良月(りょうげつ)の たび日記

神奈川県 湘南地区在住。折口良月(おりぐち りょうげつ)の神奈川、東京、静岡、山梨、長野など関東近郊地域への行楽、外出。美術館、博物館めぐり。その他国内旅行などお出かけの記録。

2016年02月

 

大三島 大山祇神社と海事博物館

 2015年8月

 ここは愛媛県大三島。大山祇神社です。島の内陸部の道を通り、先の道の駅とは反対側に出ます。ここにも道の駅があります。車を停めます。


 大山祇神社の拝殿を参拝し、回廊の屋根の下で休憩です。回廊は木造の古い感じの建物で、桧皮ふき?、床には砂利を敷いている部分があります。
 回廊には、 かつてここ大山祇神社を参拝した政治家など著名人の写真があります。どこかで写真を見たことがある、テレビで昔見たことがある、という人もいます。知らないおじいさんが神職と写っている写真もあります。が、名前を見れば、ああこの人かという著名人も。
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 明治時代から昭和戦前期は、海軍関係者の参拝も多かったようです。呉の軍港も近いのでなおさらです。
武運長久、航海安全、まさに海軍の神として信仰されていたのでしょう。
 現在でも自衛隊の関係者の記念写真が掲示されています。海上保安庁の巡視船の乗組員、呉の潜水艦部隊の写真、輸送艦「おおすみ」の進水式の写真などがあります。
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航海の神様ですから、造船関係者の参拝も多いようです。船の写真、進水式の様子の写真も掲示されています。軍、自衛隊関係ではなく、船会社、ここ瀬戸内海地域にある造船会社の関係者も多く参拝していることが分かりました。

↓ 回廊と掲示されている写真。拝殿への門の付近の様子。
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お守り売り場脇の出口を出て、石段を下り、回廊の外を歩き、再び石段わ歩きます。国宝館に向かいました。
入口にはチケット売り場があります。国宝館、海事博物館共通で一人1000円です。
売り場には、明らかに高校生のアルバイトと思われる女の子がいます。

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回廊と拝殿を見下ろす。 ↓
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 先に国宝館と紫陽殿を見たのですが、海事博物館から先に記事を書きます。
大きなスクリューの奉納品が・・。大手重工メーカーの奉納でした。

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 ↓ 博物館の正面。
  一階から入ります。中でスリッパをはいて見学。館内は撮影禁止です。

  鉱石の展示もありました。黄銅の石?などがあったように記憶します。鉱山(ヤマ)の神でもあるため、各地の鉱石を集めたようです。入り口付近にも鉱石の展示はありましたが、主に(一階から吹き抜けになっている周囲の)二階の回廊部分に展示があったようです。

 展示の中心は、昭和天皇がかつて使用したという生物研究用の動力船「葉山丸」でした。ぐるっと一周船の周囲を回って見ることができるようになっています。船室部分の内装は、見ることができませんでしたが、入口や船室の外壁から察してしっかりとした、つくりのようです。研究用なので豪華というほどではありませんでした。
 戦前期に造船され、昭和30年代には使用を終えています。戦争により研究船としての使用は中断されていて、戦後はほどなくして廃船?になったようです。20年と少ししか使用されていませんでした。
 一階の展示は、海の生物の標本(容器に入ったもの)などがありました。館内は冷房がガンガンに
効いていて、涼しいです。そのため、私は一階の入口付近で休んだまま、動けなくなってしまい。あまり展示品は見ませんでした。
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↓ 屋根の上部。高床式の倉庫のようです。神社建築を模しています。
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博物館、国宝館なとがある有料エリアを退出します。
鎧を着た鶴姫の像が道端にありました。鶴姫の着たという鎧は国宝館に展示がありました。
(鎧は、重文指定)
神社の脇を門前町方向に歩く道を「鶴姫ロード」と呼んでいました。

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 真夏のこの日、「鶴姫」ロードの脇はセミの声で充満していました。「ジジジジ゛ジジジジジ゛ジシジ」という感じです(笑)。実況してしまいましたが、アブラゼミの鳴き声だったかは、確証が持てません(苦笑)。多分「ミーンミーンミーンミーンミーンミーンミーンミーンミーン」というミンミンゼミでは無かったです(笑)。
 暑さのあまり、地面撮りをしてしまうワタクシ(とスマホ)の影。ボロスニーカーが気になります。ワタクシ、夏でも冬でもこのスニーカーでございます(笑)。臭そう・・・。(とセルフツッコミ・・・・。)

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 元の齋田の近くまで戻ってきました。田のそばの回廊には、絵馬が奉納されています。実際にこの回廊の屋根の下に馬をつなげることもできるような感じでした。

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↓ 齋田と回廊。写真の右方向が正面入口の鳥居です。
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大三島 大山祇神社 境内 参拝

 2015年8月

 ここは愛媛県大三島。大山祇神社です。

 さあ、神社の境内に入ります。
 大山祇神社の由緒を確認します。昔は海から真っ直ぐ参道に来ることができたのでしょう。

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境内には斎田?、がありました。新嘗祭などでお供えする稲を栽培しているのだと思います。

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境内を進み門をくぐります。
「総門」といい、平成22年に再建されたと説明にあります。前回来たときは、再建前だったことになります。

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 門の正面にある大木。説明によると樹齢が2600年くらいで、国の天然記念物の「大楠」とのこと。古来から造船の材料として使用されたので、神木として祀られたのだそうです。縄文時代からある楠といったところでしょうか。
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と、門の傍らには楠が。よく見ると伊藤博文参拝記念植樹とあります。

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 近くによって看板を見ます。確かに伊藤博文参拝記念植樹です。常緑の楠です。落葉することなく常に緑色の葉が繁る「楠」は(造船の材料である以上に)国家繁栄の象徴でしょう。彼は明治42年3月22日に大山祇神社に参拝していたのです。
 明治42年というと、博文が暗殺された年ではないかと思いました。あれ、これは暗殺される直前のことではないか?と思いました。韓国併合が1910年、きっかけは前年の伊藤博文のハルピン駅での暗殺だったと歴史の授業で習ったと記憶します。すると、明治42年は1909年に当たり、やはり暗殺された年です。博文の大陸への渡航経路は明らかではありませんが、満州への途中でここに立ち寄ったのだと思います。
 まさか、その後ほどなくして自分の命が無くなるとは思ってもみなかったでしょう。
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 近代日本最初の首相にして稀代の性豪エロ男、明治の好色一代男、不世出の大宰相、その肖像が紙幣にもなった偉大な人物、栄達を極めて大勲位 公爵に昇った人 伊藤博文の最期の時が迫っていたなどこのとき誰が予測しえたでしょうか?。

 戻った後に調べて見ると、明治42年の10月に暗殺されています。すると、ここに来たのは暗殺の7か月前のこことで、博文「最期の旅」ではありませんでした。韓国統監だった筈なので、3月の参拝のこの時は、韓国(大陸)と内地(日本)を往復していたのでしょうか。

 「日本総鎮守」の大山祇神社。航海の神様として信仰を集めたことはよく知られています。同時に鉱山の神様としても信仰されていました。航海と鉱山では「海」と「山」で真逆ではないか?、と思いました。
 由緒には「地神」、「海神」兼備の大霊神とあるので、鉱山つまり「ヤマ」の神として全国で信仰されたのでしょう。
 が、戦前の社格において旧国幣大社とは意外です。官幣大社ではありませんでした。
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↓ 本殿。夏休みとあってか、家族連れでの参拝も多いです。
社殿は重要文化財の指定。ここ大山祇神社の建築物自体に国宝はありません。
奉納された武具などが現在文化財として国宝に指定されているので「国宝の島」なのでした。
実際には拝殿の前で参拝しているのであり、本殿はその奥です。


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↓ 夏の日の強烈な日差しに照らされる本殿。参拝者も汗だくで見るからに暑そうです(苦笑)。
本殿で参拝をした後は、回廊下の広い日陰の下に早く入りたい一心でした・・・・。



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↓ 本殿の傍らのお守り売り場。
子供達の関心はもっぱらこちらです(笑)。

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近年は国宝の島としても注目を集めていますし、「大漁屋」効果、「しまなみ海道」のサイクルの聖地効果などもあって、賑わっているようですね。



大三島 大山祇神社 道の駅「御島」と門前周辺の様子

 2015年8月

 ここは愛媛県大三島。大山祇神社です。島の内陸部の道を通り、先の道の駅とは反対側に出ます。ここにも道の駅「御島」があります。車を停めます。
 しまなみ海道で事実上、本州、四国と陸続きの島であるのに、道の駅が近距離に二か所あるとは異例ではないでしょうか。

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 駐車場は混雑しています。

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 道の駅では、「塩ソフトクリーム」を販売しています。夏らしくアイスの、のぼりがたくさん立っています。写真奥には、「道の駅御島」の青い看板が見えますね。

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 ↓ 神社に参拝した後にアイス(というか、塩ソフト)を食べました。暑い~。
  「伯方の塩」が有名なので、ちなんで「塩ソフト」です。工場も大三島にあります。(見学はしていませんが。)
 現在では、瀬戸内海沿岸では塩田は見られません。以前(山陽地方に)住んでいるときに聞いた話ですが、瀬戸内の塩といっても現在は海水から昔の製法で塩は製造しておらず、市販で流通している塩のほとんどは、輸入の岩塩とのことでした。
 現在でも「伯方の塩」として販売されている商品すべてが、そしてここで使用されている塩が地元の塩田瀬生産かは、分かりませんでした・・・・。


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 さて、時間はまた元に戻します。

 大山祇神社に歩いて向かいます。神社の入口は海に近い方しかないようなので、境内と境内外を分ける柵に沿って歩きます。


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境内の脇の道。道路脇の水路は灼熱で水が枯れそうです。おたまじゃくしが大量発生している部分もありました(笑)。

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と、水路が境内内に流れ込んでいます。境内内に橋がかかっています。


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 と、門前まで来ると人の行列が・・・・。「何だ何だ??」とは思いません。このお店とても有名ですから(笑)。しかし、まさかここまで混んでいるとは思いませんでした(汗・・汗・・汗・・・・)。並んでいるみなさんは熱中症にならないか!?、心配です・・・・。

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 お店の名前は「大漁屋」。某テレビ番組というか、いくつかのテレビ番組にも登場しているので知っている人は多いでしょう。アノある芸人が「行列に並ぶ」番組にも登場したとか。その回を私は視なかったのですけどね(笑)。
 以前、伊勢神宮の参道沿いの店で、その番組のロケの模様は、目撃をしました(笑)。後日、私達の家族も遠くにピンボケしていましたが、姿が映っていたことは周知の通りです(笑)。

 大漁屋は、ライダーも押しかけています。いや~、並ぶだけで、暑さでヘトヘト、食欲が湧くのか心配です(笑)。
 ↓ 大漁屋の狭い道路を隣にある建物。美術館です。ガラス張りのモダンな建物。以前来たときには、あったのか、忘れてしまいました。覚えていません。ともかく暑いので、灼熱に熱せられたアスファルトの道路を渡って美術館に向かう気力が湧きません・・・。ウソやろ~と思われるでしょうが、いや、本当です。それくらいの灼熱です。ただ、この日は快晴でカンカン照り照り(敢えて二回「照り」を入れます。)で湿度が低いので、まだ日陰では過ごしやすいです。瀬戸内特有の乾燥した気候ですね(笑)。
 高湿度の関東から来ても分かりにくいかもしれませんが、瀬戸内海気候の地に一度住んで、関東に行ってみると何となく「違い」を感じますよ(笑)。
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神社の前の様子。写真には写っていないですが、左方向が大漁屋です。
写真の奥が道の駅です。

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 行列の様子をアップで。京都のとある店でも行列の模様をレポートしたことがありましたね(笑)。行列している人は若い人が多いです。店の外にはテントもありません。日傘やうちわは必須ですね。

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 と、観光案内所美術館から出てきた人が並びました。ああ、もって早く並べばよかったのにね。この炎天下では大変です。お昼の時間帯に来たのでは遅いですね。

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 さあ、神社の境内に入ります。
 大山祇神社の由緒を確認します。昔は海から真っ直ぐ参道に来ることができたのでしょう。

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↓ (既出) 多々羅大橋の優美なな姿。
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「迎賓館赤坂離宮」本館、主庭 一般公開 参観7(最終)(本館外観~休憩室~退出編)

 2016年2月 「迎賓館赤坂離宮」本館、主庭 一般公開 参観7(最終)

 「迎賓館赤坂離宮」の一般公開 参観記事も今回で最終となります。

  続々と見学希望者がやってきます。入場してから一時間が経過してました。建物の内部を見るのに思ったより、時間がかかりました。実は30分くらいかな、と思っていました(笑)。ところが、内部の各部屋の前では、人の「列が渋滞」していたため順番に見るには時間がかかりました。

 主庭、つまり噴水の庭を一通り見て、本館を南の正面から撮影し、退出することにしました。
 仕事もありますので、この辺で切り上げることにします(笑)。
 そのいえば、噴水の前の石階段で、本館の正面をパックに写真を撮影してくれと、60歳台くらいの夫婦に頼まれました。私のように仕事を抜けて着ているらしき人もいます。背広とコートを着て見学に来ている男の人もいます。これで腕章でもしていると、ここの係員に間違えられてしまいそうです。

↓ 西側から見た本館。遠くに赤坂の某高級ホテルの曲線的なビルが見えます。。

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 名残惜しきかな迎賓館・・・・。
 と、本館の公開されていた順路の最後の部屋、羽衣の間を出た廊下で視察らしき一団がありました。皆、日本人です。数人で皆スーツを着ています。襟にバッヂを付けている人もいます。特にテレビに出ているような大臣様や政治家ではなく、国会議員のパッヂではありません。お役所のバッヂのようです。(私見ですが)
 衛視は視察している人の顔を知っているらしく、一団の中央で歩いている人に対して、挙手の敬礼をしていました。一団は階段を下りて、先に行ってしまいました。

 と、庭でも歩いて視察をしていました。視察というよりは、一般公開の状況を巡視しているようです。外にいる衛視も挙手の敬礼をしていました。彼らは、庭の玉砂利を「じゃりじゃり」と響かせて、歩いて行ってしまいました。
 ここの館長さんでしょうか?。外部の人ではないようです。

 ↓ お偉い様の一団がわずかに写っています(笑)。
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↓ 本館の西翼。

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 退出する間際、西翼の半地下から出入りする入口を見つけました。二階建てかなと思いましたが、半地下構造で地下一階があります。倉庫、調理室、管理用の部屋があるのでしょう。勝手口のようなものでしょうか。

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 本館の敷地を出て、前庭が見えます。こちらは、整理券無しで正門から入ることが出来、人数制限もありません。本館の建物は、外観のみの見学です。
 「本館」と「正門」の位置関係が難しいですが、「本館」の内部見学は、「西門」からの入場です。「正門」から入ることは出来ません。
 前庭は、多くの人で賑わっています。正門から見ると、建物は曲線、Uの字の孤を描いていますが、(正門と本館を挟んで反対側の庭である)主庭からの本館は四角い長方形の建物にしか感じませんでした。曲線を描く建物の部分には入ることができませんでた。
 正門から見える建物の曲線部は、おそらくゲストやその随員の居室ではないかと思いました。
 (後日、ウェブサイトで確認したところ実際は違うようですが・・・・。)

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 主庭を離れ、休憩室に向かいます。管理棟が休憩室となっているようです。と、その途中には垣の木になっているサカキが植えていりました。このサカキは庭園の植え込みにもなっています。その手前に葉牡丹?が。主庭の噴水の周辺に曲線状に植えてありました。

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 アーチをくぐり、休憩室に向かいます。渡り廊下のような通路でつながっています。

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 管理棟です。館長室もありました。と、休憩室の館内表示があり、ある一室が空いていて、一般見学者の休憩場所になっていました。トイレもあります。「中にはトイレがあります」と案内していたのは、ここのことでした。ただし、女性用は行列していました。
 管理棟は三階建て?。入口の脇には、部屋の案内があり、会議室がみっつくらい上の階にあるようです。館長室もある。次長室もある。「館長」と「次長」がいるようです。
 そういえば、新聞の人事異動蘭で「迎賓館館長 ダレダレ」と名前が出ることがあります。現在は内閣府ですが、以前は「総理府人事」で「迎賓館館長」と異動がでていました。
 新聞の人事が出るということは、高級官僚様のポストですね(笑)。
 館内の案内によると、運営課、庶務課など二個の課がある。賓客がいないときには、何をしているのでしょうか。建物、庭の管理でしょうか?。

 ↓ 管理棟への通路は橋のようになっています。管理用の出入口とつながっています。工事などをするときは、車両はここから出入りするのでしょう。 

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 管理棟入口のホールには臨時職員の女性が立っています。紺の制服を着ています。確かに皇宮警察と間違えてしまいそうな制服です。というより、紺のロングコートを着ているから、内側に着ているスーツが見えないだけでしょうか。
 壁に先ほど本館の部屋(朝日の間)を飾っていた「緑の刺繍」の見本があった。つまり、西陣織の「金華山織」です。「さわっていいですよ。」と女の係の人が声を掛けてくれる。三層構造に布を重ねて模様を表現している。ただし、撮影は禁止とのことでした。よて、言葉で伝えるのが難しいです。緑のフエルト(触ったところ絹ではないような感じです。)を唐草模様に切り取りし、壁に貼り付けして(壁の一部を)装飾している、と書けばよいでしょうか・・・。
 
↓ 休憩室の建物。管理棟に続いています。普段からマスコミや随員などの休憩に使用されているようです。
 写真の左の奥に、先ほど渡った小さい「陸橋」が見えます。
 自販機、ロッカーのところまで戻り、荷物を回収。セキュリティチェックで人が並んでいます。私達の次の11時からの整理券を持っている人が入場して来ているようです。その後、西門から退出しました。

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↓ 迎賓館 今回の一般公開のチラシより。A4版カラー印刷の部分。
今回見学した各部屋の写真が掲載されています。このチラシと同じ看板が北の正門横に掲示してありました。
部屋の内部の様子は、ほぼ自然光で撮影されており、実際に見た内部の明るさに近いです。

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「迎賓館赤坂離宮」本館、主庭 一般公開 参観6(本館の外観~主庭~噴水)

 2016年2月 「迎賓館赤坂離宮」本館、主庭 一般公開 参観6
  
 「迎賓館赤坂離宮」の一般公開。国宝に指定されていますが、「国宝指定」という説明はほとんど見ませんでした。建物は「赤坂離宮」と呼ばれ、「旧」の文字は入りません。赤坂御用地に隣接しているため、宮内庁の管轄地かとも思ってしまいます。先の警備の所で制服の人に「皇宮警察?」と聞いてしまう人がいる筈ですね。
 実際は内閣府の管轄施設でした。
 
↓ 噴水の様子。 西側から東を見る。
写真の左端に写る白いビルは赤坂の鹿島(建設)のビルではないでしょうか。
すると、迎賓館の敷地の先はすぐに赤坂見附の駅になります。
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↓ 西玄関から退出して庭に回ります。中央部をやや西から撮影。
白亜の大理石です。中央の屋根に△形のレリーフがあります。
一階部分の大理石の線は、どことなくイタリア・ルネサンス時代の教会建築を思わせます。

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↓ 東翼

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↓ もう一度、振り返るように西翼

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主庭の噴水。本館の真正面にあります。

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本館をほぼ中央から。
見学者が多いのでも人が入らないように撮影することは困難です。


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噴水の周囲には玉砂利の庭です。庭の端には、係員がいます。警備用のテントも写っていますね。

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玉砂利の上は、散策できます。

噴水を別の方向から。松の木も植えられています。「松竹梅」と日本では縁起モノなので、ここ迎賓館の庭園にふさわしい植木ですね。

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噴水を東を背に、西側。
警備の人が遠くに写っていますが、写真では分かりません。庭の端に立っている程度で、乾通りの通り抜けと比べると、たくさん警備の人が立っていません。
皇居内は皇宮警察の管轄ですから、警備人数も多いでしょう。
ここは、赤坂御用地に隣接していますが、皇宮警察の管轄ではありません。

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噴水と、噴水のある所に降りる石段。庭を曲線を基調にしています。
赤坂のビル群が遠くに見えます。

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石段の手すりの部分。石の彫刻がほどこされています。イタリアのバロック様式でしょうか。分かりませんが。
噴水付近とその手前の石段付近が一番庭と本館の眺めがよい。
よって記念撮影する人で一杯です。

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もう一度正面から。

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石段の西側の手すりの部分。

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 ↓ 迎賓館のパンフレットの写真。
  主庭の噴水の南から撮影すると銅緑色の屋根まで写ります。が、私はそこまで行って撮影しませんでした。
 よって石の建物しか私の撮影した写真には写っていません・・・・。もっとも、噴水の南まで行って、撮影する人は私が見た限りではいませんでした。

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「迎賓館赤坂離宮」本館、主庭 一般公開 参観5(本館 大ホール~朝日の間~羽衣の間)

 「迎賓館赤坂離宮」一般公開 参観5。

 「本館の内部」の見学のレポート続編です。
 (二階の)晩さん会の会場、花鳥の間をあとにして、廊下を歩きます。南の部屋の前を曲がり、中庭沿いの廊下を西へ歩く。軽うじて方向感覚を失っていません(笑)。
 と、次の部屋のようで、再び渋滞、つまり人が滞留しています。私は時間が無くなってきたので、行列の人を追い越しして、体をよじり、先に部屋へと入ります。順路のロープがはってあるのですが、まだ通路に余裕があるのに、不必要に人が滞留してしまっているので「これは困ったな。」と人を追い越して進みました。決して順番が決まっているので、列を乱したり、順番を無視した訳ではありませんよ(苦笑)。

 部屋に入るとホールのように、柱がたくさんあるスペースでした。解説のテープが流れています。「ここは大ホールです。・・・・・」 
 と、一階から登って来る階段があります。「ここは中央階段なのだな。」瞬時に理解しました。と厳密には部屋ではなく、ホールなのでした。

 ↓ 「迎賓館」パンフレットの写真(2009年 池田彰久氏撮影)から。ここが二階大ホールから見下ろした中央階段です。
   ただし、一般公開の見学コースでは、写真ほど階段の間際まで近づくことはできませんでした。

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 ↓ 中央玄関と二階大ホールの写真。内閣府ウェブサイトより。 
 「内閣府ホーム  >  内閣府の政策  >  迎賓館  >  迎賓館赤坂離宮  >  迎賓館赤坂離宮写真集」
  のページに掲載。(見学した平成28年2月18日現在) 
 実際見た光景に近い照度です。パンフレットの写真は写真機の露出の関係で白熱電灯のオレンジ色が強調されて写っています。
 
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 上の写真の右から入り、ロープで規制された通路を写真手前に進みました。天井から釣り下がるシャンデリアが、実際には写真よりも頭上近くに見えます。パンフレットの写真は写真機の露出の関係で白熱電灯のオレンジ色に写っています。回廊の柱の緑色が、どこかイタリア・ルネサンス時代のイタリアの教会建築を思わせます。
 
 次の部屋は「朝日の間です。」とテープの音声が流れます。ホールの出口、つまり朝日の間への部屋の入口には、大きな絵が飾っていります。見たことのない絵です。「小磯良平画伯の作です・・・・」と説明の音声が流れます。「小磯良平」といえば、藤田嗣治と一緒に南方戦線を視察した写真にも写っています。昭和戦前期から戦後期の画家です。
 説明のテープ音声がよく聞こえなかったのですが、迎賓館として整備された際に納品された作品でしょうか。作品の名前はよく聞き取りできませんでしたが、自分で作品を目で見て確認してみると「音楽」と「絵画(美術)」を表現していました。
 (パンフレットに絵の題名は「音楽」と「絵画」とありました。)
 「音楽」の絵は、優美な姿の女性達がバイオリンなどの弦楽器やビアノ?を奏でている様子。女性的な絵。    推測ですが、「女」を表現しているような。
 「絵画(美術)」の絵は男性が描かれていて、女性モデル?を描いている様子。何となく男性的な絵。最初見たところ、労働者が何かの労働(職人仕事)をしているような印象を受けました。「男」を表現し、「音楽」つまり「女」と対になっているように感じました。
 美術館で一般公開されることがあまり無い小磯画伯、幻の作品ではないでしょうか。


 ↓ 中央玄関ホールから朝日の間への出入り口の写真。内閣府ウェブサイトより。 
 「内閣府ホーム  >  内閣府の政策  >  迎賓館  >  迎賓館赤坂離宮  >  迎賓館赤坂離宮写真集」
  のページに掲載。(見学した平成28年2月18日現在) 

 一階の中央より入り、玄関の階段を昇ると、この入口にまっすぐに着くことになります。
 更に進むと「朝日の間」です。

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↓ 「迎賓館」パンフレットの写真(2009年 池田彰久氏撮影)から。朝日の間。
  本館の中央部に当たります。写真右側が南の主庭です。
  文字は私が筆記したメモ書きです。写真撮影は禁止ですが、メモ程度ならば鉛筆の使用が許可されていました。

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 朝日の間は南の正面にあり、一番良い部屋です。
ロープの張られた順路を歩きます。実際に使用された様子の写真は、天皇陛下とベトナムの国家主席との会談の様子だったと思います。見事な、天井画をずっと見上げていたのですが、それ以上にこの部屋では目立つのが「深緑」です。
 何かというと、カーテンや壁の装飾に「深緑色」の唐草模様の壁紙があるからです。テープの説明によると「京都の西陣の金華山織」とのことです。壁に長方形に貼り付けされています。フエルトのような緑色の凹凸のある織物です。写真には写っていませんが、窓のない廊下側の壁の方にたくさん貼り付けされています。
 床には絨毯が敷いてあります。紫色で、桜の薄いピンクの花が織り込みされています。テープの説明によると「47種類の糸を使用している」とか。

↓ 朝日の間の天井画の写真。内閣府ウェブサイトより。 
 「内閣府ホーム  >  内閣府の政策  >  迎賓館  >  迎賓館赤坂離宮  >  迎賓館赤坂離宮写真集」
  のページに掲載。(見学した平成28年2月18日現在) 

 白い馬の馬車の手綱をとる女神が描かれています。優美な絵です。シャンデリアが吊り下がり、金の装飾を施し、豪華豪華です。天井画の女神は日本の神話の神様と西洋の神様を融合させたような姿です。

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↓ 外から見た本館の中央部。窓に面した部屋は「朝日の間」。
 正面の中央階段を登った突き当りの部屋です。
鏡張りもある豪華な部屋です。南向き、正面の一番良い部屋です。ただ、内側から見た窓の数と外から見た窓の数が合わないので、実際に、朝日の間の更に外のバルコニー部分が見えているのかもしれません。

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外観から推測しました。下の写真は、朝日の間の左端。
 私は、時間が無くなってきたので、ほぼ一緒に移動してきた人達を追い越しして、先に急ぎます。
 見学者の様子ですが、平日の午前とあったか、年齢層は高い。ある程度の年齢以上の女性が多いです。主婦らしきグループもいます。といっても、彼女たちは50歳代以上と思います。
 若い人もいます。学生らしくきカップルも、私服で来ています。大学生の場合、受験の関係で現在学校の敷地内に入るこことができないケースが多いのでお休みですね。先のコーヒー店で時間をつぶしたときの女子学生(母親と一緒だった)もそうなのでしょう。その母娘らしき人は全く見ませんでした。たぶん私の先で見学しているのでしょう。
 
中庭に面した廊下を抜けて、次の部屋へ。部屋の前では、再び渋滞しています。部屋に入ると「舞踏会用に造られた・・・・。」という説明のテープが流れています。部屋の名前は「羽衣の間」でした。

 ↓ 2階の円柱のあるバルコニーの部屋は居室?かは分かりません。
   何かの部屋ではあったようです。立入は禁止でした。
   1階の部屋には、入ることができましせんでしたので、部屋の用途は全く分かりません。

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↓ 「迎賓館」パンフレットの写真(2009年 池田彰久氏撮影)から。羽衣の間。
「中二階」にオーケストラ・ボックスがあるのが判ります。ただし、私のメモ書きには
「中3F」と書いています。なぜなら、羽衣の間は、本館の二階にあり、オーケストラ・ボックスは
その上階にあるため「中3階」と思ったからです(笑)。

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 「羽衣の間」の天井画は、大きいですが色が薄いです。空色に鳥が飛んでいる様子。空の色と雲の白色が画面の大半を占めています。鳥は小さく描かれています。空高く飛ぶ鳥は、雲雀(ひばり)のような気がしました。
 パンフレットによると「謡曲 羽衣を題材に天井画を描いた・・・」とあります。部屋の名前の由来にもなっていました。
 シャンデリアが3基あります。パンフレットには「最も豪華なシャンデリア」とあります。用途は首脳会合の全体会議、晩さん会の際の食前、食後の酒の場、雨天の際の歓迎式典とのことです。実際に使用されたときの写真が立ててあります。オバマ大統領との会議の様子の写真でした。部屋に大きなテーブルを入れて、屏風をたてていました。大統領の隣にいるスーツ姿の女性はケネディ大使でしょう。
 晩さん会の時は、東側の花鳥の間がメイン会場、こちらの羽衣の間はその前後の休憩と歓談の場なのでしょう。食前酒、食後酒を飲みながらの。

↓ 羽衣の間の写真。内閣府ウェブサイトより。 
 「内閣府ホーム  >  内閣府の政策  >  迎賓館  >  迎賓館赤坂離宮  >  迎賓館赤坂離宮写真集」
  のページに掲載。(見学した平成28年2月18日現在) 

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 上の写真には、羽衣の間の内部、オーケストラ・ボックスと反対側の様子が写っています赤いカーテンのある。窓の外が西側の庭です。オーケストラ・ボックスと長方形の部屋を挟んで反対側(南面)には、鏡の入った豪華な扉があります。ドアの上部にも半円形の鏡が入っていて、半円の中央部には紋章があります。廊下側の壁にも鏡が入っています。ヴェルサイユ宮殿の鏡の間とまではいきませんが、似ているように感じました。
(実は、ワタクシ、ヴェルサイユ宮殿に行ったことはございません(苦笑)。)

 羽衣の間を出ると再び、中庭に面した廊下です。部屋の中庭側はすべて廊下になっています。この公開時はイスが置かれ、見学者が休憩できるようになっていました。
 オーケストラ・ボックスへの入口は公開されていなかったので判りませんでした。離宮時代は舞踏会を実際に開催していたかは、分かりません。オーケストラ・ボックスから舞踏会の様子を見下ろすことができるそうです。
 あとは、廊下を歩き階段を一階に降りるのみ。途中、二階の廊下で再び小さい中庭が・・・・。1/4の半円形です。つまり、本館の北正面はカーブを描いているので、長方形の直線の本館との「隙間」でした。カーブを描いている建物の裏側が見えました。窓はカーテンにおおわれていて見えませんが、北の前庭に面して部屋があるのでしょうか??。裏側に当る羽衣の間近くの廊下からは分かりませんでした。
 階段を下りると西側の入口付近に戻ってきました。本館から退出します。見学には40分くらいかかりました。はや11時近くです。



(後日、ウェブサイトで航空写真を見ると、本館のカーブを描いている部分には部屋は無いようで、廊下のようになっている?。感じでした。)

 外から見た本館の西面。2階部分ははおそらく「羽衣の間」のあるところ。右側、ちょうど出っ張っている部分の部屋が羽衣の間ではないかと思います。すると、でっぱりの端の部分(写真でいうと、中央のやや右の四角の塔のような建物)は中2階の「オーケストラ ボックス」のある部分と思います。

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 ↓ 拡大。羽衣の間と思われる部屋。
 電気の灯りの光が見えます。オーケストラボックスの下の部分かなと思い
ましたが、天井の高さから推測して誤解のようです??。
判別できませんでした。

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「迎賓館赤坂離宮」本館、主庭 一般公開 参観4(本館入館~二階 彩鸞の間~花鳥の間)

 2016年2月18日。最終日を迎えた「迎賓館赤坂離宮」の一般公開 参観4。

 迎賓館の「本館の内部」に入ります。本館への入口付近をぱっと見た限り、フランスの宮殿のようです。

↓ 先に庭を見てもよいのですが、本館に入る。西側の入口より中へ。

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↓ 内部の見学後に撮影した入口付近の前の様子。
  北から本館を見ると扇を開いたように曲線になっています。扇の西側の裏に当たる部分です。
   角は円筒形になっており、直線と曲線が一体化しています。

 1階の廊下を進むと中庭があることに気付きます。中庭の廊下から2階への階段を登ります。廊下の天井は高いです。階段の天井には、吊るされた灯りが下がっています。シャンデリアのような豪華なものではありませんが、装飾はされています。
 床には絨毯。しかし、床は基本、木です。木の床板の上にじゅうたんを敷いている。階段の手すりは金銅色の真鍮製でしょうか。廊下、階段の壁や天井は白です。しっくいで塗り固めているのでしょうか。廊下には、窓際に長方形の暖房器具が取り付けされています。最新式ではなく、古いです。電気式の暖房機です。

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 一階の廊下の先で人の流れが停滞し、渋滞していました。「あれっ、渋滞か・・・。思ったより時間がかかりそうだな」と思いました。渋滞は階段の続いています。見学コースは二階に昇るようです。やっと階段を昇り、二階の中庭に面した廊下に出ます。見学コース上の部屋に入るために、人の流れが停滞していることが判りました。
   
 まずは「さいらん」の間へ。最初に見学する部屋です。カセットテープで説明の音声が流れます「ここは、さいらんの間です。・・・・「らん」は伝説の鳥で・・・・」と。最初は漢字が分からなかったのですが、親鸞の「鸞」ですね。伝説の鳥から名付けているといいますが、以前見た北正面の屋根の上にもその彫刻が飾ってあった鳥だったかな?、と記憶を辿りました・・・・・。
「彩鸞の間」を見学していきます。と床の上に説明テープを再生するカセットレコーダーが置いてありました。絨毯を敷いてありますが、部屋の床は木製だったと思います。
 部屋の内部に入ると、特に渋滞はしていない。先を急ぐ場合は、順番は無視して追い越して進むことも可能です。必ずしも行列を崩して進んではいけない、という訳ではありませんでした。

 「彩鸞の間」は(二階の)北の正面の部屋と判りました。窓の外には、レースのカーテンごしに前庭とその先に正門が見えます。前庭に見学者がいる様子も見えます。
 豪華な装飾のある暖炉もあります。北向きの部屋なので、冬は寒いでしょう。外国の閣僚、首相との会合、記念撮影などに使用しているようです。
 実際に使用されたときの写真が順路のロープ近くに設置された台に立てかけて(掲示して)ありました。
 外国首脳との調印式、インタビュー、会見の様子の写真でした。

 ↓ 迎賓館のパンフレットの写真(2009年 増田彰久氏撮影) 「彩鸞の間」

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↓ 二階「彩鸞の間」の暖炉の写真。内閣府ウェブサイトより。 
 「内閣府ホーム  >  内閣府の政策  >  迎賓館  >  迎賓館赤坂離宮  >  迎賓館赤坂離宮写真集」
  のページに掲載。(見学した平成28年2月18日現在) 

 解説のテープはこの豪華な暖炉についても触れていました。伝説上の鳥「鸞」の金箔彫刻が縁取りされています。金と白の部屋です。「部屋の広さは140平方メートルで・・・壁には白く漆喰が・・・」とテープが流れていました。部屋の彫刻は金箔がぬられているそうです。北に面した部屋ですが、明るく感じました。上のパンフレット掲載の写真はカメラの露光の関係で本来の明るさではありません。
 実際の目視での色合いは、下の内閣府ウェブサイトに掲載されている写真に近いです。

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 内部撮影は禁止。よって、私が撮影した写真はありません。見学した主な部屋は4つでした。廊下を歩き、移動して順番に見学しました。公開された部屋の内部の様子は、配布されたカラーのパンフレットにも写真の掲載があります。(一部を引用の形式でこのブログの記事にも掲載します。)
 が、廊下や中庭の写真は、パンフレットにはありません。記憶に頼るしかないです・・・・。

 次いで、中庭に面した廊下に出る。中庭は二個ある。西と東にふたつ。「彩鸞の間」は、本館の中央部に位置し、東西の中庭に面した廊下、どちらからも入ることができる。見学コースは、西から入り、東の廊下に抜けます。東の中庭沿いに廊下を歩きます。
 廊下は、天井が高い。四つ電球のついている照明が等間隔に吊りさげられている。と、中庭に面した廊下から別の部屋に入る。部屋に入る際には人の流れが停滞し、渋滞している。部屋は広いので、部屋の中を順路に沿って歩く際には、滞留はしない。

 次の部屋は「花鳥の間」。晩さん会の部屋とのこと。たしかにそのテーブルがある。テレビで見る配置のテーブルとイスだ。
 実際には、テーブルにはクロスを掛けて、花などを飾り、彩るのでしょう。

↓ 迎賓館のパンフレットの写真(2009年 増田彰久氏撮影)
  私が見学したときも、テーブルとイスの配置は写真の通りでした。

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 説明テープでは「・・・・・・テーブルは桜の木でできている・・・・」と流れていたと記憶します。「ケヤキ」ではなかったと思います。テーブルは古い感じで、ロープの内側から遠くに見てもキズがついていたり、かなり使用されているようでした。案外に晩さん会の部屋は狭い。テーブルとイスの配置の手前側(廊下側、つまり見学者のコース側)のスペースに配膳係、警備係、随員、更にマスコミ関係者が入ってしまうと相当狭い。出席者がトイレに行こうとして中座しても、詰めかけた人々の間をぬって、退席するような感じになってしまいます。
 「テレビのニュースなどで見る晩さん会とは様子が違うな。」と思いました。が、よくよく考えると国賓の場合は「宮中晩さん会」が開催されるので、テレビで見る晩さん会の様子は皇居内の宮殿での会の様子なのだと(今さらながら)気づきました。
 実際には、迎賓館で開催される食事会は、首相などが主催者(ホスト)となって開く、晩さん会ほど格式張らない「夕食会」なのかも知れません。
 花鳥の間は、建物の東に位置することに気付きました。(順路から逆算して。)東の部屋ですが、先ほど、北面の「彩鸞の間」よりも暗く感じます。木目で落ち着いた色彩の内装のためでしょうか。カーテンを閉めているかも関係してきますが・・・。

↓ 二階 「花鳥の間」の写真。内閣府ウェブサイトより。 
 「内閣府ホーム  >  内閣府の政策  >  迎賓館  >  迎賓館赤坂離宮  >  迎賓館赤坂離宮写真集」
  のページに掲載。(見学した平成28年2月18日現在) 
  写真ではイスとテーブルは撤去されています。  

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 部屋の内部には、順路としてロープが張られています。天井画やシャンデリアなど上を見上げたり、順に進みます。この部屋が実際に使用されて様子の写真の展示がありました。首相主催の夕食会としてオーストラリアの首相との式典の写真の掲示でした。
 昨年か一昨年かにフィリピン大統領との会談か歓迎会の様子も写真の展示があったと思います。ただし、この花鳥の間での食事会の様子か、それとも次の部屋「朝日の間」での会談の様子だったかは、忘れてしまいました・・・・。今年(2016年)になってから、天皇皇后両陛下がフィリピンを訪問されていましたが、大統領の訪日に対する答礼の意味もあったと思いました。

 説明テープでは「この部屋は広さが300平方メートル・・・・アンリ二世様式で・・・」と流れています。
「アンリ二世様式」とはどのような様式かは分かりませんが(笑)、とにかくフランス風なのですね(笑)。後期ルネサンス時代かバロック時代の前くらいでしょうか(苦笑)。
 天井画は、キジ?、などの鳥が描かれています。各区画には別の鳥の絵があります。壁にも鳥のレリーフがはめ込みされています。「七宝」とのことでした。

↓ 二階 花鳥の間の壁にある七宝の拡大写真。内閣府ウェブサイトより。 
 「内閣府ホーム  >  内閣府の政策  >  迎賓館  >  迎賓館赤坂離宮  >  迎賓館赤坂離宮写真集」
  のページに掲載。(見学した平成28年2月18日現在) 

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 七宝焼きは、写真のように鶏だけではなく、普通に空を飛ぶ鳥などの方(を描いた物)が多いです。ムクドリ、ヒバリなど・・・(多分・・・汗・・・。)

 ↓ 南から見た、本館の東の建物(東翼の建物)。 
   東の窓に面して花鳥の間があります。主庭からは花鳥の間の外観は見えません。

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※ 更に別の部屋に一般公開コースは進みますが、その様子は別の日に記事として掲載します。
今回は、この辺で。

「迎賓館赤坂離宮」本館、主庭 一般公開 参観3(西門~本館入館まで)

2016年2月 「迎賓館赤坂離宮」本館、主庭 一般公開 参観3
 
 国宝に指定されている「迎賓館赤坂離宮」の一般公開に行きました。
 期間限定の一般公開は、2月5日金曜日から2月18日木曜日までの水曜日を除く毎日実施されました。

 公開開始の最初の時間帯である10時から11時までに入場できる整理券を入手できました。

 ↓ 正門の柵に端にあった告知の看板。迎賓館の本館の美しい姿の写真が掲載されています。
   看板り後は、迎賓館の前庭です。


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 一般公開の西門へ塀に沿って歩くく。西門の手前車道には、大型バスが停まっている。バスから70歳前後の 女性の一団が続々と降りてきている・・・。皆、小柄。一団は歩道を埋め尽くす・・・。
「ダメもとでいいから行ってみよう。」
と話をしている。
 西門の門塀の前で、当然の如く係員に止められる。ある女性「入れないの?」、係員「整理券は?」、女「持ってない。」、係「入れません。」
 「しゅーりょー!!!。」です。当たり前ですね。自分で勝手にルールを作ってしまっています・・・・。整理券があるのは知っているが自分たち(だけ)は入れるだろうという希望的観測・・・・。
 実はバスの一団に同行の係の男(添乗員?)がいたが、止めないのかな?。無知なのか知らないが、どんどん「はい、いってらっしゃいませ~。」とバスの傍らで女性の一団が歩道にバスから降りるのを誘導していた。
 停まっているバスが車線をふさいでいるのだ・・・・・。道路は片側三車線くらいあり、交通量は多くないので、とくにはジャマにはならないが、一体どうして整理券が無いと入場できないのは知っていながら、バスを停めたのでしょうか!?。交通量が多くなると事故も誘発しかなねい。絶対に止めて頂きたい。
 入れない一団は門の前で滞留。「お陰様」で、西門手前の歩道が混雑して通りにくくなっている・・・・・・・。


 
↓ 退出の際に撮影。 壁に沿って歩き、西門から入場。
  新宿区と港区の境界線上です。迎賓館は千代田区と誤解していましたが、港区です。
  ニュースでも「赤坂の迎賓館で・・・・」と報道されるので、よくよく考えると赤坂は「港区」ですね・・・。

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 西門といっても、高い塀に囲まれており、普段は鉄の扉で閉じられているのでしょう。そうそう入れる機会がある門ではありません。この日の一般公開のために門は開かれていましたが、道路沿いの高いコンクリ塀は、どこか刑務所か拘置所の傍らのような雰囲気です。大げさな表現かも知れませんが、イヤ本当です。

 門を入ると自動車のオトがゴーっと響いてきます。地面に大きな穴が開いています。穴の周囲には、柵で囲んでありますが、なんと首都高のトンネルの真上でした。中央道、新宿からやってくるルート、×号線ですね。この道は通ったこともありますが、トンネルの上が迎賓館の庭や敷地とは、まさか思いませんでした。
 ちょうど排気口の役割を果たしているようです。
 
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↓ 柵ごしに首都高の様子。いや~、驚きました。車で走ると一瞬だけトンネルの外に出るような感じで、まず気づきません。写真は上りか下りのどちらの方向か、明かすことはできません。警備上の理由で、というのは冗談で、特に撮影禁止ではありませんでした。

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 柵の向こうには、学校があります。塀の外です。高い塀のため、敷地に隣接する道路の様子は分かりません。

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↓ 首都高を渡る橋。西門から橋を渡り、警備場まで歩きます。

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↓ 橋のすぐ先に、警備場がありました。つまり、セキュリティチェックを実施します。
   テントが設置され、列を作って順番に検査を受けます。

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 テント内で、並ぶ。写真は、迎賓館本館の方向。検査を終えた人が歩いて行きます。

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 9時58分には、テント内の列に並ぶ。すでに先客は入場している。10時よりも、かなり早く入れているようです。警備員と紺の制服を着た人達がいる。なんと、空港の出発ゲートと同じセキュリティゲートが二台あった。皇居の乾通り通り抜けのように、手荷物の中と携帯式金属探知機での検査かと思っていたが、より厳重だった。

 列が進んで行く。ゲートの直前で整理券が集められる。今回の公開のチラシも配っている。迎賓館の写真入りパンフレット(以下主に「パンフ」と書く。)も渡している。パンフは、先の(2012年のとき)前庭公開でもらったものと同一だった。
 パンフを配っていた紺の警察官のような制服を着ている女の子に「皇宮警察?」私の前に並んでいた老人がと聞いた。しかし「いえ、臨時職員です。」と答えた。
 多分大学生のアルバイトです、と思うくらいの若い子でした。皇宮警察のような制服なので、確かに似ているのです。衛視のような、紺のコートにジャケット、ブラウス、ネクタイ、パンツ姿です。私も一瞬そうかな、と思ってしまった。警察官の制服ではないし、普通の女性が着るようなスーツ姿でもなかった。
 迎賓館は、皇宮警察の管轄かな?と誤解しがちだが、皇居や御所と同じく宮内庁の施設ではない。内閣府の管轄なので警備するとしたら、一般の警察で、違いますね。

 セキュリティゲートの係員は、警備会社の制服を着ていた。航空機と同じセキュリティゲートがある。プラスチックの皿に荷物を載せて、ゲートをくぐる。エックス線装置で荷物は透視です。
 並んでいる人の中には、中国語も聞こえた。どこで一般公開の情報を仕入れてくるのでしょうか。

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 無料ロッカーがあるので、預けます。今回設置されたのではなく、元々あるような感じです。この建物は随行員やマスコミなどの警備専用の施設でしょう。

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↓ 「休憩所」の表示が。やはり、随行員やマスコミの休憩ができるスペースがあるようです。

 休憩所の入口の手前には、自販機まで設置してあります。年一回の今までの一般公開用や職員用、建物や庭の管理営繕の出入り業者だけに設置されているのではないことは明らかです。もっと多くの人の利用を前提とした施設です。すると、行事の関係で迎賓館に許可されて入る人は少なからずいる筈です。
 もっとも、外国からの随行員、マスコミに「ジヤパニーズ ベンディングマシーン」はどう映るのでしょうか??。

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↓ 検査を終えて、本館へ向かいます。塀の向こうには前庭と本館。
常緑の楠が植えられています。巨木です。

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本館と前庭は行き来することができません。門は閉ざされていました。
前庭は整理券なく、自由に公開されています。以前、来たときと同じように、建物の中には入れますが、自由に散策できます。ただし、本館方向からも前庭に直接行くことはできないようになっています。
整理券を配った正門前まで戻り、改めて前庭の公開に入場することになります。前庭に入る際にも手荷物検査があったと思います。

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西の入口から本館に入ります。
幌のついた通路があります。主婦にしき三人グループが入館して行きます。

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 今まで夏に一般公開されていた際もここから入場していたのでしょう。
元々入館用の通路が設置されているので、行事が行われるときの随行員やマスコミ関係者はここから入館するのでしょう。

「迎賓館赤坂離宮」本館、主庭 一般公開 参観2(整理券入手と入場まで)

2016年2月 「迎賓館赤坂離宮」本館、主庭 一般公開 参観2
 
 「迎賓館赤坂離宮」本館、主庭の一般公開に行きました。
 今回は事前予約無しで「本館の内部」を見学(参観)できるのが大きなポイントです。
 見学の定員は毎日2000人。ただし、本日公開最終日も含め、日程の後半、整理券の配布枚数は1日3000人分だった。
 
 ※今回の一般公開の入場料は無料だ。

 この日は、公開最終日で平日。今回の一般公開開始時刻は10時。整理券は事前配布。では、整理券は何時から配布するのか?。一番の大きな焦点でした(笑)。

 内閣府のウェブサイトには詳しく出ていないようです。ただ、電話案内サービスがあります。個人などのSNSなどは、公開から日数が経過するにつれて記事がアップされています。どうやら8時から配布するようです。平日なので8時半くらいなら大丈夫かな、(公開開始1時間前の)9時くらいでは遅いかな程度に思っていましたが。
 
 いつもより一時間くらい早起きして出発しました。四ツ谷駅で電車を降ります。ただし、地下鉄の四ツ谷駅です。丸の内線のホームは地上(昔の外堀の跡だが)にあります。一番新宿側の車両に乗っていれば、改札に近いのです。迎賓館への距離が近い。四ツ谷駅に電車が入るときの車窓や駅のホームから、少しだけ迎賓館方面へ向かう道路の歩道が見えます。と、歩いて迎賓館に向かう人の姿は無い。ということは、空いているな、整理券は朝10時のものを確保できるな、と確信しました(笑)。

↓ 到着した直後の迎賓館前。北側の門です。こちらが正門です。

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 四ツ谷駅を出て、歩道を歩きます。この時間帯は、学習院初等科の制服の児童が目立ちます(笑)。朝7時40分頃に迎賓館の門の前に到着です。正門前の公園には、整理券配布のレーンができており、「10時から」の整理券配布のレーンに進みます。私の前に並んでいるのは30人くらいに見えました。

 ↓ 四ツ谷駅から迎賓館に向かう途中、信号待ちのときに撮影。
   木の向こう側の公園内で整理券を配布します。特に混雑していないことが分かります。

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 列に並びました。朝10時の整理券のレーン。横に4人から6人、タテに前に5列か6列くらい。30人以上、40人以内といったところでしょうか。まだ整理券の配布は開始されません。
 列の傍らでは、警備員が拡声器で「迎賓館本館と主庭(しゅてい)の一般公開の整理券はこちらで-す。」と繰り返し案内しています。一瞬「しゅてい」とはどこかな?、と思いましたが、今、見えているのは前庭(ぜんてい)、本館の南側にあり、ここから本館の建物を挟んで反対側にあるのが主庭(しゅてい)と理解しました。

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↓ 公園内の別の方向。東から太陽が昇ってきています。快晴で寒い朝ですが、すがすがしいです。

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↓ 私の並んだレーンの後ろ。
  私が並んで2-3分は後ろに誰もやってきませんでした。
  私が並んでいるのは 朝10時の整理券を貰うだめのレーン。
  左隣は11時?、その左は12時、更に左は午後の整理券のレーン。(11時と12時は同一レーンだったかも?)
  一時間ごとに時間帯が区切られていました。11時以降のレーンには誰も並んでいません。
  朝一番で並んだのは10時に入場するためですからね(笑)。

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 並んだ時点で午前8時まで20分くらいありました。並んでいる人は平日のためか高齢者が多い。ただし、私服の若い人もいます。中国人の女性数人の組もいました、
 途中、トイレに行くなどと言って、列を離脱する人も。トイレは「道路を渡った小学校側の公園に公衆トイレがあると」警備員に案内されています。
 レーンの入口では、カウンターで人数を数えています。時間帯ごとに整理券を配布する人数が決まっているからです。列を離脱して、またレーンの入口から入ってしまうと「ダブルカウント」になってしまうので、列の傍らの警備員に一声かけ、離脱し、戻るときも「さっき列を離れて戻った」と声を掛けて再度、レーンに入っています。「二重計上防止」です(笑)。

 7時50分には、整理券の配布が始まりました。レーンの先頭の左右で配布します。列が動きます。最初の時間帯である10時から11時までに入場できる整理券を入手できました。
 「整理券を受け取った人は簡単な説明がありますので、こちらに集まってください!。」と拡声器で案内があります。円形になって説明を聞きます。「ここではなく、ここから(歩いて)2~3分先にある、西門から入場します。整理券を提示して入場してください。 その際に手荷物検査があります。一旦入ると、(公開終了時刻の)5時までいれます。迎賓館本館内は撮影禁止です。本館前の主庭(しゅてい)は自由に撮影することができます。・・・・・」のような簡単な説明が。

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説明を聞いて一旦解散。10時前までフリーとなります。
↓ 列を離れる際に撮影。次次に整理券を求めて見学希望者がやってきます。
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 仕事は昼からと割りきり、時間を10時前まで調整します。某コーヒーチェーン店Dに入りましたが、「あれっ、マズったぞ。」と失敗したことに気が付きました。やっぱり「コーヒーチェーンS」にすればよかったかなと・・・。Dの看板が一番最初に目に入ったので、入ってしまいました・・・・。実は、Dのお店、どこも机が小さくイスがハイカウンター用のように高いので長居し辛いのです。「やや、うっかりしていたゾ」と過ちに気付きました。が、アトの祭りです(苦笑)。
 お店も「回転率」をアップさせるために、わざと小さいテーブルと座りにくいイスにしているのです。「人間工学」の観点からすれば経営に貢献しますね(笑)。低いタイプのイスとテーブルもありますが、木でできていて、座る部分が丸くて小さい。長時間座ると痛くなるように設計されているかのようです(苦笑)。仕方なく「人間工学」の逆説を証明するため(ウソ)、時間をDですごします(痛っ、腰が・・・・(笑))。
 と、私の隣の狭いイスが2個並んで空きました。すぐに、女性二人が席に着きます。隣に若い子が座り、コートーを脱ぐと、狭い席なので、そのひじが私の手に当たるのです(苦笑)。二人は話を始めました。私の仕事の書類を見ています(えっ、大丈夫なの!?)。もう一人の女性は私の隣の女の子よりも年齢が上でその子の母親のようです。と、女の子が何かをテーブルの上でスマホを出して「撮っておこう。」と写真を撮影しました。アノ「カシャァ」という音が響きます。ハッとして、隣を見ると「迎賓館本館内部公開の整理券」でした。記念に撮影をしたのですね(笑)。私も「整理券は回収されれば手元に残らなくなってしまうので、撮影せねば」と遅まきながら、気づきました(笑)。
 娘は大学生のようです。学校の様子を話していました。どうやら、都内で一人暮らし。母は娘を訪ねてやってきたようです。新幹線や飛行機、近郊の電車ではなく、高速バスでやってきしたようでした。今の時期、学校は入試期間で春休みなのでしょう。9時半過ぎには、母娘は店を出て行きました。目的地は私と同じですね(笑)。私はもう少し、書類を処理してから出かけるとします。娘は派手な感じの帽子を被り、おしゃれな服装で、「女子大生してます!。」って感じした(笑)。

入場の直前、再び通った9時50分頃の正門前の様子。 ↓
 整理券を配布しています。午前の入場の券は配布を終わっていましたが、昼12、13時以降の整理券は配布されていました。 つまり二時間くらい余裕をもてば、平日ならば入場できるようですね。

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 ↓ 西門前で整理券を撮影。門を入る際に回収されてしまうと思い、その前に急いで記念撮影です(笑)。
西門の所では、見せるだけでしたが、さの先のセキュリティチェックのときに警備員?に回収されました。
  撮影しておいてよかったです(笑)。


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↓ 退出の際に撮影。 壁に沿って歩き、西門から入場。
  新宿区と港区の境界線上です。迎賓館は千代田区と誤解していましたが、港区です。
  ニュースでも「赤坂の迎賓館で・・・・」と報道されるので、よくよく考えると赤坂は「港区」ですね・・・。

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↓ ここが迎賓館西門です。高い壁と厳重な警備が。
整理券を提示して入れてもらいます。

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 (参考 画像)迎賓館本館と南の主庭 ↓

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※ 2017年4月 追記

 「迎賓館赤坂離宮」の本館、主庭の一般公開が2016年、平成28年度の4月から始まった。
 有料での公開だ。2017年4月現在 大人は一人1000円。
 参観にはインターネットによる事前予約や当日の整理券入手の方法があるようだ。
 私が行ったときは無料での一般公開(試験的な公開)だったので、参観方法は現在と大きく異なっている。
 これから一般公開に行かれる方は、料金(お金のやりとり)、事前予約、整理券入手方法など、このサイトの記事は全く役に立たないと思って下さい。

「迎賓館赤坂離宮」本館、主庭 一般公開 参観1 (公開期間終了)

「迎賓館赤坂離宮」本館、主庭 一般公開 参観1

 「迎賓館赤坂離宮」の一般公開に行きました。2012年の秋に迎賓館の「前庭」公開があった時に行って以来でした。今回は内部を見学できます。
 内閣府のウェブサイトや報道によると、迎賓館は、この4月からは年間150日程度、一般公開をする予定のようです。今回2月の期間限定の一般公開はその試験公開のようです。今後、公開日数が増えれば、無理に今回の2月の公開に行く必要も無いかな、と思いましたが「先の事は分からない」ということで、行ってきました。

  今回は2016年2月5日金曜日から2月18日木曜日まで、水曜日を除く日程で一般公開が実施されました。公開期間は、既に終わってしいましたが、最終日に行ってきました。2012年の秋に迎賓館の「前庭」公開があった時に行って以来でした。今回は事前予約無しで「本館」の内部と「主庭を見学できるのが、大きなポイントです。
 土日祝日の整理券配布は、早い時間で無くなって(終了して)しまったようですが、最終日は平日だったので、朝に並んで公開開始の最初の時間帯である10時から11時までに入場できる整理券を入手できました。

 順次、レポートを掲載して行きます。

 迎賓館本館と南の主庭 ↓

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※ 2017年4月追記
 この記事は、「無料」での試験公開時のものです。現在は「有料」で一般公開されています。
 よって、この記事は、現在の一般公開においては全く役に立ちませんのでご注意下さい。

企画展「渋川春海と江戸時代の天文学者たち」 国立科学博物館

 2016年1月

 「ワイン展」を見学したあとは、日本館へ。このとき、閉館時刻が迫っていました。
 「渋川春海と江戸時代の天文学者たち」が開催されていたので、これだけ見ようということにして地下から任官の一階に階段を登り、企画展示室に入ります。「日本の科学者技術者展シリーズ11回」の副題が付いています。
           ↓ 入口の告知。 

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入口の様子。地球儀などの展示が見えます。
今回の企画展は、没後300年を記念してのものでした。
「しゅんかい」と思っていましたが、企画展では「はるみ」とヨミガナを振っていました。
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入口の近くにあった展示品。「天文分野の図」とあり、天球儀でした。星空の様子が描かれていました。

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撮影禁止の展示品も多くありました。「貞享暦」の冊子の展示がありました。(写真はなし。)
いくつか、暦の本があります。重要文化財に指定されていたかなと思いましたが、確証はありません。記憶違いかも知れませんが、公文書館で見たような・・・。誤解ですね。

↓天文台の様子。
江戸の街に天文台が設置されていました。最初は、渋川春海が天文方のときに本所に設置。
今の墨田区の辺りです。
低地で洪水があったとのことで、次いで、駿河台の高台に。
将軍吉宗の時代には、江戸城内の吹上で観測していたそうです。
更に、牛込の高台に設置されています。牛込は台地の上なので、眺望もきくでしょう。
当時の天文台の位置は赤い丸で示されています。ちなみにウチの本家の菩提寺のすぐそばに、昔の天文台があったことが分かります。

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 江戸時代に製作された望遠鏡の展示があります。写真のものは非常に長い望遠鏡です。他にも望遠鏡は展示されていましたが、群を抜いて長いです。現在市販されている望遠鏡と比べてどれくらい見えたのでしょうか。

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 岩橋善兵衛は「早天儀図解」という書物を発刊しています。西暦では1802年のこと。
木版画で印刷したのでしょう。自作でも望遠鏡を作っていたとか。その展示がありました。一般の人でも高度な技術を持っていたことが分かりました。
 土星のわっか、木星の模様などが詳細に記入されています。私が子供の頃に見た望遠鏡の木星土星よりも大きく観測していたようです。木星の横の丸は判然としませんが、今では「イオ」「エウロパ」と名付けられている衛星でしょうか。

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江戸の市井の人も観測をしていたそうです。上記の善兵衛は代表的な人だったようです。彼は、江戸ではなく、大阪の人で京都で天文観測会を実施したとあります。特に幕府の役職についていた人ではないようです。
今でいう、アマチュアの天文家でしょうか。

「画 夜長短之象」の説明には、春分と秋分、赤道が記され、地軸の傾斜も正確に測定されています。
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 善兵衛は、春海よりは100年後の人。同時代の天文方として高橋景時などが紹介されていました。似た名前の子がいますが、この子のうとの一人が伊能忠敬の地図持ち出しというかシーボルト事件に連座したと記憶します。

と、閉館時刻が近づいたので「蛍の光」のメロディーが流れました。あまり時間が無く、ゆっくり見学ができませんでした。地下に降りて、人の流れにまかせて退出しました。





「ワイン展-ワインから生まれた奇跡-」 見学記3(ゾーン3 ワインをもっと楽しむ)

 2016年1月

 「ワイン展-ワインから生まれた奇跡-」
 昨年の10月31日から始まった特別展の会期は平成28年2月21日の日曜日までです。
 四か月の間に、クリスマスとヴァレンタインの「二大 ウィンターイベント」がガッチリ入っています。モチロン、この「二大イベント」をエンジョイする方々メインのターゲットです。両方のイベント共に、元々ボクには関係ない!?(笑)。あっ、ちなみに「ワイン展」には招待券での入場です。
 ↓ 地球館地下の会場の様子。ちょうど、撮影禁止エリアを過ぎて、ワインの歴史に関する展示がある所。
 パートーションの向こう側が、「ゾーン1 ワイナリーへようこそ」の展示です。

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 ↓ (既出) 深海に沈んだシャンパンの展示がありました。


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 ワインのおいしい飲み方ということで、さまざまな形状のワイングラスが
 展示してありました。その他は見ませんでした。

 ↓ ワイン展のパンフレットより。

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 香りのコーナーは、私が撮影した写真で紹介しました。なぜ、ワインの展示にパラの匂いを嗅ぐのか、未だ理解できていない私がいます(苦笑)。
 香りの教科書、酒の容器もパンフレットに掲載されています。私が撮影した写真には、なぜかパンフレットに載っている箇所のものが全然無い・・・・。私は、見どころを抑えていなかったのでしょうか!?(苦笑)。
 特にうちの子は「おいしいワインの飲み方については、未成年なので全く分からない。」ので、「関係ないので。」スルーしていました。「ガレ」の容器まで展示していたのに、私も見落としていました・・・・。

 酒の容器の近くの展示コーナーには、いろいろなワインが展示されていました。
 古いワインでしょうか。 ↓

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↓ 古代の人が飲んだワイン。ポンペイの遺跡にちなんだ命名です。「秘儀荘」と現在名づけられている、遺跡のポイントには、ポンペイに行った当時、見なかったのような・・・・。何の「秘儀」なのか、私は未だに分かっていません。

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有名なドン・ペリニョンです・・・・。未だに飲んだことがありません。今後も無いでしょう(笑)。
「ハイ、ピンドン入りました~。」とボーイ。一斉にピンドン「踊り」が始まります。
しかし、ラベルがリーマンショックのあった2008年とは何とも皮肉ですね。結構あの後は、景気が悪くなったので。もっとも、今も景気はよくないです。私は・・・・。


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↓ ボルドーのある「シャトー」では芸術家がワインラベルを作成しているそうです。
  その説明。

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 ラベルの展示がありました。有名な画家が作成しているものもあるそうです。ビカソが没した1973年 価値が高いそうです。

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↓ ラベルを貼ってあるワイン。毎年毎年違います。

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 ラベルを見ます。混雑しています。名前の知っている画家の作品もあるためです。
 ピカソ、シャガールなどの作品があります。

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↓ ピカソのもの。

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 最近のラベルまで年代順にあります。

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 第一会場は、地下の大展示室。地上に上がります。廊下を通って、第二会場へ。
 第二会場は、いつものごとく即売会です。会場の入口付近、最初の所に解説ボードの展示がありましたが、第一会場と重複している解説板もありました。
 ワインの販売もしています。「ワイン展」限定のオリジナルワインの販売もしています。重いので持ち帰りは大変です。そのため、宅配便の受付コーナーもありました。
 その他のワイン展会場オリジナルグッスもありました。ワイン展「特製チョコ」を買っている女性二人組がいました。箱が「ワイン展」のポスターと同じ色(黒い地にワインレッド)でした。チョコは、バレンタイン用でしょうか。
 会場を出る前に、販売されているワインのお値段が気になりました。見たところ、一般の酒店と同じくらいです。特に割引はありません。重いので持ち帰りは厳しいかも。送料はいくらかは分かりませんが、ディスカウントストアで買うよりはやや割高な感じです。もっとも銘柄にもよるので、何ともいえません。私は(あのセンセーショナルなポスターで、しかも割安な)赤玉ポートワインで結構です(笑)。


 こ「ワイン展」は、日本最初のワインに関する総合展だそうです。上の子はお酒を飲めないので感想は「つまらなかった。」と言っていました・・・・・。特に「おいしいワインの飲み方」については「全く分からないし、関係ないのでスルーした」と言っていました。
 会場内には、大学生くらいの若いカップルがちらほら。バレンタイン向けの企画ですね。バレインタインや販売促進とひっかけている点では二年前の「チョコレート展」と似ている企画です。
 対象は、もう少しで飲酒可能年齢に達する19歳以上、20歳以上でも若い人向けでしょうかね(笑)。


「ワイン展-ぶどうから生まれた奇跡-」 見学記2(ゾーン1 ワイナリーへようこそ~ゾーン2 ワインの歴史)

 2016年1月31日

 「ワイン展-ぶどうから生まれた奇跡-」 国立科学博物館の特別展です。
 科学博物館の特別展では、展示リストではなく、カラーで印刷されたマップが配布されるのが通例です。写真撮影はある程度許されているので、記憶に残したい展示品は撮影しておけばよい、ということですね(笑)。
展示は「ゾーン1 ワイナリーへようこそ」が長いです。ゾーン2 ワインの歴史のコーナーへと続きます。
 「シャトー カハク」つまり「科博」の中に入っていきます。ワイナリーの様子が再現されています。
 「シャトー」の門の前には、ぶどうの粒のゴムの模造品があり、ぶどうを足で踏む体験ができるようになっていました(写真はない)。よく、このぶどうを踏む様子はテレビなどで見ますね。

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 発酵中のワインの醸造器でかき混ぜる体験。かくはんして、バランスよく発酵させるために必要な製造過程のようです。何のためにかき混ぜるのか、よく判っていません。私は(笑)。

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 ワインの発酵の途中でかき混ぜる体験の装置です。かき混ぜる過程を「ピジャージュ」と呼ぶそうです。
ともかく、均一になるようにかき混ぜましょう(笑)。

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↓ 発酵させる菌。パンのイーストと同じような感じです。入っている箱も似ていますね。

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発酵中のワインの様子も。容器の展示もありました。味噌のような「もろみ」です。丸いぶどうの粒が、発酵するにつれてどんどん液状になっていっています。

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 熟成したワインの色。熟成すると、赤ワインは、ウイスキーのような色になっています。というより、メイプルシロップのような感じ。白ワインは、ハチミツ色になります。
 色素に関するある成分が増すので、より味わいのある熟成した色になるそうです。(確か。展示をホントに見ていたのかな?(笑))

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↓ 答えはこちら。ワインの色の変化の解説です。

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 展示室を出て、通路に入ります。通常は、通路に出ると展示はおしまいに近いです。しかし、まだ「ゾーン1」の展示です。通路を抜けた先には、別の展示がありました。

 通路では、醸造の器具などが展示されています。コルクを打つ機械でしょうか。コルクで栓をするのも重要です。

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 「ゾーン2 ワインの歴史」のコーナーは最初は、撮影禁止でした。歴史資料、スポンサー企業の過去の商品などが展示されているので、禁止されているようです。
 明治時代にフランスで醸造技術を学んだ日本人二人の紹介がありました。生まれは1850年代~没年は1930頃までです。テレビドラマでモデルとなった人よりも、一世代年上の世代です。1850年代生まれなので、森鴎外よりも年上です。


 日本のワインメーカーに関する展示も。スポンサー様の登場です。今回の展覧会の主要スポンサー様です(笑)。これらの企業様の協力無しには、成り立ちませんからね。

 例のドラマでも設定を変えて、演じられたシーンがあった、大正時代の「赤玉ワイン」のポスターの展示もありました。もちろんこちらは、ドラマの中での演出ではなく、本当に撮影され、広告に使用された本物のポスターの展示です。先ごろ紹介された
 先だって訪れた「某放送センター」でも、そのドラマで使用された小道具どがの展示が数点ですがありました。もうどのドラマがお分かりですね(笑)。ただ、先ほど「放送センター」内の展示室では、某ドラマの小道具の展示品は撮影しませんでした・・・・・・・。残念。ここで、モデルとなった本物が展示されているとは知りませんでした。


 バラの香りなどがするワインのコーナーが。においを嗅ぐために行列ができていました。ワイン展で一番の混雑ポイントでした。ワインのフレーバーのようです。ここは行列だったので、詳しい説明を見ることができませんでした。カップルは必ず並んで一緒に匂いを嗅いでいました(笑)。


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 その先は再び撮影可能コーナーです。 ワインのおいしい飲み方ということで、さまざまな形状のワイングラスが展示してありました。あまり、見ませんでした。


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 深海に沈んだシャンパンの展示が。「シャンパーニュー」と説明には書いていますが、我々の言う「シャンパン」ですね。

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 海底に棲んでいる深海生物のようにも見えますが、ワインのボトルです。泥や堆積物が積もって、ボトルとは分かりにくくなっています。深海の中に150年以上あっても、中の成分は保たれていたそうです。アルコール度数は考えられていたよりも低い事がわかったというような説明がありました。まるで、タイムカプセルですね。
 パルト海という、比較的水深の浅い内海に沈んでいたことが、ボトルが壊れずに発見された大きな理由でしょうか。

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「ワイン展」 入場と見学 ( ゾーン1 ワイナリーにようこそ)

 2016年1月31日

 「ワイン展」 国立科学博物館の特別展です。

 入場口は混んでいませんでした。寒い日でした。そのため、出足もにぶいのでしょう。あの大混雑した「深海展」と比較するとウソのようにすいています。

 「ワイン展」の展示品は、映像など禁止されてるもの以外は、基本的に撮影可能です。



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 「ゾーン1 ワイナリーにようこそ」
 まずはぶどうの木の説明から。ぶどうの種類の解説パネルがあります。
 ↓ 模造のぶどうの下をくぐり展示エリアに入ります。ぶどう園にもありますね。このゴムでできた模造のぶどうは。

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 ↓ 生食用とワイン用のぶどうがあるとの説明。
  ぶどう狩りでもおなじみの巨峰なとがまず生食用として思い浮かびますが、カタカナの種類のぶどうが多数あります。でも私は、巨峰がよいです(笑)。

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 また漫画「神の雫」のキャラクターが登場します。天才ワイン家の息子神木隆之介の物語のようです。
そもそも天才ワイン家とは何でしようか?。私が勝手に考えたのですが・・・、女性のキャラクターも登場しますが、神木との関係が明らかではありませんので妹かな?。それとも、恋人役?。連載10年くらいになるのですね。人物相関を誤解していたらスマセン。まったく独断で書いています。


 ぶどうの木の種類や病気につての説明。次いで収穫の様子やワイン用のブドウの木が成長する様子の
超倍速映像もあります。あるぶどう畑で成長していく様子です。たしか、山梨での成長の様子でした。山梨と日本にワインは切っても切れない縁です。

 ↓ 炭化したぶどうの木。

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 ↓ こちらはワイン用の種類。カベルネ ソービニョンなどは聞いたことがあります。国産では、マスカット ベリーAもよく聞きますね。

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ワインには病気がつきものです。私達が知ることは困難ですが、いろいろとぶどうを育てるのは大変なのですね。

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↓ 病気になったぶどう。


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 その他、ぶどうの栽培に関する映像コーナーも何カ所かあります。糖度をはかるメーターもありました。レモン、リンゴ、桃などとブドウの糖度を比較するコーナーも。レモンの糖度はやはり低い。酸っぱいですね。糖と酸の関係で甘さが決まり、糖度が高いからといって甘いのではないそうです。桃は甘いですが、酸が少ないので 糖度はブドウより低いですが、
甘く感じるようです。糖度は リンゴ、桃、ブドウの順でした。単位で50以上ありました。レモンは14くらい。
 メーターの糖度計は 糖度によって異なる光の屈折、反射率を用いて計測するそうです。
 計測器をのぞいてみましたが、温度計のようなメモリがついていていました。イマイチ見方が分かりませんでした(苦笑)。
 メーターは、水鉄砲のような形状です。写真には撮影していません。

 前年の冬から始まる収穫のスケジュールもボードにあります。冬の気温が低すぎても生育に適さなくなるので、土を耕したりして温度が下がらないようにするそうです。冬でもブドウ畑をほったらかしにしてもよいという訳ではありません。北海道の十勝地方でもぶどうを栽培してワインを生産しているので、寒冷地では冬の畑のの手入れも大変であること分かりました。

 ふどうの花が咲くのが5月頃。 実の収穫は9月から11月にかけて。山梨のブドウ狩り、巨峰などは8月下旬から可能ですが、ワイン用のブドウの収穫時期はそれよりもやや遅いです。白ワインといつても透明な一般的な色のワインからより濃い色であるメノウ色というような、深みのある色の白ワインまで色々とあります。

 ↓ 続いてワイナリーのコーナーに入ります。
   「シャトー カハク(科博)」と書いてあります。

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↓ ワイン展のチラシから。
  「ワイン畑の作業道具」、「ぶどう踏み体験」のコーナーの写真が掲載されています。
  私はどちらも撮影していませんでした・・・・。見学ポイントがズレていたかな?。
    「ぶどう踏み」のぶどうはモチロン、ゴム製の模造品です。
 
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東京国立博物館 平成28年1月下旬の国宝室、総合文化展「博物館に初もうで」など

 2016年1月31日 
 
 東京国立博物館 特別展「始皇帝と大兵馬俑」、略して「始皇帝展」を見学しました。一階に降り、会場(特別展エリア)の外に出ました。
 すでに下の子は先に特別展を見終えて出ていて、平成館一階の休憩スペースでカレーを食べていました・・・・。トレー容器に入ったカレーでお値段は800円。客観的に見ると値段は高いでしょう・・・・。東博の食べ物は比較的割高です。さっきは「お腹減っていないから食べない」と言っていたのにもかかわらず、「お腹減った」とわめき散らした上に買って食べたのたそうです。ホントに勝手です(笑)。一体、誰の子でしょうか!?。「ボクです。」と、「セルフツッコミ」です(苦笑)。
 私と上の子は廊下を通って本館へ向かいます。途中、壁には奈良の「信貴山縁起絵巻展」のポスターも貼ってありました。私は「ここに行く予定だ」と上の子に向かって言いました。しかし、上の子は部活などで行けないかも知れませんが・・・。

 ツレと下の子は、平成から歩いてアメ横へ向かいました。私は本館に入り、近代美術の展示室へ。平成館に来た後のお決まりのコースです(笑)。

              ↓ これが平成館一階のプラ容器入りカレー。

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 ↓ 平成館一階の休憩場所の壁にはアニメとコラボした「始皇帝展」のボードが置いてありました。
記念撮影できます。

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 本館の近代美術の展示室には・・・
 「鷲置物」1基、鈴木長吉作 明治25年(1892)
が前回の訪問のときと同様に展示してありました。

 重文「 麗子微笑 」1面 岸田劉生筆 大正10年(1921)
も引き続き展示中でした。2月21日までが展示期間と東博のウェブサイトには出ています。
その隣に「日本武尊」1面 青木繁筆 明治39年(1906)も引き続き展示でした。
 正面玄関に出て、国宝室に階段を上がります。
 この日の国宝室は一乗寺蔵の仏画。撮影は禁止でした。寄託か借りている作品なので撮影は禁止なのでしょう。「善無畏像・慧文大師像」 平安時代・11世紀 兵庫・一乗寺蔵。展示期間は 2016年1月19日(火) ~ 2016年2月14日(日)です。
   
国宝 善無畏像・慧文大師像(部分)
↓ 偶然、特別展の写真の下の案内パネルに画像が写り込んでいました。
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 作品の展示の説明文には「インドから中国、そして日本にいたるまで、天台宗に関わりのある高僧など10人を描いた全10幅の作品です。10人の中には、聖徳太子も含まれている。今回はそのうち、善無畏と慧文大師の2幅を展示。」とあります。
 二人の僧は誰なのかというと、  
「善無畏(637 - 735)はインドの貴族の生まれ、のちマガダ国の王となったが、兄弟との大きな戦の後に出家。後に中国へと赴き、『大日経』など密教の重要な経典を中国語に翻訳しました。 
 慧文(生没年不詳)は中国南北朝時代(5世紀前後)の高僧」
とあります。何となく、日本人的な風貌でとくに現在のインド出身とされる善無畏もエキゾチックなようには描かれていませんでした。作画は平安時代で、モデルとなった人物の時代から数百年を過ぎているため、伝承をもとに想像で描いたのですね。

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 「博物館に初もうで」企画もこの日までのようです。パスポートを新規に買いましたが山楽の「猿侯図」でした。
このかわいらしいお猿さんの絵は、とっても愛嬌があり。今年の「博物館に初もうで」企画の「メインキャラクター」として登場しています。山楽といえば、昨年の暮れ、といっても一ヶ月くらいしか経過していませんが、永青文庫 春画展での彼の作品はあまりにリアルで衝撃的でした。

 ↓ 表慶館。同館での次の企画展「黄金のアフガニスタン」の告知がありました。
  「始皇帝展」でも金の装飾品が展示されていましたが、草原の騎馬民族などとの交易によってもたらされたであろう、黄金の品が展示されるの゛たと思います。
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特別展「始皇帝と大兵馬俑」 見学記(第二展示室 兵馬俑の展示)

 2016年1月31日 
 
 東京国立博物館の特別展「始皇帝と大兵馬俑」(「始皇帝展」)です。
 第二展示室で銅車馬(複製)を見た後、次の展示スペースへ。

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 次の部屋へは、緩い傾斜になっているスロープを登ります。高台の上から兵馬俑を俯瞰します。見学者がたくさん入場している様子も分かります。今いるだけで数百人は同じ展示室内にいます。ざっと見て200-300人以上は常にいるでしょう。
 第二展示室の最後の部分、先の「エジプトの王妃展」では、クレオパトラなどの色々な彫像が、「鳥獣戯画展」では、あの「甲巻」をはじめ乙、丙、丁とすべての巻が展示されていた場所でもありました。

 壁面には、始皇帝陵の周囲の景色写真のパネルが貼ってあり、その手前に複製品の兵馬俑がたくさん並べられています。手前のスペースに、アイランド状に兵馬俑が単体で展示されています。発掘された兵馬俑の様子を少しでも復元しようという展示方法です。
 展示されている俑は10体です。10体ですが、人が多いので展示数が少ないと感じないです。ガラスケースに入っておらず、素のまま見ることができます。俑字体は「焼き物」ですからね。絵ではありませんし。同時代の日本でいえば、埴輪でしょうか。しかし、土の色をしているのが日本の埴輪ですが、俑は青銅色というか青~茶色です。当時の日本には無かった高度な焼き物の技術があったのでしょうか。
 兵馬俑の発掘当時の写真も掲示されていました。土の中に埋もれており、傾いたり、別の方向を向いていたり・・・・。長い年月、土の中だったので、かなり割れていた状態で発掘されたようです。

 俑には何らかの文字は認められません。何も刻んでいないようです。モデルとなった兵士、将軍、官吏の名前が刻んであれば面白いのですが。
 また、高さの説明がありません。展示品リストにも「高さ」が載っていません。別の解説では将軍は195センチくらいです。ジュニアガイドには、各兵馬俑の高さの記載がありました。兵馬俑の種類は、各一体ずつの展示です。
(以下の番号は私が勝手に振りました。)
1、兵士
 弓を構えたというか、傍らにもっていたと推測される兵士の姿です。この兵馬俑が一番多いのでしょう。ここに展示されている本物は一体だけです。
 兵士の物は、体型がやせています。兵馬俑はモデルがいるとも言われていますが、モデルとなった兵は皆10台から20歳台なのでしょうか?。
 老年とおぼしき兵士(の俑)は、お腹がでています・・・。昔は30歳半ばならば老年でしょう。俑の顔の表情から年齢を推定するのは難しいです。兵士の俑の顔は漢民族がモデルのようです。鼻が高く、目の堀が深い当時の言葉でいう「胡人」のような姿の俑は(展示や複製を見た限り)はありませんでした。意外と俑の高さがある。等身大よりもやや大きく制作したように感じます。(「高さ」については将軍の俑の文章で後述。)

2、お腹のでかい道化師。メタボ腹です。「雑技」とありました。
 棒は失われていますが、タテとヨコ向きの長い棒を二本持っていたそうです。太っています。芸事のためにわざと太っていたのか、兵士ではないので 中年以降の太った男が従軍していたのか。
 彩色がされていたそうで、映像でも解説されていました。リアルです。色の残った発掘当時のものの写真もありました。

3、展示スペース真ん中付近に 「将軍」。
 将軍は冠羽根というか、冠の布が長いので位が高いことがわかるそうです。将軍は約6000のうち、わずか10体しか見つかっていないそうです。すると600人に一人。実際には千人から数千人に一人くらいの隊長格だったのでしょう。年齢は分かりませんが、兵士よりも上のようにも見えます。が、俑その物自体が大きいです。身長に関係なく、大き目に作成したようです。威厳のためでしょう。

↓ ジュニアガイドより。
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 壁沿いのガラスケースに 小さい俑の展示がありました。説明によると もともと秦には 俑をつくる風習があったそうです。しかし、王国時代の秦の俑は高さ15センチから20センチくらい。騎馬、侍従、女官など 展示品には名づけられているのは侍従や女官のように見えるものだからであり、実際とは違うかもしれません。馬や穀倉の俑もありました。大切だったから、模った俑を作ったのでしょう。穀倉とは小麦やコメだったのでしょう。馬と穀物。国力のバロメーターです。
 恐らく彩色はされていたようで、ある俑には釉薬のような緑色が残っていたような。小さい俑の制作年代は紀元前300年までもいかない時代。始皇帝の登場の少し前の時代のもの。急激に大きな俑が制作できたのは、なぜだったのでしょうか。大きな俑はここ以外に発見されていないのでしょうか。
↓ ジュニアガイドより。
 
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4、立射俑
 秦時代・前3世紀 西安市臨潼区 秦始皇帝陵 2号兵馬俑坑出土  秦始皇帝陵博物院蔵
 始皇帝の時代は「紀元前三世紀」になってしまいますね。少し時代の下った漢の高祖は「紀元前二世紀」です。
「弓の準備、完了 半身に構えて遠くを見据えている。もともと弓か弩弓に矢をつがえて待機している兵士の姿を表したもの。 鎧ではなく、上着を身にまとい革帯で留めています。動きやすい軽装備の射手。」
とのウェブサイトの説明。弓を射るということは、比較的後方にいるので、軽装備で鎧は付けていなかったのでしょうか。接近戦になったら、どうしたのでしょう。私だったら、逃げますけどね(笑)。すぐに、背後から切り付けられて討ち死にですね・・・・。

 
 5、軍吏俑
 秦時代・前3世紀  西安市臨潼区 秦始皇帝陵 1号兵馬俑坑出土  秦始皇帝陵博物院蔵
 ウェブサイトの説明より
「二の腕まで覆う重装備の鎧をまとい、頭に板状の冠を載せています。前に出した左手の角度から、
当初は何らかの武器を少し傾けて持っていたものと推測されます。いかにも豪傑風の髭をもつ部隊長級の人物です。」
 説明文から察すると軍の後方支援を担当する吏員というよりも、戦いの指揮をとった隊長という推定のようです。日本語に訳すと「軍吏」となるのでしょうか。将軍に対して「隊長俑」と名付けとも良いのでは?と思いました。
 
6、跪射俑
 秦時代・前3世紀 西安市臨潼区 秦始皇帝陵 2号兵馬俑坑出土 秦始皇帝陵博物院蔵
「片膝を立てて、緊張した表情で前方を見ている。攻撃命令を待っている。鎧を着た重装備の弓兵で、立射俑とは異なる部隊を編成」。とのウェブサイトの説明。
 より重たい、つまり殺傷力のある弓を射た部隊なのでしょう。

7、8、博物館のウェブサイトには写真や説明がありませんが、「騎兵像」は馬を下りた、兵士のと馬の「兵馬俑」でした。馬を下りて、手綱を持つような手の恰好です。独立しているので、(ここでの展示の)設置のときに馬の横に侍立して立たせたのでしょうが、もともとは、埋葬当時もセットで立っていたと推測されます。先の銅車馬のように馬具まで再現しています。こちらは焼き物なので精度はかなり落ちます。

↓ ジュニアガイドより。跪射俑。弓の復元品の展示もありました。(後述)


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9、10、馬の御者と馬てい。
 御者は先の「銅車馬」の一号の御者のように立っています。当時、御者は立って乗ったようです。

 出口に近い壁面(の騎兵俑のそばですが)に「石鎧」の展示がありました。日本の鎧は肩を保護する帷子というのでしょうか、その部分が、石を紐で通した鎧です。石を加工する技術があったのでしょう。非常に重かったでしよう。どうやって行動したのでしょうか。軽くて丈夫に素材を開発しなかったのでしょうか。火には強いてのでしょうが。その他弓の復元品や鉾、などの軍隊の武具、用具の展示がありました。


 最後に撮影コーナーが設置されていました。模型の兵馬俑をパックに撮影ができます。係の人もいてカメラを預けて写真撮影をしてもらえます。
 
 総括です。
 肝心の兵馬俑はオリジナルの数が少ない。何かの媒体では「兵馬俑は一体も無い」ようなことを書いていたようで、私も入場するまで本当にあるのかなと誤解していました。先入観とは恐ろしいものです。もしかしてライバル媒体の情報?かとも思いました。あとで銅車馬も複製と知ってがっかりしました。あれだけスペースを使って展示していたのに。複製ならばもっと近づいて「始皇帝の世界」を間近に感じたかったです。「壮大な」という形容詞がふさわしい博物展なのですが、内容は上述のとおり私的には微妙です。

↓ 撮影コーナーでは皆さん盛んに記念撮影をしていました。
  背景、壁面の山と森の様子に注目です。

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特別展「始皇帝と大兵馬俑」 東京国立博物館 見学記

 2016年1月31日 
 
 上野にやってきました。東京国立博物館の特別展「始皇帝と大兵馬俑」、略して「始皇帝展」の見学です。
 
第二章「始皇帝の実像」の展示、
「統一の事績」
 墓碑からわかる陶工の出身地、役務の人の出身地の解説がありました。

ある死亡した人物はは、今の山東省の人。陶工は主に洛陽、西安から西の人。秦の故地の出身が中心です。
労役について人は斉の国など あとから秦が征服した国の出の人が中心でした。労役について人の出身地に点がついていましたが、黄河沿いに咸陽から下流の人、現在の河北省や浦ほ線くらい 徐州付近の出身者までいたような。
 陶工は現在の洛陽から西、現在の西安の更に西、西域と呼ばれる地域の人もいたような。いわゆる「シルクロード」沿いです。こうした土で作る陶工技術もシルクロードを通じてもたらされたのかもしれませんし。高い技術が秦が統一王朝となる素地があったことに間違いはありません。

 墓碑の氏名は氏が漢字一文字、名が二文字。現在の中国の氏名とあまり変わらないような名付けです。すると日本の名づけは相当変わりましたね。正倉院文書にあるような名前の子どもは今はいませんね。「××マロ」のような名前は、現代の日本にはありません。

 宮殿建築の片りんとして、瓦などの展示が。当時の宮殿の陶器の水道管の展示がありました。宮殿の絵の残片と思われる「車馬行出図」はまさに馬車が走る様子です。菱型の枠の中に彩色で描かれています。宮殿を飾った絵のひとつです。
 第一展示室の最後には映像コーナーが。ここにありました。道理で一階の入り口外に無かった訳です。映像は10分と少し。大スクリーンです。イスはかぎられるので、背後で立って見る人のほうが多いです。

 現在の始皇帝陵墓の空撮映像から始まります。「1974年 ・・鍬が当たって発見につながった・・」とナレーションが始まります。映像中の説明には無かったと記憶しますが、史記にも記述が無いそうで。史記は始皇帝の時代から150年後くらいですから、さほど時間は経っていません。伝承が途切れたのか、秦が滅びた後、伝承が禁止されたのか、忘れ去られたのか・・・・・。

 NHKが撮影した、または元々持っている映像ですね。NHKが主催者である理由が分かりました。あの「シロクロード」の番組以来の蓄積された映像があるのでしょう。
 始皇帝の陵墓は川の北岸にあるようです。河岸段丘上の平地を利用しており、段丘のへりは崖になって
その合間を川が走って、渭水に注いでいます。乾燥地帯、しかも土地は黄土が堆積している地層なのでもろそうです。大雨が降ると水はけが悪いので一気に土地の土壌を削ってしまう鉄砲水に゜なるのでしょう。

 陵墓の東に兵馬俑が埋まっている映像が。現在の博物院の建物外観と保護のドーム屋根の様子が映ります。土を掘って、そこに発掘された膨大な兵馬俑を並べています。現在までのところ6000体以上発掘されていると説明ナーションでありました。
 なぜ、東のやや離れた場所に埋まっていたのか、分っていないようです。周囲には農村もあり、他の場所は発掘しないのでしょうか。陵墓の周囲は畑や集落のままです。陵墓の規模からすると、兵馬俑の埋まっている地帯はかなり限られています。
 陵墓の周囲すべてまで兵馬俑を制作して埋めるまで、秦の国はもたなかったのかも知れません。


 さて、展示室を出て、一旦売店の前へ。次に第二展示室へ。

 銅でできた馬車の副葬品「銅車馬」の展示です。

 ↓ ジュニアガイドのパンフレット。

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 「銅馬車」ではなくあえて以前からの呼び名「銅車馬」で統一しているとのこと。一号の御者は立っています。

当時の服装などを知る貴重な資料です。

 二号の馬車の御者は座っています。二号のうしろには屋根のついた部屋があります。部屋の屋根の高さは低いです。部屋には、窓もついています。うしろから乗り降りする出入り口がついています。
 「これは始皇帝の専用車だ」と直感しました。始皇帝は馬車で移動の最中に死んだそうですから、もしかして最期に乗っていた馬車の模型として製作され副葬されたのでしょうか??。
 展示室内の壁面のガラスケースには 馬車についている小道具の展示が。銅の馬の首の裏側につける装飾品など。本物ではなく、副葬する銅の馬につける飾りです。細かいお仕事をしています。金製の装飾具や馬の面をかたどった「金馬面」があります。朽ちることなく永遠の輝きを放っています。どうやって昔の人は金を精錬したのでしょうか。


 「車馬」自体は複製品とあとで知りました。会場にいる間とその後しばらくはオリジナルと思っていました・・・・。よくよく「ジュニアガイド」を見ると、ちゃんと「複製品」と書いてありますね(苦笑)。

↓ 館内階段、エスカレータ前の垂れ幕(既出)


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特別展「始皇帝と大兵馬俑」 見学 東京国立博物館へ

 2016年1月31日 
 ※ この日は先に「NHKスタジオパーク」などに行ってから訪れました。
 現在、記事の投稿が遅れています。期間の限られた展覧会の記事については今後、「会期の期間中」や、会期末に訪れたときは「会期終了後」すぐに(一般的な)旅行やお出かけの記録に優先して記事を投稿するようにします。 

 上野にやってきました。東京国立博物館の特別展「始皇帝と大兵馬俑」、略して「始皇帝展」です。
 10月下旬から2月21日まで約4か月間の長い展示です。

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 ここ東京国立博物館の後は、次に福岡、その次に大阪。来年までのほぼ一年をかけて日本の三カ所の会場で展示されます。
 お国からの見学者も多いようで、展示室の中でも中国語の会話がかなり聞こえました。本博物館、中国陝西省当局以外の主な主催者は「朝日新聞」と「NHK」。しかし、先のNHK放送センター、スタジオパーク内の見学時にはポスターの告知は見なかったような・・・・。

 朝日新聞は、現在の中国政府との太いパイプを生かしてますね。これまでにも、中国関連文物の大規模展覧会を開催しています。あの「清明上河図」の展示で、それは最高潮に達しました。あのときも1月中旬の寒い季節でした。かれこれ4年前の事だったでしょうか!?。 が、昨今の国際情勢などもあり、今後はしばらくは大型、超目玉の文物の展示は無いではないでしょうか。
 特別展の会場に入る前、平成館の一階のロビーで「さあ、映像コーナーを見て、事前学習を見てから入場だ。」と意気込みましたが、閉鎖されて、電気がついていません・・・。出鼻をくじかれました(苦笑)。「あれっ、今回(映像コーナー)は無いのか?」といぶかしく思いつつ入場。

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第一展示室

 壁面には映像モニターがいくつか設置してあります。秦が勢力を広げていく、1分半くらいの解説映像が放映されていました。映像などで解説がないと「秦は元々どこにあって、どのように、何故天下を統一したのか」が分かりませんからね。(説明映像で見ると)秦の国は本当に列強の一番「西」にあります。紀元前330頃にはかなり大きい領土を持つ国になっています。
 更に時代が進んで、紀元前300年頃には、周りの国の領地を併合して、相当に大きくなっています。(のちの始皇帝)政王の時代に統一する余地が、元々あった訳で、ある日突然、政という王がものすごい偉い王様が出現して、急速に天下を統一したのではありませんね。
 政は13歳で秦王に即位し、次々に他の国を滅亡させて統一しました。が、前述の通り、政の生まれる100年前には統一する素地はあったのです。CGシュミレーション画像で秦が次第に周囲の国を併合していく版図が上映されていました。
 最初の画面は「周」の国で、「西周」と表示されていたような。周のあくまで「王」で 周王によって秦王に封ぜられたとありました。(確か。)最初の統一王朝「周」ですね。「殷」だったかな?。
 いつのまにか、周の国が無くなり、戦国時代になります。今の北京のあたりには燕、燕は現在の遼寧省、朝鮮半島の付け根付近まで統治しています。万里の長城の外まで版図が広がっています。山東半島の手前には、斉、現在、済南という都市がありますが、関連はあるのでしょうか。北京上海の航空路でここの上空を通ったことがあります。

 二文字で「中山」という国もあります。現在の山西省の黄土高原の東、河北省の西の山間から平原にかけての地域でしょうか?。
 秦の南には「蜀」とあります。今の四川省の辺り。後年、三国誌で有名な「蜀」という国が登場しますので、もともと四川盆地周辺はこう呼んだのでしょう。長江の南には、楚の国があります。「項羽」の楚ですね。

 最初の展示は青銅の鼎など。根津美術館でもおなじみの展示でした。現在でも読める漢字の入った青銅製の物もありました。
 ガラスのショーケースの中に玉の展示品があります。玉は光を通します。ライトを当てて実演展示していました。本当に不思議な石です。原石から磨いてある意味人工的な宝物です。宝石でしょうか、それとも違うのか。天山やコンロンの山から雪解け水によって精錬されて、とある石の成分が流れてきたのでしょうか。
 「と金」をした帯を締める金具がありました。たしかに中国の昔の人は帯をしている。現代のベルトです。留め金が必要だったわけで高度な工芸技術があったのです。時代は下りますが、唐の高祖や玄宗の肖像絵画でも帯を締めている黄色い服を着ていますね。
 北方の異民族の影響を受けた物の展示が。金でできた装飾品もあります。異民族は金を交易で手に入れたのでしょうか。ユーラシア大陸を越えて馬で移動していたのでしょうか。

 ↓ 「ジュニアガイド」のパンフレットより。
  玉についてはアクセサリーについて写真掲載と説明があります。が、実際の展示では更にたくさんの玉で作られた装飾品「玉環」や「玉佩」などの展示がありました。
 
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 牛や馬など実在の動物をかたどった青銅や陶器も。龍の文様のある青銅の装飾品もあります。龍の概念は紀元前の昔からあったのです。すると周の時代には竜の意識というか、概念があったのでしょうか。土版に文字を書いてというか、刻んで命令を発していたようです。青銅製の詔版が。王の命令ということでしょう。「封泥」もありました。ふうでいですね。改ざん防止措置がとられていました。竹の平面に文字を書いて巻物にし、紐で巻いて泥に印を押して封印する。昔の人の知恵でした。
 官にある者から発出されていたようです。「郎中丞」や「内官丞」といった役人の封泥の展示でした。
宦官からの封泥もありました。帝都のにぎわいてして、壺、陶鈴など民衆が使用していて、のちに発掘されてようなものの展示がありました。統一した理由として西の遊牧民 異民族と交流していたことも無関係ではないと解説にありました。
 次の展示室へ移動します。

奥出雲和牛 焼肉用 (ふるさと納税お礼品)を食しました。

 平成28年1月のこと。島根県飯南町からクール宅急便で「奥出雲和牛」が届きました。すでに報告はしましたが、生肉で届いたので後日早めに食べました。
 「焼肉用」です。

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 そのまま焼いて食べます。

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  前回の投稿では「おそらく私のいないうちに子供達が食べて、私の口に入ることは無いどころか、写真撮影をして記録を残す前にあっという間に食べてしまい無くなってしまうでしょう(笑)。」と書きましたが、実際には数切れ食べることができました
 子供は上の写真のように塩こしょうで味付けして食べていました。私は最近(華麗ならぬ「加齢」のため)薄味好みのため、何もつけずにそのまま食べました。肉の味がして美味でした。
 焼肉用ですから、よく咀嚼して食べる必要があります。霜降りではありませんからね。歯ごたえがあって、ジューシーでした


 

 

高知県奈半利町「土佐のあかうし」 ふるさと寄附金お礼の品

 平成28年2月に入りました。
 ※このところ、前年夏の旅行記が続いていますが、今回は「ふるさと寄附金」についてです。

 2月上旬に入り、高知県奈半利町からふるさと寄附金のお礼の品が届きました。奈半利町への寄附は、今回が昨年に引き続き二回目です。
 今年もパンフレットが同封されており、ブランド名は「土佐のあかうし」となっています。

 実をいうと寄附をしたのが、12月中旬でした。到着まで二か月弱かかりました。実はこれでも早い方だと思います。11月の中旬には申し込みしましたが、郵便振替用紙が届いたのが12月中旬に入ってから、だったためです。
 今年も昨年度と同じく冷凍の宅配便で来ました。「奥出雲牛」は冷蔵で来ました。「土佐のあかうし」は冷凍です。

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 タテに撮影したのですが、横向きにしかブログ上に写真を挿入できません・・・。
 昨年も奈半利町の牛肉のブログ記事でも同様なことがありました。もしかしたら、ホントニ何かの奈半利町とは因縁があるのでしょうか!?(笑)。

 実をいうと、寄附の申し込みをしたものの、郵便振替用紙を送って来なかったので、実際に寄附金の送金がかなり遅れました。(申し込みから)一か月くらいしても送られてこないので(お礼の品ではなくて、用紙が)町役場に電話をしてもなかなか担当者につながりません。年末も近いし、こちらも今年中に支払をしないと寄附金控除の件があり、税金の額にも影響がでてくるかもしれないので、必死です(笑)。
 担当者に確認が取れると「申し込み自体はしているが、用紙を発送したか分からないので、もう一度送る」とのこと。しかし、一週間しても届かない。再度電話をして再々送してもらいました・・・・。(そんなに急ぐのならば、指定の銀行口座に直接振り込みすればええやないか、と突っ込まれてしまいますが(苦笑)。)
 町役場の「ふるさと納税係」の担当者は若い女の子(声の感じからすると20歳くらいで、臨時職員のアルバイトの印象)が一人、係員として若い男性(正規の公務員のような感じ)が一人いるようです。寄附の申し込みが多すぎて、仕事が「回っていない」なというのが電話口からも伝わってきました。人口1300人規模の町の役場の職員数は限られているでしょうから。
 寄附金なのであくまで任意の制度です。そのため、あまり強いことを言うことはできませんね(笑)。
 反対に「納税」ならば義務でしょう。もっとも任意の納税もあるかも知れませんが・・・・。ゆえに私は「ふるさと納税」ではなく「ふるさと寄附金」と呼ぶのです(ドヤ顔、そして笑)。

 特に奈半利町は「還元率」の良い自治体と「ふるさと納税本」などで紹介されているため、申し込みが殺到しているのでしょう。あまりに「宣伝」されてしまうと、今後還元率が下がるかも知れませんね(苦笑)。








「今治焼豚玉子飯のタレ」で「今治焼豚玉子飯」を自宅で。

 
  昨年の夏のことでした。秋葉原のJRの高架下にオープンした「B-1グランプリ食堂」に行きました。
  一番混雑していたのが、「今治焼豚玉子飯」のブースでした。「夏」という季節的な理由もありましたが、人気のある「B級グルメ」であることは確かです。
 それでは「今治焼き鳥」はどうなったのか?、ということになりますが(笑)。私は「焼き鳥の日」8月10日に今治で「焼き鳥」を食べたことがあります(ドヤ顔)。特に、その日に「焼き鳥の日」関連イベントはありませんでしたが・・・。
 最近のある日のこと、「今治焼豚玉子飯のタレ」をかけて自宅にて「焼豚玉子飯」を食べました。焼き豚は妻が自宅で作ってくれたものです。わざわざ自家製の焼き豚を作ってくれる程、この日は(珍しく)ご機嫌がよかったです。特別な日ではありませんでしたが。
 乗っている玉子はふるさと納税で頂いた「兵庫県市川町の玉子」ではありませんが・・・。すでに「すべて」食べてしまいました(笑)。しかし、お米はお礼の品で頂いた「市川町のお米」です

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 実をいいますと「今治焼豚玉子飯のタレ」はどこで買ったのか、忘れてしまいました(苦笑)。秋葉原の「B-1グランプリ食堂」で購入したのか、昨年の8月に大三島(今治市)の道の駅で購入したのか・・・・・・・・・・・??。

 ↓ 写真は昨年7月のオープン時の秋葉原の「B-1グランプリ食堂」の写真です。(既出)

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↓ 秋葉原の「B-1グランプリ食堂」の写真。(既出)
 上の写真とは別の角度から「今治焼豚玉子飯」のブース。「今治・・・・」の黄色いのぼりが見えます。
 

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大三島 多々羅大橋、道の駅「多々羅しまなみ公園」

 2015年8月

 ここは大三島です。「しまなみ海道」を通ってやってきました。ここは四国。実は愛媛県に属しています。広域
合併の結果、今治市の市域の一部です。意外な感じもします。本州から見れば「今治」といえば四国の本島にある海の向こうの町というイメージですが、瀬戸内の島々も市域となり、広島県の本州側とも狭い海峡を隔てて隣接するようになりました。
 高速道路を通り、大三島のインターで降ります。まずは道の駅に立ち寄ることにしました。
「多々羅しまなみ公園」です。

 ↓ 道の駅の海辺から見た「多々羅大橋」。
 このアングルからの光景は有名ですね。最近ではテレビなどでも時折放映されるようになりました。
 「サイクリストの聖地」とも言われています。碑もあります。
 対岸は生口島です。こちらも近年レモンで有名です。

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 ↓ 上の写真と同じ場所から。方向を変えて。コンクリート護岸の先にはわずかに白砂の砂浜があります。
 橋と対照的に「反対側の沿岸」の風景はほとんど紹介されることが無いかも知れません(笑)。

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 ↓ 真正面。海が広がっています。
 沖合の写真左奥に霞んで写るびょこんとして山は、しまなみ海道で通って来た向島(むかいしま)の山でしょう。

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道の駅のある敷地の公園。「しあわせの鐘」があります。みなさん盛んに鐘わついています。炎天下で、しかも屋根が無いので、鐘まで歩くのがキツイですが・・・。だから私はシアワセになれない!?(笑)。

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 「多々羅しまなみ公園」の駐車場と建物の様子。たくさんの車が停まっており、賑わっています。写真には写っていませんが「自転車」で来ている人も多く、自転車もたくさん停まっています。バイクで来ている集団もいて、観光バスのもやって来たり、混雑していました。みなさん熱中症には気を付けましよう。

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 実を言いますと、サイクリストには外国人の姿も多かったです。サイクルコースとして「しまなみ海道」が注目され、上述の通り今や「サイクリストの聖地」です。以前来たときは、そのようなことは聞きませんでしたが・・・・。最近の円安の影響もあいまって外国人が訪れるようになりました。自転車に乗っている人は欧米人も多く見ます。数年前までは考えられませんでした。


 さて、時間軸を戻します。
 大三島に至るまで通ってきた橋の風景をお楽しみください(笑)。
 「しまなみ海道」は本州から尾道水道を渡り
  ↓
 向島
  ↓
 因島大橋で因島。
  ↓
 狭い海峡(瀬戸)を渡る橋で生口島
  ↓
 多々羅大橋で大三島
 というルートです。 因島大橋は瀬戸大橋のような吊り橋で、比較的長くて大きい。本州を通る尾道~糸崎間の電車の車窓からも見ることができます。

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 因島大橋の「外洋」側。「外洋」といっても瀬戸内海なので「本州から見て沖合、四国側」と呼んだ方がよいでしょう(笑)。

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 ↓ 生口島への橋。

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 生口島は、ポコンと突き出た高い山が印象的です。島の形も卵型ですね。

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 生口島では、山の中腹を高速道路は通ります。眺めが良いです。

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 多々羅大橋が見えてきました。橋の手前にはパーキングエリアがあります。実は「しまなみ海道」の開通当初は岡山に住んでいた時代だったので、ここにも来たことがあります。上の子はまだ赤ん坊の頃だったので、覚えていないでしょう。下の子は生まれてもいませんでした。


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 今回はPAは通過して多々羅大橋を渡ります。
 サイクリスが多かったと上でも書きました。しまなみ海道の橋を通過するとき、自転車で通行している人も傍らに見ることができます。
 ツレは、サイクル姿の人を見ると、「ユーいるかな?」とサイクリストの中から、外国人を見つけているのです。外国人と分かると「あっ、ユーだ。」といちいち声に出して言います。某テレビ番組の影響です。日本に来る外国人をユーというようです。もっとも主要空港周辺では外国人は多いので、「ユー」とは定義しないでしょう。
 ここでは今まで来なかった日本の地方の名所まで来るようになった外国人に対しての総称という意味が大きいのでしょう。サイクル姿ということは、自分の国からわざわざ自転車を空輸して来日しているケースも多いと思います。彼らを特に「自転車ユー」、「サイクルユー」と呼んでいるようです・・・・。子供達も真似をして言い出します。「あっ、自転車に乗っているユーだ。」と。子供達もテレビを見ているようです・・・・いちいちウルサイです(怒)。



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 多々羅大橋。そして大三島に到着しました。


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足守 旧城下町の街並み 散策

 2015年8月

 ここは岡山県岡山市。旧城下町足守の散策です。岡山市は政令指定都市になる以前から市域がかなり広く、ここ足守も岡山市になっています。バスでは中心部から50分くらいかかると思います。本数がどれだけあるか、分かりませんが。鉄道で無電化の単線路線に乗り、ディゼルカーに揺られてとある駅(確か足守駅)で降りて来る方法もあったと思いますが、ローカル路線の駅前からバスがあるかは分かりません。駅からも数キロの距離があります。
 
 近水園近く、足守小の前の駐車場のすぐ近くには、市役所の足守センターがあります。公民館のような機能もあるので、こちらに来る人もちらほら。人が出入りしています。陣屋跡の前の道や近水園は私達が訪れた時間帯はほとんど人がいませんでした。
 
 足守小の前の観光用駐車場付近から。

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駐車場の様子。車はほとんど停まっていませんでした。小さい売店もありますが、閉まっていました。
駐車場のお隣の白壁の建物は昔の商家の蔵のようです。

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 移動して足守プラザまでやってきました。陶芸、工芸などの体験コーナーや物産販売があります。足守観光の拠点となる所です。カフェもあります。暑い夏の日に必須のアイスもメニューにあります(笑)。「アイス食べたいな~」と指をくわえてしまいましたが(笑)。
 この日は閉館した後で、中では係の人が片付けをしていました。

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 足守ブラザの前。駐車場と土蔵造りの家が残る町並みの様子。先ほどの陣屋の周辺は武家の居住地区で、こちらは商家街だったようです。昔の家や蔵なのどの建物は足守プラザ周辺の方がよく残っています。明治以降も商売で繁栄したからでしょうか。

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 足守プラザは閉館時刻のあとでしたが、久しぶりに訪れました。
東の方向。この先を行って左に曲がれば、先ほどの小学校や旧陣屋跡、足守センターです。


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 さ、もう一度街並みの写真を撮影して帰ることにします。現在は遠くに住んでいるので、もはやここにも、そうそう来ることはできませんね。

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 緒方洪庵の記念碑もあるのですが、立ち寄りしませんでした。街の外れ、足守川を渡った空港側の山の麓にあるのですが、割愛しました。

 足守の街並みは、岡山空港を離発着する飛行機の中から見ることも可能です。風向きによって進入路は違うのですが、離陸するとき、西に向かって離陸すると、すぐ眼下に足守の街が見えます。ただ、小さい街なので「あの街は足守だ。」ともともと知っていないと気付きません(笑)。離陸するときは一気に上昇するので、見えるのは一瞬です。あっ、もちろん窓側の座席に座る必要はあります。
 着陸するときは、東京路線の場合、空港上空を通過して西に行き、ターンして高度を下げて滑走路に進入するので、比較的よく街並みを見ることができます。
 先日の記事でも書きましたが、近水園にいる間、岡山空港に離発着する飛行機が上空低いところでで爆音を轟かせていました。封建時代の遺構と現代の先端技術の見事な対比を間近に見ることができました。







足守 近水園と吟風閣

 2015年8月

 ここは岡山県岡山市。足守 近水園の散策です。
 池のほとりに建つのは吟風閣です。庭園の北西の端に山を背にして建っています。南東に池が開けています。

 ↓ 池の中の島から眺めた吟風閣。
   二階建ての風雅な建物です。

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記念碑。文字までは読んでいませんが・・・・。

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吟風閣に近づいてみます。雨戸が閉じられていました。

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数寄屋造りというこで、どこか京都にある寺社仏閣の建物のような感じです。雨戸が開放されるときもあるようです。以前来たときは開いていたと思います。
そのとき、写真や園内で子供を歩かせてビデオを撮影して記憶があります。そのときの写真やビデオを探しましたが、見つかりませんでした・・・。デジタルカメラではなかった時代なので(デジカメは勿論あったが、私が持っていなかっただけです。)、今となっては所在が分かりません。
ネガが残っていないかな・・・(古い・・・)。

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吟風閣正面。二階の正面に「吟風閣」と額があります。
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 池を眺める縁側(廊下というか、正式な呼び方が分かりませんが・・・・)。今では誰でもここに来ることができますが、昔はお殿様や限られた者しか入ることはできなかったのでしょうか。池に近い縁側の上に立つと、池の水上から庭園を眺めるような感じです。まさに「良き眺め」であったと思います。

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吟風閣の前から池を眺める。池の向こうには借景の山々が見えます。写真で見る限り電線も写り込んでいません。昔のお殿様が見た風景とほぼ一緒ではないでしょうか?。
もちろん、当時利玄の碑は島に無く、庭園の整備状況なども異なりますが。

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園内には「マリア燈籠」があるとのことでしたが、どれか判別できませんでした。木下家のご先祖、木下家定は、キリシタン大名の一人だったと思いますので、そのときの物が現在まで伝わったのでしょうか。


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かつての陣屋の方向。空地になっていて、その向こうに屋敷があります。
先ほど門越しに眺めた利玄の生家だったと思います。

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庭園の説明。

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 庭園の平面図。池の島で大きい島は「亀島」、小さい島は「鶴島」というようです。足守川の上流から庭園内の池に水を引き込んでいる様子が分かります。
 足守川が丘陵地帯(現在はその頂上部を削り空港になっている場所もあるが)から平野部に出てくるたもとに造られたのが、足守の陣屋町であり、近水園です。上の写真で見たように借景の山は現在もほぼ、昔のままです。借景の山は足守川越しに庭園の東から南東にかけて連なっています。まるで、足守川を京の「鴨川」になぞらえ、借景の山を東山になぞらえ、「洛中のとある地点のお屋敷の庭から、鴨川を渡った先の東山の峰々を眺める」ような雰囲気です。
 仮説ですが、高台院様の甥、太閤秀吉の係累である木下氏は、徳川様の天下となった後に封ぜられた備中の領地の周囲の風景にかつて屋敷を構えた「京の街」を見出したのです。

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 「歴史公園」として、もっと整備はできないでしょうか。ここ近水園はかつての大名庭園の貴重な遺構ですし、お隣、現在は草の生えた空地になっている部分もありますが、陣屋跡も貴重な史跡です、落ち着いた足守の風情とともに保存していきたいものです。
 まずは、現在なんとなく踏み荒らされて地面が露出し「自由公園化」している庭園の整備と、庭園敷地を塀で囲う等の入場時間帯制限、吟風閣の建物保存措置が必要と思いました。その際の入場料は・・・・・無料がありがたいです(笑)。
 整備された後の有料でよいではないかと言う人もいるかと思いますが、100円など安価な入場料でもお金を取る以上、それなりの施設管理をしないといけませんし、人も配置して現金管理をしないといけないので、中々大変なようです・・・・。
 現在足守文庫は無料で公開されています。今回の訪問時、吟風閣の雨戸が閉まってしたので、開閉したり管理する人がいるようです。(委託だと思いますが)
 入場無料の庭園の例としては、東京の新江戸川公園(永青文庫の隣)があるのではないか、とひらめきました。柵で囲われて、入園時間が決まっていますが、無料です。整備されており、池とお庭は美しいです。庭園に隣接する建物も保護措置がとられています。(建築年代は、吟風閣とは全く異なりますが。)
 くしくも、昔の細川家のご当主、護立侯爵は白樺派の芸術家と親しく(しかも学習院の同窓)、白樺派の歌人で旧足守領主、木下家のご当主、利玄子爵とも年齢も近く、親しかった筈です。
 近水園と吟風閣が整備され永く保護されることを願います。岡山市、政令指定都市の指定記念新規事業でドーンと打ち上げましょう(笑)。しかし、「予算が無い」という返事が返ってくると思いますが・・・・。






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