2015年4月中旬のこと。
永青文庫の企画展示 「細川家起請文の世界」、副題「神の使い八咫烏に誓う」の見学記も今回の投降で最終です。
忠興(三齋)没後の起請文、書状に展示が続きます。主なものを挙げていくと・・・・。
・忠興没後、その家老が書いた文書。ただし、起請文ではない。
「二君には仕えません。お暇をいただきたい」という進退伺いです。熊本の家臣にとっては、忠興の威光を着る憎い奴のように映ったかかは分かりませんが、家中で絶大な権力のあったご隠居様の没後、サッと身を引くところは八代の家老も「わかっていた」というところでしょうか。
説明によると(暇を請わなかった)八代の家臣20-30名は熊本に移されたとありました。
・忠興没後 八代城に入った松井氏に対する起請文
宛先は(今後の)監視対象の松井寄之も含くめて複数名が入っています・・・。熊本の重臣達宛てなのでしょう。
忠興没の10か月後、八代城には家老松井氏が入った。つまり、病気にもなった忠興の子で松井氏の養子となった松井寄之のことです。
松井氏が不正をしないか、監視し、何かあれば報告しますというもの。連判で起請文を差出ししています。60人くらいが血判を押し圧巻です。
忠利の死後、ご隠居の忠興が没し、その四年後には忠興の孫にあたる光尚も若くして死亡しています。残されたのは幼君。これは一大事です。お家や断絶やお家騒動によくもならなかったものです。
↓ 永青文庫の今回の展示リスト。なぜか写真がヨコになっている・・・。
二階の常設展では九谷焼の展示がありました。(別館の展示は別料金)
「北陸新幹線」開通記念とのことです。
九谷焼は石川県。
加賀前田氏の参勤交代のルートと北陸新幹線のルートが一致していると、常設展での説明にありました。

二階の常設展では私のあとからやってきた背広姿の50歳台くらいのおじさんが熱心に見ていました。たぶん近くの大学の教員のような感じです。
前回訪問時にも展示があった白樺派の作家と護立侯爵の写真がありました。護立侯は志賀や武者小路達を支援して交流があったが、学習院同級生というわけでは無かったようです。前回訪問時では同級生だったと誤解してしまいました・・・・・。
護立侯と白洲正子との写真もありました。この写真のことは前回も掲示がありましたが、前回訪問時の記事では言及を忘れていました。ともに壮年以上の様子なので、戦後昭和30年代か40年頃の撮影と思います。年齢としては親子くらいの差があり、むしろ近衛文麿の娘の夫であった子の護貞氏のほうが年が近かったと思います。先年放映されたテレビドラマでも白洲次郎は牛場兄弟長兄ともに近衛側近として登場していましたね。
前回の「信長の手紙」展よりも今回の「起請文」展の方が、実は見応えがあったも知れません。「信長の手紙」は直筆のものが一点だけで、あとは祐筆が書いて天下布武のハンを押したもの。歴史的には貴重ですが機械的、事務的な感がありました。反対に今回の展示は生身の人間の心や生の人間関係がダイレクトに伝わってきました。
永青文庫のパンフレットにもありましたが、今回の春季展示「細川家起請文の世界」が6月下旬で終了した後、建物修理のため休館するとありました。再開は9月。再開後最初の企画が先に発表のあった「春画展」。今後大きな話題を呼びそうです。
永青文庫の企画展示 「細川家起請文の世界」、副題「神の使い八咫烏に誓う」の見学記も今回の投降で最終です。
忠興(三齋)没後の起請文、書状に展示が続きます。主なものを挙げていくと・・・・。
・忠興没後、その家老が書いた文書。ただし、起請文ではない。
「二君には仕えません。お暇をいただきたい」という進退伺いです。熊本の家臣にとっては、忠興の威光を着る憎い奴のように映ったかかは分かりませんが、家中で絶大な権力のあったご隠居様の没後、サッと身を引くところは八代の家老も「わかっていた」というところでしょうか。
説明によると(暇を請わなかった)八代の家臣20-30名は熊本に移されたとありました。
・忠興没後 八代城に入った松井氏に対する起請文
宛先は(今後の)監視対象の松井寄之も含くめて複数名が入っています・・・。熊本の重臣達宛てなのでしょう。
忠興没の10か月後、八代城には家老松井氏が入った。つまり、病気にもなった忠興の子で松井氏の養子となった松井寄之のことです。
松井氏が不正をしないか、監視し、何かあれば報告しますというもの。連判で起請文を差出ししています。60人くらいが血判を押し圧巻です。
忠利の死後、ご隠居の忠興が没し、その四年後には忠興の孫にあたる光尚も若くして死亡しています。残されたのは幼君。これは一大事です。お家や断絶やお家騒動によくもならなかったものです。
↓ 永青文庫の今回の展示リスト。なぜか写真がヨコになっている・・・。
二階の常設展では九谷焼の展示がありました。(別館の展示は別料金)
「北陸新幹線」開通記念とのことです。
九谷焼は石川県。
加賀前田氏の参勤交代のルートと北陸新幹線のルートが一致していると、常設展での説明にありました。

二階の常設展では私のあとからやってきた背広姿の50歳台くらいのおじさんが熱心に見ていました。たぶん近くの大学の教員のような感じです。
前回訪問時にも展示があった白樺派の作家と護立侯爵の写真がありました。護立侯は志賀や武者小路達を支援して交流があったが、学習院同級生というわけでは無かったようです。前回訪問時では同級生だったと誤解してしまいました・・・・・。
護立侯と白洲正子との写真もありました。この写真のことは前回も掲示がありましたが、前回訪問時の記事では言及を忘れていました。ともに壮年以上の様子なので、戦後昭和30年代か40年頃の撮影と思います。年齢としては親子くらいの差があり、むしろ近衛文麿の娘の夫であった子の護貞氏のほうが年が近かったと思います。先年放映されたテレビドラマでも白洲次郎は牛場兄弟長兄ともに近衛側近として登場していましたね。
前回の「信長の手紙」展よりも今回の「起請文」展の方が、実は見応えがあったも知れません。「信長の手紙」は直筆のものが一点だけで、あとは祐筆が書いて天下布武のハンを押したもの。歴史的には貴重ですが機械的、事務的な感がありました。反対に今回の展示は生身の人間の心や生の人間関係がダイレクトに伝わってきました。
永青文庫のパンフレットにもありましたが、今回の春季展示「細川家起請文の世界」が6月下旬で終了した後、建物修理のため休館するとありました。再開は9月。再開後最初の企画が先に発表のあった「春画展」。今後大きな話題を呼びそうです。