良月(りょうげつ)の たび日記

神奈川県 湘南地区在住。折口良月(おりぐち りょうげつ)の神奈川、東京、静岡、山梨、長野など関東近郊地域への行楽、外出。美術館、博物館めぐり。その他国内旅行などお出かけの記録。

2015年06月

 

「ルーブル美術館 ヨーロッパ風俗画展」 国立新美術館

  2015年5月5日

 国立新美術館にやってきました。特別展「ルーブル美術館展 日常を描く-風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄」の見学です。タイトルが長いので「ルーブル美術館展 -ヨーロッパ風俗画」と省略します。
 「ルーブル美術館 ヨーロッパ風俗画展」と記載している媒体もありましたね。

 ↓ 会場で買った絵葉書より。
  フェルーメールの展示場所は、会場案内図の中に「V」と自分で印をつけました。
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 たしか、会場の真ん中、つまり一番奥まったところにあったと記憶します。
 「鼻の高い」男性の姿が印象的です。








「ルーブル美術館展」 フェルメール「天文学者」など 見学 国立新美術館

  2015年5月5日

 国立新美術館にやってきました。特別展「ルーブル美術館展 日常を描く-風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄」の見学です。
 副題が長いので書くのに誤字ばかり打ち、手が疲れてしまいました(笑)。
 目玉はフェルメール「天文学者」です。その他にもありますが、目玉を一個据えて、その他有名画家や有名作品数点を核に展示構成をする典型的な「日本における欧米の美術館展」です。(オマエが言うなって!(笑)。)イヤ、ボクが言ったのではなくて、昔(といっても新美術館が開館したのは数年前で昔というほどではないが)、ここ新美術館の特別展に並んでいたとき、ある老年の男性が(行列を見ながら)言っていたのです。「日本人ってバカだよなア~。」と。言っている相手は一緒にいた老年の女性だったので「妻」なのでしょう。妻相手に「お外」でグチを言っても・・・・・・・・ですね(笑)。評論はオウチに帰って言ってください(笑)。

 地下鉄乃木坂駅から地上に上がります。
 ↓ 写真には写っていませんが、チケット売り場には列ができていました。

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 私は今回、前売り券を購入をして「気合い」を入れていたため、入場券売り場はスルーです(笑)。
 ↓ ティッツィアーノの作品のポスター。 更に入口に向けて歩みを進めます。


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 ↓ 入口近くには同時期に開催している「マグリット展」のポスターも。

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 「フェルメールイヤー」と呼ばれたのはいつの年のことだったでしょうか?。「2012年」のことでしたね。「当たり年」とも言われました。が、この年私は一個も「フェルメール作品」を観覧していません。なぜか?。自分でも分かりません(笑)。「またでええワ」とスルーしていたのかも知れません(笑)。
 
 ↓入口近くの館内の掲示。入場まで列ができています。四人一列で並んでください、と係員が案内しています。
  列は順次動きます。10分-15分くらい待って入場できました。

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 ↓ 入口近くの館内の掲示。混んでいないように見えますが、見学後13時くらいには行列は解消していて「入場まで待ち時間はゼロ」でした。

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「片岡球子展」 見学記続き 東京国立近代美術館

  2015年5月5日

 東京国立近代美術館の特別展「片岡球子展」の見学です。

 片岡球子は、先年100歳以上の長寿で亡くなった画家です。
 作品の名称は「面構」(つらがまえ)。同じタイトルで複数の「面構」の作品があります。いずれもカラフルに作者独自の着色をしています。日本画というよりは、西洋の抽象画、現代アートの先駆けといったような絵のタッチです。
 富士山も多数描いています。横山大観を意識しているのでしょうか。
 と、伊豆の海の絵もありました。作品名は「伊豆風景」、伊豆の海の向こうに富士山が描いてあります。手前の水にはイルカのような生き物の姿が・・・・。ハッと気づいたのですが、これは「三津シーパラダイスから見える風景」ではないでしょうか??。球子は「三津シーパラダイス」でイルカショーを見て、その風景を自ら描いたのです(多分。笑)。

 ↓ 会場で購入した絵葉書。左が「伊豆風景」、右が「山(富士山)」
  「伊豆風景」はタテの構図で奥に富士山、左上の淡島、手前に(明らかに)
  イルカプールが描いてあります。
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 ↓ おそらくこのアングルに着想を得て、画家は風景を描いたのでしょう。
   彩色の具合からすると紅葉をイメージして描いたのでしょうか。
 DSC05337 お椀をかぶせたような淡島とその奥に富士山。写真は10月に撮影したので雪を被っていませんね。




 
















 入江の奥、海水プールではイルカショーが現在でも行われています。
 写真右の橋のような建物は食堂です。
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 写真右、食堂の拡大。プールというか、入江の海水面の上をまたぐ橋のように建てられています。
 恐らくここで食事をしながら、イルカーショーを見て、その向こうの淡島と更に奥の富士山に絵の構想を得たのでしょう。

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 箱根から見た「富士山と手前の芦ノ湖」の絵は、箱根の外輪山「大観山」から見た富士山と手前の池のように芦ノ湖を描いていますね。ここでもキーワードは「大観」でしょうか(笑)。「大観山」の写真は探したのですが、私はデータを持っていません。有名な眺望スポットですから、「箱根 大観山 眺望」と検索サイトで入れれば箱根観光協会を始めとして、画像は容易に閲覧できます。このサイトで掲載するまでもありませんね(笑)。

 会場内には、球子の年賦の掲示がありました。
 札幌で生まれて少女時代を過ごし、東京に出てきています。その後50歳で小学校の教員を退職して専業の画家になっています。
 しかし、本人や家族の写真は一切ありません。開催に当たっての遺族の意向なのか・・・、分かりません。初めて球子の作品見た、知ったという人は球子の生前の姿を(ここでは)知ることができないわけです。 書籍などを購入すれば別ですが。
 文化勲章をかけた片岡球子の老年期の肖像画を私は見たことがあるため、その姿はおぼろげながら知っていますが、ここ美術館での作品展示のみでは、画家の人となりを十分に知ることはできませんでした。


「JFK その生涯と遺産」展 映像コーナー視聴 と皇居北の丸公園 散策 

  2015年5月5日

  国立近代美術館を観覧した後は、お隣の国立公文書館に。
 「JFK その生涯と遺産」展 「His Life and Legacy」。 私は二回目の見学ですが、上の子は前回は来ていないので、見学することにしました。というより、上の子は初めての国立公文書館ではないかと思います。連れてきた事がありませんでした。何かと多忙ですからね・・・。
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 私の目当ては、館の中央部に設置された臨時の映像コーナーです。エレベータホールにバイプイスが置かれ、テレビから当時のJFKの演説の映像が流れています。全部見ると30分かかります。前回は、キューバ危機のときにアメリカ国民に向けてテレビとその次くらいの映像しか見ることができなかったので、再びやってきました。
 上の子には「JFK その生涯と遺産を自分で見てきて。」と言い、私は映像を視聴しました。
 日本との衛生中継開通に関するJFKのメッセージ(暗殺事件が無ければ放映される予定だった映像)。映像は残されていないが、音声のみJFK大統領記念館・図書館に残されているとのことで、この音声が流れている間は、静止画像に変わりました。JFKのメッセージのみが流れてきます。「日本のみなさん・・・衛星中継開設 お大変よろこばしいことです・・・・。 」というような内容でした。政治的なメッセージではなく、親しみのある語りかけるような音声でした。
 上の子が存外早く、展示を見てきました。「早かったね。」というと「混んでいて、うしろからだとよく見えなかった。」上の子は同学年の中では小柄なのです。
 では「大統領就任演説や、展示の最後の方にヨット載っているケネディの家族の映像もあっただろう。」と言うと「混んでいてよく見えなかった。」とのみ・・・・・。「見えなかった」のか「見なかった」のか分かりませんが・・・。
 今日も混雑している「JFK展」でした。
 そんなこんなで、公文書館を出て皇居 北の丸公園を歩きます。都立「科学技術館」の前を通ります。こどもの日というこで賑わっていました。数年前、上の子が小学何年生だったかのときに、連れてきたことがありました。走馬灯のように当時の思い出が蘇ってきます(笑)。まだ、一緒に外出してもらえるだけでもマシですかね(笑)。


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 公園の中の遊歩道を歩いて九段下の駅に向かいました。

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「母子」上村松園、など常設展見学 東京国立近代美術館

  2015年5月5日

 前日は、信州は安曇野の荻原守衛の個人美術館「碌山美術館」を訪れました。ここでの滞在は昼過ぎから午後2時くらいまででした。
 しなの木の新緑がまぶしい敷地の中に建つ「碌山館」の展示室内にて荻原守衛の代表作にして遺作の「女」像にご対面しました。
 それから、24時間もたたないうちに、今度は都心のど真ん中、東京国立近代美術館にて「女」像に再び対面しました(笑)。
 守衛の「女」像は、東京国立近代美術館では4階の「ハイライト」の入口付近に展示されていました。近代美術館では禁止のマークが無い限り写真撮影は可能ですが、「ハイライト」の展示室ではだれも撮影をしている人がいないのでやめておきました。

 「ハイライト」には重要文化財の作品を中心に有名な作品が展示されています。重文指定ではありませんが、教科書などに必ずと言ってよいほど写真が掲載されている「南風」の展示もありました。
 この期間は普段はあまり展示される機会が少ない作品の展示がありました。
 「三遊亭円朝」 鏑木清方筆 (正式作品名は記載省略です。)
 「母子」     上村松園筆 の二点です。
 ともに「ハイライト」の展示室とは別の部屋に展示がありました。 「三遊亭円朝」 は四階の別室に、「母子」はワンフロア下の三階に展示がありました。三階の展示室は「片岡球子展」にちなんで女性画家による日本画の展示がありました。女性ならではの優美で繊細な絵が多く展示されています。少女などを描いた作品は、とても優美で可憐でした。女性が描くことによって、その作中の女性も、「女性らしさ」がより一層引き立てられていると感じる作品でした。
 こうして女性画家の作品を見てみると「片岡球子」の「ゲテモノ」ぶりを発揮した作品群は異彩を放っていますね。

  前日に訪れた安曇野市の「碌山美術館」  碌山館の正面。新緑が眩しかったです。
  この館内にも「女」像の展示があります。
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「片岡球子展」 東京国立近代美術館

  2015年5月5日

 場面はうって変わり、都心のど真ん中、東京国立近代美術館に舞台は移ります。前日は信州、安曇野の「碌山美術館」などを訪ねました。前日の夜に戻ってきて、この日は朝から再びお出かけです。数年ぶりの5連休ということでハリキッていたのでしょうか!?。疲れ知らずのようです。ボクは・・・・(笑)。

 「片岡球子展」、実は無料招待券を入手したのでやってきました。本当は午前ではなく、朝9時半着で江戸東京博物館の「大関ヶ原展」に行ってから来る予定だったのですが、次第に「大関ヶ原展」が混雑している情勢が伝わってきたため、急きょ近代美術館を先に見ることにしました。

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 片岡球子(敬称略。以下同じ。)は、先年100歳以上の長寿で亡くなりました。実は藤沢市民会館のロビーの壁の高いところには名誉市民として大きな肖像画が掲げられています。名誉市民は他にも元市長さんなど数名いて、肖像画が並んでいます。球子の生前から掲げられていたので、ここ二十年くらいで??、藤沢市で成人式に参加した人、市民会館で何らかの企画、イベテンに参加したことのある人ならば、これらの肖像画を一度は見たことがあるでしょう。気付いていないかな??(笑)。
 片岡球子の肖像画は、描かれた風貌から察すると80歳前後の老年期のときの肖像のようです。首から紫色の紐のついて星形の勲章のようなものをかけています。文化勲章でしょう。受賞後に名誉市民に選ばれて肖像画を描いたようです。ちなみに肖像画は油彩画です。球子のジャンル、日本画ではありません。
 
 球子の没後数年しか経過していないこの時期、おそらく没後最大の回顧展でしょう。
絵は・・・というと、なんとなくグロテスクというか奇抜な発想というか、どことなくピカソのような感じです(笑)。私は「歪んでいるな~。」と感じましたが・・・・。これがため、「(片岡球子の絵は)好きになれない・・・・という人もいるかも知れません。事実、ウチのヨメはあまり絵画や美術には興味があるほうではないですが「(片岡球子の)絵のタッチは好きでないから行かない。」とニベも無かったです。

 展示を見ていくと、このことは当人もわかっていたようで「ゲテモノはゲテモノの道を行け」とアドバイスされていたそうです。球子は自分の絵を「ゲテモノ」と理解していたのですね。その上での自己表現だったのです。

 展覧会の看板にもなっている作品、「徳川家康」の絵を題材にしたものと思っていましたが、等持院の尊氏像をモデルにしたものでした。幕府を開いた人物としては共通しています。が、似ていると感じるのは同じ源氏の出ということ(家康が源氏の嫡流であるかは疑問だが・・・・。)、タレ目、横長の顔。どう見ても家康の肖像画に似ています(笑)。等持院の尊氏像はこんなにカラフルだったでしょうか!?。違いますね。目がもってグリっとしていて怖いような像だったと思いますが、オリジナルは・・・。
 作品の名称は「面構」(つらがまえ)。同じタイトルで複数の「面構」の作品があります。いずれもカラフルに作者独自の着色をしています。日本画というよりは、西洋の抽象画、現代アートの先駆けといったような絵のタッチです。

 

 








碌山美術館 春季企画展「荻原守衛の軌跡をみる -書簡・日記・蔵書-展」 見学

  2015年5月4日

 信州・安曇野。春季企画展「荻原守衛の軌跡をみる -書簡・日記・蔵書-展」
 「碌山美術館」の見学記です。

 企画展の建物に入ります。
 故郷て゜の手紙、東京に出たときの手紙、欧米に留学中の手紙などが写真とともに展示されています。手紙を見ていくと、守衛の生涯についてかなり理解をすることができます。
 今まで信州の農家の五男?だった守衛、20歳近くになって東京に出て絵の勉強を始めます。守衛は地元の旧中学に通ったわけでは無いようです。東京に出て美術学校に入ったわけでもない。展示によると実家の農作業に従事していたが、「画家になる」と決意して故郷を離れたようです。

 ↓ 「しなの木」。若葉の鮮やかな木々の名前でした。
   萌黄色というのでしようか。美しい葉の色が心に残ります。
   木の幹の色こそ違いますが、白樺のような木です。

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 展示室とその前の彫刻。
 

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 企画展の建物の入口には守衛の親友、孤雁(字が違うかも)の言葉が刻まれています。やはり、守衛に最も大きな影響のあった友人かつ、芸術家仲間だったのではないかと思います。

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 展示を見ていくと留学中に「ウォルター パッチ」という人物がでてきます。
 フランスでロダンに面会の仲介をしたのもパッチのようです。面会を約束する手紙をパッチが代筆したようだとあります。
 また、帰国時、守衛はフランスからイタリアを経て、エジプトに寄港して観光して日本に帰国しています。イタリアでガイド役をした女性が出てきます。二人で観光名所 フィレンツェなどを回ったようです。この女性はのちにパッチの妻となった、と説明にありました。おそらくパッチが仲介したのでしょう。
 パッチは画家ではなく、美術史家のようで、大学の教授などを務めた人物のようです。第二次大戦後の1950年代に亡くなっています。大戦後、彼は敗戦国となった日本の美術界をどう見ていたのでしょうか。その後、残された守衛の作品には関心を持っていたのでしょうか。

 帰国後、二人は会うことは無かったのでしょうが、守衛にとって重要な人物であると分かりました。
 エジプトではカイロまで汽車で移動し、ピラミッドやスフィンクスを見物しています。現代の観光者と変わりませんね。




(荻原守衛)碌山美術館 見学記3 安曇野市

  2015年5月4日

 信州・安曇野。荻原守衛の個人美術館「碌山美術館」の見学記です。

 碌山と深い関係にあった作家の彫刻が展示されています。
 有名な人物では高村光太郎の作品がありました。


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 企画展示を見た後は売店で買い物です。相馬黒光(星 良)と高村光太郎の回想の冊子を買いました。
黒光なる女性と守衛はどのような関係だったのでしょうか。横恋慕でしょうか!?。回想を読むと、黒光自身はそれほど守衛を特別な存在とは見ていないような・・・・。「私より三歳下なので・・・」と弟のような存在だったような回想です。「女」にしろ「デスペア」にせよ黒光に恋焦がれて燃えるような魂の叫びを彫刻にぶつけたような守衛の作品ですが、恋慕の対象だった黒光当人にとって守衛は「ワン ノブ ゼフ」の一人であったような印象を受けたのは私だけでしょうか?。


 碌山館の前では、見学者が次々に写真撮影をしています。
 新緑の中にたたずむ建物の屋根の上には鐘楼の尖った屋根。教会堂のような屋根の先端は、まっすぐ天上を指して、若くして死去した守衛を鎮魂しているかのような感を受けます。

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 美しく、静かな安曇野の野にたたずむ美術館・・・・・・といいたいところですが、実は線路のすぐ脇にあります。
時折電車が走り、近くに踏み切りもあるのでその都度「カン カン カン カン カン カン・・・・」と音が響き、「ガタン ガタン ガタン ガタン ガタン ブイーン ガタン ガタン・・・・  」と電車が通ります。結構騒々しいです(苦笑)。
 と、「特急あずさ」も走っていきました。モチロン、「ガタン ガタン ガタン ガタン ガタン ブイーン ガタン ガタン・・・・  」と。学生時代、クラブの合宿の際に大町線は利用したことがあるのでここ碌山美術館の脇を通ったことはあるのですが、気付きませんでした(更に苦笑)。
 ああ、もっと早くに訪れるべきでした。
 
 最後に休憩室に置いてあった見学者ノートの記載を紹介したいと思います。
「・・・・20(歳)台からほぼ10年おきに碌山美術館を訪れて、今回で4回目になります。・・・・・。」と几帳面な女性の字で書いてありました。彼女は守衛の作品に魅せられて若き頃からここ碌山美術館を訪問し、齢(よわい)は恐らくは50歳台~60歳台、還暦を迎えられているか、それに近い年代なのでしょう。 現代でもなお、時空を超えて人々の心を惹きつける守衛の作品と生涯なのです。






























(荻原守衛)碌山美術館 見学記2 安曇野市

  2015年5月4日

 信州・安曇野。荻原守衛の個人美術館「碌山美術館」の見学記です。

 碌山館の裏から。建物の一番奥は、細長い別の小さい部屋になっていて展示室ではありません。守衛の生涯を解説した資料室でした。壁には、守衛の年表を掲示し、下のガラスケースには遺品や資料を展示しています。
 アメリカ滞在時代の資料もあります。戸張弧雁との交友についても説明がありました。
 戸張は、アメリカ滞在中に親しくなり、帰国後も深い交流が続いていたと分かりました。中村屋サロン美術館でも戸張の作品、肖像画が展示されていました。サロンに集う仲間だったのですね。しかし、戸張もまた長命ではありませんでした・・・・。

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 別棟に入ります。ここは二階が図書室や研修室になっていて、講演会や研修ができるようになっています。図書室は時間の関係もあるので、割愛して一階の展示室を見学します。
 守衛の絵画の展示室でした。展示室が守衛などの絵画作品です。彫刻は一点もありませんでした。意外にも守衛は絵を多数残しています。もっとも最初は「画家」になるとの志を抱いて東京に出たのですからね。


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 美術館敷地内の様子。緑の木々に囲まれています。
 写真右は守衛と深い関係にあった作家の彫刻が展示されています。

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(荻原守衛) 碌山美術館 安曇野市 見学記

  2015年5月4日

 信州・安曇野。荻原守衛の個人美術館「碌山美術館」。

  DSC01874「碌山美術館」といえば、この教会風の本館(碌山館)です。この中は守衛の彫刻作品の常設展示室になっています。建物内の撮影は禁止でした。



























 碌山館の建物の脇には、水汲み場がありました。北アルプスの豊富な伏流水を汲み上げしているのでしょう。
本来はポリタンクを持ってきて汲むところですが、ここは美術館の敷地内。勝手なことはできません。
と、碌山館の「定礎」の石が外壁に埋め込みされているのが見えます。建築は昭和33年と50年以上前のようです。


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 本館の前から、敷地外の道路を見る。道路の更に先は、美術館の広い駐車場になっています。
 そば屋さんもあります。ここで昼食を食べました。その記事は後日アップします(笑)。

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 「碌山美術館」は教会風の本館の外観が有名なため、森の中にたたずむ小さな美術館と思っていましたが、敷地のすぐ脇には一般道が通り車が往来しています。本館の奥側は学校になっています。穂高の街のはずれの一角にあります。

 碌山館のドアを開けて内部に入ります。林立するように展示台の上に彫刻が置かれています。個々の展示作品にガラスケースはありません。展示台の高さは、1メートルくらいで見やすい位置にあります。そのため、目の前で像を観察することができます。もちろん作品に触ることは厳禁です。
 
 館内の中心線上、出口に近いところ、まっすぐに建物奥に向いて「女」と「北條虎吉像」のブロンズ像がありました。「重要文化財」と銘板が展示台に取り付けされています。「女」はいまさら私が言及するこはありますまい。
 「女」は近代彫刻としては初めて重要文化財に指定された、と説明にありました。その翌年に「北條虎吉像」が重要文化財に指定されています。
 近代彫刻作品の場合、石膏原型が「重要文化財に指定」されているのであって、今目の前に展示されているブロンズ像が指定されているわけではありません。「女」の石膏原型は東京国立博物館に所蔵されているはずです。「北條虎吉像」の石膏原型は東京国立近代美術館ここの所蔵だったと記憶します。
 よく展示されるのは東京国立近代美術館で、「女」です。でも、石膏原型は東京国立近代美術館には無い。中村屋サロン美術館では、1970年代に鋳造されて「女」像の展示がありました。東京国立博物館の近代美術コーナーのフロアでもブロンズ像は見たことがあったような・・・・・。そのため、「女」の石膏原型は東京のどこだったかな??と分からなくなってしまいます(笑)。
 「北條虎吉像」の(ブロンズ像を)見るのは多分初めてです。安曇野の碌山美術館に来れば「北條虎吉像」は石膏原型は見ることができなくても、プロンズを見ることができるわけです。

 碌山館の裏から。

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碌山美術館がある地、信州・安曇野 へ行く。

  2015年5月4日

 信州・安曇野。荻原守衛の個人美術館である「碌山美術館」にやってきました。
 ゴールデンウィークの真っ只中。実は松本城の入場のために並んでいたのですが、あまりの行列と待ち時間のために、再入場券(数時間後に見学できる時間指定の整理券)をもらい、一旦松本市内を離れて安曇野へ移動しました。
 この「信州たび日記」は、後日アップすることにします。先に美術館の見学記を書いていきます(笑)。
 碌山の故郷にある美術館。大都市中心部の立地ではないため混雑する、というほどではありませんが、絶えず見学者がやってきます。私もその一人です。
 実は「碌山」が荻原守衛の号であると知ったのはここ数年のことです。(二~三年くらいかな・・・(震)。)荻原守衛といえば、教科書にもその作品の写真が載らないことは無い、近代日本における最高の彫刻家です。作者の名は知らなくとも、その作品の写真は必ず見たことがある筈です。 
 二年前の夏に安曇野を訪問したことは書きましたが、このときは「碌山美術館」に来ることができませんでした。今回、やっと「宿願」を果たしたことになります(笑)。
 東京・新宿にも「中村屋サロン美術館」が昨年の秋にオープンし、ここ「碌山美術館」所蔵の多数の作品が展示されていました。同じく昨年秋には美術関係のテレビ番組でも取り上げられましたし、改めて注目の集まる荻原守衛と「碌山美術館」です。

 ↓ 労働者。 フランス留学から帰った後に作成された晩年の傑作です。
   入口近くの屋外に展示されています。若葉がまぶしい木々の緑の中で輝きを放っています。  

 DSC01885  が、労働者はどことなくやせ衰えて、人生の苦衷にさいなまれているようなポーズです。どことなく、この時代の社会問題を反映しているような・・・・。

労働によって疲弊したと思われる荒々しい男の肉体をあますことなくとらえた作品はどことなく、ロダンを思わせます。
  






















 ↓ 美術館入り口のチケット売り場。敷地内にはいくつかの建物が点在し、展示室になっています。

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登録有形文化財 学士会館 (とランチ) 

  2015年4月18日

 「JFK その生涯と遺産展」国立公文書館を見学したあと、歩いて学士会館までやってきました。ここは神田地区です。竹橋からは子連れでゆっくり歩いても10分もかかりません。
 登録有形文化財にも指定されている風格のある建物です。上階は宿泊施設(ホテル)になっています。
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 エスカレータが後から付け足しされています。バリアーフリー化ですね。結構ご年配の方も来館しているので、このエスカレータは重宝しているはずです。
 平日の昼間でもレストランかカフェかラウンジか分かりませんが、車でやってきて、建物の敷地内にある駐車場に車を停めているお年寄りの男性もいます。来慣れているような感じです。帝大(当時)出身、ここの会員と思われます。かなり老年ではあるが、皆さんかつてはそれなりの地位にあったと思われるような外見です。夫人同伴で来ている人もいましたね。

 少し離れたアングル。地下鉄神保町駅の出入り口付近から。

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 ここで昼食を食べます。混雑していて少し待ちました。学士会館のとなりのビルでは学会があるようで、その参加者同士で来ている人も多かったです。主婦らしきグループも。といっても年齢層は高く少なくとも60歳以上です。

 ランチはいくつかセットがあります。私はハンバーグの定食を注文(日替わりのセットだったのかも。)。量が多くないので、かつての私のようにガッツリ食べたい人には少ないかも。値段は1600円くらいとレストランのステイタスとこの立地、を考えればお得です。

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 館内には中華、和食のレストランもあります。実は仕事関係の会合で来たこともあり、ここの料理も食べたことがあるので、今回やってきたわけです。この日、館内では婚礼も行っていました。ここからはやや離れた場所にある都内の某私立大学の研究室かゼミかクラブの同窓会の会合もありましたし、会合、パーティーメニューのプランのポスターが貼ってあり(地下鉄の駅にも貼っているが)、料金もお得です。実は「誰でも利用できる」と広報をしています。私も会合のあとで、食事を頂いたことがありますが、本格的に調理した内容で充実していて美味でした。

「JFK その生涯と遺産」展 見学記5(最終、まとめ) 国立公文書館

  2015年4月18日

 「JFK その生涯と遺産」展 「His Life and Legacy」。 皇居北の丸 竹橋の国立公文書館です。
 
 展示もそろそろ終わりに近づきました。
 暗殺事件そのものに関する展示はあまり多くはありませんでした。犯人についても従来の「・・・・・オズワルドが単独犯として逮捕されたが、二日後に射殺された・・・・」と事実のみを説明しています。有名なウォーレン委員会の報告書の展示があったか、無かったか・・・・。この報告書を信じる人はどれくらいいるのでしょうか・・?。一国の大統領の暗殺であるのに・・・・。
 暗殺直後、首都に戻るエアフォースワンの中でのリンドン ジョンソンの大統領の宣誓の様子の有名な写真の展示が・・・・。写真は白黒で分かりにくいすが、夫人は暗殺時、パレードのときに来ていたピンク色のスーツのままで立っていたそうです。その近くに展示のあったパレード中のカラー写真では、JFKとパレードする鮮やかなビンクのスーツを着た夫人のにこやかな姿が写っています。たしかに同じスーツです。
 ジョンソンの隣に立っているジャクリーン夫人は『憔悴しきっている』と説明にありましたが、顔が硬直して思考が停止し、視線が別の方向を向いているように感じます。何が起きているのか現実を受け入れていない表情です。
 突然の銃声、倒れる夫、かばう自分、集まるSP、救急搬送、慌ただしく動く周囲の人々、動転する人、病院への移動、そして夫の死の告知、遺体を搬送する手配、公表の手配、首都帰還の準備、エアフォースワンへの遺体搬入、副大統領の宣誓、離陸、首都帰還・・・・・・・・・。次から次へと場面が変わり、パニックを超えてぼう然となるしかなかったのだと思います。
 「機内での宣誓写真」はあまりに有名ですが、窓が無いため外の様子が分かりません。てっきり飛行中ワシントンに戻る途中に撮影された写真と思っていましたが、ダラスの空港で離陸前に宣誓式を行ったそうです。
 なぜ、副大統領がダラスにいてすぐに宣誓式に臨むことができたのか?。大統領と副大統領は行動をともにして首都を空けることは、極力避けるはずですが、なぜこのときは可能だったのでしようか。昇格したジョンソンがわずか一年後の再選後かにベトナム戦争に介入拡大したことはよく知られています。1960年代後半のことですね。図らずも大統領になったのにもかかわらず、ずいぶんと戦争に積極介入していますね。

 暗殺後、遺体は首都に搬送、安置されます。すぐに葬儀が行われています。公文書館蔵の池田首相の参列に関する文書の展示も。死の翌日には葬儀の日程が公表され、25日には葬儀が。性急すぎるような気もしますが・・・・。捜査と葬儀は別なのでしょうか。
 葬儀当日 喪服姿のジャクリーン夫人は2人の幼い子を連れています。悲痛の中にもどこか冷静さを取り戻している様子でした。

 最後に館の中央部、エレベータホールにはバイプイスが置かれ、臨時の映像コーナーが設置されていました。JFKの演説の映像が流れています。全部見ると30分かかります。キューバ危機のときにアメリカ国民に向けてテレビが流れていたので、その部分のみ視聴して公文書館をあとにしました。
 日本との衛生中継開通に関するJFKのメッセージ(暗殺事件が無ければ放映される予定だった映像)もプログラムの中にありましたが、まだ20分くらい先の順番なので視聴しませんでした。映像は残されていないが、音声のみJFK図書館に残されているそうです。

 今回印象に残ったのは、生い立ちや家族たちの様子に関する展示でした。公の政治活動に関する資料は目にすることありますし、調べることもできますが、個人の生活については、なかなか知ることはできませんし公開の機会も少ない。その中でJFKとその家族の人となりを知ることができる貴重な機会でした。

 写真は、皇居側の道路。今年の春は皇居の通り抜けの開催はありませんでした。
 実は今年の春もあるのかな、と思っていましたが昨年のみの開催でした。昨年の紅葉時の開催(12月上旬)に行っておいてよかったです。
 皇居東御苑の木々が見えます。春のうららかな一日。新緑の緑が映えます。館外に出て現実の世界に戻ったような気分に。どうしても、JFKといえば=暗殺、というイメージになってしまいます。展示の最後は重苦しいものだったので、館外に出て、外の空気を吸って何だかホッとしました。

 争いの無い平和な、しかも平凡な生活が一番です。何事もなく平凡でいいのです。これ以上は望みません。小さなシアワセを見つけていきます。ボクは(笑)。

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「JFK その生涯と遺産」展 見学記4  国立公文書館

  2015年4月18日

 「JFK その生涯と遺産」展 「His Life and Legacy」。 皇居北の丸 竹橋の国立公文書館です。

 「口」の字状に配置されている展示室。北側通路の細長い展示室に続いて、東側(つまり近代美術館側)の通路にある展示室へ。最晩年の大統領、JFK の姿です。
 日本との関係を示す文書や写真の展示があります。このコーナーでは日本の公文書館の所蔵文書の展示もでてきます。ただ、外交関係の文書も多いので外務省外交資料館蔵が一番多いです。
 ・当時の池田首相との会談の様子。
・日本からの経済や科学関係の委員と面会している様子。
 意外と首脳以外の日本人とも面会して、気軽に記念撮影に応じているのですね。
・当時の日本の閣僚夫人達との記念写真
 大統領は背がとても高いです。見栄えもします。やっぱり外見も大切なのでしょうか。対して日本のご婦人たちは・・・・・・・、着物を着ていて(晴れ着ですね。白黒写真なので分かりずらいですが。)いかも日本のご婦人といったご様子・・・・。
 日本人との面会写真の中にどこかで見た顔のアメリカ人が。日本では有名なライシャワー大使でした。(松方)ハル夫人の写った写真も一枚展示がありました。JFKが大使に任命したのですね。

 展示の最後の方でテレビから映像が流れていました。家族での映像です。休暇中、マサチューセッツかの海で、ヨットを楽しむケネディ一家のホームビデオです。背景の風景は、いかにもアメリカ東海岸北部の涼しい地域の「夏の海」といった感じです。いや、ホントに優雅なプレシデンシャルファミリーのホリデーの映像です。
 幼いキャロラインのかわいらしい姿があります。後年悲劇の墜落死を遂げた息子(JFK Jr.)の姿も・・・・。当時日本でも大きく報道されたことを覚えています。墜落したのは、ロードアイランドかマサチューセッツかの海であったと記憶します。当人(JFK Jr.))にとっては幼い頃から親しんだ海だったのでしょうか・・・・・。

 ジャクリーン夫人についても紹介がありました。少女時代の家族の写真も。説明によると父はフランス系の移民。母はアイルランド系の移民。ともにカトリックだったのでしょうか。母はジャクリーン11歳のときに離婚して別の人とのちに再婚しています。カトリックの離婚の可否は私にも分かりませんのでここでは記載は省略します。母の再婚相手と写っていたのが展示されていた写真なのでした。
 母は赤ん坊を抱いています。ジャクリーンの異父弟と思われます。写真の説明では実妹も写っています。ジャクリーン夫人の母上は、ものすごい美人で若く見えます。写真が撮影された時期は1946年のようです。するとジャクリーンは12~13歳くらいでしょう。とても12~13歳と10歳前後の子供(妹)がいる女性とは見えません。1946といえば第二次大戦終結の翌年、日本は敗戦後の混乱と占領の最中(さなか)であったわけですが、ジャクリーンの生活はとても裕福だったようで、写真ではその様子が伝わってきます。
 説明のない(写真中の)少年と少女は継父の連れ子なのでしょう。多感な少女時代の母の再婚と異父弟の誕生と血の繋がらないブラザーとシスター達。のちに結婚した12歳年長の夫、ジョンには生き別れた実父の姿を重ねたのでしょうか・・・!?。想像の域を出ませんが・・・・・。
 ジャクリーン夫人が夫JFKの死後、再婚した相手の海運王アリストテレス・オナシス(や再婚後の夫人の様子)について展示はありませんでした。  

 写真は、国立公文書館ニュースの記事。第1号となっているので創刊号です。

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大統領執務室における
JFKの姿です。

















 











「JFK その生涯と遺産」展 見学記3 国立公文書館

  2015年4月18日

 「JFK その生涯と遺産」展 「His Life and Legacy」。 皇居北の丸 竹橋の国立公文書館。

 「口」の字状に配置されている展示室。展示室の最初の角(コーナー)で大統領就任式のJFK の姿がテレビ画面で放映されています。「これ20年くらい前、20世紀1990年代の映像??」と間違えてしまうくらいの鮮やかな画像です。
 テレビの前は見学者で人だかりです。皆、映像に見入っています。おかげで近くのガラスケース内の展示品見ずらいです(苦笑)。
 前任のアイゼンハウアー大統領と一緒に写った写真もあります。当選後の会談のときだったのでしょう。説明によると前大統領は当時70歳だったそうで、「あらゆる面で(ジョン)と対照的だった。・・・・・」とあります。最年少就任と退任時最高齢。親子と同じくらいの年齢差があります。第二次大戦中は下級の士官と大将、民主党と共和党、などでしようか。

 続いて北側通路の細長い展示室を見ていきます。大統領となったJFKの紹介です。 
 当時の日本は池田首相。遠い昔の時代に感じます。昭和でいうとケネディの暗殺は38年11月。東京オリンピックの前年です。当時の日本は東京タワーが開業して東京が変わってきている白黒写真。対して現代と時代を見間違ってしまうような鮮やかなカラー写真に写るバリッとした大統領。
 写真を一枚見ただけでも、いかにアメリカという超大国が進んでいるのかが分かります。

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写真は、グッズコーナーで販売していた
クリアファイル
二種類です。


半世紀以上前の写真とは思えない
JFKの姿です。


















 まずは、キューバ危機に関する展示がありました。キューバに計画されたミサイル基地の図面など。
 「キューバ危機」に関するジョンのテレビ演説は一階中央部のホール(といってもあまり広くないスペースだが)で放映されていました。
 フルシチョフと会談もしています。ともに背広姿です。フルシチョフは背広の両胸の脇のえりにバッジのようなものを付けています。スターリン死後に実権を握った実力者でありましたが、若きプレシデントとどのような会談だったのでしょうか。激しい権力闘争の末、スターリン時代でも粛清されることなく、失脚することなく(していて復活したのかも知れませんが)、その死後にはソ連のトップまで登り詰めた人物。タダ者ではありません。「オレにくらべりゃ、若造が・・・・」と思っていたかは、知る由はありません。
 ちなみにモスクワでもなくワシントンでもなく、冷戦時代の最中、ウィーンで会談しています。「ウィーン会談」ですね。
その他 印象に残っている展示としては・・・・・。
・核不拡散条約に関する文書。
・人種差別撤廃のため保守派と戦う姿。
  南部の州立大学で黒人二人が入学を取消させた事件、
連邦政府は「入学させるように」と人を派遣します。対して当時の知事はなんと大学の建物の入口の前に立って入学手続きを阻止します。知事は腕を組んで不機嫌そうな表情。更に、背中を反らして胸を張り高圧的な態度です。ここまで差別されていたのかと、愕然となります。当時の状況は私の想像を絶します。連邦政府から派遣された人が知事と対峙しています。
 その他、キング牧師との写真も展示がありました。
 そして・・・・州は違えど南部の都市ダラスでJFKは大勢の群衆の目の前で狙撃されて殺される・・・・。これは偶然だったのか、それとも必然だったのか・・・・・・・・・・神のみぞ知る・・・・・・・・・・・・。

「JFK その生涯と遺産」展 見学記続き 国立公文書館

  2015年4月18日

 「JFK その生涯と遺産」展 「His Life and Legacy」。 皇居北の丸 竹橋の国立公文書館です。
 「口」の字状に配置されている展示室。西側の通路は、誕生から学生時代、戦争を経て政治家になるまで、北側通路の細長い展示室は、大統領となったJFK の事績に関する展示でした。
 
 大学卒業後は、JFK の年賦によると1941年9月に海軍に入隊とあります。その間に何かの仕事についていたのか忘れました・・・・。説明があったのか、それとも無かったのか・・・忘れました。当時英国駐在大使だった父ジョセフのアシスタントをしていた?。
 戦争中、昭和18年にソロモン諸島沖で艇長をしていた魚雷艇が日本の駆逐艦と衝突して、辛くも救出されています。部下を救った英雄として、新聞でも取り上げられ、勲章も受けています。
 衝突した地点はどこだったのか。地図の展示もありました。ブーゲンビル島の更に南。ブイン、バラレ、ショートランド、ヴェララベェラ島などかつての激戦区の中にある海上です。時期的にいうとあの山本五十六が戦死した数か月後のことです。当時グァダルクァナル島からは撤退していたのですが、付近の海上、空中では激しい制海権、制空権をめぐる戦いが行われていたのでしょう。アメリカが優勢になりつつ状況下でこの海域を夜間とはいえ航行するのは日本の駆逐艦にとっても命がけのことではなかったでしょうか。
 日本側の戦闘記録の展示がありました。縦書きの手書きで「・・・2230 ? に艇と衝突して、相手は沈没・・・」
のような記述が文中にわずかにあるだけでした。沈没した当事者にとっては生死を分けた一大事ですが、当日の戦闘記録の中では重要な記述ではありませんでした。戦争となると本当に一人の命など軽いものとして扱われてしまいます・・・・。
 兄と一緒に写った士官の制服姿の写真も展示がありました。1944年、兄は戦死しています。父の期待を一身に受けた兄の死は大きな影響を与えたようです。説明には「・・・・次男のジョンに大統領にする夢を託した・・・・」とあります。かなり教育パパだったようです。それに必死でこたえていて、兄の死後は一層強まったような。
 戦後、議員に立候補した当時、戦時中に衝突した日本の駆逐艦の元艦長や元乗組員からの激励の様子の写真展示も。元艦長と手紙も交わしています。JFKから当時の艦長花見氏への手紙の宛名は「Commandor」。返事が遅れたことを詫びるような書き出しでした。花見氏が戦後、大統領選挙当時日本のテレビ、「私の秘密」というようなタイトルの番組に出演していた様子の写真がありました。
 議員時代の写真も。議員時代に当時占領下だった日本も訪問しているのですね。マッカーサーは当時解任されていた後のようで後任のリッジウエイ司令官の説明を受けています。
 結婚式当日の写真もありました。夫人とは年齢が離れていたと記憶していましたが、日本流にいえば一回りも離れています。36歳と24歳。JFKほどの人物ならば、議員に当選後の1947年頃などもっと早くに結婚していたでしょうが、遅い結婚のその理由の説明はありませんでした。よくいわれるように、女性関係も派手だったのでしょうか・・・・・?
 展示を見ていくと、西側通路と北側通路の展示室の角に大統領の就任演説の映像がありました。
 演説の草稿や直筆で手直したペーパーがありました。更には就任式の入場券の展示も。
 大統領当選後の一族のカラー写真も。誇らしげに参加している大統領の父ジョセフの姿がありました。「宿願を果たした」父の満足そうな表情が印象的でした。翌年一月の就任式でも演壇の近くにJFKの妻ジャクリーンよりもJFKの近くに厚着をしている人物もまた父ジョンなのでしょう。父は息子以上に絶頂期を迎えたのではないでしょうか。これらの展示を見て、JFKにとって父の存在というものが相当に大きかったことを知りました。
 「・・・・息子を大統領にする・・・・」とは相当な望みです。ジョセフはかなりの資産と人脈を持っていたのでしょう。
 説明板の没年を見ると、息子の暗殺数年後に父は没しています。長男戦死、次男暗殺。三男も暗殺。晩年は病気だったようで、どこまで息子たちの悲劇を認識していたかは分かりませんが、一族栄光を極めたはずの元英国大使氏の晩年の胸中はいかがなものだったのでしょうか?。

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「JFK その生涯と遺産」展 見学 国立公文書館

  2015年4月18日

 「JFK その生涯と遺産」展 「His Life and Legacy」。 国立公文書館にやって来ました。
 「JFK 」はもはや伝説でしょう。「Regend」の語もサブタイトルに入れてもよいくらいですね。日本人にも人気が高いのはなぜでしょうか!?。あの戦争から十数年しか経過していない時期、戦勝国の元首であり、劇的な登場やその若さもあったと思いますが、やはり劇的な最期が日本人の心にマッチしたのでしょう。「パッと咲いて、パッと散る。」あたかも満開の桜が散ったようなJFKの生涯は日本人の心を捉えて、今後も離すことは無いのではないでしょうか。それは「判官びいき」にも共通した日本独特の心理では無いかと推測します。

 「口」の字状に配置された展示室を見ていきます。まずは、西側展示室から。

 ↓ ちようど 最初の展示品はこの幕の館内部にあります。

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 お隣の近代美術館。
 写真で見る限りこの日の公文書館の訪問者は少ないように感じますが、館内は混雑していました。

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 西側の展示室は、一族の事、誕生から青年期、戦争に行ったこと、下院・上院議員を経て大統領に当選するところまで。一気に展示の時代が進んで行きます。
 誕生・・・日本でいえば大正時代の生まれなのですね。ケネディ家の次男として知られていますね。
      カトリック教徒ゆえか、兄弟の人数も多いです。仲よく写った兄弟姉妹の写真が展示されていました。

 少年期・・・学校の成績表もありました。通学していたのはカトリック系の全寮制学校です。イギリスでいうパブリックスクールを範にした学校なのでしょうか。教養豊かな富裕層家庭に生まれたゆえ、一般庶民の学校には行きませんね。初等、中等教育段階のレベルからして違います。教育ひとつをとっても当時のアメリカは現在以上に階級社会なのでしょう。
 成績は日本でいう現在の中2、14歳のときのもので"good"評価が4つ。Math、english、History、Science。ラテン語のみ"Poor"です。最上位の"very Goood"はありません。カトリックの学校らしく"宗教"が"good"の下の"Fair"。日本の五段階評価でいえば、「3」ですね。注目すべき点がひとつ。"good"ではあるが、絶対的な点ではMathが95点で一番上でした。
 
 青年期・・・学生時代は政治学専攻だったようです。イギリスにも留学しています。
        父が英国駐在大使になったからと説明にはありました。
 卒業論文が「イギリスの宥和政策について」。当時ミュンヘン会談で頂点に達した当時のチェンパレン首相の政策について論じたのでしょう。論文は1940年に出版されたとあります。
  大学卒業後は、年賦によると1941年9月に海軍に入隊とあります。

「JFK その生涯と遺産」展 国立公文書館 平成27年春 見学へ

 ここからしばらくは、この春、4月から5月の連休中に行った展覧会、特別展、企画展の記事を中心に書いて行きます。展覧会、特別展、企画展の常設展示がある施設を除いては基本的に期間限定のイベントです。このブログで記事を投稿するときには、すでに開催期間が終了してしまっていますので、早めに記事を書いて(アップして)いきます。

  2015年4月18日。

 皇居北の丸にある国立公文書館にやって来ました。昨年12月の「皇居 乾門通り抜け」の帰途に見学して以来の訪問です。昨年12月は特別展「江戸時代の罪と罰」の見学でした。

 今回は「JFK その生涯と遺産」展、英語では「His Life and Legacy」。三月上旬からGW期間の連休を含む約2か月間の会期です。(以後「JFK展」と書いていきますね。)
 従来の公文書館の展示とは異なり、「特別展」とも「企画展」ともタイトルに付いていません。平成25年のリニューアルオープン以来、春と秋の特別展を見学していましたが、今年の春は両方とも一旦中止し「肝煎り」で「JFK」展が開催されるのでしょう。公文書館のサイトを見ても特別展、企画展にはカテゴライズされていません。"他機関"と連携した取組となっています。連携取組の中でも飛びぬけて大型の展示です。
 
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 なぜ、この時期に「JFK」なのか?。今年は没後○周年というわけではありません。JFKの生誕は1918年。生誕100周年記念でもありません。やはり、娘のキャロライン大使の就任が一番の理由でしょう。
 大使の就任は一昨年の秋。展示の企画には一年はかかるでしょうから、就任直後から準備を開始したと思われます。しかも今回のテーマは外国元首に関する内容であり、主要展示物は米国のJFK図書館・博物館からも出品されています。公文書館所蔵のものが中心ではありません。就任後、企画案が出て、JFK図書館・博物館など文書や写真などの所蔵者と交渉して・・・・、実際に公文書館に輸送して・・・・。などなどかなりの手間がかかったと思います。
 JFKは民主党のプレシデント。現在も民主党政権なのでこの点もまた開催を後押しする契機になったのでしょう。もっとも、かつての党(パァーティー)の(元)トップの子女を別の党(パァーティー)出身のプレシデントが大使(アンヴァサダー)に任命することはあまり考えられないですが。
 以前、『現職の総理が公文書館を初めて視察した』と書き込みしましたが、実はあの視察のときに企画の発案があったのではないかと思いました。(勝手な推測ですが・・・・。)又は、すでに事前に指示や内示があり、視察に合わせて正式に決定したのか、すでに準備は進んでいてその視察も含んでいたのか・・・・、は想像するしかありません。
 今回「JFK展」の開催初日には総理とキャロライン大使が出席してオープニングセレモニーを行いました。現職総理が二回も公文書館を訪問するのは初めて。官邸、政府の力も相当入っている企画展示です。今後、同様に総理と外国の大使(更には首脳クラス)が共に開会式に出席するような大型、目玉の特別展、企画展が続いて開催されるか!?、注目ですね(笑)。
 さっ、入館です。館外からは入場者は少ないように見えますが、混雑しています。すでに四月上旬の段階で入場2万人です。入場は無料です。しかし、今回は写真撮影は禁止。今まで私が見た特別展でもフラッシュ撮影しない限り撮影は可でしたが、今回は禁止でした。
 受付けコーナーには多数の関連グッズが販売されています。今までは、冊子や書籍などあまり販売点数は多くありませんでした。入場無料なので、通常は特別展でも企画展でも受付係の女性は、チケットの販売があるわけでもなく特にすることも無い(はず)ですが、今回は違い忙しそうにレジを打っています。美術館、博物館の特別展並みに関連商品を取りそろえています。私の見学時は、マグカップが売り切れになっていたと記憶します。販売も大盛況ですね(笑)。
 






「五味八珍」大井松田店 食事 (静岡県のファミレス)

 「五味八珍」(ごみはっちん)大井松田店 食事 (静岡県のファミレス)

 2015年4月のある日 のこと。
 ずっと以前、たまたまテレビでみたのですが、「ご当地ファミレス」というチェーン店が紹介されていました。そのひとつに、静岡県に展開するファミレスとしては以前紹介した「さわやか」があります。

 同じ静岡県発祥のレストランとして「五味八珍」(ごみはっちん)があるそうです。神奈川県で現在のところ唯一あるお店(大井松田店)が松田町と大井町の境付近にあります。東名のインターからも近くです。この近くには、リンガーハットのお店もあり、以前静岡、山梨方面へのお出かけの帰りに食べたことがありました。しかし「五味八珍」は一回も食べたことがありませんした。何回も店の前の道を通っていたのに・・・・・。
 昼間の時間帯に店の前を通ったので、寄ってみることにしました。ここは静岡中心にかたまっている店舗群とはやや離れたエリアにあります。直営店ではなく、フランチャイズ店のようです。

 ↓ 店の外観。

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 メニューとしては、ギョーザがセールスポイントのようです。ラーメンとギョーザ(つまり浜松餃子)のセットがメインでしょう。店外の「のぼり」でも「浜松餃子」を売り出しています。私はあっさりの野菜ラーメンと餃子のセットを頼みました。
 

宮崎県アンテナシヨップ 新宿 軽食コーナーと買い物

 2015年4月

 新宿駅南口のすぐ近く、サザンテラスある宮崎県アンテナショップ「新宿みやざき館 KONNE」。ウチの家族が初めて行ってから少なくとも10年以上になります。老舗のアンテナショップです。神奈川に戻ってきて10年前以上になりましたが、新宿に出たときにたまたまお店を見つけて寄ったのが最初でした。かつては、広島のアンテナショップも隣になりましたが、現在は銀座に移転しています。
(お店を運営する団体のウェブサイトによるとオープンは平成10年。リニューアルが平成13年。)

 ↓ 店内には軽食コーナーがあります。ここで久々に昼食です。ピークの時間帯を過ぎていたので、すいていました。おなじみ「チキン南蛮」のセットです。700円です。地鶏焼きセット、冷や汁セットも同じ700円で提供。消費税の増税後に初めて来ましたが、値段が変わっていないような・・・・。量を減らすなどしていると思いますが、実質お店が負担をかぶっているわけです。

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 ごはんと味噌汁とチキン南蛮の定食です。量は多くないので、ガッツリと食べたい人には少なく感じるかもしれません。漬物は、カウンターにある別の容器に入っていて、自分の好きな量を取ることができます。しかし、この日の漬物の容器の中には、大きな蟻の死骸が・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。カウンター内には調理役の女性が複数いますが、気づいていないようです。しかも、ピーク時を過ぎて手持ち無沙汰になったらしく、盛んにおしゃべりしています。皆主婦のパートなのでしよう。年齢は50歳台前後が二人だったでしようか。もう一人30歳台くらいの女性がいたような。しばらくここでの軽食は見合わせることにします。(あくまで私一個人の判断です。)
 ↓ お店の入口の様子。

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 ↓ お店では「地鶏」を買いました。といっても一袋のみですが。値段も600円台と手ごろです。
   あとは、高菜漬を買いました。下の写真は、後日地鶏を開封して家で食べたときのものです。コリコリとして美味でした。

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横浜赤レンガ フラワーガーデン2015

  2015年4月上旬のこと。

 日清食品の「カップヌードルミュージアム」から徒歩で5分ほど歩いたところに赤レンガ倉庫があります。遮る建物が無いので、赤レンガの「赤い建物」は遠くからでもよく見えます。
 赤レンガ前の広場では、フラワーガーデン2015が開催中です。ただし、会期はこの次の週までと長くありません。
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 春の到来を告げるフラワーカーデン。しかし、夕方になって曇ってきて、寒く感じるようになりました。まだ春の陽気が完全にやってきていないようです。昨年の5月の連休にもここに来ました。そのときも夕方で寒かったことを思い出しました。あのときはビールを飲んで体が冷えていたので、より一層寒く感じたのかも・・・・・。

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 陸の方向を見る。


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 海、大桟橋方向。海からは冷たい、強い風が吹いてきます。写真に写っている人もコートを着ていますね。

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 パンジー、スミレなど(があったか分かりませんが・・・)春のお花を見て、この辺で帰宅することにしました。
 春の横浜散策記でした。 (おしまい)

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「カップヌードルミュージアム」  「マイカップヌードルファクトリー」体験と「チキンラーメンファクトリー」など館内の様子 

  2015年4月上旬のこと。
 日清食品 「カップヌードルミュージアム」。

「マイカップヌードルファクトリー」 の様子。すでにこの日の整理券の配布は終了してしましたが、まだ列が残っています。

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 「マイカップヌードル」が完成した後は、上のフロアに行きました。


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 間違いやすいですが(といっても私だけかも・・・)、「チキンラーメンファクトリー」は「マイカップヌードルファクトリー」の隣にあります。
 
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「チキンラーメンファクトリー」・・・事前予約制。予約は一杯になりやすい。
                    所要時間は90分程度。小学生以上。原則二人一組で参加。
                    1人で参加は不可。
                    など制約はあります。
  ↓ カ゜ラス張りの別室です。テレビモニターの画面で「チキンラーメンファクトリー」であることが分かります。

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 「チキンラーメンファクトリー」の様子。ガラスの外側からは何をしているのかは分かりにくい。
 カウンター内に係の人が入り、参加者は三角巾にエプロン。
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 大人の男も女も、子供も三角巾にエプロン姿。PTAの親子料理教室のような雰囲気です。外から見る限り。
 
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 上のフロアには展望台がありました。ベイブリッジが見えます。板張りの床の上、つまり建物の外のバルコニーに出ることができるようになっています。

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 ↓ カップヌードルパークです。子供向けの遊園地です。(別料金)
   すでに入場受付時刻を過ぎていましたのでこの日は入場しませんでした。
  麺のフードコートは営業していました。「ワールド麺ロード」。何か昔のテレビ番組の企画名のような感じが・・・・。私は昼のランチでお腹いっぱいだったので、ここに入場はしませんでした。昼食の時間帯はかなり混み合うのでしょう。

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 一階のエントランスまで戻りました。もう一度、カップヌードルの白いオブジェを見上げて、
「カップヌードルミュージアム」をあとにしました。

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「カップヌードルミュージアム」 「マイカップヌードル」完成 

  2015年4月上旬のこと。
 日清食品 「カップヌードルミュージアム」。
「マイカップヌードルファクトリー」 完成です。しかも、錦織圭オリジナルカップ。

 「マイカップヌードル」 フタをした後は、パッケージをします。熱をかけナイロンフィルムで包み込む方法。
市販されているものに近いカップヌードルの製品の出来上がりです。ここで係の人が注意点を「賞味期限の表示はありません。」

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 包み込んでいるところ。

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 熱をかけるマシーンに入ります。電子レンジにベルトコンベアが付いている感じ。コトンと取り出し口に出てきます。

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 まで完成ではありません。エアパッケージに入れます。「エアバッグ」といった方が近いですが、車のエアパッグがある関係でパッケージと呼んでいるのでしょう。「エアハンドカバン」という呼び名を提案します(笑)。
 登録商標などの関係があるので簡単にネーミングをするわけにはいかないのでしょう。

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 最初は方法が分からず戸惑いました。他の人が行っている様子を見よう見まねでトライします。「空気充てん機」で空気を入れ、ふくらまします。空気の充てんも慣れれば簡単といったところでしょうか。
 ビニール袋の端に空気を入れる孔があり、空気を入れます。ポンプというか水鉄砲のほうに押す感覚です。

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 自宅で後日撮影。 錦織圭のサイン入りオリジナルカップです。
 エアパッケージから取り出したところ。

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  エアパッケージの中に入っている様子。
  実は、袋の端にカップが寄ったまま空気を充てんしたため、袋の真ん中に保管されていません。失敗でした。
  エアパッケージを肩にかけて歩いている人を入館前にも見ましたが、始めは普通に袋に入れているのかと思いましたが、実は違います。袋に空気を入れることでクッションの役割をして包み込んでいるのですね。
 これも「逆転の発想」です。
  ↓ 写真に写っているハガキは「三菱みなとみらい技術館」の年間パス保持者のための案内ハガキです。
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 帰ってからしばらく保管していましたが、後日食べる前にフタを取って撮影しました。普通の「カップヌードル」のパッケージですが、スープの味は「チリトマト」です。印刷されている包装は「マイカップヌードルファクトリー」オリジナルパッケージです(笑)。
 具材はコーン、ネギ、エビと四角い肉の四種類です。限定トッピング品のベーコンは入れませんでした。
 
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マイカップヌードルファクトリー 麺入れと具材トツピンク゜

  2015年4月上旬のこと。
 日清食品 「カップヌードルミュージアム」です。
「マイカップヌードルファクトリー」 体験です。

 カップヌードルを入れる列に並びます。絵を描いている人よりも先に早くつくるぞつくるぞつくるぞつくるぞとせっかちになっています。(笑)
 ガラス室の中の人が麺を入れてくれます。常設展での説明にあったように、麺の上にカップをかぶせてひっくり返す入れ方です。ラインに乗ってフライドされて麺が流れてきます。カップの底まで麺が入らず。途中で止まる、いわばカップ内には麺の下に空洞があることがポイントです。

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 麺を入れるブースというかラインは私が見たところ四~六箇所あります。そのため、カップを購入するときほど混雑しません。円形のトッピングコーナーというかカウンターの左右に二~三か所ずつあります。

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 ↓ ハンドルはふたをする工程です。こちらは、スープ、トッビングの具材を入れた後の工程です。

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 麺は一種類です。スープの粉は四種類あります。麺そのものに味を付いているわけではなく、スープによって「味分け」しています。 おなじみ、ふつうのカップヌードルのスープ、シーフード、カレーとチリトマト。
 どれかひとつを選んで伝え、乾燥スープ粉をカップに入れてもらいます。私は一番レアな「チリトマト」です。あまり売っていることが無いと思います。それだけ販売数が少ないことなのですが・・・・。
  続いて具材コーナー。 玉子、キムチ、ねぎ、コーン、コロコロの四角肉、エビ、カニカマ、などなど全部で12種類。日替わりというか、期間限定メニューとしてベーコンがありました。このように細かいこだわりが消費者の心をくすぐります(笑)。ニッポン人は「限定メニュー」に弱いです。
 具材を四つ「指名」してカップに入れてもらいます。

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 フタをする前の段階。粉末スープ投入→具材投入→フタです。

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 具材を入れた「マイカップヌードル」 。フタをする前に自分の「マイカップ」を確認します。
と、気付いたのですが、カップにしっかりと自分の名前やオリジナル図柄を描いていないとどれが自分のカップが分からなくなってしまいます。先ほどの「ペインティングコーナー」でカップを色どりするのは「マイカップを区別する」という意味もあったのです。(もっと早く気付けよ・・・・・。)
 私は絵を描くのをかなり省略したので、ほとんど素のカップです。辛うじて自分のイニシアルを書いておいたので見分けることができました。イニシアルは「R.O」です(笑)。
 もっとも、スープ粉を入れる段階で「何名様ですか?」とカウンター内側の係員から確認されます。カップ間違い防止のため、確認を徹底しているのですね。私のような変わり者?、やっかい者?もいますので・・・・(苦笑)。

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