2017年3月某日
早稲田大学総合学術情報センター(以下「センター」と記す。)
「早稲田大学中央図書館 開館25周年記念展示」 「第1期 図書館所蔵の国宝・重要文化財」の見学をした。
長いタイトルなので以下、主に「展示会」と記す。
展示会は今後、第3期まであるのだが国宝が展示されるのは大学のウェブサイトによると第1期だけ。同じくウェブサイトによると図書館所蔵の国宝が展示されるのは2007年以来、10年ぶりとのこと。
センター内の展示室のガラスケースで国宝の展示があった。
「礼記子本疏義 巻五十九」
※「疎開」「疎遠」の文字に似た「そ」の漢字がウェブサイトでは表示されないかも知れない。
「玉篇 巻第九」
の2国宝である。
途中で、見学者が複数名が入室して来た。昼休みの終わる13時(午後1時)に近くなったからであろうか?。人が増えた。一人は50歳~60歳くらいの女性で、私服だ。年配の男性がもう1人来た。男の学生の二人連れも入って来た。二人は、鑑賞して作品の話をしながら見て、私よりも先に出て行った。更に、もう1人、男子学生が入ってきた。私が出た後には、展示室内にはこの男子学生1人だけが残った。
国宝の展示ケースのコーナーを曲がって左手、展示室の長辺の部分のガラスケースでは、時代が下がって、日本の江戸時代の文化財の展示であった。
仙台の「大槻家文書」の展示がメインである。一括して重文に指定されている。同時代の人物の肖像画の展示がある。「杉田玄白像」の展示がある。彩色の鮮やかな掛け軸になっている肖像画だ。
その下には「重訂 解体新書」の展示があった。同じく一括して重文指定文化財の一部である。東洋文庫の展示で見た初版本とは違う版のもっと新しい、改定された版だ。
「重訂」なので、初版後に改訂して出版された版であろう。内容のページが開いていたが、どこのページだったか忘れてしまった(苦笑)。
東洋文庫では、顔面の「目」や「耳」の部分のページを開いて展示していたが、別のページの公開であった。ここセンターの展示室で無料配布している展示会の図録に写真が掲載されている部分とも違ったと記憶する。
「杉田玄白像」は玄白80歳当時の姿と解説文にあった。教科書に掲載されている玄白像は、まさにこれだった。あの肌が衰えて、シワが目立ち、痩せている玄白の肖像画である。本物はここにあった。知りませんでした・・・・(反省)。
当時としては、異例の長寿である。現在では100歳に相当するのかは断定できないが、見た目現代の感覚でいうと、画中の玄白の姿は90歳から100歳くらいの人にも見える。もっとも、(老化は)個人差が大きいのであるが・・・・。玄白は「医者なので養生した」ので、当時としては長命であったのであろうか?。
んー、えっ!?。手元の図録のページをめくって、実際の展示作品と比較してみると「杉田玄白像」の写真掲載が図録に無いのだ・・・・・。主要展示作品であるのに、図録に掲載が無いので「杉田玄白像」の写真は、教科書か歴史資料集で(自分の目で)確認してネ、ということだろうか??(笑)。
↓ 展示会の図録より。 「重訂 解体新書」が写っている。
展示部分は表紙の縦書きで「重訂 解体新書」とタイトルが印刷されたと思うが・・・・。
右は、第1期の展示品の解説文。
展示室内、真ん中の「島」の平なガラスケース内部には「運慶の直筆文書」の展示などがあった。「法眼運慶置文」。
厚みのある和紙の巻物が2巻ある。別の文書をつなぎあわせて、その裏に書いた文章だ。当時、紙は貴重だったので「裏紙」を使用したのだろう。よって、裏に元々書かれていた文字の墨が透けている。
文書の内容は「運慶の娘が養母から土地の権利を得る際に運慶が保証をしたもの」だそう。仏師の運慶にも個人の生活があったことが分かる。当たり前のことなんだけど、生々しいなぁ。一庶民(法眼だからそれなりの公的地位にあったと思うが)として普通に生活していたのですね(笑)。
奈良国立博物館で「快慶」、東京国立博物館で「運慶」の特別展が今年、開催される筈である。特別展でこの文書を展示したら、遺した仏像などの作品以外に、彼個人の生活に迫る資料として面白いかも。
警備員の立っている横に記帳台がある。記帳のページが開いている。少し見てみると「国宝を見るのは 今まで×××件だったが、今回××5件目と××6件目を達成です・・・・。」ように書いてあった。ものすごい数の国宝を実際に見ている。私なぞは、数えてもいないんだけど・・・・(苦笑)。
「・・・・母校の国宝公開を決断してくださった 総長 (氏名) に感謝します。 記帳者氏名 」とも書いてある。卒業生の記帳であった。
別の記帳では「文学部3年?」の学生と書いてある。「・・・・自分の通う大学の国宝を見ることが出来てよかった・・・・。」という内容。ただし「図録と違う場面の展示であるので考慮してほしい・・・・。」との指摘も書いてある。やっぱり・・・・・。私も何か違うなぁと感じたので。短い展示期間・・・・、場面替えをするのかは、図録や解説文には書いていないので、せっかくだから図録と同じ部分でよかったのでは?。
「礼記」の末尾は光明皇后の「印」も重要であると思うので、(図録には国宝巻物の末尾部分の写真を掲載し)末尾部分の巻物の箇所を「印」のところも含めて、スペースが許す限り展示し、または図録の写真掲載分をリアル(実際)に展示するならば、「光明皇后の「印」は(展示できないので)図録をご覧ください」のような展示解説文をガラスケースに掲示してもよかったかな。
30分くらいで見学を終えて外に出た。
↓ 二階のエントランス前より。冬の青空だが、春はすぐそこに来ている。
と、昼休みの時間帯、午後1時を過ぎたためか、私の携帯電話が突如として鳴った。仕事の用件だった。建物の外に出て、通話する。二階のエントランス前は広い。先程見学した展示室の前の大きなガラス窓のある廊下の「外側」で通話した。周囲には人がいないので、迷惑は掛けていないです。(笑)
本日は天気がよい。早春の気持ちのよい青空だ。気温は10度未満のヒトケタ台・・・・・、なので寒いが、センターのガラス窓やレンガに太陽光線が反射して眩しい。
エントランスの階段を下り、センターの門を出て道路を横断。早稲田キャンパス内を通って地下鉄早稲田駅まで歩いた。
東西線沿線の駅近くに用があったので、そのまま地下鉄に乗り移動した。
(早稲田大学図書館所蔵の国宝 見学記はこれでおしまいです。)