良月(りょうげつ)の たび日記

神奈川県 湘南地区在住。折口良月(おりぐち りょうげつ)の神奈川、東京、静岡、山梨、長野など関東近郊地域への行楽、外出。美術館、博物館めぐり。その他国内旅行などお出かけの記録。

2016年10月

 

明治村 見学 聖ヨハネ教会堂(重要文化財) 1 

 2015年12月6日。 (明治村 見学)

  博物館「明治村」の見学も終盤となった。正門に近い「一丁目」を散策する。ただし、急ぎ足で(笑)。


  正門の近くにある「近衛局本部附属舎」の前を通り、林の中の歩道を丘の上に歩く。と、視線の先に先頭が尖ったレンガ造りりの赤茶色の建築物がある。明治村の移築建築物の中でも「旧三重県庁舎」や「旧東山梨郡役所」と並んで有名な建物、「聖ヨハネ教会堂」だ。
 これらの建築物は、すでに書いたがいずれも国指定の重要文化財だ。

 ↓ 正面から教会堂を見上げる。


IMG_3155
IMG_3156

↑ 教会堂の下の部分。

アーチの曲線と塔の上の屋根などの三角形、そして上に伸びる直線を組み合わせている設計だ。

↓ 正門からここに至る歩道の脇から。
右の出っ張った三角屋根の建物部分が、内陣の十字の端だ。


IMG_3176

正面横から。塔は、望楼のようになっていて、八面の塔。八面塔の正面の壁には、もれなく縦長のアーチ窓がついている。採光を意識している。

IMG_3177

 玄関を入る。靴を脱いで、上がる。出入りする人で混雑している。内部の一階は、子供の遊び場になっている。
 階段を二階の昇る。玄関の両脇に二か所、階段が設置されている。

 塔の内側は、階段のようだ。内部の壁にも装飾がある。ランプを乗せる第のようなものが設置されている。芸術性と実用性を兼ね備えているように感じた。

IMG_3158

内部の一階は、子供の遊び場になっている。 ↓
天井は改築されている。昔は、木造のしっくいの天井だったのでは?。
説明によると一階は元々、日曜学校ゆ幼稚園として使用されたそう。
道理で。現在では子供の遊び場になって、子供の歓声が響いている訳だ。
今から100年前も子供の歓声はここ一階で響いていたのだろうか。


IMG_3174

 玄関の近くに文化財の指定書があった。
 「旧日本聖公会京都聖約幹?教会堂」が正式名称だった。プロテスタントの教会。
 京都の河原町通りの五條教会だったとある。すると、現在の国道一号線と鴨川近くの道路の交差点の近くのどこかにあった筈だ。

IMG_3175

階段を昇る。一階の玄関の様子。

IMG_3159

八面塔の内部は階段だった。
正面の三角屋根の支柱が、内部を斜めに貫いている。
窓がいづれの壁面についているので、、階段が非常に明るい。
アーチ窓の木枠も装飾が施されている。

IMG_3160

壁面のステンドグラス。
カトリックの教会堂と比較して、シンプルな造りだ。カラフルでは無い。実用重視のようなステンドグラス。

IMG_3161

階段を昇ると、二階が礼拝堂になっていた。

IMG_3162


明治村 見学 旧近衛局本部附属舎、三重県尋常師範学校・蔵持小学校

 2015年12月6日。 (明治村 見学)

  博物館「明治村」。見学時間も無くなってきた。御料車を見て、急ぎ足で、正門の方向へ坂を登る。
  正門の前を通過、正門広場付近のにある建物を見る。
  午後2時になった。明治村の後は、名古屋市内の徳川美術館に移動する予定。ここから、一時間弱はみておきたいので、午後2時半過ぎには出発する予定。徳川美術館には、午後3時半には到着して、閉館の5時までいる予定にしている。
 明治村に入園して4時間近くが経過したが、ゆっくり見れていない・・・。じっくり見るととても1日では観きれない・・・・。

 左が、近衛局本部附属舎、右が三重県尋常師範学校・蔵持小学校。
  ともに時間が無い関係で、ざっと外観を見たのみで、丘を登って、次の建物へ移動した。


IMG_3154


 近衛局本部附属舎・・・天皇を守護する部隊の建物。のちに近衛師団と改称。更に司令部は別の場所に移動したので、のちに皇宮警察が使用したと説明にある。戦後の時代まで使用されていたそう。
 移転後の近衛師団司令部の建物は、現在の東京国立近代美術館工芸館ですね。

三重県尋常師範学校・蔵持小学校
 ・・・明治村に移築されていて、ここの近くにある「三重県庁舎」と間違えてしまうくらい似ている。
   こちらは学校。のちに、蔵持小学校として移築、使用されたと説明ある。


 ↓ 園の外、道路沿いから見た三重県尋常師範学校の建物。一階部分の裏にもテラスがあり、教室間、二階と一階を行き来することができる造り。
 よく、生意気言って、校舎の裏、人目のつかない所に呼び出しされて上級生にボコられるのも校舎裏のこういう所なのですかね??。(ソレって、オレのこと!!??)

IMG_3208


  ↓ 園の外、道路沿いから見た旧近衛局本部附属舎と思われる建物。
   瓦屋根の平屋、シンプルなしっくいの壁。裏から見ただけでは、何の建物かは分からない・・。

IMG_3210


  ↓ (既出) 正門方向へ戻る園内バス。写真には、写っていないが、右に「旧三重県庁舎」がある。
 

IMG_3147




明治村 見学 旧安田銀行、明治体験処ハイカラ衣装館

 2015年12月6日 (明治村 見学)

  博物館「明治村」

 武術道場「無声堂」を見た後、坂道を登って、再び下り、先程歩いてきた場所に戻って来た。
 電車(京都市電)の踏切と、交番があるとこだ。本物の昔の巡査は「オイ、コラ」と「泣く子もだ黙る」怖い存在だったが、ここの巡査サンはとても親切です(笑)。
 踏切の前を歩いていると、先程乗車したのだが、ちょうど電車がやって来ていた。運転本数はさほど多くなとので、ラッキーだ。
 踏切を渡って、二丁目、明治村「メイン」の通りへ歩く。


IMG_3141


 先程、内部を見学した、札幌電話交換局(重要文化財)の重厚な石造りの建物の奥、緩やかな坂道の上の方向に旧安田銀行の支店の建物がある。先程は、内部に入らなかったので、入って見る。
 ここは「明治体験処ハイカラ衣装館」の看板が出ていて、他の施設とは違う。「貸し衣装屋さん」である。
現代の言葉でいうと「コスプレハウス」であろうか?(笑)。
 さて、コスプレ貸衣装の料金は、一回、一人800円。貸出時間は、五分のみ・・・。短い。着付けの方に時間がかかってしまうのではないか?。道理で、この付近にだけしか、コスプレの人がいない訳だ。ある程度貸し出し時間が長いのならば、衣装で園内を闊歩しているのだろうか、それが全然ない理由が解かった。
 ここコスプレハウス本館(笑)の周囲で写真を取っていて、園内、周辺を散策できない訳だ。
 あっ、貸衣装を着ている人は、ほとんど、女の子数名のグループ。男はあまり、(コスプレに)乗り気ではないのかな?。

 ↓ 旧安田銀行の会津支店ここに移築している。
雪国の建物らしく、重厚な古民家のような、がっしりとした瓦屋根の建物。
文化財指定は受けていないようだ。登録有形文化財の指定も無い。

 建物の内部には、かつての銀行のカウンターがある。カウンターでは、係員が受付けをしている。奥で着替えて、外(明治村二丁目通り=明治村での正式名称「レンガ通り」)に繰り出すのだ。
 カウンターの内部には、所狭しと貸し衣装が並んでいる。「着付け」と「お戻り」と「のぼり」が立っている。デイススプレスの衣装は、女学生用の赤い模様の絣と緋色/の袴。明治の時代を彷彿とさせる衣装だ(笑)。隣のフリフリ衣装は、明治時代からあった?。メイドさんの衣装なのか?。フリフリ、ピンクの衣装を着て「いらっしゃいませ、ご主人様?」と言うのかな?(笑)。
 

IMG_3142


  天井を見る。高い。銀行建築というのだろうか、外見は日本家屋のようだが、内部は、天井が高く広く、採光が配慮されている。
 電灯が装飾された天井から一本吊り下がっている。窓側には、中二階の通路がある。一階の執務ホールを見下ろすことが出来るようになっていた。

IMG_3144


↓ 写真左の建物より、東松家住宅(重要文化財)、次いで京都中井酒造、
  その奥のやや赤い三角屋根が「旧安田銀行会津支店」、一番右の壁だけ写っている建物は
  札幌電話交換局(重要文化財)。

IMG_3145


 
 上の写真のアングルは、明治、大正時代を舞台とするドラマなどでも、よく写る風景だ。
貸衣装を着た女の子が散歩している風景を見ることができる。写真には写っていないかな・・・(笑)。

 余談ではあるが、私は仕事の関係で、安田銀行の創立者の子孫の一人とお会いしたことがある。
神奈川の大磯には、安田家の旧別荘が保存されている。都内にも「旧安田〇〇邸」として保存されている邸宅もあると聞く。安田は戦前の大財閥であった。つまり、その方は旧財閥の創業者の末裔なのであった。しかし、その方は、安田系の企業では無い全く別の所に勤務しておられた。

2016年8月の総合文化展 熱田神宮所蔵 国宝「短刀 来國俊」などの鑑賞 東京国立博物館

 2016年8月 総合文化展 鑑賞 東京国立博物館

 暑いさなか、東京国立博物館にやってきた。
 この日の気温は、最高32度くらいかな?。晴天の暑いというよりも熱い日だった。
 アンテナシヨップを巡って、食事もして日銀の貨幣資料館を見て上野に一人移動した。
 これらの記事は後日とする。
 上野公園内では4年後に迫った東京オリンピック関連のイベントを開催していた。この炎天下でご苦労様である。ステージではチアリーディングの大学生がデモンストレーションを行っていた。

 「刀剣女子」がブームになって久しい。以前よりもブームは収まったとおもわれるが、それを反映してか展示室内には以前よりも見学者は少なかった。しかし「ただ暑いだけ」なので見にきていないだけかも・・・・

 1階の刀剣展示室では熱田神宮所蔵の 国宝「短刀 来國俊」の展示があった。
  「銘 来國俊」 確かに「来國俊」と銘がある。はっきりと読むことが出来る。
 
DSC08508


 
DSC08507

 刀剣展示室では国宝の展示は1点か2点程度と思う。珍しいことに、東京国立博物館所蔵以外の展示品で画像撮影可能であった。
 熱田神宮所蔵 国宝「短刀 来國俊」は「大神社展」で展示があったかな?。あのときは、ワン・ノブ・ゼムの展示で数ある展示品の中で目立たなかったので、「へー、熱田神宮に短刀の国宝があるのか。」と感じた程度だった。
 昨年、2015年の12月に熱田神宮に行ったのであるが、夕方日没後の遅い時間帯の訪問だったので、熱田神宮の宝物館は閉まっていた。熱田神宮のウェブサイトを見ても同館でも展示は確認できなかったので、現地でも展示される機会は限られているようだ。文化庁のサイトによると、2016年現在熱田神宮の所蔵国宝はこの短刀1件のみ。すると熱田神宮の国宝を2回も鑑賞したので、「国宝」のみをメインに考えるのならば熱田神宮宝物館に行く必要は無くなってしまったかも・・・。少し残念。しかも、東京で画像撮影までできたし。

 15時15分くらいに平成館に行く。特別展の入場前に映像コーナーで特別展の紹介映像を視聴。映像はは35分あるので、結構長い。

DSC08510

もう一点の国宝は「太刀 長船影光」であった。
肥前の太刀である。岡山に住んでいたことがあるのに、備前の太刀は岡山で全く見たことが無いのだよ・・・・。
多数の備前の刀が国宝などの文化財に指定されているのに。
余談であるが、備前焼についても全く無関心であった。

DSC08509

 拡大。密教の法具のような刻みがある。不動明王の剣のようにも見える。鎌倉時代までは密教の影響が大きかったのだろう。
 解説によると「倶利伽羅 龍」だそう。「小龍影光」の由来となっているそう。

DSC08512


 展示室内 刀剣の附属品の平ガラスケース。壁沿いに刀、短刀などの展示がある。

DSC08511


 展示室の合間、不思議な画像がモニターに映っていた。

DSC08513

博物館明治村 旧名古屋衛戍病院 見学 

 2015年12月6日 博物館明治村 旧名古屋衛戍病院 見学 

  博物館「明治村」を見学中。

 旧歩兵第六連隊の兵舎を出る。木造の簡素な建物であるが、その隣に兵舎と似ている(本当は似ていないかも知れないが・・・。)外観の名古屋衛戍病院の建物がある。兵舎は二階建てだが、病院の建物は、平屋のシンプルな建物だ。
 実際にも、かつて名古屋城内にあった旧歩兵第六連隊の近くかお城のお堀ばたの近隣にあったのだろう。

 ↓ 衛戍病院の建物入口。

IMG_3126


 渡り廊下で、管理棟と病棟がつながっている。かつては、六棟の病棟があったが、移築保存されているのは、一棟のみのそうだ。管理棟から、南面に六つの病棟が渡り廊下で繋がり、集中管理できるようになっていたのだろう。





IMG_3129


 管理棟の内部は、展示室になっている。「衛生博覧会」となっている。昔の医療器具などの展示がある。
 当時の薬や医師などの写真、薬などの看板なども展示があったと記憶する・・・。


IMG_3127

 室内にあった「文化財指定書」。国の登録有形文化財ではなく、愛知県指定の有形文化財に指定されている。
管理棟と病棟、もうひとつ指定されている。

IMG_3128


 渡り廊下を歩いて、病棟へ。病棟は、内部が明るい。病室なで採光に工夫がされている。
 室内は昔の医療機器の展示があった。国産のレントゲン装置も製作されていたそうだ。

 ↓ 医療用X線装置の「ダイアナ号」。1925年のものだが、実際には、それ以前に国産のX線装置が製造されていたそう。高電圧の伝記をこの金属に通すのであろう。 

IMG_3130

 ↓ 昔のX線装置。「X-Ray」と装置の木枠の所に書いてある。
   電圧計のようなものが付いている。

IMG_3131

 ↓ 当時の病室の換気の説明。
  天井に格子をもうけ、換気をしやすい構造になっていたそう。新鮮な空気を入れていたことが分かる。
 上の写真の病棟の瓦屋根の上にも、煙突のような、小さい屋根がついている。換気口だったのだ。
 当時の最大の軍事衛生学上の課題は外科手術ではなく「結核」の撲滅だったはず。結核菌などの蔓延を防ぐためにも換気に配慮したのではないだろうか。

 たとえば、お隣に保存されている連隊の兵舎では100人以上の兵士が起居して、兵営生活を送っていた。結核患者が発生し、他の兵士に集団感染していたら・・・・、いざ有事のとき軍隊として行動できない・・・。入院患者は隔離し、衛生的な病室で療養させる必要があったのだ。
 が、当時でも衛戍病院の一般の病棟に結核患者を入院させたかは、疑問だ。この病棟は「当時の外科病室」だったとも書いてあるし・・・・・。
 明治初期の軍事医療のもうひとつの課題「脚気」についてはどのような対策をしていたのだろうか・・・。

IMG_3132

 衛戍病院の建物を見た後、隣の赤十字病院の建物の脇を通り、階段を下る。

 ↓ 振り返ると、兵舎と赤十字病院の建物が見える。
  上が旧歩兵第六連隊の兵舎、その手前が旧赤十字病院の建物、赤十字病院は時間が無いので、見学を割愛した。衛戍病院よりも南面のガラス窓が大きく、明るい感じ。軍隊の病院との違いかな・・・。


IMG_3140


博物館明治村 旧歩兵第六連隊兵舎 見学2

 2015年12月6日 博物館明治村 旧歩兵第六連隊兵舎 見学2

  かつて名古屋に駐屯していた旧歩兵第六連隊の兵舎。現在の名古屋城、二の丸の跡に衛戍地があった。第三師団司令部、他にも騎兵、工兵などの部隊なども旧名古屋城の二の丸から三の丸の地域に駐屯をしていたようだ。名古屋衛戍病院もあった。
 旭川では第七師団であった。名古屋には第三師団とその隷下の部隊が駐屯していた。

 ここ明治村での移築兵舎では、兵隊サン達が起居して部屋の様子などの再現がされている。等間隔でベッドが並ぶ。机のようなベッドだ、柵が無い。本当に使用していたのであろうか?。寝返りをうつと、落っこちでしまうくらいだ。私だったら、すぐに落っこちてしまう。「ううっ」と痛がっている間に、古参兵がやってきて、廊下に連れ出されて往復ビンタかな(苦笑)。いや、鉄拳制裁か・・・・。イヤだな~・・・・・。


IMG_3115


 もう一方の端の部屋は、展示室とかつての兵が起居した部屋の再現。
 ガラスケースに展示がある。従軍記章で、つまり日清戦争と日露戦争に従軍した人の記章だ。ちょうど、十年間隔で明治の二大戦役を行っていたことが分かる。鴎外・森林太郎も両戦役に従軍しているので、当然持っていただろう。確か、この夏に行った津和野の鴎外記念館でも展示があった?。

IMG_3113

 ↓ 辞令の展示。ここ歩兵第六連隊に配属された「計官」の辞令。階級は「陸軍二等軍吏」とあるので、経理将校であろう。
 「兵卒応用歩兵野外要務」は漢字の羅列であるが、読んで字の如く、歩兵の野外で応用できる戦闘の方法の指南書というか、現代でいうマニュアルであったのだろう。兵隊さんの教科書であろうか。
 徴兵されて入営した兵隊が、こうした「要務」などを理解するには、学校教育が重要であった筈だ。教育を受けて、「読み書き」が出来ないと、兵士として役に立たないことも意味する。

IMG_3114

 「酒保」の説明。現在では死語かも知れないが、日本に駐留する米軍の売店、PXを日本語で「酒保」と言うことがあるかも・・・・。神奈川県では、米軍の基地が多いので、基地の開放デーで、酒保の米軍版、PXを利用したことがある人も少なからずいるだろう。軍事郵便の展示も。 ↓

IMG_3116

 ↓ 兵隊の部屋の再現。隣には、当時の銃の展示も。

IMG_3117


 近衛兵、少佐と少将の第一種軍装の展示。つまり、礼服であろう。パッと見ただけでは、区別がつきにくいが、少将は、金のモールが大きい。ズボンにも赤い線が入っている。帽子の白い羽というか、フサフサも大きいし・・・。


IMG_3120

 食事の再現も展示されている。朝は、ごはんと漬物くらいで簡素だ。夕方は、カツレツもある。「高カロリーでバランスは重視されていない。」と説明にある。
 また「しかし、パンと洋食を取り入れた海軍に比べると脚気の発生率が高く・・・・。」つまり「患者が多かった。」とある。現在では、白米の摂取によるビタミンB1(だったかな・・・)の不足と知られているが、当時は知られていなかった・・・・か。

 と、小柄なふっくらした女の子二人組が展示を見学している。会話「これ、警察みたいな??」と軍服を見る。「近衛兵」の表示については「きんえいへい?。何やってたんだろうね。」と会話。

 ↓ 小銃が壁を仕切る、柵のように展示されていた。「三八式」であったかは、知らない。

IMG_3119

 彼女たちは食べ物の模型の展示を見て「じゃあ 朝は何を食べていたのかなーー。」のように、廊下にでた後も軽い感じで話をして、移動して行った。彼女たちの会話でも「自衛隊みたいだね。」という言葉すらもでてきませんでした・・・・。ああ、平和だな~。「明治は遠くになりにけり・・・・」だ。

 ↓ 昼食の模型。 第六連隊ではなく、東京にあった第一連隊(現在のミッドタウンがかつての衛戍地。)の第九中隊の明治33年6月の食事。梅雨の時期だ。
  時代としては、日清戦争の後、日露戦争の前、西暦でいうと、ちょうど1900年だ。

IMG_3121

 ごはんとカツは、現代の食事とほぼ同じだろう。が、野菜が極端に少ないし、副菜のマメの意味が・・・・?。
 われらが、誇る日本の「ミソフスープ」、味噌汁は無かったのかな?。

 ↓ 夕食。
 味噌汁が登場。中身は、ニンジンだけのようだ・・・・。豆腐が無い・・・。
 主食の白米も無いようだ・・・。煮たのだうろか、大根とジャガイモ(馬鈴薯)。
 

IMG_3122

 現代の私達の感覚からすると、絶句してしまうような食事の内容。本当にこれで、戦争に勝てる兵隊を育成で来たのだろうかと心配になってしまった。(今さら心配しても仕方無いが・・・・。)
 森鴎外が当時の軍医として大変有名であるが、軍医部では栄養学の観点から兵隊の食事の研究を本当にしていたのだろうか?。

 ↓ 廊下の様子と二階への階段。


IMG_3124


 ↓ 二階は、昔ながらのレトロな雰囲気が漂う、射的場などの遊戯場があった。「お祭り気分」になれる。
   今、旧歩兵第六連隊の兵舎は、ホントに平和です。


IMG_3125

 旧兵舎の二階の大部分は「暗夜回廊」という、体験コーナーになっていて、別料金で暗闇の中の迷路を進む体験ができるようになっている。志賀直哉の長編「暗夜行路」をもじったものに違いない(笑)。
 平和のありがたさをかみしめている。




博物館明治村 旧歩兵第六連隊兵舎 見学1

 2015年12月6日 

  博物館明治村 旧歩兵第六連隊兵舎 見学1

 旧宇治山田郵便局、かつての鉄道の工場「鉄道寮新橋工場」「機械館」を見学、急な階段を昇ると、旧歩兵第六連隊の兵舎の前に出る。

 木造の簡素な建物。兵舎なので、豪華なレンガ造であろうはずが無い。しっくい?で壁を塗っているようだが、極めて、シンプルで実用的な建物だ。
 登録有形文化財 指定。


IMG_3103

 ↓ 説明板。元々細長い兵舎を切り詰めて、ここに移築している。

IMG_3102

 説明によると「歩兵第六連隊は、名古屋に置かれていた・・・・。名古屋城跡に兵営が設置され、営庭を取り囲むように設置された。明治村へ移築されたのは第10中隊で、兵営は約7割程度に切り縮められた。」とある。
 昔行ったことのある名古屋城は広い砂利の広場のような所もあったと記憶する。明治以降、昭和戦前期は、軍隊が置かれていたのだった・・・。取り壊しされた跡地が、現在は名古屋城の天守閣のある本丸手前の公園のような一角なのだろう。体育館もあったかな。テレビでも映ることがあるが。

  営庭の様子と取り囲む兵舎の敷地図面も解説板に掲載されている。兵舎の配置平面図を見ると現在の本丸の南東、どうやら、かつての名古屋城二の丸庭園の南に位置していたようだ。庭園のような地図表示が営庭の北(平面図の上)にあるので。

 東京にある旧第三連隊の兵舎跡は見たことがある。つまり、国立新美術館の敷地内に保存されている。解説の写真や模型が、旧兵舎の一部を利用した「別館」に展示されている。(平日の開館日の開場)

 ここ明治村での移築兵舎では、兵隊サン達が起居して部屋の様子などの再現がされている。説明によると下士官と中隊長室は本来は二階だが、一階で再現されているそうだ。
 旧兵舎の二階部分は、射的の遊び場と長い廊下の先の部分はまっくらにして、暗室の体験場だった。別料金で遊ぶことが出来るようになっている。昔の兵隊さんもびっくりだ(笑)。 

 ↓ 「歩兵第六連隊兵舎」の看板。(現在字体で表示)。明治六年の建築と古い。
   本当に軍隊の草創期に建築された建物。
  今ではオリジナル「プリントシールマシン」が置かれ、すっかりアミーズメント場に(笑)。平和っていいな~。

IMG_3104

 ↓ 各部屋の解説。 中隊長の部屋は、本来、二階にあった。偉い人は二階に陣取るということか。
 下士官室のいる事務室も二階にあり、上から兵隊達にニラミを聞かせていたということか・・・・。


IMG_3107


↓ 中隊の事務室の様子。下士官が行ったことが分かる。
軍隊らしく軍刀置き場がある。

IMG_3110

 奥が特務曹長の席。どーんと中央にデスクを構えている。両脇には、曹長サンがいる。更に
 軍曹が二名か三名配置されている。「鬼軍曹」の由来ですね(笑)。
 当番兵のイスと机も。下士官連に囲まれ、何か気の毒な感じが・・・・・(笑)。

IMG_3111

  ↓ 廊下。端はおみやげ物屋さん。ああ、平和だ。ほっとするな~(笑)。
   隣には、「中隊長室」の標識。この兵舎のドンのお部屋です。

IMG_3109

 通常、中隊長は大尉だった。その下に中尉と少尉が数名配属され、中隊の将校として勤務していた。兵隊の訓練、指揮に当たったのだろう。
 その下には、特務曹長以下の下士官が配置され、中隊の事務室で実務を担ったのだろう。普段、兵隊を鍛えるのは、下士官の役目なのかな。怖いな~・・・。

 明治時代の日清、日露戦争の期間を除く、普段の軍隊の兵舎生活では、中隊長の大尉は基本的に士官学校を卒業していわゆる「職業軍人」として任官し、少尉から中尉、大尉と昇進して、就任していたのだ。

IMG_3108



 ↓ 兵舎内の部屋の再現の様子。見習士官の部屋だったと思う・・・。
  机がちゃんとあり、ベッドが二個ある2人部屋。

IMG_3112

↓ 兵舎一階の廊下の様子。見習士官の部屋の表示。
  廊下の突き当りの部屋は、おみやげ物売り場。

IMG_3123



 ↓ (既出) 旧兵舎前からの眺望。谷を挟んで、旧宇治山田郵便局が見える。

IMG_3105










続きを読む

博物館明治村 西園寺公望別邸「坐魚荘」 見学3(外観、庭園)

 2015年12月6日 博物館明治村 西園寺公望別邸「坐魚荘」 見学3(外観、庭園)

 追記: 平成28年10月、ここ愛知県犬山市の明治村に移築されている 西園寺公望別邸「坐魚荘」は、国の重要文化財に指定されることが答申された。
 (追記終わり。)

  「西園寺公望別邸 坐魚荘」では、ガイド付きの説明ツアーがあった。(基本はガイドツアーでの見学のようだ。要確認。私が行ったときは、自由見学ではなかった。)
 ガイドツアーが終了後、玄関で靴を履いて、そのまま庭に出て、改めて別邸を庭など外から眺める。

DSC05830


 入鹿池の眺望も良い。実際は、邸宅の内部に掲示されていた写真にあったように、海のすぐそばにあり、庭はかなり狭かった、もしくは、海に面していて、庭と海の砂浜、渚は一体となっていたのではないかな。

 数寄屋造りの壁。木で葺いている壁というのだろうか。
 障子窓がある。先程見た、二階の床の間の脇についている、小窓。公望が出入りする人を二階から確認できるようにした窓だ。
 怪しい人が来客を装って来たときは、すぐに逃げることが出来るようにしていたのであろう。


DSC05827

DSC05823

 興津から移築されたという、庭。
 かつて、庭の先は、すぎに海で、舟も繋留されていた。



DSC05824

 入口と母屋の様子の外観。
 近くの丘から撮影した。

DSC05812

 近くの丘から見た 入鹿池の眺望。
 ちょうど、紅葉の時期であった。坐魚荘の二階からは池の眺望がすばらしい。
 (二階での撮影はしなかった。)

DSC05814


 次の建築物に移動した。












博物館明治村 西園寺公望別邸「坐魚荘」 見学2 

 2015年12月6日 博物館明治村 西園寺公望別邸「坐魚荘」 見学2 

 追記: 平成28年10月、ここ愛知県犬山市の明治村に移築されている 西園寺公望別邸「坐魚荘」は、国の重要文化財に指定されることが答申された。
 (追記終わり。)

  「西園寺公望別邸 坐魚荘」では、ガイド付きの説明ツアーがある。(基本はガイドツアーでの見学のようだ。要確認。私が行ったときは、自由見学ではなかった。)
 一階に続いて、二階へ。比較的広い階段を昇る。
 写真撮影の可否は、聞かなかったが、説明を聞いている見学者は誰も写真撮影をしていない。よって、私も撮影を差し控えた。 そのため内部の写真は一切無い・・・・・。
 
 
DSC05831



 二階には、傾斜のある板張りの階段を昇る。そして、二階部分の説明を聞く。
 「廊下はうぐいす張りの板。密談をしていて客人がきたときにわかるように。音が鳴る廊下にした。床の間の小窓から玄関が見えるようになっている。」
 確かに、キイキイというか、音が鳴る。床の間にいても、玄関の入口が見下ろせるようになっている。来客があって、床の間を背に、主人の公望公が面談していたとする。話をしながら、視線をふっとそらすと、入口が見え、不審者の接近を確認できるのだ。
 
 「(南面の)ガラス戸のガラスは外国製「VITA」とメーカーの文字が入っている。」ここは広い板の間の日当りよい部屋だ。二階の座敷だ。二間、大きな部屋がつながっている感じの間取り。
 窓は大きくて、とても光が入る。明るい部屋だ。冬は温室のようだったであろう。

 二階の部屋の床の間に昔の坐魚荘の写真がある。白黒の写真なのだが、見ると、かつてこの別邸は海のすぐ近くに建っている。
 母屋の建物の前は、段差の下が海というか、舟着き場だ。舟が浮いている。石組みの桟橋のすぐ近くに、今私らが見学している、この建物があるのだ。庭もあまりなく、目の前がすぐに渚なのだ・・・・・。「庭も移築された・・・・」という説明であったが、庭の幅は狭い。かなり、海に近い・・・。
 塩害も実際はすごかったのでは??。台風のときは、さぞ強風で波浪に打ちつけられたであろう。

 二階の広い居室のとなりは納戸になっている。現在の住宅でいう、ウォークインクローゼット。普通の住宅ならば、居室として使用できるくらいの広さだ??。

 ↓ 二階の部分。ガラス窓が大きい。ガラス窓の内側には、畳しきの廊下と障子がある。


DSC05826


 階段には、手すりがついているが、比較的傾斜はゆるやかだ。再び一階へ階段を伝って、戻る。(先程見た)洋室の奥には脱衣所がある。脱衣所は畳をしていいる。ふろとの間には、段差がある。歳をとるとつまづかなかったのかな?。風呂の出口には木の板。刻みこんで洗濯板のようにしている。
スペルことを防止するためだ。細かい所に工夫がありました(笑)。

 浴室はコンクリ床で、「すのこ」を敷いている。なんと、風呂から外に出るともできる。襲撃に備えての造りだ。
浴槽は木。小さい。一人で入るためのものだそう。浴室には呼び出しのベルがあり、女中部屋に通じているそう。入浴中に倒れる危険性というより、入浴の油断しているスキに襲われる危険に備えた設備だろう。
  
 廊下を歩いて移動する。すると、先程入った所ではない、別の玄関と勝手口がある。台所だ。
 現代でいう、アイランドキッチン台もある。アルミの流しシンクとかまどが三つある。ちょうど、腰の高さであり、システムキッチンのようだ。

 「換気用に上の細長い窓が前後に開くようになっている。あまり調理はせず、料亭などから仕出しをとっていたことが多かった・・・・。」そうだ。

 勝手口は広い。外には井戸もある。その、隣が一般用の玄関。説明を開始した玄関は大切な客人の玄関だそう。つねに、警官も二人いたそうだ。
 ↓ 井戸と 勝手口、一般用玄関。 この内側の奥、井戸に近いところに、台所があった。

DSC05829

 20分ちかく、予定時間めいいっぱいまで説明があった。説明を開始した「客人用玄関」に戻り、ガイト゛ツアーは終了した。

 住んでいた当時、西園寺は、かなり、刺客というか暴漢というか、身の周辺を警戒をしていたようだ。政治家とは気の静まることのにいものなのか。が、彼自身が政治家になったのは、名門公家の家柄に生まれたための宿命だったのかもしれない。
 でも昔の政治家は、大変だ。いつ殺されるか分からないし。実際、政治家の暗殺は。明治以降も断続的に発生しているし。


DSC05822

 ガイドツアーが終了、玄関で靴を履いて、そのまま庭に出た。










博物館明治村 西園寺公望別邸「坐魚荘」 見学1 (公望公写真パネルあり)

 2015年12月6日 博物館明治村 西園寺公望別邸「坐魚荘」 見学1 (公望公写真パネルあり)

 北里本館を見学した後、丘を登る。丘の上、入鹿池の見える場所にやってきた。

 「西園寺公望別邸 坐魚荘」がある。  
 
※追記: 平成28年(2016)10月、ここ愛知県犬山市の明治村に移築されている 西園寺公望別邸「坐魚荘」は、国の重要文化財に指定されることが決定しました。私が読んだ新聞によると「指定の答申」がされ、今後正式に指定されるようです。
 (追記終わり。)

 元老、西園寺公望(さいおんじ きんもち)の邸宅。私が明治村にやっ来た目的のひとつは、ここの見学でもある。
 公望は、徳大寺家に生まれ、西園寺家を継ぐ。総理大臣、侯爵(第一次大戦後、ヴェルサイユ講和会議の日本全権代表、のちに公爵)、最後の元老としても知られる。

DSC05817


 坐魚荘は、昭和初期、戦前期にかけての政治の枢要な舞台のひとつにもなった所だ。
 平成時代になってからも、当時西園寺の秘書だった原田熊雄 男爵の著書、「西園寺公と政局」は、大正~昭和戦前期の政治を語る上でよく引用される。

 垣根で囲まれた屋敷の敷地内に入る。そして、玄関に入る。と、数名の人が玄関にいる。時間を決めて、坐魚荘のガイドの説明があるそうだ。玄関で見学者がガイドを待っているのだった。
 玄関の脇にというか、土間のところに公望公の等身大写真パネルがあった。それによると
 身長は169cmと当時としては、高い。体重は60.75kg。「京都府出身」と書いてあるが、お公家さんの出なので当たり前か。
 「西園寺公望のおともだち」の説明パネルが玄関のアガリ口の板の上にある。同じ公家 出身の政治家 近衛文麿の写真である。「私の父 篤麿と政敵と言われていたが・・・・・(近衛が)大学1年生のときに初めて会ってから・・・・・よくしていただいた・・・・・。」という意味の内容が書いてある。
 五摂家筆頭の文麿と公望は、かつての家格では文麿が上。爵位も文麿が当時は上。年齢は、40歳くらい公望が年上ではないか?。近衛との初対面のとき、既に公望は60歳くらい。友人というより、歳の離れた親戚のおじさんという感じではないか。公望、昭和15年没、文麿は僅かその5年後の昭和20年12月没・・・・。

 ガイド開始時刻まで、あと少しで開始の時間だった。上記の公望公の写真パネルやお庭を見て、数分待つ。
 時間になるとガイドの男性がやって来た。先に待っている人は、すでに座敷に上がり座って待っている。狭い玄関は人でいっぱいなった。
 私も、靴を脱いで座敷に上がり、見学ツアーが始まる。

DSC05816

 西園寺公望別邸「坐魚荘」の玄関と右手が母屋

DSC05828


 以下、ガイドの方の説明を抜粋して記す。
 「実は、ここは大正時代の建築。明治村なのに、明治時代の建築では無い。しかし、明治時代から活躍した政治家の別邸で、歴史的建造物なので、ここに移築保存している。数寄屋造りの建物。西園寺公望は京都の公家の出身だったから。」
 えっ、大正時代だったの??としばし絶句(笑)。まあ、ええか(笑)。

 元々建てられていたのは、現在の静岡市清水区(平成の合併前は、清水市)。私は「ああ、年をとってから興津に別邸を建てて、隠棲したのね・・・・・。」と理解。
 明治時代はバリバリに活躍していたのかな?。よって、隠棲する別邸は必要がなかった!!??。
 公望は、昭和15年に91歳くらいで死亡したので、ここを建てたときは、逆算すると年齢が70歳のときくらいだ。一般的には引退して、余生を送る年齢だ。
 しかし、引退、隠遁?、隠棲?はできずに?、戦争が拡大していく昭和の時代の中、昭和15年の秋、死ぬときまで政治の世界で隠然たる存在であったということか・・・・。

 西園寺公望別邸「坐魚荘」の玄関は竹の天井。木の皮の外壁だ。ひのきを使用しているそう。典型的な数寄屋造りの材質とのこと。
 見学一行は、玄関から居間に移る。居間は、畳の部屋だ。恐らく、かつての南向きの一番日当たりのよい部屋。日本間でいう、居間だ。隣に廊下を経由して移る。隣は、洋室だ。
 現在、東向きに坐魚荘は移築されているためか、居間の北側にあたり、やや日当りが悪い。「公望はフランスに10年間留学したことがあるので、洋室の建築もした・・・。」そうだ。洋室には、庭に面してサンルームあり。雨戸がくるとまわるようになっている。
 ガイドの男性は、実際に、雨戸を開け閉めしてくれた。レールに沿って、雨戸は直角に曲がり洋室の隅の雨戸袋に収まるようになっている。

 ↓ あとで見た、雨戸のところ。戸のレールがあって、角でカーブして戸を通す仕組みになっている。
  画像の左手に雨戸袋がある。

DSC05825

 「庭も(明治村に)移築した。通常、移築するのは建物のみだが、ここでは「庭」も再現した。居間と和室のサンルームは襖を通す板に凹凸がない。
 平らになるよう大工が作った。廊下近くの壁の中が見えるようになっている。鉄の平棒を「すじかい」に入れている。関東大震災の後にすじかいを入れたようだ。」という説明だった。

 かつての室内の白黒写真のパネルが部屋に展示してあった。すると、写真と同じ机も、今現在私達の目の前に置いてあった。当時と同じ物が置いてある。
 フランス風の家具だ。暖炉はあるが、イミテーションでこの家に煙突はないそうだ。暖炉の部分に暖房器を置いて使用はしたようだ。

 部屋の一角に公望公が使用していたステッキも展示してあった。竹でできたものである。しかし、その中に鉄の棒を仕込んでいたものもあるという。護身用でもあるステッキだったそうだ。


 「廊下にでましよう。」と北の廊下へ。廊下が畳敷きだ。建物に囲まれた空間・・・・中庭、つまり坪庭がある。陽当たりは、悪くやや薄暗い。天候も曇りで初冬の陽気だし・・・・・。
 それでも「夏は風通しがよい。海からの風が吹くので。冬は日当たりがよく、採光になる。」と説明があった。

 続いて、二階へ階段を昇る。

DSC05827







明治村 見学3 旧宇治山田郵便局)

 2015年12月6日。 (明治村 見学3)

  博物館「明治村」にやってきた。

 旧宇治山田郵便局にやって来た。重要文化財指定の明治村では有名な建築物だ。
   
 建物は大きい。軒下を歩いていると、見上げるくらいの高さだ。近くから撮影すると、とても全景を撮影することは出来ない。

  ↓ 入口横の窓。壁の上部には彫刻というか模様が施されている。
   ただ単に建物を造っただけではなく、装飾が随所にある。



IMG_3097


 内部に入る。天井が高い。
 かつての受付窓口が、ガラスの窓の内側にある。というか、現在も郵便局として使用されているそうだ。
 昔の一般の人が入るホールは、展示室になっていた。かつての郵便ポストの展示があった。
 すべてん展示品があるわけではない。よって、天井は高いし、内部はガランとしている。



IMG_3096


 郵便局遠景。隣のというか、谷を挟んだ建物の脇から、眺める。
 手前左側の板目の壁の長い建物は、かつての鉄道の工場「鉄道寮新橋工場」。


IMG_3105










明治村 見学2 旧三重県庁舎

 2015年12月6日。 (明治村 見学2)

  博物館「明治村」に入場した。


   正門から入場する。
  チケット売り場の前の広場を門と敷地を見る。旧制第八高等学校の門。

IMG_3206


正門の近く。丘の上に建築物がある。園内は、意外にも起伏が多く、高低差がある。
 正門から一番近くの移築建築物といってもようだろう。「旧三重県庁舎」ら向かう。正門前から、坂を下ったところにある。かなり大きな建築物だ。明治村でも最大規模の移築物ではないだろうか。

 「コ」の字形になっている瓦屋根の「疑洋風建築」だ。
 正面の玄関から入る。二階にも階段を昇り、見学ができる。テラスというか、正面のパルコニー通路にも出ることが出来る。
この日は12月、曇天のやや寒い日であった。旧県庁舎のドアは開け放たれており、結構冷たい風が室内入って来る。歴代の知事の写真がある部屋が執務室であった。机や調度品が展示してあった。

 西翼の一階 東寺の赤坂離宮、東宮御所の家具など豪華な調度品が展示されていた。
          離宮当時の室内写真もあった。
         
 東翼の一階 パネルでの展示コーナーがあった。












明治村 見学1 (入場、犬山から移動 )

 2015年12月6日。 (なごや旅8)

  犬山城を出て、駐車場に移動。再び車に乗り、明治村に向かう。


  犬山の市街地を南下し、先ほど小牧から来た道、バイパスとの交差地点方面に走る。実際は、パイパスの手前で、左折し、東に向かうのだが。
 朝、小牧から来るときに気付いたのだが、小牧から国道のバイパス降りて、犬山の市街に向かう途中の地名は「五郎丸」であった。交差点の信号機にも「五郎丸」と冠した標識が取り付けされている。今年大変話題になったお名前だ(笑)。
 犬山から、明治村への道中でも「五郎丸」地区を再び通った。「明治村」の方向へ、東の入鹿池方面に向かう道路の途中、「犬山五郎丸」郵便局があった。昔の「領地」にちなんだ地名であろうか、九州に限らず、実際には消滅してしまっている所もとるかも知れないが各地にありそうだ。

 ↓ 沿道にあった犬山五郎丸郵便局。一旦、車を停めて撮影した。


IMG_3095


 田んぼの中の道、次いで丘陵地帯に造成された住宅分譲地の中の道を通過。以前、4年前、土岐から、犬山に来る途中に通った道だ。見覚えがある。あのときは、明治村は割愛した。
 「明治村」の大きな看板に従い車を走らせる。丘陵の坂道を登る。と、明治村の大きな看板がある駐車場に出た。しかし、明治村の駐車場は、北門にあるらしい・・・。すると、正門から入ることは出来ず、退出も北門から見る。今後、予定も考えると、入場は、正門から入場がよい。ということで、再び車を運転し、正門近くまで行く。結構起伏のうる坂道を行く。数分では着かなかった。以外にも距離がある。
 正門近くにやってきた。広場、車寄せのようになっている。バスは停まっているが、一般車の駐車場はない・・・。正門前の広場を離れ、道路に戻り、更に少し先に進むと駐車場がある。
 「大駐車場」と看板がある。明治村のオフィシャルPではなく、地元の地主さんの経営するパーキングのようだ。


入場。
券売り場は行列ができていた。
犬山城で購入しておいて正解だった。

 ↓ 明治村の正門を含め、注意書きが無い以下の写真は、すべて帰る直前に撮影。

 ↓ 民間駐車場。 歩いている途中に撮影。

IMG_3209


 駐車場の様子。

IMG_3211



 民間駐車場に車を停めて、正門まで歩くのだが、実は、正門まで歩道がないのだ。路肩もスペースがほとんどない。車は結構通行する。しかも、カーブもあり、やって来る車が直前まで見えないこともある。大変に危ない。
 なぜ、歩道が無いのか・・・。というと、明治村の公式見解としては、駐車場は「北門」に設置しているので、車で入村する人は、北門からどうぞ、というスタンス。正門近くの駐車場は、明治村とは関係無いので、正門から入って来るのは、ご自由に、ただし、歩道も無いし、道も狭いし、車にはねられるなどの事故が起きても無関係ですよ、ということだろう。何か、あからさま(笑)。
 むろん、北門の明治村公式駐車場(オフィシャルパーキングとは言わないか・・・。)に停めて、何か事故が起きても、一切責任は負わないのだが・・・・。


 歩道の無い道路脇を歩いていると、建築物がフェンスの内側に見える。
  学校の建物の裏側である。


IMG_3208

敷地の外から・・・。兵舎のような建物の裏側から。


IMG_3210

 歩いて、正門に。入場する。なんと、券売り場には、行列ができていた・・・。窓口の数が少ないのか、50人くらい並んでいる感じ。これでは、10分、15分くらいは、チケットを買うだけで経過してしまう。
 犬山城で「共通入場券」を購入しておいて正解だった。しかも、割引でお得だし(笑)。

 正門。内側から外の広場を見る。旧制第八高等学校の門。

IMG_3204

 正門の近く。丘の上に建築物がある。園内は、意外にも起伏が多く、高低差がある。
 地図で見ただけでは、分からない。明治村開村「50周年記念」の看板がある。

IMG_3205










犬山城 天守閣見学と眺望(なごや旅7)

 2015年12月6日。 (なごや旅7)

  犬山城にやって来た。

 開門時刻の午前9時に入場した。 券は、「明治村とのセット券」をここ犬山城のチケット売り場で買った。
 
 石段を登ると、天守閣前の広場に出た。以前と同じままだ。変わっていない。早速、正面の石段を上って天守閣の入口から入る。靴をビニール袋に入れて、スリッパに履きかえる。

 展示品、年表、写真などをざっと見ながら、進む。

 最上階にやって来た。最上階に昇る、最後の木の梯子は狭い。急だ。北から、南にはしごがかかっている。
最上階は、ガランとしていて、展示品は無い。写真なとが、壁の高い所に掲示してある。基本的に、最上階は展望台だ。
 本日は高曇りといった天気。前回来たときも同じようだった。木製のテラスに出る北と南の出入り口には、係員が立って注意喚起している。思い出した。ここのテラスは、ななめにせり出すように付いているので、危険だ。よって、係員が付いているのだ。城の説明によるとテラスは「回り縁」というので、以後、書き方は統一する。
 眺望を順番に書いておく。

東・・・城のすぐ下の眼下を見る。「名鉄犬山ホテル」がある。前回、2012年11月に訪問した「如庵」がここにあるのだが、壁に囲まれた庭園は視認できるが、如庵と正伝院は確認できない。庭園内の林に囲まれて、見えないようだ。
 犬山の市街地を挟んで、丘の上には遊園地が見える。南東の方向を見ると、丘陵地帯だ。紅葉している。赤や黄色く丘の林が色づいている。

西・・・
長良川が流れている。堰がある。川にかかる橋は車が走行している。眼下は城下の崖と林だ。

南・・・
 濃尾平野と名古屋市内が見える。遠くに名古屋駅近くの高層ビルがうっすら見える。
 ホテルの窓からも高層ビルは見えたが、写真は撮影しなかった・・・・。ホテルから更に、北、名古屋市内中心部から遠ざかったので、霞んで小さく見える。
 こうしてみると、濃尾平野には、高いビルは最近できた名古屋駅付近のビル以外には、無い。田畑と家屋が広がっている感じ。

北・・・
 長良川が流れている。崖の上に屹立している。本当に落っこちてしまいそうになるくらい、急な崖と岩肌。
 北岸の街は岐阜県なのだが、静かだ。名鉄の電車が橋を渡る音が響いてくる。
 回り縁に出て、北東の方向に雪をかぶった山が見えた。係員の人だったか「御嶽山が見えるよ。」と言った。富士山のようではなく、牡丹の葉を組み合わせたような、山容で、傾斜のゆるい円錐形だ。くっきりと山の姿を認めることが出来る。思ったよりも近くて大きく見える。
 噴火して多数の犠牲者が出たのは、記憶に新しい。噴火したときは、黒い、灰色の噴煙がかなりはっきり見えたのではないか。天気にょっては見えなかったかも知れないが・・・・。

 天守閣最上階の「望楼」から景色を見て、15分から20分くらいいた。梯子、階段を下り、外に出た。



 ↓ 2012年秋の訪問当時。 犬山城(2015年12月の画像ではありません。)


DSC05797









犬山城 入場 (なごや旅6)

 2015年12月6日。 (なごや旅6)

 小牧の宿泊先を出る。犬山市に向かう。名古屋高速の高架下の道路を走行。小牧インター付近に出る。名古屋高速は、小牧が北の終点で、名神、東名に合流する。
 その先は、田園、工業地帯の濃尾平野のバイパスのような広い道路を走行する。
 この付近にも「ひつまぶし」で有名なお店がある。そのお店がロードサイドにあった。まだ開店時刻の前である。以前、下の子を連れて「みそ煮込みうどん」を食べた店にも近い。「備長」(びんちょう)。実は、熱田神宮とその近くの「あつた 蓬莱軒」に行く時間があるとは、前日の段階では思わなかったので、高速道路を小牧インターで降りて、直接小牧のホテルにチェックインし、その後夕食を食べるため、「備長」に来ることも想定していた次第。

 さて、犬山に近づいて来た。
 三年ぶりだが、周囲の光景については結構忘れた・・・。駅の周辺は区画整理がされていて、新しい街並みだ。そこを過ぎて、名鉄ホテルの近く(運転していて、ホテルの建物が見える)を通り、お城の方向へ。

 あと、写真のデータがどこかに保存していて、見つからない・・・。よって、しばらく写真無しです。

 目指すは、犬山城。坂道を登り、小高い丘の上にあるような、犬山の旧市街地に。前に来たときと同じ市営のパーキングに停める。開場時刻の前なので、すいている。今回は、城に道路を渡らなくてよい、駐車場の方に停める。

 歩いて、城へ。歩道が途切れているのが、危ないのだが・・・・。沿道に体育館がある。その建物内部に観光協会になっている。
 そして、坂道とその先の石段を登る。モミジが紅葉している。12月の上旬が、平地での紅葉のピークだ。一番の見ごろではないかな。
 城の門は、まだ閉まっていた。待っている人が10人くらいはいるだろうか。9時と少し前に窓口が開く。列が自然にできるので、並んで買う。
 「明治村とのセット券」をここ犬山城で買う。割引き券を使用するよりも、ここで共通入場券を買った方が安い。
ただし、同日入場が必要のようだ。門が開いたので、重厚な門をくぐり「入城」する。


 ↓ 2012年秋の訪問当時。 犬山の市営パーキング。(2015年12月の画像ではありません。)


DSC05793







名古屋~郊外へ移動 小牧宿泊 (なごや旅5)

 2015年12月5日。 (なごや旅5)

 名古屋 熱田神宮を参拝し、近くの「あつた蓬莱軒 本店」で食事をした。駐車場に車を取りに戻り、出庫する。本店の目の前に国道から、大きな交差点を(交差する)一号線に向かって右折し、(熱田神宮に行く前に通行した)再び名古屋高速の高架下の道へ。先程通った(高架下)道を進み、堀田ランプから名古屋高速へ入る。

 と、私の後の車は、ランプ料金所のETCが無いレーンから追(せま)ってきた・・・。無理山、私が走行する右車線に入って来る。その車は、猛スピートで本線に入り、左から抜いて、右車線の私達の車に前に入り、ブィーンと走り去っていった。さすが地元車。地元ナンバーで地元会社の製造車・・・。

 意外なことに、名古屋高速はすいている・・・・。通行料金が高いせいであろう。ああ分かった。そのため、下の道は車線が多くても混雑しているのだ・・・・。
 名古屋高速をまっすぐに北の小牧まで進む(ことが出来る)と思ったら、ちがうのだ。中央環状線は一方通行のようだ???。北方向の車線は、一旦、左に曲がり、別の路線と合流する。「名古屋駅」の近くらしい。表示看板があり、都市環状線という用語がでてくる。中央環状線は一方通行であり「都市環状線」らしい。走行しただけなので、分からなかった。
 走行していると、どこを環状に通っているのか分からない・・・・。道なりに右に曲がると、丸の内という言葉がでてくる。駅から北に進み、名古屋城、県庁の付近の路線らしい。車線は広くなり四車線に。しかし、路肩がないのだ。走行する車は、スピードをかなり出す・・・。危ない。ガイシャはあまり通らないが、トヨタの高級車が猛スピードで飛ばす様子も目撃・・・・。
 もし事故があっても、この路線は路肩に寄せるスペースがない。仮に、追突事故が起きて、大破して車線上に止まった場合、後続車から追突される可能性がかなり、高い。大丈夫かな、ナゴヤ・・・・。

 名古屋高速は、小牧ともうひとつ北に向かう路線があるようだ。「11号線」が「小牧」とあるためその方向へ車を走らせる。左に折れるような感じで分岐を通過。まっすぐは環状線のようで、「外回り路線」で市内をぐるぐる回るようだ。11号線の路線は、片側二車線になり、四車線、三車線では無くなるので気分的に落ち着く(笑)。その先には、小牧まで分岐はないようだ。更に進むと 別料金になる。料金ゲートが再びある。更に進み、小牧南インターで下りる。

 国道を岩倉市方向へ進む。と、ルートインの高いビルが見えてきた。本日は小牧の「ルートイン グランティア」に宿泊です(笑)。ホテルのビルの見える方向へ走り、到着した。敷地には、大型バスが二台停まっている。どうやら、団体さんが泊るようだ。中国人の団体のようだ。駐車場は車がたくさん停まっている。敷地に隣接して、スポーツクラブがある。スポーツクラブに出入りする車がかなりある。
 どこに停めたらよいのやら、と迷って裏の出口から一旦外の道路に出てしまった・・・・。再びホテルの敷地内に戻り、高架立体のパーキングへ車を進める。立体の三階部分に空きがあった。そのうしろから、ワゴンと乗用の車がやってきた。二台は、ツレのようで作業服を着ている人たち。建設現場で作業を終えて、ここに泊るようだ。
 
 ↓ 「ルートイン グランティア小牧」の建物と通路。翌朝に撮影。


IMG_3091


 さて、宿泊の経緯であるが、朝から明治村に行く関係で、名古屋市内ではなく、郊外に宿泊した方がよい。しかも、同行すね上の子からは、「犬山城に行ってみたい。」というリクエストがあった。市内はお値段も高いし・・・爵泊は郊外だ(笑)。探したところ、以前別のところに宿泊したルートインの予約サイトを見て、空室があったので、一週間前に「ルートイン グランティア小牧」を予約できた。
 最初は、おなじみの「旅籠屋」も考えた。岐阜県ではあるが、以前宿泊をしたことがある「土岐店」の空室を確認したが、すでに満室。ともかく、宿泊場所を確保した。

 車を停めて、フロントに。フロントは主婦のパートらしき女が対応してくれる人。「ポンターカードはありますか」と聞かれる。ポンタカードのポイントにルートインがなっていたとは、知らなかった・・・。しかも「インターネット予約のため」水のペットボトルのプレゼントがあるそう。ネミラルウォーターを二本頂いた。翌日の朝食券も渡された。
 さて、宿泊部屋のある10階にエレベータを上がる。何かの紙袋をもって行き来する、おばさん妙齢の女性の一団・・・・・も。何かの行事、会合かな・・・。法事、慶事には見えないし・・・。

 部屋に入る。高いビルで、周囲は平地なので、眺めがよい。夜景は、名古屋市内方面、空港(中部国際ではなく旧名古屋空港)方面がよく見える。

IMG_3086


 名古屋高速道路の高架も見える。 ↓ 写真では判別できないが・・・・。

IMG_3085


 ↓ 南の方角。名古屋市内の高いビル群もかすかに見える。 ↓ 肉眼でははっきり見えます(笑)。


IMG_3087

 すでに「ひつまぶし」の夕食を食べたので、あとは寝るのみ・・・・。早々に就寝。

 12月6日の日曜日。6:53に起床した。

 東から太陽から昇らんとしている日の出時刻は関東よりも遅い。
 名古屋高速の高架が見える。その先には、空港があるはずなのだが、滑走路は判別できない。


IMG_3090

 (時間はもっとあとの8時過ぎであったが)
  飛行機が空港から離陸してこちらにやってきた。北西方向に離陸していった。
  旧名古屋空港、現在の愛知県営名古屋空港(県営空港)を離陸した機体である。
  (実際は写真よりも、もっと大きく見えた。とっさにスマホで撮影した。)
 国産ジェット機として前月(2015年11月)に初飛行をしたMRJは見えないかな、と思ったが違う。定期便のようだ。MRJは、初飛行の後もここ県営空港を拠点に試験飛行をしている筈だが、その後はニュースになっていないので、分からない。本当は、絶えず試験飛行をしていないと。形式検定の間に合わない筈。繰り返し延期した現在の約束納期にも間に合うのは、かなり難しいのではと素人でも思ってしまう・・・・・・。

IMG_3089

 朝食は6時半から。今日は7時直前(笑)。前日、ホテルのロビーの脇に「団体は七時と七時半から」と掲示してあった。早くしないと、食堂が混むと思い、急いで着替えて下へエレベータを降りる。6:59に一階の食堂にそくさと到着。席を取る。周囲の席には、中国人が多い。昨日のバスでやって来た団体であめう。
 「ボーン」と時報とともに、NHKの朝七時のニュースが始まる。食堂内に設置してあるテレビが見える席を確保した(笑)。席の周りからは、中国語の会話が聞こえてくる。ブュッフェスタイルの料理も揚げ餃子、青梗(チンゲン)菜のあんかけ炒め物、蒸しシューマイなど。ミニオムレツ(冷凍の解凍)やベーコンの炒め物などがある。
これらは、主に中国人団体向けの料理であろう。
 私は、玉子焼き、焼き魚などのメニューを取る。サラダバーもある。意外にも生野菜を中国人は食べる。私は、朝から生野菜をあま食べないが・・・・。あとは、味噌汁とごはんを取って食べる。
 メニューには、粥もある。中国人は粥かと思いきや 普通にごはんを食べている。鮭とサバが切り身の焼き魚で置いてある。中国人では、ごはんとサケも食べている人もいて、日本人と食生活も変わらないのではないか。

IMG_3088


 私は納豆とのり、柴漬けなどの漬物と梅干も取って白米と一緒に食べた。デザートはフルーツポンチくらいにしておいた。お茶は、ほうじ茶にした。やっとのことで、7:20を過ぎてから、ウチの子が食堂にやって来る・・・・。
 食事後は、部屋に戻り、準備をする。8:10過ぎにフロントでチッェクアウトした。ロビーでは、作業着を着ている人が何人かいる。建設関係、設備メンテ関係などの仕事かな。日曜日も。子供も(やっと)エレベータで、ロビーにおりてきたので、立体パーキングに行き、8:22分に出発した。

 ホテルとは別の建物。以前は、別の宿泊施設で現在は?。とにかく車がたくさん停まっていて、何に使用しているのか分からなかった。看板の出していないホテル??。


IMG_3092

立体駐車場から。北の山々が見える。

IMG_3093

 駐車場の様子。

IMG_3094

 ホテルは、郊外の住宅、田んぼ、畑、工業団地が混在している地域にある。観光用のホテルではなく、近隣の工場や工事現場に来る人向けのビジネスホテルといった感じ。
 前日の夜に到着したときに、迷って敷地の外に出てしまったが、道路沿いは工場の敷地であった。
 
 本日、最初の目的地の犬山城に向かった。



あつた蓬莱軒 本店で食事 (なごや旅4)

 2015年12月5日。 (なごや旅4)

 熱田神宮を参拝し、近くの「あつた蓬莱軒」の本店へやって来た。説明するまでもなく、テレビでも頻繁に紹介される超有名店だ。

 案内された、日本家屋二階の部屋は12畳くらいか。奥に床の間のある座敷だ。7つくらいテーブルと座布団が置いてある。6人席や2人席などになっている。
 二階の別の部屋は 障子も閉まっているので、様子は分からない。二階のすべての部屋に客を通していない。宴会場になっているのかも、かわからない。控室には、一階からの料理を運ぶリフトもあるだろう。
 さて、座敷はきれいではない。食べかすのような、ごみも座敷に散らばっていたりするが、店員は片づけしない。そこまで、気にしていられないのだろう。忙しいので。更に、壁には小さな虫も止まっている。すでに12月ではあるが、熱気で、虫さんにとっては店内は、良い気候、温度なのであろうか??。

 料理を注文する。私は「一半まぶし」、つまり1.5人前、5100円。お吸い物を「肝吸い」に変更し、250円+。ウチの子は通常のひつまぶし、3600円。料理は、注文をしてから15分くらいで来たろうか。簡単に食べ方の説明は、メニューに写真入りで書いてある。
 実をいうと、「ひつまぶし」の食べ方を知らなかった・・・・。メニューの解説は、無視して、いきなりお茶漬けで食べる。というより、説明をまともに読んでいない(苦笑)。
 ウチの子は、ちゃんと解説通りに食べ始めた(ニッコリ)。
 ↓ さあ、気合を入れて、しゃもじを入れて「ひつまぶし」を食べ始める。
  赤い色の「とっくり」にお茶漬けの汁が入っている。


IMG_3070


 上記の通り、メニューの最初のページには、「ひつまぶし」の食べ方が書いてあるのに・・・・。
 私は「いきなり」お茶漬けにして食べた・・・・・・。「いきなり茶漬け」かな・・・・・。
 本来は、最初に「そのまま」よそって食べるのだ。


IMG_3071

 ↓ 次は、薬味などを入れて食べる。ここはセオリー通りに食べる。これでほぼ半分を完食。
   お吸い物は「肝吸い」です。

IMG_3072

 三回目の1/4は、説明通りに「お茶漬け」に。私にとっては、すでに二回目のお茶漬け(笑)。


IMG_3073

 最後は「お好みで」というので、薬味をドバっとかけて、お椀によそって食べる。
 お茶漬けの「つゆ」は、すでに無くなっていたので(笑)。

 さて、お店にやって来ているお客さんの様子だが、学生カップルも来ている。学生のような数名のグルーブもいる。店の人はアルバイトは赤い作務衣のようだ。学生のような女の子は、皆赤い作務衣だ。少し上の立場は紫の着物。仲居さんのような着物を着用している。
 他の客で、何の会話かは知らないが、さすがにここはナゴヤ、「でら大きい」など会話の途中に言っている。

 19時過ぎに一階のレジで会計を済ませて、退出。
 足が痺(しびれ)れた・・・・。急な階段を足をひきずって降りた・・・・。

 ↓ 帰るときに撮影。玄関の様子。靴は脱いで上がる。
 

IMG_3075


 一階の建物の両翼に座敷がある。
 写真の真ん中、燈籠の隠れた部屋の内部が待合。右は座敷、左は玄関。
 二階の奥で私達は食事をした。

IMG_3076


 門の外に出る。店の外で受付する白い服を着た人(係員)は、まだ立っていた。ただし、車を誘導する警備員はいなかった。受付は、20時半までなので、19時過ぎのこの時間帯では、新たに来る人は減るのだろう。

 改めて、「あつた蓬莱軒」の建物を外から眺める。木造家屋だ。二階の外側や一階の外側に、エアコンの室外機がたくさんある。先程、食事をした部屋(座敷)でも家庭用のエアコンだった。あれだけ、エアコンをつけて、ウナギを焼いていて、もし火事がでたら大変と思います。これから、冬は特に火や暖房を使うので。
 反対に夏は夏で、冷房の排熱がすごそうだ。
 季節を問わず、火には、十分注意が必要だ。

 「あつた蓬莱軒」は
 創業140年以上だそう。元々は、明治の初めに熱田神宮の参拝者、東海道を行きかう人々に「うなぎ」を出した店が発祥だろう。先程、店に辿り着く前にウロウロ走行した地域は、元々海だった地域。この付近は東海道の船着き場でもあったのだ。現在、車が行きかう店の前の国道は、徒歩、馬、カゴで旅する人、船を待つ人、船かせ降りてきた人で往来の激しい地域だったのだ。現在ではすっかり都市化してしまっているが。
 「名古屋」の「日本橋」といった場所であったのでは、ないだろうか。

あつた蓬莱軒 本店 駐車場、待ち時間 (なごや旅3)

 2015年12月5日。 (なごや旅3)


 今回の行先は、名古屋方面。熱田神宮を参拝し、近くの「あつた蓬莱軒」の本店へやって来た。説明するまでもなく、テレビでも頻繁に紹介される超有名店。
 数年前、たまたま見ていたテレビ番組で、あるタレントが名古屋で「知っている店がある。」ということでやって来たという設定で紹介されたのが、このお店。そのタレントが言うには「ここは、ウチのおやじが常連で・・・。」と解説。このタレントの父は、政治家として著名な人でもある。

 先の記事でも書いたが、[蓬莱軒の]本店は、(熱田神宮とは)道路の反対側。直線距離は近いが車で移動した。一号線と斜めに、別の国道がクロスする地域。高架を間違って進み、川の反対側へ出てしまった・・・・。
 戻ったが、また別の方向へ行っていまう・・・。地下鉄の伝馬町の駅の近くに出てしまったのだ。「伝馬町」とは東京の日本橋付近を想起させる地名だ。城下町、街道街だった名残だろう。この付近は、元々海で、現在の伊勢湾の最奥部だった筈。東海道も、ここから船だったのではないか。船着き場の近くに栄えたのが、熱田神宮の門前町だったと記憶する。
 反対車線に戻るうとするが、右折で(お店の方向に曲がることがで)きない。再び、川を渡り、途中でまたまた戻り、通った道は覚えていないが、ようやく本店の前へ出た(苦笑)。
 店の様子は、車が見えていた。門の前では、人が並んでいた。


 ↓ やっとこさ停めた駐車場付近。


IMG_3083

 本店の前に来たのは、よいが、警備員が近づいてくる。「車はターンして別の場所にとめろ」というので、警備員の誘導で、本店の門前で、他の客にぶつからない、接触しないように、車をバックしてターンをして指示された方向へ。50メートルくらい離れた、道沿いに別の駐車場があった。ここにも別の警備員がいる。いや~、大混雑だ。ここには、数台停めることができる。知っている人でないと停めることはできない・・・・。
 ↓ 数台だけ駐車できる。看板は大きいが、反対の国道の車線からは進入できない。


IMG_3084


↓ 店の横の駐車場。奥には、駐車させるが、門の近くには停めさせない。

IMG_3065

 ↓ 蓬莱軒の門前。塀の内側が建物。木造の日本家屋だ。

IMG_3068

 駐車に行く間、先にウチの子に車を下りて、予約してもらう。門の前は、予約を受け付けする係の男性が立っている。名前と人数を告げて、だいたいの入店時刻を教えてもらう仕組み。
 車を停めて、本店の門の前へ。係の持っている予約リストを見ると、ウチらの名前は書いてあった。が、子は少し離れたところにいたので、最初はどこにいるのか、気付かなかった・・・・・。
 到着したのは、18時前。18:00の時点で18:10の入場になっていた。
 指定時刻が来るまで、店の周囲で立って待つ。他にも待っている人が多数いる。店の横の駐車場は満車で新たに入庫させていない。待つ客がいるので、危険だからかな。
 指定時間とおりに数組が呼ばれる。ウチらも入っていた。門の内側へ。玄関前に作務衣の若い子がいて、靴の札を渡してくれる。玄関に靴を脱いで置き、そのまま上がる。
 建物内にある待合で待つように言われる。狭いが「待合の廊下」というか、廊下がくぼんだ場所に小部屋がある。以下「待合」と呼ぶことにしよう(笑)。
 待合には、雑誌も置いてある。待合は、レジの目の前だ。会計をする様子がまる見え。その奥は調理室がある。せわしく、準備している様子が、やはり、まる見え。待合の退屈しのぎにお仕事の様子を観察する(笑)。
 調理室の手前、レジの奥では、お盆にのせて作務衣の若い子が配膳をする。お盆に料理を乗せて、レジの脇を通り、廊下に出て行く。

 ↓ 食後に撮影。門の外から。この時点では行列が解消していた。
  門の脇に立つ、係員に名前と人数を告げる必要があるため、門の外で行列をしていれば、順番に呼ばれるシステムではない。(私が訪れた時点では)

IMG_3078

↓ 食後に撮影。門の外から。

IMG_3076

↓ 食後に撮影。門の外から。

IMG_3081

IMG_3082


 配膳係の女の子は、レジの脇を通り、出て行く。通る際には「うしろ通ります。」と声をかけない。これだけ忙しいのに、うっかりぶつかると、そのまま料理(ひつまぶし)を落っことしてしまいそうだ。

 待合で10分ほど待つ。各自、グループごとに呼ばれて、座敷に案内される。ある人は二階に、私達の前に呼ばれた若いカップルは一階の左奥に案内されていた。私達は18時10分の組では、最後に案内された。二階の座敷に行くように案内された。狭い、傾斜の急な、というかふつうの住宅にあるような階段を昇る。

 ↓ 待合から、中庭を隔てて、ガラス越しに別棟の様子。「L」字に建物が建っているため。
  ガラス窓に反射して、待合のイスが見える。

IMG_3069

熱田神宮 参拝(なごや旅 2)

 2015年12月5日。 新章突入。「なごや旅 2」

  昼過ぎに車で自宅を出発。東名高速道路、新東名を走行。時間がありそうだ、ということで熱田神宮にやって来た。既に、午後5時を過ぎていて、日没後。夜となり、真っ暗なのだが・・・・・・・。
 上の子が名古屋に来るのは、初めてのことだ。新幹線で通過することはあっても、名古屋駅で降りたことは無かった。車で通行する場合でも、そのまま走り抜け、途中で名古屋市内に寄るということは無かった。
 
  名古屋の観光名所といえばどこであろうか?。昔から有名な場所は「名古屋城」と「熱田神宮」であろう。現在では、色々なスポットも増えているのだが。私が子供の時分に来たとき、「名古屋名物」といえぱ「きしめん」と「ういろう」しか無かった。
 今でも覚えていて、観光のときの「座右の銘」としているのが当時「名古屋のタクシーの運転手に言われた言葉」だ。きしめんなどを評して「名物にうまいモン無し。」と言ったのだ。ボクは少年ながら、この言葉に衝撃を受けた。生涯この言葉を忘れることは無いだろう(笑)。
 あの頃は「名古屋メシ」は無かった。(というより、知らなかった?。あの頃はインターネットなど無かったし、情報が無かった??。地元以外では知られてなかった???。)

 というような訳で、名古屋といえば「熱田神宮」やろ(なぜか関西弁)と「熱田神宮」にやって来た次第。短絡的だ(笑)。名古屋城は入館時刻を過ぎているので、神社ならば夜間ではあるが境内は自由に入れることが出来ると思ったことも大きな理由だ。

 熱田神宮の駐車場は、入口が狭く、夜間に初めて駐車する場合は、入りにくかった。駐車場の開場の時間は「17時まで」とあるが、特に門を閉めないようだ。
 車を降りて、境内へ。何かの建物がある。食事処のようだ。電気はついているが、閉店の準備をしていた。傍らに休憩所もあるが、シャッターが閉まっていた。

↓ 真っ暗な熱田神宮の境内の参道を歩く。
  西門から(手前の主参道に至る)続く参道とその先の、西門の鳥居道路、歩道橋がわずかに見える。
 写真なので集光されていて、実際よりも明るく写っている。
 
 境内の森は、うっそうとしていて真っ暗だ。しかし、参拝者は結構いる。暗いといっても、時間はまだ17時過ぎなので、歩いている人も多い。


IMG_3058

 車を停めたのは西駐車場。日中は、もっと大きい東駐車場も開いているが、夜間の参拝の場合は、西駐車場しか開いていないようだ。神社の案内によると西門は40台駐車できる、とある。
 西駐車場の近くには、境内の「西門」があり、国道19号線に面している。私達もこの道を通って入庫した。(神宮の境内の南側で、国道一号線と交差している。)
 交通量が多く、車の騒音が聞こえる。手をお浄めする場所、境内案内によると「手水舎」があり、北に砂利の参道をまっ暗の中、歩いて進む。
 ↓ 途中に大きな木がある。「大楠」とある。樹齢1000年ともいわれ、古代からある楠、神木のようだ。

IMG_3060

 更に、砂利の参道を歩く。街灯があり、参道を照らす。が、実際は、写真よりも暗い。足元もよ見えないくらい暗い。

 ↓ 信長塀が写っているかな・・・と思ったが、写っていないようだ・・・・。

IMG_3062

 鳥居をくぐり、突き当りとなる。正面に社殿がある。その手前、こちらから、社殿に向かって右手前の建物は、こうこうと電気がついている。お札所だ。案内によると「授与所」。この時間でもお守りなどの販売を行っている。巫女さんが受付、お金のやりとりをしている。
 傍らには、警備員もいる。社殿付近は、厳重に警備している。


IMG_3063


 本殿は意外にも小さい。最近になってやっと分かってきたのだが、神社において一般に参拝できる建物は「拝殿」と呼ぶようだ。その奥には、本当に神様をお祭りする「本殿」がある。参拝する場所を「本殿」と呼ぶのは、間違いなのだ・・・・。
 ここ熱田神宮も私の呼び方でいう「本殿」の更に奥にも建物(本当の意味での「本殿」)はあるが。
 案内によると熱田神宮ではここを「本宮」というようだ。今私がいる、参拝者がお参りするところは、拝所というようだ。

IMG_3061

 拝所参拝する。次々に参拝者がゃってくる。意外にも若い人が多い。カップルも多数いる。グループでやって来ている若い人もいる。


IMG_3064

 熱田神宮の「本宮」で参拝し、元来た参道を戻る。「信長塀」も案内の看板があったが、普通の土塀といった感じの塀だったので、特に近づいて撮影しなかった。暗いので、よく写らないな、と思ったし・・・・。
 「宝物館」の案内看板もあるが、閉館時刻をとっくに過ぎている。
 車に戻り、出発。国道に出る。

 次は、「あつた蓬莱軒」に向かう。「熱田神宮店」もあり、参道の南門から境内の外に出て、神宮から歩くこともできるが、せっかくなので本店に行くことにした。
 本店も国道を渡って、歩いて行くこともできる距離なのだが、車で行く。本店は分かったが、道路が高架の橋になって、川を渡り、川の向こう側に行ってしまった・・・・。一旦、ターンして戻るが、高架橋があり、本店にうまく行くことが出来ない。周囲の道路をぐるぐると二周してしまった。直線距離では、熱田神宮の西門から1キロも無い筈だが、6キロくらい走ったのではないか??。
 
↓ 「あつた蓬莱軒」本店の前の国道19号線。

IMG_3067


↓ 「あつた蓬莱軒」本店の駐車場前の国道19号線の高架。この高架橋がクセモノで、うっかり渡って、ずっと先に行ってしまった。

IMG_3066


「なごや旅」1 東名~名古屋市内 車で移動

 2015年12月5日。 いよいよ新章突入です(笑)。

 題して「なごや旅」。
 今回の行先は、名古屋方面。徳川美術館で「源氏物語絵巻」が所有している全部の巻を公開しているという。公開は12月5日の日曜日まで。公開最終日にあわせて、名古屋(方面)に向かうことにした。
 せっかくの機会なので土曜日の夜は宿泊して、翌日に「明治村」と徳川美術館を見学することにした。
 モチロン、名古屋市だけを訪れる訳では無いのだが、便宜上、「なごや旅」と呼ぶことにする。

 1日目 出発。
 今回は上の子が同行。下の子は、行かないという・・・・。

 12:18に自宅発。東名高速道路へ。次いで、新東名を走行。この日は、とにかく名古屋に到着して宿泊するのみ。
 土曜日の午後なのであるが、交通量は多くない。順調に走行する。13時半頃に駿河湾沼津PAで休憩。
 昼食を食べていないので、何か食べる物を探す。しらす丼と「しらすうどん」のセットにした。子供は、小食なのてせあまりいらないという。二人でひとつのセットを食べる。うどんの中に「しらす」が残り、しらすをすくいにくい。「温しらす」のようになっている。
 食事をして、出発。新東名を進む。いつも、うなのだが、新東名では、静岡SAまでが意外に長い(ように感じる)。次に森掛川まで来て、更にしばらく(走行)すると、天竜川に出る。川は防音壁に遮られて見えないので、陸上の道なのか橋なのか判別がしにくい。天龍川を過ぎると、すぐに浜松浜北インター。だいたい、駿河湾沼津から一時間半ほど走行した。山にかこまれている浜松SAで二度目の休憩。こまめな休憩だ。
 陽もだんだんと西に傾いて来た。天気は快晴。秋は終わり、はや冬の気圧配置かな。

IMG_3055


IMG_3056

 ↓ 浜松の北は、山また山。南アルプスに続く山が連なっている。あの「青崩峠」もあの山々の先にあるのだ。

IMG_3057


 天気は、快晴だったものの、東名との再度合流地点の三ヶ日あたりまで来ると、うす曇りになってきた。JCTで東名に再び入る。次いでトンネルを通過して愛知県に入る。丘陵地帯の中の道である岡崎付近は渋滞なし。狭い三車線を××キロ平均で進む。この道、結構トバス車が多いのだ。制限速度は、電光表示で変更になるのだが、かなり遅いスピードだ。60キロや40キロのことも。いつも、この地帯の通行は危なく感じる・・・。特に「ナゴヤ走り」か「アイチ走り」というのか知らないが、スピードをトバス危ない車も多いエリア。慎重に運転を私はする。
 豊田JCTから、伊勢湾岸道へ。東名の名古屋インターには、向かわない。伊勢湾岸道から先は、すいていてる。先日も大きな事故があったはずだ・・・・。スピード出し過ぎの事故だろう。多いのだ。この付近は。
 苅谷の観覧車はライトがついていた。すでに日没が迫る。湾の手前のジャンクションから名古屋高速へ入る。いつもは、伊勢湾岸道をまっすぐ進んでいるが、今回は名古屋市内方面へ。こちらも比較的、すいている。通行料金770円。少し高いためかな。道は、高架なのだが、合流してきたりきて、カーブもあるし、首都高速ほどではないが、複雑です。スピード飛ばし過ぎ、無理な運転で事故も多いのではないかな?。と心配になってしまう・・・・。
 実際、名古屋高速は、市内までまっすぐの道と思ってが、カーブもあるのだ。
 日没時刻も過ぎて、だんだんと暗くなってきた。「呼続」ランプ゙で下りる。実は、地名の読み方が分からないのだ。熱田神宮に向かうことにした。ときに、午後5時。ほぼ、夜となり、周囲は暗いのだ・・・。
 高架下でわずかな、太陽の残光があたらないこともある。一般道、高架下の道路を進む。片側3~4車線あるため、真ん中のレーンを通る。しばらくまっすぐ進む。すると、名古屋高速の先に降りたランプの一つ先の「堀田ランプ」の看板もでてきた。
 と、「左 熱田神宮」の道路看板がある。名古屋高速からだと、敷地の北をぐるっと周りこむように進むようだ。
途中、信号で停まる。(神宮の駐車場の前を通る)国道への左折がなかなかてきない・・・・。交差点は、車で混雑しているし信号が短い。幹線の国道優先らしい・・・・。
 「夜のよう」に真っ暗になってからに、ようやく熱田神宮に着。「熱田神宮」と看板があるが、その先で左折する。
と、駐車場の狭い入口があるのが見えた。暗いので、分かりにくかった・・・・。駐車場は、狭いし暗いし台数は多くない。
 開場の時間は「17時まで」とあるが、特に門を閉めないようだ。17時20分頃到着。自宅からは、休憩や食事時間込みで、約5時間であった。名古屋高速を降りてから下道で結構時間もかかった。

↓ 真っ暗な熱田神宮の境内。


IMG_3059



上野公園 「あかりパーク2015」 イベント開催

  2015年11月1日

 東洋文庫から、神田に行き、再び戻るような感じで、上野公園にやって来た。
 「駒込」から上野に山手線で移動した方が近道なのだが。

 と、公園内では、イベントを開催していた。ライトアップがされていた。ますば、国立科学博物館の様子。


DSC05506


 ↓ 国立科学博物館の正面の公園内に、大きな「やぐら」を組んで、投影機材をセットしていた。


DSC05507


 ↓ 国立科学博物館の正面の色が変わった。


DSC05509


↓ 東京国立博物館の正面に。ランタンが地面に置いてある。
 「妖怪ウォッチ」のイラストかな?。

DSC05510


↓ 大スポンサーの車が置いてあった。経済産業省主導で、スポンサーを募って開催しているのでしょうか。

DSC05511

↓ 東京国立博物館の正面。いろいろな色の違う、ランタンが地面に置いてある。一応、ロープを張り、触れないようになっていた。

DSC05512


↓ 東京国立博物館の正面に所蔵品が投影されている。お皿だ。


DSC05519


 続いて、仏像の写真を投影をしている。そういえば、一昨年もこの時期に来た。

DSC05550


 「創光」。光の祭典のイベントを公園でしていた。国立博物館には、一時間弱いた。特別展には、いかなかった。ただし、特別展の入場者は多くなかった。常設展示のみ見学。公園に戻る。 
 ステージでは雑技団の演技が。池のある広場の北側で、国立博物館を背後にして設置されていた。


DSC05559

 ステージでは、色々なイベントが時間を決めて開催されていた。ちょうど、この時間帯には、雑技団の演技があった。池のある広場の北側で、国立博物館を背後にして設置されていた。

DSC05552

 ↓ 演技する人は女性が1人。フラッシュを炊くとまぶしいので、フラッシュ禁止で撮影する。
  

DSC05551
 
↓ 演技する女性が「ハッ」と発声している?。


DSC05553

 
 ↓ 演技する人は女性の動きが速いので、ブレてしまう。

DSC05554

 ↓ 倒立しているところ。


DSC05555

 バク転しているところ。

DSC05556

 ↓ 背後の国立博物館の正面が妖艶に「朱色」に染まっている。


DSC05557

 ↓ 盛んに 前列の女性も撮影をしている。


DSC05558

 公園内には、経済産業省のテントもある。人力発電の体験コーナーがある。自転車のよう漕いで、発電出来る仕組みだ。体験している人はいたかなぁー??。忘れた・・・・。
 本当のお役人の人は常駐して説明しているのかな???。

DSC05560

 公園内を通り、上野駅から有楽町駅へ山手線で移動。沖縄のアンテナショップ「わしたショップ」でツレと合流。 車を取りに駐車場へ歩いて向かい、そのまま運転して帰宅した。








 

神田 古本市 2015年

  2015年11月1日

 東洋文庫ミュージアムを見学した後、千石駅から都営地下鉄に乗り、水道橋駅へ向かう。少し歩いて、15時30分頃に奥野カルタ店へ到着。
 ここは、下の子の要望。下の子が欲しいという、本のみ買う。そのまま歩いて、神保町の方向へ。すると、古本市を開催していた。

IMG_2933

 すでに、夕刻。道路沿いに店のワゴンが出ている。道路沿いの書店が、店の前に臨時仮設の棚やワゴンを出して、販売をしている感じだ。歩道は人でいっぱいだ。
 美術展に関する書籍を見つけてみることにする(笑)。大通り(つまり、靖国通り)の歩道に出店している仮設店舗には、過去の展覧会の図録がいくつかある。
 例えば、私が観覧に行かなかった東京国立博物館で開催され、かなりの人数(50万人くらい?)を集めた「阿修羅展」や、「空海と密教展」などの図録だ。20年前の展覧会の図録もある・・・・・。
 また、書店の内部にも入ってみる。各書店でも、通常の価格よりも「×パーセント引き」とかなりお得な値段で販売している。この前行った鴎外記念館関連としては、子の於兎が著者の「父としての鴎外」、永青文庫に関連しては、以前の理事長で、旧熊本藩主細川家ご当主の故・細川護貞氏著の「細川日記」などがあった。元々の値段はさておき、1000円以上割引している書籍もある。

IMG_2934


 さて、一本道を入る。「すずらん通り」。交差点にあるサンマルクで少し休憩しようとするも、空席は無い。三省堂への途中にはミニテント、ワゴンでお店が出ている。
 出版社ごとのワゴン販売のようだ。

IMG_2936


 他の店に入って見つけたが、こちらの店でも図録があった。「大神社展」の図録、2800円。値段が下がっていない・・・・。「鳥獣戯画 2015」図録ももある。えっ、今年の春~初夏6月に開催したばかりなのに・・・・。
もう、古本でご出品・・・。昨年の「日本国宝展」の図録は2500円。新品と値段が変わらないじゃないか。

 更に見つけた。約10年前に開催の「フジタ展」のものは1300円だった。この展覧会、東京国立近代美術館で開催された「藤田嗣治」の国内では最初の本格的な回顧展であった。私は行かなかった。というより、行かないうちに終了してしまった。
 国立新美術館で開催の「横山大観2008年」の図録もあった。こちらも知らないうちに終了していた・・・。

あるお店のコーナーで土門拳の写真集があった。ツレが買いたいと言うてので、三冊買う。かなり重いが・・・・。
この日、このコーナーは全品1割引きだった。

IMG_2935

 私は、上野に移動した。
 ツレ達は、有楽町の「無印」などに行くらしい(笑)。
 


 

駒込 六義園、東洋文庫付近散策と「ブロシェット ナミオカ」 (東洋文庫、北側道路の反対側真正面) 食事

  2015年11月1日

  東洋文庫に向かった。駒込駅まで地下鉄でやって来た。
地下鉄で表参道から移動したのだが、永田町駅で南北線に乗り換えをした。駒込駅の地下より、階段、エスカレータを乗り継ぎ?、地上に出た。本郷通りの歩道を徒歩で歩く。途中、住宅地の中、六義園の壁沿いの道を歩いた。六義園の正門は、駒込駅近くの入口とは反対の、むしろ東洋文庫、駒込警察に近い、園の南側にある。

 ↓ 六義園の「正門」。

DSC05448


 ↓ 六義園の「正門」の先には公園がある。公園の入口の門。子供達が遊んでいる。

DSC05450

 と、六義園の壁沿いの道を歩いていると、あんぱんまんのキャラクターの置いてある建物に気付いた。
 この会社であんぱんまん関係のキャラクターの管理?、販売?をしているようだ。

DSC05449

 東洋文庫ミュージアムに向かって、交差点を曲がる。目の前には、駒込警察、日本医師会前を通る道路が視界に入る。警察署に向かって、左手の手前に目指すお店はある。
 
 前回、東洋文庫の初訪問時に行った鶏肉、名古屋コーチンの料理店だ。
 「ブロシェット ナミオカ」(brochette Namioka)。
 実をいうと、フルファベット文字での店名表記のため、最初に来たときは、お店の名前が分からなかった・・・・。

 ↓ お店の入口。「名古屋コーチン」と木の看板がかかっている。

DSC05452

 店頭には、メニューが置いてある。店にやって来たのは、12時50分頃。12時前に、表参道の新潟アンテナショップで食べ物を買い、軽く食べた。さて、ここで本格的にランチとしよう。
 このお店は6月に初めて来た。あれから、半年も経っていないうちの再訪となった。妻は、この店を気に入ったそうで、妻のリクエストで再びやって来た。

 店の外にメニューが置いてある。 ↓

DSC05451

 店の中に入る。幸い、待っている人はいなかった。前回と同じ席に案内された。一番奥の壁側、窓から二列目のテーブルだ。「やきとり定食B」のセットを注文。女性など、少ない量の定食を食べたいときは、。「やきとり定食A」を注文することになるだろう。
 「B定食」は、卵ごはんとヤキトリ三本、つくね二個 大根おろしが付く。赤だしもある。
 「卵かけごはん」をウチの妻は大変に嫌うのだが、このお店の卵かけごはんは、良いと気に入ったそうだ。卵が新鮮なので臭みが無いそうだ。ウチの妻は非常に「臭い」にこだわりが強い。気にくわないとすぐに「臭い」の一言で片づけようとする・・・・。

 ヤキトリに肉は、結構コクがあるというか、なんと表現してよいか、胃に残る味というか、肉質だ。
ごはんの大もりは50円プラス。追加は100円だ。店内は満席だったが、午後の1時15分になると急にすいた。
お店には、12:50-13:30までいた。注文をしてから、料理が出てくるのに比較的時間がかかる。炭火で鶏肉を焼いているためだろうか。


 ↓ 私が注文した「B定食」。ごはんは大盛りで名古屋コーチンの卵かけごはん。
  特筆すべきは、トッピンクだ。「ゆず胡椒」があることに注目。私は「ゆず胡椒オトコ」と呼ばれるくらいの(笑)、「ゆず胡椒」好きであるので、これは欠かせない。
 「ゆず胡椒あるところにに我あり。」だ(笑)。


IMG_2932

 横断歩道を渡り、道路の反対側から撮影。

DSC05453



 妻と子は、先に東洋文庫ミュージアムへ行ってもらう。私は、会計をして、遅れて向かった。館内に入ると、すでにミュージアム1階では「製本の実演」が始まっていた・・・。

 ↓ 製本の実演会場から見た中庭と「小岩井のレストラン」。


DSC06244



 東洋文庫の後は、駒込駅ではなく、警察署、日本医師会会館の前を通り、小石川の中高一貫校の前を通って、都営地下鉄の千石駅に歩いた。再び、地下鉄に乗り、神保町まで移動した。


 

新潟県アンテナショップ 「表参道・新潟館 ネスパス」 港区表参道

  2015年11月1日

 根津美術館を見た後、表参道の交差点に戻る。道路を渡って、新潟の店(新潟県のアンテナショップ)「表参道 ・新潟館 ネスパス」へ。久しぶりの訪問だ。
 ここでもイベント開催中。「アンテナショップフェスティバル」だ。
 「名誉館長」がいる。どこのゆるキャラなのか・・・、忘れてしまった・・・(涙)。 

DSC05444


 ゆるキャラがお出迎えしている。新潟ではなく、「アンテナショップフェスティバル」に参加している別の県のキャラクターかな??。新潟県の公式キャラクターを私は知らない・・・・。

 実は、もう一度見るとここ「のっぽ」のゆるきゃらは、ここ「ネスパス」の「名誉館長」なのだ。誰なのかと思いきや、「レルヒ」さんだった。日本にスキーを伝えたと言われる、オーストリアの軍人のこと。当時の高田連隊でスキーを教えたから、新潟のゆるキャラなのだが、これは、私も分からないな~。色が黄色だし、カレーのゆるキャラかと思ってしまった次第・・・・。

 ↓ さくらんぼの帽子のキャラは「山形県」だ。「さくらんぼちゃん」かな?。
  と名誉館長レルヒさん。
 

DSC05443

 店の入口。福井と同時開催でネスパスでも「アンテナショップシェスティバル」が開催中。看板も同じだ。

DSC05445

 下の子が、おなかが減ったというので、新潟名物のお米を使用した「おにぎり」と「お米ドーナツ」を買う。同時にお米のおせんべいを買った。レジには、人が並んで賑わっている。

 おにぎりを購入した後、食べる所を探す。店の外で待機した。と、主婦のグループをはじめ、おしゃれした人がたくさん通りますね。ここ表参道は。
  ↓ 表参道の歩道から見た、お店の様子。

BlogPaint

 御承知のように、表参道の歩道の脇には、腰を掛けることができる鉄柵が延々と設置されている。その一角に腰を落ち着けて、下の子はおにぎりを食べた。私は黙って待っているだけ。おこぼれにあずかることも出来ない(笑)。私は、お米のドーナツを少しばかり食べた。


 ↓ (既出) 表参道の交差点の様子。



DSC05442

 
 ここでとある光景に遭遇した・・・・・。
 特に書いてみることにする・・・・・。あまり良い光景では無いのだが・・・・・。

 地下鉄表参道駅へ階段を降りる。電車に乗って移動しようと半蔵門線の電車に乗る。乗ると、車内の優先席の前で、モメといる人がいた。片方は、スーツ姿の若い男。確実に20代。やせ型でやや長身。もう一方は60歳くらいのやせ男(以下「おつさん」と呼ぶ)。身長は若いスーツの男よりやや低いくらい。
 もみ合いになっている。と、「おつさん」は「おりろよ。」とホームへ。2人共に、ホームへ電車から降りる・・・。
 とおつさんが、先に手を出して、若いにいちゃんのメガネをとり、後からつかみかかる・・・。若いにいちゃんは、 スマホをとろうとしているが、うまくできていない。110番で通報しようとしているのだろう。おつさんは、首をしめるような感じで、つかみかかっている。
電車のドアは「ブシュー」と閉まり、小ぜりあう二人の男をホームに残したまま、走り出す。ホームの端に降りたので、ホームの周囲には、他に人がいない。そのまま、電車は地下のトンネルに入っていった・・・・・。
 若いにいちゃんが優先席に座っていてトラブルになったか?。
 が、おつさんが先に手を出したし、首を絞めるような行為をしていたので、場合によっては「殺人未遂」ととられても仕方ないのではないか?。おつさんは、いわゆる「キレる老人世代」よりはやや下な感じ・・・・。
 「キレる中高年者」は深刻な問題ですね。子供も怖がって見ていた。子供の手本にならない大人(というよりアダルト・チルドレン)が何と多いことか・・・・。 えっ、オレのことか?(苦笑)。



プロフィール

りょうげつ

カテゴリー
  • ライブドアブログ