良月(りょうげつ)の たび日記

神奈川県 湘南地区在住。折口良月(おりぐち りょうげつ)の神奈川、東京、静岡、山梨、長野など関東近郊地域への行楽、外出。美術館、博物館めぐり。その他国内旅行などお出かけの記録。

2017年03月

 

「図書館所蔵の国宝・重要文化財」 見学3(最終) 早稲田大学総合学術情報センター

  2017年3月某日

 早稲田大学総合学術情報センター(以下「センター」と記す。)
 「早稲田大学中央図書館 開館25周年記念展示」 「第1期 図書館所蔵の国宝・重要文化財」の見学をした。
 長いタイトルなので以下、主に「展示会」と記す。
 展示会は今後、第3期まであるのだが国宝が展示されるのは大学のウェブサイトによると第1期だけ。同じくウェブサイトによると図書館所蔵の国宝が展示されるのは2007年以来、10年ぶりとのこと。
 
 センター内の展示室のガラスケースで国宝の展示があった。
 「礼記子本義 巻五十九」
 ※「疎開」「疎遠」の文字に似た「そ」の漢字がウェブサイトでは表示されないかも知れない。
 「玉篇 巻第九」
 の2国宝である。

 途中で、見学者が複数名が入室して来た。昼休みの終わる13時(午後1時)に近くなったからであろうか?。人が増えた。一人は50歳~60歳くらいの女性で、私服だ。年配の男性がもう1人来た。男の学生の二人連れも入って来た。二人は、鑑賞して作品の話をしながら見て、私よりも先に出て行った。更に、もう1人、男子学生が入ってきた。私が出た後には、展示室内にはこの男子学生1人だけが残った。

 国宝の展示ケースのコーナーを曲がって左手、展示室の長辺の部分のガラスケースでは、時代が下がって、日本の江戸時代の文化財の展示であった。
 仙台の「大槻家文書」の展示がメインである。一括して重文に指定されている。同時代の人物の肖像画の展示がある。「杉田玄白像」の展示がある。彩色の鮮やかな掛け軸になっている肖像画だ。
 その下には「重訂 解体新書」の展示があった。同じく一括して重文指定文化財の一部である。東洋文庫の展示で見た初版本とは違う版のもっと新しい、改定された版だ。
 「重訂」なので、初版後に改訂して出版された版であろう。内容のページが開いていたが、どこのページだったか忘れてしまった(苦笑)。
 東洋文庫では、顔面の「目」や「耳」の部分のページを開いて展示していたが、別のページの公開であった。ここセンターの展示室で無料配布している展示会の図録に写真が掲載されている部分とも違ったと記憶する。

 「杉田玄白像」は玄白80歳当時の姿と解説文にあった。教科書に掲載されている玄白像は、まさにこれだった。あの肌が衰えて、シワが目立ち、痩せている玄白の肖像画である。本物はここにあった。知りませんでした・・・・(反省)。
 当時としては、異例の長寿である。現在では100歳に相当するのかは断定できないが、見た目現代の感覚でいうと、画中の玄白の姿は90歳から100歳くらいの人にも見える。もっとも、(老化は)個人差が大きいのであるが・・・・。玄白は「医者なので養生した」ので、当時としては長命であったのであろうか?。
 んー、えっ!?。手元の図録のページをめくって、実際の展示作品と比較してみると「杉田玄白像」の写真掲載が図録に無いのだ・・・・・。主要展示作品であるのに、図録に掲載が無いので「杉田玄白像」の写真は、教科書か歴史資料集で(自分の目で)確認してネ、ということだろうか??(笑)。

 ↓ 展示会の図録より。 「重訂 解体新書」が写っている。
  展示部分は表紙の縦書きで「重訂 解体新書」とタイトルが印刷されたと思うが・・・・。
  右は、第1期の展示品の解説文。

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 展示室内、真ん中の「島」の平なガラスケース内部には「運慶の直筆文書」の展示などがあった。「法眼運慶置文」。
 厚みのある和紙の巻物が2巻ある。別の文書をつなぎあわせて、その裏に書いた文章だ。当時、紙は貴重だったので「裏紙」を使用したのだろう。よって、裏に元々書かれていた文字の墨が透けている。
 文書の内容は「運慶の娘が養母から土地の権利を得る際に運慶が保証をしたもの」だそう。仏師の運慶にも個人の生活があったことが分かる。当たり前のことなんだけど、生々しいなぁ。一庶民(法眼だからそれなりの公的地位にあったと思うが)として普通に生活していたのですね(笑)。
 奈良国立博物館で「快慶」、東京国立博物館で「運慶」の特別展が今年、開催される筈である。特別展でこの文書を展示したら、遺した仏像などの作品以外に、彼個人の生活に迫る資料として面白いかも。

 警備員の立っている横に記帳台がある。記帳のページが開いている。少し見てみると「国宝を見るのは 今まで×××件だったが、今回××5件目と××6件目を達成です・・・・。」ように書いてあった。ものすごい数の国宝を実際に見ている。私なぞは、数えてもいないんだけど・・・・(苦笑)。
 「・・・・母校の国宝公開を決断してくださった 総長 (氏名) に感謝します。 記帳者氏名 」とも書いてある。卒業生の記帳であった。
 別の記帳では「文学部3年?」の学生と書いてある。「・・・・自分の通う大学の国宝を見ることが出来てよかった・・・・。」という内容。ただし「図録と違う場面の展示であるので考慮してほしい・・・・。」との指摘も書いてある。やっぱり・・・・・。私も何か違うなぁと感じたので。短い展示期間・・・・、場面替えをするのかは、図録や解説文には書いていないので、せっかくだから図録と同じ部分でよかったのでは?。

 「礼記」の末尾は光明皇后の「印」も重要であると思うので、(図録には国宝巻物の末尾部分の写真を掲載し)末尾部分の巻物の箇所を「印」のところも含めて、スペースが許す限り展示し、または図録の写真掲載分をリアル(実際)に展示するならば、「光明皇后の「印」は(展示できないので)図録をご覧ください」のような展示解説文をガラスケースに掲示してもよかったかな。

 30分くらいで見学を終えて外に出た。
 ↓ 二階のエントランス前より。冬の青空だが、春はすぐそこに来ている。

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 と、昼休みの時間帯、午後1時を過ぎたためか、私の携帯電話が突如として鳴った。仕事の用件だった。建物の外に出て、通話する。二階のエントランス前は広い。先程見学した展示室の前の大きなガラス窓のある廊下の「外側」で通話した。周囲には人がいないので、迷惑は掛けていないです。(笑)
 本日は天気がよい。早春の気持ちのよい青空だ。気温は10度未満のヒトケタ台・・・・・、なので寒いが、センターのガラス窓やレンガに太陽光線が反射して眩しい。
 エントランスの階段を下り、センターの門を出て道路を横断。早稲田キャンパス内を通って地下鉄早稲田駅まで歩いた。
 東西線沿線の駅近くに用があったので、そのまま地下鉄に乗り移動した。
 
(早稲田大学図書館所蔵の国宝 見学記はこれでおしまいです。)


「図書館所蔵の国宝・重要文化財」 見学2 早稲田大学総合学術情報センター

  2017年3月某日

 早稲田大学総合学術情報センター
 「早稲田大学中央図書館 開館25周年記念展示」 「第1期 図書館所蔵の国宝・重要文化財」の見学をした。
 長いタイトルなので以下、主に「展示会」と記す。
 展示会は、第3期まである。国宝が展示されるのは、早稲田大学のウェブサイトによると今回の第1期のみだけ。しかも、同サイトや今回 展示室で無料配布していた展示会の図録によると所蔵する国宝は、なんと「10年ぶりの公開」とのことだ。前回は2007年に大学中央図書館が開館15周年を迎えた際に公開されたそうだ。
 大変貴重な機会である。

 ↓ センターの玄関エントランス部分にあった告知。

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 第1期に展示される国宝の画像部分の拡大。


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 展示室内を見学する。室内には警備員が1人以外、誰もいなかった。ガラスケース内の展示を見ていく。重要文化財指定の「崇光上皇 宸筆願文」と「尾張~百姓等解文」の展示があった。
 続いて、その左、展示室の奥のガラスケースにこのたび10年ぶりに公開された国宝の展示があった。
 まず「礼記子本義 巻五十九」があった。
 ※「疎開」「疎遠」の文字に似た「そ」の漢字がウェブサイトでは表示されないかも知れない。

 解説目録の文章によると「礼記」の注釈本だそう。何を書いているかは、分からない。漢字がたくさん書いてある・・・・。唐の時代の写本。「巻五十九」なので多数ある巻物による注釈のうち、59番目の巻物のみが保存されていて、今、私の目の前に展示されているのだ。
 奈良時代には日本に伝来していて、光明皇后の所蔵印が押してあるそうだ。正倉院の時代には伝来していたので、当然遣唐使によって持ち帰りがされたのだろう。図録の写真には「内家私印」と皇后の印が朱肉で押してある。巻物の末尾に四角い印が斜め、ひし形に押してある。しかし、目の前の展示では巻末の「内家私印」は開いていない。別の部分、巻物の途中の一部の公開である。
 
 展示部分の内容を読んでみる。漢字の羅列なのであるが・・・・。「叶? 」足六衡之第六所××也・・・心也安・・子則即也×士・・・  前有文母而・・・天雨・・・」のような文字。勿論漢字の転写間違いばかりだが・・・。
 ガラスケース脇の室内の壁のパネルには修復したときの様子の写真の展示がある。原本は紙の劣化によってボロボロになっていて、かなり千切れている。というか、巻物として巻いたまま、長い期間保管していたので、ある部分が半楕円形に紙が劣化してえぐられている。裏地の紙に原本を貼り付けして、修復を行っていた。よって、現在は巻物になっている。図録の写真では、裏紙を貼り付けした様子がわかるが、目の前に展示されて、開いている部分は劣化をあまりしていない部分のようで、紙に貼り付けしているようには見えなかった。

 その隣には「玉篇 巻第九」の展示がある。
 
 同じく写本である。
 「玉篇」なので王家、皇帝の伝記や由来書かと思ったが、書いている内容は漢字辞典のようだった。皇帝の伝記ならば史記のように「紀」だろう。「玉」は、皇帝を意味すると思いのだが、勘違いかな。日本では「玉」は天皇を意味するが。または歴代皇帝の伝記ならば「玉紀」というべきなのかは、分からない・・・・。
 
 「玉篇」の内容を読んでみる。漢字の羅列なのであるが・・・・。 「言」のように部首を大きい文字で書き、同じ部首の漢字を列挙して解説している。
 展示して、巻物を開いている部分の文字を観察してみると確かに「言」や「日」が部首の漢字である。が、現在の日本で常用漢字として使用されている文字は無いような・・・・。それらの漢字の日本語の「音読み」も分からないです(苦笑)。

 書いている内容を抜粋してここに書いてみる。勿論、間違って写している文字が多いのだが・・・・。
 「千弓」のような文字の部首の説明は・・・、「第九十 凡六字・・」とこの部首は、「90番目」と番号を振り、文字が6字あるような書き方。
 続いて「去?部」とまたまた分からない漢字。「第一百 凡二字」と100番目らしい。「去? 胡・・毛詩婚姻孔去る侍曰去?抱成・・・・」のように書いている。
 「音部 第百一 凡十六字・・・」「・・・音気 ×奇生天同隆増天声・・・・周礼師氏掌六伸天・・・成分謂之音」のように書いている。解説してある漢字もよく分からない(苦笑)。

 図録の写真には「言」が部首の別の漢字の部分が掲載されている。目の前の展示では、「言」から「日」の部首の漢字の解説部分が開いている。上の写真を見ると分かるが、展示会の告知パネルには、これまた別の部分の「食」の部分の写真掲載である・・・・。ガラスケース内では、写真には無い、巻物の途中の別の部分の公開である・・・・。
 「食」は、当時の文字と現在の日本の「食」の文字は異なるようだ。よって、ここでは現代日本の漢字表記で本記事では記す。JIS第二水準の文字、というのかな??。
 解説目録の説明文には、巻物の展示部分の「展示替え」があります。とは書いていない・・・・。室内にもそのような表示は無い。よって、図録の掲載写真の部分の公開が実際にあるかは、不明だ。

 
 私が見学していると、途中で、見学者が複数入室して来た。

 図録の写真↓ 「礼記子本義 巻五十九」
 「内家私印」と皇后の印が朱肉で押してあるのが判る。

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 図録の写真↓ 「玉篇 巻第九」
 「言」の部の漢字の説明であることが何となく判る(笑)
 末尾の部分も写っている。

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 解説目録の解説文によるとこの2つの国宝の伝来は「明治39年と大正3年に田中光顕から寄贈された。」そう。当時の早稲田大学(東京専門学校の後身)に寄贈されたのだろう。寄贈された経緯に大隈重信の名は出ていないが、当時の勲功者、有爵者として、両人(田中伯と大隈伯、大隈はのちに侯爵)とも友人関係にあったことだろう。
 「礼記子本義」は、明治23年に忽然と古書×××閣(古書商??)に現れたと解説文に説明がある。私の推測だが、公家か大名家が手放したのではないだろうか。清国公使と田中が競った末に、田中が落札し、複製品を作成したので、複製のひとつの寄贈を願ったところ、現物.が寄贈されたのが明治38年とある。「日露戦争」の終結した年のことである。
 「玉篇」は以前は福岡・黒田家の分家、秋月藩の藩士の所蔵でのちに田中光顕が入手した、大正3年に寄贈した、と解説文にある。

 田中といえぱ宮内大臣を務めた人物。かつての小田原の別荘は現在小田原文学館となっている。
 私も訪れたことがある。

 田中光顕邸は、ここ早大の近くの徒歩で3分くらい、道路を渡る信号待ちが無ければ1分か2分くらい(笑)の文京区関口の水神社の近く、胸突坂の下、現在の芭蕉庵の敷地にもあったと記憶する。よって、大隈重信をはじめ東京専門学校・早稲田大学の関係者とは「ご近所さん」だったのかも知れない。いわば当時のご近所関係を含む人間関係によって、寄贈が行われたと推測する。


「図書館所蔵の国宝・重要文化財」 見学1 早稲田大学総合学術情報センター

  2017年3月某日

 早稲田大学やってきました。総合学術情報センターで「早稲田大学中央図書館 開館25周年記念展示」が開催されている。「第1期 図書館所蔵の国宝・重要文化財」の見学をする。
 長いタイトルなので以下、主に「展示会」と記す。展示会は、第3期まである。国宝が展示されるのは、早稲田大学のウェブサイトによると第1期のみだけだ。
 
 今回の訪問は、平日の昼間のことだった。訪問したこの日は入試が終わり、卒業式の前、まだ新学期の始まる前の時期にあたっていた。大学は春休み期間中であり、キャンパスの敷地内には人が少ない。大学に人が一番少なくなる時期ではないだろうか。
 第1期は3/17から展示が開始され、新学期が始まった後の4/5(水)まで。会期末の頃には新入生を迎え、キャンパスには再び学生達が戻ってきて賑わっていることであろう。 展示会は、博物館ではないので日曜日と祝日は休み。学校の施設であるからだろう。

 私が訪れたのは、昼休みの時間帯。ここ中央図書館の展示を見た後、近くを流れる神田川の端を渡り、坂の上にある永青文庫まで行こうかなと思ったが、時間が無いのでやめた。本当に早稲田大学から神田川沿い、関口の水神社までは通りを渡って、すぐ近くだ。
 通りから総合学術情報センターの敷地の中に入る。道路は戸山、高田馬場方向に緩い登りの斜面になっている。北の神田川が流れる低地から台地に至る緩やかな坂の地形の途中にあるといったところであろうか。

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 門を入ると建物の回廊柱に立看板があった。と柱の脇にスーツ姿の男性が立っていて、私を見るなり「会議場はこちらです。」と声を掛けてきた。別の場所には「××集会? 会場」と看板がある。学術団体の集会があるようだ。私はその参加者と誤認されたようだ。おかしいな~、私のショボイ身なりで行動.していたのに(笑)。
 案内の男性はこの寒い気温の下、コートを着ていない。偉い先生方を迎えるのにコートを着てはならないと「コート着用」を許されていないのであろうか。だとしたら、厳しいです。私は「展示室です。」と返答し、そのまま正面の階段を昇り、二階のセンター入口へ向かう。案内係の男性は寒そうにしていた・・・・・。
 建物の中に入る。展示室は、入って正面に向かって右手。左手には図書館。図書館には人が学生が出入りしているし、図書館のゲートには司書らしき女性がいる。シーンとして静寂な空間だ。
 正面には展示会の看板も立っている。私は向かって右に歩く。展示室前の廊下には私以外に人がいない。廊下に沿った壁の内側は、集会の開催される国際会議場なのであろう。

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 展示室前の廊下は、やや広くなっている。立ったまま、少し休憩だ。大きなガラス窓になっているので外を見る。太陽の光が眩しいな。この日は、寒い一日であったが、陽射しは強い。桜の開花宣言こそ出たが、まだほとんどの桜の花は都心部でも咲いていないのではないかな?。が、春はすぐそこに来ているのだ。
 
 窓からは、正面の入口ドアが見える。入り口を挟んで反対側は図書館。
 写真の左手、手前は展示室の入口。 ↓

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 展示室の入口は小さい。ドアは開いていている。警備員が一名立っている。入館料はもちろん無料。自由に出入り出来る。というか、廊下と展示室を区切るドアを開放しているため、国宝、重文などの展示室に誰でも簡単に出入り出来てしまう・・・・。防犯上大丈夫であろうか、というのはいらぬ心配か?(笑)。

 ↓ 図書館展示室入口の様子。
   廊下の壁には、今回の「展示会」のポスターが貼ってある。

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 展示室には警備員が直立している以外、誰もいない。
 と、室内の小さいテーブルの上に今回の展示会の図録があった。自由に持ち帰りが出来る。しかも無料だ。カラー印刷の立派な図録。いや~、早稲田大学は、お金がありますね。 図録以外に第1期用に印刷したB4版の解説紙「解説目録」も置いてあった。
 四角い小さい展示室だ。反時計回りに壁に沿ってガラスケース内の展示を見る。重要文化財指定の「崇光上皇 宸筆願文」と「尾張~百姓等解文」の展示があった。
 なんと、文化財とともに「箱書き」のある木製の箱(箱の文字がダブッてしまったが)をガラスケース内に置いてある。巻物の保管用なので、細長い。箱書きには「重文・・・・」と、文化財再び箱に戻して保管するためか、タイトルが書いてあるし、現代に貼り付けしたと思われる??「重文・・・・」と書いてあるシールも貼ってある。
 かつて大徳寺では、ある畳の一室に保管用の長方形の細長い箱をまとめて置いていたが、ここでは箱が小さいためか、再び保管しやすいように??、「箱」も展示していた。

 最初に重要文化財指定の「崇光上皇宸筆願文」の展示がある。上皇様の直筆文である。
 「敬白 伊勢大神宮」と書き出しは大きな漢字だ。願いごとをしている文章だった。「神宮」ではなく、当時も現代とほぼ同じく「伊勢太神宮」と呼称されていた.ことが判った。「大」ではなく、太いという文字の「太」の文字であるのは注目だ。末尾には年号日付と「太上天皇 典仁 敬白」と記している。「上皇」ではなく「太上天皇」と
書いている。「敬白」の字で結びとしている。
 現在において、天皇の生前退位が検討されていると聞く。すると退位した天皇の呼称は正式には「太上天皇」略しては「上皇」になるのであろうか。非常に興味深く拝見した。

 同じガラスケース内に、重要文化財指定「尾張~百姓等解文」の展示があった。歴史資料集に内容か掲載されている歴史資料だ。平安時代に尾張の国の百姓が郡司 藤原元命(ふじわらのもとなが)の悪政?を上訴したもの。郡司は、のちに解任されたのだったかな。思い出した。「はは~、現物はここにあったのか」と思ったが解説文を読むと後世の「写本」であった。しかも、「郡司」を「国司」と誤解していたし(笑)。
 文章中には漢数字が書いてある「三万・・・・八束」と。年貢というか、律令制度下の租庸調でのチョロまかしたか、横領したか、税金として課せられた数字か、ある土地での収穫高、税の収納高かは分からないが、税金の何かの数と単位である。とにかく、「解」としたいらしい。解任申出書、訴え書のようだと現代の私にも分かる。

 ↓ 図録より。尾張~百姓等解文の部分。

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総合文化展 2017年2月 鑑賞2 東京国立博物館

 2/18(土)に東京国立博物館の特別展「春日大社 千年の至宝」や常設展(総合文化展)を鑑賞した。

  特別展の前に本館へ。ざっと見てから、廊下を伝って平成館へ。

 こちらは二階の国宝室。
 「群書治要」 巻三一.説明らよると50巻のうち13巻しか残っていない。その31巻目ということだろう。


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 国宝 群書治要の写真は無い・・・・・。
 一階の展示室を見ていく。「刀剣」の展示室は、ほぼ平常に戻っていた。昨年の秋の段階でも平常に戻っていた。ブームは、昨年の夏までだったかな・・・・。

 と陶磁器の展示室に「梅の花」の模様のある壺が目に入った。
 2月の今の季節らしい。

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 説明によるとあの仁清 の「色絵月梅図茶壺」とある。重文指定。
 「野々村仁清は丹波の出身で、京都 御室仁和寺門前の御室焼を指導し、京焼色絵陶器の完成者として名高い・・・・・。」とある。
 京都の人であった。
 

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 この日は、土曜日で20時までの開館。先に一旦、平成館に行き、特別展「春日大社 千年の至宝」を見た。特別展は17時までだったが、既報の通り天皇陛下の行幸があったので、少し平成館で待つ。その後、廊下を通り、本館に戻り、常設展(総合文化展)を再び見た。
 近代の部屋がやたら人が多い。17時までの特別展を見た人が、平成館からこの部屋を通って、館外に出ていくためだ。平成館~表慶館前~正門までの通路は警備の人などが立って閉鎖されていたためだ。

 本館の二階には
 「奈良 金春家 伝来の能面 能装束」の企画展示があった。
 奈良で能をつかさどった金春(こんぱる)家があり、能面、装束が伝わっているそうだ。
 「能面」らの何点かが、重文に指定されているようだ。「重要文化財」と赤い文字で表示がある。
 ↓ 能面 「中将」
   安土桃山時代の作品。 奈良には、たいま寺(当麻寺)がある。そこには、中将姫伝説があった。
  中将というと、「姫」を想像してしまう・・・・。
 

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 鼻が大変立派な男の面のように感じる。

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 ↓ 装束。
 

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 ↓ 展示の説明。


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 能面だけでなく、能面を入れる袋も展示があった。
 「般若」と袋に書いてある。


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 ↓ 能面についての解説。


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 ↓ 女性の顔をしたやさしい表情の面。


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 一通り見て、本館を退出。
 車を停めてある「東急プラザ 銀座」に移動した。



総合文化展2017年2月 鑑賞1 東京国立博物館 特別展「春日大社 千年の至宝」開催中

 2/18(土)に東京国立博物館

 特別展「春日大社 千年の至宝」の会場に行く前に常設展(総合文化展)を鑑賞した。

 敷地内に入ってから、このブログの写真用に「特別展の立看板」を撮影しようとした。しかし、普段は芝生の植え込み付近に設置いてある「立看板」が無いのだ・・・・・。あれ、おかしいな、と思いつつ、本館に歩く。本館の外壁にも特別展の懸垂幕はかかっていない。
 先に、本館を見ることにした。ある程度、時間があるため本館の総合文化展を見てから、廊下を伝って平成館へ行き、その後平成館を出てから、平成館外壁や付近の特別展の告知看板をプログ用に撮影してから、本館の玄関にもどって、この日は20時閉館であるから、17時で特別展が閉まった後にある程度総合文化展を見る予定であった。

 二階の展示室をざっと見てから、一階に降りる。近代の展示室に入る。

 特に注目したのは陶磁器の「台付鉢」だ。なるほど、鉢の下部に台が付いている。
 褐色の釉薬が施しされている「褐釉」なであり、焼き物の「蟹」のお姿が「貼付」されている。

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 これこそ 初代宮川香山 作 「褐釉蟹貼付台付鉢」。重要文化財指定。
 かつてサントリー美術館で開催された、宮川香山の回顧展では展示された。しかし、所蔵するここ東京国立博物館では見たことが無かった。もう一個、初代宮川香山 作の重要文化財指定作品があって、タテに長い壺であった。もう一個の重文作品は、見たことがあった。

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 ↓ 裏面。 棚に飾って正面から、カニを鑑賞できるように制作したのでしょうか。

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 蟹に向かって「左」から撮影。
 蟹の足はシンメトリーの動きではなく、向かて左に足が出ている。体が右を向いている。
 

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 蟹に向かって「右」から撮影。
 「まるで生きているように」という表現がぴったりの蟹の工芸だ。
 蟹は「ワタリガニ」と私は思いますが、違うでしょうか?。
 

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 「ガザミ」ともいうかも知れませんが・・・・。冬のこの季節、カニといえば、タラバガニやズワイガニと思いますが、夏の時期にカニ料理といえば「ワタリガニ」と思う。値段も比較的手ごろなので、カニ料理といえば「ワタリガニ」が出てくることが多いのではないか。
 ワタリガニは日本の海の浅瀬などに多く生息していると思うので、食用のカニといえばまずはこの「ワタリガニ」を指すのではないだろうか。甲羅の色も深い緑色で、この作品の蟹の色と似ているし。
 ということで「ワタリガニ」断定(笑)。  
 
↓ 鉢の上から見たところ。鉢の内側は、褐色ではなく深緑色の釉薬が多いようだ。
  蟹は、足を鉢のフチに引っかけて、リアルな動きまでも再現されている。
 奥のガラスケースにはね近代工芸としての刀が展示されている。

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 重文指定の鷲の置物。鈴木長吉 作「鷲置物」
 背後から撮影。近代工芸品の重文指定作品が並んで展示されている。
 すごいです(笑)。


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 鈴木長吉 作「鷲置物」については、最近展示されていることが多かった。以前は高村光雲の木像「猿」が展示されていることが多かったように記憶しているが。

  「洋画」部門については、浅井忠の作品が展示されていた。重文指定作品を所蔵しているが、今回は展示が無い。個人が博物館に寄贈した作品を展示していた。


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 ↓ 作品の解説。「少女と犬」
  佐倉藩の生まれだったのですね。父は佐倉領主、堀田家に仕えていたそうで。昨年訪問した、佐倉城跡にある石垣と歴博を思い出した(笑)。
 忠、本人は、江戸詰めの家の生まれで、その後佐倉に居住したことがあるでしょうか。
 今回はサイズの小さい作品が多く、将来どれか重文指定になりそうな物はあるのかな、と考えたが、よく分からない(苦笑)。

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 特別展「春日大社 千年の至宝」にちなんでか、神鹿の工芸品の展示があった。

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 竹内久一作。木造の鹿。春日大社の鹿を思わせる。
 作者は奈良で古彫刻の勉強をした、と作品説明にあるため、奈良 春日大社周辺に鹿さんをモデルにしたと推定される。(あくまで、個人の感想。)

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 ↓正門前のチケット売り場の前には、「展示替情報」の告知ボードが設置されていた。
   (既出写真)。

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 今週2/14-2/19(日)は、国宝指定の鎧が4点勢揃いした。特別展のパンフレットには「甲冑そろいぷみ」と告知されている。まさに「神週」であった(笑)。
 「神週」は特別展のパンフレットにある「甲冑そろいぷみ」と春日大社は神社で神様を祀っているため「神」とを引っかけて考案した造語だ。他にも同様の表記をしているサイトもあるとは思いますが、あくまで私個人でも考えたフレーズだ(笑)。


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