春、桜が満開であるが、今年の桜の季節もそろそろも終わりかな・・・。あと何日かすれば、落花盛んとなってしまう・・・・・。
館内には、展示コーナーが始まってすぐのところに、まず韮山反射炉に関する年表などがある。日本や、徳川幕府、韮山反射炉の歴史についての解説がある。
展示コーナーの奥には、映像シアターがある。大きいスクリーンがある。ちょうどシアターの上映が終わったところで、人が移動
しばらくすると、再びスアターのスクリーンで、映像が始まった。ドーーーンという効果音と解説の声が聞こえてくる。私はシアターの映像は見ないで、先に展示室内の年表や石炭、製品の鉄などの実物展示や、各地の反射炉や近代化の工場などの解説バネルを見る。
↓ 年表を見た後順路に従い「反射炉の全貌 反射炉の全てに迫る」のコーナーへ。
江川太郎左衛門であるが、この時代の当主、江川英龍のことだ。代々「太郎左衛門」を襲名していることは知られている。西暦でいうと1855年くらい、ペリー来航のに二~三年後くらいに死亡している。英龍は明治維新までは生きていない。
次の当主は、その三男?。次は4男、前当主の弟が継いでいる。英龍の子の二人は、肖像画ではなく撮影された本人の写真が展示されている。英龍は写真を残さず死亡したので絵しか残っていないのだろう。
英龍の子が当主のときにここ韮山反射炉は廃止されている。
一旦外に出る。ボランティアガイドの説明が始まるそうだ。しかし、定時の説明があるのではなく、団体向けの案内らしい。
緩い坂道を歩く。岡に更に上に。、新しいお土産物屋さんや食堂の建物がある。世界遺産指定後 ブーム、特需に沸いているのだろうか。
柵の内側の敷地に入る。桜はやや散っていた。弱い雨が降っている。北海道からの団体がきていた。
再度 入館する。再入場可能。映像シアターに席をとる。日誌から映像で復元。 リアルなCG画像だ。制作にお金をかけている。BGMも立派だ。15分おきで。8分間。よって7分の間があめ。間は、展示を見る。「江川文庫というのがあるね」と誰かが言った。 万延元年のこと。銑鉄をまきのように積んで 点かしている。温度が高くなる。溶け出して斜面がついているので流れ込む。夜10時に開始、徹也で溶かして翌朝6時に。カタに流している。 冷やして 取り出す。グリグリと削っている。18日間で。水車のと瀬宇力で 砲身のくりぬきをした。
↓ 間に展示を見る。
操業を停止しても、炉は残っていた。地元の人々が羽織はかま姿で撮影されていたり、山高帽、スーツ姿の人が写っていたり、明治以降も韮山付近のランドマークとしての存在ではあったようだ。
忘れられて、放置されていた訳ではないようだ。
昭和20年代の写真もある。戦時中はほとんど放置状態だったと思うが、戦後しばらく経過して、ようや保存や開がスタートした。敗戦後の生活が厳しい時代にほぼ放置されていた反射炉周辺の写真が撮影されていたとは驚きである。
展示されている反射炉の写真は、次に昭和50年代に飛ぶ。子どもの私が訪問したのは、この数年後 昭和6×年のことだ
