2015年09月
第三の展示室へ。








最後の展示ボード。その隣はお決まりのショップとなっていました。「ここでしか買えない」オリジナルグッズもあるそうで、購買心をそそります(笑)。

企画展の出口から、館の入口に戻ります。ポケモン研究所の入口を示す看板。
たくさんの人が並んでいたので、写真は撮影していませんが、行列は更に伸びて50分待ちとなっていました。入場しても人が滞留して混雑は必定です。

どこにあったかは忘れましたが、「ポケモン研究所」の入口付近にあった『ポケモン』の説明。
実をいうと、かくいう私も「ポケットモンスターとは?」から始めないといけません。「ハイパーボール選択」など夢のまた夢でした(笑)。

実をいうと、「モンスターボール」とはこの企画展で開発されたアイテムではなく、もともと劇中に登場する道具(ツールと呼ぶべきか?)なのですね。
知りませんでした。研究所の体験が終わってから理解してもすでに遅し!?。
館の外に出ました。陽射しはすでに夏です。気温は30度以上はあるでしょう。暑いです。チケットを買う行列は解消していました。行列が無い!、のでなんだかホッとしました(笑)。
私がチケット買いの行列の心配をしても仕方ないのですが・・・・・。

地下駐車場に下りて、次へ車を出庫、向かいました。
高野山
やってきたのは、高野山高校に開設された臨時無料駐車場でした。あとで、駐車場に関するパンフレットが檀上伽藍の案内所に置いてあったので、見たのですが臨時駐車場は最高で約1200台、通常の土日で約1000台も確保されています。山間の高原都市でこれだけ駐車スペースを確保するのは大変だったでしょう。駐車場をとってみても、高野山全体の総力を挙げての大法会です。
↓ 高野山高校のグラウンドと校舎。校舎の屋根の上に七輪塔というのでしょうか、水煙が。
ここは、私立の仏教高校ですからね。

校舎前のグラウンドはとある団体用の駐車場で個人客は入れませんでした。奥の別のグラウンドに誘導されました。ここの駐車場に来たのは偶然誘導されたからです。
校舎の脇をあるきます。檀上伽藍に向かいます。ここから一番近いのが、檀上伽藍の裏手になります。


体育館の前を歩き。
更に下ります。駐車場の案内看板。私達は第五駐車場に停めたことになりますが、とにかく停めることが重要で第何パーキングに停めようと、かまっていられません。

高校校舎の前のモミジの木。新緑の季節を迎え、青々としています。秋には美しく紅葉することでしょう。

駐車場になっていないグラウンドもありました。野球部が練習をしていました。野球場になっています。本格的な練習です。ものすこぐ練習をしています。声を盛んに上げて、ものすこい勢いです。ミスすると罰トレみたいなものがあるらしく、ある部員が「イチ、ニ、サンッ・・・・」と声を張り上げて、スクワットをしていたような。
↓ 高校の入口の門まで下りて来ました。車は途切れることなくやって来るので、
事故にならないよう注意が必要です。

と、ロータリーまで下りて来ました。写真奥の道路がトンネルになっていて、
このトンネルを抜けて高野山高校までやってきました。 ↓

付近は大型バスが停まっています。
ロータリー近くにある別格本山の寺院。 実城院とあります。駐車場には余裕があります。庫裡ではなく、宿坊らしき宿泊棟の建物が見えます。宿泊者は車を置いて観光できるのでうらやましいです。
宿坊も満員でしたけどね。今回は個々の宿坊に申し込むのではなく、宿坊協会のポータルサイトで申し込みして振り分けするようでした。ほとんど平日は空きがあるが土日、祝日は満室でした。
宿坊の客室の相当数、旅行代理店も押さえていると思いますしね。

大楽院、正智院とあります。檀上伽藍の裏手に当たる別格本山寺院です。

↓ その並びになる西禅院。「禅」という言葉は、もともと真言宗でもあったのでしょうか。
それとも、鎌倉仏教が興隆してから、その影響を受けて建立の寺院なのでしょうか。
その由来が気になります。「禅」という概念はいつから日本仏教にあったのでしょうか。

檀上伽藍の裏口までやってきました。
根本大塔の朱色が目に飛び込んできます。



同じような服装をして続々と人が根本大塔に向かっています。個人の訪問者は人の中をかき分けて進まなくてはならず、困惑してしまいました。どこかの宗教団体のようです。高野山の信徒ではなく、別の宗派の団体のようです。近隣から来ている人も多いようで、そういえば道の途中で同じ格好をした人が待っている様子を見ました。道の途中からバスに乗り合わせてここに来ている人もいるようです。



前回2010年秋にここ高野山に来たときには、混雑することもなく、静かな根本大塔でした。この日は、1200年記念で混雑することはある程度分かっていましたが、ここまで団体が来るとは考えていませんでした。
時刻は8時半ですが、金堂前の御朱印コーナーは行列しています。団体の人がすでに並んでいますので、個人でもらうことは大変です。
ゴールに向かいます。答え合わせをします。マシンの前に並びます。15-20分くらい待ちました。

出口の様子。ボールを返却してから退出します。

各種の「ボール」は貰うことはできません!!。要返却です。
「採点」が終わったら、返却所で返します。

返却前にボール君と記念撮影です。
観察シートを見て、あなたはどれだけポケモンを覚えましたか?。
ボクは研究どころか、ちっとも覚えることができませんでした(笑)。

答え合わせの画面です。

ボールを返却。次のコーナー向かいます。

ミッションを終えて、
次のコーナーです。巨大なハイパーボール?が釣り下がっています。


私の答えのひとつだったポケモン。「ヨマワル」 初耳です・・・。

ポケモンのボード。たくさんのポケモンがあります。

子供達とポケモン各種。

額面は1セット10,000円、これを7,000円で買える。なんと3割もお得!!。対象は道内在住者向けと道外在住者向けと分かれています。私達は道外在住者向けの「北海道旅行券」を購入して使用しました。
重要な条件として「新千歳空港以外の道内空港に到着するか、出発するか」のどちらかでないといけません。今回の旅行券、鉄道で北海道入りする場合は以前の書き込みで「分かりませんので北海道のウェブサイトで確認してください(笑)。」と書きましたが、鉄道利用の北海道入りは(私がウェブサイトで見た限り)対象外のようです。
実際に旅行券を使ってきました。旅行記は後日順番にアップしていきます。まずは旅行の速報と「北海道旅行券」の利用、使用報告です。(以下、基本的に「旅行券」と書きます。)
初日、羽田空港を出発し、旭川空港に到着しました。この日の旭川行最終便です。
↓旭川空港ターミナルビル外観。「新千歳空港以外」の空港に到着し使用条件を満たします。

新千歳空港以外の道内空港でも旅行券発売もありますが、販売枚数が限られます。
私達が訪れた日、最終便が到着したとき到着ロビーでは道外在住向けの「北海道旅行券」を販売していました。空港で追加購入はしませんでした。数に限りがあるので、購入はお早目に!。
旭川市役所近くのクレッセントホテルに宿泊。
翌朝のチェックアウト時に宿泊料金をほとんど旅行券で支払ました。1000円未満は現金で支払いをしました。
↓到着直後のホテルの前。団体バスも停まっています。

旭川といえば、「旭山動物園」。到着翌日の午前に訪れました。しかし、旭山動物園では旅行券を使用できません。私達が訪れた日は大混雑でした。入場者が多いので、旅行券を取扱うまでもないのか、公有施設なので使用できないのか、そこまでは分かりません(笑)。
ただし、道内りの他の公有施設でも使用できる場所はあるので、どこ(の施設)で使用できるかは事前に確認が必要です。
レンタカーで移動。北見市温根湯の「山の水族館」を見学。ここでは旅行券を使用できます。
もっとも、入館料は大人一人千円もしないため、現金支払いでもよいかも知れません。
↓ 写真は、「山の水族館」イトウの水槽。

「山の水族館」の見学後移動して「博物館 網走監獄」を見学。すでに夕刻、日が傾いてきました。秋の一日、北国の日没は速い・・・・・。
入館料は大人一人千円もしないのですが、ここでも旅行券を使用。早めに使い切りたい場合は、観光施設でこまめに使用していくことも必要と思います。
↓ 「博物館 網走監獄」の敷地内、旧監獄の門。番人は人形です(笑)。

その後は、オホーツク海沿いの道を走行。予定通り、原生花園を通過。日没後でほとんど眺望はありませんでした・・・・。夜にウトロのホテルに宿泊 。到着が夜になることを見通して、この日は夕食なしのブランです。
翌朝、ウトロのホテルでの支払いに旅行券を使用。残りは1万円くらいとなりました。
この日は、世界遺産 知床観光の代表格、遊覧船に。私達は大型船で遊覧しました。ここで旅行券を使用し、購入した券はすべて使い切りました。悪天候の欠航の場合は、遊覧船で旅行券を使用できないため、券が余ってしまうこともあり得ます。天候を見ながら北海道入りした空港で追加購入することも手です。旭川空港に到着した時点で、この日欠航するほどの天候にはならないことは事前に予測できたため、到着時に追加で購入してもよかったかも知れませんね。
遊覧船の船尾から見たウトロの街。 ↓

この日は羅臼に宿泊。ただし、宿泊先は旅行券の対象施設ではありませんでした。
個人経営の民宿、旅館など比較的規模の小さい宿泊施設では「北海道旅行券」の使用申請をしていないようです。事務負担などもあるでしょうしね。結局はある程度の規模のある企業グループが有利になってしまいます。
最終日に訪れた標津のサーモン科学館でも旅行券が使用できます。しかし、私達は旅行券をすでに使い切っていたため現金で入場券を購入しました。
この旅行、最後の訪問地となったのは阿寒湖。阿寒湖の遊覧船、マリモ観察も旅行券が使用できます。
旅行券には、一枚一枚に住所と氏名を直筆で書く必要があります。使用先では航空券の半券の提示までは求められませんでしたが、利用した(または利用予定の)飛行機の便名を確認されました。
北海道の公式ウェブサイトでは利用の際、確認のため「航空券の半券の提示」などが必要と書いてあるため、(半券などは)捨てずに旅行券と一緒に持ち歩くことが必要です。
会期も終わりに近づきました。私の姿は、六本木のミッドタウンにありました。メインは、ここで食事とお買いものといいたいところですが、サントリー美術館にやってきました。
大阪の藤田美術館の所蔵品展です。「藤田美術館の至宝 国宝 曜変天目茶碗と日本の美」。長いタイトルなので、以降は「藤田美術館展」と略称でなるべく書きます。
「藤田美術館展」のメインは何といっても国宝「曜変天目茶碗」でしょう。会期も終盤で混雑していました。
大阪の観光地といえば、大阪城。その川を挟んで北側に藤田美術館はあります。しかし、大阪の中心部、一等地にありながら、あまり有名な観光スポットではありません。私も近年まで知りませんでした。明治の豪商 藤田傳三郎のコレクション。
あまり知られていないのは、なぜでしょうか??。常時公開されている美術館ではなく、季節ごとに公開される美術館であるから、というのが理由と思います。
藤田傳三郎のかつての屋敷の跡にある美術館ですが、傳三郎自身は大阪の商人の出ではなく、長門 萩の人。年齢はというと、維新の元勲達と同世代。この出身(バックボーン)が巨万の富を得た大きな理由のひとつでしょう。
チケットを購入して入場します。ウェブサイトで100円割り引き券をあらかじめ用意しておきました。
入場して最初の展示は仏教美術です。菩薩像や観音像などの絵画や立像の展示です。
テーマ「傳三郎と廃仏毀釈」とあります。つまり、明治維新直後の時代情勢の中、それまで信仰対象であった仏教関連の絵画、仏像を収集したのでしょう。
国宝は「大般若経」がありました。展示は一巻のみ。全部では387巻あるそうです。まとめて奉納されたお経の一部を所蔵しています。茶色の紙に丁寧に楷書で書かれていて、現代の私でも読むことができます。もともとは薬師寺に伝来したと説明にはあります。
巻物の末尾には「大般若経 第六百」とあります。昔はもっとたくさんあって、現在展示されているのは600巻目、残っているのは上記のとお387巻ということになります。
※この記事は遅れて聞いているため現在では会期終了しています。会期は夏休み期間を超えて10月12日の祝日まででした。
さあ、入場しました。一番の幕がかかっています。「まずは一番からミッション攻略!」と思いますが、実は違います(笑)。一番から進む必要はありません。
でもなんとなく一番からしないといけないのかなあ~と思い、一番をトライします。
一番目は「足あと収集マシン」。ボールをセットして画面を起動させます。ボールにインプットされているポケモンの足跡が表示されます。何のことか分かりません(笑)。
こりゃ、ハイパーボールを選択して失敗だったと気づきました(やっと)。

展示室内の様子。
ボールをセットしてポケモンの画像が浮かび上がります。何のポケモンかヒントを得ます。

ポケモンの模型。これは何のポケモンか分かりません・・・・。
なのにハイパーボール・・・・・・・・(爆)。


番号ごとに表示されています。

3番は「りんかく撮影マシン」。ボールはこのようにマシンにセットします。

会場内は様子を見ながら入場させています。混雑しています。会場の外では行列でしょう。子供連れが圧倒的に多いです。あとは学生のようなカップル。子供の年齢は幼稚園から小学生三年生くらいまでが多い。三年生でも上の年齢といえます。
ウチの子は年上の部類に入ります。親の年齢も若い。私よりもずっと若い親が多いように感じました。
子供の平均年齢でいうと、子供が二人いる家族連れの場合は、第一子が小学生か幼稚園、第二子が幼児くらいです。必然的に親の年代は30歳台前半~半ばがコア年齢層となります。幼児、赤ちゃんを連れている親の年齢は、明らかに20歳台の半ばか後半くらい。もはや私の出る幕はありません(笑)。
すると、子供時代にポケモンを知っていた世代が親になってきていると思います。企画展のウェブサイトにも記事がありましたが、20歳台後半の親はポケモン世代のようです。
実をいうとワタクシ、ポケモンを知ったのはずっと後のことです(笑)。当然「ポケモンネイティブ」ではありません。



来るたびに未来館の行列に触れていてあたかも未来館行列批判ブログのようになってしまっていました(笑)。
しかし、決して批判するつもりではありません館長様。
夏休み期間を越えて10月までの企画展「ポケモン研究所」にやってきました。いわゆる「夏休み企画」ですね。この日の訪問時、開会から幾日も経っていません。開始早々の研究所訪問となりました。ここ未来館の企画展は年に二回程度。(以前はもっと開催されていたようですが。)
企画内容も科学博物館とは違います。より子供の視線で「遊べる企画」です。この冬の「踊るアートと未来の遊園地」も大混雑で春まで延長になりましたし、昨年初訪問時の夏休み企画「トイレ・・・」展も大行列でした。
↓ 館を出るときに撮影。朝の時点では行列がありましたが解消していました。

昨年のド肝を抜かれる行列にびっくりした初訪問でした。この日は行列はそれほどでもありませんでしたが、研究所に入るために15分ほど列に並びました。
↓ 一階の企画展スペース。「ポケモン研究所」の入口
順番に入場、ならぬ「入所」していきます(笑)。

入所して更に列に並んで待っている間の映像。

説明の映像を見ます。三つのコースがあるようです。

入所口を入って、更に会場に入る途中の行列に並んでいる間に撮影。
ドクターJの看板。先ほどの映像に登場していた人は「ドクターJ」

即ち三っつのコースとは、
ハイパーボール
スーパーボール
モンスターボール
です。ボールの出てくるマシンの前で一人ずつ、どれか一つボールをゲットします。あと、用紙も。(マシンの下に用紙が積み重ねてあります。)私は難易度の近い「ハイパーやろ!」とハイパーボールをゲットしました!!。
下の子は真ん中のレベルのスーパーボールにしました。

さあ、入場しました。一番の幕がかかっています。「まずは一番からミッション攻略!」と思いますが、実は違います(笑)。一番から進む必要はありません。

橿原市の宿泊先を出発。明日香村から山を越えて紀ノ川沿いの道に出ます。紀ノ川に至る道は「中央構造線」を越える道です。二本を上と下に二分する文字通り大地層帯です。
目指す目的地は「高野山」です。パワースポットという言葉が定着して久しいです。古代の都の飛鳥をはじめ、高野山、吉野、伊勢神宮、古代から栄えたり信仰を集めた場所が中央構造線に近隣にあるのは決して偶然ではないでしよう。恐らく私の見るところ、大地層帯の紀ノ川周辺には何か力の秘めたモノがあり、古代の人々はそれを感じていたのかもしれません。
↓ 奈良県側の紀ノ川沿いの道。前回2010年秋に高野山に来たときに、高野山から吉野方面へ向けて
この日とは逆方向に走ったことがありました。
川沿いには製材所があり。林業の一大産地であることが感じられました。

↓ たしか、橋本から九度山に至る道です。

九度山を過ぎた道路。だんだんと登りになってきます。

高野山への看板。時刻は8時過ぎ。明日香村のコンビニを出発したのが、7時15分くらいですから、順調にやってきました。一時間半くらいで高野山に到着する予定でいました。

山道の途中で。道は細くなり、だんだんと傾斜は急になっていきます。この道(国道380号線)も2010年秋に下ったことがあります。登るのは初めてです。前回は丹生都比売神社の方向から高野山に上った(国道480号線)のでこの道は(登りでは)通りませんでした。国道480号線の方が広くて走りやすですね。

結構高野山までは長いです。車は前後に連なっています。皆、特別公開に向かう車ですね。山道の途中でこれだけの交通量ですから、すでに駐車場の混雑は始まっているのではないかと思いました。ましてこの日は日曜日。土曜日の晩から山上で宿泊している人もいるので人の動きは速いと思います。

やがて 前回通った丹生都比売神社から来た国道480号線と合流。道幅は広くなります。やがて渋滞となりました。前の方には大型バスが何台も走っていました。大型バスが対向車とすれ違うときに、道幅が狭くなる場所でゆっくり進みながらすれ違うことも渋滞を引き起こしている理由のひとつでした。山の上からも前日宿泊したと思われる団体サンを乗せて大型バスが下りてきます。大型バスが道幅の狭いところで出会ってしまったら、さあ大変です・・・・・。
渋滞したまま、ノロノロ進み。大門の前までやってきました。門の前の交差点を左折し、高野山の街中に入ります。街中もノロノロ運転。交通整理の警備員が出て指示を与えています。
私は当初、街の中心にあるパーキングに停めようと思いましたが、大型バス専用になっているようです。誘導されるままに、金剛峰寺の手前で左折し寺の裏手の方へ誘導されます。トンネルをくぐると、更に山の上の方向に誘導されます。やってきたのは、高野山高校に開設された臨時無料駐車場でした。

誘導されて次々に車がやってきます。誘導とは別にあくまで金剛峰寺方向に進んた車もありましたが、駐車できたのでしょうか。それともあらかじめ駐車できる場所を予約していたのか、今となっては分かりません(笑)。
↓ 高野山高校のグラウンド。

臨時駐車場に着いたのは8時50分頃。20分~30分は渋滞していたと思います。渋滞が無ければ、8時35分頃には到着していたかも知れません。が、大混雑が伝えられている高野山の特別公開、甘く見てはいけませんね。
車を停めて、外に出ます。標高800メートルの高地とあって空気がひんやりしています。
まずは金剛峰寺方向に歩きます。

橿原神宮前駅前のオークホテルにチェックインしました。食事なしの素泊まりプランです。どこかで夕食を食べようと外に出ました。ただし、「サンド」は閉まっていますし、食事をすることはできませんね(笑)。 橿原神宮駅は非常に名前が知られた駅で、近鉄の一大ターミナルですが。、駅の周辺は住宅とマンションの混在地域で商店は多くありません。
↓ 西口のオークホテルと駅前のマンション。

宿泊するオークホテルとは線路を挟んで反対側の東口に。地下道を通り、食事する場所を探します。別の大型ホテルがありました。大型観光バスも停まっています。団体さんの宿泊なのでしょう。
※ 後日のことですが、ノーベル賞の山中教授がこのホテルで講演したとニュースになっていました。おそらく橿原の県立医大関係の学会だったと思います。
東口には大型ホテルはありますが、概して人どおりは少なく静かです。居酒屋などはありますが、数は多くない。駅前には学習塾があり、車で親が送り迎えしています。マンションも林立しています。
道路沿いにファミレスがあったのでここで食べることにしました。道路沿いには、駅の近くですがいわゆるロードサイド店が並んでいます。ドラッグストアや100円店やコンビニなど。
ロードサイド店に徒歩で来たので、お酒を飲むことができます。ステーキと奮発しました(笑)。ビールが進みます。写真の端には、(おつまみの)カリカリポテトも写っています(笑)。

↓ 7時過ぎの駅前の様子。(既出)

前日の夕方、「春日大社 式年造替記念特別公開と高野山1200年記念特別公開のたび」は突如として「境界の彼方」の舞台を巡る旅へと変更になりました(笑)。
本日はもう一回、元に戻り目指す目的地は「高野山」です。
オークホテルの窓から橿原神宮方面が見えます。快晴で気持ちのよい青空です。あ~春っていいな~。
前日の計画では早朝に起きて、橿原神宮に参拝するつもりですが、爆睡して敢え無く計画倒れとなりました(笑)。ウチの家族のいつものパターンです。 私は前日の運転疲れのためです。あと夕方以降急遽入った『栗山未来 特製入場券』ゲットのたびのためです。言い訳ですが。

宿泊した部屋。今回ここに宿泊したのは偶然でしたが、思わぬ発見がありました。上の子はすでに大満足でした。どうやら旅の目的を達したようです(笑)。

ホテルをチェックアウトします。すぐ隣にはサンドが。昨日は夕方に着いて、朝出発してしまうのでお店は開いていませんでした。アニメ「
栗山未来のイラストが店頭に飾ってあります。貴重です。
原作者の生活圏か出身が近鉄沿線、橿原神宮周辺のため、作中の街並みのモデルになっているようです。
ただし、はっきりと「奈良の橿原市などがモデルになっている」とは公表はしていないが、街並みはリアルに作中に取りこまれているそうです。

お店の外観。その隣はオークホテルの駐車場です。荷物を車に積んで出発の用意をします。

実はサンドのオークホテル側の隣に黒い建物があります。「はにわ饅頭」のお店です。
ホテルのロビーに説明が貼ってありますが、製造元の商店がお店を閉じるというので、のれんと製法をオークホテルが受け継いでお店もリニューアルしたそうです。

ホテル内でも販売しているので、チェックアウトのときに購入しました。個包装になっています。いろいろな埴輪の形をしたお饅頭です。

朝の7時過ぎに出発。すぐに橿原市から飛鳥村の区域に入ります。村のコンビニで朝食を購入。
高野山へ向けてひた走ります。
↓ 大淀川沿いの風景です。

「春日大社 式年造替記念特別公開と高野山1200年記念特別公開のたび」は突如として「境界の彼方」の舞台を巡る旅へと変更になりました(笑)。
目指すは「大和八木駅」、栗山未来チャンの特製入場券購入です。
神原秋人の特設入場券は橿原神宮前駅での販売。「栗山未来」は大和八木駅での販売。そして「名瀬美月」は近鉄奈良駅のみでの販売。知っていれば先ほど駅に行って買っておいたのに・・・。(今さらボクが言うことではありませんが・・・・。)
ちなみにもう一人の男子の特製入場券は西大寺駅のみでの販売。
いずれも有効期限が印字されているのですが、期限は各自の誕生日になっています。未来タンは3月31日生まれなので有効期限は「平成27年3月31日」だそうです。
橿原神宮駅から電車に乗り、やってきたのは近鉄 大和八木駅です。橿原神宮前駅から普通電車で10分もかりません。
「どこで売っているのか?」と改札を出て、ぐるっと駅の構内を見渡します。どこにも無いようです。あれっと構内を歩きまわり、柱の裏にあったポスターをやっと見つけました。アクリルケースに入って掲示されています。
ポスターに、どこで売っているとは書いていないので、近鉄特急券売り場に人がいるので聞いてみるとこの窓口で売っていました。

↓ 改札を出たところにあった未来チャンの等身大パネル。貴重です!!。
1枚のみ購入。(私が買ったワケではありませんが・・・。)値段はなんと150円と通常の入場券と同じ!。
有効期限は「平成27年3月31日」となっていて、購入時点ですでに切れています。

以上、突如として子供に影響を受けて、やや興奮気味に記事を書きましたが、私はアニメを見ません。アニメ関連グッズなどにも興味はありません。
家では子供が見ている地上波放送のテレビのアニメを傍らで少し見るくらいです。あとは、たまに映画についていくくらいです。入場料を支払って映画館で寝ていることもありますが(笑)。
駅前の様子。特製入場券の販売はこの脇にある通常の特急券の窓口でした。

実は大和八木の近くに「重伝」(重要伝統的建造物保存地区)指定の古い町並みが残っている地区があるのです。地図を見ると歩いて10分弱のようですが、夜になっているのでやめておきました。またの機会にします。
再び改札を入り、大和八木駅のホーム。電車で戻ります。
近鉄奈良駅 「名瀬美月」チャンの入場券は諦めました(涙、笑)。

橿原神宮前駅に戻りました。なんば方面からの路線と京都、西大寺方面からの路線とV字型にホームが別々に設置されていています。駅の構内にも路線をまたぐ踏切があるため初めてのよそ者には分かりにくいです。

↓ 駅に置いてあったチラシ。数枚入手しました。入場券と一緒に友達にプレゼントするのだそうです。

※特製入場券の販売は2015年5月31日で終了しているのでご注意ください。
物語のスートーリーは?。魔界か別世界と現実世界を行き来する栗山未来と神原秋人のお話なのでしょうか?。よく判りません。それゆえタイトルも「境界の彼女」だけでなく「魔界の彼方」、「魔界の彼女」、「境界の彼氏」、「魔界の彼氏」などと誤解していまいました・・・。
春日大社の60次式年造替記念 国宝御本殿特別公開、奈良国立博物館「平安古経展」見学し、春日大社、東大寺の境内で少しばかり鹿と戯れた後(笑)、南部を目指して出発しました。モチロン、アメリカの南部というわけではなく、奈良盆地の南部を目指してです(笑)。
天理を過ぎ、更に南下します。道も混んでいます。近鉄やJRの線路をくぐるのに時間がかかります。混雑している大和八木駅周辺を過ぎ、やっと車は流れます。
県立医科大学病院の脇を過ぎ、橿原神宮の敷地沿いの道を走ります。神宮付近の道路は緑の林に囲まれています。元々名前は知っていますが、橿原神宮付近に来るには初めてです。橿原に県立医大があるとは認識していませんでした・・・・。
そして、やってきたのは、近鉄 橿原神宮前駅です。奈良の県庁から橿原神宮駅前まで車で一時間半近くかかりました。
↓ 7時過ぎの駅前の様子。宵の口の空に駅の電光がこうこうと浮かび上がっているかのようです。

駅舎をアップで撮影。
本日ここに来たのは、宿泊のためです。翌日は高野山に行く予定になっています。たびの計画は以前からしていましたが、具体的な日程は決まっていなかった・・・・。日程を決めたとき、すでに出足は遅し・・・・・・。高野山の宿坊にモチロン空きはありませんでした。高野山のふもとの橋本市にも宿泊は空きが無いもよう。
吉野に宿泊という方法もありましたが、やや遠いし行くのに山道を通るので大変。夕方まで奈良市内にいるならば中継地の橿原神宮付近はどうかと思ったからです。飛鳥にも近く宿泊先は多いと考えました。
実は2010年に高野山に前回行ったときや別の年に正倉院展、飛鳥に来たときも橿原付近の(ビジネスホテル)宿泊は考えていたのですが、秋の観光シーズンのためかホテルに空きはありませんでした。

今回は橿原神宮前駅近くの『オークホテル』に予約を入れることができました。
ホテルの駐車場に車を停め、チエックインします。客室のカギを受け取り、エレベータに乗ろうとすると、ロビーに貼ってあるポスターを見て上の子が声を上げました。「あっ、このアニメ知ってる。友達が好きなんだ。あっ、ここが舞台だったんだ!!。」

「境界の彼方」というアニメポスターで、近鉄とコラボして期間限定の特製入場券を販売をしているとの告知でした。
私は「?」、妻も「??」。「『境界の彼方』って何???。」
上の子は嬉々として、興奮して、私達に説明します。私「地上波で放送していたっけ?。」どうやらアニメ映画の公開が最近あったようです。私は全く知りません(笑)。
いつの間に(アニメのことを)知っていたのか(見ていたのか)と私は反撃します。すると子「アタシは見ていないけど、友達が好きだから知っている。」と模範解答・・・・。どこまで本当やら・・・。
「境界の彼方」について、上の子は今回のたびでは全く予期していなかったことは確かです。特製入場券の発売期間中、偶然にもアニメの舞台とされる橿原が宿泊先でした。
と、上の子「さっきのとなりの喫茶店がサンドだ!。」の言葉。再び私は「?」、妻も「??」。
なんと、劇中に出てくる喫茶店のモデル「サンド」がオークホテルの隣!!だったのです。やっと理解しました(笑)。
道理で、店のガラス窓のところにアメニらしきイラストがあった訳です。
↑ 上の写真を見ると確かに「サンド」の看板が写っています。
荷物を部屋に置いてから、「境界の彼方」の更なる情報を求めて橿原神宮前駅の駅舎へ。
↓ 駅の改札前にポスターが貼ってありました。
劇場版「境界の彼方」公開を記念して公開日から5月31日までの期間限定で「特製入場券」の
販売があるとのことです。

ポスターに登場人物が。ポスターを見たり、子供から話を聞いたり、あとで(スマホなどで)調べたところ、
神原秋人・・・高校生 この物語、アニメの主役のようです。
向かって左にいる二人の少女は・・・、
中央 栗山未来 高校一年 身長152センチ。ヒロイン。
左 名瀬美月 高校二年 身長165センチ。なぜか身長にこだわります(笑)。
未来タンが小柄なもので気になりました。ウチの上の子も小柄なもので・・・。アニメの設定ですが、現実論として高校一年で152センチの未来タンの場合はあとどれくらい伸びるのでしょうか?。少しくらい美月チャンの身長を分けてあげてほしいです(笑)。未来タンではなく、ウチの子に。
ホンデもって右の男子の名前は・・・・、もうエエです(笑)。

突如として、「春日大社 式年造替記念特別公開と高野山1200年記念特別公開のたび」は終了!し、『劇場版「境界の彼方」公開記念、アニメ舞台地めぐりの旅』へと転換しました(笑)。
ほんでもって私は最初、ポスターを見て「境界の彼女」がタイトルだと誤解していました(笑)。
奈良国立博物館の見学を終え、東大寺境内 散策です。三月堂を過ぎて、二月堂までやってきました。
子供達と合流しました。
子供達は、大仏殿に行って大仏を拝観したが、(お目当ての)柱は、行列していて「穴」はくぐることができなかったそうです。たしかに、先ほど(大仏殿の前を)通ってきたときに中学か高校生くらいの一団が出てきて(添乗員さんが出迎えて)いたので、その一団と大仏殿の中で遭遇したのでしょうか。
↓ 二月堂の下から。奈良市内方向。

と、二月堂と三月堂の間、石垣に隠れたような場所に滝がありました。
「龍王瀧」とあります。お堂の脇に湧く湧水を、龍が天に昇る様にたとえて名づけたのでしょうか。よくよく考えると「サンズイ」に「龍」が「瀧」ですから、もともと瀧は龍になぞらえて創られた文字なのでしょう。
高い石垣の壁です。樋から水がしたたり落ちています。御利益のある瀧水ですね。
子供達は二月堂の舞台からなかなか下りてきません。そろそろ閉堂時刻では?と思いましたが、二月堂は有料ではなく、無料で自由に出入りできることを思い出しました。有名な国宝建築に無料で自由に出入りできるとはなんとも贅沢ですね。
以前来たとき、二月堂は重要文化財だったと記憶します。国宝に指定されたのはここ数年のことではなかったでしょうか。
二月堂の階段の下から。
正面をアップで。
イトスギでしょうか。この木があるため、二月堂の正面をすべて撮ることができないと気づきました。
正面に植えられていることは、何か宗教的な意味があるのだと思います。
二月堂をあとにして、参道を下ります。
参道付近には塔頭と思われる寺院が並んでてます。個人の表札も出ているので住宅兼塔頭なのでしょう。
↓ 二月堂と奥の若草山の遠景
赤もみじの木が葉をつけています。決して秋ではありません。今は春です。若芽萌ゆる春です。ゴールデンウィーク(の終わりの方)です(笑)。
公園まで戻ってきました。
大仏殿の裏、正倉院にも近いところです。おっ、鹿が私達を見ています。
この付近にも鹿だたくさんいます。人が少ないての鹿とあそぶには穴場と思います。が、鹿せんべいが販売されていませんでした。この時間・・・。そういえば、この付近では鹿せんべい屋はあまり見たことが無いような・・・。
「若芽萌ゆる春」、芝の間に生えた草の若芽を盛んに食べています。今、鹿せんべいがあっても見向きもされないでしょう(笑)。
車の往来する道路に出ました。県庁方向へ歩きます。と、祇園社を見つけました。
奈良の祇園社です。若草山など東大寺付近の山を京都の東山に見立てて、ここに祀ったのでしょうか。京都の祇園さんと同じく、東の山を背に、西に開けた土地に建っています。(もっとも京都の祇園さんの本殿の正面は南を向いていたような・・・。)
道路沿いの旅館の前に大型バスが停まっています。主人とおぼしき男性が出迎えをして制服を来た中学生が次々に降りています。九州は大分県のぼう地域にあると思われる中学校のプレートがバスにかかっていました。
ここからほど近い県庁駐車場で再び車に乗り、奈良盆地を今度は南下します。
奈良国立博物館の見学を終え、東大寺境内 散策です。ツレを探しに行きます。
大仏殿に行くと言っていました。
今日も参道は鹿で賑わっています(笑)。

小学生の一団もいます。この日は土曜日なので通常の遠足ではないでしょう。修学旅行で奈良を訪れたのだと思います。

大型バス駐車場。たくさんの大型バスが並んでいます。
五連休が終わり、平日の二日を挟んだ後の土日です。連休の続きでずつと休みという人もいると思います。連休時期は混雑するので修学旅行は避けると思いますが、修学旅行シーズンは「再開」しているのですね。
こちらは、博物館から東大寺の方向へ歩く途中、お昼を食べたお店です。
中学生の一団もいます。 関東地方の中学では奈良・京都に修学旅行という学校も多いと思います。沖縄など行き先は広がっているので、以前と比べると減っているとは思います。少子高齢化で小学生、中学生の絶対数も減っていますしね。最近、私学では海外というところもあるようですが。
南大門を過ぎて大仏殿の門。東大寺ミュージアムにもこの日は入場しませんでした。
門に向かって右に曲がり、三月堂の方向へ。
大仏殿の回廊の端まで歩きました。左手にはおなじみの池が。大仏殿の見学を終えた中学生とおぼしき一団が次々に出てきます。出口のところには、黒いカバンを持った、これまた黒いパンツスーツの女性が立って、生徒達に案内しています。添乗員の方ですね。この土日も添乗のお仕事なのでしょう。中学生相手の仕事、想像以上に疲れると思います(笑)。大変ですね。
ボクだったら、「やってらんね~」とキレてしまいます。→結果、即「クビ」。ボクには務まりません(笑)。
大仏殿もそろそろ拝観終了時刻のようです。更に坂を登ります。
5年前だったでしょうか。子供を連れて初めて奈良に来たのは・・・。ちようど五月の連休のさなかだったです。あのときも、夕方に大仏殿の付近をウロウロしていました。
↓ この写真の辺りで『鹿せんべい』をあげていたような。当時の記憶が甦ってきました。
坂を登り切り、平坦に地に出ます。三月堂(法華堂)の前に出ました。閉堂時刻を過ぎたようで、お坊さんが戸締りわしていました。
↓ このアングルの写真は学校の歴史資料集にも掲載される写真ですね。
向かって左が奈良時代の建築。右が鎌倉時代の増築部分。
平氏の東大寺焼き討ち?事件のあと、頼朝かその次の時代の頃に大仏殿が再建されたときに
増築されたのでしょう。すると重源が深くかかわっていたことになります。
↓ 奈良時代の建築部分のアツプ。
↓ 奈良時代の建築部分の北面。二月堂側。
前回ここに来たとき、ここ三月堂は修理中でした。修理していて公開部分が限られる中、
鎌倉時代の増築部分で国宝 日光月光両菩薩像の塑像など所蔵の仏像が展示されていました。
修復後は東大寺ミュージアムに移されたので、一昨年来たときは東大寺ミュージアムで国宝
日光月光両菩薩像に『再開』したというわけです。
ツレは子供は二月堂にいました。
特別展 「平安古経展」を見学します。
昨年の秋、正倉院展の宝物が展示され、ごった返していた展示室がこの日はすいています。ガラスケースの中の展示品をゆっくり観ることができます。「見」ではなく「観」です。
展示室内はガラ空き、貸切状態というわけではありません。ひとつのガラスケースに一人、長いガラスケースだと展示品一点か二点おきに一人は見学者がいます。本当に興味がある人でないと来ない特別展と思います。
若い人も多いです。正倉院展の見学者の平均年齢はざっと見ですが、意外と高い。
ここ「平安古経展」では、私よりも若い感じの女性や母娘連れ、学生らしき人もいます。50歳-60歳くらいに夫婦もいます。私くらいの年齢の男性もいます。たいていそういう人はお一人様です。私もそうですが(笑)。
いや、しかし正倉院展は同じ博物館での開催であるのになぜあのように大行列なのでしょうか。年代が古いという点もありますが、宮内庁、皇室秘蔵伝来の宝物という点が人々の興味を引くのでしょうか。
↓ 入口の看板です。

国宝も数多く展示され、時代の古さでは正倉院の宝物には及びませんが、当時の思想や信仰を知る上で貴重な資料です。
漢字も私達にわかる書体なのである程度の意味をつかむことはできます。しかしお経なので長い、とても全部読んでいられません。全部読んでいたら、一日ではとても見学時間が足りません。
昨年の国宝展でも展示されていたと思われる中尊寺大長寿院蔵の 宝塔曼荼羅がありました。別の宝塔の作品展示かもしれません。金泥のお経の文字で宝塔、五重か七重塔を描いてある精密な仏画です。文字によるミニアチュールというか、細密画というか、ものすく゜細かい仕事をしています。
都から遠く離れたみちのくの地で熱き信仰からこの作品が生まれたのでしょう。国宝展でも最も印象に残った作品のひとつでした。
展示リストによると今回の展示は「第六塔」とあります。昨年の国宝展のリストを後日見たところ「第一禎」と「第四禎」が出展されていたので、今回の展示品と違う場面のようです。
平面のガラスケースに国宝「一字蓮台法華経」の展示がありました。福島の龍興寺というお寺の所蔵です。
漢字とサンスクリットのような文字が書いてあります。奈良時代を思わせる文字で埋め尽くされた、優美な大和絵を排した不思議なお経です。
琵琶湖に浮かぶ島、竹生島の宝厳寺蔵、「竹生島経」もありました。
国宝の「中尊寺経」がいくつか展示されていました。高野山の金剛峰寺蔵となっています。なぜ、
中尊寺のお経が高野山にあるのか。もともとは中尊寺で製作された経典ですが、奥州藤原氏滅亡後、高野山に伝来し、今に伝わっているようです。散逸を防ぐため一括して高野山で藤原氏を弔う意味を込めて預けたのでしょうか。後の時代、戦国武将がすすんで高野山に寄進したのも、自家の繁栄を祈願することはもちろんですが、万が一お家が滅亡した後も高野山ならば未来永劫、一族、郎党の菩提を弔ってもらえると考えたのではないでしょうか。
昨年京都博物館で見たと思われる経箱の展示もありました。藤原道長の金峯山に埋めたとされる金属製の筒です。よくよく考えると奈良の吉野の山に奉納して埋めたので、奈良国立博物館で展示されるのが一番よいと思いました(笑)。
最後の展示は 久能寺経です。分割して所蔵されていますが、今回修復が終わり展示されたのです。美しく金箔銀箔などを押した絵巻です。平家納経よりも美しいのではないかと思われる優美な当時の貴族の生活などを描いたと思われる絵巻物でした。
西新館の半分は、奈良仏像館の展示品が移動して展示されていました。常設展示的な場所でした。工事中の
建物の展示品が移されて展示されているのでしょう。
昨年の国宝展の展示とかぶっているが
法華経 浅草寺蔵
法華経 久能寺蔵などでした。いずれも場面は違う所が展示されていたと思います。国宝の久能寺経は昨年の国宝展と違う場面が展示されていたのでしょうか。国宝に指定されているのは一部で、他で所蔵されている久能寺経は重要文化財指定などすべてが国宝指定ではありません。
浅草寺も金箔をまぶしたような美しくい経典です。江戸の街ができるはるか昔から浅草寺に伝わっていたのでしょうか。
(前回までのあらすじ)
式年造替記念 春日大社 御本殿特別公開(「特別参拝」とも。)訪れた後、ゆるやかな参道を下り、奈良公園の方向へ「鹿を追いかけて、鹿せんべいを片手に」やってきました(笑)。
そのて奈良国立博物館の建物の前までやってきました。
↓ お寺のような、学校のような建物。
瓦屋根に丸い窓と星の形のような窓?が印象的です。

国立博物館の旧館と思いましたが、違うようです。旧館は現在工事中の「なら仏像館」のようです。
博物館のウエブサイトによると元々は奈良県商品陳列所として建築され、国立博物館とは別の建物であり、現在は重要文化財に指定され国立博物館管轄の仏教美術資料研究センターというそうです。
設計者は建築史学者の関野貞氏とあります。
↓ 右は新館。正倉院展や特別展などが行われる建物です。

鹿が若芽を食べています。
奈良国立博物館の特別展正面入り口。「平安古経展」です。

14時30分に入場し、二階の展示室へ。
混雑していません。一階の入館ロビーには私以外は誰もいませんでした。しかし、二階の展示室に入るとそれなりに見学者がいます。ただし、正倉院展よりははるかに少ない。ゆっくり見ることができます。
昨年見た「当麻寺展」より入場者もずっと少ないです。
(ウェブサイトでの表示という点を考え「当麻寺」と現代漢字で表記します。)
展示室に入って最初の国宝は、ここ奈良国立博物館からも近い新薬師寺所蔵の法華経。特別展のタイトルの通り「平安時代の経典」の展示なのですが、この法華経は几帳面な文字がびっしり並んでいて、まさに奈良時代を思わせる経典です。のちの平安時代のきらびやかな装飾は一切ありません。時代の説明も「奈良~平安時代 8~9世紀」とあります。時代的には最澄、空海が生きた時代と重なります。
平安時代初期の代表的な経典としてまるで「トップバッター」のように展示されてます。
20年に一度の式年造替記念 春日大社 国宝本殿特別公開参拝を終えました。
門(大社の回廊内と回廊外を区切る南門)を出て、ほぼ同じ標高の参道沿いにある常時自由に参拝てきる遥拝所や若宮神社などを巡りました。
続いて参道のゆるやかな坂を下ります。
と工事のため閉鎖中の宝物館や春日大社の駐車場付近で元来た参道に合流しました。駐車場はこの日は使用できるようでした。普通に車が出入りしています。大社へはこの駐車場が一番近いので、ここに車を停めるべきでした。が、特別公開の土日などは閉鎖されているかもと警戒して県庁の方に停めました。だったら、ここに停めればよかった。数年前に来たときは、朝一番で停めようとしたら、「七五三専用」で七五三以外の車ばダメと追い出されてしまいました。その記憶がまだありありと残っていて、大社の駐車場に停めることを躊躇してしまいました。あのときは「ダメダメ。出て行って。」と駐車場の整理係の人はチョー(メジャー観光地流)上から目線でした。
鹿せんべいは鹿にとっては、あまり興味が無いみたいです。たくさんもらえるのでアンタの鹿せんべいはイラナイよといった感じで『気合』が感じられません。食いついてこないと今ひとつ楽しくないです(笑)。
奈良公園の鹿は周知のようにもともと春日大社の神使いとしているもの。ここ春日大社の参道にいる鹿は本家本元の奈良の鹿です。東大寺や興福寺方面は遠征組の鹿なのでしょうか?。つまり、春日大社付近の鹿は『ご本家』なのであまり、ガツガツとエサを食べて生活していけるのでしょうか?。そんなことありませんけどね(笑)。
参道の途中にはところどころに鹿せんべいの店があります。
しかし、なぜ鹿は鹿せんべい屋の鹿せんべいを食べないのか、何かのガイドかで読んだことがありますが忘れてしまいました。ネット検索すれば答えは書いてあるとは思いますが・・・・。
しかせんべい。1セット150円です。
この日の鹿は押し寄せてきませんむ。
もう一度
夫婦大国社の「恋のハート絵馬」(ニコッ!)
参道を下り、奈良公園と思われる園内を歩き、国立博物館までやってきました。ここまで鹿は『進出』しています。春の毛が生え替わる時期で小鹿ちゃんも毛がまだら状になっています。
奥には博物館の文化財指定を受けている建物が見えます。
博物館の展示館のそばまでやってきました。鹿は芝生に生えた草の芽を食べているようです。
エサを求めてあちこちに移動しているのでしょう。それにしては、鹿せんべいのクイツキが悪かった。
鹿は若芽を求めていたのではないでしょうか?。
提案します!。 草の繊維入りの『若芽入り鹿せんべい』の開発と販売を提案します(笑)。しかも春限定販売!。ニッポン人は「限定販売」に弱いです(笑)。
えっ、すでに販売している!?。恐れ入りました!!。しかも特許取得?、実用新案申請中?。登録商標?・・チョット違うかな・・・・。
20年に一度の式年造替記念 春日大社 国宝本殿特別公開 参拝です。拝観、見学・・・などいろいろな呼び方があると思いますが、あえて「参拝」と記します。
南門のそばで、特別公開から退出します。そのまま、人の流れにあせて南門から退出。振り返って撮影しました。
↓ 多くの人が春日大社 南門を出入りしています。盛況です。
参道を戻って坂を降りずに南に向かってほぼ同じ標高の参道を歩いてみることにします。大小様々の石灯籠が並んでいる様子が分かります。
あと女性率が高いです。神社がパワースポットと言われて久しいですが、最近の言い方を借りればパワースポットでの更にスピリチュアルなポイントが特別公開されるので、特に女性に人気が高いのでしょうか。
南門の前と門の前の「神聖な石」の前から登ってきた参道を見る。
外国人観光客もいます。世界遺産のため外国人向けのガイドブックや観光ウェブサイトに掲載されているからだと思います。円安効果といわれて久しいですが、引き続き円安なので外国人観光客は増えているのでしょう。
↓ 解説の高札。
南門からやや進んだところにある 本宮神社遥拝所。
「本宮」という呼び方にここが神の宿る本拠なのだぞという由緒も感じます。 「御蓋山」は「みかさやま」と高札に書いてあります。一般には「三笠山」、同じ山なのか別の山なのか分かりにくいです。先ほどの春日大社の特別公開でもらったパンフレットには「御蓋山」とあり、「三笠山」との記載がありませんでした。よくよく考えれば三笠山が載っていないのは、不思議だと思う筈ですが、私は忘れていました・・・・。
先の記事にも書きましたが、特別公開エリアの「御蓋山 遥拝所」と似ています。「御蓋山 遥拝所」が撮影禁止でその光景を忘れてしまったため、この写真で想起するしかありません。
春日大社の子社と思われる別の神社がありました。階段を登ってみます。
若宮神社というそうです。本殿と拝殿の二つの社が並んでいます。通常は本殿が中央に位置すると思いますが、並列です。写真撮影禁止なので画像はありません。「春日権現険記にも似た建物が描かれている。・・・」とあるので、春日信仰で重要な位置を占める神様と思います。それゆえ、写真撮影が禁止されているのでしょう。
夫婦大国社のお守りやお札の売り場。
ハートマークの絵馬。私にはもはや無関係です・・・。
「私達」ではなく「私」と一人称単数を使っているところがポイントです(笑)。
参道わきにある看板です。ハートマークです。「恋心」この言葉も無縁です。はい(涙)。
五月の雨がしたたっています。夫婦大国社を参拝した今のボクの心を表しているかのようです(笑)。
20年に一度の式年造替記念 春日大社 国宝御本殿特別公開の参拝記です。「磐座」を見た後、一旦御本殿の「後殿」のエリアを出ます。改めて御本殿の正面にまわり、正面入り口の鳥居をくぐって御本殿の参拝に臨みます。前回の「式年造替以来20年ぶり」の公開とのことです。参拝する人で行列しています。
社殿は高床になっており、四つの社は連結して建築されています。高床の下の基礎の部分というか、隣の社殿と連結する木壁には板絵が顔料?、染料?、漆喰?にて描かれています。虎?の絵が一番鮮やかで印象に残りました。あとは、獅子や平安朝を思わせる武士の姿などの絵があったと記憶します。(写真撮影禁止なので記憶違いもあると思いますが・・・・。)
先に見た「磐座」はどこ(の社殿の裏)かな、と思いましたが、「磐座」の正面にあたる壁の絵は虎か龍かの絵だったような・・・。御正殿に向かって一番右が第一殿、その左が第二殿。この間の裏手に「磐座」が鎮座している筈ですが、正面からは覗い知ることはできません。
正面には強い動物を描いて、裏手の磐座を守るという意味が込められているのでしょうか。絵は20年前の前回造替のときに描かれたそうです。色彩の剥落も無く、非常に鮮やかです。
↓ 特別公開のパンフレット。 Aの地点がこの記事で書いている御本殿正面の参拝場所です。

神秘性を高めるため敢えて違う場所を示しているようです。
御本殿の正門を出て、回廊の外に出ます。次に回廊に外壁に沿って御蓋山遥拝所への坂道を上がります。壁も板塀ではなく、築地塀であると説明にありました。確かに瓦を載せたような土で造営した塀です。木造の壁ではありません。
いざ遥拝所に進んでみると実はは「何もない」。拝殿としての屋根があるのみで、その屋根下にお賽銭の箱が置かれているのみ。遥拝所の先には緑の林が広がっていて野原と林を拝むような感じです。林の先の山が御蓋山で春日大社発祥ともいえる神聖な山とのことです。
↓ 御蓋山遥拝所のイメージは、春日大社南門の近くにある別の遥拝所に似ています。

御蓋山 遥拝所を参拝した後は、回廊の外を壁に沿って下ります。再び回廊の中に門を入るとすぐ出口でした。出口は南門の近くで、もともとの特別公開時の受付の脇に出てくるようになっていました。
特別公開の参拝を終えて・・・。磐座、遥拝所ともに古代の原始宗教の色合いが強いのではないかと思いました。いわゆる自然崇拝の一種です。外国語では「シャーマニズム」または「アニミズム」というのでしょうか。日本は多神教の国で八百万の神がおわして万物には神が宿ると信じられています。一神教とは考え方が異なります。ここでみられる石や山などの自然物に対する信仰は、シベリアのツングース族などに見られる自然崇拝とも共通するものがあるのではないでしょうか。広くいうと北方系「ウラル=アルタイ語族」のシャーマニズムの一種です。
古代は建築技術が発達していなくて、昔の日本人は石、岩、山、川、海、森などを信仰していたのでしょう。その後、現代に見られるような神社建築が確立してからは、信仰としての神道は自然崇拝から神社の社殿にお参りする方式が広まっていったのかも知れません。
現代科学技術の時代に生きる私達にとっては、自然崇拝は理解できない部分もあるかも知れません。ただし、信じるか信じないかは「じ・ぶ・ん・次第。」ではないでしょうか。
↓ 特別公開の記念品のお香。
「平安古経展」のチラシの上で撮影。

20年に一度の式年造替記念 春日大社 国宝本殿特別公開 参拝です。拝観、見学・・・などいろいろな呼び方があると思いますが、あえて「参拝」と記します。
特別公開の受付から先のエリアは写真撮影禁止。
撮影可能エリアから撮影した本殿の方向。

撮影可能エリアから撮影した本殿の方向。右は一昨年にも通った回廊です。
入場してまずは、一昨年も見た(過去通例の)特別公開の建物の間を歩きます。重文の社殿があります。何かお祓いをしている社殿もありましたが、中の様子は分かりませんでした。敷地の北の銅製の燈籠を一昨年見た通路と建物(パンフレットによると燈籠がたくさん提げてあったのは「藤浪の屋」)の先に今回の特別公開の本殿のうしろがわ「後殿」の門の前に出ました。
前回来たときは気づかなかったですが、門が閉まっていたからのでしよう。今回は、木の扉が開いていて更に中に進むことができます。四つある本殿の真裏にあたります。人がたくさん出入りしています。ここが140年ぶりに公開されたエリア「後殿」(うしろどの)だったのです。
140年ぶりの公開というので、ほぼ明治維新以来なのでしょう。
木の扉を入るといくつも小さい社が並んでいます。社ごとに「〇〇神社」と名前がついています。また、南には裏から見る社殿が四つあります。そのうち一か所に人が集まっている場所がありました。「磐座」(いわくら)のある前でした。説明の立看板というか高札がありますが、難しく書いてあるので分かりにくいです。小さい社の人事やの説明を読んでいて、うっかり通り過ぎてしまうところでした。
パンフレットによると御本殿の第二殿と第三殿の間、軒の合間といったスペースにあるように見えますが実際は違います。もっと後殿から見て左手、第一殿と第二殿の間に白い「磐座」がありました。
御本殿は「四つ」あります。偶数です。「第二殿と第三殿の間」にある場合は、四つある社の真ん中に「磐座」(いわくら)が鎮座していることになります。が、真ん中に鎮座しているのではありません。この「あいまい」な配置関係も古代日本の宗教心を知る上でのポイントなのではないかと思いました。
「第一殿と第二殿の間」といっても社殿の真ん中にあるのではなく、向かってやや右側。第二殿のきわにあるように見えました。
この白い「磐座」、写真撮影が禁止なので、あとで記憶を頼りに簡単なイラストを描いておきましたが、描いておいた紙をなくしてしまいました・・・・。本当に真っ白です。しっくいで塗り固めているとのことで、千年以上も繰り返し塗り固めていたせいか、自然の石ではなく、人工の白い水晶の石のようにも見えました。
↓ (既出)南門の前の石のように、もともとは地上に頭を出していた「石」だったのでしょう。
神聖なもの霊が宿る石として漆喰で白く塗り固めていって現在の姿になったのだと思います。
実際の「磐座」はこの南門の前の「石」よりも大きく幅も広かったです。
奈良にやってきました。
20年に一度の式年造替記念 春日大社 国宝本殿特別公開 拝観が目的です。
本殿区域の下あたりにやってきました。「ご造替」の年表が掲示されています。
今回で「60次」なので60回目といったところでしょう。一回目は奈良時代、大仏開眼から十数年後のことです。春日大社は藤原氏の氏神なので藤原氏の力を強まったときに始めたのでしょうか。三回行って一旦中断しています。というより、20年ごとでは全然ありません。
平安遷都まで中断しています。このときは、恵美押勝の乱や遷都の関係で中断したのでしょう。恵美押勝も藤原氏の出。昨年の正倉院展で直筆の書の展示がありました。貴族の争いなど、政治的混乱があると「ご造替」どころではなくなってくるのでしょう。
みやこが京都に移った後も続いています。20年-30年空くこともあるし、20年もたたずに行うことも・・・・。何かに理由で老朽化したり破損した場合には建て替えをしたのでしょうか。源平の合戦のように戦乱があると労力が不足するでしょうし、金銭面の問題もあると思います。ボードには頼朝のイラストがありますね。
更に時代が下って家康のイラストがボードにあります。戦国時代は随分と間隔が空いていたようです。天正時代の造替は秀吉が復活させたのでしょう。復活させることよより、朝廷、公家への影響力を強めるという政治的意図があったことは明白です。しかし、秀吉が主導したと思われる造替はこの一回のみ。
秀吉は死に、次いで家康が天下をほぼ手中にした頃から江戸時代は20年ごとに行われています。年表を見る限り、家康主導の造替も一回のみ。何回も造替できる権力者なんていないってことです。すると、いかに子孫にその権力を渡して継続していくかが問題になってきます。
「20年スパン」が定着したのは江戸時代前期以降でしょう。世の中が安定しないとご造替はできません。では、はたして現代の世の中は安定しているといえるのでしょうか?。
おなじみの門にやってきました。南門、一年半ぶりの訪問です。過去に来たときよりも賑わっています。
門を入って振り返る。門の右はお守り売り場や御朱印の受付です。
下の写真に写っている門の左側に今までの特別公開時の入場受付ですが、この日は閉鎖されています。
お守り売り場の拡大。制服(つまり、白の上衣と朱色の袴)姿の販売員は額にキラキラする「髪飾り」を付けていません。特別公開期間中は忙しくて付けるなというお触れがでているのかも知れません(笑)。
南門を入って、正殿を望む社。通常の参拝はここまでです。
「特別公開受付」と立て看板がある方向へ。藤棚の下をくぐります。藤の花も盛りを少し過ぎた?。
藤は躑躅の花の時期とほぼ同じという認識です。例年は今くらいが一番の見ごろですが、躑躅も含めて花の見ごろは年々前倒ししているように感じます。
「砂ずりの藤」の説明。
本殿へ入る門の前、南門の前には「磐座」らしき神聖な石があります。念のため門に入る前に撮影しました。
回廊で囲まれた境内(神社で境内というかは分からないが・・・。)ではなく外にあるので見落としてしまいがちです。
書かれている説明は難しいのですが、「出現石」、「額塚」といわれる「神石」であるようです。神が出現した、または宝物を埋めた目印となる秘めた力を持つ石のようです。
砂ずりの藤の下を通り、建物を向かって右に曲がると、その先に受付がありました。
朱袴姿の巫女さんが受付しています。入場料は一人1000円。小学生は無料でした。
ここでパンフレットと鹿のイラストの入った「祝 御造替」のお香を頂きました。
奈良にやってきました。
20年に一度の式年造替記念 春日大社の御本殿特別公開参拝が目的です。
4月1日から開始。すでに公開が始まってから一か月以上が経過しています。
「二十年に一度 国宝御本殿 特別公開」と横断幕が参道に懸かっていたり、告知看板にあります。
本殿へ向けて参道を歩き、ゆるやかな傾斜を登っていきます。大勢の参拝者が参道を歩いています。皆さん、特別公開に向かうのでしょう。
3月29日から4月5日までは「神宝」の「鹿島の立鉾」の特別拝観がありました。春休みの期間にあたっていたので、この時期に来ることも検討しましたが、結局実現しませんでした。
文字通り、鹿を描いた掛け軸のような絵画と古代の銅器を思わせる鉾です。写真はウェブサイトで公開されているので、これを見て満足するしかありませんね。
燈籠は紙がつけられており、夜はろうそくをともし、灯りをつけることができるようになっているのでしょう。
燈籠もよく見て歩けば、かなり昔の寄進であることがわかりますし、いろいろな昔の寄進した人の名が刻んでいると思います。じっくり寄進者と年代を確認していけば、一日はあっという間に過ぎてしまうでしょう。
長い参道を砂利を踏みしめて登ります。
途中、売店などがある付近に「祝 御造替」ののぼりがあります。
特別公開の看板。向かって右の看板の絵は「春日権現絵巻」の一部ですね。
この付近には宝物殿があるのですが、かねての予告通り工事中でした。一昨年の秋にも春日大社に来たのですが、宝物館では国宝の太刀などの公開がありました。しかし、行きませんでした。昨年奈良に来たときは工事中で1年半くらい休館してリニューアルオープンする予定とのことだったので、そのときに来れたらな、と思っていました。式年造替に関連して特別公開があるとは思っていなかったので、今回来たのはイレギュラーです。
おなじみ世界遺産の碑。 今回は通り過ぎます。
振り返って参道り下を見る。
りょうげつ