の対応に関する文書。
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↓ さらに時代は下り、平成の書。これが、現在でも公文書館に残されているとは思いませんでした。じっくり見てみると、「成」の字の右下へ伸びる「棒線」が長いのが印象的です。
 この写真は、今や教科書にも載るくらいの「歴史的瞬間をとらえた写真」ですね。
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 これは後日公文書館のサイトを見て知ったのですが、「平成の書」は元首相家の遺族から寄贈された物とのことです。

 ↓ 展示ケースの最後のほうにあった「終戦の詔書」。戦後生まれの私でさえ、「感無量」といったところでしょうか。ここに辿りつくまでにどれほど多くの人が死んでいったのか。正式名称を「終戦の詔書」というのかは、説明文の内容を失念してしまいました。8月15日の玉音放送の原文というのが分かりやすいでしょうか。
 有名な「・・・堪え難きを堪え忍び難きを忍び・・・」の文章もあります。末尾は「・・なんじ臣民共と克く朕が意を体せよ」となっています。
 最初は現物かと思いましたが、横に小さく「複製」と表示があります。分かりにくいので誤解してしまいました。(苦笑)この展示ケースは順路の最後というか、展示室の外にあり、エントランスに附属する廊下のような場所です。基本的に展示物は複製で展示物も変わっていないようです。いわば「有名な公文書複製品の常設展示スペース」です。
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 展示を見終わり、お隣の近代美術館に移動します。
 

祇園、四条通り付近 散策

 2014.10.26

  「うどん博物館」で食事を済ませた後、四条通り、祇園周辺を散策します。
 10月下旬とはいえ、気温が上がってきました。暑いくらいです。博物館(モチロンここでいうのは 「うどん博物館」のことです。)は四条通りのすぐそば。通りに出るとというか、博物館の近くからは「南座」が見えます。
 あの「〇蔵」さんもここで公演しますね。
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  「うどん博物館」の奥(北側)の通り。祇園新橋方面へ続いていますが、博物館の近隣は雑居ビルにたくさんの飲食店の入る繁華街です。

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(既出)  八坂神社(祇園さん)の門から四条通りを見たところ。
 私達は、写真に写っている奥(つまり「うどん博物館」の方向)から手前(門の手前)に歩いて戻ってきした。
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 祇園さんの門の真ん前というか、ななめ前。交差点近く。テレビなどで有名な「儀兵衛」のお店です。「行列のできるグルメ」で登場したときに私も見ました。この企画で別の場所ですが、私達もチラッと映りました。(笑)
 先ほど、祇園さんの門を出て通ったときは、開店1時間以上前だったので、人はいなかったです。11時過ぎでこの行列ですね。浴衣を着ている人がいます。学生グループでしょうか。長袖では暑いくらいの気温です。浴衣一枚でちょうどよいかも・・・(笑)。
 先ほど店の前を通ってメニューを見ましたが元々「お米」のお店なのですね。
 四条通りにも行列のできていた店がありました。「天ぷら??」定食のお店でした。「天〇」という店の名前だったような・・・・。


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 よしもと新喜劇??の劇場。まだ公演前なので人はいません。有名コンビ芸人の片方がピンで出演です。このコンビ、そういえば京都出身だったと思います。

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  「吉本」の劇場から「重伝」地区に歩く途中、祇園新橋近くのとある神社と家屋。

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(既出) 風情のある白川のほとりの柳の並木。
  「うどん博物館」の北に位置します。
 祇園において、私の中で、すべての位置関係の基準になるのは 「うどん博物館」です。(笑)

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銀座 長野県アンテナシヨップ「銀座NAGANO しあわせ信州シェアスペース」 開店

  2014.11.3
 三越前から銀座線に乗り、銀座駅で下車。地上に上がります。
出口からほど近くにこのたび開店したての長野県のアンテナショップがありました。今まで長野県はアンテナシヨップを都内に開設していませんでしたから、新規の出店です。「アンテナショップの出店ブーム」ですね。(笑)。
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 「銀座NAGANO」ただし、看板が小さく、見つけにくいです。地下鉄銀座駅側から見ても、看板が小さくてわからず一本別の通りに行ってしまいました。別の店の看板に隠れてしまっています。しかし、銀座に立地するアンテナシヨップは、なぜ「銀座○○」と「銀座」など東京の地名を強調するのでしょうか。「銀座熊本館」「しまね日本橋館」「とっとり・おかやま新橋館」などなど。とりわけ、「銀座」というのは、ステイタスなのでしょう。「銀座を目指せ!」
ということなのでしょう。(笑)。
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 1階がお店とイートインスペース。2階はイベントスペースと観光案内など。1階の入り口近くにカウンターがあり、簡単な食事ができます。「食事」まではいきません。軽く食べるコーナーです。お店に入る人はまずこのカウンターが目に飛び込んでくるので、不特定多数の人から食事する光景がまる見えです。(私だったら)食べていても落ち着きません。(笑)
 洗い場もカウンターの中にあるため、食べ残しや食べたあとの食器が買い物客からまる見えです。これは人によっては、賛否が分かれます。おそらく「オープンカウンター」形式は、プロデュースした専門家の「プロの目」によるものなのでしょう。ただ、いくら銀座とはいえ、食べに来るほとんどの人は一般人です。食通やセレブも中にはいるでしょうが・・・。この形式が一般に長く通用するかは、分かりませんね。
 カウンターがある分、売り場のスペースが狭くなっています。店の入り口前面には、りんごなどの果物や生鮮品。パンも陳列しています。一番奥には、信州の地酒の陳列棚が。信州といえば、そば。もちろん販売があります。
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 2階には、行っていません。コーヒーが飲めるコーナーはあるようです。
 
 私だったら、2階に軽食コーナーをまとめますけどね。お店のコンセプトは「信州そば」を中心にします。そばは、関東人にとってはなじみやすい。都心部ではなおさら。調理もしやすい、ラーメンのように仕込みやスープの仕込みもほとんど不要。そば打ちは大変なので、別の場所から仕入れるしかありませんが。
 しかもそばは、すぐに食べることができるので、店の回転も早い。夏はざるそば。冬はあったかいそばと、季節にかかわらず安定して消費も見込めます。そばは同じ麺類のうどんと比べても単価が高いので、高い値段をつけることが可能で高収益にすることが可能(笑)。ただし、飲食商売やマーケッテング素人のボクが言うことではありませんね。(笑)。また「讃岐うどん」に対抗する意味もあります。(笑)。
 また、キッチンは見ええないようにします。ただでさえ、銀座のスペースが無いので、あまりきたないものは(目の前になってしまうので)見たくないです。某うどん製麺くらい(郊外型の)広い店舗面積をとれれば(笑。都心部では無理。)、洗い場をオープン形式にできますが、ここでは無理でしょう。
 
 ・・・・と書いたはよいが、実は3階に直接アンテナシヨップと関係はないが、信州のそばや炊き込みご飯をメインとするレストランが同日開店をしていたそうです。広報をしていたか、いなかったのか分かりませんが、全く気づきませんでた。外の看板も(アンテナシヨップのものも含め)小さい文字のみの看板だったので、分からないです。









 

 

東山 「うどん博物館」 で食事

 2014.10.26

  祇園周辺を散策した後、11時前には「うどんミュージアム」に着きました。というよりは、時間を持て余してウロウロしていました。
 あとで思ったのが、青蓮院門跡の「本院」に行けばよかったです。失敗しました。(笑)

 お店の準備はできているようなので、一番のりで11時少し前に入店しました。すると、11時きっかりには数組のお客さんが入ってきました。
 ここは下の子の要望で来ました。なぜ知ったかというと、「小学生新聞」に載っていたからです。一面を割いて「うどんミュージアム」の特集記事になっていました。下の子の要望は京都に行くときには、行ってみたい(うどんを食べてみたい)ということで、念願かなってやって来ました。(笑)
 ↓ お店の入口
 
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 京都の町家を改装して使用しています。「博物館」とはいうものの、実際はレストランです。(笑)
 どこか、うどんに関する展示はないかなと探しましたが、店の入口付近や店内の中庭に面した部屋の一角、壁面にボードでの説明があるくらいで詳しい展示物はあまりありません。しかも、店内の壁面に全国各地のうどんのパネルはありますが、そのすべてがここのメニューにあるわけではありません。 

 ↓ テレビ映像で写っているのは、おそらく長崎の『しっぽくうどん』ですね。

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 私が注文したうどん。さんしょうとじゃこめしのセット。
 お値段はそれなりです。(笑)
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 子供は「ひもかわ」うどんを食べました。

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 テレビで紹介された様子の紹介がありました。

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国立公文書館 企画展「ようこそ歴史資料の宝庫へ」 見学(プロローグ) 2014年 東京文化財ウィーク

  (2014.11.3訪問)
 三連休最終日の文化の日。やって来ましたのは、皇居 北の丸公園内 竹橋にある国立公文書館です。今までは、仕事の帰りや合間?に訪れていましたが、今日は文化の日ということで、家族を連れて来ました。しかし、朝からのケンカの影響でツレのご機嫌は(超)悪いです・・・・・。 本来は、文末に「(笑)」と入れたいところですが、本当に険悪な雰囲気の中の文化の日の朝です。(涙。)ホントに「文化っ」てところではありません。(やむなく苦笑。)
 地下鉄竹橋駅から地上に上がり、「例の坂」を登ります。東京国立近代美術館の前を通ったのは、午前9時半前のこと。同館は、10時開館なのでまだ30分以上あります。この日は「菱田春草展」の最終日。入場券売り場の前は、すでに行列でした。数十人は並んでいるでしょう。すごい人気です。
 
 その更に坂の上、美術館の隣の敷地にある建物が(私にとっては既におなじみ!?の)「国立公文書館」です。
 今回は、「企画展」であって、「特別展」ではありません。よって金曜日など特定の曜日の夜間20時までの延長開館は無く、通常の17時の閉館です。開館時間は9時15分なので、すでに開いています。ここを見終われば、ちょうど「菱田春草展」が開いた頃でしよう。
 国立公文書館の入口の写真。企画展の告知です。いつ来ても思うのですが、敷地は広々としています。しかも駐車場にもなっていない。何にも使用していないアスファルト舗装の「エントランス広場」です。ここに駐車させていただくわけにはいきませんね~。(笑) 敷地の脇には、公用車用と思われる地下駐車場への車道があります。公用でもこの「エントランス広場」は使用せず、地下駐車場に停めるのでしょう。
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 正面入り口に「のぼり」が見えます。「東京文化財ウィーク」ののぼりです。今回は東京文化財ウィークの特別公開事業の一環として開催されています。外観の写真では、内部の様子は写っていません。しかし、内部からは外の景色はよく見えます。外からの日光を防ぐ特殊な曇りガラスなのでしょう。あたかも秘密のヴェールに包まれているかのような庁舎です・・・・。
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国立公文書館 企画展「ようこそ歴史資料の宝庫へ」 見学(前半)

 (2014.11.3訪問)
 企画展は1階のいつものスペースを回廊上使用して展示。入場はもちろん無料です。国の重要施設なのだからなのでしょうが(厳密には独立行政法人というのだそうだが、)入口、展示室には警備員が目を光らせて?います。なんとなく、撮影しにくい雰囲気ではあるが、フラッシュや撮影禁止の表示がある展示物を除いては撮影は自由。ただ、受付の女性がヒマなのか、おしゃべりをしていて、キャピキャピした声!?が響いてきます。隣の国立近代美術館(の行列)に比べて、入館者は、はるかに少ないです。
 ↓重要文化財。漢の時代、漢の呂后が韓信などの功臣を次々に殺害して・・・・と説明にあります。怖い漢の時代のお話の歴史書が伝わっています。
 徳川幕府が崩壊した後、江戸城内の紅葉山文庫などから引き継いだ書籍、文書も国立公文書館で引き継いでいます。
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 ↓重要文化財。「秦併六国平話」つまり、秦の始皇帝が中国を統一する際のお話です。
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 ↓なぜか写真がさかさまにしか挿入できません・・・。なぜでしょう??
 本朝続文粋(金沢文庫本) 元々北条一族の金沢氏に伝わり、江戸期に紅葉山文庫に収蔵されたもの。
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↓下の子が興味を示したのは和歌の本でした。。これは「三十六歌合」
 金色の表紙の龍虎の水墨画は、狩野探幽の描いたもの。
 特に百人一首の書籍は、かすかに子供ながらに文字を読むことができるようです。
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 ↓重要文化財ではありませんが、小堀遠州の自筆。先の孤蓬庵(一文字、漢字が違うけど。)訪問にちなんで、撮影しました。なんとなく、女性的な文字です。弱弱しさすら感じます。戦国期~江戸期にかけての武将ならば、もっと力強い筆跡でもよいのですが。
 織部が主人公の「へうげもの」において、作中、遠州は言葉使いが女々しく、頼りない若造のように描かれています。おそらく作品を掲載するにあたって、時代考証は行っているのですから、そのような人物だったのでしょうか!?。
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祇園新橋 (重要伝統的建造物保存地区)周辺

 2014.10.26

  八坂神社を出て祇園周辺を散策します。
 重要伝統的建造物保存地区、略して「重伝」地区に向かって、祇園の繁華街を歩きます。、鴨川への緩い傾斜になっていますね。この辺は夜のお店が建ち並び、子供連れで歩く場所ではありませんが・・・。雑居ビルとお店看板が所狭しと並んでいます。ビルの前には、ゴミ袋がたくさん出されていて結構臭い匂いがただよっています。

 と、木造とおぼしき家々のある街並みの一角に出ました。
 ここが有名な祇園の面影を残している地区「祇園新橋」なのですね。
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 写真の左は小さい神社の境内です。説明看板を見ると由緒ある神社とのことです。
「辰巳神社」とあります。


小さいながらも祇園の鎮守様、商売繁盛の神様だったようです。













 街並みを歩きます。営業している料亭?もあります。それなりのお値段です。(笑)
 ↓ 通り抜けて振り返って撮影しました。人が遠くにいるためか、誰も通っていないように見えます。
  この祇園の風景、日本の典型的な古い街並みとして紹介されることも多いと思います。
  が、写真を見返してみると意外と電柱と電線が目立ちますね。
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 案内の看板。

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 辰巳神社の前、南側。その名も「辰巳橋」の上から撮影。

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 窓には一様にすだれがかかっています。伝統的な日本家屋では現代のようにカーテンではなく「すだれ」だったのですね。
 辰巳橋から北側を撮影。水のきれいな川です。「白川」
 水が美しいのは、明治以降、南禅寺付近経由で琵琶湖疏水の水が流れるようになったからでしょうか。

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 祇園新橋の一本裏の通り。「重伝」地区には、道が数本通っており、道の両側には伝統的な町屋が残っていると思っていましたが、一本通りが変わると、現代的というか、戦後日本的というか、「昭和的」というか、何らふつうのニッポンの街といった風景です。さすがに「横浜某地区」とまでは言わずとも、とある関西の街のある通りの様子であり、京都は祇園付近の通りとは写真見ただけでは、分かりません。

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 祇園新橋地区の家屋の裏側。
 文化庁のサイトで見るに、「重伝」地区の指定地域は多分この家屋の敷地までなのでしょう手前の駐車場は指定を受けていないと思います。

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 更に道一本を四条通り方面(南)に歩きます。
 「大和橋」とあります。
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 先ほどの白川の下流。大和橋付近。
 「重伝」地区の指定は受けているかは、分かりませんが、白川沿いの家屋は、柳の木と相まって風情がありますね。

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貨幣博物館 (日本銀行附属施設) 見学

 いわゆる企業博物館のひとつです。ニチギンの豊富な資金を元手に運営しているので入場は無料。正確には、日本銀行金融経済研究所の施設です。
 ↓写真奥は日本橋川とそこにかかる橋。左手(手前)は貨幣博物館(勝手に「かはく」と略称します。「科博」でせはありません。)。右手が本館。
  11月に入ったとはいえ、全然紅葉していません。
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 入口での警備は厳しいです。本館の公開にあわせてか、買い物のついでなのか分かりませんが、見学者は多いです。
 長期の企画展で「お金の材料とつくりかた」がありました。
 「お金」は「金」そのものです。金山についての解説や昔の大判小判など貨幣の実物の展示があります。モチロン砂金の展示もあります。
 これらを見て「今までボクの「砂金すくい」は間違っていなかった。」と確信しました。展示を見る限り「貨幣」というよりは、今まで見てきた鉱山や金貨、銀貨の博物館のようです。
 内部の展示室は、警備員が巡回して目を光らせています。廊下も巡回しています。大判小判がザックザク(たくさん展示されているという意味)だからです。他にも古銭や古いお札など換金性の高いものがズラリと展示されていますからね。
 で、くどいようですが結局は人類「金」が頼り。昔も現代も。展示には日本の金輸出解禁や金本位制から、現代の管理通貨制度まで近代通貨史の解説が詳細にあります。
 「ゴールド イズ マネー。マネー イズ ゴ゛ールド!!。」と今まで私が主張してイタ通りですよ・・・・。永遠に朽ち果てることのない金・・・・。化学変化することなく、朽ちることも、錆びることのない金属・・・・。だから尊いのです。だから価値があるのです。だからいくら文明が進歩しても、古代文明でも現代文明でも金(ゴールド)は金(ゴールド)なのです。あと何年後か何万年後か何億年後か分かりませんが、人類が滅亡するまで不変ですよ。今さらここに書くまでもありませんが。ユー ノウ?(ドヤ顔。自分で書いていて意味わからなくなってきた・・・。)
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 ↓外観の写真。立派なビルです。おそらくこのビルの中には、ニチギンの別の部署(つまり金融経済研究所など)も入っているはずです。
 この先は、日本橋三越です。この脇道には、高級車がズラリ路駐しています。その中に一台、高級車ツンベ(仮称)が動かなくなったのか、ディーラーらしき整備員が必死で車体を見ています。傍らには、運転者兼持ち主であろう年配の男がキレ気味で立っていました。
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 日本橋の大通りまできました。正面ビルの1階は、「三重テラス」です。
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日本銀行本店本館 公開 特別企画 見学 東京文化財ウィーク

 東京文化財ウィークのパンフレットによると、日本銀行本店本館の公開に関しては、
「レクチャー付き見学ツアー」・・・10月最後の平日(月曜日から金曜日) すでに終了。
「ミニ見学付き市民講座」・・・事前予約制 11月1日-3日までの三日間
「特別展示」・・・予約不要
の三種類があります。
 写真は、「特別展示」の会場内の様子。本館内の一室に説明ボードやお札の見本などが置いてあります。金融広報ナントカ委員会、という例の委員会の名称がでてきます。どういう委員会なのか説明はありません。実のところニチギンの別動組織ですね。今まで、国際フォーラムなどでも展示をしていたのを見たことがありますし、サイトもありますが、銀行の名前は表に出さず、この委員会の名前を全面に出しています・・・・・。
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 会場内、説明のボード。建築当時の写真も多数展示がありましたが、周囲は木造の日本家屋や商家が密集しています。明治20年代の東京市内(当時)の貴重な写真です。その密集地域の一角に様式の石造りの建築物を建てたのですから異彩をはなっています。
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 内部の案内ボード。ただし、勝手に見学はできません。
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 本館の模型。右側の突き出た建物部分は、昭和13年に増築されたもの。明治時代に建築されたのは、左側の正面玄関を中央とする建物。
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 内部の様子。日本銀行のパンフレットも置いてあります。本館の建物の説明のものではなく、日本銀行の役割を説明したものなど、皆々立派なパンフレットで、お金をかけていることがよ~く分かります。見学も平日は予約があれば受け入れしており、今日だけ公開しているわけではありません。そのため、見学者用パンフは常備されています。「案内の人は、日銀の役割についても説明をしています。日銀には、全部で5000人くらいの職員がいて・・・全国各地の支店にも勤務しています。・・・」などなどです。
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 「恒例の」お札体験コーナー。 IMG_2068















 窓の外を見ます。中庭と日本橋川(つまり西)方向の建物が見えます。。「ミニ市民講座」を予約した人は、この中庭に面した別の入り口から出入りしていました。
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 本館を出ました。大型バスで次々に見学者がやってきます。本館前には、何台か大型バスが駐車していました。
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 次に道路をはさんで反対側の貨幣博物館に入りました。
 道路は信号が無いのですぐに道路を渡ることができます。





























日本銀行本店本館 公開 東京文化財ウィーク

 東京駅の日本橋口から数分。川を渡れば、すぐに日銀に到着です。
 川を渡った橋のたもとから撮影した本館全景。
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 「にちぎん体験2014」として、公開されています。東京文化財ウィークの「NO.2」にも掲載されている目玉企画です。
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 IMG_2055門を入って中庭に出ます。中庭に面したここが正面の玄関のようです。















 玄関の上部。本館の正面部分。いわば「顔」に当たります。
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 中庭には「ポルティコ」のような?回廊になっています。古代ギリシア建築におけるイオニア式(を思わせる)柱廊。ネオルネサンス様式の建築です。(ゴメンナサイ。適当に書いています。ほほとんど間違いです。笑。)
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 正面の内側。皆さん 玄関を見上げて撮影をしています。(笑)。正面の内側はトイレであることが分かりました。南東向きの本館正面の内部はなんとトイレでした・・・。
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 トイレに入って行く人がいます。
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 IMG_2071玄関に近づいて撮影。この更に奥の部屋が旧営業場となっていましたが撮影禁止となっていました。



























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 馬の水飲み場。どうやら、この広場は、明治初期は馬の待機所(現在でいう車寄せ)だったようです。
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 回廊をもう一度。着物で見学をしている人がいました。お茶席の帰りでしょうか?。本館の奥には、三井の新しいビルが写っています。
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 見学は中庭のみ。展示はこの中の一室にある展示室で見ることができます。建築様式としては、似ているなと思ったのが、マドリード郊外にある「エル・エスコリアル」。フェリペ二世が建てた巨大な宮殿です。エスパーニャ・ルネサンス様式の建築なので、ここを「ネオ ルネッサンス」と(勝手に)記したのはあながち間違いではありませせん。(笑)


 











「菱田春草展」 見学 東京国立近代美術館

 すぐにでも来たいと思っていましたが、最終日の訪問となってしまいました。9月23日からの開催でしたから、会期は1か月半もありませんでした。
 ↓ お隣の公文書館には、9時半頃から10時頃までいました。下の写真は、開館から数分経過した時間帯の入口の様子。私が先に見たときよりも列は解消しています。
 チケット売り場に並びます。隣に並んでいるのは数名の女子のグループ。高校生かな?と思いましたが皆さん「○○University」と英文表示の大学名の入った学生証を用意していました。つまり女子大生の皆さんです。(当たり前だけど。笑)
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 (私が行かなかった)前期は重要文化財の「落葉」が目玉。本当は、前期後期と来ようかと思いましたが、結局後期のみの見学となりました・・・。あとから知ったのですが、前期後期両方を割引で見れる「猫チケット」が販売されていました・・・。前期、つまり重要文化財「黒き猫」の展示が無い期間でも主要な「猫」の作品を見ることができるよ、というコンセプトなのでしょう。
 展覧会は、
 前期・・・目玉 重要文化財「落葉」、主要な「猫」の作品を展示。
                  (重要文化財「黒き猫」の展示なしを補完) 
 後期・・・目玉 重要文化財「黒き猫」、主要な「落葉」の作品を展示。
                  (重要文化財「落葉」の展示なしを補完) 
 通期公開の目玉・・・・重要文化財の「王昭君」と「賢首菩薩」
 に分類されます。
 結局、私は「後期」を選択したわけです。(笑)
 重要文化財の「落葉」は、何年後になるか分かりませんが、またの機会にチャンスを窺いたいと思います。永青文庫の展覧会がどこかで開催されるときか、熊本の美術館で展示があるときに・・・。
 ↓ 「黒き猫」の告知看板。
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 会場内は、入口から混雑しています。展覧会の告知文にもありましたが、明治時代以降の近代に活躍した画家で最多の重要文化財指定作品4点(展覧会開催時)を誇る画家だけのことはあります。あの大観ですら、2点(もっとも、×湘八景は、指定は1点でも作品自体は4幅?ありますが。)の指定。洋画のジャンルでは黒田清輝の3点(湖畔、智・感・情、舞妓) 。その他、3点の重要文化財指定のある近代画家は・・・分かりません。(私は専門家ではありませんからね。笑)
 春草は、現在の長野県飯田の人。飯田の生んだ偉人といったところでしょうか。飯田市街は、二年前に行きました。(というより、下栗の里からの帰りに通過したのみ。笑)本当は、同市の博物美術館で春草の作品も見学したかったのですけどね・・・。飯田ゆかりの文化人といえば、なんといっても柳田(旧姓 松岡)国男。出身は播州なのですが、婿入りした養家は飯田。その他、ほぼ同時代の信州出身の近代芸術家には彫刻家の荻原守衛もいます。(同じ信州でも少し離れているが。)現在でも教育県として知られる長野には、学問、芸術をはくぐむ風土があったのではないかと推測されます。(独断ですが。)もちろんそこには、そうした土壌を育む経済的基盤が不可欠であるのです。(独断ですが。)山がちで平地が少ない、交通が不便、冬期の積雪など厳しい風土を克服する「何か」があるのでしょう。
 展示はほぼ制作された時代順。十数年しかなかった春草の短い「画業の変遷」をたどることができるように配置されています。説明によると春草は、結構な自信家だったようです。ひらたくいうと「俺の作品はすごい」的な発言もしていたようです。自他ともに認める才能があり、それを自ら口に出していたのでしょうか。現在の言葉におきかえると「ビッグマウス君」といったところでしょうか?。春草の性格の一端が感じられます。
 会場の比較的最初のほうに、重要文化財指定「王昭君」。音声ガイドによると、描かれている登場人物は必ずしも皆が連れていかれる王昭君との別れを悲しんでいるわけではないそうです。たしかに、打算的な目をしている女性が描かれています。冷たく、遠くを見つめている・・・。人間関係は複雑ですね・・・。今も昔も、画中も現実も。(笑)
 中盤に重要文化財指定「賢首菩薩」や落葉の作品群の展示。「賢首菩薩」は、「善宝寺所蔵」となっています。山形県にあるお寺のようです。お寺の本堂などに掲示するために当時、注文か購入をしたのでしょうか。文化財データベースのサイトによると所在地は、鶴岡市の致道博物館(つまり、鶴岡藩主だった旧酒井伯爵家の宝物などを管理する財団法人)。同博物館に寄託されているようです。落葉は未完成の作品も展示されていました。たしかに、完成作品に比べて落葉の数が描かれていません。
 終盤に「猫」の作品の展示。重要文化財「黒き猫」の前は人だかりですが、運よく最前列に潜って出る?体をくねらせて踊り出る?ことがでてよく観察することができました。音声ガイドによると、文展に出品されたときに評判を呼びましたが、すでに売約済だったそうです。すると購入主は、当時の細川侯爵ということでしょうか。
 下の子も一緒に入場(小学生は無料)したのですが、もてあましていたようです。下の子は、猫が好きなので、「かわいい猫の絵が最後にたくさんあるよ。」となだめすかしていましたが、通用しませんでした・・・。「黒き猫」を私が観察している間に、下の子は先に出ていってしまいました・・・。全体的に子供の見学者は少なかったです。しかし、他の小学生低学年くらいの子はおりこうさんに見ていました。なぜウチの子はできないのでしようか!?。(親のせいですが・・・。涙。)
 会場の最後に、春草が子供と2人で写った写真が展示されていました。この写真での春草は、いがぐり頭で子供を抱いています。病気療養のため髪は短く切ったのでしょうか。短命であった作家の生涯が偲ばれます。
 音声ガイドを聞きながら、涙ぐんでいる女性もいました。おそらく、春草の短か過ぎた生涯と残された家族に思いを馳せたのでしょう。感動的な展覧会でした。今まで見た展覧会の中でも一番感動しました。
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 会場を出たところでは、ツレが不機嫌そうに待っていました。「遅い。」と。図録を買おうと思って売店に行こうにも売店付近までついてきて、カナ切り声を上げて文句を言っています。本当に公共の場で迷惑・・・、 せっかくの感動的な良い展覧会を台無しにしてくれました・・・・・・。

八坂神社 初参拝、境内と結婚式の様子

 2014.10.26
 
 八坂神社の境内。なんと私はこの歳になって初参拝です。秋の晴れの日、結婚式が行われていました。
 本殿。結婚式は本殿で行うものと思いましたが、こちらが本殿だそうです。本殿は南を向いています。つまり、四条の繁華街(西)とは別方向を向いています。あくまで、神社は北から南を向いて建てるものなのですね。

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 本殿と結婚式が行われている舞殿。
 式場では巫女さんが、鈴のついた祭具を両手に持って踊っています。シャン、シャンと「祝いの舞」いなのでしょうかね。

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 舞殿で式が行われている間、社務所でご朱印をもらいます。社務所付近から撮影。
舞殿は四方が通路になっているため、周囲からよく見えます。そのため結婚式はどの方向からも参拝者からよく見えるわけです。
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 式も終盤に近づき・・・。

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 舞殿から新郎新婦と参列者が降りてきました。式そのものの時間はあまりかからないようです。
先ほど舞っていた巫女さんに先導されています。専属のカメラ係がさかんに撮影しています。

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 一般の参拝者は道を開けて通過するのを待ちます。この間は撮影タイムになってしまいますね。新郎新婦も大変です。撮影しているの(一般の通りすがりの人)は、女性が圧倒的に多いです。やはり既婚者も未婚者も興味があるのでしょうか・・・。
 式の開始は、南門から。式のあとは、別の方向にある社務所らしき建物に入って行きます。一休みして、これからは親族の食事会か、披露宴かは分かりません。披露宴は別の会場のこともありますからね。

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京都 八坂神社 (初参拝)

 2014.10.26

 青蓮院門跡 青龍殿の「青不動」ご開帳と将軍塚を見学し、駐車場に戻ります。ここから、東山トレイルを歩いて下り・・・・と思ったのですが、車で下りることにしました。一旦ここを出たら、22時まで入車は閉鎖なので、戻ることはできません。
 歩いて下りでも、山道を登ってまたここまで戻るのもなんだと思うので、まずは車で東山の「下界」に下りて、駐車場は別に探すことにしました。(笑)
 シャトルバスが上がってきます。ほぼ満員のバスです。登る道はこの時間は一般自動車通行禁止なので高校生の集団がランニングで走って登ってきました。「京都産業大学附属高校」?とあります。陸上部でしょうか?車の通行がシャトルバスと関係者以外は無いので、絶好の路上トレーニングコースですね。
 車で坂道を下ると、山頂公園への道の入口には「青はんてん」を来た係の人が道路を封鎖しています。8時半までは上に行くことができたので、「出る」車はフリーです。

円山公園の地下駐車場にうまく停めることができました。まだ混んでいません。

 八坂神社の境内に続いているので、お参りすることにしました。なんと私はこの歳になって初参拝です。全国にたくさんある分社のひとつである「近くの八坂神社」にはお祭りなどで何回も行ったことがあります。(笑)
 
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 八坂神社は四条通りの突き当りにあるのですね。京都一番の繁華街の近くです。戦国以降、安土桃山や江戸時代以降、京都はこの八坂神社の門前町として栄えたのではないでしょうか。鴨川の水害にも遭わない高台に社が造営され、その周囲に街や商店が形成され、昔からある寺院などを含めて四条、三条、祇園の街などが栄えたのではないかな・・・・、ふと神社の門の内側から現代の四条の街並みを見て思いました。

 秋の晴れの日、境内では結婚式が行われていました。

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 結婚式の遠景。

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 通りかかった人の多くがその様子を撮影しています。

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東山山頂 将軍塚、青龍殿庭園 見学

 2014.10.26

 青蓮院門跡 青龍殿 「青不動」 

  「青龍殿」の入口。この建物の中に国宝「青不動」が安置されています。
 古い建物です。武道場を移築したものとか。
 内部は撮影禁止でしたが、後日個人のサイトなどを見ると内部の様子を撮影しているものもありました。もちろん青不動像そのものは特別な許可を得ないと撮影は禁止ですが、武道場の建物の内部は撮影OKだったかは分かりません。
 靴を脱いで入ります。お待ちかねの秘仏、秘宝「青不動」とご対面できます♪♪。
  写真左の将軍塚をぐるっと回って、庭園を回遊する途中、青龍殿の遠景です。
 誤解していましたが、ここにもともとあったのはチケットを買った「大日堂」など
の建物のようです。この青龍殿は、京都市内にあった警察の大正時代築の武道場を移築し、青不動を安置する祭壇部分を増築してこのたび建築、落慶したそうです。
 たしかに、これは「新築」扱いで耐震基準など現在の建築基準に合わせるなど、「移築+増築」に数年かかったはずですね。そりゃ市も簡単に建築確認を下ろさないですね。
 ウチの自宅は(建築確認は)すぐに下りましたが・・・。それでも地域の建築協定など屋根の高さなどに制限はありました。一般住宅と比べても仕方ないですが、風致地区?や木造建築でしたらなおさら大変です。
 将軍塚。もともとこの塚は昔からあるのですね。坂上田村麿の墓でしようか。
 写真左に鉄筋の展望台が写っています。(行きませんでした。)

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 ぐるっとまわり、左が将軍塚と、中央が青龍殿の建物。
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 庭園の様子。モミジもまだ青々しています。枯山水のお庭もあるのですが、特に撮影しませんでした。
 この庭園の近く順路の一部に、以前からある鉄筋の展望台もあります。更に高い所から展望がきくようですが、行きませんでした。

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 ぐるっと庭園を巡って、将軍塚をもう一度。

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 元の入口付近まで戻ってきました。受付のテントなど配置されている係の人はみな「青いはんてん」を着ています。

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