良月(りょうげつ)の たび日記

神奈川県 湘南地区在住。折口良月(おりぐち りょうげつ)の神奈川、東京、静岡、山梨、長野など関東近郊地域への行楽、外出。美術館、博物館めぐり。その他国内旅行などお出かけの記録。

2017年04月

 

「ザ・コレクション」 展覧会鑑賞2 藤田美術館

 2017年春  
 4/16(日)大阪 「ザ・コレクション」 展覧会鑑賞2 藤田美術館
 

 蔵の内部が展示室になっている。
 木製の階段の下に展示されていた快慶作の仏像を鑑賞。室内は木枠のガラスケースで室内には四角い材木の柱がある。木が目立ちます。

 入ってすぐ、階段の左手、快慶作の仏像の手前には島状に設置されている木枠のガラスケースが2個ある。
 両方ともに茶碗が展示してある。文化財指定はない。手前のケースには「玉子手茶碗 銘 薄柿」がある。銘の意味を理解していないが・・・・。
 奥側のケースには「柿へた茶碗 銘 大津」 「滋賀の大津」にちなんだ由来があるので、「銘 大津」となったそうだ。
 両方の器とも、国宝「曜変天目茶碗」の前座としての展示でしょうか?。

 さて、どこから見ていこうかな、と考える。続いて、奥の壁に沿って展示を見ていく。室内には20人くらいはいるだろうか。階段を見学者が昇り降りすると木製ゆえ、ギシギシと音がする。
 「玄奘三蔵絵」があった。ガラスケースの幅があまりないため(150cmくらい?)、少ししか開いていない。ダーット横に巻物を開くことが出来ないのが、残念か。
 サントリー美術館のときの展示場面と異なり「険しい山の中を、三蔵法師一行が馬に乗って越える、進んでいる」シーンだった。
 説明には「興福寺大乗院に伝わり、門主交代のときに、新門主のみがみることを許された・・・・。」とある。

 奥の窓の手前にガラスケースには 明の時代 景徳鎮の水差しの磁器の展示があった。
 一番奥の壁面には国宝「両部大経感得図」の二部がある。二枚に分かれた絵だ。左右並べて展示してある。
 左「龍孟」 塔(多宝塔の感じ)の中に人がいる。経文を守っている人だそうだ。僧 龍孟が対峙している図。
   経文を唱え、中の貴重な経典を手に入れたようだ。
 右「善無畏」 ぜんむい インドの僧。 五重塔が表現されている。右上に経文が書いてある。野原に経文か天を見上げる人が小さく描いてある。
 ともに襖絵よりも大きいサイズの絵だ。快慶の蔵と同じく、廃寺となった天理市の内山永久寺にあったそうだ。
 今まで知らなかったが 内山永久寺は、廃佛毀釈で廃寺になったようだが、現在でも文化財指定されている宝物があるとので、かなりの由緒のある大寺だったのだろう。

 
 室内の奥側、島状に設置されている木枠のガラスケースの中に国宝「曜変天目茶碗」があった。傍らに漆塗りの台も置いてある。唐草文様の模様が施されている。なぜか、台には「金」と文字が入っている。後世誰かが作った鑑賞用の木製の台だろう。
 国宝の割には、簡素なガラスケースにポツンと展示されている。茶碗の内部には、上から小さいライトが照らされている。内部のはじけるような紋様と再びのご対面である。
  となりのガラスケースには、小さい「油滴天目茶碗」がある。直径6センチくらい。小さい。以前見た国宝に酷似している。鑑賞用の台の上に乗せている。両ガラスケースは隣接して設置してあるが、ガラス面が透明なので

国宝「曜変天目茶碗」は、ほぼ360度の周囲から鑑賞できる。

 曜変天目茶碗の内部にあるプチプチの輪を見ながら「コバルトだな。」と言う老人の男性もいた。家族連れ、子連れも見学にきている。熱心にガラスケースの中の不思議な茶碗に見入っている。
 ライトは、茶碗の内部しか、照らしていない・・・・・・。「あれ、サントリー美術館では横にも斑紋があって、キラキラ輝いていたはずが・・・。」と思った。曜変天目茶碗の側面は、ライトに照らされていなくて、暗くて何も紋様、斑紋が見えないのだ・・・・。「あれ、側面に斑紋があるのは、静嘉堂の曜変天目茶碗だったかな??。」と自分の記憶を疑ってしまった・・・・。
 近くの壁には、茶道具として「茶入れ 肩衝」が展示されている。小さいお茶入れかな。
 壁側、入口付近にあった巻物の並びの平ガラスケース内には、香合の展示があった。小さい。「カワイイ」小道具だ。三点展示されている。香をたく道具だろう。囲碁の碁盤をもした、4cm四方くらいの大きさだ。小鳥(というか小鴨)の姿の香合も展示されている。子供のオモチャのようだ。が、碁盤の香合はあの「松花堂昭乗」が所有していたものだそうだ。大変由緒のある香合だ。


 出入口近く、室内に入って左手に国宝「深窓秘抄」がある。名前から想像してもどのような文化財なのか想像もつかなかった。巻物で、のびのびしたくずし字で文字が書いてある。和歌を集めたものだった。説明文によると「和歌を書写したもので・・・・・・完本である・・・」そうだ。切断されていないので、断簡になっている部分がなく、完全に残っている巻物ということだった。平安時代の作だが、末期、鎌倉時代に近い後白河法皇の頃の作ではないだろうか。法皇様の「梁塵秘抄」ともタイトルが似ているし。秘抄とは、詩、和歌集などを意味するのだったかな?。
 「深窓秘抄」には「雅」と章の名前?が入り、「そのうえ ・・・・・ つみほし 少将 みやどの 」のように、和歌と作者の名前が書いてある。
 「・・・のつゆを ・・・・よめなるしそむ ×輔中納言」と文字はほとんど判読できないし、私も誤転写しているが、中納言であった貴族の和歌である。そのまんまだが(笑)。
 「いそしのよるの・・・・かなわぬて あ・・・わちれ  白女」と女性が詠んだ歌らしい。女性らしきやわらかで、細やかな恋の情景が浮かんでくる。(といっても何も内容を理解していないが(苦笑)。)

 先の記事で「絵巻のケース内には 活性炭も入っている。」と書いたが、ガラスケースの密封性は木枠ゆえ、弱いようだ。先にざっと見たとき、ガラスケース内の湿度は52%、気温は19度であったが、再度見ると、湿度は1%増えていた。人が大勢出入りしているので、私が見学している間に湿度が上がっているのだろうか。

 
 二階に昇った。展示室はこの一室のみ。公園から見えた蔵にはつながっていなかった。
 「やや思ったよりも狭いな・・・」と感じた。

↓ 帰り際に撮影。展示室となっている蔵。窓があり、光も展示室内に入ってきていた。



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 敷地内の石灯籠と蔵。ただし、奥の蔵は展示室ではなかった。右にも蔵があり、二階(というよりも、材木を入れて二層に)に分かれ展示室としっていた。 向かって右の側面には「男爵 藤田伝三郎・・・」とあった。
 (漢字は現代字体で表記した。)

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「ザ・コレクション」 展覧会鑑賞1 藤田美術館

 2017年春 大阪 「ザ・コレクション」 展覧会鑑賞1 藤田美術館
 4/16(日)の午前。
 
 「造幣局桜の通り抜け」を見てから、橋を渡って大川の対岸にやってきた。「藤田邸跡公園」を散策して、藤田美術館へ歩いた。先に公園内から、蔵が見えた。藤田美術館である。うしろと横から、美術館の建物を見ていたことになる。

公園(「藤田邸跡公園」)の門を出る。と、JR東西線の地上出口がある。大阪城北詰駅の地上出口であった。大勢、歩道を人が歩いている。次々に人が登って地上に出てくる。桜の通り抜けに行く人たちだ。美術館とは反対方向に皆列をなして歩いて行く。
 
 ↓ 写真奥に桜の通り抜けに行く人たちの行列が見える。交差点で撮影。

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 駅の地上出口は、美術館の敷地の壁に隣接しているのだ。私は、人の波とは反対に、壁に沿って歩き、美術館の門の前へ。道路を挟んで反対側には太閤閣の建物がある。こちらは、藤田観光の経営だったかな。かつての「藤田財閥」の流をくむ会社ですね。
 

 美術館の敷地から見た太閤閣の建物。
 壁の内側は、駐車できるようだ。しかし、車は停まっていなかった。八重桜が咲いていた。


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 藤田美術館(以下「同館」と記す。)

 最近、新聞の記事を読んだのだが、オークションで300億円という高価格で所蔵品が落札されたそうだ。建て替えの資金とするそう。現在開催されている所蔵作品展をもって一旦休館し、リニューアルするそうだ。
 建て替え後の開館は、2020年になるらしい。三年くらい休むそうだ。すると当面、訪問する機会が無いのでこの機会にやって来た次第だ。
 同館は、「曜変天目茶碗」で館長がテレビ番組に出演されていたのを私も昨年視聴した。今年に入ってからも再放送であったが、別のNHKの「曜変天目茶碗」の調査のため中国まで行く番組も偶然見たし、最近、というか「昨年末」以来の「曜変天目茶碗」関連のマスコミ報道等もあって、何かと話題だ(笑)。
 実は、2015年にサントリー美術館での展覧会「藤田美術館の至宝」を見るまで、同館のとこはよく知らなかった・・・・。しかも、常時開館している訳ではなく、春と秋の季節開館であると知った。

 展覧会は3月から始まり、4/30までが休館前の前期展示。後期は5月から6月の上旬まで。サントリー美術館の展覧会で見ることが出来なかった同館所蔵の国宝は、すべて「前期展示」に出品されるのでちょうどよい、と思ってこの旅のスケジュールに組んだ(笑)。
 しかも今回は「造幣局の桜の通り抜け」にも時期が重なった。ホンマにラッキーです(笑)。


 私が敷地に入ると、若い母親と小学生の女の子があとからやってきた。砂利の広場がある。P(駐車場)もあるようだ。しかし、車は停まっていない。ただし、数台しか停めることは出来ないようだ。自転車置き場もある。2台くらい自転車も停まっている。
 ↓ 美術館の建物。

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 入館する。券を買うが、受付窓口はひとつだけ。本当に蔵のよう建物だ。入口は広くない。
受付横の部屋では、入場無料の別の展覧?も行っていた。

 ↓ 写真でもよく紹介されているが、多宝塔が建っている。
  多宝塔の右には石塔もあった。
  写真の右手が館の出入口だが、人が多数行き来しいてるので、はっきりと撮影出来なかった。

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↓ 多宝塔の解説。桃山時代のものとある。
和歌は初代館長の 藤田富子氏のもの。

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 受付で対応するのは、1人だけ。事務室の出窓のような木枠のカウンターで若い女性が1人で現金のやりとりをして対応している。入館者が券を買うために数名並んでいる。私も最後尾に並ぶ。入口付近では、パソコンが設置されて、玄奘三蔵絵伝のデジタル画像が見れるようになっている。私のあとからやってきた母親は子どもに「券を買うからパソコンをみててね。」と言い、私の後ろに並ぶ。
 と、受付窓口で商品を買っている人もいる。図録、絵ハガキなどのミニ販売コーナーがカウンターの前の廊下沿いにある。入場券とショップのレジは同じだった。私の番がやってきた1000円札を出して、おつりを200円もらう。その間に事務室の内部が見えた。
 永青文庫(春画展のため現在では一部改築されているが)のように、カウンターはひとつで来館対応は一人だけだ。その奥に事務室が附属している、つくりは「似ているな」と思った。
 永青文庫よりも カウンターの窓は大きいので事務室内部が見える。机が4個くらいあり、三人座っている。
手前、向かって右は1人はショートカットの女性。奥に初老の男性。学芸員か、事務長かな。手前左、受付で現金の用意をしている人のすぐうしろにはパソコンの画面を見ていて打ち込みしているスーツ姿の男性が。あれっ、以前テレビで見たことがある人だ。ここの館長さんかなと思った。「曜変天目茶碗」の番組の再放送で今年1月に偶然見たのだ。その時に出演していた方だ。
 その前(昨年)も、別の番組で同館が所蔵する「曜変天目茶碗」を幾重もの箱から出している様子を放映で視聴した。その番組での館長の解説では「所有者がかわるためびに 箱を造るので 箱がだんだん大きくなり、何重にもなる。その価値が上がる・・・・。」と解説があったと記憶する。
 同番組に出演してた館長さんで間違いない。

 券を購入して展示室につながる通路へ。展示室内は撮影禁止の告知がある。廊下に藤田家の年表が掲示してある。窓の外を見ると庭の石塔に縦書きで「男爵 藤田伝三郎 」刻んである。
 廊下を曲がると展示室だった。本当に蔵の建物だ。入口の扉が土蔵の分厚い扉だ。よくいわれるように、室内は美術館としては広くない、というよりも小さい。「えっここだけ」と思う。
 蔵としては大きいのだろうが、民間運営とはいえ、美術館としてはかなり小さい。蔵の内部には二階もある。今いる蔵は先ほど、公園から見えた蔵ではない。あの蔵とL字に接続しているような? 独立しているかわからないが。「ここは別の建物だ。はて、(先に裏手から見た蔵とは)二階で繋がっているのかな??。」と思った。
 蔵の展示室の内部の階段の上り口に「二階から先にどうぞ」と告知がある。

 じつは、あとで二階を見たのだが、二階も一部屋だけだった。別の蔵とはつながっていないのだ。
 「二階から別棟に行けます」の意味ではなく、「二階から先に見て下さい。」の意味であった。
 普通、そうとるが・・・・、私は拡大解釈をしていたようだ(笑)。

 展示室の内部には木枠のガラスケースだ。壁沿いと室内の真ん中 島状に二カ所ある。土蔵の小さい窓が開いている。
 絵巻物の展示ケース内には 活性炭も入っている。湿度は52、気温は19度と 巻物のところに計測器があった。展示室に入ってすぐ左手に平ガラスケースがあったが、いきなり国宝指定の巻物であった。
 階段下のガラスケースだったが、仏像で「快慶作」がある「観音菩薩立像」。彩色で後背がある立派な仏像。重要文化財に指定されていた。仏像の説明には、現在の天理市にあった「内山永久寺にあった」と書いてある。


 さて、私の次に入館して来た母と子は、ざっと一階の室内見て、二階に行って、やがて降りてきて、出て行ってしまった。

↓ (既出)
 藤田邸公園内から、藤田美術館の蔵と多宝塔が見えた。横(方角としては南)から見ていることになる。

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2017年春 藤田邸跡公園 (大阪) 散策

 2017年春 京都、大阪、奈良「三都物語」 桜のたび
 4/16(日)
 タイトルの如く京都、大阪、奈良を旅する機会を得た。
 さて、大阪にやってきた。「造幣局桜の通り抜け」の桜がちょうど見ごろであったので、桜の通り抜けを見てから(通り抜けてから)橋を渡って対岸にやってきた。
 
※ 藤田美術館の記事に関連して、先に「藤田邸跡公園」に関する記事を掲載する。

 目的地は藤田美術館だ。公園内を歩いて通過し、向かう。10:15頃に公園にやってきた。美術館は10時開館なので、既に開館時刻を過ぎていた。開館と同時に見学し、奈良に移動する予定であったが、スケジュールが遅れている(笑)。 
 対岸に先ほどの桜通り抜けの並木道がある。造幣局の川側は遊歩道になっているようで、対岸のこちらがわ手前からは、屋台が軒を連ねているのが見える。
 
  大川を遊覧船が通っている。
 ↓ 大川のほとり。下流方向を見る。対岸が造幣局桜の通り抜け

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 別の遊覧船が航行している。優雅な外輪船だ。↓
 外輪船は乗っている人が少ない。試験航行かテレビりロケかなと思った。
 しかし、ロケではない模様。タレントさんらしき人も乗っていなければ、テレビカメラを持った人もいない。

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 造幣局とレンガ色の壁の造幣局の博物館の外観。博物館は通り抜け期間中、閉室している。

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 川沿いを歩いていると、内陸というか、岸から離れた所に門があった。
 ↓ 近寄って見ると「藤田邸跡公園」の看板があった。壁に囲まれた公園で入園は自由だが、開園時間が決まっている。10時から16時までの開園。夕方には扉を閉めるようだ。

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  「旧藤田邸庭園」は、桜之宮公園の一部のようだ。壁に囲まれた部分のうち一部が、大阪市の名勝指定エリアであり指定区域が赤い線で示されている。
 公園化されていて、一部が藤田傳三郎の屋敷「藤田邸」の庭園の跡らしい。

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 門を入る。前日は少し雨が降ったので地面は少しぬかるんでいた。靴が汚れてしまったが。

 ↓ 桜の盛りは過ぎていた。花びらが地面に散っている。

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 庭園には、石組みや川や池の跡がある。川には橋もかかっているが、当時の藤田邸のものではなく、市の指定ののちに造作されたものだろう。水は流れていなくて、汚れているし。水のない池の跡地が野ざらしのになっている箇所もある。
 園内には、名勝指定エリアの表示が無いので、だいたいこの辺が指定エリアかな?と見当をつけて歩く。が、なぜか、名勝指定と思われるエリア、特に庭園の核心エリアは、立入禁止になっていて、荒れ果てた感じだ・・・・・・。昔の藤田邸の庭園の跡ということはわかるが、木が生いしげり、管理されていない・・・・。一体どうしたのだ??。

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↓ 庭園内の石橋と池と石組み。

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↓ 庭園内の木橋というか木道。右には築山があるが、荒れている。

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↓ 庭園内の木道は全く歩くことが出来なかった。かつての立派な庭園の跡ということは分かったが、管理が・・・・。


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 公園内から、蔵が見えた。「ああ、あれが藤田美術館であろう。」と思った。かつては、庭園と蔵は一体で同じく藤田邸の敷地であったが、現在は、庭園と博物館の部分は分離されて、庭園跡は公有地、公園となっている。
 博物館の建物を公園内、うしろから見ていることになる。自分りの立っている公園内には、破損した石灯籠が無造作に置いてあったり、破損した燈籠の石の破片などがまとめて放置されている・・・・。
 せっかくの市の名勝指定の庭園は、ほとんど立入禁止となっていた。川や池の跡地はわかるが、水は抜かれていたり、水が滞留したままで緑色によどんでいる。かつての庭園の築山には木々が茂り、こんもりとした丘となっている。荒地のようだ・・・・・。

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 庭園付近を通過し、広い芝生広場に出た。もしかしたら、かつては邸宅があったから、広い更地になっているのかも。公園内から、先にも見えた蔵が見えた。藤田美術館を今度は、横から見ていることになる。
 ↓ 蔵を横から眺める。博物館の多宝塔が見えた。

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  広い芝生。奥には新しい高層ビルがあった。大川沿いも再開発で高層ビルが建築されている。
 ここは大阪の都心部なのだ。

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 藤田美術館の展覧会「ザ・コレクション」を見るために移動した。公園の門を出る。




龍谷大学 龍谷ミュージアム「浄土真宗と本願寺の名宝Ⅱ」 鑑賞1

  2017年4月15日 龍谷大学 龍谷ミュージアム 「浄土真宗と本願寺の名宝Ⅱ」 鑑賞1
 副題は「-守り伝える美とおしえ-」

 13:30から宮内庁「仙洞御所 一般公開」に入場した後、移動して西本願寺の目の前、道路を挟んで東側にある龍谷大学 龍谷ミュージアムに到着した。
 この日は、天気が目まぐるしく変わる「荒天」であったが、仙洞御所の見学中は青空が見えていた。
 
 ※「仙洞御所 通年の一般公開」については、後日投稿する。

 
 五条駅の先端南の出口で下り、地上に。東本願寺の築地塀が見える、東本願寺の北端の壁沿いを西に歩く。

警備員が東本願寺の北門に建っている。参拝者はここからは入場できないので正門に回るように看板がある。門徒用か、道路の北側には新しいモダンな建物がある。

 碁盤目状の道を歩き、以前見たレンガ造りの建物( 西本願寺 伝道院)を見てから、交差点を西に曲り、参道の門をくぐり、西本願寺の正面に出る。寺に向かって左、南の方向に 龍谷ミュージアムがあった。
 黒っぽい ガラス張りの現代建築だ。大学の新校舎のようだ。展覧会の看板がかかっている「浄土真宗と本願寺の名宝Ⅱ」 」と、展示品の写真がある。

 西本願寺の前の歩道付近から見た 龍谷ミュージアム外観。
 鉄筋コンクリの建物に「すだれ」がかかって「和」を表現している。


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 ミュージアム横の参道の門付近の信号から見た西本願寺。

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 建物の前には警備員が二人いる。入口はどこかな、と私が立ち止まると、警備員がすぐに声をかけてきて、「ミュージアムの入口は地下」だと分かる。入口付近の壁は、ガラス張りのモダン建築なので、どこが入口なのかわかりにくい。が、建物の前でウロウロしていると警備員からマジで不審者扱いされるかも知れないので注意しないといけないかもしれない(笑)。
 階段を下り、半地下の入口フロアに。地下のエントランス広場になっている。入口もガラス張りの入口で、広いロビーだ。地上を見上げることができるようになっている。地上、歩道のそばにいる警備員の後姿も(笑)


 受付カウンターは広くて立派。いや~、お金をかけている。外国人の来館者もいる。料金は大人一名1200円。大学施設の博物館としては、割高かも。特別展なので特別料金を設定しているようだ。
 エレベータで地下から三階に・・・。 二階は 大学のセミナールーム、会議室などかな。人が出入りしているが、何かの会合があるようだ。関係者以外は入ることは出来ないようだ。
 三階は、展示の導入部。西本願寺の歴代門主(展示目録では「宗主」と表示している。)の肖像と事績の紹介である。
 明治時代、近代以降の歴代門主様は写真の掲示がある。
 明治4年没の 門主までは肖像であり、写真の掲示がない。
 門主の系図の展示がある。見ると、江戸時代には他の寺の住職から養子も入っている。他の寺へも、その前の世代で養子に行っていることもある。よって、養子に出して、その子孫が、再び本願寺の門主となっている場合もある??ようで、ずっと、直系で継承なのか、他家から養子が入っているのかは、直系の系図からは分からない。
 
 ※ この記事で「本願寺」と書いている場合は、一般的に「西本願寺」と呼ばれるお寺のことを指します。
 



相国寺 承天閣美術館 「生誕300年記念 伊藤若沖展 後期」 鑑賞2

  2017年4月15日 相国寺 承天閣美術館 「生誕300年記念 伊藤若沖展 後期」 鑑賞2

 昨年訪問したときとはうって変わって、雨がやや降るお天気の下、相国寺の境内にやって来た。
 第二展示室には、別の初公開の絵も数点ある。初公開は「鸚鵡牡丹図」だけではなかった。

 「岩上鷹図」
 「蕪の図 仙厓義梵賛」
 「布袋軍配図」などが初公開と表示されている。いずれも描け軸の水墨画。
 「鸚鵡牡丹図」のように絹本着色ではない。
  「カラス」を描いたような「ハハ鳥図」(漢字表記不能・・・・)などは公開されたことがあるらしい。

 ↓ 展覧会パンフレットの掲載写真。
    「岩上鷹図」 「蕪の図 仙厓義梵賛」 「布袋軍配図」「ハハ鳥図」など。

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  「蕪の図 仙厓義梵賛」は、「野菜涅槃図」を思わせるユニークな構図。見たところ大根なのだが、「蕪」というようだ。
 最近話題の仙厓が賛文を記入しているとは、若沖の交友関係は広いですね。
  「岩上鷹図」 は若沖の水墨画らしい、鷹が画の真ん中にいるオーソドックスな作品。
 「若沖自画像」も展示があった。現在、唯一とされている、あの明治時代に入って描かれた「若沖の肖像画」である。特に注釈はないので、現物と思う。

 第一展示室に話を戻すと、若沖以外にも江戸時代の屏風絵や描け軸画の展示があった。茶室の再現展示でも茶道具 茶碗、茶しゃくなどが展示されていた。
 平ガラスケース内に文書が展示されていた。やや黄色く変色しているが、大きな立派な和紙に「家治」と朱肉で大きな印が押してある。展示目録には「徳川家治公帖」とある。相国寺の住職の任命書とのこと。
 徳川の将軍が任命していた。「徳川家齋公帖」も隣にある。同じく「家齋」と朱肉で大きな印が押してある。
 書いてある内容は、縦書きで「相国寺 住持職事」と大きな文字。「任・・・可・・・」と任ずるべくのように書いてあった。あとは年号と日付が書いてあった。ちょうど、若沖が生きた時代の将軍が住職を任命していた書類。住職は若沖と知り合いであって、その絵の奉納を受けたのであった。永代供養料として奉納されたのだ。が、のちに京の都の大火で大阪に避難したりして、永代供養の約束は、うやむやになってしまった?。
 若沖が没後、実際に葬られた墓は、よく知られるように別のお寺 石峰寺にある。現在、相国寺にも若沖の墓はあるから、永代供養されているということですね。

 思っていた以上に「初公開」の作品が多かった。昨年、「出し惜しみ」したかは分からないが。
  これで「若沖 生誕300周年 記念祭」は、いよいよフィナーレでしょうか!?。

 結局、15分くらいしか見れなかった。受付ロビー付近の映像コーナーでは、ほぼ満席で大勢の入館者が視聴しているが、私は見る時間が無かったので、そのまま靴をはいて退出。
 時に12:53のことであった。とにかく、急いで美術館を出た。
 
 ↓  承天閣美術館の入口遠景。
  ソメイヨシノの桜並木は既に花が散って、葉桜となっていた。


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 ※ 相国寺の境内を真南に、急いで歩く。
  13:30から 宮内庁の「仙洞御所 通年の一般公開」があるためだ。整理券を入手したときに「20分前には集合してください。」と言われていたので急ぎ足。つまり、13:10までには仙洞御所の受付に到着しないといけないのだ。すると、何と雲がなくなり、青空が見えて来た。
 
 ※「仙洞御所 通年の一般公開」については、後日投稿する。


↓ 昨年(2016年5月5日) 撮影の相国寺の拝観入口。渡り廊下の所から入る。
  右は庫裡だが、拝観場所となっていなかった。
  庫裡の更に右から承天閣美術館に続く通路がある。
  昨年は「これ以上ない」くらいの好天だったが、今回は天気が目まぐるしく変わる「荒天」だったかな・・・。

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相国寺 承天閣美術館 「生誕300年記念 伊藤若沖展 後期」 鑑賞1

  2017年4月15日 相国寺 承天閣美術館 「生誕300年記念 伊藤若沖展 後期」 鑑賞1

 昨年、「春の禅寺一斉拝観」で相国寺の公開時に訪問したときとはうって変わって、雨がやや降るお天気の下、相国寺の境内にやって来た。
 昨年は、相国寺の方丈と法堂を拝観した。「浴場」は公開されていなかった。
 
 今回訪れたとき、相国寺が公開期間中であったかは承知していない。時間がないので、とにかくまっすぐ承天閣美術館に向かった(笑)。同志社大学の校舎を横に見ながら歩道を北上し、お寺の西門から入った。西門から方丈や、美術館までは更に距離がある。あー、足が痛い(笑)。
 やっとのことで、承天閣美術館に辿り着いた。靴を脱いで玄関をあがり、受付カウンターでチケットを買う。大人一人800円だ。靴を脱ぐのも惜しいくらい時間が迫っている・・・・。

 西門にあった「生誕300年記念 伊藤若沖展 後期」の告知看板 ↓
 

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 承天閣美術館の展示室を見ていく。昨年、5月に来たときには、この美術館には若沖の作品は、ほとんど展示がなく、二点の水墨画(常設の鹿苑寺大書院の旧障壁画の床貼付、「葡萄小禽図床貼付」と「月夜芭蕉図床貼付」)のみが第二展示室に展示されていた。
 今年の「伊藤若沖展 後期」は、昨年12月から今年5月まで約半年間の会期と比較的長い。しかも、初公開の「鸚鵡牡丹図」がされるのだ。といっても、その絵の存在は元々知りまへーん(笑)。
 第一展示から見る。 昨年来た時は森田女史の特別展で、作品展示があった。今年は若沖などの作品の展示がある。

 
 続いて、第二展示室へ廊下を歩く。 
 第二展示室の奥の左の壁に初公開の「鸚鵡牡丹図」があった。
 どうしてこの絵が今まで非公開だったのかは、分からない。動植綵絵シリーズの作品ではないが、サイズは同じではないか。描き方も似ているし。何等かの理由で動植綵絵シリーズに入らなかったのか。
 白いオウムがじっと、前を凝視している様子。牡丹の花が赤と白のコントラストをなしている。オウムの白が牡丹の白とかぶって、オウムはかえって目立たない。
 「対」になる絵として「紅鸚鵡図」か別バージョンがあるのではないかと思った。

 ↓ 展覧会のチラシ。「鸚鵡牡丹図」の写真が掲載されている。

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 「鸚鵡図」は、昨年見たにように「版画」が有名だが、これは肉筆画。

 第二展示室には、重文指定の 水墨画50面が表裏で展示されている。一応、「1、2、3・・・・」と50枚あるか、数えた。ほぼ50あった。「葡萄小禽図床貼付」と「月夜芭蕉図床貼付」は何枚と数えるのかが、分からない・・・・(苦笑)。
 障壁画は、奥の部屋と手前の部屋の仕切りの部分の壁に、「両面」が見えるように、連続して展示されている。つまり、和室のふすまのレール上に一直線にならぺられて、末尾だけ「L」の字の展示になっている。裏面がない障壁画は片面だけの展示。

 昨年見て、覚えている絵もある。ほとんど忘れてしまったが・・・・(笑)。

 展示の末尾近くには「竹図」もあった。昨年は京都国立博物館の特別展「禅」でで公開され、なぜか都美(東京都美術館の「若沖展」)では公開がなかったが、今回はここ承天閣美術館でまとめて全部の公開であった。
 「竹図」には裏面が無い(両面の障壁画ではない)ようで、展示ケースの末尾に展示してあった。
 
 なんだ、昨年東京都美術館の「若沖展」であの大混雑の中、見ることは無かったではないかと苦笑せずにはいられなかった。もっともあのとき、会場入口近くに展示されていた水墨画は、混雑していなかったのだが・・・。もっとも、あのときは彩色の「細密画」が人気であった・・・・。
 かつての鹿苑寺大書院の、どこの壁にあったか、場面の解説付きだ。昨年の東京都美術館の「若沖展」と同じ解説らしい。
 ↓ 重要文化財 鹿苑寺大書院旧障壁画50面のうち 「松鶴図襖絵」 右側
  (展覧会パンフレットより)


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↓ 重要文化財 鹿苑寺大書院旧障壁画50面のうち 「松鶴図襖絵」 左側
  松の絵の襖 右側の一枚以上が欠落しているようだ。昔はもっとあったのだろう。

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 鹿苑寺大書院旧障壁画は
 「一之間」は「葡萄小禽図」で「葡萄と小鳥の絵」。
 「二之間」は「松鶴図」。一之間の裏側にある襖絵。
 「三之間」は「芭蕉とハハ鳥」(漢字が・・・・)。「月夜芭蕉図床貼付」と似ている。
          (当たり前だが)芭蕉とカラスのような鳥の絵だ。
 「四之間」は「菊鶏図」。水墨でニワトリを描いている絵。ニワトリの正面の顔を描いたところ。トリの面玉(めんたま。あるいは「目玉」か?。)がギロリとしてこちらを見ている。リアルな作品だ。
 この「菊鶏図」を一番覚えている。今回も展示があった。どこか、滑稽な表情のトリさんの絵。
 11か月ぶり、今度は京の都で再会できました(笑)。


 


仁和寺 霊宝館 春季名宝展「色とりどり絵画の魅力」 (平成29年) 見学2

 2017.4.15 京都  仁和寺 霊宝館 春季名宝展「色とりどり絵画の魅力」 (平成29年) 見学2

 仁和寺の霊宝館は通年開館をしていない。前回は、2013年1月に「京都冬のたび」の金堂内部公開などで来たが、開館していなかった。その前は、東日本大震災の直後の4月に訪問したが、見学はしなかった。今から思うと勿体ないことをした。今回が、初めての見学となった。

 
 ↓ 「色とりどり絵画の魅力」のパンフレット 抜粋

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 国宝 阿弥陀如来像などの展示通路を過ぎて、角を曲がると、今回のメインテーマの絵画、絵巻の展示だった。
 三十六歌仙図 狩野山楽筆、
 藤原定家像   狩野永納筆 など江戸時代の絵画である。「石山寺縁起絵巻」は彩色の鮮やかな絵巻物である。江戸時代の作なのでカラフルだ。あまり古い絵巻物という感じがしないくらい保存状態がよい。

  ↓ 「色とりどり絵画の魅力」のパンフレット 抜粋
   新指定 重要文化財 「密要鈔目録」の画像がある。

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 今年、平成29年に新規に重要文化財に指定されたばかりの「密要鈔」の展示がある。
 「密要鈔目録」は、江戸時代に作成された目録とのこと。国宝と通路を挟んで反対側の壁側に展示があった。「密要鈔」は今回が初公開だそうで、展覧会の目玉のようだ。「密要鈔目録」も同時に指定された?。
 「密要鈔」は「聖教(しょうぎょう)」と呼ばれる、釈迦の教えを記した経典のひとつのことだそう。
 「密要鈔目録」は「目録」なので 経典と思われる品名と数が記載してある。
 「灌頂・・・・ ×帖」
 「伝法灌頂三昧那戒作・・・・ 一帖」
 「胎蔵昇・・伝法灌頂・・・・ 一帖」

 密教の重要儀式である「伝法灌頂」に関する経典らしい。
 守覚法親王自筆の儀式?の差指図があるそうだ。儀式の図面に法親王が書きこみをしていた。
 目録に「法親王の直筆である」と書いてある。
 守覚法親王の肖像画の展示もあった。後白河法皇の第二皇子で、7歳で仁和寺南院に入り、「仁和寺第六世」になった。西暦1202年に薨去されている。展覧会の小冊子にも肖像画の写真と法親王の紹介が掲載されている。

 順路の最後近くの平ガラスケースに国宝の展示があった。
 「御室相承記」 おむろそうしょうき 巻物になっている。
 宇多法皇から道法 法親王までに至るお寺の内務の記録とのことだ。
 鎌倉時代のもの。道法 法親王は、後白河法皇の皇子とある。守覚法親王の弟にあたるお方。この時代は、法皇の皇子をお寺に迎え、源平合戦などの戦も一段落し、お寺の権威向上が図られたのであろうか。
 内容を見ると「~ 事  建久二年十二月廿十六日 百六十僧 御室 御開帳 」と書いてある。
 更に「大阿関   皇后   喜多院   ××年十一月廿十×日 大阿関条・・・・」
 私がざっと見た内容を書いているので、もちろん誤字記載があるが。
 鎌倉時代の年号と月日が書いてある。~について、僧が来て、何かの仏像の公開をしたというような記事だ。 
 喜多院の「喜」は七が三つの崩し字だ。「北院」を意味しているらしい?。 

 ウェブでの表示上、横書きに直しているが勿論原文は毛筆の縦書き・・・・。
  国宝「御室相承記」には、守覚法親王の巻は無いらしい。
 
 重要文化財指定「御室御記」 江戸時代 の展示もあった。国宝の「御室相承記」 とは異なり、時代は下がって「江戸時代のもの」と解説文にあった。内容は、仁清が仁和寺に来たときの日付で、××をしたというような部分の展示であった。仁清は、あの国宝指定作品もある「野々村仁清」のことである。
 そういえば、先ごろ見東京国立博物館で見た重要文化財指定作品の展示の説明文には「仁清は・・・・御室の仁和寺の付近で・・・・」という箇所があった。
 仁清はしっかりと、仁和寺の記録に載っていたのでした。

 国宝「御室相承記」や新指定の重要文化財「密要鈔」を見ていたため、絵巻の鑑賞があまりできなかった。反省点とします。

 見学を終えて、退出し、入口の階段を下った。
 と、雨がパラついてきた。御室桜は、見ごろを迎えたが、桜の季節はまだまだ天気が安定しない。「花曇り」であろうか。






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仁和寺霊宝館 春季名宝展「色とりどり絵画の魅力」 (平成29年) 見学1

 2017.4.15 京都  仁和寺 霊宝館 春季名宝展「色とりどり絵画の魅力」 (平成29年) 見学1

 京都に旅した。ますば、御室桜の見ごろをむかえた仁和寺にやってきた。
 御室桜の満開の時期はソメイヨシノよりも7日~10日くらい遅いのだろうか。たまたま今回の旅程と見ごろの時期が重なったのでやてきた次第。

 ※まさに満開の盛りであった御室桜の見学記(観桜記)は、後日書くことにして先に、霊宝館の見学記を先に投稿することにする。

 仁和寺の霊宝館は通年は開館していない。春と秋の二か月弱ずつくらいであろうか。年間で4か月くらいの開館のようだ。春と秋の「季節開館」は同じ真言宗 密教系の寺院(現在流派は違うのであるが)である醍醐寺と似ている。通算の年間開館期間でいいうと、醍醐寺の方が長いかも。

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 ↓ 御室桜の拝観券販売所付近の様子。

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 境内の案内。「名宝展開催中」と看板が出ていた。霊宝館に向かった。

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 ↓ 霊宝館 入口。係員の女性が立っている。

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 境内と異なり、霊宝館の周囲は静かだった。もう一人、現金受付の係員の女性が座っている。拝観料の500円を支払い入館する。御室桜と異なり、見学している人は、受付から見える範囲では数名で、すいている。
 入口近くにはまず、仏像や経典などの展示がある。
 霊宝館は「回」の字の構造になっている。順路は時計と反対まわりに建物内部を進む。
 宇多法皇の画像の描け軸の展示があったと記憶する。仁和寺は宇多法皇にゆかりが深いからであろう。
 最初のコーナー(建物の曲がり角)付近の展示には、徳川家光や江戸時代の仏像が展示されていた。束帯姿の家光の木像だ。江戸時代、特に家光の時代に再興されたため、家光像が安置されているようだ。
 現在、仁和寺の金堂となってい紫宸殿が移築されたのは家光の時代だったかな。

 国宝「阿弥陀如来像及び両脇侍像」は展示室の裏手、正面にあった。展示というよりも霊宝館(つまり宝物館)の開館以来、ここに安置して保管しているのだろう。
 かなり古びて、退色して黒ずんでいるが金色の阿弥陀如来像が中央に安置され、両脇に仏像がある。両方の脇の仏像は立っている姿である。長イスがあったのでしばし鑑賞する。
 阿弥陀如来像は、仏像そのものの高さは1メートルと少しくらいかな。後背を含めると高い。飛雲の模様?の金色の模様の刻まれた後背だ。両脇の金色の仏像はこぶりなので、立像であるが阿弥陀如来像より、少し高いくらい。
 春季名宝展「色とりどり絵画の魅力」の案内冊子の一ページ。 ↓

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 入館者は私のような男(野郎)の単独行が三人くらいいた。熟年の夫婦もいた。が、おっさん、あんちゃん(野郎)の単独行は、平均と比べて(おっさんの)私も含めて観覧時間が長い(笑)。

2017年 春 京都、大阪、奈良 「三都物語」 桜のたび

 2017年 春 京都、大阪、奈良「三都物語」 桜のたび

 タイトルの如く京都、大阪、奈良を旅する機会を得た。
 羽田から航空会社の「マイル」を利用した無料移動の旅だったので、移動効率は悪かったが・・・・。

最初は 京都 仁和寺。 御室桜の見ごろをむかえていた。旅のコースは次の通りだった。
 1仁和寺霊宝館 
 2仙洞御所 一般公開 整理券ゲットと見学 
 3京都御所 一般公開 見学
 4相国寺 承天閣美術館「若沖」展
 5龍谷ミュージアム
 6西本願寺 書院と(外観のみ)飛雲閣・・・・ 飛雲閣は外観と庭園を含めて写真撮影が可能だった。
   書院の内部は撮影禁止。対面所以外に白書院と(中庭越しに)北能舞台は見学できた。
   「黒書院及び伝廊」は、もちろん入ることは出来ない。
   黒書院及び伝廊の入口と思われるところには、格子状の扉が閉まっていて「立入禁止」とあった。
   扉は格子になっているので、内部が見える。格子ごしに廊下のみ見えた。
    更に廊下の突き当り、黒書院の入口であろう引き戸(扉)は固く閉ざされて、内部は分からなかった。
 7京都文化博物館 企画展示「東寺百合文書展」
 8京都国立博物館 特別展「友松」
大阪
 1造幣局 桜通り抜け
 2藤田美術館「ザ・コレクション」
奈良に移動
 1大和文華館 「松浦屏風」など
 2西大寺 見学
 3奈良国立博物館 特別展「快慶」
大阪に戻り
 1 四天王寺 宝物館
 2 大阪を少し散策・・・ここで時間切れ・・・。
伊丹空港より羽田へ。

 ↓ 御室桜の満開の様子 (通路の北側はまだ咲いていない箇所もあったが)

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平成29年4月「博物館でお花見を」 鑑賞2(平成館 考古展示室) 東京国立博物館

 4/2(日)  「博物館でお花見を」 東京国立博物館 鑑賞。

  特別展はこの時期は開催が無い。あと数日で「特別展 茶の湯」が開催される。
 よって本館の総合文化展を見学し、次いで特別展が開催されて「いない」平成館へ向かった。

 ↓ 平成29年4月2日の退出時に本館の玄関から撮影。上野公園の桜並木の様子。
   遠目に見ると満開に近く、見頃を迎えたようだ。


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 ↓ 拡大。イベントが開催されていた。

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 平成館の一階、考古展示室を見る。以前2月に来たときに、ざっと見たが、改めて見てみる。
 よって企画の「博物館でお花見を」とは関係ない(笑)。 

 ↓ 国宝  秋草文壺(渥美窯) 神奈川県川崎市幸区南加瀬出土 。
  「慶應義塾大学蔵」とある。

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 骨壺らしい。学校法人慶應義塾の所有。寄託されており通年展示のようで、写真撮影も許可されている。
 学校所有だから撮影OKなのであろろうか。

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 発掘されたのが川崎市なので横浜市の日吉校舎から近い。近くにある学校ということで発掘後に寄贈されたか何らかの経緯で所有になったのだろう。
 確かに秋のすすきのような紋様が刻まれている。「渥美」半島の窯で焼かれているようだ。「渥美焼」というべきものであろうか。半島から海を渡るが、常滑にも陶器の生産地があるし、焼き物に適した土が採掘されるのであろう。東大寺の瓦を焼いた窯も伊良湖の近くにあったし、古代、中世から窯業が盛んであったのだ。東国まで流通して実用されていたとは、驚きだ。

 ↓ こちらは昨年私も訪れた 奈良県宇陀市出土の国宝指定文化財。
  遺跡そのものに私が行った訳ではない。宇陀周辺を少しばかり散策して、宇陀では「でっち羊羹」も購入した。
 「銅製骨壺、銅箱、瑠璃骨壺」 奈良県宇陀市榛原区八滝 文祢麻呂墓出土
  博物館のウェブサイトには説明があるが、展示作品の解説では国宝としての「指定名称」が分からない・・・・。単独で「瑠璃骨壺」が国宝指定されていると誤解してしまう。
  

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 「銅製骨壺」 ↓ 古代のお墓からの出土品が一括して国宝に指定されている。

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 「銅箱」とお墓の主「 文祢麻呂」の墓誌。
 なんと、奈良時代の前、飛鳥時代に区分される時代の慶雲4年(707)。

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 ↓ 別の国宝の展示。
  江田船山古墳出土品だっかな。違っているかも・・・・。


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 特別展は開催されていないので、平成館の特別展の部屋は閉鎖されていて、二階にも行くことは出来ない。閉鎖されていた。
 人もいなくて、静まりかえっていた。
 
 博物館を出て、敷地の裏手に回り、谷中墓地の脇から、鶯谷駅に歩いた。電車で駒込に向かった。


平成29年4月「博物館でお花見を」 鑑賞1 東京国立博物館

 4/2(日)  「博物館でお花見を」 東京国立博物館 鑑賞。

  特別展はこの時期は開催が無い。あと数日で「特別展 茶の湯」が開催される。
 よって本館のみ、総合文化展を見学した。まずは、二階の国宝室へ向かった。

 二階 国宝室は「花下遊楽図屏風」 狩野長信
 以前もこの時期に鑑賞したことがある。

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 長信は、永徳の弟。現在のところ国宝指定はこの一作のみだったと記憶する。秋に展示される「楓図」の屏風は狩野秀頼の作品。「長信」という名は、かつての権力者「信長」に似ているし、狩野秀頼は豊臣秀頼と同じ名前。西暦でいうと1600以降の作なので、大坂の陣頃の作品か。
 屏風の一部は焼失してしまったと説明にある。説明板には大正時代撮影の白黒写真も載っている。以前も同じ説明は読んだ記憶がある。が、すっかり忘れていた(苦笑)。
 桜の下でくつろぐ市井の人々の様子を表現したのだろうが、改めて見ると桜の木は何本もない。現代の花見のように「(染井吉野の品種の)桜並木」ではなく、花とともに茶緑色の葉が出ているヤマザクラの品種。
 花見の習慣は昔からあったが、鑑賞する桜の木は一本か二本くらいだったのだろう。

 写真撮影自体は禁止されていなかったようだ。しかし、念のため写真掲載はヤメておく。
 国宝室の隣の部屋は主に平安時代頃の文化財の展示。
 「当麻曼荼羅図」(たいまのまんだらず)の展示があった。文化財指定は無い。説明によると鎌倉時代の作品。

 ※ 漢字は「当麻寺」のように現代漢字を使用して表記します。


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 ↓  当麻曼荼羅図 全景。
    お釈迦様を中心に「極楽浄土の情景を表現した画」。
   2013年5月に奈良国立博物館で を見学した。 
   数多くの当麻曼荼羅図が展示されていた。当時30年ぶりに公開された国宝「縮織当麻曼荼羅絵巻」
  はかなり彩色が剥落していたが、そのスケールは圧巻であったことを思い出した。
 ※「縮織・・・」の漢字の誤りはご容赦ください。
 
   この当麻曼荼羅図を見たのかは、覚えていない・・・・・。

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 ↓ 説明。画面周囲には結縁者の氏名を記入する枠を設けている、とある。
  密教の儀式に関連して「結縁」(けちえん)という言葉を知ったが、簡単にいうと仏様のご利益にあやかりたく、縁を結ばせて頂くということか。

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 ↓ 国宝室の真下の一階「漆工」展示室の展示品の紹介告知板。

   国宝 倶利伽羅龍蒔絵経箱の展示があった。奥のガラスケースの中に展示があった。
   以前もどこかの展示で見たことはあった筈。えーっと、やはり2013年5月に行った特別展「当麻寺」だった(笑)。
    当麻寺奥之院 所蔵。 今回も特別展のときと同様、写真撮影は禁止であった。
   改めて見ると 青蓮院の国宝「青不動」画像の炎に似ている。両脇の童子も雰囲気が似ているし。
   経箱であるから、密教の信仰のもとに制作されたのだろう。
           二階で展示の  当麻曼荼羅図 ともども、当麻寺 に関連する文化財。

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  続いて一階の展示室を見ていく。隣の「刀剣」の展示室は、やはり平常に戻っていた。国宝の刀剣も無かった。(仮にあったとしても、以前から展示されていた相州の短刀などだったと思う。)
 ブームは、昨年の夏までだったかな・・・・。昨年の後半以降、今年になってからも「刀剣」の展覧会が多数開催されている。一昨年くらいから急激に広まった「刀剣ブーム」を受けて企画し、昨年、今年から来年にかけて開催されるのだろう。 


 ↓ 前回2月に見学したときの鑑賞作品 仁清 「色絵月梅図茶壺」 重文。
  一階の刀剣の次の展示室に展示されていた。

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  「野々村仁清は丹波の出身で、京都 御室仁和寺門前の御室焼を指導し、京焼色絵陶器の完成者として名高い・・・・・。」とある。 京都の人であった。
 

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 この日は、日曜日であるが最近は開館時間が延長になり、17時閉館ではない。常設展(総合文化展)を比較的ゆっくり見た。
 次いで、平成館に通路を移動した。
 「博物館でお花見を」がテーマだが、あまり「桜」「花見」関連の展示は見なかった(苦笑)。


「雪村展」 鑑賞3(最終) 東京芸術大学美術館

  2017年4月2日 特別展「雪村-奇想の誕生-」 鑑賞3 東京芸術大学美術館
 
 東京芸術大学美術館にやって来た。 三階から見学開始した。
 三階の展示室の順路の最後には、大型の屏風絵があった。
 「花鳥図屏風」 ミネアポリス美術館 所蔵 
 池にコイがいて、池のほとりに鳥がいる。一双なので、つまり2点ある。鳥はサギのようだ。鶴ではない。トキを思わせる優雅な表現だ。カモもいる。実に大きくリアルに水墨で表現している。右双だったか、どちらかの屏風にはコイが何匹も大きく描かれている。コイのウロコや開いた口、目までリアルに表現していて、グロイくらいだ(笑)。
 やはり大きな屏風絵がある。重文指定の「花鳥図屏風」 大和文華館 所蔵
 右双は梅の木と鳥が描かれていて春を表現している。左は夏だそう。夏らしく水辺を飛ぶ鳥が表現されている。(右から左に時間軸が流れていたと記憶する。) 
 「紙本墨画」の筈。展示リストには材質が描かれていないので、彩色か墨画か忘れてしまった。

 ↓ 特別展パンフレットの拡大。鳥が実にリアルに表現されている。
 

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 三階の展示はこれでおしまいです。続いて地下に下りました。エレベータで一気に地下まで。地下は、二室に分かれています。
 一室は、主に雪村や光琳の絵画や関連資料で奥行のある展示室。別の部屋は、近代までの影響を受けた画家たちの作品の展示。

 ↓ 展示室の配置。展示リストの抜粋。

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 順番に見ていきます。
 「第5章 三春時代 筆力衰えぬ晩年」
 70歳を過ぎて三春に居を構えたそうだ。西暦でいうと1560年代かな。信長が京の都で覇権を唱えつつあった時期だろうが、都から遠く離れており、気候の厳しい北国の地では無縁だったのだろうか。
 「金山寺図屏風」 笠間稲荷美術館 所蔵 生まれ故郷、かつての常陸の国にある美術館の所蔵。
 お寺の建物の描写が壮大で古代中国の立派な楼閣のようだ。茶色のようなうすい彩色が施されている。金山寺は長江の中流にある島の寺だそう。「・・・実際には見ていない。雪舟の絵を見て、空想で描いた・・・」と説明文にあった。
 
 雪村を尊敬していたといわれる 江戸時代の画家 尾形光琳。作品の模写もしていたそうだ。
 重要文化財指定「小西家伝来 (尾形)光琳関係資料」には、「雪村」の刻印のある落款(石印)があるのだ。現物の展示がある。説明文によると「どのような経路か分からないが、光琳は雪村の石印を入手した。・・・・」とある。重要文化財指定「小西家伝来 (尾形)光琳関係資料」の点数は、数多くある。以前、文書などは根津美術館の国宝「杜若図屏風」も展示されていた「光琳デザインの秘密」展で見て、光琳の子が大阪の小西家に養子に入って、伝わったことを知った経緯がある。また京都国立博物館の「琳派展」でも同資料の展示品は見たことがあると記憶する。

 地下の小さい方の部屋 「第6章 雪村を継ぐ者たち」

 雪村に関する映像コーナーもあった。
 「山水図」 鶴沢探真という作家の明治時代の作品 雪村の作品の原本を見て模写したようで、画中の描かれているものの寸法がほぼ一致しているそうだ。
 狩野芳崖の作品もありました。江戸時代~明治時代の画家にも影響を与えていたのでした。
 橋本雅邦の「雪景図」(山水画冊のうち)の展示がある。江戸狩野の二代目、常信が雪村の作品の影響を受けて、のこした作品の更に模写か雅邦が影響を受けて制作した作品と解説があったと記憶する。(詳細は忘れてしまった・・・。)

 三春の雪村庵にある額は 西暦1658、明暦4年に制作されたそうで「・・・八十余年前に僧 雪村あり。いみなは周継・・・」と書いてあるとのこと。明暦の大火のあとのこと。昔ことを記録しておこう、という機運から作成したのではないか?。当時の人が80年以上も前に没した雪村を忘れず、顕彰していたことが分かる。
 すると没年は西暦で1570年代ではなかったか。

 4/23(日)までの前期の展示は、重要文化財 大和文華館所蔵 「呂洞賓図」が一番のメインであろう。
 4/25から会期最終日5/21(日)までの後期の展示は、重要文化財 指定で、展示リストによると同じく大和文華館所蔵 の「自画像」であろう。展覧会のパンフレットには「自画像」の写真の掲載がある。後期展示なので、道理で探しても無かったはずだ(苦笑)。
 自画像によると雪村自身は、痩せていて、目が鋭い。まじめで、どこか神経質そうな人物像が伝わってくる・・・・。画風と異なり、厳しい修行に耐えた「禅僧」という感じだ。

↓「雪村展」パンフレット 「自画像」の写真部分
 
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 地下二階の展示室を見た後は、地上二階に行ってショップを通り、一階に階段を降り(エレベータではなく)、退出した。ショップを見ない人は、一階でエレベータを降りて出て行ってしまっていたが。

 ↓「雪村展」 の看板が出ている東京芸術大学美術館の入口。上の階のガラス窓が展望休憩室。

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 ※ 大和文華館 今回の展覧会でも多数出品していた。特に前期と後期の作品のメインは同館の所蔵である。
 大和文華館の所蔵品は、日本美術関連の展覧会では、一品、二品と出品数は少ないものの、出展される機会は多い。2014年10月から12月にかけての「日本国宝展」では、国宝「寝覚物語絵巻」も展示されていたし。行ったことは無いが気になる美術館です(笑)。
 昨年4月、信貴山に行った際に、距離的に近いので見学してみようと思ったが、時間の関係で割愛した・・・・。奈良国立博物館にそのまま向かったのだった。 
 昨年、訪れようとしたときの国宝展示は「寝覚物語絵巻」だったと思う。毎年、3月から4月上旬に展示しているようだ。すると、私が「雪村展」を訪れたこの日も大和文華館では国宝「寝覚物語絵巻」が展示されていたと思う。

「雪村展」 鑑賞2 東京芸術大学美術館

  2017年4月2日 特別展「雪村」-奇想の誕生- 鑑賞2 東京芸術大学美術館
 
 戦国時代を生きた謎の画僧「雪村」の展覧会。東京芸術大学美術館  三階の展示室から見学を開始した。
 展示室に入って正面のパネル壁の展示は「夏冬山水図」(京都国立博物館 所蔵)であった。
 険しい山と峡谷に挟まれ、唐風の家屋が書いてある絵・・・。薄い彩色がされている。「雪村筆」と署名があり、朱肉で落款が押してある。
 この作品、雪舟の「山水図」に似ているのだ。私が知っている雪舟作品は少ないが、東京国立博物館所蔵で時折展示される国宝の「秋冬山水図」二幅の作品に特に似ていると感じた。当時の「山水図」は皆同じように明国や宋、元(当時)伝来の作品をモチーフに描いていると推定されるので、皆似ていると言ってしまえばそれまでだが、雪村自身はこの作品を描く前に雪舟の作品を見たことは、あるのだろうか。
 「書画図」 大和文華館 蔵
 題名は後年付けられたのだろう。童子が描かれているが、実際は男たちが屋外で酒を飲んだりする宴会の場面。

 展示室内は、鑑賞者が多い。どの作品の前にもまんべんなく鑑賞者がいるくらいの人数。若い人も多いのだ。美術を学ぶ学生かな。学生は女の子の方が多い。40歳くらいの女性と白髪60歳くらいの男性が手をつないで鑑賞していたり・・・・。世代はどちらかというと、若めではないか。

 第2章 小田原・鎌倉滞在-独創的表現の確立
 解説によると雪村が小田原、鎌倉に滞在したのは50歳を過ぎてからのこと。以前は記録がないらしい。修行中であったか、高名でなかったので、実際には行き来していたが、記録が残っていないかいずれかだろうか?。

「蕪図」・・・大根がうまっている様子の絵。どこか、後年の若沖の水墨画「野菜の涅槃図」を思わせる。
 「雪村筆」と作品中にある。どこか「雪舟筆」と見間違えてしまう。雪舟は現在、国宝指定の作品にも「雪舟筆」と記しているし・・・・。
 別の作品「列子御風図」 アルカンシェール美術財団 所蔵 では画中、左上に「雪村老筆」と書いている。

↓ 特別展パンフレットの拡大。

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 「竹林七賢酔舞図」 メトロポリタン美術館所蔵 タテに長い描け軸の絵
 竹林七賢の老人を「賢く」表現するのが、このシリーズの作品の常識であろうが、この作品の画中の人物はどこか滑稽だ。杯を手に持って差し出した頭巾をかぶる老人が、酔っぱらって踊りながら、楽しそうにしている。周囲では太鼓?などをたたいて音を奏でている。「ヤレ唄え、ホレ唄え」という声が聞こえてきそうだ。
 解説によると、この「手に杯を持った老人」は「雪村」その人の自画像といわれているそうだ。
 殺伐とした戦国の世にあっても、酒を飲んで謡い踊る、ユーモアも分かる人物であったのだろうか。
 メトロポリタン美術館所蔵なので、今回里帰りしたのだろう。巨大なメトロポリタン美術館所蔵では、ほとんど展示される機会は無いと思われるので、鑑賞できる機会を得たのは貴重かもしれない。(アメリカでの展示実績などの解説は無かった。)

 「百馬図帖」 鹿島神宮 所蔵
 馬の絵を奉納している。馬の頭の部分を拡大し、数頭が並んでいる様子の画。神社に奉納しているので画中に「奉」と記している。雪村は鹿島神宮にも滞在したと年賦にあるので、このときに奉納したのだろう。現在まで500年間近く、同じ鹿島神宮に保管されているとは、驚きだ。

第3章 奥州滞在-雪村芸術の絶頂期
  
 重要文化財 大和文華館所蔵 「呂洞賓図」は三階の展示室りの一番奥の突き当りにあった。
 展覧会のポスターの表紙写真にも採用されているので、今回一番の目玉作品であろう。展示は4/30まで。
 「りょ どうひん」と読むそうだ。
 龍の上にのっている、上を向いた人物の画・・・・。解説文には「ありえへんくらいに首を折り・・・」とは解説していないが(笑)、風に吹かれながら、髭までもピンとなびかせて、何かパワーを発散している感じの絵。見上げる左上にも龍がいる。左下には「雪村筆」と記してある。
 解説文によると「風を どうひん がおこしている・・・・」とあったように記憶する。あるパワーで、風を読んでいるのだ。邪気を払うかのような力強い絵だ。が、これは密教の考え。
 現代でいう「嵐を呼ぶ僧!!」かな・・・、というのは違うようだ。当時は禅宗が主流であった筈なので、説明文によると禅問答をしているそうだ。「龍」の美術では欠かせないものだし。

 ↓ 特別展パンフレットの拡大。 「呂洞賓図」

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  別の「呂洞賓図」もあった。展示目録には、所蔵者が書いていない。つまり、東京芸術大学の「自己所有」作品だ。解説によると「今回、準備段階で存在が分かった 初公開」の作品とのことだった。

↓ 特別展パンフレットの拡大。

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 展示リストを見ると、東京芸術大学所蔵がいくつかある。所蔵品を持つ館、施設としては多い方。やっと、今回「雪村展」がここ東京芸術大学美術館で開催された理由が分かった(笑)。が、一番多いのは、個人だ。
 龍の上の乗る画といい、禅の文化、思想を基に表現しているが、風の動きをよく捉えている。風が漣(さざなみ)のように立っているのが、印象に残った。

 展示を見ていく。
「昭和49年に切手のデザインとなった」という作品があった。
重要文化財 東京国立博物館 所蔵 「松鷹図」。2幅あり、大きい画だ。上を向く鷹と、下を向く鷹の屏風?が対(つい)になっている。説明文によると「別人の作の可能性がある。」とあった・・・・・。
 
↓ 三階にある休憩の部屋から外を撮影した。鑑賞した2017年4月2日 撮影。
 芸大付近の桜は、まだ咲いていない。

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 どうでもよいのだが、下は「二年前」に同じ部屋から撮影した写真(苦笑)。

 ↓ 休憩の部屋から外を撮影。校門が見えます。2015年4月撮影。
   二年前は桜の盛りは過ぎていた?。
  本当に下の写真は二年前の写真です。今回撮影したものでは無い、といっても信じてもらえないかもしれないが(笑)。

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「雪村展」 鑑賞1 東京芸術大学美術館

  2017年4月2日 「雪村展」、正式には 特別展「雪村-奇想の誕生-」 鑑賞1 東京芸術大学美術館
 
 東京都美術館の「ティツィアーノ展」を鑑賞した後、同館の敷地の脇を歩き、工事中の奏楽堂を過ぎて、近くの東京芸術大学美術館にやって来た。

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 さあ、三階から見学開始だ。その後は、地下二階に潜り??、二階にミュージアム店を見てから退館するという、相変わらず分かりにくい順路(笑)。

 「雪村」の展覧会です。が、知らなかった・・・・。マジで一瞬「雪舟」と読み違えして「なんで雪舟が芸大美術館で開催やねん?」と思ったが、一応は瞬時に間違いに気付いた(笑)。
 「雪村周継」・・・一体何者だろうか?。雪舟のややあとの時代、戦国時代の中期の画僧・・・・。名前からして「雪舟」にあやかったものであることは確かだ。その作品も見ていたのだろうか?。戦国の世、雪舟の盛名はその没後も聞こえていた筈だ。

 展覧会のポスターにも「ゆきむら でなく せっそんです。」みんなの誤解に答えるようにちゃんと書いてある(笑)。 
二年前くらいに「ボストン美術館展」が別の場所(東京国立博物館)で開催されましたが、この展覧会を私は見ていないので分かりません。
 展覧会の展示リストを見ると重要文化財指定の作品はあるが、国宝指定は無い。まだまだ認知度の高くない画家ではないだろうか。やはり「雪舟」の名が圧倒的だからかな。

 展示室の最初には、「雪村」が過ごした町や足取りの説明ボード地図が掲示してあった。
 まず、その足跡からみる。常陸の人。陸奥の国の会津や田村郡というか、三春に移動して生活している。当時の常陸は佐竹氏の勢力下だ。佐竹氏の庇護の下に佐竹の同盟関係の蘆名氏など東国を移動したのだろうか?。 会津を本拠地とする蘆名氏の名が解説にもあるので。
 考えるに「独眼竜政宗」の更に「前の時代」背景と一致するのだ。「佐竹、田村、蘆名」などは、当時大河ドラマでもよく出てきた固有名詞だ。えっ、なぜ知っているかって?。当時、私は小学生高学年なので少しは見た(視聴した)のですよ(笑)。
 反対に「伊達」という名は会場に展示されている説明ボード地図年、賦には出てこない・・・・。伊達郡発祥の豪族の伊達氏は、あまり関係がなく、のちに伊達氏に負かされた蘆名氏や大河ドラマでは敵方としても描かれていた佐竹氏と雪村自身は深い関係にあったようだ。元々常陸の生まれなので、伊達氏はむしろ敵方?。
 雪村は僧であったから、比較的自由にあちこち移動できたのだろうか?。常陸太田(生まれたところ)、会津、小田原、鎌倉、鹿島神宮などに滞在したそうだ。鹿島神宮は、先の東京国立博物館の特別展覧会「春日大社」でも展示があったが、「春日信仰」にも関連が深い場所であった。鹿島の「鹿」ですね。
 晩年は三春に滞在して没している。没年は不明・・・・。80歳以上の当時としてはかなり高齢だ。没時は豊臣秀吉が天下統一する頃かその前、どうやら没年は(断定されていないが)1580年前後のことのようだ・・・・。すると、伊達氏の当主は若い頃の政宗ではなく、その前の世代、政宗の父が当主の時代かな・・・・・。政宗が戦で蘆名を破って、会津を手中に収め、事実上追放した頃には、既に没してなのではないか?。

 大河ドラマでも放映していたが、政宗の正室は、三春の田村氏から迎えていた筈。すると、三春は当時田村氏の支配下で、まだ娘が政宗の正室となる前で、勢力伸長していた伊達氏の強い影響下になる前に雪村は没した。すると、雪村は当時の田村家の当主、のちの政宗の義父(正室の父)の保護の下に三春に滞在していたと推測される。当然、著名な画僧として令名は、聞こえていたと思うし、田村の殿様と面会していただろう。
 展覧会の会場にも写真が掲示してあったが、現在、雪村が滞在した「雪村庵」がある。現在の郡山市にある。ただし、旧三春町、合併した後の田村市の所在ではない。有名な「滝桜」は、田村市だったと思う。

 その生涯は、生存していた時代は、一部しか重なっていないが、西国の雪舟に対して東国の「雪村」といったところか。雪舟が庇護をうけたのは、有力な守護大名だった大内氏。その大内氏は、雪舟の没後であるがのちに滅亡した。戦国の世とは非情で、厳しいものだ。
 
 展示室を見ていく。「滝見観音図」が最初の展示作品だった。ごく普通の観音様の掛け軸の絵。
次の作品もタイトルは「滝見観音図」。ともに茨城県のお寺の所蔵。紙本彩色である。基本は水墨で淡いカラーの彩色が施されているような感じだ。
 更に「葛花、竹に蟹図」がある。群馬県立近代美術館の所蔵。蟹などに薄い彩色がある。

 ↓ 特別展のパンフレットに掲載の作品。


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 最初の展示、入室して奥に向かって右手には、尾形光琳の国宝指定作品「紅白梅図屏風」の複製のレースの垂れ幕がかかっている。「なぜ尾形光琳か?」と予備知識無しで訪れた私は思った。「きっと光琳は雪村から影響を受けているのだな。」と考えた(笑)。
 「紅白梅図屏風」複製のレースの垂れ幕(透けて反対側が見える)の内側、ガラスケースにはメタボのおなかの大きいおっさんの絵と木の絵の掛け軸が展示されている。
 あまり見なかったのだが、戦国の世に似合わないメタボのおっさんは「布袋様」、左右の描け軸画は「紅白梅」。
 実は、尾形光琳の「紅白梅図屏風」(現在、国宝指定)はこれらの雪村作品の影響があるため、このような展示がされているそうだ。が、打ちだし方が弱いので、「光琳の影響」はあまり認知出来なかった・・・・。音声ガイドでは説明していたのかな・・・・?。
 食料不足のための争いの時代ともいわれた戦国の世に「本当に布袋様のような人がいたのかな?。」と別のことを考えてしまった・・・(苦笑)。

 ↓ 特別展のパンフレットの拡大。
布袋様が酔っぱらっている。どう見ても現代に生きるメタボのおっさん(笑)。

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「ロマノフ王朝展」 見学4(最終)とロシア関連資料の展示 東洋文庫ミュージアム

  2017年4月2日 「ロマノフ王朝展」 見学4
 副題「-日本人の見たロシア、ロシア人の見た日本-」

 東洋文庫ミュージアム、開催中の「ロマノフ王朝展」を見学した。
 会期は4/10(日)までで終了している。東洋文庫ミュージアムの休館日は月曜日であるが、企画展の最終日は日曜日に設定されていた。私は最終日のちょうど一週間前の日曜日に見学した。

 最後の展示は、ロマノフ朝最後の皇帝ニコライ2世の紹介パネルと関連展示であった。ニコライ2世の時代に勃発した日露戦争の写真の掲示があった。
 日露戦争後は、数次にわたって「日露協約」を結ぶなど、友好関係になったのだが。その後、ロシア革命でロマノフ朝は倒れ、やがてソ連が成立。友好国のひとつを失い、日英同盟も第一次大戦後に失効。のちの日米開戦にもつながっていくのだが・・・・・。

 ニコライ2世は父、アレクサンドル3世と同じく家庭にあっては、よき父だったようだ。最期は家族揃って銃殺されたといわれている。悲劇の一家であった。
  ニコライ2世が皇太子時代に日本で遭難した「大津事件」の解説もあった。当時の日本にあっては、大事件ですよね。現代以上に国の信用にかかわる。父皇帝にとっては、事件の一報を聞いたとき、更にその父(ニコライ2世にとっとは祖父)のアレクサンドル3世の爆殺のことが一瞬頭をよぎったのではないか?。
 ニコライ2世の妻はヴィクトリア女王の孫と説明がある。生物学上でも有名な話だが、血友病の遺伝子が妻を経由してその子 ロシアの皇太子に遺伝した訳で・・・・・。歴史の皮肉というか、「皇子の血が止まらない・・・・。」というのはあまりにも有名なエピソードだ。怪僧ラスプーチンも登場し、歴史は混とん・・・・・。現在でも「××のラスプーチン」と呼ばれる場合がありますね。我が国においても・・・。皇子の病気と怪僧の暗躍が国が亡びる原因のひとつとなったことは、あまりにも皮肉だ。
 展示の解説には、更に「・・・・殺害されたニコライ2世と思われる遺骨は、大津事件で着ていたときの血染めのシヤツ、ハンカチが日本に保管されていて、DNA鑑定に使用され、遺骨のDNAとピタリと一致した。2008年に確認された・・・。」とある。近年ニュースにも話題を提供したとは、何とも皮肉なことだ。

 二階の企画展示室「ディスカバリールーム」の見学を見学し、一階の「オリエントホール」に階段を降りる。


  ↓この日、入館直後の日没前に撮影した庭の様子。


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 二階から階段を降り、一階へ。受付やミュージアムショップの様子。日没をすぎてだいぶ暗くなってきた。閉館時刻が近づくと入館者も帰っているらしく、展示室内で観覧している人は少なくなってきた。
 

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 階段下には、テレビが設置され「上坂すみれ」ちゃんの登場する今回の企画展の解説映像があった。ネットでも動画配信しているが、年配の男性の館員と作品について語り合っているシーンだった。すみれちゃん(と愛称で呼ぶが)は、萌え系のフリルのついた衣装で登場している。某アイドルグループのメンバーと思ったが、違うようだ。大学でロシア語を学んだ「ロシア通」アイドルだそう。年齢は19歳か20歳そこそこに見えるが、既に大学は卒業していて、年齢は24歳か25歳くらいですね。

 展示室内でも、すみれちゃん吹き込みによる説明のナレーションが時折、天井のスピーカーから流れていた。しかし、すみれちゃんの声が小さくて聞きにくかった・・・・。芸能人だから音量の出し惜しみをしているのかな?。契約で音量制限があったりして(笑)。それとも閉館時刻間際なので音量を絞っていた??。よって、見学している間、ナレシーションはあまり参考にならなかった

 一階の「オリエントホール」の展示をざっと見る。「ロマノフ王朝展」に関連してロシアや東方探検関連の展示が多かった。まさに「ロマノフ王朝、ロシア尽くし」の展示です(笑)。

 ↓ 「北東シベリアにおけるマンモス発掘調査」 1926年 ロンドンで刊行
  当時のシベリアでのマンマス発掘の様子。
  写真は白黒なので判別しにくいが、皮膚が残っているマンマスの死体も発掘されていたようだ。目やキバまでほぼ完全な状態で残っていたようだ。この固体標本が残っているのかは、分からない。
 
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↓ カムチャツカ紀行。
1925年 パリで刊行
冬は極寒の地、カムャツカでの調査記録。写真には現地の先住民族の様子がうつっている。
調査したのは、ロシア帝国の時代か、第一次大戦後、シベリア出兵の時期であろうか。

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↓ 「近藤正齋全集」 近藤重蔵の 1905年刊。
「正齋」は重蔵の号のこと。西暦1829年に没しているが、日露戦争の時代に刊行されたようだ。
実際の探検から100年近く後のこと。当時の国策を反映していたのかも。

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↓「ニコライ2世の東方旅行記」

 皇太子時代にニコライ2世が日本を訪問したことはあまりにも有名だ。大津で警官に切り付けられた大津事件は前回の記事でも書いたが、当時の日清戦争前の日本では国の根幹を揺るがすくらいの大事件であった。明治天皇が直ちに列車で京都に向かったことからも事件の重大さがわかる。
 解説文には「悲劇の皇帝、若き日の思い出」とある。


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 説明には二階の展示でも解説があったが「2008年に実施されたニコライ2世一家の遺骨のDNA鑑定には(大津事件のときに)付着したシャツの血痕が用いられ、見事に符合した(確認された)」と解説がある。

 ↓ その一ページの展示部分。サムライが行進している??。ロシアから見た明治20年代の日本とは、このように徳川様の時代の様子とあまり変わらなかったのかな?。


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 閉館の15分前に館を出た。来ていた人は、まだ残っている人がいて二階の企画展示室には、まだ二人くらいいたと思う。
 カウンターには先に私が入館したときにいたMAの女の子がいる。シッョプのテーブルの上においてあった図録を購入した。値段は560円と、とてもお得だ。ショップのグッズも少し見る。閉館近くなり、外は真っ暗だ。白熱灯の灯りで、ぼうとっと館内が照らされる。

 と、事務室から女性が出てきた。どこかで見たことがある人だ。学芸員の人で以前、私が製本の実演を見たときに司会をしていたし、この1月だったかNHKの番組で東洋文庫を、お笑い芸人が取材して紹介をしたときにも出ていた方だ。閉館前の確認か、二階の展示室を見に行って、再びおりてきた。レジのMAの子と話をしている。楽しそうですね(笑)。

 退出後、六義園の正門の前を通るが大行列だった。夜桜見物は諦めて、帰路についた。



「ロマノフ王朝展」 見学3 東洋文庫ミュージアム

  2017年4月2日 東洋文庫ミュージアム
 開催中の「ロマノフ王朝展」を見学する。 

 二階の展示室、 長方形の「ディスカバリールーム」内のメイン壁面には、ロマノフ朝の歴代皇帝(ツァーリ)の紹介パネルがあった。
 有名なエカチェリーナ2世やアレクサンドル1世、ニコライ2世までの皇帝の紹介であった。
 展示の最初にもロマノフ朝の系図の掲示があったが、エカチェリーナ2世は、妻としてドイツ貴族からロシアに来た人。
 「エカチェリーナ1世」も系図に載っていたが、ピョートル大帝の妻だった人。大帝の娘が「女帝 エリザヴェータ」。エリザヴェータは、プロイセンのフリードリッヒ大王のライバル。戦争のさなか、エリザヴェータが死去したので、追い詰められたフリードリッヒは、自殺を免れたようなものだし・・・。その後に、ピョートル大帝からみて娘の子、エリザヴェータの甥であるピョートル3世が即位。彼の父系は、ドイツ系ですね。フリードリッヒに親近感があったのも分かる。しかし、ピョートル3世はすぐに死亡、というか殺害され・・・・。ロシアが帝位を巡る大混乱に陥ったので、フリードリッヒ大王は、強運の持ち主だ。

 なぜ、「妻」であったエカチェリーナ2世がこれだけ権力のある女帝になったのかは、不思議・・・・。元々、王家の人じゃないではないか。しかも、外国人だ。夫のピョートル3世を殺して、帝位についたようなモンだ。愛人の男も数百人?いたそうで、政治的にも一人の人間としても大層精力的です。パワフルな人って、こんなモノかも・・・・。一般庶民、かつ、ヘタレのボクちゃんとは大違い・・・・・

 そして、時代が下ったアレクサンドル1世の説明は大体次の通りだった。
 「アレクサンドル1世の時代はナポレオン戦争に勝利したが、・・・・・その後、信仰にはまり、・・・保守反動政治家が実権を握り・・・・・政治は停滞し、・・・・ 民衆の生活は苦しくなった・・・。」
 せっかく、ロシア国内に侵攻したナポレオンを撃破したのに、何やってんの?!という感じ・・・。
 次はニコライ1世。アレクサンドル1世が急死した後に即位したそうだ。前皇帝の弟。子ではない。後継となる子がアレクサンドル皇帝にはいなかったようだ。ニコライ1世は1855年まで30年在位している。「30年1世代」の言葉のごとく「一世代間」皇帝に在位していたので、てっきり子かと思っていた。
 説明によると兄皇帝は、政治的に「ゆるかった」ので、不届き者を生んだとし、恐怖政治を敷いた・・・。バシバシ、反対派??、をシベリア送りなどの流刑にして政治的に弾圧した・・・・。デカブリストの乱を鎮圧し、首謀者は容赦なく死刑にしたり、まさに強権政治、恐怖政治そのもの。が、治世の後半にはナイチンゲールで有名なクリミア戦争が勃発して、ロシア不利の中、死去・・・・。いや~大変だ。のちのソ連時代の時代といい、ロシアは強権力に弱いというか、独裁になりやすいというか、ロシアの皇帝(ツァーリ)をはじめ、ソ連、ロシアの権力者は怖い人多すぎ・・・ようですね、と思うのは私だけかな・・・・??。

 ↓ 写真はニコライ一世の紹介。


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 室内には数名の見学者がいるため、あまりに盛んに写真をパシャパシャとるとデジカメの音が響くので、皇帝紹介のパネル撮影はやめておいた。
↓ 「プチャーチン来航図」
 「ヘダ号」の建造の図だ。巻物になっていて、公開されている部分は

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 ↓ 巻物のそばにあった写真と解説。前年の暮れに、アベ首相の地元、長門の温泉旅館で行った首脳会談前のお出迎えのときの様子。ニュースでも放映していたが、プーチン大統領が、かなり遅刻してやってきたときの様子。

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 首脳会談のときに、この複製を贈呈したことで有名になった。「ロマノフ王朝展」は日ロ首脳会談の翌月、今年1月からの開催だからマサにタイムリーな展示となった。一部報道によると「北方領土の一部の返還が決まる。」のような希望的観測があったが、その後の会談の成果は寡聞にして知らない・・・・・・・・・・・・。

 ガラスケース内部には「大槻玄沢」関連の資料の展示があった。
 大槻玄沢については、先に見学した早稲田大学中央図書館の企画展示で所蔵資料の公開があった。重要文化財に指定されていた。玄沢の肖像画も展示されていた。私は杉田玄白の肖像画に関心が向いて、あまり注目していなかった・・・・。反省・・・。
 うーん、お互いに東洋文庫と早稲田大学図書館とで、コラボ企画をすれぱ面白かったのですが・・・・・・・、せめてお互いに「現在、展示中!!」と告知すれば分かり易いです(笑)。

  漂流してロシアに到着した「若宮丸」の乗組員についての聞き取りの記録。光太夫の帰国から約10年後のこと。更に10年間くらいロシアに滞在して1800年代にレザノフと一緒に渡航し日本に帰国している。
 アレクサンドル1世に謁見をしていたそうだ。ナポレオンもいた時代のことだ。
 若宮丸は仙台領の石巻から出航したとのことで、仙台・伊達侯家臣の大槻玄沢が聞き取りに当たったのだろう。

 ↓ 大槻玄沢 「環海異聞」の展示の様子。環海異聞は重要文化財指定であるかは、表示は無かったので不明だ。重要文化財に一括指定されている大槻家文書とは別のようだ。仙台の殿様か幕府=ご公儀に提出された公式記録だから大槻家の私文書ではない。
  手前のガラスケース内が「環海異聞」。後方の壁沿いのガラスケースが光太夫の記録の展示。

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寄港した先の人々の様子を描いた彩色画だった。舟を漕ぐ、南洋の人だ。

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 「若宮丸」の乗組員は、日本人としては初めて世界一周をしたそうだ。ヨーロッパから、カナリア諸島、ブラジル、太平洋を横断したそう。大西洋と太平洋を横断しているのだ。まるでマゼランのようだ。この話、以前、聞いたことがあるがすっかり忘れていた・・・・・。日本人初の偉業なのにあまり知られていないのは、何故だろうか。
 上の写真の絵は、「マルケイサ・・・」のように読める。ポリネシアのフランス領の島の住民であろうか。


 ↓「安政の五か国条約」
 原文は旧字体だが、「第一条 安政元年  11月21日  下田・・・べし」と書いてあるようだ。
第二条は「・・役人と・・・又魯西亜国の各港の・・・人及び貿易と・・・役人・・・ 」とある。
 その後の日本の運命を決定づけたのがこの条約である。今だに北方領土が日本の領土である重要な根拠が、この安政の五か国条約だったかな・・・・。

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↓ 「蝦夷・北蝦夷歴検真図」

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 安政時代に作成された蝦夷の地誌。函館山の様子が描かれている。
 写真のような細密な風景画だ。函館山の様子も現在は違うし、函館の砂洲の部分も埋め立てられて現在とはかなり異なっている。

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 さて、皇帝の紹介はニコライの次のアレクサンドル2世になる。
 農奴解放で知られる改革を行った皇帝だが、暗殺されたことでも有名である。暗殺というよりも、爆弾を投げつけられての爆殺であった。警備が手薄であったのだろうか。
 改革が、かえって失業者を生み、政府に対する憎しみを増大させ、テロリズムを生んだとは、皮肉というか、現代に通じる政治上の教訓というべきか・・・・。

 次の皇帝はアレクサンドル3世。紹介パネルには「父、アレクサンドル2世が暗殺されたので、自らも暗殺を警戒し、サンクト・ペテルスブルクから離れた宮殿で・・・ほとんど過ごした・・・・貧富の差は激しくなり、社会不安は増大した、・・・反対派は弾圧した・・・・。」というパネルの解説。また「統治者としては専制君主であったが、家庭にあってはよい父であった。」という解説があった。
 父を暗殺されたからこそ、改革政治はやめて、強権的な政治に逆戻りして、反対派は弾圧したが、父を非業の死によって失ったことから、家庭は大切にしたのであろうか。

 二階から階段を降り、一階へ。受付やミュージアムショップの様子。日没をすぎてだいぶ暗くなってきた。閉館時刻が近づくと入館者も帰っているらしく、展示室内で観覧している人は少なくなってきた。
 

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「ロマノフ王朝展」 見学2 東洋文庫ミュージアム

  2017年4月2日

 東洋文庫ミュージアム、開催中の「ロマノフ王朝展」を見学する。
 二階の展示室を見学です。
 (東洋文庫ミュージアムでは「常設展示」という言い方はしていないです。)

 国宝 古文尚書のガラスケースの右端に近い所に、「トバエ」という展示があった。つまり、教科書にもよく載っている日本の明治時代の国際関係を表現したビゴーの風刺画だった。
 中学校の教科書には必ず載っていた。言論弾圧される日本の自由民権運動家?。


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 ↓ これまた有名な風刺画。
 えーっと、子供の頃に見た教科書の解説では橋の真ん中にいるのがロシア。左のサムライが日本、右手のメガメの男は当時の清国。魚は・・・・(以下略)。日清戦争前夜の東アジアの国際情勢だったかな?。


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 私は「ビゴーの風刺画」というタイトルと思っていたが「トバエ」という雑誌に掲載されていたのですね。
 このガラスケースでは「ロマノフ王朝展」とタイトルされていないが、当時の日露関係を表現する重要資料だ。

 ↓ 展示室の入口の「ロマノフ王朝展」の懸垂幕。

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 懸垂幕の裏手のガラスケースから展示が始まる。まずはドーンと「ロマノフ王朝」の系図だった。
 「ロシア皇帝」といえば誰が有名だろうか?。昔の皇帝といえば「イワン雷帝」が有名だ。イワンの解説も展示に少しあったと思うが、ロマノフ朝ではなく、その前のリューリック朝の君主。マジでイワンは怖い皇帝だったそうで・・・・・。日本の「雷おやじ」どころではなく、かなりの残虐性を感じる。

 リューリック朝の断絶後、血縁によってミハイル・ロマノフがすんなり即位した訳ではなかった。説明文には「・・空位の時代」とある。偽皇帝も登場するなど、混乱を極めたらしい。ミハイルは1613年に即位してロマノフ朝が開始されたのだが、その後300年も続くほど、安定した政権のもとで即位したとは展示の解説を読む限りでも、とても思えない・・・・。
 1613年といえば、日本では徳川家康がいて、豊臣家が滅亡した大阪夏の陣の2年前。日本から海を渡って、ロシアと陸続きの大陸のはるか東方、大明帝国は滅亡したか、しそうな時期。北方では満州族の(後)金=チン(清=チン)が関内を窺っていた時期。ロシアからみて大陸の西、フランスでも王朝交代があった時期。ヴァロワ家が断絶して、男系ではかなりヴァロワ家からでは遠い、ほとんど他人の貴族 ブルボン家が王朝を開始した時期。フランスから海を渡って、イングランドでもエリザベス女王が死去して王朝が変わってから10年くらいしかたっていない時期。この時期はあちこちで、王朝、権力の交代が相次いだ時期だったのでは?と考えた。偶然の一致ではなく、何かの関連性があるかも・・・・。地球規模の環境の大規模な変動か、大航海時代に代表される初期グローバルリズム(このような用語はあるのかは知らない。ボクちゃんオジナルの造語のつもり。)の影響か、大航海時代とも関連があるかも知れないが、疫病の流行か??。

 ↓ ミハイル皇帝の肖像のある書籍のページ。
 随分とあどけない表情だ、と思ったら、ミハイルは16歳で皇帝となったそう。

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  少年皇帝の誕生であった。元々、ロマノフ家はドイツ系?ともいわれる下級貴族の出であったが、一族であったアナスタシアがイワン雷帝の「第一夫人」であったこと、モスクワ奪還に功績があったからアナスタシアの血縁であるロマノフが皇帝に推されたとのことである。この辺、神聖ローマ帝国や東ヨーロッパなどにみられる選挙王政に似ているかも・・・。有力貴族、領主の中から、選挙で王様を決めるという点は、東洋的感覚からいうと理解しにくいかも・・・・。

 次いで、16世紀に出版のモスクワ大公国の地図などの展示がある。以前、ここで開催された「ブラウの大地図帳展」で展示された地図の展示もあり、ロシア、モスクワのページが開いてあった。この箇所は以前、私が東洋文庫を初めて訪れたときに見たことがある。

 展示はピョートル一世(大帝)関連へと変わる。写真は撮影していないが、ピートルの肖像が載った書籍の展示があった。ピョートルによって当時の清国に派遣された使節の旅行記だ。解説によると、この書籍に掲載されている肖像は他のピョートルの肖像とよく似ているので、実際に皇帝はこのような姿をしていたのだろう。
 ネルチンスク条約を締結したのは、ピョートル大帝の時代だったのですね。いや~、陸続きでユーラシア大陸のはるか東方まで進出しているとは、のちの大ロシア帝国の版図はまさにピョートルが築いたのだ。だから「大帝」なのだ。 

 続いて、展示されている部屋へ通路を歩きます。通路は「回顧の〇」と名付けられている。続いて企画展の中心となるいつもの展示室「ディスカバリールーム」へ。入口にはまず「ロシア帝国の版図」の展示ボードが設置してある。
 

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 最初はモスクワ周辺の「大公国」だったが、どんどん広がって「ロシア帝国」となっていった様子がわかる。
ベーリング海沿岸など、ヨームッパからはるか離れた北極圏の寒冷地まで17世紀には進出してしまうのだから、ロシア人のパワーはオソるべきものがある。

 「左手よりご覧ください」の表示に従い、壁沿いの展示ケースを見ていく。
 
 ガラスケースの中に「大黒屋光大夫」達の漂流記「魯西亜国漂泊聞書」(おろしやこくひょうはくききがき)の展示があった。今回の企画展のメインのひとつである。

 ↓ アムチトカ島に漂着したときの様子。無人島ではなく、島の陸側には現地の人の姿がある。ロシア人ではない、アイヌ民族とは違うが、北方のツングース系の民族のようだ。日本人も広義にはウラル=アルタイ語族の一員と思うので、民族的には日本人にも近いのではないか。

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 ↓ カムチャツカ、シベリアでの横断時?の様子。
  ロシアの都 サンクト・ペテルスブルクを目指して移動している道中の図と思う。虻などの大型の虫が飛び交っていた。「大自然」とは聞こえがいいものの、実際に人間が住むにはかなり厳しい環境であったろう。

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 ↓ 日本に帰還した後の様子。
  ロシア風の衣装の人物が騎乗している。てっきり外国使節の日本の行進と思ったが、違う。
  光大夫一行が、日本に送り届けられた後、江戸城に向かう途中の絵なのだ。乗馬でお付きの者を従えている。漁民であった光大夫が、である。大出世したような絵だ。民衆が沿道に出て見物もしている。
 「鎖国を破ったので、帰国後も冷遇された」というような感覚もあるが、事実は全く違うのだ。凱旋した武将のようだ。実際は厚遇されていたこが判る。
 しかも、一行は時の将軍 家斉に吹上御苑で拝謁しているのだ。国禁を破ったモノが、どうして「上様」に拝謁することが出来よう。特別な待遇まで受けたのだ。

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 10冊の展示には、ロシアの街や人々の様子、ロシアの都 サンクト・ペテルスブルクの巨大な建物群、 日本に帰還するときの船の絵などのページが開いていた。 
 サンクト・ペテルスブルクの様子は、どうみても当時の清国の北京の宮殿のような感じで、ロシア風ではない。「水の都」のサンクト・ペテルスブルクの様子も描かれていない。サンクト・ペテルスブルクの街の水辺の風景は展示がなかった。


↓ 「魯西亜国漂泊聞書」の展示の様子。
 全10冊が初めて同時公開されたそうだ。10冊の展示があるが、書籍なので一か所、つまり二ページ分しか展示できないので、全部を見るには程遠い。

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 日本人の記録のみならず、西洋人の記録もあった。「レセップス旅行記」の展示があった。書籍を開いて一ページだけの展示。 解説によるとレセップスは「スエズ運河」のレセップスが甥にあたるそう。道理でどこかで聞いた名前だ(笑)。カムチャツカで偶然、光大夫と知り合ったそう。太平洋探検隊の通訳していて、展示されている部分には確かに「Koda・・」と光大夫ノフランス語?表記の活字があった。

  長方形の企画展示室(ディスカバリールーム)内のメイン壁面には、ロマノフ朝の歴代皇帝(ツァーリ)の紹介パネルがあった。
 有名なエカチェリーナ2世やアレクサンドル1世、ニコライ2世までの皇帝の紹介であった。



「ロマノフ王朝展」 見学1 東洋文庫ミュージアム

  2017年4月2日 「ロマノフ王朝展」 見学1

 夕刻、東洋文庫ミュージアムにやって来た。駒込駅から歩いた。駅近くの六義園の入口は、園の壁に沿って行列・・・・。ならば東洋文庫に近い六義園の正門ならば、すいているだろうかと思ったが全くの見当違い(笑)。大大行列だった・・・。
 六義園の正門を通り過ごし、駒込警察署の目の前の横断歩道を渡り、東洋文庫に向かう。
 ここで「ロマノフ王朝展」を観覧し、その後、六義園に入園して「しだれ桜」を観覧する予定です(笑)。

 東洋文庫ミュージアムは「19時閉館」。比較的遅い時間まで開いているので、便利だ。他の美術館、博物館が閉まった時間帯の後でも来ることが可能だ。が、最近国立博物館などでは特定の曜日などの夜間延長開館を実施しているので、何ともと言えくなって来ているのだが。

  ↓ この日の東洋文庫ミュージアムの入口。


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  入館す。受付には、艶やかな深紅の民俗衣装をまとった『MA』さまがいらっゃる。静嘉堂文庫で入手した、スタンプラリーの台紙を提示する。と、200円引きになった。静嘉堂文庫美術館では、スタンプを押し忘れた(台紙の置き場とレジが別だったので、入館後台紙を入手した上で改めてリジに言わないといけなかった・・・・・。)のだが、スタンプを押していなくても台紙を提示すれば200円引きになるとのこと。助かりました
 (と東洋文庫ミュージアム様にハートマーク。) 

 展示室に進みます。東洋文庫ミュージアム内では室内はフラッシュ禁止、撮影禁止の表示のある展示品以外は基本的に撮影できます。

 ↓ 階段下の一階展示室にはこの季節にちなんだ「桜」関連の展示があった。
 桜の花の様子を絵で記録した書籍の展示があった。

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 「寒緋桜」や「樺桜」の絵がある。「樺」のような文字だが、読めない・・・・。
 黄色い花びらだ。

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 当時の桜は、花が咲くとともに葉も出る種類が主流だったよう。現代日本の私達は、明治大正以降急速に広まったソメイヨシノの「花びらオンリー」の桜のイメージがあまりに定着してしまっている。

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 ↓ 桜の花びらが挟み込まれている。当時の植生を知る貴重な資料だ。
   当然この時代の資料であるから「染井吉野」は無い。「桐谷」など優雅な種類名だ。
 

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↓ 六義園の名前の由来に関する資料の展示と解説があった。
  「六義」についての解説。中国の古典によっている。

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 文化財の説明は私がしても仕方ないのでここでは省略します。
 六義園の名前の由来の出典である??、「毛詩」の書籍の展示があった。

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 二階の展示室に階段を昇る。モリソン書庫の前を通り、展示室内へ。ガラスケースの向かって左端には、ありました!、国宝の「古文尚書」が。
 以前、2015年6月に初めてここ、東洋文庫ミュージアムにやって来たときにも鑑賞した。再び国宝とのご対面です(笑)。
 ↓ 今回訪問時 2017年4月展示の部分。 

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 何回も言及しているが、東洋文庫ミュージアム内では室内はフラッシュ禁止であるが「撮影禁止」の表示のある展示品以外は基本的に撮影可能だ。展示部分は違うようだ(笑)。

 ↓ (参考画像) 2015年6月展示の部分。 

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(参考画像) 2015年6月撮影
↓ 現物の隣に展示のあった 国宝指定書。

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 続いて、展示ガラスケースを見ていく。





 

「ティツィアーノ展」 鑑賞5(最終) in 東京都美術館

平成29年4月2日 「ティツィアーノ展」 鑑賞5(最終) in 東京都美術館

 最終日を迎えた「ティツィアーノ展」を最終日を鑑賞した。
「ティツィアーノ」は、皇帝カール五世、その子 フェリペ二世からも多大なる信頼を得た、時代を代表する画家。

 「音声ガイド」の最後の方の解説だったが、皇帝とのエピソード紹介では、あるときティツィアーノが皇帝カール5世をモデルに、その前で筆をとって肖像画を描いていた。ティツィアーノは、筆を床に落としてしまった。皇帝は筆を拾って、彼に渡したそうだ。ティツィアーノは大変恐縮したが皇帝は「仕えるのにふさわしい。」とティツィアーノに言ったそうだ。
 皇帝カールはティツィアーノが「皇帝である自分に無礼をしても、気にならないくらいに信頼していて、仕えてもらうのにふさわしい画家だ。」と思っていたということですね。
  
 会場内の年表、図録の年賦によるとティツィアーノの没年は1576年。80歳以上の高齢であった。

 1559年には兄フランチェスコが没。兄も画家であった。兄の存在があったから、弟の自分も才能を開花させることができたと思っていたのではないか。
 先だって、10歳以上年下のはずの皇帝カール五世は、1556年?かに没。カールは1500年はちょうどの生年なのでまだ50歳台半ば。カールはスペインのサン・ユステ(San Yuste??)修道院に引退して没したので、ヴェネツィアで生活していたティツィアーノは、何かの知らせで聞いたのだろう。皇帝とティツィアーノが最後にあったのはいつだったのか?。1548年のアウグスブルグでの面会が最後??。
 その子、フェリペ2世とはその後会っているのか、私は分からない。
 1574年にはフェリペ二世への手紙の中で「95歳」と書いているそうだ。手紙のやりとりはしていた模様。
当時流行したペストで死亡したそうだ。ヴェネツィアのある島に隔離されて療養していたらしい。偉大な画家であるのに葬儀には会葬者がいなかったそうだ。
 もっとも、ペストの流行のため、葬儀に行くことが感染防止のため憚られたのだろう。ティツィアーノの次男、オッタヴィオはペストにより、父の死からわずかに2週間後に死亡したそうだ。次男も一緒に感染して葬儀どころではなかったのだろう。栄光の画家の意外な最期であった。



 ↓ 会場の一番最後、地下に下るエスカレータの手前にあった撮影コーナー。

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↓ 会場内で唯一の撮影可能コーナーだったので、入場者は盛んに撮影をしていた。 

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↓ 会場の一番最後、地下に下るエスカレータに直前の窓。
  外を視れる場所は、休憩所以外ではここだけでは無かったかな。いつものことだが、地下から会場に入った筈なのに、最後は2階に出るようになっている。迷路をぐるぐると回っているようだ。
 自分の居場所が分からなくなってしまう。
 桜並木が見えないので、木々は、まだ葉の出ていない早春の装い。


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 音声ガイドを返却し、地下の出口出て退出した。





「ティツィアーノ展」 鑑賞3 東京都美術館

平成29年4月2日 「ティツィアーノ展」 鑑賞3 in 東京都美術館。

 「ティツィアーノ展」を最終日に鑑賞した。
 「ティツィアーノ」は私個人が一番興味を魅かれる画家である。優美な女性の裸体画や、皇帝カール五世像に代表される勇壮な肖像画の数数。特にプラド美術館で見た「カール五世騎馬像」の巨大な絵は圧巻だ。「ミュールベルク(ドイツ語読みだが・・・・) en(エン) カルロスⅤ(キント)」とも言われるアノ「甲冑姿で騎馬に乗って槍を持つ皇帝カルロスの姿」を描いた大作だ。戦争に明け暮れた? カルロスの戦勝記念の肖像画だ。あと、カルロスの突出した「顎」もよく表現している(苦笑)。
  イタリアの美術館でのティツィアーノの英語での表記を見ると「Titian」となっている。そのまま、日本語で発音すると「チチアン」かな?(笑)。
 私が大変に興味がある画家であり、今回ティツィアーノの特別展が開催されるので、勇躍してやって来た訳です。(笑)。
 展示室内では、なかなか、ティツィアーノの作品が出てこなかった。すべて「ティツィアーノ」の作品で構成というのは不可能なので「ヴェネツィア派」の絵なども含めての展示である。
 初期の作品からティツィアーノの展示が始まる。
 「復活のキリスト」が、最初のティツィアーノの作品であった。
 解説によるとティツィアーノは、公証人の子として産まれている。
 「あれ、公証人の子」とはどこかで聞いたことがあるぞ。と思った。
 レオナルド・ダヴィンチも公証人の子(私生児)として紹介されることが多い。現代の日本語でいう公証人とは、当時のイタリアではどれくらいの人数がいたのだろうか??。


 次いで、若い頃の代表作としてフローラがあった。
 若々しい女性の絵だ。描いた当時の彼よりやや下の年代の少女を表現したのではないか。


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「ティツィアーノとヴェネツィア派展」 鑑賞2 東京都美術館

平成29年4月2日 「ティツィアーノとヴェネツィア派展」 鑑賞2

 最終日を迎えた「ティツィアーノ展」(以下、同様に表記する。)の鑑賞のため東京都美術館へ行きました。
 「ティッツィアーノ」と「ツ」を大小二個続けて表記していることもあるが、よりイタリア語の発音に近づけるためでもあるので、ご理解下さいね(笑)。日本語では「ティツィアーノ」が一般的。
 「ティツィアーノ」は私個人が一番興味を魅かれる画家である。優美な女性の裸体画や、皇帝カール五世像に代表される勇壮な肖像画の数数。特にプラド美術館で見た「カール五世騎馬像」の巨大な絵は圧巻だ。「ミュールベルク(ドイツ語読みだが・・・・) en(エン) カルロスⅤ(キント)」とも言われるアノ「甲冑姿で騎馬に乗って槍を持つ皇帝カルロスの姿」を描いた大作だ。戦争に明け暮れた? カルロスの戦勝記念の肖像画だ。あと、カルロスの突出した「顎」もよく表現している(苦笑)。
 いや、プラドのベラスケス「女官たち」、ゴヤの「マハ」以上の大作だと思う。というか、画風を見るにベラスケスもゴヤもティツィアーノ作品の影響を受けているのではないかとも感じる。スペイン=ハプスブルグ王朝、その後のブルボン王朝のスペイン美術の先駆を造ったのは、「ヴェネツィア派」と呼ばれる画家のひとりである、ティツィアーノその人ではなかったか。
 (あくまで個人の感想です。)
 イタリアの美術館でのティツィアーノの英語での表記を見ると「Titian」となっている。そのまま、日本語で発音すると「チチアン」かな?(笑)。
 私が大変に興味がある画家であり、今回ティツィアーノの特別展が開催されるので、勇躍してやって来た訳です。しかし、最終日になってしまったが・・・・(苦笑)。

 特別展の入口を入ってすぐに まず、当時のイタリアの裕福な市民の横顔の肖像画がある。一番目の展示作品だ。モチロン、ティッツィアーノ作品ではない。まるで、写真で見たことがある「コシモ デ メディチ」肖像のような感じの絵。当時のイタリアでは、横顔の肖像画が流行していたそうだ。確かに横顔の肖像画は多い。
 音声ガイドの一番目の作品でもある。「統領 フランチェスコ・フォスカリの肖像」。
 「横顔の肖像は、当時のコインに古代ローマ?の皇帝の肖像が彫刻されていたことによる。とガイドの音声。統領、つまりドージェの肖像であった。かぶっている帽子は「コルノ」といって当時流行?していたそう。
 ヴェネツィア貴族の富と権力の象徴なのだろう。貴族階級からドージェは選出されるが、世襲ではない、「共和国」であることがヴェネツィアの特徴だろうか。歴代ドージェの肖像は、ヴェネツィアのどこかで見たことがある。サンマルコ広場の奥、広場に面した建物内にある博物館であったろうか。
 続いてヴィヴァリーニの「聖母子」。音声ガイド説明の二番目だ。所謂普通の「聖マリアと赤ん坊のキリスト」の絵だが「マンテーニャの影響を受けている。」との音声ガイドの説明がある。当時、人気工房を営んでいたそうだ。
 次は、ヴェリーニの「聖母子」。「橋の欄干」の向こう側に聖なる母子がたたずんでいる絵。外での光景なので、聖母子の背景は青空だ。音声ガイドの説明には「デューラーに最高の画家といわれた・・・・。」そうだ。「フランドルから入って来た油彩画の技法を習得した・・・・」という意味の説明もあった。いや~、ここでデューラーが登場しました。デューラーに賞賛されるとはすごいことです。
ヴェネツィアの絵画は、北方の影響を受けていたのだ。交易による文化交流の影響かな。
 のちの時代のカールⅤは、フランドルの領主で自分の生まれも現在のベルギーのガン(ヘント)だったし、ローマ皇帝として戴冠したのはボローニャだったし、アラゴン王国の祖父から相続したナポリ、シチリアの王でもあったし、ヴェネツィアは独立した国であったが、フランドルの技法が導入される要素、影響は多分にあったろう。
 この作品でか、のちの展示の作品のときであっが忘れたが「イタリアではそれまでフレスコ画が主流であったが、海に囲まれ湿気の多かったヴェネツィアでは、フランドルからもたらされた油彩画の技法が主流となって、作品は小さいものが多い。」という解説があった。展示途中の解説ボードにも書いてあったと思う。

 上記の会場の最初に展示されていた三作品は、いずれもヴェネツィアのコッレール美術館蔵。私が旅行した当時、入館したか忘れてしまった・・・・・。
 ヴェリーニの「聖母子」の隣にはモンターニャの「聖母子」がある。順に見ていくとヤコポ・デ・バルバリの「死せるキリスト」の展示がある。音声ガイド付き。「死せる・・・」のタイトルの通り、青ざめたキリストが画中に描かれている。ヤコポ・デ・バルバリの解説では「のちにフランドルの宮廷に仕えた・・・・。」と言っている。作品の制作年は1501-1506年とある。ということは、当時のフランドルの領主、ブルゴーニュ公というのであろうか、はフィッリップである。カール(五世)の父だ。カールは西暦1500年生まれであるので覚えやすい(笑)。カール幼少の頃に宮廷の画家として仕えていたのだろうか?。

 なかなか、ティツィアーノの作品が出てこない。すべて「ティツィアーノ」の作品で構成というのは不可能なので「ヴェネツィア派」の絵なども含めての展示である。

 ↓ 特別展チラシより。 ティツィアーノ「フローラ」。


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六義園 しだれ桜 (混雑で入園せず。)

 平成29年 2017年、4月2日

 今年の桜は満開になるまでが遅かった。
 上野公園を訪れた。東京都美術館へ入館し最終日を迎えた「ティッツィアーノ展」を鑑賞した後、東京藝術大学美術館の「雪村展」を見て、東京国立博物館の総合文化展も見学した。後に、夕方は駒込の東洋文庫に移動した。東洋文庫ミュージアムで「ロマノフ王朝」の展示を見た後、期間限定ライトアップ中の六義園に入園する予定であった。
 しかし、東洋文庫近くの入園券の販売窓口には行列が・・・・・。駒込駅から東洋文庫に行く途中にも行列が出来ているのを見たが、更に伸びていた。東洋文庫ミュージアムでは、六義園とのセット入場券を購入することは出来るのだが、割引の関係で購入しなかった・・・・・。
 この日の来訪の目的は特に桜がメインという訳ではなかったので、諦めた・・・。「明らかに桜の開花は進んでいないし。でもしだれ桜は満開かな・・・。」と思いながら。
  
 ↓ 六義園の正門の前(南側)。
 園内では桜の花も咲いているようだが。

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 遠くから撮影。↓ 行列は園の壁に沿って、歩道上に伸びていた。ちなみに、帰路、駒込駅近くの北側の入口でも同様に行列していた。駅近くの入口の方が、交通の便がよい関係で行列していたのではないだうか?。
 

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 この日、自宅に帰ってから、ネットで六義園の桜の開花状況を見たのだが、名物「しだれ桜」は「5分咲き」ということだった。写真では、満開の花であったが、あれは過去に撮影したポスター用の画像であろう。
 5分咲きでも、あの大行列、入園しなくてよかったかも!???。
 この日は、昼間、最高気温が14度くらいで、やや暖かかった。しかし。日没後は、寒くなり、私の感覚でも10度はなく8-9度くらいであった。まだ、桜が満開になる気温ではなったかな。



 

平成29年(2017年) 桜 東京・上野公園

 平成29年 2017年、4月2日

 今年の桜は遅かった。いえ、開花は早かった。というより、お彼岸過ぎに都心部では開花するのはほぼ恒例になりつつある。よって、平年の開花日も毎年早くなっているのではないか?。

 東京・上野公園。
 昨年も同じ日に上野にやって来た。しかし、この日の来訪の目的は特に桜がメインという訳ではなかったが・・・。明らかに、桜の開花は進んでいない。5分咲きくらいかな、という感覚。所によっては7分咲きくらいかな、とう程度だ。気温は日中は上昇した。しかし、前日の土曜日は冷たい雨の一日で最高気温で8度、最低は4.5度くらいであった。まだ、桜の満開になる気候でないかな、ということは私が肌でも感じた(笑)。

 全く桜の咲いていない、枯木の枝がむき出しになっている木々の下で宴会を行っているグループも多い。来週の土日では桜の盛りは過ぎてしまうかもしれないので、満開には少し早いこの日の桜を楽しんでいるのであろうか。
  
 ↓ 上野動物園の門の手前(駅側)。一昨年であったろうか、ソメイヨシノの原木??と言われる木がこの並木のどれかである、というような発表があったと記憶する。(間違っているかも知れないが・・・・。)

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 遠くから撮影。↓ 改めて画像を見ると満開のようにも見えるが、すべて咲き揃っている訳では無い。
 実際に見てみると。

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 この桜並木の近くにある東京都美術館へ入館。最終日を迎えた「ティッツィアーノ展」を鑑賞した後、東京藝術大学美術館の「雪村展」を見て、東京国立博物館の総合文化展も見学した。

 昨年の同日の記事と比較してみると、人出は明らかに今年の方が少なかった。桜の開花が進んでいないので、当たり前であるが・・・・。
 この日、自宅に帰ってから、テレビ.のニュースを見たのだが「上野はお花見の客で賑わった。」や「靖国神社では桜の標準木を含む桜が満開になった。」と放映していた。
 しかし、一般にはまだまだかな、といったところ・・・・。都心部では極地的に気温が上昇したり、太陽光線があたって場所によっては満開になる時期が早いようだ。




 

「ティッツィアーノ展」 鑑賞1 (最終日)東京都美術館

平成29年4月2日

 最終日を迎えた「ティッツィアーノ展」の鑑賞のため東京都美術館へ行きました。
 すっかり忘れていたが、昨年は同じ日に 「ボッティチェリ展」に行ったのですね。モチロン曜日は違うのですが。

 桜の花は、満開の一歩手前なのであるが、大賑わいの人波の中、東京都美術館(都美)へ向かった。都美に向かう途中の芝生の周囲は、大きな桜の木はない。
 ただし、美術館に出入りする人は、花見客と比べるとが多くはない。美術館の敷地に近づくと、ぐっと人の数は減った。
 私はいつも会期末ギリギリに行くことが多いのだが、閉幕当日の見学、鑑賞と相なってしまいました。

 ↓ 館外、入口付近の展覧会告知看板。「フローラ」の絵が。
  その上のフロアはちょうど展覧会の会場の出口である。迷路のような経路なので、わかりにくいが、出口がなぜか二階でそこから、再び地下に潜り、そのまま出口は別の所、つまり地下の入口の脇に出る。
 

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 半地下のフロアで入場券を購入。1600円。割引券は無い。窓口は二個開いていたが、数名の行列のみですぐに買うことが出来た。さて入館後の、鑑賞者周囲の状況をレポートします。鑑賞者の平均年齢は・・・・・比較的「若い」かな。老年層は少なく、主婦層が多い感じ。よって、女性率は、比較的高いかな。「モネ展」のような印象派の展覧会では「若い女性が多い。」と以前書いたが、日曜の昼のためか、年齢層はバラバラ。学生らしき人もいる。小さい子を連れた家族連れはいないし、春休み期間中なのであるが、小学生くらいの子は私の見る限りは数名程度とごくわずか。
 入場して音声ガイドを借りた。展示室の入口の手前にソファがあり、図録が置いてあった。先に予習をかねて図録を見る。「フローラ」など絵の描かれた背景、ミケランジェロとのエピソードやティッツィアーノの生まれや家族の記述を読んだ。
 展示室内では、50歳後半~60歳くらいの背の高い男性(おっちゃん)と私は観るスピードが同じようで、鑑賞中、最初からほとんど一緒だった。
 



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