良月(りょうげつ)の たび日記

神奈川県 湘南地区在住。折口良月(おりぐち りょうげつ)の神奈川、東京、静岡、山梨、長野など関東近郊地域への行楽、外出。美術館、博物館めぐり。その他国内旅行などお出かけの記録。

2016年02月

 

足守 近水園 探訪

 2015年8月

 ここは岡山県岡山市。足守の散策です。
 足守の陣屋跡の前を通り、突き当りに公園のような庭があります。
 その名も「近水園」(おみずえん)です。足守の領主だった大名 木下氏の庭園跡です。陣屋の跡地に隣接しています。陣屋跡と庭園の端の間は空地になっていて、今は夏草が生えているのみです。
 
 ↓ 池の中の島。記念碑が建っています。

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 庭園の入口にある碑。現在は公園のようになっていて、入場は自由です。門も特にありません。小学校の傍らの道路から自由に入ることができます。つまり夜でも入場できる訳で・・・。真っ暗で何も見えないでしょうが。
 それゆえ、管理はあまりされていなくて、木、生垣、芝生などはあまり整備、手入れされていなくて、雑草もかなり伸びています。園内も土が露出しています。犬の散歩などで来る人もいるでしょう。「動物の散歩禁止」となっていたかも分かりませんが。
 ボール遊び、自転車乗り入れなどは禁止されていると思いますが、自由に走ったり、運動したりでききるので、江戸時代から300年以上も続く庭園なのに、有料管理の庭園、岡山の後楽園のように「美しく整備された庭園」ではないのが残念です。

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 ↓ 庭園の説明。
 同じ岡山市内には、「後楽園」があります。ここ近水園も規模は小さいですが、立派な、かつての大名庭園です。
  国指定の史跡や名勝にはなっていません。県指定の名勝になっています。「知られざる庭園」だと思います。
 「園内にはカエデや桜の木が多い」の説明の通り、春には桜の花が咲き乱れ、秋はカエデの美しい紅葉が見られることでしょう。
 夏のこの日は、桜の木の樹液を吸って鳴くセミの声で充満しています。

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 東側。山が雲に隠れています。雷鳴が遠くでしています。雨こそ降っていませんが。山の向こうには空港があります。

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 島の中の記念碑は、明治大正時代の当主、歌人 木下利玄の顕彰碑です。
昔、この島は「蓬莱島」と呼ばれていたかも知れません。

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 島から池ごしに吟風閣を見る。

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 池の反対側。足守文庫があります。早い時間帯で閉館してしまうため、見学できませんでした。木下家、足守の文化財、歴史資料が展示されています。以前来たときも閉まっていました。以前は、開館している時間や期間がかなり限られていたような・・・。
 ウェブサイトによると現在は分かりませんが、過去は「時間内に管理事務所に声を掛けて開けてもらい見学」だったようです。足守出身の有名人といえば、適塾の緒方洪庵。洪庵の資料も展示があるはずなのですが、見学できなかったのが残念です。

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 ↓ 池の様子。錦鯉?が泳いでいます。

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 島を出で、石橋を渡り、「陸地」に戻ります。更に別の島に移動し、池と庭を眺めます。

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 もうひとつの島。「鶴亀島」でしょうか。


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 ↓ もうひとつの島から、記念碑のある島を。借景の山が正面に見えます。


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旧足守藩木下家陣屋跡と足守の街並み

 2015年8月

 ここは岡山県岡山市。足守の散策です。高梁から山の合間を通る国道180号線を川沿いに下り、岡山平野に出て、視界が開けた所で、川を離れて曲ります。お盆休みに近い夏の夕方、道路を往来する車は多いです。

 そして足守にやてきました。岡山空港のある丘から真下のも当たります。空港に離着陸する飛行機が間近に見えることもあります。
 
  ↓ 足守藩 木下家の陣屋跡。

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 足守藩木下家といえば、白樺派の歌人で明治~大正にかけての当主、木下利玄。志賀直哉、武者小路実篤の友人としても知られています。堀のそばには、「利玄みち」と標識があります。矢印に沿って歩くと、利玄の生家跡に着きます。ここから100メートルもありません。
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陣屋の端のお堀。お城のように深い堀ではありません。江戸時代に領地の政治を執る場所として造営されたので、戦闘に備えた堀は不要なのでしょう。

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↓ 屋形遺構の説明。

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↓ 生家の説明。明治時代になっても、旧領地の陣屋の跡にかつてのお殿様の一族が住んでいたとは驚きです。いや、驚くまでもなく、普通だったのでしょうか。維新からしばらくは、新政府から俸禄が支給されていたのか、近代的な産業がない当時のこの地で生活の収入をどのように得ていたのかは分かりません。

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生家の門。以前も来たことがありますが、修理されたようで壁が新しくなっています。
以前来たときは、門が開いており、奥の家屋まで行くことができました。もっとも奥の家屋は戸締りをしていて見学をすることはできませんでした。
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門と堀。堀はかつての陣屋の南面。つまり、正面に堀のはずですが、細いです。形式的なお堀のようです。

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陣屋の敷地の更に先、近水園の方向。
復元された??屋敷が建っています。
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↓ お堀の前には小学校があります。かつては重臣などの屋敷だったと思います。
写真 すぐ右にはお堀があり、陣屋跡です。

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学校の校庭の一角にある昔の建物。屋敷の門の遺構です。
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↓ 門の説明。


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駐車場近くの街の様子。

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足守の観光用の駐車場。夕方の時間帯で誰もいませんでした。お店も閉まっていました。

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かつての侍屋敷の遺構。現在も見学できるようですが、この時は時間外でした。

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↓ 侍屋敷の説明。家老のお屋敷の跡です。
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 足守藩の石高は2万5千石とあります。現在の岡山市の中心部のお城を中心とした岡山藩に比べても小さい藩です。
 この侍屋敷にはお殿様が来邸したこともあったようです。陣屋にも近いので、歩いてすぐです。それとも駕籠で来たのでしょうか。小さい街なので、お殿様との距離も近かったのでしょうか。お殿様というと、御殿の奥深くにいて中々御目通りのかなわない存在とイメージしがちですが、ここは街の規模も小さいので、御殿奥深くに・・・・、という感じがしません。


高梁 旧武家屋敷地区(石火矢ふるさと村)など散策

 2015年8月

 ここは岡山県高梁市。備中松山城から降りてきました。「下」の市内の散策です。
 
 重伝(重要伝統的建造物群保存地区)指定かな、と思いましたが、違いました。誤解していました。
 しかし県の「ふるさと村」に指定されています。城から降りてくる道の途中にも「石火矢ふるさと村」の表示が出ています。岡山県にはいつくか「ふるさと村」があり、古い町並みなどを残している地区が指定されています。

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 お城から武家屋敷街の跡に向かう道路途中。車で登る途中にも通りました。石垣が組んであり、その上は更地になっています。「山田方谷先生家塾」と記念碑が建っています。
 武家屋敷街の上、御殿の上の方の立地なので、かなりよい場所に屋敷を拝領したのだと思います。この位置から上の家臣の屋敷はほとんどなく、上級の家臣の屋敷よりも坂道で登った上にあたる場所です。すべての家臣の屋敷を見下ろすことができるような立地です。
 それだけお殿様に信頼されていたのでしょうか。

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 武家屋敷街の様子。城、かつての御殿跡からやや離れたところ。石垣と壁は残っていますが、土地に建つ住宅は現代のハウスメーカーのものに変わっています。空地もあります。かつての武家屋敷といっても現在では、ふつうに住民が暮らしている私有地がほとんどであり、車が一台すれ違うのも困難な道では現代の生活には大変です。
 庭園で有名な「頼久寺」は写真の右、標高が上の方です。頼久寺には以前訪問したことがあるし、この日は夕方で拝観時間も過ぎていたので、行き(け)ませんでした。

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 武家屋敷街を過ぎて、離れた場所にある教会堂。同志社の新島襄は明治時代ここ高梁に伝道に来たことがあるそうです。現在まで教会が残っています。

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 サイディング壁の教会。岡山県指定の史跡になっています。新島が来た後、明治22年に建設されたとあります。県内では最古の教会建築と書いています。カトリックではなくプロテスタントの教会です。どことなく、外観がアメリカの教会を思わせます。
 教会の周囲は、普通の宅地です。昔の面影はあまりありません。

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 ↓ 教会の敷地の前を流れる川。景観を守るため、かなり整備されています。

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 同じく、方向を変えて 川のお城側。武家屋敷街の方向には学校があり、かつての藩校もあったようです。

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 ↓ 藩校「有終館」。「有終の美」を飾るべく名づけられたのでしょうか。

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  ↓ 既出。お城のある山の上から高梁市街地。
    教会のある場所は・・・・写真の手前の方で、林に隠れて山の上からき見えないようです。

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備中松山城(臥牛城) 見学記(天守閣、本丸と城跡からの眺望)

 2015年8月

 備中松山城。 
 現在、全国に12ある現存古天守(現存天守)のひとつ。
  「臥龍」ならぬ「臥牛城」の異名もあります。このお城が立つ山を「臥牛山」というそうです。確かに、牛が臥せったような山頂です。城郭群も牛が伏せたように見えます。しかし、山の上の城郭群は、龍が地を這うように建てられているといえます。私としては「臥龍城」と名付けてもよいくらいです(笑)。
 城郭が山の尾根にそって細く、長く続いており、天守閣が敵に奪取されても、更に奥の二重櫓に籠れば、まだ戦えるのではないかと思うくらいの「縄張り」です。

 本丸、天守閣いた頃には、遠くで雷鳴が聞こえていましたが、やがて雷雲は去ったようで、雲も薄くなってきました。雷雨の中、下山するのは、危険を伴うので安心しました。ましてや、ここは日本有数の山城、山の上に角を生やしたように天守と櫓が屹立しています。雷が落ちる可能性だってあります。雷に打たれることをあるかも知れません・・・。現在では避雷針も整備されているのでしょうが、危険です・・・・。

↓ 山道の途中で見える高梁市内の風景

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  ↓ 天守閣の二階には神が祭られています。「社壇」と説明があります。

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二階の急階段の様子。

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二階からの眺め。本丸です。

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天守閣を見終わり、外に出ました。よく見ると天守閣に附属して石落とし(違うかな)が付いています。
ともかく、石垣よりでっぱりがあるので、何らかの「仕掛け」があるに違いありません(笑)。

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天守閣の外に出ました。もう一度 振り返ります。

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↓ 真正面に天守閣を捉えて撮影できました。

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そして、本丸を出て、二の丸に下り、坂道を戻ります。
途中、市内の絶景を見下ろすことができます。最近、備中松山城は「天空の城」としても有名になりました。標高の高い山の上にあるため、景色は抜群。下に広がる市街地は盆地のため、春や秋には霧が発生しやすい。霧の上の浮かぶ姿が見れるため、兵庫県にある元祖「天空の城」に次いで有名になりました。この日は真夏なので、霧はかかりません(笑)。霧の上に浮かぶ城の写真も観光案内にありますから、この城をほぼ同じ標高で別場所から見ることができる場所があるのでしょう。

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大手門の外の部分あった説明板。崩れやすい崖の上にも櫓が建っているため、補強工事をしていました。

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もろそうな岩盤の上に石垣があります。本当に崩れそうです。長い年月、風雨にさらされているので確かに工事が必要ですね。中国山地は比較的もろい岩が露出しています。住んでいた頃も時折、道路の崖から落石があったというニュースがありました。国道で落石による死亡事故も発生していたように記憶しています。それだけ、頻繁に崩れるということなのでしょうか。

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かつての城の石垣。望楼のようになっています。きっと絶景が見えるだろうと行ってみました。

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↓ 市内を見事に見下ろすことができます。

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↓ 高梁川の様子。倉敷、水島工業地帯の近くにそそぐ川ですね。写真の奥が下流、南の方向です。

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下りは、すいすい、という訳ではありませんが、登りよりも楽に歩くことができます。(当たり前ですが。)閉館時刻に近いので、登城の道を登ってくる人はほとんどいなくなりました。車に戻ります。シャツの襟までびっしょりと汗をかきました。もうぐしょ、ぐしょです(笑)。






備中松山城 見学記(天主閣内部と二重櫓)

 2015年8月

 備中松山城。 
 現在、全国に12ある現存古天守(現存天守)のひとつ。
 真夏の蒸し暑い日でした。訪問したのは、閉館時刻に近い夕方です。天守の内部にいると、遠くで雷鳴が聞こえてきました。今にも雨が降りそうな空になってきました。

 天守閣の奥の部屋の小窓から城の奥を見る。更に建物があります。
 ミニ天守のようです。この天守も小さい。「あれっ、ここは櫓で、あの建物が天守なのかな?」と思いました。受付でもらったお城のパンフレットを改めて確認します。建物内の高気温と高湿度のため、手は汗だらけですが・・・(笑)。
 天守閣ではなく「二重櫓」であることが判りました。「やはり、今いる建物が天守閣だ。」と理解しました。二重櫓は天守閣と同じく江戸時代の建物で、重要文化財に指定されています。奥まった所に鎮座しているのであたかも天守のようです。

 

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 ↓ 小窓から見た二重櫓

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 天守閣の奥に突き出たようにある部屋。「装束の間」です。一段高くなっており、上座かなと思いましたが、やはりお殿様の部屋でした。普段は使用することは無いのでしょうが、いざ籠城となると奥方や姫はここに籠るのでしょう。 ↓ 詳しくは説明書きをご覧ください!。

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↓ 装束の間の入口の様子。それほど広くありません。いざというとき、殿様とその奥方、御子が籠ればいっぱいになってしまいます。

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昔はいざというときの自害の間だったのですが、現在ではテレビが置かれています。平和です(笑)。地元の商工会の人が制作して映像を流していました。

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「装束の間」の角の様子。この部屋の上には床(つまり上階)がありません。屋根になっています。
天板も張ってなくて、天井もむき出しになっています。忍びの者が入らないようにするためでしょうか。
床下は石垣で、忍びの者を防いだそうです。まさに「忍び返し」。

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「装束の間」の角の様子。
天井もむき出しになっています。太い柱でくぎを使わず、木組みとなっています。横に
太い材木は、天守を支える梁ですね。

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格子から見た二重櫓。天守から更に木戸があります。戦(いくさ)で天守が危ないときのサブの籠城場所でしょうか。太平の時代は倉庫だったような気がします。城郭の一番奥にあるので「お宝」を隠しやすいような(笑)。

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改めて二重櫓。あそこには行けないのかな、と思い天守の中を歩きましたが、つながっている出口はありませんでした。行くことは不可能で、ここからの外観のみでした。櫓につながる門も固く「かんぬき」で閉じられています。

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↓ こちらは、一階の広間というか、広い板の間にぽっこり開いた、囲炉裏です。

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囲炉裏から天守閣の出入り口りの方向。写真奥の口から、観光客は出入りします。

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いろりと内部の様子。写真の奥にわずかに二階に上る急な階段が見えます。

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天井の木組みの様子。丸太わ荒削りして、そのまま使用しています。丈夫そうです。

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備中松山城 天守閣内部 見学

 2015年8月

 岡山県高梁市にある備中松山城にやってきました。 
 現在、全国に12ある現存古天守(現存天守)のひとつです。ついに全十二城「制覇」を達成しました
 真夏の蒸し暑い日でした。訪問したのは、閉館時刻に近い夕方です。時間がたつにつれ、どんどん雲が出てきました。本丸まで来た頃には、遠くで雷鳴が聞こえはじめました。

 本丸跡に復元された櫓の脇にあった冷茶コーナーで無料のお茶をガブ飲みした後、パワーを回復して天守閣に入城ました(苦笑)。

↓ 天守閣のたつ石垣(天守台)の下部は、盛り土のようです。自然の岩が露出している場所に石垣を組んでその上に建築したようです。向かって左側に出入口が開いています。

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 駐車場には登城者用の「杖」があります。かなりの人が杖をついて登って来ていました。昼間の時間帯は駐車場も満車で、入城者も多かったと思いますが、この時間帯は混雑というほどではありませんでした。幼稚園、小学校低学年くらいの子連れのグループもいました。一番下の子でしょうか、お母さんが小さい子を胸に抱いて登って来ていました。この暑い中、大変です。
 その他、高校生~成人しているくらいの子を連れた家族連れ、中年~老年の夫婦などがいました。

 ↓ さささ、天主閣の中に入ります。
   小さく、天主閣に入ろうとしている黒いワンピース姿の女性が写っていますが、私のツレではありません(笑)。 やはり、杖をついていますね。

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 私も出入り口の手前まで来ました。狭くて勝手口のようです。

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 天守閣の出入り口の手前から。高台、階段の上からなので、見晴らしが良好です。こうして見ると本丸はあまり広くありませんね。

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 出入り口内部の様子。靴を脱いで、中に入ります。が、ここはあくまで外付けの玄関のような場所。出入り口の横には石垣があり、石垣を更に登って天守閣の内部に入ります。
 ちなみに内部はすごい熱気です。冷房はありません。自然の温度です大汗です。

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天守の内部の様子。写真りの奥が、先ほど天守を見上げた本丸の広場。光が差し込んでいます。

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 ↓ 内部の展示パネル。パネルがたくさん設置させており、詳しく色々な解説がされています。

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木組みの天井。梁が太いです。木を格子に組み合わせて、瓦の思い屋根を支えています。
一階はパネルなどの展示室です。お決まりの全国の天守閣の写真の展示もあります。現存天守だけでなく、復元の天守の写真もあったように思います。(天守閣内の壁のどこかに。)

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 写真下は、修理工事の際に分かったことをパネルで解説していました。

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小窓。

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藩政改革を行った山田方谷について。

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修理で替えた、発見されたと思われる屋根などの部品?の展示。

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かつて屋根についていたしゃちほこです。

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↓ なぜか、高梁とかかわりが・・・。高梁と安中はともに板倉氏の領地だったので、両領主家とその家臣は交流があったのでしょう。実際に、明治時代になってから本人もこの地を訪れて伝道活動を行ったそうです。

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↓ お城の山の麓の「御根小屋」の解説。
つまり、普段お殿様が暮らして、領地のまつりごとをつかさどる御殿、庁舎のことのようです。独特な呼び方です。後世では「藩庁」といわれますね。太平の時代、ここ山の上の天守にはほとんど用事はなかったと思います。つまり、麓の「御殿」がお城のことだったでしょう。

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小窓から城の奥を見る。更に建物があります。(続きは次の記事で・・・。)


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備中松山城 見学記 (現存古天守 全十二城 登閣達成)

 2015年8月

 岡山県高梁市の備中松山城にやってきました。 

 ↓ 天守閣の道。
   大手門を過ぎても、まだまだ石段と道は続きます。上を見ると幾重にも石垣が連なっています。

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 石垣を登ります。大手門の石垣を登り、三の丸を過ぎた付近の道です。
 ↓ 写真左の石垣の平地は「厩曲輪」とあります。馬を飼育していた跡なのでしょうか。それとも名前だけなのか。むっとも太平の徳川様の天下の時代は、櫓の建物はあったでしょうが、山の上で馬は飼育しておらず、厩舎はすべて麓の御殿などにあったと思います。

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 道の途中から。高梁周辺の山が下に見えます。

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 チケット売り場の手前。もう一息です。地図によると「御膳棚」から二の丸に向かう石段です。
 写真下が「御膳棚」ですが、現在は公衆トイレがあります。昔は「御膳」の字の如く炊事をしていたのでしょうか。

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↓ 案内看板。

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 券売り場の直下。写真には写っていませんが、左への石段を登ったところにチケット売り場があります。
本丸の入口に当たる部分です。小屋があり、係の人が中にいます。この暑さの中、小屋に籠ってチケットを販売し、お金のやりとりをするのも大変でしょう。この時点で登城者はヘバって思考回路がおかしくなっている人も多いでしょうからね(笑)。チケットの販売小屋のすぐ脇には小門があり、扉が開いています。くぐると本丸の壁内に入ります。

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↓ やっと見えたぞ、天主閣。拡大画像です。



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 ついにやって来ました。「現存の古天守十二城」は、ここ「備中松山城」ですべての登閣達成です。実は「自宅から一番近い古天守のある城」は以前、岡山に住んでいたので、ココでした。先の記事にも書きましたが、住んでいると「生活が第一」となって意外にも観光では訪れないものです。
(どっかの政党のスローガンのようですが・・・・。)
 岡山に住んだのも転勤による仕事の都合でしたからね。その後、転勤により更に引っ越して現在は自分の出身地である神奈川に住んでいます。神奈川から近い「古天守の城」は松本市にある松本城でしょうか。かなり、距離はありますね。

 特に意識して「全国現存古天守めぐり」をやってきたわけではありません。観光であちこち訪れているうちに自然に達成しました(笑)。
 最初に訪れた現存古天守は 幼稚園のときの「松山城」でした。そしてラストを飾ったのがここ「備中」松山城です。実に足掛け30年をかけて達成した訳です。最初と最後が「松山城」というのは何かの因縁でしょうか?。
 なぜ、最初の古天守の登閣が松山城であったかというと、母方の曾祖父の法要のついでに訪れたからです。曾祖父は伊予松山の出身で、晩年は松山に住み、同地で亡くなりました。長命で私が幼稚園のときまで存命でした。

 「現存古天守十二城制覇を達成して感無量です。」と言いたいところですが、この日は暑くて感慨に浸るどころではありませんでした(苦笑)。
 「全国 現存古天守(現存天守)のある十二城 制覇」をテーマにしたウェブサイト、ブログなどは多数あるので、今さら私が強調しても仕方ないです。よって、このブログでも特にカテゴライズしていません。
 
 ↓チケット売り場の隣の門。復元です。入って平地があります。ここが本丸です。

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  チケット売り場を過ぎ、ようやく有料エリア(かつての本丸)に入ります。門に附属して櫓が復元されており、内部には簡単な展示品があります。

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 櫓のような建物の脇にあった。冷茶コーナー。無料で冷たいお茶を飲むことができました。ガブ飲みしました(苦笑)。皆、この木のベンチに座って休憩です(笑い)。

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 鉄砲の穴が開いた本丸の土塀。本丸の壁は復元と説明にありました。


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↓ 天守台脇の門「東御門」。パンフレット説明によると復元の門で天守の勝手口とのこと。本丸唯一の引き戸になっているそうです。天守には常時人がいなかったそうです。
引き戸ということは、カギで開閉をしていたと思います。と、徳川様の時代、普段は無人で必要なときだけ、家臣が山を登って天守に行き、管理をしていたということなのでしょう。


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↓ 眼前には天守閣が。

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島根県飯南町 「奥出雲和牛」 ふるさと寄附金 お礼の品

 平成28年1月

 島根県飯南町から「牛肉」が届きました。クール宅急便での配達でした。「奥出雲和牛」です。

 飯南町への寄附は今回で二回目。前年度は「お米」を頼みました。前年度の(ふるさと寄附金の)お礼品について書いた記事は・・・・ 「平成26年も押し迫ってきました。今年は「出遅れ」だったため、押し迫った時期に連続してお米が届きました。去年も暮れになってから、急いで寄附したのですが「今年も」出遅れでした。(笑)」
 とレポートしていました。あれから、一年と有余。時は平成28年となりました。
 今年度はお米ではなく牛肉です。平成27年の11月下旬~12月上旬に注文し、年が明けてから、1月下旬の配送でした。配達までは、当然ながらお米より時間がかかります。


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 まだ、料理はしていないので、今回のお肉の写真は無しです。後日報告する予定ですが、おそらく私のいないうちに子供達が食べて、私の口に入ることは無いどころか、写真撮影をして記録を残す前に「あっという間に食べて」しまい「無くなって」しまうでしょう(笑)。
 

 ↓ 前年度のお礼品、島根県飯南町から届いたお米「こしひかり10キロ」です。
    5キロの袋が2袋、段ボールの中に入っていました。

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 以下は、以前書いた記事をそのまま転載します。

 「飯南町も以前「通った」ことがあります。先日届いた「市川町」に続き今回は「通ったことのある自治体」に新たに寄附をしました。
 2011年の夏、「広島県から島根県」に行く途中のことでした。当時の写真を探しましたが、通過しただけなので、写真撮影はしていないようです。三次市から山中の道に入り、県境の峠を超えると国道は下り坂になります。当たり前ですが・・・。(笑)
 島根に入って最初の街が飯南町でした。町内のとある場所(多分、道の駅)で一旦休憩した記憶があります。その途中、見えたのは「牛肉」の看板でした。山間の小さな町ですが、国道沿いには「地元産の牛肉ステーキ」を売りにするレストランもありました。和牛の生産が盛んなのだなとこのとき私は知りました。もっともツレは、この周囲で和牛の飼育が盛んなことを知っていました。
 ふるさと寄附金のお礼品でも「飯南牛500グラム」(寄附1万円以上などの場合)もありましたが、今回はお米にしました。別の自治体ですでに牛肉を選んでいたので。ただし、牛肉が届くのはまだ先になりそうです。
 最近たまたまもらったお米やもあり、お米は当面買わなくて済みそうです。(笑)
  ん、記事のタイトルが「ふるさと寄附金 御礼の品」となっていません。飯南町からの伝票には「ふるさと納税 お礼品」とあったので、「お礼品」としました。」










 
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