2015年6月6日
私は今、東洋文庫ミュージアムにいます。
開催中の「ブラウの大地図展」を観覧し、講演会を聴講するべくまずは常設展示室を観覧です。
(正確には東洋文庫ミュージアムでは「常設展示」という言い方はしていないようですが。)
モリソン書庫に続いて「東洋文庫の名品」の展示室に進みます。東洋文庫ミュージアム内では室内はフラッシュ禁止、撮影禁止の表示のある展示品以外は基本的に撮影できます。
まずは国宝の「古文尚書」。国宝が撮影可能とは「太っ腹」です。
文化財の説明は私がしても仕方ないのでここでは省略します。
隣に展示のあった 国宝指定書。
東方見聞録の各言語での翻訳本の展示がありました。
いや~シルクロードへの探検記の展示もありましたし、子供の頃これらの探検記を少しばかり読んでに夢踊った私(今はタダノ変なおっさん)としては大変興味があります。子供の頃の夢が蘇ってきました。
さらに中国関係で清朝の「大清聖祖仁皇帝実録」と「大清徳宗景皇帝実録」の展示があります。
タテ1メートルまではありませんが、かなり大版の本です。
その名の通り皇帝の実録ですが、廟号が「聖祖」について「仁」とは最高の諡り名です。康熙(カンシー)帝です。
「祖」が付くのは異例ですが、事実上漢の地の統一王朝の皇帝としては初代ということで「聖祖」として奉ったのでしょうか。
「徳宗」とはずっと時代が下って光緒帝です。日本でいえば明治時代のこと。まもなく清朝は崩壊しているためいつ実録が編纂されて、どのような経緯でここ東洋文庫に収蔵されているのでしょうか。
また、明の「永楽大典」の展示がありました。そのまんま明では一番有名な皇帝永楽帝が編纂させた大典ですね(笑)。
写真は撮影していませんが、解体新書の展示もありました。国立科学博物館でも展示がありますし、津山の記念館でも見たことがあります。津山出身の学者、箕作一族と杉田玄白、前野良沢とは密接な関係にありますからね。
もう一度、モリソン書庫の前に移動して改めて書庫の前に展示している文化財を観賞します。
書庫に収納されている書籍類は手にとることができません。書庫の手前に展示品がいくつか置いてあり、観賞するという形式です。シベリアなどの昔の探検記の展示がありました。と、書庫の正面に写真パネルの展示もありました。天皇、皇両陛下がここ東洋文庫ミュージアムを視察されたときの写真でした。今の企画展のときではなく、視察はもっと前のことです。しかし、先の根津美術館、プリジストン美術館も両陛下は視察されているので、私はいずれも両陛下のあとに訪問していることになります。
一階から二階に階段を上がってモリソン書庫が最初に目につく書棚に「四庫全書」が収蔵されていました。あの乾隆(カンロン)帝が編纂させたという清朝最大級の文化事業の成果物です。東洋史を研究するためには、「四庫全書」のコレクションは必須なのでしょう。ただし、ここでは背表紙を眺めるのみで中を閲覧することはできません。閲覧しても理解できませんけどね(笑)。
↓ 館内地図。(向きが・・・・修正できません。)
↓ 東洋文庫の新名物「モリソン書庫」。
と、書庫の前のイスにラオス民族衣装もモデルにしたという赤を基調とした艶やかな彩(いろどり)と美しい模様の制服を纏った『MA』の方が座りました。ここで展示室内を監視するようです。東洋文庫のウェブサイトによると「看視」といいます。
余談ですが、この艶やかな民俗衣装をまとった『MA』。肩から小さいポシエットを身につけています。貴重品を入れるハンドバッグの代わりに貸与されているものでしょう。
ふと、MAに男性が応募してきたらどうするのか?。制服はあるのか?。肩から小さいポシエットを身につけるのか?とも思いました。余計なお世話ですけどね(笑)。
この訪問前のことですが『MA』の募集がウェブサイトで告知されていました。時給××××円、学生は100円低い時給となっていました。基本、最初は学生も含めて時給制アルバイトとして募集ということなのですね。
続いて、「ブラウの大地図」が展示されている部屋へ歩きます。