(2015年10月11日) 平成27年秋 大徳寺曝涼展 見学1
本坊(方丈)を出て、今度は同じ大徳寺の境内地にある塔頭の高桐院の曝涼展に向かう。
↓ 高桐院(こうとういん)の門の内側から。壁の向こう側が、境内内の砂利道の通路。
大徳寺の敷地内を歩く。「近衛家墓所」の前を過ぎる。以前、芳春院の見学記事にも書いたが、戦前の元首相・近衛文麿の墓もここにある。近代日本で活躍した、古代から続く稀代の名門貴族出の名宰相か、近代日本の敗戦、亡国の契機を造った愚宰相か、評価はかなり分かれるだろう・・・・・・・。
高桐院は、言うまでも無く、江戸時代の大名、細川家の菩提所。文麿は、現代の細川家当主のご先祖でもあるし、密接な関係にある。
↓ 高桐院に向かう途中、少し先に歩いて、「龍翔寺」の前で。「専門道場」とあるので、特に拝観寺院ではなく、修行道場として使用されているよう。研修施設みたいな場所かな。
↓ 高桐院の敷地の周囲の竹垣。昔からそうだが、この一角だけ竹に囲まれている。深い緑の奥に高桐院があるイメージ。
↓ 高桐院の敷地の角地にある石碑。南の道路方向に向けて、搭頭の並び順番に院名が刻まれている。
大光院が、一番南、現在でいう自動車道路に近い場所にある。
門を入り、更に、曲がった先に延びる通路。このアングルは、京都でも非常に有名だ。通路で撮影待ちの人もいる。カメラを構えている人が多数。
私もここに入るのは、10年ぶりだ。
昨年の秋にも、この前の通路を通った(入場せず)が、紅葉の一番美しい時期であった。あのときは、撮影の人が門の外まであふれて、たくさんいた。
この日は、10月の上旬なので、紅葉には、かなり早い。まだ緑色の苔と木々の緑の葉。「晩夏」の如く緑色だ。
曲がった先にある門。外の門から、ここまで二回、直角に曲がり、石畳を歩く必要がある。
10年ぶりなので、すっかり忘れていた。
石畳の道を振り返る。数名カメラを構えている。両側の苔の緑が映える。
誰も歩いていない状況で撮影するのは、曝涼展が開催されるこの日ではほぼ不可能だ。
入り口までやって来た。券を売るのは、1人のみ・・・・。販売窓口が小さい・・・・。女の子が一人で対応している。狭い玄関、靴を脱いで上がるのだが、下駄箱の脇に、数名の列が出来ている。朱印を依頼する人もいる・・・。その人達には名前を聞いて、帳面を預かっている。朱印帳を預かるのに、時間がかかるし、また、ワタシの前のカップルは、お茶券はあとで払うことが出来るのか、今だけなのか、とくどくど窓口の女の子に聞いたりして、なかなか列が進まない。要は、今買わずに、あとで気が変わったら、お茶券を買うことができるのか、と聞きたいのだ。結局、女が「じゃ、今ここでお茶もお支払します」と・・・・。「お支払い・・・」といかにも勿体ぶった言い方・・・。ワタシの頭に残って、今でも離れない・・・・。お茶なぞ、ナンボでもええやんけ、はよ男が払えや、男見せ~や、後ろの人の列のこと考え~や(間違っている京都弁)、とは言えまへんな~(笑)。
↓ あとから、庭におりて撮影した、入口付近の様子。
左に茶室などがある書院。右の廊下を伝うと本堂がある。解説のパンフには「客殿」とある。
書院の展示室の縁側。茶室に続いている。
縁側から見た、お庭の様子。
私のうろしには 黒いリクスとパンツを
はいた小柄なショートヘアの女の子。まじめそうな感じ。先に 方丈にもいた。
朱印を預けていたよう。
待っている間 玄関をふと見ると 永青文庫の起請文の世界のポスターが
すでに終了しています。
若い子がお盆で
お茶を運んだり、とあたあたしている。
看視の座布団に座ったり、立ったりと。
先に 茶室から見てしまった。探幽かの図や指定のない図画を一室で見る。
続いて 書院になっている。 更に進むと 別の茶室。 利休の茶室のような古いもの。黒い壁が印象的。
暗くてよく見えないが、忠興が作ったものか。
庭から見た書院。
↓ 書院の展示室の様子。