良月(りょうげつ)の たび日記

神奈川県 湘南地区在住。折口良月(おりぐち りょうげつ)の神奈川、東京、静岡、山梨、長野など関東近郊地域への行楽、外出。美術館、博物館めぐり。その他国内旅行などお出かけの記録。

2019年03月

 

桜坂 港区赤坂 2019年3月

  平成31年、2019年の桜の花は早かったです。(桜坂 港区赤坂 2019年3月)

 3月21日に東京でソメイヨシノの開花宣言がなされた。
 近年まで平年は3月31日とされていたと思う。私が子供の頃は4月の2日などもっと遅かったと思うが・・・・。
 港区赤坂にある「桜坂」を通った。泉屋博古館に向かう途中であった。訪れた3月17日の時点では、つぼみは小さいく開花の気配はなかった・・・・。さすがに、暖冬といっても3月20日より前に咲くことは、なかなか無いようだ。(過去には咲いたこともあったかも知れないが。) 

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 街路樹の桜並木は、枯木でいまだ冬の装いであった・・・。

「明治150年記念 華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美」鑑賞2 泉屋博古館(東京)

 2019年3月17日 「明治150年記念 華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美」鑑賞2 泉屋博古館(東京) 
 
 会期は3月16日から。なんと、私には珍しく会期二日目の早々の訪問だ。港区の泉屋博古館分館にやってきた。

 最初は8分間の映像コーナーを見た後、第一展示室に入った。

 ガラスケース内の展示で目立つのは、大きなお皿であった。「色絵  」という皿。宮中の晩さん会、食事会で使用されたものという。

 晩さん会の招待状が展示されている。 「宮中顧問官 子爵 山尾庸三殿」という宛名。山尾家から寄贈された史料であろう。会場は、浜離宮内の殿舎である。「延遼館」というようだ。明治2年建設で、最初は外務省の管轄で、のちに宮内省の管轄になったという。
 明治23年頃には取り壊しされたそうだ。20年間くらい存在したことになる。のちに建設されたのが有名な「鹿鳴館」。鹿鳴館は、「現在の内幸町、薩摩の上屋敷跡に建てられた。」と説明がある。しかし、別の説明では「装束屋敷の跡地・・・・」という説明がある。当時の政府高官を多数輩出していた薩摩藩島津家が土地を提供したのだろうか。実際には「装束屋敷」が正しい。上屋敷は、現在の三田付近にあった。蔵屋敷も三田のかつての海沿いにあったのだ。
 鹿鳴館の晩さん会の招待状は、同じく山尾あてのもの。「議定官 山尾庸三殿」と書いてあり、爵位は書いていないない。明治16年の開催の招待状なので、当時は爵位が無かった。爵位制度は明治17年から。
 この明治16年の晩さん会は、鹿鳴館の落成記念の会だったか??。
 更に進むと当時の晩さん会で使用されたという食器の展示がある。有栖川宮家由来のもの、のちに、高松宮に伝わり(旧有栖川宮家の祭祀を継承したので。)、保存されていたそうだ。

 ↓ 今回の展示のパンフレット 抜粋。有栖川宮家伝来の食器の画像が掲載されている。

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色彩のえる、花瓶などの展示があり、出る。


クニ邦英 成年 辞書がたのボンボニエール。昭和59年の前田利建の金婚式のボンボニエールも。
陶磁器のよう、緒形乾山の赤絵のよえな描いてある。朝かのみや、亀甲型の銀製のボンボニエール。
赤い紐がついている。辞書、ギリシア文字と下側にラテン語かな。


 ↓ 今回の展示のパンフレット 抜粋。

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皇太子とクニ良子女王 成婚は
黒漆六角形の菊の紋様の菓子入れ。側面には、はびたく鶴、螺鈿の細工らしく光沢がある。
朝か宮入って、亀甲だが、六角形とある。ともに、真ん中に、菊の御紋がある。


中程には、映像で紹介のあった、明治25.3..9の大婚の式典と。晩餐には621人、その後の立食形式には、1200余りが招待されたと。晩餐は鶴の立っているボンボニエール。もう一つは、銀の鶴の彫刻のある
ボンボニエール。図面もおる。宮中晩餐乃菓子器  銀製 と描いている。3尺8寸の高さと。
 台座にほ、二匹の亀がいる。台座は8寸とあり、台座の側面には明治 25年3月9日と日付が入っている。別の列の展示で、皇太子成婚のボンボニエール近くには、英国皇太子、エドワード王子の歓迎の晩餐会のボンボニエール。「大正11年」と説明にある。
 前年の皇太子裕仁親王(昭和天皇)の訪英の答礼として、エドワード王子が日本に来たのだろう。 英国のエドワード皇太子歓迎のときは、銀製の銀色の印籠のボンボニエールだ。桐紋がある。上に、小さく菊の御紋が刻印されている。先端には紐がついている。

 ↓ 今回の展示のパンフレット 抜粋。

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 独立ケースの内部には、昭和三年の昭和天皇の即位の大礼の式典のときのもの。そのボンボニエールは新しい。三種類ある。

 大正天皇の成婚25年のとものも展示がある。大正14年である。二羽の鶴のつがいが台座の上に乗っかっている。一羽は上を向いて、羽を広げるようなしぐさであり、もう一羽は、頭を曲げて下横を向いている。皇后を象徴している。仲の良い、めおとを表しているか。
 私が見たところ、展示順番は必ずしも、時代順ではない。

 ↓ 今回の展示のパンフレット 抜粋。
   明治天皇の大婚25周年の式典に際に下賜された鶴と二匹の亀のボンボニエール。
  柏葉筥形ボンボニエールは、大正天皇大礼(即位の礼)のときの下賜品であった。菊の御紋に赤い紐がついている。四角形のようで四角形ではない。柏の葉で箱の形を表現している。

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「明治150年記念 華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美」 鑑賞1 泉屋博古館(東京) 

 2019年3月17日 「明治150年記念 華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美」鑑賞1 泉屋博古館(東京) 
 
 会期は3月16日から。会期二日目、再び港区の泉屋博古館分館にやってきた。春先の晴天の日。 前回は、真夏のセミがミンミン鳴いている季節の訪問だった。この付近は、桜並木が植えられているので、真夏は桜の樹液を吸うのでセミが多いのだ。
 地下鉄六本木駅ではない、別のルートからの訪問であった。坂道を歩いてやって来た。空気はまだまだ冷たいが、陽射しは明るい

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 「華ひらく皇室文化」の企画展タイトルである。皇室関連の展示物がメインでろうが、今回の私(にとっての鑑賞)のメインは板谷波山の重要文化財 指定「 葆光彩磁珍果文花瓶 」だ。前回は、一昨年??の浅井忠の洋画作品の展示とともに、ここ泉屋博古館分館で公開(以下この記事では「同館」と表記する。)されたらしい?。同館の展示は、企画展が終了すると、私の見る限りウェブサイトからは展示リストが消えてしまうので、後からでは、何か展示されていたのかが、追跡しにくいのだ・・・・・。今回こそは、重要文化財 指定の「 葆光彩磁珍果文花瓶 」が展示される。事前に情報を掴んで(といっても、ウェブサイトで調べただけ・・・・・。)やって来たのだ。
 同館で一番有名な所蔵作品のひとつではないかな。同館のサイト、特にツイッターでは、この壺の画像がアイコン化されているし。
 もう一つの、波山にとって二番目の重文指定作品「 葆光彩磁禽果文花瓶 」は、前年 2018年に新潟市の敦井美術館で開催された波山の所蔵品展で展示された時に鑑賞した。昨年は新潟に、今回は東京・六本木に、波山の重文指定作品全2件(本記事、執筆当時)の「コンプリート」のためやって来た次第だ(笑)。

 
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 泉屋博古館は立派な鉄筋コンクリート造りの建物だ。入口の扉も重厚だ。旧住友財閥、旧住友男爵家の威光を示しているようだ。
 扉から、受付まではやや長いエントランス通路。正面の受付に女性がひとりいる。入ると必然的に正面の受付の女性、視線が合う。入館料は800円。前回訪問時よりも安いぞ。
 説明では「学習院でも開催している。」と。目白の学習院史料館と共催しているそうだ。「学習院史料館は無料ですが、開館日に気を付けてください。 ・・・記念品がもらえるそうです。」と学習院史料館で記念品を貰える絵.ハガキを渡された。おお、昨年の秋に訪問したばかりの学習院史料館で開催されるとは、偶然である。
 本当に開催日を注意する必要がある。学習院では会期が「3/20から」なので、本日現在、開催日ではない。子の足で目白に移動して訪問すると・・・・、開催前・・・・・・。以前、学習院史料館は、祝日に訪問して閉館日で失敗したし・・・・。


 ロッカーに荷物を預けて、最初は8分間の映像コーナーを見た。ロッカーが設置してある所に映像コーナーがある。隣りに事務室があり、係員が出入りしていた。事務室に訪ねてきた人もいた。扉の外に立って待っている。黒服のパンツスーツの監視員が二人出入りしていたり、映像を見ている間にも人の出入りがある。つまり、事務室は、チケット売り場の裏手の部屋になっている。


 映像は主に「明治宮殿」の紹介だった。

 「・・・・江戸城が皇居となり、天皇が居住するようになった。当初は、御所として、江戸城の西の丸御殿を使用していたらしい。本丸御殿は既に火災で焼けていて、徳川末期、明治時代の初めは無かったというし。西の丸御殿も明治6年には焼失したという。火事が多い・・・・。
 あたらしい宮殿は、明治9年に計画して、明治21年に竣工した。翌年の明治22年が憲法発布の式典が開催された。・・・」という映像内容。
 この憲法発布の儀式の場所が、宮殿の正殿。教科書などで写真を見たことがあるが、正殿の豪華な内装の様子の絵が伝わっている。何と、豪華絢爛の明治宮殿は木造だったのだ。

 図面の解説がある。当時の写真で紹介される宮殿正面の車寄せは、大名屋敷とまよう建築。瓦屋根となっていて、江戸時代の大名御殿のような御殿だ。京都の御所とは異なる建築に見える。建物の配置は、京都の御所を基にしているようだ。やはり、京の御所というよりは、武家の御殿に近い建物ではないか?、と見えた。
 映像とナレーションは続く「・・・・入って、すぐに受付の間かある。・・・・・・・・・・・・・」と。受付の間といっても広い。待機者用なのであろう、豪華なテーブルとイスなどがおいてある。宮殿に参殿した臣下は通常、東の入口である東溜の間から入ったそう。
 溜の間の写真、東の玄関付近の待合室の様子の写真が紹介される。正殿は、玄関と中庭を挟んで、正面、 東から撮影した正殿の建物の写真映像が流れる。天井の格子屋根は工芸がほどこされている。
 明治宮殿の入口は、現在の宮殿の南東の端付近に相当する位置かな。東溜の間は、現在一般参賀などで一般国民が入ることが出来る宮殿前の広場にあったようだ。

 繰り返しになるが、明治宮殿は、木造の建物であったと知った。レンガ造りではなく、木造の御殿であったのだ。てっきり、明治の洋風レンガ建築であったかのように誤解していた。
 のちの時代の東宮御所赤坂離宮(現在の迎賓館赤坂離宮)は、レンガ造りである。
 「宮殿の奥には、豊明殿(ほうめいでん)がある。」と映像とナレーション。現在も 同じ名前の部屋が宮殿にあるという。確かにニュースでも、その名前を聞いたことがある。内装は欧州の宮殿のようで、石造りの建物かと思ってしまうが、木造の宮殿だったのだ。正殿での儀式よりは小規模の会や謁見の儀式などが豊明殿で行われたそうだ。
 「明治宮殿は、太平洋戦争中の昭和20年の5月25日の空襲で焼失した・・・・。」と解説が流れる・・・。明治時代からずっと使用されていたのだと知った。
 明治宮殿の跡地に昭和43年に完成した現在の新宮殿の映像が流れて、終了した。現在もニュース映像でしばしば目にするが、新宮殿は、銅葺きの緑色の屋根と長い鉄筋コンクリート造の建物が印象的だ。
 映像を視聴して知ったが、明治宮殿では天皇は、その奥の宮殿で生活をしていたそうだ。戦後、昭和天皇は宮殿とは別の場所、吹上御所で生活していたことは知られている。吹上御所は戦後のことで、戦前は明治宮殿の奥側の区域が天皇の生活の場所であった。儀式を行う正殿などの表宮殿の奥に生活の場があるのは、京都御所の造りに似ている。


「ぐんまちゃん家」訪問3 レストラン「銀座つる」食事その2  群馬県アンテナショップ 

 2019年3月
  「ぐんまちゃん家」訪問3 レストラン「銀座つる」食事その2  群馬県アンテナショップ 

 銀座にある群馬県のアンテナショップ「ぐんまちゃん家」に移転リニューアルの後、初めて訪問した。
 同店の二階にあるレストラン「TSURU(つる)」」で初めて食事をした。

  ランチでもコースが基本である。一番安い「白根」にした。お値段は、2,000円。
 「榛名」は6,000円、「妙義」は3,000円のコースであるが、上州牛のお肉がついている。しかし「おきりこみ」は無い。コースの名は、群馬県の山から命名している。なお「赤城山」から命名した「赤城」コースが無いので、今後メニュー新設に期待したい。

 群馬の名物料理??といえば、「ほうとう」というか「おっ切り込み」である。が、単品では無いようだ。メニューでは「おきりこみ」と書いてあるので、ここ「TSURU」のほうとう料理は「おきりこみ」で表記する。
 私は「おきりこみ」が食べたかったので、必然的に「おきりこみ」がメインの「白根」のコースにしたょ。決して、安いからでは無い・・・・(言い訳)。
 榛名よりも白根の方が高い山だしね!!。妙義はギサギザしたピークなので、標高が掴みにくいし・・・だから「白根」にした。(またまた言い訳)。
 
 ランチでもコースが基本であるが、お値段はさておき、子供はお腹がすいていないというので、単品を探す・・・が、上記の通り「おきりこみ」が単品で無いし、単品として、適当なメニューはあまり無い。もう一冊メニューはありが、ドリンクメニューなので、注文せず。
 子供は迷っていた。黒服を来たお店の女性係員は、注文を取りにきてくれたのだが、時間をモテ余しているようだった・・・。せかして選ばせるが決まらないので、子供はビーフシチューにした。
 レストラン「銀座つる」は「高級路線」であるので、単品では「おきりこみ」はメニューに採用しないであろう。もし単品であると、かなりの客がおきりこみを注文するのではないか?。すると、客単価は下がってしまうし・・・。


 ↓ 白根コースのメイン料理「おきりこみ」の拡大!!!。
  この太い麺<フトメン>がいいのですよね~。
 

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 それでは、順番に食べていこう。
 コース料理の最初の一品、前菜「なすのあえもの」と「トマトのソース添え」。

 群馬産野菜を使用しているということだった。
 ↓ 水のコップのコースターにも群馬県の形の「つる」のマークが入っている。
   お箸の包み紙には「銀座つる」と正式店名が入っている。

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 群馬産ニジマスの寿司、二貫あった。シャリは勿論酢飯である。笹で包んである。あっという間にボクのお口に入った
 箸置き、お盆とも趣がある。

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すぐに食べてしまった。お盆はカラの状態。
ガラス窓からは、外の通りを見下ろすことが出来る。
隣のビルも見える。

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↓ 食べる前の「おきりこみ」だ。
「しいたけ、こぼう、人参、大根など群馬の野菜を使用で、群馬産の麦豚(むぎぶた)入りであった。
トッピングとして、テーブルに備え付けの黒い山椒の粉を入れた。

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 おきりこみのつゆの味は、しょうゆベース。熱い!!、よく煮こんでいる。幅広の麺を「フハフハ」しながら食べた。この食感がたまらない~。麦豚の肉は小さく切っているので画像では判別しにくい。

 子供が食べた単品のビーフシチュー(画像無し)は、よくお肉を煮込んでいたし、肉も大きかった。お腹すいていないと言っていたのだが、あっという間に完食してしまったよ・・・。

 店内の真ん中に陣取った群馬県の同窓会の食事会は盛り上がっているようだ。にぎやかな声が響き渡る。群馬弁でしゃべっている。一般客の二人連れの女性の人がその一団の人に話しかけていた。「どちらの同窓会ですか?。」などと聞いていたようだった。

↓ ビルの前の看板と通りの様子。
  
コースメニューにもあるが、上州牛のしゃぶしゃぶの写真が掲示されている。
なお「TSURU」ではなく「銀座つる」が正式名称だ。

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「ぐんまちゃん家」訪問2 レストラン「銀座つる」食事その1 群馬県アンテナショップ 

 2019年3月
  「ぐんまちゃん家」訪問2 レストラン「銀座つる」食事その1  群馬県アンテナショップ 

 銀座にやって来た。
 群馬県のアンテナショップ「ぐんまちゃん家」に移転リニューアルの後、初めて訪問した。
  ちょうど、お昼どき、ライチタイムである。同店の二階にあるレストラン「銀座つる」で初めて食事をする。
 既述の通り、歌舞伎座の真ん前にあった移転前の店舗では、レストランは無かった。軽食コーナーはあったかも知れないが、私の記憶の限りでは無かったと思う。
 

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 マスコットキャラクター「ぐんまちゃん」の着ぐるみが、やってきて、お店か県??の広報担当らしき人が付きそって、手を振ったり、パフォーマンスをしているのを横目に、レストランへの階段を昇る。
 「ぐんまちゃん」は、店の外に登場していいて、パフォーマンスをしているのだが、私達は横目に階段を昇ったのだった。レストランへの階段はコンクリート打ちっぱなしのような通路だ。

 レストランの名前は「つる」。群馬県の形が、鶴のように見えることが由来である。群馬は私のルーツのひとつなので、どんなに都道府県イメージランキングで群馬県が47都道府県中、40番台でも俺の中では、「つる」の形の群馬県は常識だ。「ぐんまちゃん」の姉妹キャラで「鶴ちゃん」をつくってもいいくらいだぞ!!
 群馬の料理といえば、「ほうとう」というか、「おっ切り込み」である。が、ここ「つる」では単品のおっ切り込みは無いようだ。
 事前にメニューは、ウェブサイトで確認済みだった。ランチでも「コース」が基本である。お値段は、銀座のランチとしては、平均的なお値段。(つまり、オレのような一般消費者にはお高めだ。)
 
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 「銀座つる」は高級店のようである。先の記事でも書いたが、移転を機にお店も高級路線となった感じ。
 コースの「榛名」は6,000円、「妙義」は3,000円、「白根」は2,000円。
  いずれも群馬県の山の名前から取ったコース名であるが、何故「榛名」が一番高いのかは不明。草津温泉に近く、標高も高い白根山からの命名と思われる「白根」が一番お安いコースである。
 
 二階の店の入口には、群馬県の形のレリーフがある。。「TSURU」と書いてある。「TSURU(つる)」の店名の由来となった通り、鶴の形をしているし、鶴のマークも表示されている。くちばしの部分に相当する地域が東で、栃木や茨城県に隣接している。


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 竹細工を内容に利用したような内装。落ち着いた雰囲気だ。

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 店内にあった半個室。

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 店内には、既に予約客がいた。20人以上はいるのではないか?。群馬県の同窓会であった。皆、群馬の学校に通っていた人達の団体のようだ。店内の中央部にある、大テーブルなどいくつかのテーブルの席を占めていたる。
 一般客は、壁際のテーブルに数組いた。団体客のにぎやかな話し声が、店内に響いていた。3人で入店したが、テーブル席が無いので、窓側に面したカウンター席に案内された。4人席のカウンターであるが、既に70歳台とおぼしき女性が食事をしていた。一人でもここにやって来て、食事をするということは、群馬出身か群馬県に深いゆかりのある女性ではないか?、などと考えながら私は着席した。
 案内してくれたのは、黒いジャケットと白いブラウス、黒いパンツを着用した若い女性であった。他の女性係員も同様の服装。男性係員は黒いスーツの上下である。「TSURU」は高級店らしく店の係員の服装もフォーマルである。 皆さん、団体客の給仕で忙しいそうだった。

↓ ビルの前の看板と通りの様子。
  「TSURU(つる)」のランチタイムは、午前11時半からとある。
ディナータイムは、18時から。特にディナーは、基本的にコースメニューであり、お値段もそれなりにする。
  看板に小さい書いてあるが正式には「銀座つる」であり、「TSURU」ではない。

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「ぐんまちゃん家」訪問1 移転リニューアル後、初訪問 群馬県アンテナショップ

 2019年3月 「ぐんまちゃん家」訪問1 移転リニューアル後、初訪問 群馬県アンテナショップ 

 春めいてきた。今年の冬は暖冬だったな。冬は終わり、春が始まろうとしている。しかし、桜の開花はまだである。そんなある日のこと、銀座にやって来た。
 群馬県のアンテナショップ「ぐんまちゃん家」に移転リニューアルの後、初めて訪問した。
 その後、同店の二階にあるレストラン「つる」で初めて食事をした。

 以前は、東銀座の歌舞伎座と道路を挟んで真ん前の角地にあった。いつぞやの年の正月だったか、秋だったかに訪問したことはあった。日比谷線の地下鉄駅からは近いので、築地、銀座の一等地であった。しかし、飲食店は無かった。2階にはイベントスペースがあったが、私が行ったときは何も開催していなくて、空きスペースとなっていた。
 その後、昨年の7月に数ブロック、銀座通りの方向にある現在地に移転してリニューアルした。しかし、なかなか、ここ群馬県が総力を挙げてプロデュースしたアンテナショップ 「 ぐんまちゃん家 」に来ることが出来なかった。
 場所は移転前のように銀座に近い大通りの角地ではない。新規オープンしている「銀座シックス」の一本通りを挟んで、すぐ近くである。この日は、日曜日とあって人の往来は少ない。銀座通りのすぐ裏手とはいえ、道幅が狭い通りに入口が面した立地だからかな。
 
 群馬といえば、「ほうとう」というか、「おっ切り込み」である。群馬は関東平野の北端部、利根川の恩恵があるにもかかわらず、米どころとしては、有名ではない。
 が小麦の産地としては有名かも。国産小麦は、全国の消費量から比べるとごくわずかの生産なのだろうが、群馬県の平野部を通ると6月頃には「麦秋」の風景を見ることも出来るのだ。
 よって名物なので、店内にもあるかなと探したがありました。何種類か、乾麺の「おっ切り込み」も販売している。同じく小麦を原料するうどん「水沢うどん」販売していた。
 移転前よりも「高級感」を出した品ぞろえである。以前の色々な商品を販売しているのではなく、ある程度品種を絞り込んで、値段のゾーンも上がり、「銀座にふさわしい」店づくりをしているのが判る。棚に並んでいる在庫の量も少ない。
 オレは、雑多の感じの店内、商品の方がいいかな・・・。オレには本来の「銀座」はふさわしくない、来る所ではないのかも・・・・

 一階、西側(銀座通りに近い方向)の入口近くには「カウンター」があった。夜はバー??になるのかな?。昼の子の時間帯は閉まっていて、無人であった。カウンターの近くの冷蔵ケースにはアルコール類は、日本酒などもある。と、一階のカウンター前に「ぐんまちゃん」がやってきた。お店か、県??の広報担当らしき人も同行しており、お付きの人々を従えての登場である。
 人どおりは少ないが、通りに出て、パフォーマンスを開始した。

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  ↓ ビルの南東側(銀座通りと反対側)入り口。看板がかわいい。「ぐんまちゃん、カワイー!!。」



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↓ ビルの前の看板と通りの様子。
  写真の奥、左手に新規オープンした銀座シックスがあるのだが、写っていない・・・・。

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御殿場アウトレット バレンタイン後の訪問 2019年2月下旬

 御殿場アウトレット バレンタイン後の訪問 2019年2月下旬

  佐野美術館を見学した後、三島から御殿場へ移動します。246(号線)ではなく、箱根の外輪山側、県道や広域農道を通ります。「時の栖」の近くも通過します。この道を通るのも久々です。
 行きに、この沿道にある店で「玉子」も購入した。おなじみの「杉山農園」の売店。
 御殿場のアウトレットに向かいます。寒い日だった。既に夕刻。一番端の立体駐車場に停めることが出来た。以前は、高速道路のガード、病院近くの駐車場に停めて、しばらく歩いてお店街に向かうこともあったが。  

 今年の冬は、暖冬といわれていた。確かに、今年は、というか、今年も自宅付近で積雪を伴う降雪はなかった。5年前に大雪が降って依頼、関東地方の南部の平野部では大きな積雪は無い。
 暖冬の影響で今年は特に富士山の積雪が少ない。御殿場のアウトレットにやって来て、夕景の富士山を眺めると、確かに積雪が少ない・・・。

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 アウトレット一番奥の立体Pから眺めた富士山。例年はもっと山腹が「真っ白」だが積雪が無いのが一目瞭然。

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 バレンタイン後の訪問とあって、やって来たのは「GODIVA」。
 最もバレンタインチョコに縁の無いヤローである俺様だよ。だから、終了した後にやって来たのだ


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 結構な種類のチョコが、程よいお値段でありました。

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 歩いて、駐車場まで移動。ここ数年工事が目覚ましく、新しい立体Pも完成していた。
  ゴルフ場脇の道路も拡幅工事が終了して、随分と広くなった。オープンから早くも20年経過した。
 お店も周囲の様子も随分と変わった。

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 その後、帰りました。最近は御殿場から246を使わない「下道」での帰路が定番になっています。


「REBORN 蘇る名刀」 佐野美術館 (三島市) 鑑賞6(最終、エピローグ) 

 「REBORN 蘇る名刀」 佐野美術館 (三島市) 鑑賞6(最終、エピローグ)  2019年2月

 静岡県三島市。佐野美術館へ初めて来館である。

  

 夕方の4時半を過ぎた。館の外に出る。
 外から外観を撮影しているおっさんがいる。入館のときも、太った中年の男が盛んに外観を撮影していたし。
 結構、外観を撮影している人も多い。よって、オレも他の刀剣男子、又は女子のSNSなどに姿がアップされているかも・・・・・。
 歩いて、Pに戻る。駐車している車もだいぶ少なくなった。
 館のそばに、梅の花が咲いていることに気付いた。まだまだ2月の寒い時期ではあったが、季節は花の季節、春に移ろうとしている。


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 庭園を歩いて戻る。

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庭園の端。付近の住宅地を撮影したつもりが・・・・、あまりよく撮影出来ていない・・・。

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 隣接する庭園は「隆泉苑」という。
 湧水の街、三島らしく、この付近から湧き出ているのであろう。


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 駐車場の近くに、別館の料亭らしき一角があった。「せせらぎ亭」とある。
 庭園がある。小川が流れていて、橋がかかっている。
 園内は、早咲きの河津桜??の花が咲いていた。

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 白い花は梅の花であろう。

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 駐車場に面した「松韻」の入口と看板。
 先程、美術館で展覧会を鑑賞していた人もこちらの駐車場に戻って来て、帰っていっていた。美術館の建物近くではなく、ここ「松韻」のPに停めたのであろう。
 私も再び車に乗って、帰った。

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「REBORN 蘇る名刀」 佐野美術館 (三島市) 鑑賞5(国宝 太刀 銘「一」など)

 「REBORN 蘇る名刀」 佐野美術館 (三島市) 鑑賞5(国宝 太刀 銘「一」など)  2019年2月

 ここは、三島市。佐野美術館へ初めて来館である。

 
 次の展示室に移動する。 この展示室は小さい。
 時期不明の焼身の刀剣の展示があった。
 次の部屋に国宝の刀剣の展示があった。順路最後の展示室であった。第三展示室である。「伝世の名刀」
 国宝「国宝 太刀 銘 一」の展示がある。ここ佐野美の所蔵の刀剣が展示されている。企画展の「REBORN 蘇る名刀」とは、直接関係の無い、通常の焼身、再刃ではない刀剣の展示がメインである。
 この部屋は、階段のからほど近い所にある。最初、二階に上がって来たときに間違って最初に入ろうとした・・・・。出口付近には、イスが、置いてあり、傍に図録が置いてあった。


 さて、第三展示室て゜あるが、入口付近のガラスケースに、平泉出土の刀剣の展示が2口あった。
 重要文化財に指定されている。「REBORN 蘇る名刀」での焼身、再刃の刀剣で重要文化財指定は、他に「義元左文字」だけだった。基本、焼け身となった刀剣、再刃された刀剣は、文化財指定は難しいですよね。
 平泉の刀剣、一本は「刀子」。小さい刀である。長さは15.5cm。柳之御所の井戸の跡から出土したそうだ。

 現代感覚でいえば、鉛筆や小道具を作製するとめに木材を削り出すような、「こがたな」だ。正滅によると「井戸仕舞い」で井戸に落としたらしい。つまり、井戸を閉じるときに、おまじないで小刀を落としたのだろう。
 鏡が展示品の奥においてあり、裏側の刀身が見えるようになっている。表面は、再研ぎされているが、裏はそのままで、青く錆びている。長年、水につかっていたのであろう。

ついで、同じく重文「長さ48cmの刀」。刀身にはやや「反り」があるのだが、かなり欠けている。刀身は太い。時代は平安時代と説明にある。
 刀身、茎もへこんでいたり、えぐれていたり。片面を研いだ。刃文は無い。「地沸は淡くつき・・・」と説明に書いてあったと記憶するが、「沸 にえ」がついているのだろうか?。
 鏡に映る裏は、黒くというか、深い青色に錆びて劣化して朽ちている。焼けたのではない。ざらざらした感じだ。平泉の金色堂の須弥壇から出土した、藤原秀衡の副葬品という。発掘品を片面だけ研磨したそうだ。文化財に指定されているので、研磨は現状を損なわないように細心の注意をはらったということが書いてあった。

 展示室の端に図録が置いてあった。2千円。
 国宝、銘「一」 は福岡一文字派の刀工のこと。「刃文は丁子が連なり、豪華絢爛である。」と書いてある。図録の解説によると長篠の合戦で、織田信長から、家康の家臣、奥平信昌、つまり娘の婿に与えられたそうだ。奥平家に昭和の初めまで伝来したそうだ。奥平家なので、中津藩主であった、奥平家のことであろう。現在は個人蔵。
 茎には「一」とのみ、シンプルな銘が刻まれている。刃文は、刀身のなかほどは、丁字が深くて、へこんでいる。茎に近い刀身の刃文は、丁字の幅が狭い。茎と刀身の境界には、金色の金属をはめこんでいる。三つ葉葵の紋がある。
 鑑賞を終えて、1階に戻った。展示の最初の部屋を少しばかり再び見るが、刀剣女子の新たな入館者もいて、ガラスケースの前には、人がつらなっている。

 ↓ ロビーの撮影コーナー。 幕の裏側が、ショップ。棚がうっすら、透けて見える。
  

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 1階のロビーは 撮影できるところがある。
 ショップは 刀剣の絵葉書ポストカードなどがある。絵葉書の背景は黒い。白銀色に刀身が浮き出すように撮影されている。ここの渡邊館長さんの刀剣に関する著書もある。刀剣グッズのキーホルダーなどもある。
 その他は、小もの類など。本館所蔵の重文「大日如来像」のポストカードも販売があった。
 

 外に出ると夕方4時半。入館締切の時刻となった。
 Pの警備員が2名いて、引き揚げしていた。美術館の建物の階段の上からPの様子を見下ろすことができる。付近は住宅地である。正門は表通りに面していない。よって、何回もこの付近は車で通行したことがあったが、美術館のことは気づかなかったのかも。いや、名前は見たことがあったが、「三島」の「佐野」美術館のことをあまり認識してなかったのかも。


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 入口付近の外観。

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庭園を歩いて、Pに戻ることにした。

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「REBORN 蘇る名刀」 佐野美術館 (三島市) 鑑賞4  2019年2月

 「REBORN 蘇る名刀」 佐野美術館 (三島市) 鑑賞4  2019年2月

 ここは、三島市。佐野美術館へ初めて来館である。

 
 日光東照宮宝物館に所蔵されている文化9年に火事で焼け身となった刀剣を見た。
 再刃された「正恒」、「国行」、「了戒」、「備前国住雲次」などである。


 続く、第三のガラスケースは、展示室の一番突き当り部分だ。
  関東大震災で焼けた刀が展示されている。徳川御三家のひとつ、水戸家の倉庫で保管されていたそうだ。再 
 関東大震災で焼けた刀剣は、この水戸家と彦根 井伊家の刀剣の展示であった。
 水戸と彦根といえば、幕末の安政の大獄、桜田門外の変などでお互い遺恨のある藩同士だったような・・・・・・。大正時代になって、ともに所蔵する刀剣が大震災で被災するとは何とも因縁がある。
 水戸家伝来の刀剣は、小石川の徳川家屋敷で保管されていたそう。大正時代は、徳川侯爵家。かつての水戸・徳川家の上屋敷、現在は小石川後楽園になっている。東京ドームや遊園地もかつての水戸家の屋敷の跡である。当時も引き続き水戸徳川家の屋敷であったようだ。伝来の刀剣は、旧領地の水戸ではなく、東京で保管していたのだ。
 真っ黒になっている刀剣の展示がある。「太刀 銘 包永」・・・兵部大輔 藤孝磨上之異号・・・という銘があるそうで、説明によるとその銘文の通り、細川藤孝から徳川家康に献上され、水戸家に伝わったそう。藤孝が磨上げた?、短くしてすり上げした?ことが刻まれている。煤のせいか、真っ黒である。
 ガラスケース内には「太刀 銘 光忠」 。水戸ではなく、尾張の徳川家でも光忠の太刀は所蔵されている。国宝に指定され、名古屋の徳川美術館で時折展示されるのであるが、この尾張の「光忠」は見たことがあるぞ。
 目の前に展示されている「太刀 銘 光忠」 は火事のためか、まっ黒である。備前 長船、福岡一文字派の刀工と説明がある。
 平のガラスケース内には「太刀 銘 国宗」がある。 同じく水戸ではなく、尾張の徳川家でも国宗の太刀は所蔵されている。国宝に指定されているが、尾張の「国宗」はまだ見たことが無いのだ。「国宗」は13世紀、鎌倉時代の備前の刀工で、人気が高いそうだ。

 彦根藩、井伊家の「短刀 銘 来源国次」と「刀 無銘 左」は再刃されている。鈍く刀身が光っている。刃文もある。しかし、茎(なかご)の部分は、焼けたときのそのままのようだ。共に再刃された時期は不明とのこと。
 大震災の火事で焼身となった後、ほとんどはそのままで保管されたそう。数本が再刃されたと説明にある。
 「太刀 正恒」・・・国宝に指定されている刀剣を別の所でも見たことがある。昨年の秋に、鎌倉 国宝館で国宝の正恒を見たが、同一刀工かな。刀工の銘は判読できなかった・・・。焼けたためか、赤茶色に錆びでいる感じ。
 「太刀 助平」・・・説明によると「備前三助」の一人で、つまり、名工ということ。
 「太刀 銘 宗近」もある。あの東博所蔵の「太刀 三日月 宗近」の刀工で、「三日月」は秀吉の正室、ねねの愛刀だったと説明にある。
 平ケースにも井伊家の焼けた刀剣の展示がある。「太刀 銘 国吉作」・・・やはり、茶色く錆びたような刀身である。

 秋葉神社の所蔵で、火事で焼けた刀剣の展示もあった。火事は時代がずっと下がって、昭和18年のことだった。佐野美術館と同じ静岡県の神社所蔵の焼けた刀剣ということで展示されているのであろう。戦時中なので、恐らく神職、氏子、地元山林関係従事者らは相当数が出征していて、境内地の管理、付近の山林の管理が行き届いていないのが大きい原因ではなかったか。しかも、金属は供出、化石燃料は不足し、薪を燃料とする自動車も当時登場していたそうだから、山林から木材の切り出しのため、多くの神社と無関係な人も付近で行動していたろう。よって、何等かの失火が大火になったのではないか。

 この展示室は、部屋の面積が一番大きかった。
 入館者であるが、刀剣女子世代も多いのだが、比較的年齢層は高い。本日、展示最終日ということもあろう。
 ざっと見ると室内は40人弱ではないか。男性も多い。15-16人くらいは男性。男性は老年、中年などが比較的多いような。若者の男はいないかな・・・、親と一緒に来ていた小学生くらいの子はいるが。女性の入館者は年齢層はバラバラ。10歳台から20歳台前半くらいの「刀剣女子」のコア世代??は4-5人くらいではなかったか。制服を着ている女子高生もいた。刀剣女子世代はあまり、多くはないと記憶する。20歳台後半から30歳台前半くらいの人が、1-2人くらい。40-50歳台くらいが5-6人くらい。明らかに60歳以上の女性は5人前後ではなかったか。比較的、刀剣女子がブームとなる前のここの館のコアな入館者世代も多く見学していたと思う。
 次の展示室に移動する。 この展示室は小さい。
 時期不明の焼身の刀剣の展示があった。
 太刀 銘 則宗 ・・・元々は公家の鷹司家に伝来したという。1693年?の折り紙によると代は金150枚?という。
 (具体的な値段表示は忘れた。)
 短刀 銘 行光 号 不動行光 個人所蔵 ・・・元々小倉藩の小笠原家に伝来したという。
 その号の通り、刀身には不動明王と両脇の二童子の姿が刻まれていた。背後の炎も刻まれている。1717年の本阿弥光忠の「折紙」によると金100枚と評価されているそう。焼けた時期も不明で、再刃した時期も不明とのこと。一見して、焼けた刀とは見分けがつかない。

 と先程、男性職員に色々聞いていた黒いタイツのオカッパ頭の女の子が入って来た。小さい部屋なので、話声が響く。引き続き解説付きで会話しながら、展示品を鑑賞している。やっぱり、ここの特別会員か研究関係の大学院生?兼刀剣女子かな??。
 次の部屋に国宝の刀剣の展示があった。順路最後の展示室であった。

 ↓ 玄関付近壁の表示。 ポスターと同じ画像である。
  太刀 銘 友成 平安時代 日光東照宮宝物館の画像だ。

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「REBORN 蘇る名刀」 佐野美術館 (三島市) 鑑賞3  2019年2月

 「REBORN 蘇る名刀」 佐野美術館 (三島市) 鑑賞3  2019年2月最終日

 ここは、三島市。佐野美術館へ初めて来館である。今まで三島には何回も来ているのに佐野美術館のことを知ったのは、ほんの3年か4年前のことだった・・・・。「刀剣女子」がブームのおかげです。


 明暦の大火で焼けた刀の展示に続き、長方形の展示室の、長辺、つまり長いガラスケースの展示品を見ていく。 お江戸の時代の文化年間の「日光の 東照宮」の火事のことについての解説ボードがある。
 「文化9年」に火事があって焼け出されたそうだ。西暦でいうと1800年以降、19世紀に入ってからの火事。明暦の大火からだと、150年くらい経過している。火事のときに奉納された刀剣を保管している箱を神官、輪王寺僧侶?(当時は神仏習合なので)らが持ち出ししたが、家康の遺品、歴代将軍が奉納した刀剣をはじめ、ほとんど焼けたそうだ。残ったのは、解説では書いてあったか?、その数は忘れたが、1箱くらいだったらしい??。
 (別室の国宝の展示があった展示室においてあった図録の解説文には、文化9年の東照宮火災では、徳川家の将軍などから、多数の奉納されている刀があった。火事のときは(保管していた)一箱5口(の刀)のみ持ち出しされた。残り200口の刀は焼けた。昭和58年から62年にかけて、再刃された。人間国宝など数名の刀工が、再刃を担当した、ということが書いてあった。)

 展示品は日光東照宮宝物館からの貸与品である。

 ガラスケースの前は、人だかりである。と、紺色の短いスカートに足は黒タイツ、ベージュのスブリングコートを着た女の子が入ってきた。学芸員らしき40歳くらいの男性職員?とともに見ながら色々聞いている。職員は、色々と説明して女の子とやりとりしている。話し声が目立つ。女の子は、学生か20歳台なかばくらいの年齢。なぜ、この人だけ解説付きで会話しながら、展示品を鑑賞しているのか、ちょっとわからない。専属説明ガイド制度があるのだろうか?、ここの何かの特別会員なのか、(年齢からして)何かの関係がある大学院生なのか?、ともかく特別待遇っぽかったです。

 壁沿いのケースとともに室内の平ガラスケースにも展示されている。「日光東照宮焼身茎押形集」という資料も展示してある。焼けた刀は「焼身」というらいく、そのまんまの呼び名・・・。刀剣の根本、茎(なかご)がわかるようにカタログのようにイラストを墨書したもの、見本だったと記憶する。
 太刀「一」の展示がある。備前一文字の太刀なので「一」。国宝の「一」の展示もある筈なのだが、この刀剣では無い。1663年に水戸徳川家の当主 光圀が奉納したものだそう。せっかく、奉納したのに焼身になってしまって・・・・。失火の責任は、当時誰ががとったのだと思います。
 太刀 銘「国行」、「正恒」、「助平」、「了戒」、「備前国住雲次」があった。特に「正恒」「国行」は、国宝に指定されている作品も鑑賞したことがあるぞ。いずれも再刃されていた。「助平」と言う名前が気に入ったが(苦笑)、「助平」は現存作品があまりない、名工らしいのだ。再刃したものとはいえ、大変貴重な名品とのこと。昭和61年に再刃されている。再刃は、「刀身」の部分を行うようだ。茎の部分は、焼けた後らしく、赤茶色になっているものもある。よって、「ああ、やはり火災に遭っているのだな。」ということが判る。
 再刃の年は「正恒」は昭和62、「国行」は、昭和61、「了戒」は、昭和58、「備前国住雲次」は昭和60年である。いずれも昭和の終わりころ、つまりボクが子供の頃に再刃されている。
 景気の比較的よい、安定した時代になって、文化財の刀剣を再刃して、保存しようという機運があったのではないか?。文化庁の許可も必要であったろう。再刃の刀工は、人間国宝の天田昭次氏と説明にある。
 再刃した後は 心なしか、刃文がうすくなっているような・・・。 

 エントランスにあった撮影コーナーの垂れ幕。 ↓
 キャラクターの背後の画像は、太刀 銘 作友成 平安時代 日光東照宮宝物館だ。
 茎の部分が焼けた後らしく、やや赤茶色になっている。

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 室内には監視員が1人いる。小柄の男性が立っている。「S」と名札をしている。てっきり、本館の創設者 佐野氏の子孫、つまり本館の運営財団の理事の一人かと思ったが苗字は違う。その看視員に盛んに質問をしている中年の女性がいる。若い女の子も盛んにSさんに質問をしている。Sさんも色々と解説を交えながら、答えている。
 私は刃文を見ながらメモを取ったりする。他の博物館、美術館と同様に鉛筆ならばメモをしても監視員は特に 注意されないようだ。
  「文化財は 現状保存が 前提・・・」と再刃したときのことをSさんは話をしていた。更に「×× 先生は・・・」と 再刃を担当した人間国宝の刀工の作風の特徴なども解説していた。「信長・・・」や「細川幽齋から ・・・」というような話もしている。

 上記したが「日光東照宮焼身茎押形集」は、茎(なかご)の見本が28口(書いて)あるという。展示されている平ガラスケースの3つのケース分のスペースをとって、ワイドに展示されていた。


 続く、第三のガラスケースは、展示室の一番突き当り。
  関東大震災で焼けた刀が展示されている。徳川御三家のひとつ、水戸家の倉庫で保管されていたそうだ。再 
 関東大震災で焼けた刀剣は、この水戸家と彦根 井伊家の刀剣の展示であった。
 


 ↓ 玄関付近の表示。 
  垂れ幕の掲載画像が、日光の火事で焼けとなった 銘 「助平」 日光東照宮宝物館所蔵であった。
  不動明王が持つ剣の形の溝が風間れているが、見事に再刃されていた。
  茎の部分は、あまり赤くなっていない。

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「REBORN 蘇る名刀」 佐野美術館 (三島市) 鑑賞2

 「REBORN 蘇る名刀」 佐野美術館 (三島市) 鑑賞2  2019年2月

 ここは、三島市。佐野美術館へ初めて来館である。今まで三島には何回も来ているのに佐野美術館のことを知ったのは、ほんの3年か4年前のことだった・・・・。「刀剣女子」がブームのおかげです。

 展示室は2階だった。高床式のようになっている。広い階段を昇ると2階の廊下に。長方形のコンクリートの建物、1階部分はエントランスと受付、高床式のような2階にある展示室の造りは、規模はかなり違うが奈良国立博物館のようだ。
 最初に常設展示を見る。小さな通路のようで、通路に沿ってガラスケースが設置されている。
 重文の 大日如来坐像が展示されている。仏像の展示スペースは、ガラスケースは無い。目の前に昔の仏像が展示されている。 平安 木造乾漆造と解説にある。隣に重文の蔵王権現像。所謂いまで見た蔵王権現と同じお姿の仏像だ。1尺くらいの像の高さかな。大日如来よりは小さい仏像だ。

 ↓ 料亭側の駐車場に設置されている看板に国の重文指定の 大日如来坐像

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 ついで、通路沿いのガラスケースには、花籠印籠など印籠がある。説明には19世紀、江戸時代とある。解説には蒔絵印籠と書いてあるが、黒い漆地の蒔絵?のようだ。かんざし?もある。かんざし?は、鼈甲のような飴色。矢立もある。小さい茶釜などのアクセサリがついていた。矢立についている小さい茶釜はつまり、墨壺になっているのだろう。

 「』」字状の常設展示スペースだった。ここ佐野美術館の創設者、佐野氏の個人収集コレクションの展示なのであろう。
 常設展示スペースを取り巻く(囲う)ように、企画展の展示室があることに気付いた。コの字にようになっている。
 ↓ 退出時に撮影した、佐野美術館の建物入口と外観。2階が展示室。

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 映像コーナーがあるが、設置されているテレビには電源が入っていなかった・・・・。ソファがあるので、しばし休憩。同様に見学者が休憩している。女性の二人連れなどの入館者がいた。
 映像室の隣は、展示室があり展示物も見えるのだが、退出してくる人のみ。順路最後の展示室のようだ。企画展の最初の展示室入口は階段を挟んだ別の所にあったので、その入口から企画展を鑑賞開始する。
 
 室内に入ると人が多いことに「おおっ」と感じた。館の外では、多くの人が出入りしている様子はないが、展示室内は被とが多い。ガラスケース内の展示品の前には、すべて人がはりついていて、鑑賞している。
 第一のガラスケース。長方形の展示室の「短辺」の部分。展示順番の最初にあたるので、ここから見ていく。

 最初の展示は「短刀 無銘正宗」 徳川美術館所蔵。「正宗」で有名なアノ正宗から展示開始。以前、国宝の「正宗」作品も同館で鑑賞したことがある。
  現在の「刀剣ブーム」が起きる前から「正宗」くらいは知識として知っていた。あと、妖刀として名高い、徳川=松平家因縁の「村正」くらいは知っている。ただ、正宗と村正は「正」の字は共通しているが、時代も住地も全然違う。
 展示を見ていったのだが、刃は光っていても、持ち手のところというか、茎(なかご)というのか、根元の部分が黒ずんている展示品が多い。展示のタイトルは「大坂城落城」。説明文には「豊臣氏の滅亡、大阪城の落城に際して、多くの刀剣も同時に焼けた・・・・・。」という意味の内容が書いてあった。
 次の展示は同じく「短刀 正宗」。こちらは、銘が彫刻されていて、判読できる。「相州住正宗」とあり、今の私と同じく、相模の国在住だ。俺は、言うなれば「相州住良月」だな・・・・

 説明では、細川家(つまり、細川幽齋)から豊臣秀吉に献上され、大阪落城の際に焼けたが、徳川家のものとなり、(刀工)の康継によって再刃され、御殿守?、御守殿?、に置かれたとある。同じく徳川美術館所蔵なので、戦利品として、尾張家に伝わったものだろう。茎の部分は赤茶色で鉄の成分が酸化して露出している感じ。銘は読める。

 別の短刀「銘 正宗」 徳川ミュージアム所蔵は「焼身」とある。企画展のパンフレットによると「やけみ」と読む。
 「徳川ミュージアム」所蔵なので、水戸徳川家に伝来した刀剣である。大阪の落城で焼けて、康継が再刃したが、1923年の関東大震災で再び焼身となったらしい。
 「康継」という刀工の名前が登場した。越前の刀工とのことだ。「脇差 貞宗」の焼けたものと、それを復元して、銘文を刻印した作品が展示されていた。。「脇差 貞宗」は、越前 丸岡の城主だった本多成重の所持した短刀。その短刀を越前の康継が写して、作成したものらしい。丸岡城は以前行ったことがある。「一筆啓上」でも有名だ。
 写しの短刀には「越前国康継」と刻銘されているのが読める。焼けた刀は錆びているというか、赤茶けている。刀剣は火災の高温でも溶解することなく、原型はとどめている。鍛造するときに高温で鍛えているので、一般の火災では溶解することが無いのだろうか?。

 説明には「再刃」という言葉が何回も登場した。文字通り、一度焼けた刃を直して刃文を復元するというか、造り直すという意味なのであろう。
 今回の企画展の名称にある「REBORN」とは、「現代に蘇る昔の刀剣」のことかと思っていたが、全く相違した。一旦焼けたが「再刃」して文字通り「再び蘇った」刀であったのだ。私は誤解していた。

 室内の柱の横に短刀の展示の独立ガラスケースがある。「短刀 銘 宗近」である。名古屋の徳川美術館の所蔵であった。独立したケース内の展示なので、特別な刀かと思ったが、特段印象に残る来歴は無かった。

 第二ガラスケース。
 まず「明暦の大火」の解説ボード。大火の説明には「・・・・・江戸城にも 飛び火した。 西の丸は類焼を逃れたが、このとき本丸、二の丸、三の丸が焼け、本丸天守閣も焼け落ちた。其の後、江戸城の天守閣は再建されなかったと書いてあったかは・・・・、忘れた。実際に、再建されずに現代に至っているし。

 この明暦の大火で焼けた刀が展示してあった。
 かの桶狭間の戦いのときに今川義元を討ち取ったという刀なのだそう!!。「桶狭間」といえば尾張の「信長」の戦いである。どうして、西暦で1657年、桶狭間から100年近く後の大火、しかも江戸の火事で焼けたのか?。
 重要文化財の「刀」、その名も由来からとって「義元左文字」 建勲神社所蔵。金象嵌で、「織田尾張守信長」と本当に彫刻されている。裏には「義元討捕・・・所持刀」とあるそうだ。一度、焼けたので、同じく茎の部分は赤茶色で鉄の成分が酸化して露出している感じ。再刃しても、根元の茎の部分は再刃していない。切る「刃」の部分ではないので当たり前か・・・。
 討ち取りに使用した後、武功を残すため、彫刻したのだろう。金色の文字は鮮やかだが、大火で焼けた後に再び入れたのだろう。説明によると由来は「豊臣秀頼から家康に渡り、徳川家が所蔵したが、明治時代になってから、信長を祀る京都の建勲神社に奉納された」そうだ。「刀」なので太刀のように刃は下向きの展示ではなかったと思う。








「REBORN 蘇る名刀」 佐野美術館 (三島市) 鑑賞1

 「REBORN 蘇る名刀」 佐野美術館 (三島市) 鑑賞1   2019年2月

 佐野美術館に初めて来ました。今まで三島には何回も来ているのに佐野美術館のことは知らなかったのだ・・・。知ったのは、ほんの3年か4年前のことだ・・・・。「刀剣女子」がブームとなり、関連して重要な刀剣を多数所蔵している佐野美術館が取り上げられるようになったからだ。
 特に昨年、京都国立博物館で開催された「京のかたな」展では佐野美術館の館長さんもテレビ番組で解説に出演された。よって佐野美術館がマスコミでも広く紹介されたのは記憶に新しい。最近まで知らなかったのは、本当に恥じるべきことだ。
 しかも当初「佐野美術館」は栃木県佐野市にあるのかとも誤認してしまい、実際の所在地、静岡県三島市と結びつかなかった・・・。本当にお恥ずかしい限りだ・・・。
 
 今回は、車で御殿場経由で三島に向かった。三島市街地の手前、新幹線の線路や東海道線のガードをくぐる道路は渋滞して、混雑している。三島大社付近の道路などを通過。久しぶりの三島だが、何回も来ているので慣れているぞ

 「市街地を南下し、修善寺への鉄道線路の踏切を渡る。と、道路沿いに「佐野美術館」と小さい看板がある駐車場に車を入れた。15時頃に着いた。
 Pには、車がたくさんある。「松韻」の料理店と併設であった。「なーんだ、いつも通っていた、この料理店の駐車場が、美術館の駐車場だったのか!!。」と改めて思った。三島のうなぎの店を探していたときに、この店の前は何回も通ったことがあった。特に「三島うなぎ」と看板は出していなかったので、今までここで食事をしたことは無い。「随分、車が停まっていて混雑しているお店だな。」という印象はあった。

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 駐車場(P)の端には美術館の案内看板があった。「ああ、本当にここにあるのだ。」と再確認に、なんだか安心(笑)

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 門のような通路があり「入口は、ここかな?。」と思うが、美術館自体は「庭園を抜けた先」と表示が出ている。 建物の脇の通路を通り、庭園へ。と、母と娘らしき女性二人が庭園を散策している。
 庭園から、料理店の店内の様子が見える。昼食時なので、店内は混雑しているようだ。庭園側はガラス張りになっていて、眺めながら食事ができるようになっている。
 事前にサイトで確認した通り、美術館は庭園に隣接している(というよりも庭園内にある)のだ。

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庭園から、料理店の建物外観

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 庭園を抜けるとコンクリートの建物が見えた。四角いコンクリートの高床式の無機質な建物。この日は企画展の開催最終日だ。またしても、最終日の訪問となってしまった・・・・。
 駐車場は館の建物の周囲にもあった。
 
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 階段を昇り、館内に。結構、観覧者が建物の外観を撮影している。美術館の建物に隣接するPは、表通りの道路とは反対の住宅地側から入ることができるようになっていた。「気付かなかったな。今までも、来ていればよかったな。」と思いつつ、階段上から目の前のPの様子と周囲の住宅地を見ながら入館した。
 と、ロビーには、小さいながらもショップがある。いましたよ~ここにも刀剣女子が。というよりも、既にここ佐野美(と以下略称する。)は「刀剣女子」の重要な聖地のひとつである。
 女子の入館者がショップに数人いる。皆、グッズなどを見ている。
 受付はメガネをかけ黒髪を後ろで束ねた黒いスーツ姿の女性が1人立っている。受付係員は1名のみで入館券の販売も「短刀」ならぬ、「担当」していた。1000円丁度の入館料金。千円札1枚を出して購入する。
 ロビーの柱には「(この企画展で) 二万人入館達成!!」と垂れ幕がかかっている。
 企画展「REBORN 蘇る名刀」の会期は、1月の上旬から休館日も含めて1ヶ月半くらいである。2万人という数字が多いか少ないのかは、何ともいえなはが、ここ佐野美では、恐らく空前の入館、鑑賞者なのであろう。 以前は、大勢の入館者が押し寄せる美術館ではなかったであろう。
 三島市内の他の観光施設と連携したスタンフ゜ラリーの台紙が置いてあった。しかし、スタンプラリーも本日が最終日であった・・・。よって、スタンプを集めることは不能だ・・・。でも台紙は貰った・・・。



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