2016年04月
信貴山 朝護孫子寺 参拝記。思ったよりも早く、本堂到達することが出来た。
スタンプラリーの用紙にも本堂のスタンプをゲットした。本堂はテラスのようで大変に眺めが良い。眺望が聞く
大舞台まで登りました。鉄製の立派で頑丈な造りだ。
↓ 写真の奥の欄干で行き止まり。大和盆地の方向、つまり東の方向。北と西には信貴山の山が連なり、眺望は無い。南は山々の合間にわずかに眺望がきく。
↓ 既出) 本堂への階段。
本堂内部の諸仏を回ることができる通路があるそうだ。しかし、時間の関係で割愛することにした。
先程のポスターで見た「信貴山展」の「割引り券」は、「本堂で販売している。」とのことだった。が、本堂の内部には、特別展のポスターはあるが、割引り券を販売しているとは書いていない。お守り売り場の女性に「特別展の割引り券は無いのですか。」と聞いてみる。と、その女性も知らないようで、別の本堂内のお札売り場の僧職の男性に聞きに行った。返事は「開催日前の販売なので、売っていない。」とのことだった。つまり「前売り券」だった(苦笑)。
本堂まで来て、わざわざ前売り券を買うのも大変だと思うのだが・・・・。「ご褒美に割引券を販売してくれないかな!?」(苦笑)。
春、4月。奈良のたびへと向かった。
奈良国立博物館で特別展「信貴山」が開催されている。「信貴山縁起絵巻」が三巻、全巻同時公開になるとのことで企画したのだ。よって、今回その見学がたびの主要な目的のひとつだ。
実は、昨年の秋にも絵巻はある一巻が公開になった。公開場所は、信貴山の宝物館においてだった。せっかくの機会なので、見に行こうかと思ったが、程なくして翌年の春(つまり、平成28年の春)に「三巻、全巻同時公開 特別展 開催」の報が飛び込んできたのだ。
(実は、ウェブサイトで見つけただけだけど(笑)。)
これは、三年前の特別展「当麻寺」に匹敵する展覧会だ。
(漢字は、現代漢字に改めています。)
博物館で特別展を見るだけでは、分からない。そこで先に、絵巻を所蔵している信貴山 朝護孫子寺に先に参拝しようということになった。
そして、スタンプラリーにも参加した。
快晴で気持ちがよい。法隆寺を先に見学して、信貴山にやって来た。
2016年 少し早い春らんまんの東京・六本木。
国立新美術館に行きました。「はじまり、美の饗宴展 すばらしき大原美術館コレクション」を鑑賞しました。
正式なタイトルが長いので、「大原美術館展」と略して記事を書きます。
↓ この日は平日ですいていました。別館の入口からガラス張りの本館を見る。
「大原美術館展」の鑑賞に先立ち、この日は平日で別館が開館しているため、先に別館へ。別館の背面は、ガラス張りで本館と一対になっているかのような建築。
正面だけ、昔のコンクリート造の兵舎の跡の面影を残している。
別館の一階(案内板ではB1F、つまり地下から入る構造になっている。)の入口には、警備員が立っている。
入口付近の狭い廊下とその両脇の壁が、旧歩兵第三連隊と戦後の東京大学生産技術研究所に関する展示スペースのようだ。
↓ この日はやや「花曇り」。別館の脇から、政策研究大学院大学の方向。満開の桜。
今年の桜「も」早かった。平和な春の一日だ~。あ~、よき日哉、よき日哉。
入口の警備員が立っている通路に旧兵舎の模型があり、壁面の両側には写真などの掲示がある。戦前の兵舎の図面と、反対側の壁には戦後の東大研究所時代の航空写真などがある。
次いで、階段を上り2階(本当は、1階。)に行ってみる。小さい図書室がある。「アートライブラリー」とある。名前だけでは、どんな部屋なのかわからない。つまりは、「閲覧室」なのだが・・・・。部屋の入口付近の受付には女性の係員がいるのが見える。館内は、シンとしている。やや、不安になってしまったヨ(笑)。
ソロリと入ってみる。と、ゲート(探知機)と受付台があり、受付の女性が遮るというか、私を呼び止める。私は「少しみるだけ」と言ったが、自由に入室はできないのだった。女性係員から受付票を出され、名前をかかされる。
受付票の私の番号は「3」だ。つまり、本日三人目の入室者という意味かな??。受付簿のような記録を見ると前の人は、1205に入室、1236で出ている。入室の時刻は自分では書かず、係員が記入する。
結局、私は22分間くらいの滞在で閲覧室を出た。退室のときも時刻は自分で書かない。とすると多分、退室時刻は記録されています。
閲覧室の係員は40-50歳くらいの女性と、もう少し若い30歳台らしきの女性。もう一人いるようで、三人係員がいるらしい。配置人数、二人以上は確実だ。あまり利用のない図書室で三人も必要かな・・・、と思うが本館の上のフロアにもアートライブラリーがあるため、本館と兼務であろう。
閲覧室内には、データ検索のパソコンもある。奥に本棚がいくつかある。閲覧用の図書館と同じような机とイスがあり、ここで開催された過去の展覧会の図録もあった。その他は美術関係の本がある。
2008年に開催され、私は見逃した、というよりそもそも開催に気付いていなかった「没後50年 横山大観展」の図録を見る。
閲覧室の内部は、新しい内装、昔の面影は全くない。昔の面影は、外壁のみで、内部はほとんど残っていないようだ。
ここ別館の3階(実は、2階)以上は多目的室とのことだが、入れないもよう。
別館には、今回初めて入館した。ここは、土日は開いていないので、平日に来ないと入ることは出来ない訳だ。火曜日は、元々休館なので、週に四日のみの開室だ。
↓ 別館の1階にある「アートライプラリー別館閲覧室」の表示。
他の館を含めた美術館の展覧会チラシも置いてある。
↓ カメラを上に向けて、2階と3階の様子を撮影。内部は全く新しい建物の内装のようだ。
戦前の兵舎、戦後の研究所時代の階段かは、分からない・・・・。
1階に戻り、壁にある写真を撮影。すぐ近くに警備員が立っているため、警備員に聞いてから撮影する。
↓ 戦前の歩兵第3連隊時代の写真。営門を入って、すぐ右手に兵舎の正面入り口があったことが分かる。
↓ 戦後の航空写真。南からの写真と説明にあるため、上の白黒写真の正面玄関と一致するのであろう。
↓ 戦前の兵舎内部の図面。
中庭があり、取り囲むように廊下がある。外側に兵室がある。1階の平面図。
中隊事務室と中隊長室がいくさもある。中隊長は1階に部屋があったようだ。
二、ニ六事件の青年将校たちもこの部屋のどこかを使用していたのだろうか?。連隊長室は分からない・・・。
↓ 戦前の兵舎内部の図面 2階平面図。
北側、写真右に「酒保」がある。つまり売店。隣に、下士集会所。北側にあるので日当たりはよくなさそう。
2階はほぼ兵室。兵室の真ん中には、曹長室と下士室がある。兵隊さんを監視、監督しているかのようだ。「鬼軍曹」という言葉はここから生まれたのだろうか。
↓ 戦前の兵舎内部の図面 3階平面図。
北側、写真右に「酒保」の上の部分に「大食堂、大講堂」がある。3階の南側に「将校集会所」がある。
対して2階の下士集会所は北側にあった。
西側には「靴」「銃」などの工場。東には「被服庫」なとがある。中庭の真ん中は屋根のようだ。3階は「ロ」の字状だったらしい。
↓ 戦前の兵舎内部の図面 地階平面図。つまり地下だ。
北側、写真右の部分に「浴室」が複数ある。が、狭い。「汽×室」が隣にある。浴室のお湯を沸かすための機械室というか、ボイラー室だろうか。地下には「厠」つまり、トイレが多い。予備室も多い。「商人控室」もあった。
↓ この模型は、別館の入口にある旧兵舎と敷地の模型です。本館にある模型とは別物。
兵舎と営庭部分です。敷地内は高低差があります。傍らに市電が走っていました。模型の地形から察するに兵舎の部分は、恐らく現在の美術館の本館のある場所とほぼ同じでしょう。
↓ ここから下は、本館の一階ロビーにある旧兵舎の模型です。
兵舎の地下に至るトロッコの線路と馬の模型。
旧兵舎の中の部屋の模型まであります。一階部分の模型です。先の図面にもありましたが、緑色のベットがある部屋が兵室であり、細長い、模型では何も室内に置いていない部屋は、曹長室と下士室でしょう。
2015年4月
四谷にある長崎県のアンテナショップにやってきた。長崎県アンテナショップ「長崎よかもんショップ・四谷」
そのお店に隣接して「慶長三年 うどん 隠れ岩松」がある。
↓ お店の前の通りと看板。奥にアンテナショップの「のぼり」がたくさん立っている。
↓ お店のメニュー。「たこ」をメインに売り出ししている。
↓ お店のメニューの拡大。「うどん」がメインです。都内のお店としてはかなりお得な値段です。
しかも、特筆すべきことは「麺増量 無料」。「1.5人前、2人前」でも同じ値段です!。
あと、長崎といえば「練り物」。「長崎丸天」、「鶏天」、「ごぼう天」などトッピングが付くメニューもあります。
↓ お店の外観。手前側が、アンテナショップの入口。
私が入ったとき店内は、ほとんど空いていたが、一人席はないもようだ。よって、二人用の席がふたつあるので、このうちのひとつに座る。と、私のあとから、三人組の老人男性がすぐにやってきた。やがて、サラリーマン、主婦などのグループで店内の席は埋まってきた。
850円のランチセットを注文。 うどんは、二倍までできるので「二倍」にした。セットには、たこめしがついた。
たこ天をトッビングで注文した。よって「たこめし」とプラスして「たこづくしに」したよ(笑)。
と、テーブルの上に「ゆずこしょう」が置いてあるのがうれしい。「天かす」も置いてある。更に、なんと生卵が一人一個まで無料で、テーブルにあらかじめ置いてある。老人、サラリーマン達は、卵を早速食べていた。
関東での成功には「生卵」は必須かな(笑)。 ウチのヨメにとっては、すき焼きに入れる生卵(の習慣)すら理解できないとのことだが。
うどんは、「釜揚げ」にした。さぬきうどんで有名だが、「釜玉」もあった。ざるにもできるが、この日、まだ気温は低い・・・。が、サラリーマンでは、ざるを頼んでいた人もいた。
950円のセットのごはんは、この日は「牛丼」とのこと。よって安い方(850円)のセットで「たこめし」にした次第。
↓ 釜揚げうどん増量、たこめし、とつゆ。私は「ゆずこしょう」をたっぷり取る。(ただし、塩分が・・・・(笑)。)
別注文の「たこ天」も。更に奥には、「天かす」も写っている。
観光パンフレットを見ながら、料理が来るのを待っていました(笑)。
食事を終えて、食堂を出ることろには、店内の席は、ほとんど埋まっていた。相席するまでは混雑していないが。なお、店内に一人席がほとんどない。食事に来ているのは、近くのサラリーマングループだろうか・・・・。買い物、観光需要などはあまり無い地域なので、ご当地「アンテナ店」といえども、近隣のリピーターを増やす必要があるのだろう。
お店のトイレは、アンテナショップ、会議室などと共通。例のアンテナショップへの通路(扉)を通り、観光のカウンターを通過し、トイレに向かう途中の廊下には、会議室もあり、資材などが室内においてあった。事務室は2階にあるようだ。
2015年4月
四谷にある長崎県のアンテナショップに向かいました。
「長崎よかもんショップ・四谷」
長崎県の特産品を販売するお店だ。実は、マスコミでも紹介されたが、この3月に日本橋に新しい長崎県のアンテナシヨップがオープンしている。元々、長崎県アンテナシヨップは、あまり大々的に販売促進はしていないと認識していた。よって、ここ四谷にあるとは、あまり知られていない。というか、県庁自体では、ここ四谷のお店に関係していないのかも?。
が、「日本橋に本格的アンテナショップが開店したので、四谷のお店は閉まるかも知れない。」と(勝手に思い)
慌てて、この日、「元祖、四谷のお店」にやってきたのだ。よって、慌ただしい訪問となった(苦笑)。
↓ お店は表通りの一本裏にある通りに面している。「よかもんショップ」ののぼりがはためいている。
入口には「長崎県東京産業支援センター」とある。
↓ 四谷駅から、お堀の橋を新宿方面に渡り、大通りへ。お店は表の大通りの一本裏の道。
↓ 大通り沿いのビルには、案内の看板が掲示してあるので迷うことはない。
四谷駅から新宿方向に、とにかく道路を渡ればすぐです。
↓ 四谷駅から、表通りを一本入り、更に進む。
隣接するレストラン「うどんの 隠れ岩松」の看板の前を過ぎ、
↓ お店の入口に到着。オフィス、会議室の入口も同じようです。
お店は、マンションの一階にある。
この3月に日本橋に開店した別のアンテナショップもあるので、現在ここは力が入っていないのかな、と少し心配に(笑)。建物内には、会議室などもあり、県庁が産業振興関係で借りているのだろうか??。お店は小さいが、3月の日本橋の店舗開店前と比べて、縮小も拡大もしていにないよう!?。
同じフロアには、長崎県の観光案内のパンフも置いてあり、カウンター内に、お店とは別に人も一人、配置をしている。
1階の玄関に近い冷蔵ケースには、練り物や水産加工品が置いてある。お店のスペース内の商品棚の冷蔵ケースには「ゆずこしょう」もある。ちゃんぽん、うどん・あごだしの商品なども置いている。お菓子では、カステラもある。長崎といえば「カステラ」が有名です。日本酒も置いてある。
お店のレジには、二人の女性がいる。うち一人は学生のアルバイトの感じだ。建物内部にも、つながっているのであろう「隠れ岩松」レストランへの入口がある。つまり、お店からレストランへ外に出ることなく、行き来できる。
お店を見ている間に正午になったので、観光案内のカウンター内にいた係の女性はどこかに行ってしまった。よって、カウンターは無人になった。
内部通路から、レストランへ入り食事をすることにした。
↓ 地下鉄の四谷駅のホーム。
長崎のアンテナショップに寄って、食事をしてから国立新美術館に向かいました。
2016年3月20日 お彼岸
ようやく、春めいてきたある日のこと。千葉県佐倉市にある「国立歴史民俗博物館」(略して「歴博」)にやってきた。
館内の「レストランさくら」で「古代米」の食事をすることに。
下の子に言わせると「この前、テレビで紹介していた。」そうなので。かなり前ではなく、今週先週のことだったようだ。
展示室六、現代(昭和戦前期から最近の時代についての展示室)を見たところで、11時45分になった。ここは、お城の跡地にある博物館。周囲には、食事をとれる場所は無い筈・・・・。よって、館内レストランで食事をするには、早めに行かないと、満席の恐れが・・・・・・と、恐怖心が湧いてきました(笑)。
繰り返しになるが、博物館では昼食場所が限られるので、レストランの席の確保は最重要課題だ(苦笑)。
第六展示室のある地下(と、いっても半地下だが。)から出口へのエスカレータを登ると売店に出た。ここが、地上と同じ高さの一階部分。
売店から、先ほど入場した「入口、入館受付フロア」(エントランスフロアと呼ぶべきか。)からは一フロアか、半フロア下がったところ。つまり、入口は外からゆるやかなスロープを登った一階半か二階部分に相当する。
ともかく、エスカレータを降り、売店内の本のコーナーを抜け、急ぎ隣にあるレストランへ。レストランにまだ空席があった。というか、まだ席に余裕はあった。早速店内に入り、テーブルを確保!。(勇み足が過ぎたか・・・・・(苦笑)。)
↓ レストラン「さくら」の入口。 狭い廊下を挟んで売店(ミュージアムショップに隣接しています。)
↓ レストラン「さくら」の入口とメニュー。
店の接客の女性もパートの主婦の方のような感じだ。私が席を確保して待っていると、次いでツレがやってきた。展示室は、第一(古代)から見ていたそう。全然見れていなくて、どこから、(食事の後も)見学を再開してよいかわからないそうだ。確かに館内の展示室の配置は、迷路のようで広い・・・・・。
テレビを見たウチの子によると「古代米カレー」が有名らしい。「古代米」のごはんの定食もある。私は古代米カレーの大盛りを注文。カレーがもう一つ別容器できた。サラダもついている。コメは古代米。赤い色をしたお米。
↓ 私が注文した「古代カレー 大盛り」。メニューでの名称は「古代米カレー」ではなく「古代カレー」。
お米が赤いというか、あずき色、紫色。古代、日本でいうと弥生時代の人はこのような米を栽培して食べていたのだろうかは、分からない(笑)。
カレールーも「別盛り」で来ます♪♪。お肉は「チキン」でした。ハヤシライスもあった。カレーは、やや辛くて子供には、少し辛いかな。
↓ こちらは「おろし豚カツ」の定食。
定食は、魚の包み焼きのセットもあった。魚がよい人は、包み焼きの定食に。「包み焼き」を古代から調理法として行っていたかは、分からない・・・・。
↓ 大盛りカレーもバクッとすべて食べました。定食もすべて完食。御馳走様でした。
「古代米」は、雑穀の入ったごはんのようだった。もち米のように、白米と比べるとモチモチ感があった。
食後は一階というか、エントランスフロアに戻り、最初の展示室(第一)から見ることに。売店を通り抜け、エスカレータを登り。エントランスフロアに。
2016年3月20日 お彼岸
ようやく、春めいてきました。千葉県佐倉市にある「国立歴史民俗博物館」(略して「歴博」)にやってきました。
先日、「東洋文庫」の記事でも書いたように、夕方まで歴博を見て、神奈川に戻る途上で都内の東洋文庫の「解体新書展」に行きました。
↓ 企画展のパンフレットより。順路の解説図。
奥の部屋に進む。「日本の万年筆の技」の展示コーナーがある。万年筆の軸心を装飾する技術が発達し日本古来の「蒔絵」の技法を施した物もあるそうだ。西洋から輸入された万年筆が日本の伝統文化と結びついたといったところかな。蒔絵万年筆は輸出もされたそう。
画面を操作して蒔絵の万年筆のデザインを体験できるコーナーがあった。先客のカップル(中年で男女とも明らかに40歳台半ば以上・・・。特に、だからなんだということは無いが・・・・。)がいた。が、二人が仲よく??操作しているので、長い・・・・・、ので、私は体験できなかった。
蒔絵技術を施した万年筆の展示があった。金粉などをまぶした軸心の万年筆などが展示されていた。「プラチナ箔」の万年筆もあった。
そこから、企画展示室Aの出口へ歩く。展示は、主に戦後発売された軸装の美しい万年筆などの製品、商品の展示。一旦、展示室の外に出る。エレベータのある廊下だ。
実際に万年筆を使用して描いた手紙、ノートなどの展示がある。
日中戦争か太平洋戦争時の手紙がある。戦地から出されたもの。出征した兄から、弟にあて、万年筆で書いたものだ。1通は、中国の大陸の戦地から出された手紙。これは、どことなくのんびりした様子も感じる戦地からの手紙だ。現地の住民の様子なども書いてあった。
もう1通、南方から出された手紙には「体にきをつけて」などとあり、重要なことは書いていない。所属は、××部隊と場所のわからない部隊名だ。切迫した戦況が伝わってくる。ハガキには、「検閲済み」というスタンプが押してある。書きたいことも書けなかったのだ・・・。熱帯の戦地で書いたものであろうが、インクはにじんでいない。文字もはっきりと判読できる70年を経過しても全く劣化していない。
差出人はこの後、南方の戦場において26歳で戦死したそうだ。その説明を読んで、思わずハッとした。この方は、祖父とほぼ同年代だ・・・。というより祖父よりも年下だ・・・。これらの手紙は、戦時中は子供であり、当時受け取ったご本人から戦後に寄贈されたものであろう。
その他、昔の大学で、万年筆で書いたノートの展示もあった。しかし、戦地から出された手紙ほど私の胸を打つものは無かった。
その奥に企画展示室AとBがある。
※「現代」の展示「第6展示室」や、その他の展示室の見学記事は、後日書くことにします。
ようやく、春めいてきました。千葉県佐倉市にある「国立歴史民俗博物館」(略して「歴博」)にやってきました。
先日、「東洋文庫」の記事でも書いたように、夕方まで歴博を見て、神奈川に戻る途上で都内に行きました。
企画展のことから先に書きます。初めての訪問ということで、常設展示は見学にかなり時間がかかったのですが、ここに来るまでの経緯や常設展の見学記などの記事は、また後日にアップします(笑)。
↓ 外壁に「歴博」と大きく文字がドーンとあるので(笑)、「ここは、歴博というのか。」と分かりました(笑)。
自宅から二時間半以上かけて、佐倉市の歴史民俗博物館に到着した。途中、渋滞していたもので・・・・。
駐車場に車を停めて、博物館の建物へ歩く。
建物の中に入り、カウンターで券を買う。企画展を開催していた。テーマは「万年筆の生活誌-筆記の近代-」。
「うーん微妙なテーマの展示だな~。」と思いつつ、滅多にここ(国立歴史民俗博物館)に来ることは出来ないため、見学することにして、企画展込みの料金のチケットを買う。大人一人820円くらいだった。
地下の企画展から見ることにする。企画展と常設の第一展示室では入口が違う。企画展へは、入場すると(そのまま地下へ降りるように)係の女性に言われる。指示に従ってエレベータで下る。と、地下に展示室がある。地下ではあるが、天井がとても高い。
文字通り「万年筆」が展示のテーマだ。かなり異色のテーマ。昨年、来ようと思って、ここ歴博の企画展を調べると「重要文化財指定 大久保利通関係文書」、「日本ドイツ修好150周年記念・・・」などのテーマだった。今回、訪問したのは、突然でもあったので、企画展についてはあまり調べていなかった。。。。。。うーん、文具メーカーの宣伝ではないのかな、と思ったのは私だけでしょうか(笑)。
まずは、いろいろな万年筆の展示がある。解説には「ボールペンの均一性とは異なる 書くよろこびがある」
の文が。
展示の最初は、昔の万年筆の販売の様子など。美術館で万年筆の使用が禁止されている理由の説明ボードもあった。(これは昔だけではなく、現代でも禁止だ。)
大正時代 デパートの展覧会で、とある観覧客がメモを取ろうとして万年筆を取り出し、ふとしたはずみで インクが展示品の屏風についてしまい汚れてしまったからだそうだ。インクは取れないので大切な展示品の屏風が汚損してしまったとか・・・・。
↓ 企画展のパンフレットより。
明治、大正時代の万年筆の展示がある。更に、製作過程では軸心を削る際に「ろくろ」を使用していたと説明にある。更に進むと、スクリーンがあり、製作工程の映像が流れていた。
この映像コーナーでは 万年筆の職人の作業の様子が映画化、というか映像化されている。軸心として、材料の「丸いセルロイドの塊というか、棒」を、ろくろで回して芯をくりぬいている。くり抜いていたのだった。考えもしなかった。すると、削りかすは捨てているのかな、と思ったが特に説明はなかった。捨てているとしたら、現代の「エコ感覚」からするとかなり無駄のある工程ではないかなと思った。
自動のろくろもあるが、足踏みでろくろを回している作業の場面が写っている。微妙なまわし方で軸心の出来栄えが変わってくるそうだ。
「ろくろと万年筆」の碑の写真が掲示してあった。滋賀県東近江市のお寺にある。ろくろ職人の神様といわれる親王のゆかりの地であるから、ろくろ職人が建立したようだ。観光ガイドには載っていないであろう、場所はちよっと分からない。東近江の「トマオニ」ならば、すぐにわかるが・・・・。八日市のインターから更に山間部にあるお寺なのかな。
↓ 企画展のパンフレットより。
「旭山動物園」の見学です。山のゆるやかな斜面に沿って登って行きます。
いい天気です。旭山は旭川市街地の東にあるため、景色は西側、つまり盆地の真ん中にある旭川の市街地方向の眺望が大変よい。
↓ (既出) 園内の標高の高い所、さる山付近から上川盆地と旭川市街地の方向を眺める。
サル山の猿とは、視線を反対に持っていく。早くも、園内の広葉樹は色づき始めている。秋は駆け足でやってきている。視線の先には、上の写真よりやや北方向の上川輪゛ン地の風景が広がっている。園内の樹木に遮られてやや見えない場所はあるが、写真で見る以上に雄大な光景だ。繰り返しになるが「黄金色」の稲穂がじゅうたんのように広がっている。
↓(もう一度) 動物園渋滞の様子をどうぞ(笑)。
いや、ここ旭川は工場が製材と食品以外には、あまり立地していないようだ。白い煙は、製紙工場のものに間違いない。上川盆地を取り囲む山々から産出される、豊富な木材が旭川の産業を支えていると言っても過言ではない。
先に、ここに来る途中、たまたま敷地内を通過した「工業団地」においても食品工場か小規模な物流センター、空地でほとんど占められていた。冬期は極寒の内陸部地域、我が国の北の端部という立地性もあり、電子、電機、自動車部品などの工場は稼働に適さないのだろう。自衛隊(官製需要)がメインで周辺地域の農業、製造関係では(生産される食材をもとにした)食品製造業、製紙木材、サービス関連では観光が頼みの産業であろう。
↓ さる山を下り、坂を下り、出口へ歩く。下り坂なので、楽チンだ。途中「こども牧場」が。動物園の定番コーナーで、昔ならば、ウチでもここが動物園の中でもメインだった。が、子供もある程度の年齢に成長したし、今日は時間もないので、歩いきながら横目に眺めるのみで済ませるとしよう。

↓ と坂の上を振り返る。東から西に向かって斜面を下っている。
と、北の斜面の上からは太陽光線が。木漏れ日が眩しい。(上手く撮影できていないが・・・。)
↓ こども牧場のヤギさん。「エサあげタイム」ではないので、通過したのみ。
その奥には、ポニーコーナーが。
北海道では馬産(現在のように競馬馬の生産ではなく、農耕馬などの作業用の馬産という意味)が盛んであるので、小型馬、つまりポニーもかつては、重要な農耕の動力だったのではないかな。
小屋の中で、お疲れのご様子(笑)。子供達の相手をして、疲れたのかな(笑)。
再び、坂を下る途中。
「エゾコンギク」とある。キク科の花だ。薄い紫色で、ライラックと間違えそうになったのは、ご愛嬌だ。季節が違うのでおかしいと思っていたが・・・・。
キリンの展示場を横目で見ながら、坂を下りました。
西門に近い売店の様子。
売店の傍らの園内と軽食を食べる所。
気温はどんどん上がって「摂氏21.3度」まで上がる。先にも書いたが、日差しが強い。暑く感じる。しかし、風がどこか冷たいので、上着は脱がない。空気がからっとしているし、何となく冷たい感じがする。日陰に入ると結構涼しい。寒暖の差が激しい、内陸性気候という訳だ。
↓ (既出) 西門から出ときに撮影。、西門の券売機は、行列をしていた。入場での行列ではない・・・。チケットを買うために、行列をしている。ただし、入場待ちの行列はない。チケットを買うために、10分では済まないくらいの行列、もっとかかりそう。
あと、皆さん薄着ですね。気温もだいぶ上がってきたので。特に薄着の人は地元の人かな。ティーシャツの人もいる。先の気温の表示は21度くらい。私の場合、摂氏24度以上でないと、まず半袖にはしない。あくまで、反半袖であり、Tシャツではない。Tシャツには、もっと気温が上がってからだ(苦笑)。
動物園の再入場は不可だ。なお、「北海道旅行券」は使用できない。「使用させるまでもなく入場者がある」というのが理由だろう。
やっとのことで、子供が車にやって来た。子供は、正門のみやげ物店まで行ったが、やはり西門の近くのあざらし園近くの売店がよいというので戻ったそうです。結局は、その店で買ったとのこと。正門までは結構長い通路を歩くので、時間のロスになってしまった・・・・(硬直)。
駐車場を11時36発。予定より遅れた。本日は、移動距離が長いため 時間厳守です(苦笑)。
食事のことであるが、昼も近いので昼食にしてもよい。が、移動距離が長いので、昼食の時間は取れそうに無い。動物園内のレストラン、売店で軽食でも買おうかと思うが、退出のときに、既に西門近くの店は行列していた・・・・。食べ物に関しては、子供が買いに行った正門近くの店も行列していたそうだ。
「ザンギ」をここで買って車内で食べようと思ったが、別の場所で買うことにしよう。
園を出るとき、
周囲は満車。
正門を通過したと思われる車が
西門へ右折ができない。北方向から来た車が左折するため。
坂を上る車、さらに上の東門方向もずっと渋滞。
正門と動物園通りはずっと渋滞でしよう。
「旭山動物園」の見学です。山のゆるやかな斜面に沿って登って行きます。
いい天気です。旭山は旭川市街地の東にあるため、景色は西側、つまり盆地の真ん中にある旭川の市街地方向の眺望が大変よいてず。
オオカミの森を見て、次にエゾシカの森に入る、というか、通過しながら眺めただけ。だんだんと時間が無くなってきました。本日、網走経由で知床まで走る必要があるためです(笑)。
↓ 園内の標高の高い所、さる山付近から上川盆地と旭川市街地の方向を眺める。
続いてやって来たのは、「北海道動物舎」。更に標高の高い所に、別の動物の檻もあるのだが、時間もないのでショートカットして見ることに決定(苦笑)。
せっかく、旭山動物園に来たのだから、北海道ならではの動物の展示を見たいものだ(笑)。
↓ これは先に見たオオカミの森だったかな・・・。
↓ 手前にあった「タンチョウ舎」。この付近は、傾斜地になっている。山の斜面に動物園があるためだ。
斜面を利用した動物園といえば、横浜の金沢動物園もそうだ。広さでいうと、金沢動物園の方が広いかも知れない。
「北海道はフクロウ王国」の説明。
色々なフクロウがいる。
↓ ピンボケしたが、フクロウの様子。固まっている。
↓ ワシだったような。
↓ 園舎の向こうには、田園地帯が見える。写真では、分かりにくいが、黄金色に輝いている田園が広がっている。
↓ エゾリス。 有名です。
あざらし館を見て、ほっきょくぐま館に入る。行列している。ゆっくり進んで、階段を上に登り、屋外の展示場に出た。
↓ ほっきょくぐま館の上から見た様子。親子だろうか。
ガオーっと先の「円盤ガラス」のところ。
ほっきょくぐま館を出ると、高台だ。 上川盆地の眺望がきく↓
写真の下はあざらし館だ。
拡大すると、白い煙は市街地の郊外から出ていることがわかる。製紙工場の煙だろう。
市街地の中心は、写真の左だ。動物園の手前の林に隠れてしまう。
別の方向。やや北のなるのかな。上川盆地を囲む北の山々。
実は、旭川の動物園つまり、旭山動物園は、市街地の北の位置するのかと誤解していました。
改めて見てみると、とんぼが結構飛んでいる。「秋の空に飛ぶとんぼ哉。」by良月。
旭川は原生林のような深い緑に囲まれた緑の森の中の街のよう見えた。「グリーンシティ」というべきか。
写真では分からないが、動物園に近い平地では、黄金色に輝く、収穫期を迎えた稲穂が、じゅうたんのように見える。
さの上の方に歩いて見る。東に向かって登り斜面だ。
と、人だかりが。アライグマの行動展示だ。説明によると「落ちたり、外に出ることは無い」そうだ。
人の集まる様子。最前列は「押すな押すな」の大行列だ。
アライグマの拡大。
次いで、もうじゅう館。「館」といっても、コンクリートの外壁の無機質なもの。
階段で上のフロアというか、屋上広場に行き、仕切られた檻の中の動物を「見下ろす」ことができる。
肉食動物は、夜行性のためか、昼間は寝ています。
上から見下ろしたところ。
アムールヒョウですね。
連休中、旭山動物園にやってきた。
西門から入園、ペンギン館は、館内行列るため、断念し、外の池からペンギンさんを眺める。が、これで十分だ(笑)。続いて、あざらし館を見た。が、それも束の間、次なる目標は「ほっきょくぐま館」である。なお、「しろくま」館では無い。
↓ 続いて「ほっきょくぐま館」に入る。並んではいるが、先ほどのように渋滞、行列では無い様子。
列はじりじりと進む。ドアがあり、更に水槽が見える展示室には、ドアがもうひとつある。
展示室へのドアの手前にもガラス窓があり、水槽の中が見える。うーん、ここでは動物を確認できない。
↓ 人がいないように見えるが大混雑だ。
↓ 中の様子。一段高い見学場所から撮影。というか、通路では混雑して撮影ができないのだ。
↓ ガラス越しに、しろくまを発見。二頭いる。
↓ しろくまがこちらを向いている。池に入ろうとといる模様。
↓ しろくまが見えなくなった。
↓ しろくまが、ガラス面の手前にやってきた。
↓ しろくまが、池のほとりでたたずんでいる。
↓ しろくま館の外に一旦出る。階段を登って、天井に出るような感じ。
と、カプセルがある。
↓ カプセルから人が顔を出している。
行動展示、間近で見ることができる場所であった。実はカプセルに至るためには、並ぶ必要がある。
しかし、行列ができている。50分くらいの待ち時間だった。
↓ カプセルから人が顔を出している横で、プールにしろくまがいる。
↓ 上の部分から鉄格子ごしに見る。
↓ 上から、先ほどガラス越しから見た池を真上から見ることが出来る。
ただし、しろくまがいない・・・かな。 ここでも「行動展示」だ。
2016年3月20日
東洋文庫ミュージアムにやって来ました。年明けの1月中旬から開催されている「解体新書展」の見学です。
開催中の展覧会は、4月上旬までの約3か月弱の会期です。早いもので、ここ東洋文庫にやって来るのも「ブラウの大地図展」、「幕末展」に続き3回目となりました。初めて来たのが、昨年の6月のこと。何回も書いているが、もっと早くに知っているべきであった。
まずは、1階から観覧しました。次いで、階段を昇り、2階の常設展示室を観覧です。今回の「解体新書展」は常設展示室も使用して、展示が展開されています。
(正確には東洋文庫ミュージアムでは「常設展示」という言い方はしていないようですが。)
まずは国宝。国宝が撮影可能とは「太っ腹」です。
さらに中国関係で清朝の「大清聖祖仁皇帝実録」と「大清徳宗景皇帝実録」の展示があります。
タテ1メートルまではありませんが、かなり大版の本です。
その名の通り皇帝の実録ですが、廟号が「聖祖」について「仁」とは最高の諡り名です。康熙(カンシー)帝です。
「祖」が付くのは異例ですが、事実上漢の地の統一王朝の皇帝としては初代ということで「聖祖」として奉ったのでしょうか。
「徳宗」とはずっと時代が下って光緒帝です。日本でいえば明治時代のこと。まもなく清朝は崩壊しているためいつ実録が編纂されて、どのような経緯でここ東洋文庫に収蔵されているのでしょうか。
また、明の「永楽大典」の展示がありました。そのまんま明では一番有名な皇帝永楽帝が編纂させた大典ですね(笑)。
写真は撮影していませんが、解体新書の展示もありました。国立科学博物館でも展示がありますし、津山の記念館でも見たことがあります。津山出身の学者、箕作一族と杉田玄白、前野良沢とは密接な関係にありますからね。
もう一度、モリソン書庫の前に移動して改めて書庫の前に展示している文化財を観賞します。
書庫に収納されている書籍類は手にとることができません。書庫の手前に展示品がいくつか置いてあり、観賞するという形式です。「四庫全書」の目録が収蔵されていました。あの乾隆(カンロン)帝が編纂させたという清朝最大級の文化事業の成果物です。東洋史を研究するためには、「四庫全書」のコレクションは必須なのでしょうが、ここでは収録されなかった書籍類の題名のみ書いている本の展示であり、中身そのものではないと解説があります。最初に来た時は、本物と誤解していました。早とちり・・・・・。 書棚の本は背表紙を眺めるのみで中を閲覧することはできません。
↓ 解体新書
と、書庫の前のイスにラオス民族衣装もモデルにしたという赤を基調とした艶やかな彩(いろどり)と美しい模様の制服を纏った『MA』の方が座りました。ここで展示室内を監視するようです。東洋文庫のウェブサイトによると「看視」といいます。
余談ですが、この艶やかな民俗衣装をまとった『MA』。肩から小さいポシエットを身につけています。貴重品を入れるハンドバッグの代わりに貸与されているものでしょう。
ふと、MAに男性が応募してきたらどうするのか?。制服はあるのか?。肩から小さいポシエットを身につけるのか?とも思いました。余計なお世話ですけどね(笑)。
2016年3月20日
※ この日は、先に千葉県佐倉市にある「国立歴史民俗博物館」に行きました。夕方まで同館を見て、戻りました。「国立歴史民俗博物館」の見学記は後日アップします。
佐倉市から自宅方向に帰るには、途中、首都高の湾岸線が渋滞していました。羽田方面は混んでいるようだ。お彼岸なので、みんなお出かけしていたのでしょうか!?(笑)。
そこで、都内に寄って(時間調整をして)から帰ることにしました。夕方5時以降でも入館できる所か買い物をするはどこだ?ということで、まずは「銀座を中心とするアンテナショップ群」が候補に挙がりました(笑)。もっとも、いつでも行くことは出来る??ので、この日は割愛して、夕方5時以降も開館しており、更に行く元々予定にしていた「東洋文庫」に行ってみることにしました。東洋文庫ミュージアムは、毎日午後7時まで開館しているため、夕方5時か5時半で閉館する美術館、博物館を見学してからでも訪問可能なのです。
更に無料の駐車場まであります。ただし、駐車台数は限られますが、今まで来たときに駐車場の混雑具合は、というと、土日の日中でも満車のことはありませんでした。恐らく、徒歩、自転車圏内から来る人を除いては、電車、バスで来る人が多いのでしょう。よって、夕方5時以降でしたら、確実に駐車できる筈と確信していました。
首都高をお台場の手前、辰巳から都心部の道へ。箱崎付近は渋滞していた。渋滞は、神田橋手前まで。更に飯田橋の上を進み、池袋方面へ。護国寺ランプで下りる。下の道に降り、駒込法目面へ。結構、一般道も起伏がある。と、お茶の水女子大の門の前を通る。この通り沿いとは、車で通るとまた違って見える。日曜だが学生らしき人がキャンパス周辺を結構歩いている。女子大から更に起伏のある坂道を通り、ここを過ぎるとな道になり、すぐに、例の高層マンションと一貫教育?学校と駒込警察が見えてくる。
東洋文庫には、右折で駐車場にうまく入れた。高速道路、首都高と経由し、四街道のインターから一時間と少しで来ることができた.
さて、東京 駒込、東洋文庫ミュージアムに(車で初めて)やって来た。年明けの1月中旬から開催されている「解体新書展」の見学のためです。
開催中の展覧会は、4月上旬までの約3か月弱の会期です。早いもので、ここ東洋文庫にやって来るのも「ブラウの大地図展」、「幕末展」に続き3回目となりました。初めて来たのが、昨年の6月のこと。何回も書いているが、もっと早くにこのミュージアムの存在を知っているべきであった。
まずは、1階から観覧した。
↓ 入館して、入口付近を振り返る。 展示のガラスケースに館内の淡い照明が反射して幻想的です(笑)。
写真で見ると、入館受付のMAの皆さんがいるカウンターの台は照明が付いているようで、全体が光っていることに気付きませんでした。見学中に気付くことは無く、写真を見返して初めて気づいたのです(笑)。
「MA」とは「ミュージアムアテンダント」の略称で、ラオス民族衣装もモデルにしたという赤(というか深紅)を基調とした艶やかな彩(いろどり)と美しい模様の制服を纏った東洋文庫の係員のこと。15時開始のツアーの説明係も務めるようであるが、たいていは入館受付を兼ねるレジにいる。
当初はレジで『MA』に前回の見学時にもらった「解体新書展」の「20%オフ」の専用割引券を提示。が、購入したあとで、「スタンプラリー」のスタンプを貰っていないことに気付いた。
と、スタンプを押してくれて、「三菱系博物館」三か所のラリー完成となった(笑)。すると、MAの彼女が、券が200円引きなると言い、隣のMAの子に確認し、レジを打ち直してくれた。
対応した「見習」と腕章をつけたMAの子がレジを打ち直し。割引率が違うのだそう。スタンプラリーの台紙を見せると「200円引き」となるそう。スタンプを押してもらい、返して貰った台紙を見ると小さい文字で今年の9月までは「200円引き」と書いてある。「20%」か「200円」なのかどちらでもええやんと思うが、そこは優しくてよく気付くMAさまです(笑)。
景品は隣の指導係のメガネの小柄な子が渡してくれる。黒髪。打ち直す子は まだ入ったばかりのようで、
目が一重で メガネをかけている。まだ19歳 大学ならば一年生くらいかな。指導役の子よりも背が高い。聞きながら、レジを操作。おつりをさらに返してくれる。次回 儒教展の割引券は景品をくれた子と同じく指導役の子が渡してくれた。二人とも まじめそうで いかにもミュージアムのバイトにお似合いです。MAは三人いる。その奥に 応対はしない 一番各上そうなMAが。
17時半頃に到着して入館。まずは、1階から観覧した。1階から展示室内から、ガラス窓越しに芝生のお庭と小岩井のレストランを見る。お彼岸となり、日も随分と長くなりました。
一階の展示室では、日本の医学書「解体新書」にちなんで医療関係の資料を中心に展示。
まずは、マンスールの解剖図。梅毒誌もある。新聞では現在でも梅毒が増えているそうだ。デカメロンの本も。
発刊の時代は忘れた。埋葬の様子のようです。北里のペストに関するレポトも香港で流行したときの患者の数の推移について。
北里柴三郎の展示が。写真や 年賦、論文などの展示。年賦によると北里は、阿蘇の人。明治18年3月にドイツ留学。鴎外と時期がかぶる。
男爵は鴎外の死後、二年後のことだった。長命であった。
北里研究所に関する展示も。もちろん 中心は大村教授の業績について。昨年の明治村でも見た。
ガラスの展示ケースでは イスラムなどの医療に関する展示がある。
駐車場の様子。(帰るときに撮影)
このたびの訪問時は、ほとんど車が停まっていなかった。ただし、駐車場に停める場合は「受付に申しでしてください。」と注意書きがあり。「無断駐車は厳禁で、もし無断駐車したら5万円?かの罰金で、警察に通報??」かどうかは忘れたが、かなり厳しいことが書いてあった。ほとんど脅迫じゃねっ!?てくらいの(笑)。
続いて、見て行きます。
平成28年4月2日
東京・上野公園
先に東京国立博物館の総合文化展を見るため、桜の花が満開で大賑わいの中、上野公園を歩く。満開だ。木の下では、大勢の人が宴会をしている。お花見、というより、外飲み会というのでしょうか?(笑)。
人の波をかきわけるように進み、公園の突き当りの奥にある博物館にやっと到着した。
地下鉄の上野の駅から地上に出て、上野公園の入口付近から奥ほと歩く。
途中、公園内に点在する寛永寺の建物の付近を歩く。
↓ 寛永寺の舞台。上野に咲き乱れる桜の花の眺めは、さぞかし絶景であろう。
上野の台地の上、池のある付近に至る道は緩い登り坂。ものすごい人である。
人の流れに身を任せ、更に進む。人もすごいのだが、ニオイに敏感な人は気付くだろう。ある種、独特の匂いがある。もちろん、ゴミの匂いも漂ってくるのだが・・・・。
私は蓄膿気味なのであまり敏感では無いのだが・・・・。
↓ 進みながら撮影。人の頭、頭、頭、頭、頭、頭、頭、だ。
でも、道の両側の桜は満開。まさに見ごろだ!!。これ以上無い咲き乱れようだ。
上野動物園の前の広場までやって来た。振り返り、歩いて来た桜並木の道を撮影しようにも人の多さで、通路の中央に立って、(歩いて来た道の方向を)振り返って撮影することは断念・・・・。
↓ 通路の端で撮影。写真の奥が、台地の下というか、御徒町方向。通路脇でもシートを敷いて宴会をしている。学生らしき一団だ。宴会の場の近くには、大きなゴミ箱があり、結構異臭もするのだが構ってられないかな。
通路脇の宴会の様子。もはや、桜の花見が目的では無い感じ・・・・。とにかく地面にシートを敷いて、酒を飲めばという感じかな・・・・。
↓ 写真奥が上野動物園。昨年もこの列の桜並木を撮影した。
遺伝子解析によるとこの付近の木が、ソメイヨシノの原木かな??。
広場ではイベントを開催していた。
テントが出ている。と、着物姿の人が歩いている。着物のイベントがあったようだ。
広場の池を背にしてステージが設置されていた。
「うえの桜フェスタ 2016」と看板が出ている。 ↓
ステージでは着物姿の女性のコンテスト??、デモンストレーション??を開催していた。
艶やかな着物姿の女性が集合している。カメラに向けてポーズをとっていた。
私がステージを見たときは、既にイベントの最終の場面であったようで、ポーズを終えると女性たちは、次々にステージを退場して行った・・・・。特に振袖姿の女性達は美しかった。恐らく、彼女さん達はモデルさんであろう。観客に向けてポーズをとるしぐさも、ゆっくりとしていて、慣れた感じだったし(訓練されていて、素人感が無い)、ポーズを終えて、順次退場する場面でも、これまたゆっくりとした所作で、美しい姿勢で列を作ってゆっくりと、しかも優雅に歩いてステージを降り、去って行った。
「トレビア~ン」という感想しか無い(笑)。
平成28年4月
東京・上野公園
先に東京国立博物館の総合文化展を見るため、桜の花が満開で大賑わいの中、上野公園を歩く。満開だ。木の下では、大勢の人が宴会をしている。お花見、というより、外飲み会というのでしょうか?(笑)。
公園の突き当りの奥にある博物館にやっと到着した。
↓ 館外の告知看板
現在「黒田清輝展」を開催している。最近、このプログでも紹介の記事を掲載した。主な展示作品は黒田記念館で見たことがあるため(しかも写真撮影が一定の条件下で原則可能)、特別展は割愛させていただくことにしました(笑)。
訪れた日の国宝室の展示は、こちら。 ↓
有名な渡辺崋山筆「鷹見泉石像」。必ず教科書に載る作品ですね。
写真撮影禁止とは書いていませんでした。撮影禁止の場合は「禁止マーク」が表示されますが、ありませんでした。外国人の見学者も多いです。中でも、中国語が多く飛び交っていました。
隣接する展示室では、以前より引き続いて国宝「十六羅漢像」が二点展示されていました。十六?あるうち、この日は「第一」と「第十六」の尊者が展示されていました。
国宝の工芸品の展示もありました。
桜の咲く庭園開放も開催されていました。桜の季節ではありませんでしたが、以前、お庭は撮影したことがあるので、今回は割愛です。ここでも中国語を話す若い女性のグループが盛んに写真を撮影していました。外見では、もはや日本人か外国人旅行者なのか分かりませんね。
続いて廊下を歩き、近代美術室に行きました。
ラグーサ 「日本婦人」のブロンズがありました。昨年のやはり4月に近くの「芸大美術館」で開催された「ダブル・インパクト展」で展示されました。
別々に鋳造されたものか、同一の鋳造品かは分かりません・・・・。重文指定されている「石膏原型」(芸大の所蔵??)は、なかなか展示はありませんね。
重文 「熱国の巻」のうち「朝」に展示替えとなっていました。前回の訪問時は「夕」でした。
写真撮影が可能でした。二年前の桜の時期だったでしょうか、東京都美術館で開催された「世紀の日本画」には展示がありました。このときは、モチロン撮影禁止です。今回「リベンジ」を果たすことができました(笑)。
平成28年4月
「ボッティチェリ展」 東京都美術館
先に東京国立博物館の総合文化展のみを見た後、桜の花が満開で大賑わいの中、東京都美術館(都美)へと上野公園の人口池のほとりを歩く。都美に向かう途中の芝生の周囲は、大きな桜の木はない。桜並木というほどでは無いが、木の下では、大勢の人が宴会をしている。お花見、というより、外飲み会というのでしょうか?(笑)。
子供用の遊具のある広場では、たくさんの子ども達が遊んでいる。この広場は、芝生ではなく、土なので、土ほこりが立っている。
美術館に向かって歩いている人が多くなるが、前回来た「モネ展」ほどの数ではないもよう。あのときは、夜間の延長開館時で平日だった。今回は土曜だが、比較しても「ボッティチェリ展」の方がすいています。
「ボッティチェリ展」の会期は4月3日まで。閉幕前日の見学、鑑賞と相なりました。モネ展のときは (10月18日までの期間限定で代表作「印象、日の出」が公開。)18日までは連日夜9時まで延長開館をしていました。今回は、通常の金曜日の夜8時までの延長のみのようでした。
↓ 館内の告知看板。「聖母子」の絵が。
早速チケット売り場に並びます。二列、窓口が開いていました。それぞれの窓口に15人くらい並んでいる。が、大混雑ではない。入館制限もない。桜が見頃なので「絵よりもお花」かな(笑)。
久しぶりに、音声ガイドを借りました。音声ガイド用の展示リストは入手できましたが、一般用の展示品リストは配布がありませんでした。「あれ、どこかな?」と周囲を見回しましたが、入館者の誰も持っていません。会期は明日までなので、追加印刷は控えたのですね(笑)。
↓
ここで入館後、周囲の状況をレポートします(笑)。都美術館に来たのは、昨年の10月以来半年ぶりでした。「」鑑賞者の平均年齢は・・・・・、(開催場所が違うしも時期も違うので)春画展と比べようもありませんが(笑)、前回鑑賞した「モネ展」と比べると、ぐっと「若い」の反対で比較的年齢は上がった模様。しかも、女性率は、高くない4半々くらいかな。モネ展では「若い女性が多い」と書いたが、土曜の昼のためか、年齢層はバラバラ。主婦層の入館者も多い。小さい子を連れた家族連れもいるし、春休み期間中なので、小学生くらいの子もちらほらいる。偉いな~。お花見+芸術鑑賞ですね。ウチの子は、誘っても、もはや来ませんよ(苦笑)。
※ おまけ。上野公園内では人工池をバックにして特設ステージを設置してあり、
着物のイベントを開催していました。
皇居、乾通り 春の一般公開通り抜けに行ってきました
↓ 皇居内 乾通りから。道灌堀の様子。武蔵野の面影を残す堀池と桜。
おなじみ、江戸時代からの建物の遺構。門長屋。
門長屋の前を通過、更に先へ。
と「しだれ桜」が見えます。
門長屋の先にあった「しだれ桜」。撮影スポットになっていて、皆さん盛んに撮影をしていました。
こちらは、お堀側。「ヤマザクラ」
吹上護衛署の派出所があります。吹上御所はこの壁の中の遥か先なのでしょう。
更に進む。松と桜が。針葉樹林も多いので、花爛漫という訳ではない。
こちらにも桜。種類が・・・・。忘れました。
門に向けて歩きます。くもり空です。お花見の時期恒例の「花曇り」です。
竹橋方面。ここも撮影スポットでした。
門を出ます。
通路を振り返る。大混雑というほどはなかった。
門を出たところ。
門の傍らのソメイヨシノ。
美しく咲いていました。ここをあとに、次へ向かいました。
乾通りの次は、近くの国立公文書館です。
平成28年春季「皇居乾通り」一般公開 通り抜けの体験記です。
一昨年秋に訪れて以来でした。今回の春の一般公開では、坂下門の前で、並ばずに済みました。人の列は、スムーズに流れていました。
もちろん、訪問した時間帯によっては混雑していたでしょう。前回行った秋の公開時とは、状況は異なるのでしょうが、朝一番は混みそうなので、やめて、昼近く11時半に皇居前広場、坂下門前にアプローチするように行ったことも「奏功」したでしょう(笑)。
↓ 入場後、坂下門に入って来た人の流れ。
時間帯が遅かったためか、前回、秋(といっても12月で寒い日だったが・・・)の朝のときよりも人は少ない。
↓ (既出)坂下門の前、検査場のテントを振り返る。まず、手荷物の中の検査。
次に探知機で危険物の検査があった。
上の写真とほぼ同一から、お堀を撮影。
実は、警備のテントを過ぎて、ツレと離れてしまったため、小走りに駆けたが、警備の人に見つかったようで「急がないで下さい。危ないので走らないで下さい。」と拡声器の大音量??で注意されてしまいました・・・。
良い子は走るのはヤメましょう(笑)。
坂下門に向かいます。外国人の入場者も目立ちました。イースターの休暇で来日している観光客も多いことでしょう。それ以上に、中国語の会話がよく聞かれました。10月、5月、春節とは関係ない時期ですが、入場者は多いです。
坂下門の前のお堀。桜が咲いています。皇居前広場に面しているため、間近でも見ることができる桜の木です。ピンクの姿が堀の水に映っています。
警備テントを振り返る。混雑していない。
(既出)
坂下門を抜けると宮内庁の庁舎があります。
平成28年春季「皇居乾通り」一般公開 通り抜けの体験記です。
一昨年秋に訪れて以来でした。今回の春の一般公開では、並ばずに済みました。スムーズに流れていました。
もちろん、訪問した時間帯にもよります。前回の秋とは、状況は異なるのでしょうが、朝一番は混みそうなので、やめて、昼近く11時半に皇居前広場、坂下門前にアプローチするように行きました。
↓ 坂下門に向かう人の流れ。
それでは、坂下門の入場までの道のりから。前回の反省をふまえて、有楽町方面から歩きます。実際東京駅からでは、かなり歩いた。皇居前広場において、行列が東から西に向け、堀と平行するように並ぶように誘導されるため、有楽町の東京国際フォーラム側出口からの方が近いのだ。
地下鉄ならば、その名の通り「二重橋前駅」で降りるのがベスト。
昨年の暮に訪れた「三菱一号館美術館」の横を歩いて向かう。実をいうと、有楽町側から道路を渡らず、美術館と道路を挟んで反対側の歩道を歩いた方がよかった。
大型観光バスが駐車場に停まっている。
お堀端のビルが遠くに見える。東京駅の方向だ。
↓ 坂下門に向かう人の流れ。
二重橋の前。レーンは並んでいない。
↓ 坂下門に向かう人の流れ。
レーンには、ならんでいません。もしかしたら、朝一番は並んでいたかも知れませんが、今となっては知る由もありませんね(笑)。
仮説トイレが出ていた。
手荷物と危険物検査のテント。
↓ 検査場のテントを通過。坂下門に向かう人の流れ。
検査場のテントを振り返る。まず、手荷物の中の検査。
次に探知機で危険物の検査があった。
(既出)
↓ 皇居内 乾通りから。道灌堀の様子。武蔵野の面影を残す堀池と桜。
皇居、乾通り 春の一般公開通り抜けに行ってきました。(現在は終了しています。)
一昨年秋に訪れて以来です。前回同様「皇居前広場の列に並びました。「レーン」に誘導されます。」と書きたいところですが、今回の春の一般公開では、並ばずに済みました。スムーズに流れていました。
もちろん、訪問した時間帯にも寄ります。前回の秋とは、状況は異なるのでしょうが、朝一番は混みそうなので、やめて、昼近く11時半に皇居前広場、坂下門前にアプローチするように行きました。
公開の期間は、元々3月31日まで7日間のところ、4月3日の日曜日まで延長されました。今回、3月中に行くことは不可能と思っていたので、図らずも春の通り抜けを体験することが出来ました。前週の3月最後の土日では、まだ一分から三分咲きくらいだったので、行くのはやめていたのです。
(終了翌日)
朝、早速新聞を見たところでは、3日までの10日間の入場者数は「約50万人」だったとありました。
後日、続けて詳報していきます。この先、しばらくは、2016年3月下旬から4月にかけて訪問したイベント、企画展、特別展などのレポートというか、記事を書いていこうと思います。
期間中または期間終了後、可及的速やかに(笑)。
↓ 皇居内 乾通りから。道灌堀の様子。武蔵野の面影を残す堀池と桜。
↓ 宮内庁庁舎。奥に桜の木がありました。
↓ 宮内庁庁舎の前の広場。入場者が一気に横に広がる地点でもあります。
堀に沿って、桜の木がありました。更に奥は、本丸の石垣です。
↓ 宮内庁庁舎から見て気になった奥の桜の木。公用車も一緒にありました。
ちょっと無機質かな・・・。
↓ 前回、撮影を逃した勤労奉仕関係者の休憩所「参集殿」
↓ 「参集殿」の先の道。登り坂です。宮殿の裏に出る道でしょう。松の木が多いようです?。
↓ 「参集殿」の先、山下通りの道の様子。こちらも登り坂です。
沿道には、満開のソメイヨシノが。桜の方が紅葉時よりも映えますね。
↓ 山下通りの看板。間違いなく、かつての「紅葉山の下」の道であることから、
明治以降、この名が、付けられたのでしょう。
おなじみ、江戸時代からの建物の遺構。門長屋。
2016年春、
国立新美術館で開催中の「はじまり、美の饗宴展」すばらしき大原美術館コレクション、を見学、鑑賞してきました。会期は4月4日まで。便宜上「大原美術館展」 と省略して書きます。
今回の私のお目当ては、現地(以下、大原美術館のことをこう呼びます。)で、あまり意識して鑑賞しなかった、「近代日本美術」です。中でも、「重文指定」の洋画二点は、私の中で「超目玉」です(笑)。
近代日本絵画の展示室は、展覧会の会場内、三番目くらいの部屋だった。壁には「(当時の)大原孫三郎は、近代日本の絵画を積極的に収集した。」と説明パネルにあった。当時としては、同時代の画家の作品であり、現代「コンテンポラリー」絵画だっただろう。のちの世には、必ず評価される、価値がある、と予見しての収集だったのでしょう。
まず、青木繁の「男の顔」の展示がある。神話の一説のようだが、どこかキリストの顔を思わせるし、日本タケルの顔を思わせる。濃い顔立ちの男の顔だ。九州男児の自分にもなぞらえたのかも。
次いで、「麗子の立像」。これは、現地で見たことがある。
本日の私にとってのハイライト、重要文化財の二作品は並んで展示されていた。ちゃんと「重要文化財」と表示されているではないか。
なんと、20歳で没した、夭折の画家、関根正二 の作品 《信仰の悲しみ》 があった。
1918年 / 73.0 × 100.0 cm / 油彩・カンヴァス/
画中の「真ん中の赤いドレスの女性が、どこか悲しげ」と説明にもあった。丸みをおびた女性の姿は「礼拝に向かう花を持っている」とも。「丸みを帯びた」という姿の描写はワタクシの独自の解説でゴザイマス(笑)。
元々は、別のタイトルの作品だったところ、作者は友人の感想を聞き、「信仰の悲しみ」に改めたそうだ。
次いで、「Nの家族」小出楢重。
だから「N」。なのだと理解した。画中のテーブルの上に置かれている「白い本」は、画家「ホルバイン」の画集だそう。左の静物は、果物と皿、布など。「セザンヌを思わせる」と説明にあったが、私としては、更に昔の画家、スルバランを思わせる。親子三人もどこか「聖母子」を思わせる。
しかし、どこか、労働者のような風貌なのだ。妻、つまり日本髪の婦人の目つきが鋭い。子の目つきも鋭いし・・・・。子のその後の運命については、何か説明はあったのかは、知らない・・・。存命ならば100歳くらいであろうか。
唇が大きい、上の顔が半分に切れた自画像が画中にある。楕円形の絵だ。しかも、ルネサンスの丸い額縁を思わせる。先の「ホルバイン」を示すことで、自分を西洋の偉大な画家に擬え、「小出の自信のほどがわかる」との説明文があった。タッチの暗いこの絵は、ホルバインの作風というか、当時の「北方ルネサンス」の画とともに同時の日本の時代背景なども表現したのだろうか。
恐らく、これらの二点の作品は、多分大原美術館(現地です(笑)。)で見たことがある。が、当時の私は、近代日本の重文指定作品は、あまり意識をしていなかった。やっと鑑賞できました(笑)。
また、中村ツネの「骸骨と自画像」もあった。とても、やせている。グレコの絵を思わせる。 またはムンクか。
死期が近い、というか、確信しているような青ざめた絵だ。背景も青い。骸骨を持つ姿は 確実な死を暗示ではなく はっきりと示している。結核とは恐ろしい。別の絵で見たあのふくよかな、画家の姿ではない。衝撃的だ。
重文作品とは、反対の壁には、藤田嗣治の大きな絵がある。女の姿の絵。白いやや、グレーっぽい裸婦の絵。
その左には、佐伯の絵が一点だけある。「Verdan」の文字が飛び出そうだ。当時は第一次大戦の後、激戦地の名前は特別な意味を持ったのか?。
最後に売店で絵ハガキを二枚買った。その売店のレジの傍らに撮影可能の表示のあるパネルがあった。
↓ 「麗子立像」のバネル。
↓ 撮影可の「又吉パネル」
↓ 撮影可の「又吉パネル」と「麗子立像」のバネル。隣はレジでした。
入口付近、乃木坂駅に下りる途中に撮影。会期終了近くなのであろうか、「大原美術館展」のバネルは無かった。残念・・・・。
美術館の下の道路付近。桜の花が咲いている。木々の向こうは青山霊園だ。
毎年のことながら桜が咲くと晴天は少ない・・・。「花曇り」だ。
りょうげつ