永青文庫の平成29年度秋季展 「重要文化財 長谷川等伯障壁画展 南禅寺天授庵と細川幽齋」にやって来ました。9月末からの会期もこの日が最終日となりました。またまたの最終日のドタバタ鑑賞だ(苦笑)。
会期終了後なので速やかに記事掲載することにする

展覧会の名称が長いので「天授庵 長谷川等伯障壁画」展と呼ぶべきかな。
永青文庫、前回は平成27年12月に「春画展」SHUNGA(以下「春画展」と書く。)の後期に来て以来ほぼ2年ぶりの訪問だ。あれから2年たったか、早いものだなぁ・・・・・、オレは2歳も歳を取ったよ・・・・。中年になっての2歳は大きいな・・・。歳はとりたくないヨ、そう思う歳になってきた

永青文庫の展示会を初めて見たのは27年2月に見た「信長の手紙」展。あのときは、テレビで紹介された直後なので真冬にもかかわらず混雑していた。次は、その2か月後の4月、春霞のなか「細川家起請文の世界」展にやってきた。副題は「神の使い八咫烏に誓う」だったが、平日の日中の訪問とあってか見学者は少なかった。
よって平成27年は都合4回も永青文庫の展示会(展覧会)を鑑賞したのだが、翌年の平成28年の訪問は皆無だった・・・。同年の夏であったか、永青文庫所蔵の国宝刀剣の企画展示が開催されたのだが、知らなかった・・・。あとから気付いた・・・。「刀剣女子ブーム」で開催されたのだろう。(刀剣に関する)チェックが甘かったゾ(笑)。「刀剣」に関する展覧会が多数開催されているのでインターネットで検索していたら、気付いた次第だ。
今年の展示会も行っていなかったが、秋季展示会は「天授庵 長谷川等伯障壁画」だと知った。よって、事前に訪問することは決めていた。先だって、10/28(土)には「予習」を兼ねて京都・南禅寺の塔頭 天授庵を拝観した。必ず予習→授業(実際の鑑賞)です

胸突坂を登って永青文庫へ。敷地に入ろうとすると門が新しくなっていた。「春画展」のときは以前の古い門だったと記憶しているので、その後新しく工事をしたようだ。
入館者は切れ目なくやってきている。落葉の時期なので、敷地内や門塀の外の道路で写真撮影をしている人が多い。よって人がいるので敷地内での撮影が難しいのだ。
↓ しかし、人がいない瞬間を狙って撮影した。
入口に入る。入口付近を含めて建物は春画展のときに改装している。入口ホールの上に空いている.「穴」もそのままだ。春画展以前に使用していた出入り口は閉鎖されていた。春画展のときと同じく(当たり前だが)チケット売り場の窓口カウンターがあり、奥は事務室になっている。券売り場には、楕円形の細い黒ぶちメガネをかけた、まじめそうな若い女性がいる。どう見ても学生のアルバイトにしか見えないが、(本当のところは)わからない。その女性には、いつものごとく「四階の展示室の展示室から見てください。」と言われる。ここの決まり文句なので、もはや驚かない(笑)。
入場料は1000円である。窓口カウンターは一つというか、受付にはこの女性1人しかいない。受付は玄関ホールで販売している書籍、冊子、図録類の販売も兼ねている。永青文庫私が券を買う直前は年配の小柄な女性が書籍を購入をしていた。その女性は「えーと」とお財布を探して、ゆっくりお金を出して支払いをしているので、数名の列はすぐに受付前に出来てしまう。ともかく、私は券を買い「四階」の展示室に階段を登ります。
しかし「長谷川等伯障壁画は3階の蔵のような展示室に展示しているだろう。」と勝手に解釈し「四階」への階段の途中、踊り場のような所にある「蔵の内部」のような「3階」の展示室に一旦入った。過去の経験からすると企画展は、3階の展示室で主に開催されていたから。
このとき3階の企画展示室??には、細川家の文書類や甲冑、刀の鞘(「拵」というべきか。)が展示されている。室内を見回している
やはり「4階の展示室の展示室から見てください。」と言う言葉は正しかった。まさに「愚者は(過去の)経験に学ぶ・・・。」であった。オレは本当に愚者だ・・・

4階の展示室を見る。大きな障壁画がガラスケース内にドーンと展示されている。「南禅寺天授庵の長谷川等伯筆になる障壁画」は4階にあったのだ!!。室内には常時10-15人くらいの観覧者がいる。
重要文化財の中国の石像(石仏)は以前と場所は変わったが、展示室の端に展示されていました。細川家の大きな「長持」もそのまま、展示室の入ってすぐの所に大きなガラスケースに入って引き続き展示されていたのでした。
「長持」は私が初めて永青文庫に来たときから展示されているのだが、明治元年?に当時の細川家当主、護久の正室が婚礼の際に持参したと説明にある。鍋島直正の娘、宏子が細川家に輿入れしたそうだ。
よーく見ると展示室内のガラスケースの下部、土台部分??のところにもガラスが張ってあり、内部には黒い漆塗り?の長持ちが置いてある。長持ちに説明はないが、うち1個には昔付けたような付せんようなものが貼ってある。「××、〇枚」のように衣服の品名と数量が書いてあるので、当時の(長持の)中身について記入したものがそのまま残っているのだろう。
展示室内は当然撮影禁止。気のせいだが廊下の窓から以前見えていた、永青文庫の奥の敷地、現在は和敬塾の施設である旧細川邸は、和敬塾の新しい鉄筋の建物に隠れて見えなくなっているような・・・・。カーテンで廊下から外はあまり見えないが・・・・。
旧細川侯爵邸、和敬塾本館は、先日の「東京文化財ウィーク」で1日だけ公開があった。10/29(日)に事前申し込み、定員制、有料で公開された。元々10/28と10/29は出かける予定であったので、今回は申込みしなかった。しかし、1日だけの公開なので定員に達して断られることもあるだろうし、年に1回だけの公開は見学のハードルは高い・・・。
結局、私は10/28(土)は台風の迫る京都に行って、天授庵を「予習」のため拝観し、京都国立博物館の特別展「国宝」で大徳寺龍光院の国宝「曜変天目茶碗」などを鑑賞したのだった。翌日の29日の日曜日は台風の影響で雨であった。私はほとんど家で過ごして、買い物に出かけたくらいだった。午後か夕方には台風の影響は関東地方から無くなってきたのだが、和敬塾本館(旧細川侯爵邸)の公開が予定通り公開されたのかは寡聞にして知らない。
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