2015年12月6日 博物館明治村 西園寺公望別邸「坐魚荘」 見学2 

 追記: 平成28年10月、ここ愛知県犬山市の明治村に移築されている 西園寺公望別邸「坐魚荘」は、国の重要文化財に指定されることが答申された。
 (追記終わり。)

  「西園寺公望別邸 坐魚荘」では、ガイド付きの説明ツアーがある。(基本はガイドツアーでの見学のようだ。要確認。私が行ったときは、自由見学ではなかった。)
 一階に続いて、二階へ。比較的広い階段を昇る。
 写真撮影の可否は、聞かなかったが、説明を聞いている見学者は誰も写真撮影をしていない。よって、私も撮影を差し控えた。 そのため内部の写真は一切無い・・・・・。
 
 
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 二階には、傾斜のある板張りの階段を昇る。そして、二階部分の説明を聞く。
 「廊下はうぐいす張りの板。密談をしていて客人がきたときにわかるように。音が鳴る廊下にした。床の間の小窓から玄関が見えるようになっている。」
 確かに、キイキイというか、音が鳴る。床の間にいても、玄関の入口が見下ろせるようになっている。来客があって、床の間を背に、主人の公望公が面談していたとする。話をしながら、視線をふっとそらすと、入口が見え、不審者の接近を確認できるのだ。
 
 「(南面の)ガラス戸のガラスは外国製「VITA」とメーカーの文字が入っている。」ここは広い板の間の日当りよい部屋だ。二階の座敷だ。二間、大きな部屋がつながっている感じの間取り。
 窓は大きくて、とても光が入る。明るい部屋だ。冬は温室のようだったであろう。

 二階の部屋の床の間に昔の坐魚荘の写真がある。白黒の写真なのだが、見ると、かつてこの別邸は海のすぐ近くに建っている。
 母屋の建物の前は、段差の下が海というか、舟着き場だ。舟が浮いている。石組みの桟橋のすぐ近くに、今私らが見学している、この建物があるのだ。庭もあまりなく、目の前がすぐに渚なのだ・・・・・。「庭も移築された・・・・」という説明であったが、庭の幅は狭い。かなり、海に近い・・・。
 塩害も実際はすごかったのでは??。台風のときは、さぞ強風で波浪に打ちつけられたであろう。

 二階の広い居室のとなりは納戸になっている。現在の住宅でいう、ウォークインクローゼット。普通の住宅ならば、居室として使用できるくらいの広さだ??。

 ↓ 二階の部分。ガラス窓が大きい。ガラス窓の内側には、畳しきの廊下と障子がある。


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 階段には、手すりがついているが、比較的傾斜はゆるやかだ。再び一階へ階段を伝って、戻る。(先程見た)洋室の奥には脱衣所がある。脱衣所は畳をしていいる。ふろとの間には、段差がある。歳をとるとつまづかなかったのかな?。風呂の出口には木の板。刻みこんで洗濯板のようにしている。
スペルことを防止するためだ。細かい所に工夫がありました(笑)。

 浴室はコンクリ床で、「すのこ」を敷いている。なんと、風呂から外に出るともできる。襲撃に備えての造りだ。
浴槽は木。小さい。一人で入るためのものだそう。浴室には呼び出しのベルがあり、女中部屋に通じているそう。入浴中に倒れる危険性というより、入浴の油断しているスキに襲われる危険に備えた設備だろう。
  
 廊下を歩いて移動する。すると、先程入った所ではない、別の玄関と勝手口がある。台所だ。
 現代でいう、アイランドキッチン台もある。アルミの流しシンクとかまどが三つある。ちょうど、腰の高さであり、システムキッチンのようだ。

 「換気用に上の細長い窓が前後に開くようになっている。あまり調理はせず、料亭などから仕出しをとっていたことが多かった・・・・。」そうだ。

 勝手口は広い。外には井戸もある。その、隣が一般用の玄関。説明を開始した玄関は大切な客人の玄関だそう。つねに、警官も二人いたそうだ。
 ↓ 井戸と 勝手口、一般用玄関。 この内側の奥、井戸に近いところに、台所があった。

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 20分ちかく、予定時間めいいっぱいまで説明があった。説明を開始した「客人用玄関」に戻り、ガイト゛ツアーは終了した。

 住んでいた当時、西園寺は、かなり、刺客というか暴漢というか、身の周辺を警戒をしていたようだ。政治家とは気の静まることのにいものなのか。が、彼自身が政治家になったのは、名門公家の家柄に生まれたための宿命だったのかもしれない。
 でも昔の政治家は、大変だ。いつ殺されるか分からないし。実際、政治家の暗殺は。明治以降も断続的に発生しているし。


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 ガイドツアーが終了、玄関で靴を履いて、そのまま庭に出た。