平成27年10月
「春画展」 SHUNGA 永青文庫。18歳未満は入場禁止です。
永青文庫での展覧会の後、京都でも開催されると知りました。つまり、永青文庫は春画展の「東京展」の位置づけですね。次いで、来年(28年)の2月から「京都展」が開催されます。通算すると、約半年間開催されます。私も当初は、警察関係のこともあるので、東京のみ一回の開催かと思っていました。
※ご注意
この記事の文章には、露骨な表現の文章が含まれます。不快に感じる場合があるため、あらかじめご承知おき頂き、露骨な文章を好まない方は、以下の文章を読まないようにお願いします。
展示室を順番に、二階まで見て、一旦鑑賞終了しました。しかし、退出はぜす、実は四階に戻り、肉筆画を再度鑑賞しました。やはり鮮明で見栄えがする。
三階にも再度行った。三階の右側によく見えなかたガラスケースの作品をもう一度見る。そして、その先にある「北斎の例の絵」とセリフをじっくり見る(笑)。つまり、蛸と女の会話です。
そして二階に戻り、ミニ春画を見る。特に季節感のある絵を。と 小柄な女性がまだいた。先ほど三階で目があつた子だ。年の頃は20台前半くらい。学生かもしれない。じっくり作品を見ているようで、私が三階に戻ったときにもまだいて、今やっと二階に下りてきたようだ。
階段を降り、出口に。出口で私のあとから出てきた人達は、老夫婦、次に三人連れの女性(仕事帰りでしょうか20-30歳くらい)です。うち、一人はカーデガンにメガネに黒髪などまじめそうな人だった。
親子連れも見た。母とまだあどけなさが残る18歳くらいの女の子。大学生くらいの年齢か・・・。高校生といってもおかしくないくらい。いや~、教育のためでしようかね。母と娘だとしたら、春画展を見てどんな会話を交わすのでしょうか。
実は、展覧会の入口では、18歳以上か、あまり年齢確認はされていなかったような・・・。私の前後の入場者も確認されていなかったと思います。見た目18歳以上の人のみ入場していれば、年齢確認は必要ありませんね。私は明らかに(年齢以上と)分かるのですが、チョット悔しいです、といのは悪い冗談です・・・(苦笑)。
永青文庫の建物の出口を出ると、すでに外はまっ暗。先の二階展示室から、窓の外を見ると(別館の)店に出入りする人、新たに入館する人達が見える。私は、一階でロッカーで荷物を出し、出口に出た。テント前には係員が。
外から建物外観の写真は、歩いている人もいて撮りにくい。ここで、外から建物にかかっている幕を撮影。 と、私の隣で地味そうな女性がスマホで(私と)同じ方向を撮影している。彼女が撮影のために道をふさいでいて通れない・・・。その先の別館の春画展のミュージアムグッズショップに行きたいのですが・・・・。
↓ 夜の永青文庫。雨が降ったりやんだりしています。新たに入館してくる男性がひとり・・・。
一階の部屋の窓の光が煌々と輝いています。写真の一階部分は事務室です。元々は写真の左手に出入り口と小さいチケット販売のカウンターか゜一箇所あったのですが、今回の改装で新たに入口が開口され、事務室に直結するデパートの案内コーナーのようなカウンターが設置されていました。
ショップを見るため別館に入る。グッズがたくんさ売っている。春画をプリントしたトランクス4132円など。しかも、トランクスはカラー印刷。よく目立つす。いつ、はくのでしょうかね(笑)。勝負のときでしょうか!?(笑)。
別の壁にはティーシャツの販売見本も。思いっきり春画がプリントされていて、交接部分は、ポケット部分でうまく隠している。春画を印刷したトートバックも。これを外で持ち歩くのは微妙(笑)。
「図録はないの?」と年配の男性が係の女性に聞いている。すると「図録は売り切れで配達になる」。とのこと。配達伝票が用意されている。送料は無料。販売の女性は、「前はたくさん積んでいたのですが、全部売れてしまいました。」と説明し、手を出して高さを示した。
春画が印刷されたマグネットも。この画では公然とは使えない。子どもがある家庭でも使えない。オフィスでも使えないでしょう(笑)。絵ハガキも売っている。過激ではない絵のハガキの販売。図録以外、グッズを買っているのは、みな女性。話しながら、絵はがきを手にとったり、楽しそうにお買いモノをしています(笑)。
ウチは子供がいるので、図録、グッズとも買って帰る訳にはいかないです(苦笑)。
静かに永青文庫の外に出る。門の付近は誰もいない。
あの館内の混雑がウソのようだ。改めて、門の横の看板を撮影した。 ↓
さて、今回の春画展に行く前や、行ってからこの記事を書くまでの間、「春画展」について他の方の書いているプログもいくつか見てみました。普通の美術展よりもブログ、ツィッターなどへの書き込みが活発なようです。
ある書き込みには「女性の方が多い。」とあったが、私の見たところ、男性が多かった。入館者の年齢層は男性の方が高い。
時間帯や曜日にもよるが、私の訪れたときは、カップルは少なかった。「若いカップルが多かった。」という書き込みも相当あったが・・・・。が、私が訪れた時は、カップルが少なくてある意味安心しました(笑)。
「わー ××だね。 今度 こんど〇〇しようか。」などカップルの会話を書いたもの(他の方のブログ)もあったが、私はそのような「生のリアルな会話は」聞きませんでした。いちいち会話の聞き耳はたてていませんのでね(笑)。
春画で「四十八手」など(の表現、描写)はなかった(笑)。アレは後世(つまり、近代以降)の創作ですかね(笑)。
よくよく考えると、画中に描かれた人、画を描いた人(絵師、版画師)は現在、皆皆、死んでいる。春画は「人生の喜び」を表現しているとも言える。「喜び」を知りつつも、皆死んでしまえば、すべては「無」になる。何も無い。何も無くなる・・・・。
「生は性につながる」ともいえる。卑猥な言葉を書き残して作品を遺し(北斎など)たが、死んだ後に、後世の人にさらされる。まさか、自分たちの性愛やエロい言葉が「絵」や「詞」になって、後世の衆目にさらされるとは思ってもいなかったろう。それとも、元々広めるために刷ったので、織り込み済みしょうか!?。
いくらエロいことをしても、エロい画を残しても、死ねば「無」だ。一切は「夢の如く・・・」か・・・・・・。アノ快楽の悦びは幻だったのか?。
ある歌の歌詞ではないが、人生は、実にそっけない。そして、あっけない。夏の夜にパッと開いて散る花火のように・・・・・・・。「夢幻(ゆめまぼろし)の如くなり・・・・」。春画を鑑賞して私は人生の儚さを思った。
ああ、はかないなぁ~。
すると「人間なんてなぁ、死ねばしめぇなんだ。いつ死ぬかわかんねエ。今を楽しまないでどうすんだょォ。」という声がどこからか聞こえてきた。(しかも江戸弁!!)
モチロン、自分が楽しむため、愉しむために何をしても許される世の中ではありませんね。特に現代社会は。
いや~厳しい世の中、大変だなぁ~。
永青文庫の門を出て、胸突坂を下る。都電の早稲田駅へ。意外にも遠い、10分弱歩した。地下鉄の駅よりは近いが、さほど変わらないのではないかと思った。都電の車内、座席に座る。あとから、同じ都電の車両に永青文庫帰りと思われるサラリーマン風の男が乗り込んできた。
都電は1852発、1912頃大塚駅着。大塚駅から山手線の電車に。
↓ ネオン輝く大塚駅前の様子。
鶯谷駅で下りる。さて次なる目的地は!?。