良月(りょうげつ)の たび日記

神奈川県 湘南地区在住。折口良月(おりぐち りょうげつ)の神奈川、東京、静岡、山梨、長野など関東近郊地域への行楽、外出。美術館、博物館めぐり。その他国内旅行などお出かけの記録。

2017年05月

 

特別展「誕生 日本国憲法」 見学3 国立公文書館

 2017年4月30日 特別展「誕生 日本国憲法」 見学3 国立公文書館
 

  今年は憲法施行70周年とのことだ。2年前の平成27年は70回目の「終戦の日」であった。当時、国立公文書館では平成27年度の第2回企画展として「昭和20年-戦後70年の原点-」が開催され、私も8月15日に見学に訪れた。
 
 「昭和20年-戦後70年の原点-」では8月11日?から8月15日までの短い期間に「終戦の詔書」の原本の展示があった。
 今回の特別展は「日本国憲法」の原本が展示されるという。
 朝の開館時刻に合わせて到着。9時35分過ぎには到着した。9時半開館と思いきや、特別展開催期間中は9時45分開館らしい。「やや遅れたぞ」と思ったが違いました(笑)。
 9時35分過ぎには到着した。
 すでに10人以上の人がロビー付近、館内1階フロア中央の映像コーナーの前で
 いつものように正面の入口を左に曲がり、公文書館の展示室の入口を入ります。



先に見る。誰もいない。
警備員が立っいる。
テレビで放映していたが、毎日しまうそうだ。
原本は最後の方の展示だった。
署名の部分。
冊子になっているので、ケースの中で見る.ことができるのは
都合ニページ分のみ。黄色く変色しているが 古さはあまり感じない。

前半部が混雑というか、ガラスケースの方に人がいた。
後半は人がいない。



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 「わたくしの喜びとするところ・・・」と修正されたことを示す文書。


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 記念式典の会場の図面。

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 ↓ 第1回特別国会召集の詔書

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 展示室の外と「のぼり」。5月の青空と同じ空色の布地に「誕生 日本国憲法 入場無料」と書いてある。
 さややかな新緑の風になびいている(笑)。

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 GW期間中の快晴であった。写真では、あまりよく写っていないが清々しい青空であった。
 ↓ 国立公文書館の正門近くにも青空の布地の「誕生 日本国憲法 入場無料」の「のぼり」
がはためいていた。
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特別展「誕生 日本国憲法」 見学2 国立公文書館

 2017年4月30日 特別展「誕生 日本国憲法」 見学2 国立公文書館
 

  今年は憲法施行70周年とのことだ。2年前の平成27年は70回目の「終戦の日」であった。当時、国立公文書館では平成27年度の第2回企画展として「昭和20年-戦後70年の原点-」が開催され、私も8月15日に見学に訪れた。
 あれから2年弱。今回の特別展の開催である。あの敗戦から1年と少し、1年2か月(ミズーリ号艦上での降伏文書調印から)という物凄いスピードで憲法が公布され、半年後(調印から)2年弱で「現行憲法」と呼ばれる日本国憲法が施行されたことになる。(当たり前であるが・・・。)
 
 原本は順路の最後の方の展示室だった。誰もまだ入って来ていない通路の展示室で先に原本を見学した。
 通路の南側窓近くには警備員が立って厳重に警備しているが。

 その後戻って、ほぼ最初から展示を見ていく。開館直後なので最初の展示は人が多い。順番に見学して展示の最後付近にある「憲法 原本」を見ることになる。

 最初の展示は、ポツダム宣言受け入れから、昭和20年秋以降であろう、憲法改正の私案の展示があった。
特に写真は撮影していない。あくまで個人の私案なので、どこまで影響を与えたのかは分からないが、かつて政府の中枢にいた人も着手していたことが分かる。

 憲法改正は、枢密院の審議を経ている。
 展示パネルによると「関門」ということのようだ。 

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 金森徳次郎についての展示があった。


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 内閣法制局の憲法改正案に関する想定問答集。
 「何を聞かれたら」「この答えろ」的な内容・・・・。内容は読んだが、詳細は忘れた・・・・。

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 特にヤジルシマークが付けられていたのが、「象徴とは何か?」との答え。「問」に対して「答」として「・・・あこがれである・・・」と想定問答している。

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 戦前、金森が辞職したときの文書。

 
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 11月3日の公布についてのお言葉。

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特別展「誕生 日本国憲法」 見学1 国立公文書館

 2017年4月30日 特別展「誕生 日本国憲法」 見学1 国立公文書館
 

  今年は憲法施行70周年とのことだ。2年前の平成27年は70回目の「終戦の日」であった。当時、国立公文書館では平成27年度の第2回企画展として「昭和20年-戦後70年の原点-」が開催され、私も8月15日に見学に訪れた。
 あれから2年弱。今回の特別展の開催である。
 あの敗戦から2年弱で他国軍隊の占領下にあって現行憲法と呼ばれる日本国憲法が施行されたことになる。(当たり前であるが。)
 
 公文書館の入口の様子。 


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 「昭和20年-戦後70年の原点-」では8月11日?から8月15日までの短い期間に「終戦の詔書」の原本の展示があった。
 今回の特別展は「日本国憲法」の原本が展示されるという。
 朝の開館時刻に合わせて到着。9時35分過ぎには到着した。9時半開館と思いきや、特別展開催期間中は9時45分開館らしい。「やや遅れたぞ」と思ったが違いました(笑)。
 9時35分過ぎには到着した。
 すでに10人以上の人がロビー付近、館内1階フロア中央の映像コーナーの前で
 いつものように正面の入口を左に曲がり、公文書館の展示室の入口を入ります。

先に見る。誰もいない。
警備員が立っいる。
テレビで放映していたが、毎日しまうそうだ。原本は最後の方の展示だった。署名の部分。
冊子になっているので、ケースの中で見る.ことができるのは都合ニページ分のみ。(当たり前だけど。。)
黄色く変色しているが、古さはあまり感じない。

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 前半部が混雑というか、ガラスケースの方に人がいた。順路に沿ってみているので展示の最初が混雑している。
 後半の展示は人がいない。今回の目玉は「憲法の原本展示」だ。目的(「憲法の原本を見ること。)を達するのに、途中の(展示を見ていく)過程は不要だ。
 よって、展示室の回廊を歩いて、先に憲法の原本はどこかなと探す。上記の通り最後の展示室にあった。ガラスケース内に一点のみ展示している。壁には拡大した憲法原本の写真のパネルがいっぱいに掲示してある。

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 活字では見たことがある。教科書にも載っているし。写真でも見たことがあるような記憶があるページだ。
 御名御璽の御名については、戦後の昭和天皇の署名が「裕」の「合」の上が「ハ」のように開いているというような新聞記事を昔読んだことがある。


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 昭和20年12月25日の幣原首相(当時)の回想の展示。
 

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「白洲次郎」に関する書籍でも有名になったが、ホイットニーに宛てた書簡についての解説。


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 ホイットニーに宛てた書簡 ↓
 白洲次郎が日本流の方法をアメリ人に説明した文書として、近年つとに有名になった。
 コピーではなく手紙の現物のようだ。「複製」とは書いていない。
 手紙の前では 75歳くらいの老人男性がじっと見ている。英語の文章の読み込みをしているようだ。

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  上から頭ごなしに行こうとする道を「Your Way」と書いている。しかし「Japanese Way」は「THIS WAY」だよと書いている文書。段階を踏めということだ。日本人はプロセスを大切にしますからね(笑)。
 しかし、このプロセスを大事にするばかりに、戦略が後手後手に回ってしまったのも戦争に敗れた要因のひとつということも出来ないだろうか・・・・。
 ここでは白洲次郎が日本流の手法を説明しているのが興味深い。既に有名なエピソードであるが。
 出展目録には「外交史料館所蔵資料」とある。
 ホイットニーか家族が寄贈したのかな。

 ガラスケースとは反対の壁。最初の角の近くには、憲法制定にかかわった人達の写真と人物解説が掲示してあった。もちろん、吉田茂の写真と解説があった。
 外国人は2人の掲示、一人は勿論マッカーサー元帥。有名なコーンパイプをくわえたサングラス姿。もう一人は、ホイットニーであった。「GHQ民政局長として、憲法制定にかかわった」旨の説明があった。
 



四天王寺宝物館 「平成29年 春季名宝展」 見学1

 2017年 大阪 四天王寺宝物館 「平成29年 春季名宝展」 見学1 
 4/17(月)の午前。
 
 大阪で最も古いとお寺のひとつと思われる四天王寺に向かう。現在は、大都市大阪の市街地の一部ではあるが、四天王寺とその周辺に古代から存在したであろう村落は、大阪の街の原型ではないか。

 地下鉄 ××線を天王寺駅で下車。地上の出口へ。
 天王寺駅から四天王寺までは結構歩いた。駅では多くの人がいそいそと歩いている。

 途中の経緯は後日掲載することにして省略。
 
 
 ↓ 写真奥に宝物館の看板がある。桜はほとんど散った。 右手は絵画館。

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今年の一月には、東京国立博物館でこちら四天王寺所蔵の扇面法華経冊子を見た。きらびやかな王朝絵巻の絵図であった。以前にも別の場面だったが見たことがある。それだけ古い貴重な文化財を所蔵するのに大都市に隠れて、訪れたことは無い。よって今回初訪問となった。
 ↓ 扇面法華経冊子の画像がある。
  「梶」の木の説明。
   扇面法華経冊子に梶の葉を描いた場面があることから寄贈されて植樹したそう。
   当時は七夕に梶の木を用いたそうだ。「現在は珍しい樹木」と梶の説明があった。確かに梶の木のことは全く知らない。「梶」のつく苗字もあるし、地名もあるのに「梶」の木そのものはあまり知られていない。
 
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 宝物館の建物と入口。高床式になっている。料金は500円。「春季名宝展」が開催されていた。
 入って右に受付がある。開館は8時半のようだ。入館したときは9時くらいだが、私が最初の入館者だったようだ。

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 一階には大きな太鼓がある。儀式で使用する太鼓だ。その他は展示があまり無い。主な展示は二階とのことで階段をスリッパをはいて昇る。
 展示室は近代絵画の企画展示があり、吹き抜けの廊下を通った奥には第二展示室がある。二階は吹き抜けになっていて、一階の受付やその前にある太鼓を見下ろすことが出来る。
 

 





特別展「快慶」 鑑賞1 奈良国立博物館

2017.4.16 

 西大寺を拝観した後、近鉄で再び移動する。5分くらいで近鉄奈良駅に到着。最近は、車で来ることが多かったので、この地下駅に来るは、随分と久しぶりだ(笑)。

 特別展「快慶」を見るため、奈良国立博物館に急ぐ。日曜日なので閉館は午後5時。
 既に午後3時半過ぎ。博物館に急ぐ。靴ズレをおこして足が痛いのだ・・・・・。近鉄奈良駅から奈良国立博物館までは、やっぱり時間がかかる。私の早足(足が痛くて引きずっているため速度は遅いが)でも15分くらいかかる。ゆっくりならば20分近くかかるのではないか。

 ↓ 奈良公園内の 特別展「快慶」告知。
 
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 奈良公園は外国人が多かった。ドイツ語やフランス語などを話す外国人や意外にも韓国人が多い。キリスト教の欧米人は現在イースター休暇なのだと思う。
 「運慶快慶」とセットで称されることが多い。しかし「運慶」の「東大寺 南大門 あ形・うん形像」などの運慶の仏像は思い浮かぶが「快慶」の作品はなかなか思い出せない・・・・。まして、その人となりや生涯についてはよく分からないし「生没年不詳」となってしまうのではないだろうか。

 「快慶」は運慶と兄弟なのか?。と簡単なことすら、私は覚えていないのだ・・・・。
 同門の人か親戚だったか、えーっと、運慶には子がいたので、偉大な仏師、運慶の子で「小運慶」というべき存在だったかな?、などとあれこれ考えながら入館する(笑)。
 東博の年間パスのためスタンプを押してもらうのみで入場する。この年間パスは制度が廃止になってしまったので、今後は東博で購入した値段の近い同じようなパスは奈良博では使うことはできないようだ。

 二階に階段を昇る。
 最初の展示は「第1章 後白河院との出会い」とある。
 最初の展示は ボストン美術館の「弥勒菩薩立像」であった。
 海外流出した美術品のひとつである。像内には奉納品があるそうだ。

 国宝「法華経」(運慶 願経)がある。運慶が発願した経典。その中に快慶の文字があるそう。
 隣には、妙法院所蔵の「後白河法皇像」。大きい描け軸になっている画像。通常写真で見る「長講堂」所蔵の
「後白河法皇像」とは別の文化財である。こちらも重文に指定されている。

この日の博物館遠景。↓


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奈良 西大寺 拝観2

 2017年 4/16(日) 奈良 西大寺 拝観2

 近鉄を大和西大寺駅で下車、駅から徒歩で西大寺にやって来た。
 現在、東京・日本橋の三井記念美術館で「奈良 西大寺展」が開催されている。その特別展の予習のためです(笑)。

 四王堂で拝観券を購入し、堂内を拝観した後、境内を歩いて、駅からみて奥にある本堂にやって来た。

 ↓ 巡る奈良「祈りの回廊」の観光キャンペーンの案内看板があった。

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 ↓ 本堂



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 本堂は、北を背に、南向きの建築。
 団体客が参観中であった。中央には大きな「釈迦如来立像」があり、重要文化財。拝観受付でもらった「西大寺の由緒」によると、興正菩薩の発願によって・・・・制作されたとの説明の記載がある。
 現在の西大寺は、平城京造営のときのような官寺?ではなく、真言律宗のお寺。再興されたのが、鎌倉時代のこと。興正菩薩 叡尊 の力が大きい。古代奈良時代の仏教の流れをくみ?、現在独立した宗派を建てている、ライバル??の東大寺とも宗派が違う。
 興正菩薩の弟子が、昨年、神奈川県立金沢文庫の「忍性展」で紹介された忍性。奈良国立博物館でも特別展が開催されたが、私は遠いということもあり、見学できなかった・・・・。
 忍性が鎌倉に構えた真言律宗のお寺が極楽寺。と、つながっていることがやっと理解できました(笑)。昨年の「忍性展」でも西大寺のことが説明にしばしば登場しましたし。

 釈迦如来像の横の重文の仏像などは、空いていて「西大寺展に出品中」と表示がいくつかあった。
 本尊の祭壇の裏手も通路があった。ぐるっと祭壇の回りを拝観する。
 有名な西大寺の「お茶会」はもうすぐの日程である。写真の掲示があったように記憶する。見たところ、茶道とは無縁のお寺のようであるが・・・。着物を艶やかに着飾ったお茶会に出席するような女性は全くいないのだ・・・・(苦笑)。お茶会当日は、華やかになることであろう(笑)。

 ↓ 愛染堂
  本堂の西にある。 四王堂からは、境内を西に参道を歩いて、敷地の突き当りにあった。
 更にその西にも境内地はあるようだが。
  ここを拝観して、四王堂の方向に戻って、その前を再び通り、入って来た門から退出した。駅に戻った。


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 愛染堂は床が高い。靴を脱いで、板の階段を昇る。中に入ると、受付のところで共通拝観券の最後の一枚「愛染堂」の部分をちぎられた。三か所、拝観したことになる。四王堂、本堂、愛染堂と拝観した。

 愛染堂の祭壇の左手、南の部屋(お堂には、東に入口がある)には国宝の「興正菩薩叡尊坐像」の安置場所がある。像は「現在 出品中」と表示があった。
 昨年 東京国立博での新指定の国宝・重文展示で見た。袈裟の裾の衣のひだが、左右に長く伸びている彫刻が印象的だった。
 堂内を拝観中は私一人と係員のみだった。

 愛染明王は、普段は公開されずに厨子の中に安置されているそう。厨子が祭壇に安置され、説明書きの札がある。厨子扉は閉まっている・・・・・。中の様子は分からない・・・・。
 「秘仏はこの中にあるのか・・・」と私はこのとき思った・・・・・。

 お堂の受付、朱印所にいた、はんてんを着た男性の係の人に「仏像は、何年に一回くらいしか、公開されないのですか?。」聞いたところ「そんなことはない。公開される。」との答え。拝観バンフレットをよく読むと「秘仏で・・・・毎年 ×~から×まで開扉される。」と書いてあった。秘仏ではあるが、毎年公開はあるのだ。
 
 ↓ 「愛染堂」とタイトルのある説明紙。
   「興正菩薩叡尊坐像」の公開期間を「愛染明王」の公開期間と読み間違えていた。
   「愛染明王」像は毎年秋と年明けの1/15-2/4かけて公開されている。
 
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 「平成28年に国宝に指定された」と、安置場所に説明書きがあった「興正菩薩像叡尊坐像」の公開期間については、特に書いていないため、常時拝観できるようだ。

 ※ 後日談
 しかし、厨子の中の「秘仏」は、私が訪れたときに、東京の「西大寺展」に出品されていて中は空だったのだ・・・・。
 三井記念美術館で重文の愛染明王像を見て仰天した。そして「何も、説明してくれんやったやん・・・・。」と(苦笑)。
 厨子の扉は閉まっていて、内部を見ることは出来なかったのだから、中にホンマに仏像が安置されているか、別の場所にあるか、アンタには関係ないやろってことかな??(苦笑)。

 東塔の基壇跡。現在は石の基壇しか残っていない。
 更に西には、かつて西塔もあったようだ。
 東塔は1502年まで残っていたというので、奈良時代から700年以上は存在していたことになる。

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 東塔の基壇跡と南側にある鐘楼。鐘楼は後年のものであろう。

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 境内には団体の参拝者を除くと、ちらほら数名いる程度。
 境内は自由に通行できるようなので、子連れの住民の人や、境内を抜けて、駅の方向や、駅から離れて住宅地の方向に歩く人もいる。明らかに、通行の途中で生活圏内の中のお寺の感じ。
 どうでもいいことだが、鐘楼の基壇の下では砂利の地面に制服を着た高校生の男子と女子が座り込んで、くっついていた。いわゆる「ジベタリアン」かな(笑)。







奈良 西大寺 拝観1

 2017年 4/16(日) 奈良 西大寺 拝観

 近鉄の学園前駅で降り、大和文華館で国宝「松浦屏風」と安土・桃山の絵画 展覧会を鑑賞した後、

近鉄で再び移動し、大和西大寺駅で下車した。学園前駅からは10分もかからなかっただろうか。目的地はその名もそのまんま「西大寺」だ。
 西大寺は、本当に駅から近い。徒歩3分くらいで到着した(笑)。
 現在、東京日本橋の三井記念美術館で「奈良 西大寺展」が開催されている。
 同美術館の特別展の予習のためです(笑)。やはり美術館のガラスケース内に展示されている展示品だけを見ても、お寺の由緒そのものは理解できないのではないかと。現場を知ることが大切です(笑)。

 四王堂に掲示してあった 「奈良 西大寺展」のポスター。 


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 門はさほど大きくない(もちろん一般のお屋敷の門と比べると大きいが)が、境内に入ると敷地は広くて、境内塔頭というか、寺内のお堂を囲む壁が更に境内内部を区切っている。池もある。午後の陽射は西に傾いて来た。境内内の土は、薄い茶色なので太陽光線を反射して眩しい。

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 ↓ 西大寺境内伽藍案内図

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 門を入って参道を歩く。と右手には、壁に仕切られていない、お堂の建物がある。四王堂と標識には書いてある。

 堂内に入る。最初は、戸惑ってしまったのだが、西大寺の拝観受付所となっている。男性の係員がいて、一人は朱印係。「ご朱印はありますか?。」と聞かれたが、私は御朱印帳を持っていないので「ありません。」と答える。御朱印を書いてもらう人も多いようだ。
 拝観券を購入する。聚宝館(一般的には宝物館というべきか)はこの期間は開館していない。

 「西大寺の由緒」と拝観券。↓
 拝観を終えて、すべての半券がちぎられた状態。「聚宝館」の半券は公開期間でなかったため、元々ついていなかった。「聚宝館」の公開期間は四か所の拝観券は1000円になるそうだ。
 拝観の仕組みが分かった(笑)。
 
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 ↓ 四王堂。ここで拝観受付をする。

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四王堂内、はその名のごとく祭壇の四隅に四天王の像があった。怖い顔をして、邪気というか、天邪鬼を踏み付けている。重要文化財。中央には十一面観音がある。


↓ 四王堂から境内を西に歩く。


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 愛染堂の方向に歩く。
 参道の横に幼稚園があった。伽藍配置図によるとバスも駐車できるPがある。写真でいうと、左手、南側にある。駐車場に隣接して保育園もある。西大寺は境内地に隣接して、幼稚園と保育園を有しているのだった。

 ↓ 正面奥の突き当りが愛染堂、右手が聚宝館(宝物館)の壁。
   左の壁と門は、塔頭というか、子院の入口であった。

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  聚宝館(宝物館)は開館していなかった。シャッターが閉まっていた。門の内側に入ってみた。他の寺院、最近見学した場所でいうと、前日に行った京都の仁和寺と同じように高床式の収蔵庫がある。閉館中のためか草木の手入れもあまりされていないようであった。

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↓ 聚宝館(宝物館)の前から、歩いて来た方向、四王堂前の広場を振り返る。

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国宝「松浦屏風」と安土・桃山の絵画 展観鑑賞3(最終) 大和文華館

 2017年 4/16(日) 国宝「松浦屏風」と安土・桃山の絵画 展観鑑賞3 大和文華館
  

  奈良市の西郊、大和文華館にやって来た。

 「回」字状の館内展示室を順番に鑑賞した。南の先端部は展示室になっていない。大きなガラス窓とテラスになっていた。池が見えた。やっと池です(笑)。林の合間から池を見下ろす。館の建物は丘の上にあり、池からは高さがあることが分かった。残念ながらテラスに出ることは「禁止」と書いてあった。高い天井まで届く大きなガラス窓から池を眺めるのみ。館内は撮影禁止なので池の風景写真も撮影していない。
 「大和文華館」は、池のほとりの高台にある美術館であった。

 池の前の眺めのよい通路を通り、次の回廊展示室へ。
 「三十六家仙 色紙貼屏風」 元々近衛家の所蔵。大正7年?に近衛家から売り立てされたそう。このときの当主は若きプリンスの近衛文麿。そういえば、さっき見た藤田美術館所蔵の「曜変天目茶碗」の売り立ては水戸徳川家?からであり、大正9年頃に購入。大正の第一次大戦後に旧大名や旧公家の華族から売り立てが相次いだのは偶然か何かあったのか?。
 和歌の色紙が貼ってあり、柿本人麻呂から、紀貫之や中務など。
 屏風の下は市松模様の和紙が貼ってあり、装飾されている。模様の中には桐紋(紅、青、緑)がある。
 

 左側の展示回廊の正面のやや左には「婦女弾琴図」の展示がある。
 ほとんど西洋画の感じ。解説によると日本人絵師「信×」の作。作者の文字が画中にあるが読みにくい。私は「信方」と読めたが・・・・・。「・・・・・和紙に顔料を植物性の油でつけている・・・」そう・・・・。8本の弦があるギターの原型の楽器とのことだった。
 西洋婦人図を描いた「石川大浪」という画家がいる。江戸後期の作品。展示品の説明に「南アフリカのテーブルマウンテンから号をとった」そう。「大浪山」はテーブルマウンテンなのだそうだ。その弟の作品もあった。「少女愛猫図」。キャサリン・リード?という画家の作品を原画とした絵とのことだった。弟の「孟高」の号もケープタウン
にちなんだそう。

 ↓ 大和文華館のチラシの写真。「婦女弾琴図」。

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  江戸時代後期の作品、小野田直武筆「江の島図」。音声ガイドにも解説がある展示品。
 神奈川県民としてはうれしい展示です(笑)。「鉄製のレンズ」で眺めた図で、
 かつてのリアルな江の島の風景と思いきや司馬江漢の作品と同じもので「左右反転」と言うか反対になっているそう。道理で江の島の姿とどこか違うなと思っていました(笑)。
 その司馬江漢の作品として「海浜漁夫図」があった。
 谷文晃(文字が出ない)「神奈川風景図」も展示があった。
 かつて「神奈川」と呼ばれた地域の入江と崖があり、人と家も描いてある。どこかな・・・。と思うが、現在の子安~吉田新田として埋め立てられた現在の中区の入江の辺りかな・・・。崖は現在の山手か子安の崖かな。

↓ (既出)  大和文華館の展示案内 小野田直武筆「江の島図」の写真の掲載がある。

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 ほぼ時代順、江戸時代後期までの作品で展示が終わった。

 14時過ぎまでいた。来館者も増えて来た。ただ、年齢層は高い。70歳前後の男性が数名いて主流。女性は70歳くらいとその娘と思われる主婦らしき女性がいた。60歳くらいの夫婦も来ていた。
 それでも、池に向かって最初の順路に3~4人くらい。左の回廊に2~3人くらいの観覧者数だったかな。あとは、ショップにいる人など。
 子供の入館者はいたかな~、覚えていない・・・・・(苦笑)。室内は「しーん」とした静寂に包まれていた。展示品をじっくり見るにはいい環境かも。しかし、小さい子のいる家族連れでは厳しい・・・。
 大和文華館のパンフレットも入手したが、近鉄グループの経営の美術館はここ以外にもあった。松伯美術館と天王寺の、あべのはるかす美術館もである。
 松伯美術館は、大和文華館と近鉄の線路を挟んで北側に立地する。駅から2キロ近くあるようで大和文華館のように徒歩ではやや厳しいかも。私は歩くけどね(笑)。ただし、大和文華館から松伯美術館まで徒歩は厳しいかも・・・・。
 松伯美術館は上村家の画家の作品の美術館であるが、もっと同じ奈良市でも市街地寄りの北の方向かと思っていた。
 音声ガイドを返却のカゴに入れて、退出する。貸し出しの受付にいた係員は時折、巡回していた。館内回廊の「回」の小さい「□」の部分には、小さい中庭がある。また部屋もあるようだ。ドアの中にも入って行っていた。しかし、一般入館者は入れないようだ。収蔵など下のフロアに降りる階段があるのかな。
 館外に出た。館の前は白い砂利が敷いてあり、眩しい。
 ↓ 館の前、広々とした車寄せ。しかし、一般車は館の前まで進入することは出来ない。

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 と車寄せ広場の脇に、丘の斜面を通って、入口の門まで行くことができる散策路があめことに気付いた。


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 丘の下、門の方向へ、斜面を通り抜ける小路。「梅りの小路」と名付けられている。

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  先程登って来た(車の通れる)道ではなく、入口前の砂利をさけて歩き、斜面を伝う「梅の小路」を下ることにした。
 と、館の先端 パルコニーの方からの車が通れる道があり、来館者の年配男性が歩いて来た。館の池側も散策できるらしく、そちらを歩いて、丘を下ってきたらしい。
 小路を下ったが、花はあまり咲いていなかった。ソメイヨシノはほとんど葉桜になっている。少し前の晩冬の花、椿の赤い花びらが枯れながらもわずかに残っている木もあったが。
 椿のほかに、サザンカなど冬の花も結構植えられている。冬でも「華」があるようにという意味を込めているのだろうか。
 
 ↓ 館は、斜面に向けて高床式の造りになっていた。

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 「梅の小路」を下る途中、池が見えた。林の合間に。
 斜面は苔に覆われ、梅雨や夏の時期以降は、鮮やかな緑色になることであろう。


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 ウェブサイトによるとこの庭園を「文華苑」という。

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 「文華苑」は、まさに花で彩られる丘を含む庭園であった。改めて「大和文華館」と名付けられた意味が分かった。春のうららかな青空の下、大和文華館の門を出て、再び近鉄の駅に歩いた。車が何台か駐車場に停まっていた。午後になり、来館者も増えてきたようだ。
 周囲は住宅地で立派なお屋敷もある。

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国宝「松浦屏風」と安土・桃山の絵画 展観鑑賞2 大和文華館

 2017年 4/16(日) 国宝「松浦屏風」と安土・桃山の絵画 
               -都市のにぎわいと成熟- 展観鑑賞2 大和文華館
 

 近鉄・学園前駅から徒歩で数分の大和文華館に初めて訪問した。
 「大和文華館」は以前から、私にとって気になる美術館であった。

 展示室内に入り、音声ガイドを聞きながら順番に鑑賞する。
 展示の「祭礼・遊楽」の章の解説音声は「戦国の世が終わり、世の中が安定してくると・・・・中断していた昔からの祭礼や芸能が再び行われるようになりました。・・・・中世の宗教画ではなく、現世の遊楽 = 楽しみ や享楽を・・・・求めるように・・・・・。」とナレーション。 
  「水墨画ではなく、金地着色の屏風絵」など、豪壮というか、ド派手な絵画などが生まれたのはこの時期かな。説明を聞いていると、ヨーロッパのルネサンスや大航海時代の進展に伴う、文化の発達と似てなくはないかな?。中世の封建制度が崩れ、絶対王政の確立とともに豪華な文化が生まれたのは共通しているかも?。大陸の東の国、明では政治的混乱、末期を迎えたのだが・・・・。
 音声ガイドの音声は更に「遊楽の中心は、遊郭であった。・・・華やかな衣装の遊女の描写は、・・・好んで取り上げられた・・・・。」というナレーション。
 現在では「遊女」はいないかな。「文化の中心が遊郭だった。」というのは、よく語られる解説だ。しかし現代の視点からいうと、どういうものかと思うが・・・。結局は男尊女卑の文化のひとつだろうか?。たとえば春画展では「男女対等」だという感想のネット投稿も多く見られたと思うが・・・・。ボクには、よく分からない(苦笑)。
 
 壁面ガラスケースを見ていく。「竹生島祭礼図」琵琶湖の水面に竹生島が丸く浮かんでいる。島の手前に人が乗った船が15隻くらいある。祭礼の舟でやって来た人と祭りの様子の図。
 「阿国歌舞伎草子」重要美術品。一番古い、歌舞伎の祖、阿国の姿を描いた絵とのこと。阿国は、遊女だったと記憶する。遊女が舞台の上で踊ったのが、歌舞伎の原型だったな・・・・、間違った記憶かも知れないが。
 舞台の上の阿国の姿。阿国は、首を別の方向に向けて振り返っているような姿勢。平安時代とまではいかないが、立派な着物を着ている。舞台の下には観衆がいる。画面右下から阿国の恋人、名古屋三×?の霊が浮かび上がった様子。舞台の上の男も驚いた表情をしているのだそう。阿国には、知られた仲の恋人がいたのですね(笑)。悲恋に終わったからこそ、霊になって出てきたのでしょう。

 角を曲がり、「輪舞図屏風」がある。作品の題名はあとから名付けられたものだろう。遊女が輪になって「さーあ、輪になって踊りましょ~。」という絵。本当に円形になって地面に和をつくって、手をつないでいる。67人の遊女が描かれているそう。遊女は皆スマートである。一人一人の顔や着物や背格好が違う。モデルがいるのではないか?。
 解説文には「遊郭でのお祝いか・・・」とも書いている。祝いの場で、昼間、外に出て、踊りの場を持ったのだろう。一人ひもをゆう老女がいるそうだ。何か怖い。遊女を締めているというか、置き屋の主人の女なのかは知らない。老女もかつて現役の遊女であり、一生を遊郭の中で過ごして、死んだのだろう・・・・。
 描かれている若い遊女はその後、どのような生涯を送ったのでしょうか?。

 圧巻の遊女の絵「輪舞図屏風」の右隣の方向、右側の回廊の展示ガラスケースのなかほどの展示に、目指す国宝「婦女遊楽図屏風」(松浦屏風)があった。
 大きい。今回の展観の目玉展示品である。過去、大和文華館のウェブサイトを見たが、毎年4月中旬から5月にかけて展示されていることが多いようだ。
 初めて見た感想は「大きい。」である。
 桃山時代~江戸初期の風俗図屏風では、国宝指定の「彦根屏風」を見たことがある。江戸東京博物館の「大浮世絵展」で見たことがある。本来は、彦根城の大手門内にある彦根城博物館でほぼ毎年春頃?、に展示されるようだが、このときは東京の特別展で展示があった。よって、彦根市にはその年の秋に「旧彦根藩松原下屋敷(お浜御殿)」の特別公開に訪れたことがある。
 ちなみに、「彦根屏風」を見たときの感想は「小さいな。」であった(笑)。じゃあ、「ちょうどいい大きさの屏風絵の大きさはでれくらい??」と問われても私は答える術と知見を持ち合わせしていない(笑)。
 「彦根屏風」は3尺くらいであるが、この屏風は5尺であろうか。
 
 説明文には「「婦女遊楽図屏風」は、肥前平戸の松浦家に伝来したので「松浦屏風」と呼ばれる」という有名なお話以外に「ほぼ等身大で・・・遊女とかむろの姿を描いた・・・・口には鉄漿(おはぐろ)をし・・・・髪をすき、手紙を書き、三味線を弾き、・・・・タバコ、キセル、カルタ、ガラスの器などが描かれている・・・・・・・。」と音声ガイドの説明がある。
 確かに画中の成人の女は、4尺半くらいで5尺なくらいの身長。135cmから145cmくらいあろう。実際の当時の女性の身長は少し高いくらいではなかったか。


 ↓ 国宝「松浦屏風」と安土・桃山の絵画 展観のチラシの写真。 
  「婦女遊楽図屏風」(松浦屏風)の部分。左双の左の部分かな。

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 描かれている女は、後世の浮世絵と違い、現代日本に通じる美人である。髪型もいろいろだが、ストレートロング髪の女もいる。現代に通用する髪型だ。目も二重の女がいて、作者は二重を表現するためわざわざまぶたに線を書いている。解説のとおり成人の女は皆、お歯黒をしている。体つきもよく、健康そうだ。
 彼女たち、みんな遊女なのだな・・・・。と私は少し残念そう・・・・。いや、当時は立派な文化だったのだというのだが、当時私のご先祖は利用できたのでしょうか?。何も記録は残っていないし、ある筈が無い(苦笑)。そもそも遊郭のある都市にはいなかった??。

 左双の屏風・・・・
 一番左にカルタをしている女。簡素な着物もいれば美しい着物をまとった女も。
 真ん中の立っている女は、桜の花のついた小枝を持っている。ちょうどこの時期(太陽暦でいう4月中旬頃)の様子の絵だということが分かる。その左、カルタをしている女の右にはお歯黒を鏡を見てかく女が・・・・。おしゃれをしている顔は、まさにオンナの顔そのもの・・・・。
 中央手前は筆をとり、手紙を書く女。机を使わずにこのように筆をとったのですね。画面手前には硯箱に墨がある。
 右手のキセルを差し出している女が一番くらいの高い遊女かな。キセルの下でひざまづくかむろの少女は幼い。幼い少女の姿が見事に表現されている。年齢は現代でいうと中学生、14歳くらいかな。
 女たちは楽しそうな顔をしているのだ。現代の私が想い浮かべる遊郭の裏の一面を感じさせる表現描写は微塵も無いのだ。かむろの少女はうっすらと笑みすら浮かべている。

 ↓ 大和文華館の展示スケジュールの案内。
   「婦女遊楽図屏風」(松浦屏風)の部分。一双(屏風が2個あるうち)の左双の右手の絵かな。

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 解説には「左右は対になっている」とある。 

 右双の屏風には、消されているが「鹿の子しぼり?の小袖」の女の着物の首の下、胸襟のところに十字架が描かれていたそう。平戸のかつての領主はキリシタン代表としても知られているので、その時代に制作され、キリスト教が禁止された後、十字架を消して現代まで伝えられた。 
 右の端には碁盤のような道具がある。当時の遊興、娯楽のゲーム道具であろう。
 真ん中は、手紙を立って読む女と三味線を弾く女が・・・・。一番右はかむろらしき女の子に髪をすかせる遊女が。左手には、ひざまづくかむろの少女の頭をなでる女が。なでる女も少女の表情も微笑していてほほえましい。「慈しみ」を感じる姿だ。
 右双の画中の人物の着物の色彩は、どこかダーク。秋なのかな?。しかし、画面を見る限りは秋の様子は無い。 

 浮世絵と共通する点は、女の手は皆小さい。
 かむろの少女は、「遊郭で囲われる童女・・・」と音声ガイドの解説にあった。「囲われる」というのは、遊郭に奉公に出された子なのか、遊郭で遊女と客の男の間に生まれ、遊郭で育てられた子なのか・・・?。

 うーん、遊女文化に関する作品の展示が多いな。
 当時の風俗画が、現代では「文化」なのか?。副題の「都市のにぎわい・・・」の文化の発達一端には遊郭も担っている訳でございまして。人集まることろに遊郭あり。大っぴらに表に出て描かれているところがすごい。現在では表に出てくることは無いでしょうが。

 しばらく、国宝「婦女遊楽図屏風」(松浦屏風)の前の長いすに座り鑑賞する。
 歩き疲れて、靴ズレを起こして足が痛いこともあるが・・・・。

 続いて、宮川長春 筆「美人図」重要美術品。江戸時代中期のもの。「日本絵師 宮川長春」と落款がある。

 
 室内は天井がとても高い。ワンフロアの館内だった。



国宝「松浦屏風」と安土・桃山の絵画 展観鑑賞1 大和文華館

 2017年 4/16(日) 国宝「松浦屏風」と安土・桃山の絵画 展観鑑賞1 大和文華館
  

 近鉄で大阪から移動し、奈良県に入った。
 学園前駅で下車した。駅の付近で昼食を食べ、駅から徒歩5分と少しで大和文華館に到着した。
 「大和文華館」は以前から気になる美術館であった。博物館、美術館の特別展、企画展では展示リストに「大和文華館 蔵」と書いてある文化財が少なからずある。大和文華館から、貸し出しされているのだ。多数所蔵して貸し出しをいる訳ではなく、展示リストには一品、二品が載っている程度であるが、意外に重要な展示品を所蔵しているようなのだ。
 日本国宝展には「寝覚物語絵巻」が出品されていたし、2015年10月の三連休に私が行った京都国立博の「琳派展」では、尾形乾山の工芸作品(香合、火入など)が多数展示されていた。
 最近では芸大美術館での「雪村展」である。つい二週間前に見たばかりであるが、メインの作品は、ここ大和文華館の所蔵だった。しかも、展示リストを見ると昨年の京都国立博での「特別展 禅」にも雪村筆の大和文華館所蔵作品(重文指定)が貸し出しされていた。(私が訪問したときと展示時期は重なっていなかったが。)
 日本美術においては、きわめて重要な位置を占める美術館と思い、今回の初訪問となった。

 昨年は信貴山の帰りに、奈良市内に移動する途中、ここに寄る予定であったが、時間の関係で割愛した経緯がある。昨年訪れようとした時期の展示は国宝「寝覚物語絵巻」が中心であった。(国宝展で)見たことはあったので、またの機会ということで、今回、ちょうど一年後にやってきた。
 毎年春の時期は展示が決まっているようで、4月第二日曜日くらいまでが国宝「寝覚物語絵巻」、休館日を挟んで、次の開館日から4月第三土曜を含めて5月の連休明けくらいまでが国宝「松浦屏風」の展示期間らしい。

 ↓ 大和文華館の門。展覧会の告知看板が掲示されている。
 

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 門の内側に入る。正面はこんもりとした山になっている。地図で見ると池のほとりにある美術館なのだが、池は見えない。 
 敷地が広い。広い駐車場もあるが、1台しか停まっていない。車での来館者はいないようだ。昨年は車で来ることも考えたが、結局来なかった。次回以降は、車でもアクセスできそうだ。
 丘の向こうには青空が広がり、太陽が眩しい。ああ、気持ちのよう春の陽気だな~。
 

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 門の左手には、博物館の建物がある。歩いてくる途中、歩道からも見えた。最初は「小さいな」と思ったが、やはり博物館の建物ではない。大和文華館のホール、研究施設だった。
 奈良朝様式の建築を思わせる。奈良国立博物館の別館というか、重文指定の建物にも似ているし、唐招提寺のお寺を思わせる。このときは、窓にはカーテンがかかっていて使用されていなかった。


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 門を入ると、駐車場横と構内道路の広い歩道を歩く。と、内側の壁と門がある。門壁は小さい窓が開いていて、受付になっているらしい。窓口の中には、女性が1人座っているのが見える。コンクリートの小屋のような受付窓口である。チケット売り場になっていた。ここでチケットを購入しないと、内側の門を入ることが出来ない訳だ。
 入場券を購入する。料金表には「特別展 930円 企画展・平常展620円」と書いてある。 
 「国宝 松浦屏風は特別展かな?」と思い、窓口の中にいる女性に「今は特別展ですか?。」と聞くと「いえ、違います。企画展です。」とのこと。券を買って門を入る。受付窓口は門に附属しているような感じて小さくて、コンクリが打ちっぱなしできゅうくつそうだな、となぜか気になってしまった・・・・・。
 美術館までは更に坂道を登る。

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 桜の花は散ってしまっているが、桜が残っている木もある。この日はあまり多くの花は咲いていなくて、新緑の時期への移行期のようだ。これから、春~初夏の花が咲くのであろう。
 花や木々が多く植えられている。「文華館」という命名の意味がやっと分かった。まさに「花」で彩られていた。よって、今まで私が美術館として認識していなかったのは「文華」と一見しただけでは、美術館と分からない命名のためだろう(苦笑)。
 ↓ 坂道の途中に咲く花

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 丘を登ると建物が現れた。蔵屋敷のような建物だ。壁は黒か緑のなまこ壁の模様が入っている。入口玄関は大名屋敷の通用口??のような口が開いている。

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 ドアは自動である。遮光ガラスになっているようで、外の眩しい光を遮断し、内部は適度な照度になっている。
 入ると音声ガイドの貸し出しコーナーがある。右手にはショップがあり、奥にレジがある。天井がとても高い。ワンフロアの館内だった。
 入口ロビーの先に通路が伸びていて、ガラス張りになっている。その先に展示室の自動ドアがある。
 広い入口ロビーと通路、ショップには入館者が私以外、だれもいない。シーンとした静寂な空間だ。
 音声ガイドを借りることにする。全部で録音時間は30分くらいで、18の展示文化財について解説があるそう。
 ガイドを装着して、ガラス張りの通路を歩く。通路の幅は広く、両窓側には長いソファになっていて、休息できるようになっている。が、私が入館したのは日曜日の午後1時であったが、誰も座っていなかった。

 展示室の正面入り口は大きなガラスの自動ドア。ヴィーンと開く。正面に独立した島状の設置された三個のガラスケースが「三連」で並んでいる。
 正面のケースには重要文化財「扇面貼交手箱」(漢字が出ない。) 尾形光琳の作。
 箱の蓋に絵が描いてある。内側も段に分かれている。国宝のカキツバタ図屏風に共通するような構図。八ツ橋とカキツバタの絵がある。 
 隣のケースには重要文化財「武蔵野隅田川図 乱箱」(漢字が出ない。) 尾形光琳の弟 乾山の作
 乱箱とは、フタのない浅いハコとのこと。乾山81歳と書があるそう。 死亡した年の制作とのこと。

 音声ガイドをスタートさせる。まずは文華館の説明から。「・・・当時近畿日本鉄道の社長であった・・・・・によって、・・・・昭和21設立され、実際の開館までは14年の準備期間を要し・・・」とナレーションが流れる。「・・・現在では国宝4点を含め・・・・」多くの文化財を所蔵していますという解説。
 近鉄グループの収集した文化財を展示する美術館であった。勿論美術館の役割は展示のみではなく、教育や研究なども重要であるが。
 ウェブサイトにも書いてあるが、近鉄グループの美術館なので近鉄の駅から程近い閑静な住宅地に隣接する丘の上にあるのですね。


「ザ・コレクション」 展覧会鑑賞6 藤田美術館

 2017年春  
 4/16(日)大阪 「ザ・コレクション」 展覧会鑑賞6 藤田美術館
 

 碁盤の形をした小さい香合 3個など改めて一階の展示品を鑑賞した。 
 「作品解説」の後、まだ質問をしている人がいたが、そろそろ見学を切り上げることにする。次は奈良に向かうことにしている。
 展示室を出る。 廊下には、昭和29年の開館式の様子の写真の掲示がある。写真の前で観客が(写真にうつってっている)「誰が誰だか分からない。」と話をしていた。
 写真中、最前列で立っている人が二人いて、多分、伝三郎の子孫(孫?)で初代館長や創設者だろう。

 出口へ。受付で、先程「・・・・800円のおつりで買えます。」とお話のあった、200円のカタログ(簡易図録というべきか)を買う。チケット売り場と売店のレジが同じ。小さい木の小窓でのやりとりだ。カウンターの奥が事務室になっている。改めて見ると、事務机が4個くらいある。左奥の窓側に独立した机があり、カウンター側を向いている。先ほどと違い、手前の机には誰も座っていない。左奥の席は、会社でいうと、課長、部長、本部長の管理職席っぽい(笑)。白髪の上品な70歳台くらいの女性が座っている・・・・。上席にいるということは現館長の母上だろう。先代の藤田夫人。
 事務室の隣では、無料の展示会が開催されていて、展覧会「ザ・コレクション」とは特に関係が無いらしい。

 11:40頃に出る。本来は、10時の開館と同時に入って、11時頃までには出る予定であったが、作品解説を聞いていたので、見学時間が長引いたが、偶然にも(造幣局の桜の通り抜けで時間がかかり)入館が遅れたため、詳しいお話を作品解説で聞けたのはありがたかった。
 大徳寺龍光院所蔵 国宝「曜変天目茶碗」が「この秋、京都の国宝展で、もしかしたら展示されるかも!??」という希望観測的なお話も聞けたし(笑)。
 改めて敷地を出るときに見ると、本当に昔の蔵一棟のみの展示室。よく言われるようにかなり手狭だ。
 館のへい沿いに大阪城北詰の駅へ歩く。地上出入口の階段を下る。美術館がこれほど駅に近いとは知らなかった。
 
 ↓ 出口へ。敷地内には茶室らしき日本家屋があった。
   先のお話では旧藤田伝三郎邸には10以上の茶室があったそうだ。そのうちのひとつの復元であろうか。
   長男、次男の屋敷にもそれぞれ10以上、合計で30以上の茶室があった。

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 「建て替えをすると」というが、日本家屋や現在展示室となっている蔵を残すとなると、館の敷地はあまり広くない。今度建てるときは、耐震構造を考慮して鉄筋コンクリート造の立派なものとなるだろう。
 すると、上の写真の庭、現在の事務室棟や多宝塔の前に建てるのであろうか・・・・。個人のお屋敷としては、かなり広い敷地だが国宝9点をはじめ多数の文化財を所有、展示する近代的美術館予定地としては手狭な敷地ではないだろうか。
 それとも別の土地に移転するのだろうか。何と言っても名門 旧藤田財閥であるし。

 ↓ 敷地内の大きな木。木の向こう側は、展示室になっている蔵。

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 美術館と道路を挟んで反対側にある「太閤閣」にはお客が出入りして、従業員が出迎えなどをしている。先程、作品解説の中で話があったが、藤田傳三郎の次男の屋敷だった所。手前はレンガ色の鉄筋のビルしか見えないが、奥には、次男の屋敷の建物が残っていて、現在も利用されているとのことだった。
 ここ太閤閣も藤田観光の経営のようだ。箱根の小涌園も藤田観光の経営施設だし、神奈川県民にとって藤田観光は有名です。ワシントンホテルも藤田観光の経営であるし、藤田財閥の後進企業ですね、藤田観光は。現在の株主構成は分かりませんが、同社は上場企業だから上位株主は公表されているでしょう。老舗の上場企業の多くは、金融(生命保険会社や信託銀行など)関係が上位株主でしょうね。


「ザ・コレクション」 展覧会鑑賞5 藤田美術館

 2017年春  
 4/16(日)大阪 「ザ・コレクション」 展覧会鑑賞5 藤田美術館
 

 11時からの作品解説を聞いた後、私は再び二階へ戻り、展示品を鑑賞した。

 ↓ 美術館敷地内の蔵。しかし、写真正面に写っている蔵は展示室棟ではない。
  展示の蔵と正面の蔵は廊下でつながっているかな、と誤解していたが、違った。独立した別々の建物であった。 写真、右手の蔵一棟のみが展示室棟となっていた。

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 二階の国宝 「花蝶蒔絵挟しょく」を改めて鑑賞する。(漢字が出ない・・・・)
 正倉院時代よりは新しいが、たしかに蒔絵が施されている。奈良時代の唐草などの模様の螺鈿細工とは異なる、日本風の蒔絵だ。 
 道具としての名前は「挟しょく」で、「花蝶の蒔絵」が施されているという意味なのですね。さっき初めて見たときは、あまりに長い文化財の名称で「略称」は何なのか、分からなかった・・・・。作品解説を聞いてやっと理解できた。体の前に置く物なのですね。高僧か貴族が使用していたのでしょうか?。

 階段を昇って、左手には国宝「紫門新月図」。以前サントリー美術館で見た。多数の人の落款がおしてある描け軸の絵画。メインの画や賛文よりも、朱肉の落款の方が目立つ。その奥の並びのガラスケース内には重文「金銅密教法具」などの密教の法具類がある。

 もうひとつの島状のガラスケースには「大般若羅経」の展示もあった。しかし、ガラスケースが小さいので、ある巻の冒頭の一部が開いているのみ。
 「大般若羅・・・・ 巻第一」とタイトル。「・・・・初労・・・・金功・・・」と書いてあるような・・・・。以前サントリー美術館で見たものとは、別の部分と思います、多分(笑)。
 全部で300巻以上が一括して国宝に指定されているというし。
 隣のガラスケースには法隆寺伝来の塑像の童子像があった。

 大伴家持像の描け軸もあった。この重要文化財指定「家持像」の写真は、この作品が歴史や和歌の本に掲載されているのではないかな。
 壁際には、金剛弥勒菩薩の仏像、掛け軸の絵画、階段の裏手は正倉院宝物にあるようなお面(胡人の顔のお面のようなもの)があった。奥のガラスケース内には短刀などがあった。

 ↓ 200円で販売されている展覧会の「カタログ」に 国宝 「花蝶蒔絵挟しょく」 の写真の掲載があった。
    


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 二階を見てから、一階におりると、作品解説の後、国宝「曜変天目茶碗」が展示されているガラスケースの前で、説明の職員(恐らく館長)にまだ質問をしている人がいた。
 さすが大阪、見学者のノリもよい!!。都内の某美術館であったら説明終了後、すぐに解散して見学者は三々五々散ってしまうかも知れない。しかし、大阪では違う!。

 「文化財は 焼けずに残ったのですか?」と見学者の女性が質問した。先に、ガラスケースの前で熱心に見ていた背の高いスマートな30歳から40歳くらいの女性だった。説明の開始時には落ちていた入場券の半券を「はい」と(旧男爵家のご当主であろう)館長様に渡していた人だ。

 館長は「焼け残った。この蔵の中で。」と答えた。聞いた女性は、意外そうな顔だった。蔵の中のお宝は、戦時中も疎開させなかったようだ。恐らく彼女は、建物は無事であると推測されても文化財は、どこかに疎開させるか、地中に埋めるかしたと思ったのだろう。ボクも同意見です(笑)。戦時中は当時の帝室博物館の文化財は疎開させたと思うし・・・・。
 国宝「曜変天目茶碗」が空襲で焼失せずに現代に伝わっているとは、本当は偶然の結果だったのだ・・・・・。
 曜変天目茶碗の用途については「鑑賞用だった。使うことは無かった。茶会でも使ったという記録はない。江戸時代以降は主に見ることが目的で使うとこは無かった。」記録は空襲で焼けてしまったという話も先の作品解説の中であった。
 茶碗の横に置いてある説明が何にもない台について、女性は聞いた「この台の文字は?」と「金」と書いてある文字について質問。 
 館長は「分からないです。」と答えた。附属している「台」については分かっていないようだ。
 隣の油滴天目の小茶碗については「小さいもので茶を飲んだのか?」
 「恐らく 元々観賞用でつくられたのかも。」、「台に載せて下からも見えるようにした。」という回答だった。


 別の人も質問する「太陽光線では、どのように見えるか?」
 「そもそも、自然光の下で見ることはない。40年間くらい前にNHKのテレビ番組で太陽の下で照らすという企画があった。手の役、(つまり茶碗を)持つ役で出た人がうちにいるが(いたが)、二度とやりたくないと言っていた。」
 「何の番組か?」
 「ナントカ?紀行?だったかわからない。」「アーカイブにあるか?」
 「わからない。ユーチューブに上がっていると言われたことがある。わたしも見てみたが、なかった。」
 と館長は、再び小さいライトで曜変天目茶碗を照らす。自然光で光り方、色が違うかは分からない。このライトはLEDなので、青く見えるのかも知れない。


 学生くらいの男のグループが質問する。「今買うと、いくらくらいか?。」
 「大正7年に、当時で5万×千円(?)で買った。現在の物価は7000倍から10000倍といわれる。7000倍とすると3億×千万円くらい。」
 「ただし、当時、別の茶碗で9万円(?)で購入されたものもある。鑑賞用か実用か(?)によって、値段も違ったようだ。」と館長は値段を明言しなかった。むしろ、「他にも値段が高い茶碗がある。」というような言い方だった。しかし、日本国の国宝に指定されている現在、貨幣価値に換算することはできないが、15億円はくだらないであろう。先に「所蔵品をオークションで売却」のニュース記事を読んだが、オークションともなれば、100億円の値段がつく可能性だってあるかも知れない。.
 質問している間、名札はつけていないので「館長さん」と呼びかけて質問をしている人はいなかったと思う。

「ザ・コレクション」 展覧会鑑賞4(と作品解説 拝聴) 藤田美術館

 2017年春  
 4/16(日)大阪 「ザ・コレクション」 展覧会鑑賞4(と作品解説 拝聴) 藤田美術館
 

 蔵の内部が展示室になっている。11時過ぎから始まった男性職員による作品解説を聞いた。

 男性職員は、以前テレビにも出演していた方だ。サントリー美術館での展覧会でも館長あいさつで写真の掲載があった。名札はつけていないが、藤田館長に間違いない。よって以下「館長」と書く。
 
 以下、作品解説の話の要旨を記す。私の誤解、誤記憶もあると思うのでご容赦頂きたい。「 」内は館長のお話の要旨。(   )内は原則、管理者の注記だ。

 最初は、藤田伝三郎や藤田美術館の紹介と説明だった。

 続いて「作品解説をします。」と作品解説に移る。
 「一点だけ、これしかない。良くも悪くも、今話題の曜変天目茶碗です。」と館長は言って、皆は「ハハハ」と一斉に笑う。
 来館者の皆さんは、昨年末以来のテレビ放映も含めて「曜変天目茶碗」プロブレム(問題)は、よくご存じです(笑)。

 「皆さん、人数も多いので(曜変天目茶碗が)見えるように移動をお願いします。」と他の国宝 重文が入っているガラスケースをスルーして、皆曜変天目茶碗の展示されているガラスケースの周囲に集まる。

 「皆さん、(曜変天目茶碗を見て)どのような感想を持たれますか?。『青い』『きれい』という人も多いでしょう。」と問いかける。
 「実際は小さいです。直径は12.3センチ。皆さんどんぶりのように大きいと思われる人もいる。図録の写真だと 画面いっぱいに大きく撮影するので大きいと思われるが、実際は小さい。『茶碗』なので。」

 「(曜変天目茶碗の)高さは6~7センチ。他の曜変天目茶碗もほぼ同じ大きさ。恐らく、同じ窯か近くのお互い影響のある窯で焼かれたと思われる。今から800年くらい前の宋の時代、福建省の建窯(けんよう)で焼かれた。

 世界で三つあると言われる。すべて日本にあり、国宝には三点すべてが指定されている。しかし、ミホミュージアムさん(と『さん』づけで呼んだ)には、重要文化財の曜変天目茶碗があり、他にも美術館や個人所蔵で曜変天目茶碗として伝わっているものがある。」とのお話。

 「国宝の曜変天目茶碗のうち、うち以外にもうひとつ(所有している美術館)は東京の静嘉堂文庫さん。三菱財閥の岩崎家の文化財を集めたところ、が購入したもの。もう一つは京都の大徳寺の『りょうこういん』さんにある。」と龍光院は「りょうこういんさん」と「さん」付けで話をした。
 「静嘉堂さんは、えーと今展示されているかも知れません。東京国立博物館で茶の湯展を開催している。東博は茶の湯の展覧会を行わないのですが、今回数十年ぶりに開催しています。今、展示しているかは分かりませんが、会期のどこかで展示する。ウチからも茶の湯展に出品しています。」と。

 (実際は、この日現在、「特別展 茶の湯」で展示されていた。)

 「りょうこういん の曜変天目を見ることは、ほぼ絶望的です。今から13年くらい前に、3日間か5日間限定で公開されたことがある。しかし、今年の秋に京都国立博物館で国宝展がある。その際に、もしかしたら公開されるかもわからないです。」と重大な示唆のご発言(笑)。大徳寺龍光院の曜変天目茶碗が平成29年秋の特別展「国宝」で本当に展示されるのだろうか???。
 館長の言い方では「公開されることが期待されます。」のような、希望的観測のような言い方。秋になれば、真相は明らかになりますが(笑)。

 「この天目茶碗は徳川家康から子の水戸徳川家に伝わり、大正7年に藤田家(の長男)が購入した。藤田家で使ったことは無い。というか使った 記録はない。記録は空襲で焼けてしまった。

 「(曜変天目茶碗の)焼き方、方法は分かっていない。再現も(チャレンジを)されている人は何人かいる。(咲くり方を知るのに)一番早いのは、割ることだが、そんなことをする訳にはいかない。

 昨年、蛍光 エックス 線調査により化学分析、非破壊検査を行った。蛍光線を当てると 化学成分が分かる。

一部 近いものの作成に成功している人はいる。」と今年の1月に私が視聴した番組(今年の放映は再放送で、最初の放送は昨年のこと)についても言及があった。


 「照らすライトは、LEDなので、青く見えるかも。側面にも、斑紋があります。今は、ライトをあてていないので、光っていません。横からの輝く画像をみたい人は 2500円の図録を受付で販売しているので是非お求めください。」と見事なご宣伝。 観客は、笑。

 「とはいいつつ、ライトをあててみましょう」と館長がペン型ライトを取り出す。
 「他の美術館では絶対に真似をしないでください。」と館長が言われると、観客の笑いとともに、館長が曜変天目茶碗の側面を照らす・・・・。と、丸い青いシャボン玉のような斑紋が茶碗の内側と同じように、曲線を描いている側面に浮かび上がった。 コバルト色にキラキラ輝いている。「ワー」「オ~」という「感嘆する声」が一斉に上がった。女性は「うわー、きれーい」と黄色い声。
 側面にもキラキラと不思議に輝く斑紋があったのだ。私の記憶は間違っていなかった

 「飲み口には金属の枠をはめてある。フチには欠けた小さい箇所があり、金属の枠を(あとから)はめた。(枠の材質)は銀です。しかし、私達のように美術館に勤めている人は絶対に銀とは言わない。『すず』『鉛』と言う。銀色の金属のたいていは、すずか鉛だからです。銀だと酸化して黒くなるから。
 しかし、このたびの蛍光エックス線検査で銀だとわかった。昔なので純度の低い銀、不純物が多く混ざっている銀なので、酸化しなかったようだ。今回の検査で、フチの金属が銀であることが解った。それまで(化学成分が)分からなかった。」

 「この金属の枠をはめた茶碗で、お茶を実際に飲むと(すずか鉛か銀のためか) すごい長い生きするか、早死にするかです。」とユーモアのある館長の解説に、皆、笑。


 「器の中には 宇宙が広がっている、とも言われるが、実際は傷も多い。内側の傷は深い。茶さじの傷か。金属製なので、すくうときにひっかいたかも。抹茶をたてるときの茶筅は竹なので傷がつくことは無い。使われたことはあったが、いつ使ったのかは分からない。傷は肉眼では見えにくいが、実際はかなり多い。」
 「もう一度 言いますが、ぜひ2500円の図録を見れば所蔵品の解説が載っています。
写真家の方が以前撮影して、当時としては、かなり多い4500万画素のカメラで撮影した。図録(の写真)にキズもはっきりうつっています。」と。観客は、再びのギャグに「薄笑」。
 「茶碗の ほこりを掃うことはあるが、洗うことは無い。誰か、いつかは分からないが、数人が使ったとはある。」
と曜変天目茶碗の説明であった。

 ↓ 展覧会チラシの作品紹介面とあとで購入したカタログ(200円)の表紙。
  カタログの表紙も「チョコレート」の箱のように真っ黒です(笑)。
    曜変天目茶碗の写真が掲載されている。側面の輝きもわずかに写っている。

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 曜変天目茶碗の説明以外にも、別の説明が少しばかりあった。

 「藤田伝三郎の号は『香雪』(こうせつ)。ただし香雪美術館とは関係が無い。同じ字(じ)であるが。その他、主な展示としては「玄奘三蔵絵」があります。三蔵法師がかかれていいます。
 二階にも展示があります。二階には『きょうしょく』がある。ドラマなどでおとの様が、(体の)横におくのが机則(きょうそく)、歳をとってきて、前において体を支えるのが『きょうしょく』。平安時代の、日本で最も古い蒔絵の技術のものです。」と。

 『きょうしょく』は先に私も二階の展示室で見ていた。正式な文化財の名称は長いので、実は短縮して何というのか分からなかったが「挟しょく」でよいと理解出来た
 (「挟」の漢字は本来旧字体。「しょく」は漢字が表示できないので、ひらがな表記する。)
 

 館長は「2500円の図録が高いという方は、このコレクション展のカタログを200円で販売しています。(入館料の)800円のおつりの200円で買えます。」と再び図録の宣伝をするとともに、私のようなパンピーのお財布事情をユーモアに察してくださる。皆、笑。

 「最後にアンケートをお願いします。」と館長が持っていた用紙を近くにいた人に配って説明は終わった。
「(アンケートに書く内容は)何でもいいです。 昨日は『曜変天目下さい。』と書いた人もいました。」

 その後、館長は観客からの質問に応じている。私は再び二階の展示室へ。




「ザ・コレクション」 展覧会鑑賞3(と作品解説 拝聴) 藤田美術館

 2017年春  
 4/16(日)大阪 「ザ・コレクション」 展覧会鑑賞3(と作品解説 拝聴) 藤田美術館
 

 蔵の内部が展示室になっている。

 先の記事で「絵巻のケース内には 活性炭も入っている。」と書いたが、ガラスケースの密封性は木枠ゆえ、弱いようだ。先にざっと見たとき、ガラスケース内の湿度は52%、気温は19度であったが、再度見ると、湿度は1%増えていた。人が大勢出入りしているので、私が見学している間に湿度が上がっているのだろうか。
 国宝「深窓秘抄」を見た後、二階に昇った。二階に行ってみると、展示室はこの蔵の中の一室のみ・・・・。公園から見えた蔵にはつながっていなかった。
 「やや、思ったよりも狭いゾ・・・。」と感じた。

 室内に島状に置かれたガラスケース内に 国宝があった。「花蝶蒔絵挟しょく」(漢字が出ない・・・・)。
 木の台いうか、時代劇ドラマに出てくる殿様が横に置いて使用する小道具のような物。
 文化財の読み方が分からない・・・・と戸惑ってしまった(笑)。
 実をいうと「しょく」の漢字が読めなかったのだ・・・・・。

 展示を見ていると、二階に「これから 作品解説を行います」とスーツ姿の男性がやって来た。先に券を買ったときに、机に座ってパソコンを打ち込みしていた人だ。あれ、テレビで以前見た館長かなと思った。
 作品解説タイムがあるとは知らなかった。
 その声を聞いて、二階にいた観客の人達は、どっと階段を降りて一階へ降りる。その男性職員は、一階にも「作品解説を行います。」と声をかけ、展示室の中央、国宝「曜変天目茶碗」の展示されているガラスケースの横に立った。男性職員は、以前テレビにも出演していたのを確かに視たことがある。名札は下げていないが、館長に間違いない。よって以下「館長」と書く。
 周りに観客(見学者)が取り囲む。50人から60人くいら集まっている。女性が多い。男は60歳くらいや(私のような)おじさんなど。年齢層としては40歳から70歳くらいかな。子どもも少しいる。親子連れもいる。


 以下、作品解説の話を書く。私の誤解、誤記憶もあると思うのでご容赦下さい。「  」内は館長のお話。( )内は原則、管理者の注記だ。

 館長から「11時と14時に作品解説を行っています。土日は15分から20分といいながら25分くらいと、たいてい長引いています。平日は、10分くらいといいながら、15分か20分くらいお話ししています・・・・。」とのお話から始まった。
 特に、美術館のウェブサイトには案内していないが、基本的に開館中は一日二回、展示の作品の解説をしているようだ。
 (あとで、展覧会のチラシを見たが、土曜日の11時と14時に解説がある、と小さく表示していた。が、実際は土曜日に限らず解説は実施しているようだ。)

 最初に美術館の紹介。館長自身は、名札はしていないし、自己紹介はしない。よって、旧藤田男爵家の当主であろう館長その人とわからない人(観客)もいるのではないか。
 「(ここが)初めてという人もいるでしょう。」と館長は観客を見回す。
 「この美術館は 明治時代の実業家 藤田伝三郎の収集したコレクションをもとに設立されました」というような。(以下も原則現代漢字で名前などを表記する。)

 「『皆さん藤田伝三郎は知っていますか?。』と聞くと、皆さん視線をそらします。」と館長。観客は、思わぬギャグに「笑」。

 「昨年まで放送された NHK 朝の連続ドラまの『あさがきた』に『五代友厚』が出ていました。」と言うと、観客のおば様たちは皆、うんうんとうなづく。
 「モデルとなった広岡浅子は、のちに日本女子大を設立した人。浅子の友人として五代友厚が出ていました。

友厚と同じ時代、同じ大阪で活躍した人。大阪に商工会所を設立した。初代会頭が五代で、二代目(会頭)が伝三郎。・・・・・。二人は恐らく 密接な関係があった。伝三郎は長州 萩の人。幕末に活躍した高杉晋作と家が近かった。歳も5歳くらいしか離れていないので恐らく交流があったと思われる。」
 「伝三郎は、明治維新後、大阪に出て、商売を始めた。(土木建築を請け負う)藤田組をつくった。・・・・・鉱山の開発をしたり、・・・・・軍の靴の製造をした。靴の製造は、いろいろ資本、会社とあわさって(変わって) 現在は『リーガル』になっている。」と、観客はへーという声を上げる。私も知らなかった。
 「その他は、大成建設、同和鉱業 ホールディング 非鉄金属の大手、などが後身企業。」と解説。


 「日本の美術品が散逸することを防ぐため、私財を投じて集めた。」と。

 館長は、スーツ姿ににネクタイ、立派な時計をしている。私は片手に展覧会のチラシ(パンフレット)を持っていた。藤田伝三郎の写真も掲載されている。没年は明治45年のこと。館長は、白黒写真の伝三郎と顔の輪郭などかそっくりである。伝三郎の直系の子孫である。

 「ここは伝三郎が大川のほとりに屋敷を構えた跡地で 網島御殿(あみしまごてん)と言われ 全部で17000坪の敷地面積があった。全てが伝三郎の屋敷ではなく、長男と次男の屋敷もあった。( 伝三郎は茶人であったので )屋敷には 茶室が11あった。」すると観客から「エー」と驚きの声があがった・・・・。
 「全部で11ではなく、長男、次男の屋敷にもそれぞれ 同じくらい数の茶室があった。」と聞くと、更に「えー!?」と説明を聞く来館者は、皆一様に驚き!!。

 「(茶室の数は)多いが、流派ごとに使っていたので、裏千家、表千家、武者小路千家で、それぞれ2ずつ。その他、抹茶ではなく当時は煎茶(せんちゃ)であったので煎茶の茶室などで、使っていた。」そうだ。

 しかし「昭和20年に空襲で焼けた。この蔵だけ残った。蔵の中の文化財も無事だった。昭和29年に博物館として公開した。屋敷の一部 は公園になっていて、隣が(旧藤田邸)公園。現在 無料で入ることが出来る。」
 私はここに来る前に公園を通ってやって来た。

 「(伝三郎の)次男の家は焼け残った。現在は太閤閣さんになっている。(と館長は「さん」付けで呼ぶ) 食事などで利用すれば、屋敷も見ることが出来る。フランス料理の「 店の名 」というお店もあり、お庭を眺めながらフランス料理のフルコースのお料理を食べることが出来る。庭には、伝三郎が集めた石塔なとがある。是非、御利用くださいと言っても私には何も入ってこないですけどね。」と言う観客は、「笑」。


 (この蔵の建物は)建築されて110年くらい。柱の木もそのまま。二階で人が歩くと ギシギシいうのもご愛嬌。」

 確かにギシギシという音が気になっていた・・・・。上を見ると材木の柱がむき出しだし、同じ材質の天井板というか材木の合間から上を歩く人の靴底の泥が落ちてきそうなかんじ。ホントに。一階と二階の間には、天井板がない、蔵の内部にあとから材木が造作されている。

 「ザ・コレクション」のこの黒い表紙 展覧会のチラシは、チョコレートといわれています。」と館長が自虐的に話すと、観客は再び「笑」。

 たしかに、もうちょっと寒い時期、2月くらいのバレンタインのチョコのパッケージのようだな。このチラシは・・・。
 チョコでも「ビターチョコ」のパッケージにぴったりだ(笑)。

 ↓ チョコレートといわれるチラシ(笑)。
  真っ黒の印刷なので、折り曲げするとインクがはがれて白い線が入ってしまう・・・・。
  写真右は、200円で販売されていた展覧会のカタログ。
  一階の展示室にあった快慶作 内山永久寺(廃寺)旧蔵の「観音菩薩立像」の写真もある。


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 「(6月11日までの会期の後は)しばらくの間、休館して建て替えを予定しています。建物も美術館開設以来、ずっと同じものを、60年以上使用してきたので・・・・。」と。
 道理で古い建物と思った。60年間、開館以来ずっと同じ展示室だったのだ。木枠のガラスケースもだろうか?。

 今回の展覧会については
 「館のみんなで何を展示しようかと 意見を出し合いました。あれも出そう、これも出そうと(意見を)出したところ(展示品が)たくさんになってしまい、美術館の限られたスペースでは展示できないくらいになってしまった。そのため、3月からこの4/30までの前期と5/2から6/11までの後期の二期に分けて展示替えを行います。替わらないのは三点だけで、あとは全部入れ替わります。前期と後期で、ほぼ違う展覧会となります。前期と後期両方を を見れば、館が所蔵する国宝9点すべてを見ることが出来ます。」との説明。


 敷地内の石灯籠と蔵。ただし、奥の蔵は展示室ではなかった。右にも蔵があり、二階(というよりも、材木を入れて二層に)に分かれ展示室となっていた。 向かって右の側面には「男爵 藤田伝三郎・・・」とあった。
 (漢字は現代字体で表記した。)

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