良月(りょうげつ)の たび日記

神奈川県 湘南地区在住。折口良月(おりぐち りょうげつ)の神奈川、東京、静岡、山梨、長野など関東近郊地域への行楽、外出。美術館、博物館めぐり。その他国内旅行などお出かけの記録。

2017年02月

 

特別展「春日大社 千年の至宝」 鑑賞1 東京国立博物館

 特別展「春日大社 千年の至宝」 鑑賞記  2/18(土)に東京国立博物館の特別展「春日大社 千年の至宝」や常設展(総合文化展)を鑑賞した。

 上野公園内を歩いて、博物館の前までやって来た。正門前のチケット売り場の前には、「展示替情報」の告知ボードが設置されていた。敷地外でここまで展示するとは、本気度が高いです(笑)。

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 今週2/14-2/19(日)は、国宝指定の鎧が4点勢揃いする。特別展のパンフレットには「甲冑そろいぷみ」と告知されている。まさに「神週」である(笑)。
 「神週」は特別展のパンフレットにある「甲冑そろいぷみ」と春日大社は神社で神様を祀っているため「神」とを引っかけて考案した造語だ。他にも同様の表記をしているサイトもあるとは思いますが、あくまで私個人でも考えたフレーズだ(笑)。

 ↓ 同じくチケット売り場に設置してあった告知ボード。
  国宝の太刀うのちのひとつが2/21以降に展示されるとある。更に、21日から25日までは入場者先着順に記念グッズプレゼントがある。
 「神週」以降もみどころ満載です(笑)。

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 敷地内に入ってからも特別展の看板を撮影しようとした。しかし、普段は置いてある敷地内の看板が無い・・・・・。あれ、おかしいな、と思いつつ。本館に歩く。本館の外壁にも特別展の懸垂幕はかかっていない。
 チケット売り場に展示品リストのボードを置いたからなのかな~と思いつつ、まあいいか、と深く考えず本館に(笑)。 先に、本館をざっと見てから、廊下を伝って平成館へ。

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 平成館の一階にある映像コーナーで「春日大社 千年の至宝」の映像を見る。タイトルは「春日大社 祈りの源流」で10分間の映像であった。
 春日大社の神事の紹介もあった。最近春日大社はマスコミで露出が多い。テレビ番組で紹介されている。更にNHKのサラメシで「神社の社員食堂」も紹介されていた。たまたま、私も見たのだが・・・。取材に応じているということだろう。
 式年造替自体は二年前のことで、私自身も一昨年の5月に春日大社の特別公開の拝観をした。謎に満ちた神秘の「盤石」(いわくら)も拝観することが出来た。

 その後、会場に入る。第一会場へ。
 最初の展示は「春日鹿曼荼羅」である。
 鹿の上にお日様のような「円」が出ている掛け軸の絵です(笑)。神域を守る鹿を神聖視しているような絵。「神秘の鹿」といったところか。「神秘の子羊」は、聖バーフ教会、・・・関係無いか・・・・・。動物に神秘性を見立てて、絵画表現するところは共通しているかな(こじつけかも知れないが・・・・)。
 次の展示も「春日鹿曼荼羅」である。次も「春日鹿曼荼羅」である。色彩は異なるが、鹿に春日の太陽は共通している。ガラスケース内には、「鹿曼荼羅」がズラリと並んでいる。
 次に「鹿島立神影図」がある。「鹿島」とは日本の地名にもなっている。茨城県には鹿嶋神宮があるし、市の名前や鹿はサッカーチームの名前の由来にもなっている。佐賀県にも鹿島市がある。
 束帯姿の男が鹿の上に載っている。背後には、大きな真ん丸な「春日」の金色太陽。説明によると鹿島神?が、常陸の国の鹿島から春日に降臨してお祭りされているそうだ。「鹿島」は鹿島神宮のことであった。
 鹿島と春日の「鹿」は関係があるかは、私の見た限り説明は無い。図録などには解説があるかも知れないが・・・・。 

↓ 特別展のパンフレットの拡大。

 
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 「春日鹿曼荼羅」のガラスケースとは反対側の展示は 「鹿図屏風」がある。文化財指定は無いが、大きい立派な屏風絵だ。表現されている鹿は、ほぼ等身大だそう。英語では材質は「Gold Papar」とある。金地着色といったところかな。
 
 「春日鹿曼荼羅」のガラスケースの並びに戻る。国宝の展示があった「延喜式 巻九」の展示である。
 春日大社の神事に関する記述があるので、その部分が展示されていた。
 「神祈祭 ・・・木綿大 一斤・・・七尺調布・・・」と布などを神事に備えることが規定されているらしい。正倉院文書にある年貢の内訳のような感じもしたが・・・・。神にお供えする物が延喜式に定められていたということだろう。
 特別展のキャッチコピーにもあるが春日大社は「平安の正倉院」だ。


 


特別展「茶の湯」 平成29年4月開催 in東京国立博物館 曜変天目茶碗も展示 (情報)

 平成29年の4月から開催される 、特別展「茶の湯」。

 2/18(土)に東京国立博物館の特別展「春日大社 千年の至宝」や常設展(総合文化展)を鑑賞した際に、本館などにパンフレットが置いてあった。開催まで、あと二か月足らずに迫っている。
 平成館の「春日大社 千年の至宝」会場の出口に置いてあったかは、分からなかった。天皇・皇后両陛下のご来場とのことで、出口付近に人が滞留して混雑していたためパンフレット置き場は確認していない。

 特別展「茶の湯」のパンフレット(以下「パンフレット」とこの記事では呼ぶ。)によると 国宝に指定されている「曜変天目茶碗」のうち「稲葉天目」が出品されるのだ。静嘉堂文庫美術館の所蔵。パンフレットには、その写真も掲載されている。4/11の開催初日-GWの終わる5/7までと比較的長い期間の展示だ。

 昨年以来、「曜変天目茶碗」に関するテレビ番組も「複数」放送されたし、関心も高まっていると思われる。ちなみに、私も番組を「複数」視聴した。が、「曜変天目」について、これ以上の言及はヤメておく(笑)。
 
 ↓ 静嘉堂文庫美術館の展示室内の拡大。外の庭から撮影したもの。2015年11月に管理者が撮影。

  写真に写っている「上部が円筒形の頑丈なガラスケース」の内部には、黒っぽい「茶碗」がある。その茶碗の内側にはキラキラと輝くコバルトブルーのプチプチの丸い紋様があった・・・・・。これが、かの・・・・・(伏字)です(笑)。

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 藤田美術館の「曜変天目茶碗」は展示されないようだ。(パンフレットには言及無し。)代わりにといってはなんだが、同館所蔵の別の作品「交チン(文字が表示されない・・・)大亀香合」が出品され、写真も掲載されている。藤田傳三郎が死の直前に落札させたという極上の逸品だ。以前サントリー美術館で開催された展覧会でも出品されていたので私も現物を見ることができた。

 大徳寺龍光院所蔵の「曜変天目茶碗」も出品し、ドーンと特別展「茶の湯」を開催する!!、とはいかないようだ・・・・(当たり前だが・・・・・)。

 冗談はさておき、パンフレットには出品が決まっている(というより、公表している)主要展示予定品の写真掲載がある。
 同じ大徳寺の塔頭 孤蓬庵(漢字一文字が間違いか・・・・・・。)所蔵の「大井戸茶碗 銘 喜左衛門」が出品される。井戸茶碗は、朝鮮半島由来の日常使用する簡素な器と知ったのは、2014年秋に開催された「日本国宝展」でのことだった。
 国宝「志野茶碗 銘 卯花がき(漢字が出ない・・・・。)」は、2015年12月27日に日本橋にある三井記念美術館の企画展、開館10周年記念「三井家伝来の至宝」で見たことがある。

 国宝「油滴天目茶碗」 大阪市立東洋陶磁美術館 所蔵は、パンフレットには記載が無いが「東京国立博物館ニュース 2017年2-3月号」には出品されるとの記載と写真掲載がある。同じく2015年12月27日に日本橋にある三井記念美術館の企画展、開館10周年記念「三井家伝来の至宝」で見たことがあるし、昨年の特別展「禅」in東京国立博物館で見たばかりだ(笑)。

 青磁では、アルカンシェール美術財団蔵 国宝 青磁下蕪花生の展示がある。2014年10月12日に当時改装オープンした東洋館に展示されていたときに見た国宝の青磁と同じではないだろうか?。写真もピンボケしているし、よく覚えていないし忘れたが・・・・(笑)。当時、展示室内は撮影可だった。

 茶席飾として、南宋時代の絵画「紅白芙蓉図」も展示される。この1月に見たばかりです(笑)。
 ↓ 2017年1月に管理者撮影。

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  1月に展示されたとき「紅白芙蓉図」は「臨時全国宝物取調局の活動-明治中期の文化財調査-」のテーマであった。今度は「茶の湯」での展示だ(笑)。

 今回の特別展「茶の湯」において、国宝の茶碗で展示されない物は他にもあるようだ。
 長野県服部諏訪にあるサンリツ服部美術館所蔵 本阿弥光悦作「白楽茶碗 銘不二山」 。昨年2016年に同館で開催された特別企画展「禅宗と茶の湯の美」の後期の展示で展示された。
 サンリツ服部美術館の入口にも「白楽茶碗」の写真が掲示してあった。さすがに貸し出しは不可能であろう・・・・。私は前期に展示された「国宝 可翁筆 寒山図」を見たが、後期は訪問できなかったので実物は見ていない。次回、諏訪を訪れるときに鑑賞することとしよう。
 相国寺承天閣美術館所蔵の「たい皮天目」(字が出ない・・・・。)は、特別展「禅」in東京国立博物館で見たばかりだ。さすがに今回「茶の湯」では展示が無い模様・・・・・・・。以前にも書いたように所蔵する承天閣美術館で私は見ることが出来なかったので、特別展「禅」でリベンジしたのだった(笑)。

 「茶道」は現代、特に戦後の日本社会では女性がするものというイメージがある。しかし、明治維新以後、いわゆる戦前の社会では男性が嗜むことが多かった。よって、昔の政治家や実業家はこぞって茶道具を収集していた。買い求めた先は、旧大名や旧公家の華族達であったろう。その収集品は現在、財団法人などの美術館、博物館の所蔵になっている所も多いだろう。よって、それらの美術館、博物館でも「茶道」に関連した特別展、企画展が開催されることも多い。東京国立博物館に所蔵品が寄贈されているのは、有名な実業家(電力の鬼) 松永安左エ門や三井の大番頭で男爵を授けられた益田孝などだと記憶する。
 よって、重要な文化財としての茶道具類は現在、分散されて所蔵されていることも多い。他の館から借りて展示することは交渉に時間がかかるし、なかなか大変で困難なので、展示品が限られるのは仕方無いですね。

銀座 東急プラザ パーキング

 2017年2月18日 土曜日
 
 車で銀座までやって来たので東急プラザの地下駐車場に停めた。
 車を停めたパーキングから近かったため、最初に熊本県のアンテナシヨップ「銀座熊本館」へ向かった。

 銀座の再開発に伴い、2016年に新規オープンしたビル。工事中は長らく壁に囲まれて見ることが出来なかった。銀座熊本館に来るたびに大きいビルを建てているなあ、と思ったものだ。
 完成して全容を現したビルを見ると黒くて、まるで「ブラックダイヤモンド」のような建物だ。外観もギサギサとしているし。

 ↓  「銀座熊本館」の入居しているビルの前から見た東急プラザ。

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 駐車場を知ったのは、銀座の街角で配っていたポケットティッシュがきっかけだ。偶然、歩道を歩いているときに手にしたティッシュの広告面を見ると、東急プラザ パーキング(以下「P」)の宣伝であった。料金も上限がお得だ。土曜日の場合は、銀座近辺では1700円が一日当たりの上限のPは知っていたが、更に値段が安い。
 いや~自称「ティッシュ男」の本領発揮だ(笑)。いつもいつも「ティツシュ」と叫んでいるボクです(笑)。あっ、でも花粉症では無いです・・・・。
 よって、ものはためしで今回、駐車してみることにしたのだ。(ウチは、ボロ車だけどね・・・。)
 
 Pの入口はすぐに分かった。首都高の銀座ランプを降りて、まっすぐ進むと銀座交差点を過ぎ、数寄屋橋交差点の先を左折するとすぐ。ただし、歩行者には要注意だ。
 Pは地下三階である。結構、停めている人が多い。

 夜、帰る前にレストランフロアを見てみる。というのは、以前テレビで紹介されていた店があったから。あにはからんや、紹介されたお店は行列である。その他の店は、行列が無く、すんなり入店、飲食できる。なんか、偏っていて、不公平のような・・・・。

 ↓ 夜間ネオンサインに照らされる「銀座熊本館」の入居しているビルを11階の廊下から撮影。
  窓は上から、足元までガラス張りになっている。

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↓ 同じく夜間ネオンサインに照らされる数寄屋橋交差点付近。
  ソニービルが光っている。
 実は去る12月までで閉館したかと誤解していた・・・。現在も営業していた。3月末までの営業でその後解体されるようだ。「ソニー展」も昨年12月までの展示と思っていたが、誤解のようだ・・・。
 別の銀座の商業施設と誤解していたらしい・・・・(苦笑)。


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 11階から地下のPフロアにエレベータで降りて、精算して出庫する。出庫する人が多くて、少しばかり待つ。お得な料金なので、停めている人が多かった。地下のフロアからは、西銀座の公共駐車場にもつながっているし、地下の飲食フロアからは、地下鉄銀座駅にもつながっている。
 銀座、有楽町のこの便利な立地でこのPのお値段はお得だ。

 ↓ 昼間 「銀座熊本館」の入居しているビルを道路の反対側、東急プラザ前の歩道から撮影。(既出)
  この地点から撮影したのは、初めて(笑)。
  

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「銀座熊本館」 買い物  2017年2月

 2017年2月18日 土曜日

 この日は、最初に熊本県のアンテナシヨップ「銀座熊本館」へ向かった。実は車で銀座までやって来たので、車を停めたパーキングから近かったためだ。
 このパーキングについては、20:00の記事で書きます(笑)。

 二階は、おなじみのくまもんのグッズ店。特にウチの子は買いたいものがこの日は無かったようだ。
観光案内所では、スタンプラリーの告知があった。東京と熊本の二か所(ステージと呼んでいた)でラリー両方のステージでスタンプすることは困難だ。期間にも限りがあるし・・・・・。
 二階のバー「asobi」、この日は土曜日なのでカフェタイムの営業があった前回、ここで食事をした。一階と二階を結ぶ階段の途中に「asomi」 の食事メニューの掲示かあったので、改めて見る。

前回私が食べた1200円の漁師めし丼。前回は「味噌漬けの、タイ?の刺身。魚の説明はない。」と書いたが、メニューにはちゃんと「鯛」と書いてあった。よく見ましょう(苦笑)。

 ↓ 店のショーウィンドウに飾られていた「くまもん」のぬいぐるみ。
   「ご自由にお写真をお撮り下さい。」と撮影自由の表示。

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 ↓  「銀座熊本館」の入居しているビル。道路の反対側から撮影。
  この地点から撮影したのは、初めて(笑)。
  撮影ポイントの手前には、昨年新規にオープンした東急プラザの黒い巨大なビルがある。


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安曇野アートライン展  見学 「銀座NAGANO」イベント

 2017年2月18日 土曜日

 長野県アンテナショップ 「銀座NAGANO」が入居しているビルの上のフロア3階に入居しているお店で食事をした。「銀座 真田」。見た限り、階段で他のフロアとはつながっていないようだ。
 食事後、ワン・フロアのみだが、エレベータに乗り下の階に行った。長野県のアンテナショップ二階に来る。エレベータは降りる。
 前回秋の訪問時、二階のスペースではイベント、説明会をしていた。が、今回は別の展示会を行っていた。
 二階にある「りんごカフェ」のカウンターがある。その脇を通り、奥に進む。小さいイスと机にカフェの客が数名座っているのは、前回と同じだ。
  イベントスペースでは今回、テーブルとイスを出して10名くらいの主婦らしき女性達が手芸か何かをしていた。ポスターを見ると一般参加が出来るワークショップであった。

 店内のイベントスペースには「安曇野アートライン展」と告知があった。安曇野に点在する美術館の紹介をしていた。期間は18日から21日までのわずか4日間である。

 かつて訪れたときは「碌山美術館」を見学した。その後、「飯沼飛行士記念館」を見学した。彫刻家 荻原碌山、飯沼飛行士、ともに安曇野が生んだ近代史上に名を残す人物である。
 安曇野には碌山美術館以外にも近代美術館がある。安曇野市豊科近代美術館である。その他、安曇野山岳美術館、北アルプス展望美術館などがあった。ちなみに、「飯沼飛行士記念館」は人物の記念館で美術館ではないため「安曇野アートライン」に加盟していない。

 各美術館の所蔵作品の写真ボードの展示があった。北アルプスの遠望や安曇野の風景画、安曇野の動植物などの絵の写真だった。なかでも目を引いたのが、「いわさきちひろ美術館」の所蔵、絵本画家 いわさきちひろの作品だ。あの、かわいらしい絵を、一度は見たことがあるだろう。子供の頃に読んだ物語の挿絵にも取り入れられていることが多く、私もこどもの頃から知っている。
 いわさきちひろ美術館は練馬にあると知っていたが、長野県にもあるのですね。安曇野の施設は「安曇野ちひろ美術館」である。

 「安曇野アートライン」の解説ボードが掲示してあった。安曇野の南部、松本に近いところから始まり、ちひろ美術館、安曇野山岳美術館などを経て、白馬村に所在の美術館までが紹介されている。

 ↓ ビルの前に設置してあった看板。ユキダルマはレプリカで、氷をかけて白さを演出していた(笑)。
  冬らしいな。
  
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「銀座NAGANO」の上のフロア 「銀座 真田」 食事

 2017年2月18日 土曜日

 長野県アンテナショップ 「銀座NAGANO」へやって来た。
 銀座通りの一本JR有楽町駅側の通りに立地する。前回来たのは、昨年の秋のこと。(お店のある)通りの端から見ると、店の位置が実はよくわからない・・・のだったが、今回は(前回からの来店インターバルが短いので)ちゃんと覚えていた(笑)。
 今回来てみてもやはり「NGANO」と黒い、四角い小さい看板のみ(の設置)

 長野といえば「そば」。
 今回は「銀座NAGANO」の入居しているビルの上のフロアに入居しているお店で食事をする。
 「銀座 真田」。
 エレベータでお店のあるフロアに行く。エレベータを降りると廊下はなく、すぐに店の入口。長野のアンテナショップとは直接の関係は無いようで 「銀座NAGANO」のウェブサイトにも記載は無い。私がサイトを見るところリンクも貼っていないようだ。
 長野のお店と思って入店した。が、ドーンと長野名物の「そば」を打ち出しはしないようだ。そばは、ランチメニューの中心ではあるが、全体的に高級店の打ち出しだ。「長野県産の野菜」を契約農家で栽培して直送しているようだ。
 店内にはカウンター席もあり、一人で来て、カウンター内の板前さんと話ながら、食事をしている女性もいた。カウンターには、野菜なども置いて「新鮮な食材」を打ち出ししているな、と感じた。
 (野菜は現物かレプリカかは、確認していない。)信州の日本酒もカウンターに置いてあり、夜はバーのようにお酒とお料理を楽しむ場所になるようだ。

 テーブルと店内の様子。黒を基調のシックな内装だ。
 サービスのお茶は「そば茶」でおいしい。
 

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 私はランチのセットで前菜付のそばを注文。2450円くらいであった。消費税を入れてもう少しの値段になったと思う。
  ↓ 前菜。タイの刺身もある。
  豆ののった田楽豆腐(甘めのみそ味)、長野産のジャガイモの甘煮。高野豆腐とにんじんや大根の煮物。前菜について、店の方が説明をしてくれた。

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 箸置きもあります。↑
 メインは選択できるが「鴨南そば」にした。「カモネギ」の言葉よろしく、ネギがたっぷり入っている(笑)。
 鴨肉(実際には、食用のアヒルかな??。)を取り皿に取って、食べた。↓ 肉は固め。固い方がよいのだ。歯ごたえがあるから(笑)。

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 そばの量は多くは無い。生そばではなく、乾麺のそばのようだ。一味唐辛子を少しかけて食べる。そば湯は無かった。
 ツレは、丼とそばのセットにした。値段は1500円くらいであった。丼物付のセットの方が安い。
 私の注文した料理は、量が少なく足りないので、ツレの丼も貰った(笑)。天丼で、まい茸やなす天の丼もの。
 器の底が深いので、ごはんの量は存外多かった。

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↓ ビルのテナント看板。(既出)
  食事処「真田」のお店名刺も近くの小机の上に置いてあった。
  そば、天ぷらなどのメニューがある。今回は、前回の情報に基づいて来店した。信州=真田である。
 お店はあくまで、ここ銀座のみで。、長野県のレストランの東京出店という訳では無いようだ。


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 階段で他のフロアとはつながっていないようだ。ワン・フロアのみだが、エレベータに乗り、下の階に。長野県のアンテナショップ二階に来る。エレベータは降りる。前回秋の訪問時、二階のスペースではイベント、説明会をしていた。が、今回は別の展示会を行っていた。
 二階にある「りんごカフェ」のカウンターがある。その脇を通り、奥に進む。小さいイスと机にカフェの客が数名座っているのは、前回と同じだ。

奈良市内~針テラス 移動~旅籠屋針店 宿泊 (2016年 奈良のたび)

2016.4.9  春4月の「2016年 奈良のたび」

  なら町を散策した。
 私一人が車を取りにPに戻る。停めたのは県庁Pなので、なら町からは15分以上歩く。
  ↓ 興福寺の南側のガケの下。猿沢池の西側。 
  桜もかなり散っている。道には外国人を含む観光客が歩き、着物を来た人も。春の夕方、日は長く、日没まではまだ時間がある。お店は5時くらいで閉まってしまったようでシャッターが下りている。


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 県庁のPに戻り、車を出す。私が1人で運転し、途中でツレを拾うのだが・・・・。県庁Pを出て奈良公園の北を通る道に流入するのだが、交差点の手前から車が動いていない。道が混んでいるようだ。
 やがて理由が判った。車同士の事故で、奈良公園の前の道路が渋滞していたのだ・・・・。事故現場は、近鉄奈良駅の付近の道路上だったが、その現場は多数の警察官が出て通行規制をしていた。県警本部からも近いので、警官は動員しやすいのかな?・・・・。現場脇をノロノロスピードで通ると、ド派手に車がひっくり返っていて、車体がつぶれていた。乗用車同士の事故だ。黒い大型の車(ワンボックスカーではない、SUV?のような車)が大破横転していて、もう一台はさほど大破していなかったかな・・・・・。ナンデこんなに大破するのか?、理解不能。余程、一方の車が無謀運転でスピードを出していたのだろう。
 事故渋滞のため、移動に時間がかかった。JR奈良駅の近くでツレをピックアップした。奈良市内を離れ、針方面に向かう。
 途中、近道をするつもりで脇道に曲がった。これが間違いだった。京終(きょうばて)の駅の先で道に迷う。JR奈良駅の前から、幹線道路を道なりに進めばよかったのだが・・・・・。
 細い道をうねうね進むと、道が線路で行き止まりになっていた。付近は住宅と畑と正面に桜井線のJRの線路・・・。近所に住んでいるのであろう、子供達が付近で遊んでいる・・・・。新学期が始まって、最初の土曜日だからね、この日は。
 子供達の付近にはそのおかぁちゃんとおぼしき人がいる・・・・。さぞ、外ナンバーのウチらの(怪しげな)車を不思議に思ったろう・・・。
 その後細い住宅地の道を通り、何とか、いつも通る道路(奈良と天理インターを結ぶ道路)に出た。南下して、沿道にあるお決まりの古市のサイゼリヤのお店に行く。ここで夕食だ。以前、名阪国道から伊勢湾岸道を経て、帰宅の前にも食事をしたことのある、なじみの店だ。
 店のレイアウトも自宅の最寄り近くの店と同じだ。まるで、自宅に帰ってきたかのような錯覚に(笑)。だが、違うのだ。ここは奈良。神奈川の自宅近くではない(笑)。
 ↓ 奈良・古市のサイゼリヤ。

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 ↓ この日の食事。
 (何故、ファミレスで食事を撮影するのか理解不能・・・・と自分で自分にツッコミ・・・・。)
 私はご機嫌でイタリアン気取り♪♪。チーズハンバークを注文したのではない。チーズ入りカツレツを(自分で勝手に決めて)セグンダピアットとして注文。プリモピアットとしてパスタは「ボロネーゼ風スパゲッティ」。ボローニャとミラノ名物のカツレツのコンビ(の心算)で注文(笑)。もちろんライスは別に付けます。

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 その後 名阪国道から針へ向かうのだ。天理インターから名阪国道に乗った。インターに入る途中に「天理スタジアムらーめん」の看板がある。黄色くて電気でこうこうと光っているので、運転していても大変目立つ・・・・。略して「天スタ」とある。ド派手な看板だ。名物ラーメンかな。
 
 針インターで降り、隣接する針テラスに寄ってみる。中に入るのは久しぶりだ。相変わらず人が多い。「針」は名古屋、大阪間の交通の要衝だな。ここで、車中泊の人も本日は多いだろう。アノ、天スタの店も針テラス内あった。以前は、なかったと思う。ここ数年のうちに新規にオープンしたのかな?。
 ↓ 針テラス内の「天スタ」の看板。

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 ↓ 針テラスの様子。
  先程、食事をしたのに、ツレはここのロッテリアでポテトを買っていた・・・・。
  まだ食べるのかいな??。

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 針テラス内の野菜などの直売所。夜なので商品は無かった。

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 針テラスから、数分もかからずに旅籠(はたご)屋針店に到着した。本日はここに宿泊する。
 以前もある年の秋に宿泊したことがある。飛鳥に行った帰りだった。あのときは、宇陀経由で南からアプローチしたが、この日は奈良市内、針テラス経由で「北」からのアプローチだ(笑)。
 私は、早朝に起きての運転だったので疲れていたため、入浴後は早めに爆睡に入った(笑)。子供達は、私が寝た後もテレビを見ていて「爆笑」していたらしいが・・・・。あっ、ウチの子は、まじめなテレビ番組は見ません。バラエティーしか見ないです(苦笑)。

↓ 翌朝撮影。旅籠屋針店から、北の針インターの方向。

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 旅籠屋針店の北には、トラック運転手御用達と思われる広い駐車場を備えた食堂(いわゆるガテン系食堂)があったが、無くなっていて、敷地は更地となっていた。

 翌日はチェックアウトの後、まっすぐに南下。近鉄の線路を渡り、更に南下し、宇陀ほ経て大淀川沿いに出て、大阪方面から吉野にアプローチした。
 ↓ 翌日に到着した吉野山の第一駐車場。

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2016年奈良のたび 奈良公園~なら町 散策

2016.4.9  春4月、「2016年奈良のたび」
 
 奈良国立博物館の特別展「信貴山縁起絵巻」を鑑賞した後、奈良公園を散策する。
 おなじみ「鹿せんべい」です(笑)。
 

↓ 奈良国立博物館の敷地の裏手の鹿さん。

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↓ 奈良国立博物館の敷地の裏手の鹿さん。
レンガ造のなら仏像館は工事中である。
この葉は、鹿がたくさんいて、活発に行動している。

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 元々、鹿さんは、春日大社の守護のための鹿なので、奈良公園の中でも興福寺の近くでは数が少なくなるのは周知の通りだ。「鹿せんべい」を何枚かあげて、奈良公園を出る。
 なら町を散策する。と、ならまちセンターに出た。図書館も併設されている。
 掲示コーナーには 先程見学した奈良国立博物館の「特別展 信貴山縁起絵巻」のポスターも貼ってあった。


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ならまちセンターの広場から興福寺五重塔が見えた。

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↓ なら町の散策案内の看板があった。


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なら町の西寺林商店街の一角。
風情のある町家の建物があった。

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なら町の商店街の歩行者天国の様子。
こちらにも風情のある町家の建物を利用した商店があった。

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↓ 猿沢池の西。商店街。
写真の手前方向に戻ると近鉄奈良駅がある。

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上の写真のガケの上、奈良公園内、
↓ 興福寺 三重塔。
以前は、内部公開を拝観したことがあるが、この日は公開されてなかった。


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 この日は、「北円堂」の公開日でもなかった。毎年春のGWの期間中に公開になる。
 三重塔に近い、「南円堂」の内部公開はなかなか無い・・・・。以前来たときには公開されていて、行列が出来ていた。2010年の「遷都1300年祭」の際と2013年?にも公開があったと記する。「また来ればいいや」と思っていたが、公開日は通常10月に年1回だけ。なかなか来ることは困難だ・・・・・。




2016年奈良のたび 信貴山~奈良市内 移動 奈良国立博物館へ

2016.4.9  春4月、「2016年奈良のたび」
  信貴山~奈良市内 移動 奈良国立博物館

 信貴山から下り、奈良市内に向かう。奈良国立博物館の特別展「信貴山縁起絵巻」の鑑賞が主な目的だ。

 ↓ 信貴山に参拝後、助手席の窓から、奈良盆地方向を撮影した。道路がクルリとカープをして、街の方向に下っている様子がわかる。

 

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 来た道を戻る。結構な下り坂だ。交差点のところに「信貴山」の看板が出ている。
 タンクは住宅地の給水用かな。
 タンクの下は、山の斜面地を切り開いて造成された住宅分譲地がひな壇状になっている。

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 近鉄の線路の上の陸橋を通り、法隆寺方面へ。
 起伏のあると地域だ。道は元々は狭かったろうが、近年区画整理されたようで、車道のアスファルト舗装や歩道が新しい。道路の両側の建物も新しい。建物を移転して、道路を広げて新しい道の両側に改めて、住宅やビルなどの建物を建てだのだ。
 古い住宅が密集していた地域も、ここ10年~15年くらいで、ようやく区画整理が進んだのだろう。高度経済成長の時代にもっと早くに行っておこべきだったが。

  と、竜田川のほとりの道を通る。ちょうど法隆寺方向への道との交差点付近。↓
 和歌に出てくる「・・・・龍田川 かにらくりないに 水くくるとは。」は、この龍田川のこと。あまり、風情の無いごく普通の川となっている。もっと上流の龍田川沿いの道も通ったことはあるが、住宅地と丘陵地帯の合間を流れるふつうの川といった感じ・・・・・。 

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 法隆寺の前を通り、奈良市内へ。と、以前食べたことがある「ココ壱番屋」のカレー店の前を通った(笑)。
 奈良盆地は平らであるが、道はまっすぐではない。いろいろ、曲がっている。かつての条里制のあとのように、直線の道路でもない・・・・。
 やがて、奈良市内に向かって、斜め、北東方向に通っている道に入る。市内に近づいてくると、渋滞というか、ノロノロとなる。1時間くらいかかって、やっと奈良市内に着いた。この日の閉館時間の関係で、あまり奈良国立博物館がなさそうだ・・・・。
 車はおなじみの奈良県庁の駐車場(P)に停めた。料金はおなじみの1000円均一(笑)。
 急いで、奈良国立博物館に向かう。

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 ↓ 県庁の前の道と、その奥は奈良公園。


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 奈良国立博物館の特別展「信貴山縁起絵巻」を鑑賞。
 閉館時間近くまで鑑賞した。
 その後、地下から地上の出口に出た。

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 ↓ 博物館の地下スペースの上には、芝生があり、鹿さんが一生けん命「草」を食べていた。
   地上の鹿と地下の博物館(レストラン 「ハーフタイム」)のコントラストが面白い。
   漢字で書くと「ハーフタイム」は「葉風泰夢」だったかな・・・。

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 奈良公園、なら町方向に向かう。



2016年奈良のたび 法隆寺 見学(最終) と門前のお店で食事

2016.4.9  春4月、「2016年奈良のたび」 法隆寺。
  
  法隆寺 春季寺宝展、夢殿などの見学をした。  

 ↓ 拝観時に撮影した境内の様子。夢殿からの帰り、東大門。
  青空に桜が映える。


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↓ 夢殿から駐車場に戻る途中の、東大門の説明。
国宝である。日本最古の僧門とある。なんと、奈良時代のもの。


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正面の入口に戻る。

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参道の脇にある門。禅宗寺院ふうにいえば、塔頭、法隆寺内の子院だろう。

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 南大門をくぐり、境内の外に出た。
 参道の脇にあるお店に入る。先程このお店の駐車場に車を停めたので、ここで買い物をすれば、駐車料金が無料となる。
 店に続いて、食堂も併設されていた。広い食堂だ。私達以外に中学生の集団が買い物に来てた。しかし、集団は食事はしていない。昔は40人一クラス×6クラス以上学年にいる学校がふつうなので一度に300人は入るくらいの食堂だ。今来ている中学生の人数は2クラスくらいだろうか。
 うどん、そばなどのメニューがあり、食事も出来るとのこと。ここで注文して食べる。店内には、柿の葉寿司を販売している。買ってここで食べてもよいとのこと。下の子の好物なので、数箱を購入し、早速テーブルで開いて食べる()。

 ↓  注文した「きつねそば」と「柳屋」の柿の葉寿司。
   関東に住む私にとっては「山の辺」が一番有名かな。

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食堂(手前)と店内の様子。中学生が出入りしている。
手前は、私がたべようとする、きつねそばと食べ終えた柿の葉寿司の「葉」(笑)。

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 私が子供、中学生の頃は子供の人数が多かったので、ここでもたくさんの児童、生徒が一度に食事をしたことであろう。しかし、時代は短い間に急激に変わった・・・・。今は、少子高齢化の時代だ。私が子供~少年の頃のアノ時代は一体何だったのか?。
 現在、自分の子供は修学旅行で奈良に来た当時の私とほぼ同じ年齢。私にとっては、(修学旅行で奈良に来た中学生の頃は)ついこの前のことに感じるのだが・・・・、一方で遠い昔のことにようにも感じる・・・・。今をもって、私の答えは出ていない・・・・・。
 
 駐車場に停まっているバスに生徒たちが戻って来た。出発するようだ。バスは「ハイランド エクスプレス」とあるように長野県のバス。このバスは上高地や松本市付近で見たことがあるし、上高地に行くときに乗ったことがある。本当に長野県の中学校の修学旅行のようだ。
 4台、4クラスで来ているのだろうか、35人学級として140人くらい。私の頃だったら、3クラス半の人数かな?。
 お店の中にいたのは、うち1クラスくらいの人数だったのかも。
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駐車場の外側には、田畑と住宅地が広がる。
以前は、もっと畑が広がっている田園地帯だった筈だ。


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2016年奈良のたび 法隆寺 見学(夢殿)

2016.4.9  春4月、「2016年奈良のたび」

  法隆寺 春季寺宝展などを見学し、夢殿へ歩く。私にとっては、2010年春以来、6年ぶりだ。
 道路を渡るため、注意が必要。狭い道なので、車が通ると危ない。接触しそうになるし、このときも車同士がすれ違いがでなくて、夢殿の前で滞留してしまっていた。
 
 ↓ 拝観時に撮影した境内の様子。
     内部、つまり有料拝観エリアに再び入る。

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 ↓ 夢殿の楼上から。入口の門。

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 この日は秘仏の「救世観音像」の公開期間でない。
 公開期間は「4月11日から5月 日まで」とある。木の札に書いてある。ょって、曜日に関係なく毎年4月11日と決まっているようだ。あと二日後である。この日は月曜日であったので、平成28年は月曜日からの公開となる。


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 屋根の下の拡大。

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 ↓ 山桜であろうか、花は散ってしまっている。
  殿内の仏像を拝観する人が集まっている。

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 「絶対秘仏」といわれる「救世観音像」であるが、現在は年に二回、合計で約二か月間公開されている。ょって、「秘仏感」はあまり無いのが実情だ。

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 「救世観音像」は厨子の中に入っているようだ。どれがその厨子であるか、判別できなかった。
 、「秘仏感」はあまり無いのが実情だ、と上で書いたが、
 しかし、それは現在だからこそいえること・・・・。かつては、本当に絶対秘仏であったのだ。
 簡単に拝観できるとありがたみも無くなってしまうものだ。人間って本当に勝手だ・・・・。

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 前回来たときは、行列だった。
 まだ一回しか「救世観音像」を拝観したことが無い。あのときは、有難さを理解していなかった。


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2016年奈良のたび 法隆寺 見学3

2016.4.9  春4月、「2016年奈良のたび」

  
  法隆寺 春季寺宝展などの見学だ。  ↓ 拝観時に撮影した境内の様子。


 伽藍の内部、つまり有料拝観エリアに入る。

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2016年奈良のたび 法隆寺 見学2 伽藍 拝観

2016.4.9  春4月、「2016年奈良のたび」

  
  法隆寺 春季寺宝展などの見学だ。  ↓ 拝観時に撮影した境内の様子。


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 伽藍の内部、つまり有料拝観エリアに入る。


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 百済観音。背が高い。後ろの後背が分離している?。まず入って五重の塔。中には、白い塑像のような仏像がある。うしろの北側の仏像はねはんで、お釈迦様が死ぬ場面のよう。となりの金堂の仏像は壁画はパネルがはめられている。暗いのでよく見えないのでが、比較的鮮やかだ。正面 の大きな仏像があり、手前、向かって右側に薬師如来。隅には、あまのじゃくといいうか、邪気を抑えていてる四天王像。
金堂を反対側の出口から出る。これで三回目だったかな。五重塔がふたつあるように錯覚してしまう。薬師寺と混同か。


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 正面の回廊の奥が講堂。金堂と混同してしまう。中は大きな仏像がある。大日如来??。 外と回廊内を見る。撮影スポットである。と、講堂の脇の回廊の石砂利の前で、母子らしい二人に ガイドが説明をしている。回廊内には、ガイト゛がいて、グループなどに説明をしている。頼んでいるのだろうか。 「斑鳩町観光協会」と腕章をしている人もいる。


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2016年奈良のたび 法隆寺 見学1

2016.4.9  新章突入です。春4月、「2016年奈良のたび」

 早朝に自宅を出発。伊勢湾岸自動車道~名阪国道を通行する。
 以前ニュースで聞いたのだが、最高速度が引き上げされたとか(引き上げされた、その後一回は通行したかな・・・)。針インターを過ぎ、奈良盆地を囲む山をこえて、再び下り道となり、カーブを曲がる。
 視線の先に奈良盆地の景色が見えてきた。山にかこまれた平地に田畑と街が広がっている、雄大な風景だ。
 
 今までは、名阪国道を天理インターで降りて、奈良市内に向かうことが多かったが、今回はそのまままっすぐ有料の高速道路に進む。奈良盆地の中を進み、間もなく法隆寺インターの表示が出てくる。
  
  法隆寺 春季寺宝展などの見学だ。  ↓ 拝観時に撮影した境内の様子。


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  法隆寺インターで降りる。田んぼと畑と住宅の混在する地区の中を通る一般道路を進む。途中、JRの駅の近くを通過。道は整備されて、歩道も広い。区画整理をして道路を広げたようだ。昔はもっと道が狭くて、家が近接していたような気がする(気のせいかもしれないが・・・・。)。
 やがて、法隆寺の門前に至る。右折してまっすぐの参道に入る。松林の中の道を進む。駐車場を探す。
  車は、法隆寺の門に近いお店の駐車場に停めた。有料駐車場よりも門に近い場所にある。
 お店でおみやげを買えば、駐車料金が無料になるし(笑)。
 特に下の子が好物の「柿の葉寿司」を買うしね(笑)。
 早朝出発し、休憩を含めて6時間半くらいで着いた。早起きしたので、やや眠いかな。
 
 ↓ 参道の車道の様子。
   お寺の門を背にして南側。向かって左にありお店の駐車場に停めさせて頂いた。 

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 ↓ 道の突き当り、歩道を歩き、門へ。門をくぐり参道へ歩く。
   おなじみの道です(笑)。

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 なぜか、ここで妻の妹と合流。JR法隆寺駅から歩いてきたそうだ。法隆寺駅でピックアップしても良かったが、私達の車の到達まで待つことを考えると、お寺まで歩いた方が早そうなので歩いて来たのだ。車中で妻は自分の妹とメールで色々やりとりして「最終決定」していた。
 JRの駅から法隆寺までは、微妙な距離があることは有名だ(笑)。バスの時刻がちょうどあったかは、確認していない。
 (妹は)大阪駅から、ちょうどよい具合に快速列車があったので、ほぼノンストップで法隆寺駅まで来て、予定よりも早く着いたとのこと。
 恐らくこの問題(JRの駅からは法隆寺が微妙に遠い件)は、あと千年たっても解決しないでしょう(笑)。
 
 国宝の南大門をくぐる。南大門といえば、東大寺のインパクトが強いので他の寺院の南大門は忘れてしまいがち・・・・・・。こちら(法隆寺)は室町時代なので、後年再建されたものだろう。東大寺の南大門は鎌倉時代だったと思うので、法隆寺の門の本が新しいことになる・・・・・・。


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 「法隆寺秘宝展」の告知。
 「通常拝観していただけない宝物の特別公開を行っております」と告知がある。
 春に約三か月、秋に二か月半と少しの会期となっていた。
 今回の訪問は、こちらの見学も目的のひとつ。

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 伽藍の手前のチケット売り場で券を購入。
 その間、近くに国宝の建造物があるのに気づいた。国宝「 三経院及び西室」
 鎌倉時代の建築。聖徳太子の三経を講義する、と説明にある。
 三経について、ボクは理解していません(苦笑)。


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 国宝「 三経院及び西室」の正面近くより撮影。
 現在、東大寺に多く残っている建築物は鎌倉時代のものも多い。時代がほぼ同じなので、様式も似ているにうな・・・。特に三月堂(の鎌倉時代に建築された部分)などに。

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 入場前におトイレに行って、体調を整えてから、伽藍の内部、つまり有料拝観エリアに入る。
 前回は2010年の春に来た。ほぼ、6年ぶりになる。
 妻の妹は修学旅行以来?。分からないが。



2016年奈良のたび2 出発~新東名 長篠設楽原PA 休憩

2016.4.9  新章突入です。春4月、「2016年奈良のたび」

 既に、信貴山 朝護孫子寺や、奈良国立博物館の特別展「信貴山」については、記事を掲載した。
 「信貴山縁起絵巻」が三巻、全巻同時公開になるとのことで企画した旅であった。今回はその見学がたびの主要な目的のひとつだ。
 最初の目的地は法隆寺だ。新東名(愛知県内新規開通)~伊勢湾岸~名阪国道と向かう。
 早朝の暗い中を出発し、東名~新東名へと走行する。
 そして、この春、新規に延長開通した路線へ入る。今までは「いなさ」Jctで、三ヶ日方面の従来の東名高速道路へ連絡道を通行し合流するルートだったが、新東名の延長開通で、愛知県の山間部をを西に貫通し、豊田経由、伊勢湾岸道に入ることが出来るようになった。
 そして、新規開通した路線の長篠設楽原PAで休憩をすることにした。もちろん、PAも新規開業したばかりだ。

 ↓ 春の朝、駐車場はすいていた。
  「いくさの陣地」のような建物。幟もたくさん立っていて、「三つ葉葵」は徳川と分かるが、花びらの家紋は「織田」だろう。ホンマにいくさのようだ。でりゃゃ~ことだ(笑)。


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 ↓ 駐車場。右側が東京方向。左が名古屋方向。

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「長篠」だから「長篠の合戦」にちなんで、PAのプロデュースは合戦一色。
建物の中にも鎧の複製の展示がある。記念撮影が出来るようになっていた。


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 PAエリアの店舗内部の様子は撮影していない。しかし、合戦まんじゅうに、合戦せいべいに、合戦アイスにすべて「合戦」というのは、冗談(笑)。全くのデッチアゲではないが、合戦関連商品はたくさん販売しています。
 レストラン、イートインでは「信長 赤みそラーメン」、家康にちなんでは「鯛 天丼」のメニューもある。
 信長がラーメンを食べたことがあるか定かではないし私は寡聞にして知らないが(笑)、家康の「鯛」はヤバイかも・・・・・・。家康は鯛の天ぷらを食べて、食あたりが原因で死亡したとの伝承もあるし、大丈夫かな?。

 ↓ 自販機まで「合戦」。信長の甲冑の複製品まで、販売機の上に載っている。

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 桜の花びらの家紋は織田のものであることが判ったが、実をいうと明智の有名な家紋「桔梗」と混同していた。似ていると思ったのは私だけかな・・・・。家紋も似ているし、討たれるのは運命だったかも・・・。

↓ PAの建物の横には、現代の鉄製の櫓がある。
 展望台のようになっていているが、実は物見やぐらで、いざ現代の合戦が勃発したきに使用するというのはウソだが(笑)、閉鎖されて登ることは出来なかった。

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 鉄の櫓付近には何か告知があるかと思ったが無い・・・。櫓を囲むフェンスの横には「禁煙」の看板しかなく、櫓については何も説明が無かった。

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 ↓ PAの敷地に隣接して山があり、登ることが出来るようになっている。
   PA内の公園かなと思った。が、実際には、説明の看板があり「茶臼山」と解説あった。
 中腹には途中には神社がある。山き、PAの手前側が今回の高速道路開通とPA設置に伴い、木が伐採され切り崩されている。



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↓ 説明看板。

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 看板によると、目の前のこんもりした丸い山は茶臼山で、本当に合戦のとき陣地で使用された山というのだ。
しかも、マジで信長が長篠の合戦のときに本陣を置いたというのだから、驚いた。
 PAのコンセプト「合戦」は、営業用かと思ったが、本当に古戦場の山に隣接したPAだったのだ。
 「合戦」に賭ける長篠設楽原PAの「本気度」を感じた(笑)。
 でも、本当の「本陣」であった茶臼山が造成工事で切り崩しされていたので、残念かも。建設工事のあとが生々しいし・・・・。
 「長篠」は長野県、昔の信濃の国の南部かと思っていたが、実際は現在の愛知県新城市だった。


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遊歩道の途中から駐車場。春の晴天の朝、平和だな~。
こうして、家族でドライブ旅行。ボクはシアワセなのだろうか?(笑)。

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山には上らなかったが、テラスから下を眺望。古戦場は、写真の左側。茶臼山に隠れて見えない。
合戦のときは、後方部隊が布陣したのかは、分からない。見た限り、現在はふつうの街が広がっている。


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 PAの敷地から、茶臼山のカゲに隠れて、長篠の古戦場の跡地はよく見えない・・・・、ということは、茶臼山は平野部というか、長篠、設楽原の谷全体を俯瞰できる絶好の場所であったのである。
 信長は絶好の場所に本陣をしいて指揮をしたのだ。信長が優れた武将であったことが、よく分かった(笑)。
 よく知られるように、鉄砲を三交代で撃つことを考案しただけでは無かった。戦の総指揮官として、戦場全体を見下ろし、かつ自身も安全な場所をキープしたのだ。自ら騎馬に乗って突撃する訳ではなく、鉄砲隊の前線に陣取って射撃の指揮をするのではなく、全体を見ながら指揮をとっていたのだ。

 ↓ 南の方向。古戦場とは逆。谷には飯田線が開通していて、豊橋に電車で出ることが出来る。


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2016年奈良のたび1 プロローグ (出発~法隆寺へ)

2016.4.9  新章突入です。春4月、「2016年奈良のたび」

 既に、信貴山 朝護孫子寺や、奈良国立博物館の特別展「信貴山」については、記事を掲載した。
 「信貴山縁起絵巻」が三巻、全巻同時公開になるとのことで企画した旅であった。今回はその見学がたびの主要な目的のひとつだ。
 法隆寺を先に見学して、信貴山にやって来た。そして、信貴山の記事は先に掲載したのだ。スタンプラリーもあったしね(笑)。
 予定のコースは
  新東名(愛知県内新規開通)~伊勢湾岸~名阪国道
  ↓
  法隆寺 春季寺宝展 見学
  ↓
 信貴山 朝護孫子寺
  ↓
 東大寺  例年4月に公開の「本坊」などの公開 見学
  ↓ 
 奈良国立博物館の特別展「信貴山」
  ↓
 奈良市内に宿泊

2日目
 吉野山 (桜が見ごろのため) 
  下の写真は2016年4月 吉野 上千本付近で撮影。
  

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 (吉野山を下り)
 ↓
 談山神社
 ↓
 室生寺 春の金堂内 国宝仏像 公開
 である。

 しかし、「東大寺の本坊公開は、今年は実施しない。」と東大寺のウェブサイトにあった。何で、わりによって、このタイミングで・・・・と絶句。
 同ウエブサイトには「H28-02-20  「本坊襖絵一般公開」について 」として「平成28年は本坊襖絵展を開催いたしません。 」との告知が・・・・・。ガーン・・・・。

 4月9日、いつもより早起きして出発だ。夜行で車中仮眠の行程はやめた。体力的にツラくなってきたので(笑)。朝起きてから出発することにする。早朝に出ることにしたのだが、なんと朝の4時発。久しぶりの早起きだ。暗い中を東名~新東名へと進む。


 

 ↓ (既出) 桜咲く信貴山の入口。

 

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「日本画の教科書-京都編 栖鳳、松園から竹喬、平八郎へ-」鑑賞2 山種美術館

 2017年2月某日 「日本画の教科書-京都編 栖鳳、松園から竹喬、平八郎へ-」 鑑賞2

 2か月ぶりに山種美術館にやってきた。続いて展示室を見ていく。
 重要文化財のもうひとつの指定作品 村上華岳筆「裸婦図」は奥の壁の右手に展示されていた。なぜか華岳を私は「麦僊」と混同してしまう・・・・、何故でしょう??(笑)。 

↓ 今回の展覧会のチラシの上の部分と以前(平成27年8月)、本館で購入した「裸婦図」の絵葉書。
 写真の右上は、松園の作品だった。

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  「裸婦図」の説明には「平成26年に重要文化財に指定された。・・・・」とある。タテ1.5メートルはあろうかという大きな絵。二年くらい前に、東京国立博物館に展示されているときに見た。平八郎の「漣」を見た前年だったかな。撮影は禁止なので、画像は無い。
 「裸婦図」は全体的に茶色の絵で、ふくよかなエクゾチックな容貌の半裸の女性が印象的。作品が大きいので、半裸の女性の乳房と乳首がとても目立っていて強調されている。半円形の丸い乳房である。
 説明によると、インドのアジャンターかエローラの遺跡に書かれた女神とダヴィンチのあの「モナリザ」のモデルの女と背景を思わせる、という意味の解説だった。この作品の後、華岳は女性の姿を描くことは無かったそうだ。
女性が腰をかけている横には、蓮の花が描かれている。仏教画のようでもあるし、モナリザを手本とした西洋の女性を表現したようにも見える。インドを代表する東洋と西洋、そして自国日本を融合させたような作品だった。この作品は大正時代前期の作なので、まだ華岳は若い時期の作品。理想の女性をすでに表現し切ってしまったのでしょうか。
 続いていくつかの作品展示があり、麦僊の「香魚」という作品があった。つまり鮎のこと。数尾のおいしそうな、とれたて?のみすみずしいアユがザルに盛ってある絵。初夏、6月に釣り上げたアユの写生画であろうか。

↓ (既出)館の外に掲示されていたポスターの部分。
   右に重要文化財指定「斑猫」の写真が小さくある。しかし、現物は大きかった。
   左、上村松園の「牡丹雪」。
   下、平八郎の「筍」の部分。

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 続いて、コーナーを曲がり、展示室を見ていく。平八郎の作品は、魚の絵があった。「鮎」。数点の展示があったが、あの重文に指定された「漣」のような抽象画のような作品ではない。先に展示があった「桃と女」のような実物画だった。均一ではないにせよ、あの「~~~」が続く「蒼い波の絵」ではなかった。
 順路の最後の方に、上村松園の作品があった。遠くから見ても、目立つ、一際色彩の美しい絵だからすぐにわかる。着物を来た優美な女性の絵だった。

 ↑ 上の写真の左が上村松園の「牡丹雪」。戦時中、昭和19年の作。
 説明文にだったか「国威発揚関連の展示会に出品」されたとあったような・・・・。戦時中、画材の入手が困難だった時期なので国策協力は不可欠だったようだ。
 今回展示されていた松園の作品は、「ペパーミント」のような着物が印象的な女性の絵だった。

 展示室の最後のゾーンに、日本画の材料の展示コーナーがある。この周囲の壁面には松園の息子、松篁などの作品展示があった。
 日本画の材料については、本館ではいつも(この場所に)展示されているようなのだが、ニカワの材料あり、鉱物性の材料あり。貝を材料とする白の画材あり、特に紺などのブルー系の材料は鉱石だし、黄銅鉱?も使用しているようなので戦時中は特に入手困難だったのではないか。
 もう一度、展示室の最初の部分に戻って来て「斑猫」を再度見た。駈足で10時35分過ぎに鑑賞を終えて外に出た。10時15分くらいに来たので、20分くらいの滞在であった(苦笑)。 
 1階の映像コーナーでは渋谷区の他の博物館、美術館を紹介していた。ちょうど国学院博物館を紹介しているシーンであった。前回も見たような記憶がある。近隣の館同士で連携しているようだ。

 恵比寿駅へ美術館から坂道を下って歩いた。寒い日なのであるが苦にならず、かえって歩きやすい。体が温まった(笑)。

「日本画の教科書-京都編」 鑑賞1 山種美術館

 2017年2月某日 「日本画の教科書-京都編 栖鳳、松園から竹喬、平八郎へ-」
 会期は2月5日(日)までだった。

 2か月ぶりに再び山種美術館にやってきた。冬の寒い晴天の日。 国学院大学博物館の特別展を見学した後の訪問だ。同大学から山種美術館までは、歩いて5分かかるかかからないくらい。道路を渡る信号待ちの時間によっても異なるが。
 
 前回11月の訪問時と同様、寒い日だ。あのときは、晩秋だったがこの日は真冬の本番。ただ、陽射しは明るいので、青空がまぶしいな

 前回の私(にとっての鑑賞)のメインは御舟作の重要文化財指定「名樹散椿」だった。今回は、竹内栖鳳の重要文化財指定「斑猫」が展示される。本館で一番有名な所蔵作品ではないかな。「斑猫」は三年くらい前に東京国立近代美術館で開催(のち、京都国立近代美術館でも開催)された「竹内栖鳳展」では代表作として展示された。その後、本館(山種美術館)で開催された展覧会で、展示されたことがあるかは、分からないが、今まで見たことが無いため今回やって来た次第だ(笑)。

 昨年(か一昨年)に同じ栖鳳筆の「絵になる最初」が栖鳳二点目として重文に指定された。「絵になる最初」は京都の美術館の所蔵。京都画壇の大家とはいえ、重文指定の代表作がそれまでは京都には無かったことになる。やっと、京都所在の作品、なおかつ近代京都画壇の大家の作品が重文に指定されたのだ。お目でとうございます(笑)。 「絵になる最初」は昨年に、東京国立博物館に展示されているときに見た。
 作品名からイメージしにくいが「初めて絵のモデルにならんとする、まだ十代の可憐な少女の姿、様子を捉えた日本画」だった。私がタイトルをつけるならば「初めてモデルになる少女(着物姿)」かな(笑)。
 
 山種美術館の入館料は1200円。実はこの日、前回訪問時に反省を生かし、どこかの美術館で入手した「日本画の教科書-京都編」のチラナに付いていた「割引券」を持って来たのだ(笑)。「割引券 命」だな・・・・ボクは(苦笑)。
 館内に入ると、平日のため人は少ない。一階ロビーにある「映像コーナー」のイスはすいているし。カフェも人が二、三人いるのみ。主婦らしき女性がコーヒーを飲んでいる程度だ。
  私はカウンターでチケットを購入して、展示室へ階段を降りた。 
 
 地下展示室の入口ドア付近には、だれもいなかった。土曜日、日曜日に来たときは、人の出入りが多かったが。

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 自動ドアを入って左手の廊下を進み「斑猫」を求めて小さい「第二会場」の展示室から見る。
 「炎舞」を以前、二回見たときと同じ場所の狭い部屋だ。今回は、室内に私以外に誰もいない。大型の作品が展示されていた。

 第一会場、つまり通常の展示室の最初の壁に重要文化財指定「斑猫」はあった。人が数名作品の前にいて、見入っている。作品は想ったよりも大きい。タテヨコ1メートルはあろうか。
 作品名は「まだらねこ」と思っていたが作品の説明にもあるように「はんびょう」が正しかった・・・・。

 重要文化財「斑猫」の前に立って長方形の展示室の奥を見ると、ざっと20人くらいの入館者がいる。入口付近はすいていて、人がいなかったが、平日でも入館者は多い。会期末も近いし、次の土日は何倍にも混雑するであろう。

 ↓ 館の外に掲示されていたポスターの部分。
    重要文化財指定「斑猫」の写真が小さくある。しかし、現物は大きい。

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 画面の中央に猫が大きく描かれている。猫の瞳が印象的だ。エメラルド色をしている。翡翠のような色というべきか・・・・。どのような画材を使用しているのだろうか。本当に深い色だ。説明によると「猫の目や毛のところには金泥(きんでい)を使用している」そうだ。金色以上に深みのある色だ。
 モデルとなった猫の写真も展示されていた。普通の猫だった(笑)。

 ↓ 入館チケットの写真は「斑猫」であった。

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 猫の毛には、確かに金色の体毛が表現されている。金泥によるものなのだろう。

 栖鳳は「本名、恒吉(つねきち)・・・動物画を得意とし、『動物の匂いまであらわす』といわれた・・・昭和12年に文化勲章を受章した・・・・」と説明にある。
 「躍動感」以上に感じさせるものがある、という意味で「においまであらわす」と称賛されたのでしょうか。毛の逆さだった様子まで見事に表現されている。

 栖鳳の本名であるが、竹内「こうきち」と読むと私は思っていたのだが、これまた誤解だった・・・・・。本名、竹内恒吉(つねきち)、第一回文化勲章受章者。受賞当時 正五位、勲四等。同時に受賞した横山秀麿(大観)は当時無位、叙勲も無しであったのと対照的であった。
 以前 文化勲章受賞決定の文書は国立公文書館の展示で見たことがある。

  観覧者は、中年以上の女性が多いような。ブーツをはいてピッチリとした服装の女性もいるが年齢は40台半ば以上かな。次いで、老年の男性。学生のような人もいる。私と同じような(仕事をサボッているような・・・・仕事の合間に来ているような)中年以上の男性は、私以外に一人くらいいたような気がしたが、基本的にはいなかった・・・・。

 ↓ 今回の展覧会のチラシの部分。
  福田平八郎「筍」、土田麦僊「大原女」。
  
 
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 福田平八郎「桃と女」ふくよかな作務衣姿の二人の女性が印象的だ。二人の女は、農作業の途中なのであろうか、頭に頭巾を巻いている。作品は大きい屏風絵だ。
 桃の季節なので、7月頃の暑い時期であろうか。女性の着物も薄着の感じ。胸元が強調されていて官能的な視点である、というような解説文があった。制作年は大正5年。のどかな、そして穏やかな桃の実る農村地帯の初夏の風景だ。
 その隣に土田麦僊「大原女」が展示されていた。
 「大原女」は大きい屏風絵で、桜の咲く春に京都の北郊、大原の女が薪を頭に載せて運ぶ様子を捉えている、いかにも京都らしき作品。女の姿も力強さとともに優美さを感じる。

 続いて、見ていく。角を曲がったところ、奥の壁の一番右に重要文化財指定作品 村上華岳筆 「裸婦図」が展示されていた。

 
 ↓ (既出) 広尾中側から見た山種美術館。
   寒い日で、春はまだ遠い枯れ木の並木ではあるが、よく晴れていて青空が映える。

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渋谷区 東渋谷台地付近の博物館、美術館 散策

 2017年2月某日 

 冬の寒い晴天の日。ここは、渋谷駅から見て、南東にあたる台地の上だ。
  国学院大学博物館の特別展を見学した後、同大学から山種美術館まで移動した。
 両方の敷地は、歩いて5分かかるかかからないくらいの距離。山種美術館の前の道路を渡る信号待ちの時間によっても異なるが(笑)。
 台地の上の道のりなので、平坦で歩くのも楽チンだ。途中には、氷川神社の緑に覆われた境内や学校がある。 学校の体育の授業なのだろう、生徒が学校の周囲の道路を走っていて、曲り角のところで出会い頭にぶつかりそうになってしまった・・・(苦笑)。
 あとで気付いたが、氷川神社の近く、広尾中の道路を挟んで反対側に「塙保己一記念館」があった。開館時間は9時からだったので、10時開館の 国学院大学博物館や山種美術館を見学する前に訪れてもよかったかも・・・・・。
 実は、国学院大学博物館の近くに渋谷区立の博物館がある。「白根記念渋谷区郷土博物館・文学館」だ。山種美術館の近くにも看板が出ていたので、今度来たときは行ってみようと思った。しかし、開館時刻は11時からだった。国学院大学博物館から、山手線の線路側(西)を背にして歩いて100メートルもないくらいの距離だ。館の前まで、歩いて行ってみたが見事にまだ開いていなかった(笑)。
 山種を見た後に戻って来ても良かったが、その後に所用があったので、訪問は割愛した。公立の施設だからせめて、9時半くらいから開けてほしいな(笑)。
 (同館の外観写真は撮影していないのでありません・・・・・。)

 その更に先、壁に囲まれた緑の多い森のようなお屋敷地がある。常陸宮邸であった。近く(山手線の線路方向を背中にして、国学院大学博物館の更に手前側)には「常磐松小学校」もあった。なお、文字は宮家は「常陸宮」で「常陸」と地名の「常磐」松では表記の漢字は異なる。

 ↓ 国学院大学博物館に置いてあったパンフレット。
  昨年2月-3月に同館で開催された企画展「渋谷の縄文、弥生時代-最新の調査成果から-」の案内パンフレットだった。
  渋谷区の遺跡についてのパンフに渋谷区の地形の解説があった。

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↓ 国学院大学博物館に置いてあったパンフレットの拡大。
  昨年2月-3月に同館で開催された企画展「渋谷の縄文、弥生時代-最新の調査成果から-」の案内パンフレット。 地図中の数字は標高を示していた。

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 パンフレットの地図によると国学院大学や山種美術館は「東渋谷台地」の南端の上にある。
 山種美術館から恵比寿駅へは、下り坂で、恵比寿の谷には渋谷川が流れている。山種美術館の南、館の入口の裏手も下り坂になっていて、渋谷川にそそぐ支流が形成した谷になっていることが判る。
 現在地は、市街地化、住宅化して地形がわかりにくいが、国学院大学~氷川神社~広尾高校付近が(私が歩いてみたところ)台地の頂上になっている。山手線の線路沿いから歩いていくと、国学院大学を過ぎて渋谷区郷土博物館・文学館の先、常陸宮邸の塀沿いにかけては下り坂になっていた。


 ↓ 国学院大学博物館から徒歩で向かう途中。広尾中、広尾高校などの前の歩道、恵比寿駅とは反対側から山種美術館を撮影。学校側の歩道沿いはタクシーのたまり場のようになっていた。

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京都国立博物館 特別展覧会「国宝」 平成29年秋 開催[予告]

 2017年2月

  寒い冬のある日のこと。渋谷区にある国学院大学博物館を見学した。
(※ 本来は旧字体で表記するのが正しいが、ここでは現在字体の漢字で表記することにする。) 

 
 特別展「火焔型土器の機能とデザイン」
 新潟県の十日町市博物館所蔵 笹山遺跡出土 国宝 深鉢型土器(火焔型土器)が展示されていた。

 ↓ 国学院大学博物館で撮影。「写真撮影OK」であった。
  


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 その日の夜、自宅に帰ってから見学記録を書くついでに「京都国立博物館」のウェブサイトを何気なく閲覧した。すると、この(平成29年)秋に同館で「国宝展」が開催されると告知があった。
 特別展覧会「国宝」である。

 サイトには展示予定の国宝の写真が掲載されていた。まだ、ほとんど内容は固まっていない(というよりも、公表を控えている)ようで四点のみの告知だった。
 等伯の「松林図屏風」と等伯の子、久蔵筆の智積院蔵「桜図壁貼付」。福岡市博物館所蔵の「金印」と、この十日町市博物館所蔵 笹山遺跡出土 国宝 深鉢型土器がの写真がサイトに掲載されいるではないか!!!。

 ↓ 2017年1月撮影。東京国立博物館所蔵「松林図屏風」。

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  「京都国立博物館」のウェブサイトによると「春は友松」(海北友松の特別展)、「秋は国宝」とのロゴがありました。さて、「秋は国宝」なのですが、今のところ4点のみ決まっている(というよりも、公表を控えている)「国宝展」の出品作品のうち、2017年になってからまだ日も浅いのに「半数」の画像を撮影することに成功しました(笑)。

 過去、
 東京国立博物館での国宝展の「金印」展示期間は相当混雑したようです。
 等伯の子、久蔵筆の「桜図壁貼付」が所蔵、展示されているのは京都国立博物館から徒歩4分くらいの(笑)、智積院の収蔵庫。私が行ったときは、等伯作品のうちの一つが東京国立博物館での国宝展に出品されていて、展示が無かった。
 京都の「国宝展」(特別展覧会「国宝」)は平成29年10月の開催。まだまだ先のこと・・・・。恐らく会場内の写真撮影は禁止でしょうから、開催前に写真撮影できたことは貴重ですね。

 

特別展「火焔型土器の機能とデザイン」 国学院大学博物館 見学2

 2017年2月
  寒い日冬のある日のこと。渋谷区にある国学院大学博物館を見学した。
(※ 本来は旧字体で表記するのが正しいが、ここでは現在字体の漢字で表記することにする。) 

 特別展「火焔型土器の機能とデザイン」 見学。
  
 展示室に入って、すぐ右手に 十日町市博物館所蔵 国宝 火焔型土器 の展示があった。


 ↓ ガラスケース正面より「国宝 深鉢形土器 火焔型土器」

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 大きい。立派だ。炎のような突起が確かにある。大きい突起は、均等に四か所ついている。左右対称の模様なのか、目をこらして、うーんどうかな~、と観察する。突起は向かい合っているものが「一対一」の「対」が×2=4個の突起になっているのか。「対」になっているようでもあるし、なっていないようでもあるし、不思議な形だ。
 突起には「ハート型」の穴も開いている。縄のように土をこねて、穴を付けたのだろう。「ハート型」土偶を思い出した。まるで、心臓のような、人の心を表現しているようなハート型の穴だ。
 
 縄文時代は弥生時代の前だから、西暦でいうと紀元前500年より更に前なのかな、という程度の認識でしかなかったが、この土器は今から5000年前のもの。「縄文時代中期」。
 紀元前でいうと3000年前。すると、現在私達が縄文時代と呼んでいる時代は3000年~5000年は続いたのだ。いや、もっと長く1万年だったかな・・・・?。
 長らく文明が進化しなかった時代というのは語弊があるが、文明、文化の発達がゆっくりだ。反対に弥生時代以降、現在までの進化のスピードがいかに速かったかを感じる。

 ↓ 同じ角度から拡大。上部の火焔のような尖った模様も気になるが、「ハート型の穴」も気になる。
  もしや人間の心臓を表現したのかとも思ったが、土器を持つための単なる取っ手のようにも見える(笑)。

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↓ 国宝とは別の 「深鉢形土器 火焔型土器」 と展示室内の様子。
  新潟県の文化財に指定。ぽっと見たところ、国宝の土器よりも小さい。模様も少ない。

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↓ 重要文化財指定の 深鉢形土器 火焔土器。壁に沿ったガラスケースに展示があった。
  国宝よりも小さい、側面も含めて模様が少ない。
  長岡市馬高遺跡の出土と説明に書いてある。

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 ↓ 重要文化財指定の 深鉢形土器 王冠型土器
  こちらも国宝と比較すると小ぶり。王冠の紋様だが、四つのタテの持ち手がついているようで、実用性も感じた。津南町の堂平遺跡出土。

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 新潟県の信濃川に近い地域に縄文時代、共通した模様の土器が発達したようだ。特別展のテーマにある「火焔型土器の機能とデザイン」については、時間の関係で説明をよく見ることが出来なかったので、なぜこのような模様の土器が普及したのか、制作されたのか、機能はどのようなものであったのか、理解していない・・・(笑)。遺跡の場所や出土品などの解説パネルも壁に掲示してあったが、よく見る時間が無かった・・・・(苦笑)。
 展示スペースの順路に沿って、土器以外の石器や三角形の土板の展示があった。十日町の遺跡から出土していた。調理などに使用したのだろうか。
 
 私が入館してすぐ直後には、三人くらいの入館者があった。スーツを着た私より年下の感じの男性だ。大学の関係者かも知れないと思った。その後、熟年のスマートな女性が2人連れでやって来た。国宝の前で、じっくり見ながら、話をしている。また、別の夫婦らしき熟年の男女もやって来た。
 比較的規模の小さい博物館であるが無料でもあるし、会期末ということもあってか平日にもかかわらず開館直後から見学者がやって来ている。
 時間の関係で10分くらいの滞在であった。特別展以外に常設展示のスペースもあるのだが、見学は
割愛した。古代の神社の建物の模型などが展示してあるのが見えた。古代というより、式年遷宮で建築された伊勢神宮の木造建築のような印象も受けた。
 展示室を出ると、エントランスのところに小学生が整列していた。先生らしき私服の男性が傍らに立ち、小学生の列の正面には男性が立って話をしているところだった。「博物館 学芸員の 〇〇 です。」とあいさつをして「それでは、中に入って見ていきましょう。」と展示室の中へ児童を引率して入って行った。
 児童たちは皆、制服を着ている。私学の制服ではなく公立小のような紺色の制服だ。5年生くらいかな、と思った。6年生というほど児童達は大きくない。6年生だと、この時期は、もうすぐ中学生だし、もっと大きいと思う。
 来ている児童は25人くらいだった。一クラスの人数かな。学年で一クラスなのかは分からない。都心部のビル街を歩いていると確かに制服で登下校している小学生を見ますね。

 帰宅した後、十日町市博物館のウェブサイトなどを見て、少し復習した。土器には「おこげ」もついていたものがあり、調理に使用されていたらしい。かまどに於いて、煮炊きするのにちようどよい大きさだし。また、祭祀にも使われていたらしい?。国宝の土器は、(発掘後洗浄したのであろうが)きれいで形が崩れていないし、祭祀などの飾りだったのかも知れないと改めて感じた。


 




特別展「火焔型土器の機能とデザイン」 国学院大学博物館 見学1 (国宝 火焔型土器)

 2017年2月
  寒い日冬のある日のこと。渋谷区にある国学院大学博物館を見学した。
(※ 本来は旧字体で表記するのが正しいが、ここでは現在字体の漢字で表記する。) 


 元々は、山種美術館に来る予定であった。前年の11月にも「速水御舟展」の鑑賞にやって来たときに、竹内栖鳳筆の重要文化財「斑猫」が展示されることを知ったので再び鑑賞にやって来ることにしていた。
 しかし、年末年始を挟み、はや会期末となってしまった・・・・。いつものことだけどね(苦笑)。
 そこで、急きょ仕事の合間に見学に行くことにして、同時に近隣で行く所(スポット)はないかな?、と思って(ネットで)調べていたところ、国学院大学博物館の特別展を知った次第だ。
 
 テーマは「火焔型土器の機能とデザイン」。目玉展示として新潟県の十日町市博物館所蔵 国宝の縄文土器(火焔型土器)が展示される。
 現地まで見に行くことは大変であるし、遠隔地の国宝が展示されるせっかくの機会なので、見学してみることにした。
 会期は12月10日から、年末年始を挟んで平成29年2月5日(日)まで。またまた、会期末に近い見学となった(苦笑)。 国学院大学博物館は、入館料無料。大学の付属施設とはいえ、太っ腹だ。

 以前、山種美術館に来たときに、近くに国学院大学博物館があることを(改めてではあるが)知り、同時に渋谷区立の記念館も近くにあることに気付いたのだ。が、山種が閉館間際の訪問だったりして、行くことができなかったので、近くの博物館も同時に行くことができれば、と思っていた。

 周知の通り国学院大学のキャンパスは渋谷駅や渋谷川沿いから見ると、坂道を登った丘の上にある。周囲は、住宅地や商業地、学校などの公共施設用地。道を一本入ると閑静な通りだ。大学のメインの校舎のある敷地とは別、道路を挟んで、渋谷駅側に博物館のあるビルがあった。道路沿い、門やキャンパスを囲む壁のないオープンスペースのような敷地入口なので、すぐに分かった。

 開館時間は10時から。開館時刻ちょうどに博物館にやって来た。ゆるやかな坂道の途中、大学の敷地内のビルの一番下のフロア、半地下になっている所に入口があった。路面から階段を下って入館した。
 閉館時刻は18時と比較的遅い。17時閉館の別の博物館、美術館を見学した後でも訪問可能だ。

 ↓ 博物館の入口。「火焔型土器」の複製品が設置してある。実物大の大きさか?、と錯覚してしまった・・・。


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 ↓ 特別展の告知看板。渦をまいているような、不思議な形の突起のある城門土器が「火焔型土器」だ。


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 エントランスに入るが、特に受付は無い模様。無料の博物館の場合は、記帳台があり、氏名などを書く場合もあるが、特に無いようだ。全くの自由入場で、入館料無料だ。
 展示室への自動ドアを入る。と、係員が座っている。開館直後の不意の入館で少し驚かれたようだった。カチと手に持っていたカウンターで入館者数に私は数えられた。展示室の入口には、博物館チラシ展示品リスト、やこの特別展にちなんで新潟県の「信濃川火焔街道連携協議会」のパンフレットが置いてあったので、入手した。
 信濃川の沿岸市町村が共同して制作したパンフのようだ。沿岸の遺跡から、火焔型土器が出土してているのだ。今まで知らなかった・・・・。
 縄文土器だから、縄の模様が土器の側面や、上のフチ付近にあるのは当たり前だ、程度の認識しかなかったのだ・・・・。

 入って、すぐ右手に「国宝 火焔型土器」が独立した四方から見れるガラスケース内に展示してあった。
 付近の壁には「カメラマーク」があり「OK」と告知がある。なんと、写真撮影OKなのだ。

 ↓ ガラスケース内の「国宝 火焔型土器」。写真の右が展示室出入り口の自動ドア。
   「写真OK」の告知が見える。
 
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  博物館の入口の告知板にもあるが、ミュージアムトークも開催している。特別展のチラシにも日時が掲載されていて、複数回開催されている。この2月の土曜日にも開催がある。大学内のホールで関連イベントも開催されていた。(イベントは昨年の12月に開催済だった。)
 展示室内の告知にもあったが信濃川流域で発掘されたこれらの火焔型土器とこの地域の雪国文化が「日本遺産」にも指定されたそうだ。


佐倉城址公園 散策2 と国立歴史民俗博物館

 2016年3月20日 千葉県佐倉市 佐倉城址公園 散策

 「国立歴史民俗博物館」(「歴博」)を見学した後、歴博がある佐倉の城跡を散歩する。 


  本丸の跡から出丸への道は急な坂道だった。下ると、田んぼの見える平地に出た・・・。出丸は本丸と同じ標高の台地の上にあると思っていたのでが、図らずも城の下に出てしまったのだ・・・・・。仕方無いので再び台地の上へと崖の坂道を登る。本当に「崖」なのだ。決して誇張の表現では無い(苦笑)。千葉の「洪積台地」のヘリを登るのだ。
 上へ戻ると先ほど、本丸に行く途中に横を通ったお茶屋が見えた・・・・。お茶屋は、歴博の建物から本丸へと向かう道の途中にある空堀の近くにあった。なんだ、ずいぶんと遠回りしたな・・・・。本丸から、平地(台地の上)の道をまっすぐ来れば、(崖を登り降りする必要はなく)近くだったよ・・・・。「下って、登って」疲れたよ(笑)。

 城跡の台地に戻ると、草地の広場になっていて、たくさんの人が遊んでいる。植物園もあり、遠くには別の駐車場もある。先程も来るときに迷った、佐倉武家屋敷の方面から入場できるようになっている。


↓ 新しい案内看板。


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 ↓ かつての聯隊の図。
  ことのきは「歩兵第二連隊」とある。兵舎の配置は、歴博の館内に展示されていた模型、図とほぼ同じ。
 今いるのは、兵舎などの建物なかった広場と思われる場所。戦前も広場だったと思われる。


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 ↓ 明治天皇御駐〇記念碑。
   昭和時代に入ってから、建立された碑のようだ。かつては、連隊の敷地の中にあったのだろう。

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 ↓ 「佐倉兵営跡」記念碑

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 記念碑は、元々連隊の兵舎や連隊本部などかあった跡地に建てられたが、歴博が建設されることになったので、同じ旧佐倉城内のここに移されたと説明にある。 
上の写真の案内看板にも説明があったが、記念碑の揮毫はかつて大佐時代に57連隊の聯隊長を務めた今村均・元大将のもの。

 広い広場の合間に浅い谷がある。子供がワーっと走って下って、遊ぶのに最適(笑)
 写真の右手が本丸、左が植物園側なのだが、かつての堀か空堀の跡だろう。
 落葉している木は、ケヤキかな・・・。

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 植物園の入口や温室の横から、遊歩道を散歩して、駐車場に戻る。昔は城の中の窪地だったと思われる谷もになっている。窪地の底には、池がある。丘陵公園のような景色でかつての城跡とは思えないくらいだ。昔は、城の中の池だったのか?。再び坂道を登る。坂を上り、やっと車の所まで戻る。


 ↓ 館の横、かつての城跡の二の丸との境にあった空堀付近より。
  春めいてきたとはいえ、まだまだ寒空。が、ビンクの花が明るく咲いていた。水色の空に映えるな~。春はすぐそこにあると感じた。
   

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 さて、帰ることにする。本当は佐原まで行くことが出来るかなと思ったが、到着する頃には午後5時を過ぎてしまう。見るべきところも閉まってしまいそうなので、やめておく。都内方面に戻ることにした。

 城跡の中にある駐車場を出て、城門(明治~昭和戦前期は連隊の営門)を下る。一般道路に出るところには信号がある。堀もあり、水がある。京成線の線路も通っている。城門を下ると、台地の下の道だった。
 佐倉の旧市街は、佐倉高校から、南西方面に傾斜になっている。すべて台地の上にあるのではない。しかも城跡は、台地の南西の端にあるようだ。城跡の南側一体は、たんぼ、湿地、川の平地だ。城は岬のように、台地したの平地に突き出ている。かつての戦での要害だったのだろう。 
 
 四街道のインターへ向かう。 インターへ道なりに進む。佐倉のはずれの平地の道である。進むとやがて台地の上の道となる。実は、佐倉~臼井の街などへ遠回りしたようだ。台地の上は、整然と区画整理された新興の住宅分譲地となっている。
 やがて道は再び畑と林 廃棄物置き場など混在地の風景となる。関東の郊外地域の雰囲気(笑)。「ザ・カントーの台地」。田んぼと雑木林の混合エリアー。
 インターの手前にあるY字路のところのガスステーションででガソリンを入れる。リッター99円。私の地元では104円くらいであり、ここは安いな。さすがチバ!。

 四街道インターから再び 高速道路に入った。

佐倉城址公園 散策1 と国立歴史民俗博物館

 2016年3月20日 千葉県佐倉市 佐倉城址公園 散策

 国立歴史民俗博物館」(「歴博」)を見学した後、歴博がある佐倉の城跡公園を散歩する。 


 佐倉城址公園の看板 ↓
 


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 歴博の館内も午後になると人がだいぶ増えてきた。駐車場も満車で、城跡の更に奥にある別の駐車場に誘導している。かつての二の丸だ。草地であり、アスファルト舗装ではない。
 城跡は、公園になっていて、たくさんの人がいる。気軽に来れる公園になっているようだ。

 衛戍病院跡の碑 ↓

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 歴博の建物を出て、お城の本丸へ。かつての佐倉連隊の建物は、館内の展示によると二の丸の更に手前の三の丸と思われる付近にあったようだ。
 かつての本丸付近には、ほとんど近代以降の連隊の建物は無かった。

 途中、かつての二の丸付近には、衛戍病院跡の碑がある。病院は、連隊の門から入り、コの字状に配置されていて兵舎や連隊本部の奥に位置していたようだ。

 ↓ オオカンザクラ。まだ咲いていない。



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 城跡を歩く。桜はまだ咲いていない・・・。咲くのも、もうすぐだが。
 最近の桜は速い。三月開花は、もはや当たり前だ。

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 散策路を歩いて本丸方向に行くと、お茶屋もあった。休憩して軽く飲食できる。

↓ 堀田正睦像。と散策路。

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 ↓ ハリス像。幕末の関連人物ということで、ともに展示ですね。

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 ↓ 本丸付近。 本丸御殿の台所用の門のあったところかな。

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 歩いていくと、その先に空堀がある。過ぎて更に進むと、本丸の跡だった。公園のようで子供達が遊んでいる。

 バトミントンをしている人もいる。憩いの場だ。ここがかつての城跡とは思えないくらい。
 天守台らしき盛り土、石垣もあるが、あまり大きい天守ではなかったようだ。

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 本丸付近の土手。早咲きの桜の花が少しだが、咲いている。

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 ↓ 道に沿って坂を下る。急坂だ。
   歴博のパンフには城址公園の地図もついていて、それによると「出丸」への道となっている。

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↓ 出丸に行ったつもりだが、城跡の下に出た。低地だ。かつての堀のような川と同じ目線というか、標高に。

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 いつのまにか、散策路を下り、台地の下に出たのだ。本丸との標高差は、30~40メートルくらいだろうか。
図らずも佐倉の洪積台地を下ってしまった・・・・。
 出丸なので、本丸と同じ標高の台地の上の要害のような城跡だと思ったが、低地の田んぼ、湿地とほぼ同じ標高。本丸の下で、敵と同じ高さで奮戦を予定する場所が「出丸」なのかな(笑)。
 オレは、ヤダな。出丸で戦うのは・・・・・・。これじゃ、討ち死に必死だよ・・・・↓(と、テンション下げ。)。
 JRの佐倉駅も近いはず。付近には、田んぼや田を埋めて造営されたと思われる住宅がある。


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りょうげつ

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