良月(りょうげつ)の たび日記

神奈川県 湘南地区在住。折口良月(おりぐち りょうげつ)の神奈川、東京、静岡、山梨、長野など関東近郊地域への行楽、外出。美術館、博物館めぐり。その他国内旅行などお出かけの記録。

2019年05月

 

「新宿みやざき館 KONNE」2F レストラン「くわんね」 食事2 2019年5月

「新宿みやざき館 KONNE」2F レストラン「くわんね」 食事2 2019年5月

 新宿駅南口のすぐ近く、サザンテラスある宮崎県アンテナショップ「新宿みやざき館 KONNE」。
 2018年のリニューアル後、レストランが設置されてから初訪問だ。
 

 ランチタイム、13時過ぎに入店した。

 ランチで一番高い定食は1850円(税抜)。そこまで食べきれないので他のメニューを探す。「かつおめし定食」 1300円があった。初鰹と思ったが、まだ入荷していないといけないので、「冷汁定食」にした。「冷や汁」とはいうものの、刺身やチキン南蛮があるので注文した。刺身は、かつおのみがつくのかなと思ったが、「2品つく」とメニューには書いてある。チキン南蛮は「宮崎産若鶏使用」と書いてある。
 特筆すべきことに、ごはんは大盛 無料である。
 やはり、ランチメニューは「地鶏のみ」の定食は無い。しかし、地鶏の「親子丼」の定食はあるので地鶏を使用するメニューが全くない訳ではない。しかし、ウチの子のように卵とじが苦手な人(アレルギーという訳でもない)もいるので。(私は何でも食べるのだが・・・、育て方が間違っていたかな・・・。)

 程なくして料理はやってきた。

 「冷や汁は、よくかきまぜてごはんに掛けて食べて下さい。」と係の女性に言われる。

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 小皿に漬物とごはんのりがあるが、冷や汁に入れて食べた。冷や汁は「よくかくまぜて」ごはんのお椀に入れた。小鉢は、こんにゃくの ごまあえかな。
 と、目の前のカウンター内は板前が1人いる。更に奥のガラス張りの調理場もある。その内側に白衣の茶髪の 細心の若い女の子がいる。板前?でここで調理に入っているようだ。


 カウンターも木目の板を使用だ。これも飫肥杉であろうか?。
 徹底的に木と土にこだわっている内装。
 お水はレモン水のようだった。

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 バランスよく、チキン南蛮、かつおの刺身、冷や汁と食べることが出来た。

 
 


























「新宿みやざき館 KONNE」2F レストラン「くわんね」食事1 2019年5月

「新宿みやざき館 KONNE」2F レストラン「くわんね」1 食事 2019年5月

 新宿駅南口のすぐ近く、サザンテラスある宮崎県アンテナショップ「新宿みやざき館 KONNE」。
 全国の都道府県のなかでも老舗のアンテナショップです。お店を運営する団体の旧ウェブサイトによるとオープンは平成10年。リニューアルが平成13年。
 そして、更にリニューアルされたのが、お店のウエブサイトによると2018年4月のこと。以降、お店自体には、来たことがあったが、食事をしたことはなかった。
 今回は、リニューアル後のレストラン初訪問である。以前は店内に軽食コーナーという位置づけであった。本格的なレストラン形式ではなかった。しかし、軽食コーナーとはいえ、食事タイムでは混雑していたので、手狭感は以前からあった。
 2018年のリニューアル後、独立した本格的飲食店、レストランになったが、同時にメニューは大幅変更。以前、食べたこともある「地鶏焼きセット」というか、地鶏焼きがメインである定食は、新しいお店のウエブサイトによるとメニューに無い・・・。概して値段が上がっていて、メニューは(以前と比較すると)高級路線である。軽食コーナーから都心部の通常レストランにコンセプトが変更になっていた。

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 さて、平日の13時過ぎに入室した。あれれ、店外から入る階段があったかな??と、思い店の周囲を徘徊するが無かった・・・・・。以前お店に来たときに「次回は、2Fで食事をするぞ。」と2階への階段を確認していた筈がすっかり忘れていた・・・・・
 店内に2階への階段があった・・・・。1階のレストランへの階段付近には、ランチのメニューが置いてある。

階段をのぼる。内装は、茶色を基調している。石と 土のオブシセェらしき、壁面(店の公式サイトに掲載あり。)

 この日は、初夏の陽気。スーツの上着を着ていては暑いくらい。

 ピークタイムを過ぎたころに狙って来店した。すぐに案内されて、カウンター席に座る。私の着席したあとから、四人くらいのグループが来店してくる。彼らもすぐに案内されていた。店内を見ると、女性の1人客も2人くらいいる。その他、窓側にもカウンター席があり、1人で座っておる若い女の子のお客さんも。
 テーブル席は、おばさんおばあさん一定年齢以上の女性のク゜ループや2人くらいのお客さんが多いかな。木を基調している内装。 テーブルや カウンターの板も 木目を基調としている。
 スーツのサラリーマン風のお客は少ない。女性にお薦めのお店かな。女性が多く来店しないと賑やかにならないからね。オッサン向けの店づくりにしても仕方ないしね・・・。
 係の女性は、エンジ色の上下の作務衣のような服装。

本日の定食(のメイン)はは「刺身かつおとニブです」と言われた。「にぶ」は、何の魚かボクにはわからず・・・・
 店内は、賑わっている。来客者の話し声がたくさんする、店内に響く。店の係員は皆女性。エンジ色のような制服、作務衣をきて、忙しそうにしている。

 ↓ 内装は、「木」にこだわっている。宮崎県の「美林」であろう。
  2階のレストラン入り口を見上げる。

  店内に置いてあったお店のパンフレットには内装の木材は「飫肥杉」と書いてあった。

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 実は写真は撮影していないが、階段の踊り場の壁面には、地層を流れ星のように表現したかのような茶色の装飾がある。宮崎の大地、「土と木」にこだわっているモニュメント。詳しくは、お店のウエブサイトに画像が載っています。
 
 ↓ レストランの1階入り口階段の様子。

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特別展「国宝 一遍聖絵と時宗の名宝」 鑑賞4(最終)  京都国立博物館

2019年4月29日 特別展「国宝 一遍聖絵と時宗の名宝」 鑑賞4(最終)  京都国立博物館

 
  清浄光寺(遊行寺)の所蔵品である、「国宝 一遍聖絵」を中心とする特別展。
 2階にハイライトとなる、「国宝 一遍聖絵」が展示されていいた。順番に鑑賞していく。

 第6巻は、第1段の部分の展示。絵は三尺くらいの長さしかない。詞が長い。第6巻は例の「江ノ島断簡」として切り出しされた部分である。片瀬の浜辺で櫓を組んで、踊り念仏を行う(遊行する、というのかな。)のシーンであった。「江ノ島断簡」は写真パネルでしか見たことが無い。

 第7巻は、東京国立の所蔵品 独立している国宝である。前期は、全巻展示である。よって、途中で巻き巻きしていない。

 ↓ 館内は撮影禁止であった。
  画像は 2015年11月 東京国立博物館で公開された当時のもの。(管理者撮影)

 
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 ↓ 2015年11月東京国立博物館で撮影。 国宝「一遍聖絵 巻七」(管理者撮影)


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↓ 2015年11月東京国立博物館で撮影。 国宝「一遍聖絵 巻七」(恐らく)(管理者が撮影した)
   巻末に「補之・・・・当寺・・・」と記してある。国宝の現物だったか、別の作品だったか忘れた・・・。

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 第7段の踊るシーンは、まさに「ハイライト、クライマックス」ですね。
 巻7の流出した経緯も解説で書いてある。2015年11月にも流出の経緯を読んだと記憶している。「江戸時代に京都、西奉行所の役人が持ち出し、明治維新後は、税所子爵の手に渡り、更に原三渓が購入し戦後、東京国立に所蔵されることになった・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」そうだ。

 2階の展示室は、廊下やそこに設置してあるベンチからは、シー(see)スルーで1階の吹き抜けの部分の展示室を見下ろすとこができる。ベンチで座って休憩するが、付近には私以外に看視員しかいない。鑑賞者が少ないので、展示室内(といっても京都国立の2階の展示室は厳密に壁があるわけではなく、廊下とつながっている開放型の凹型展示室である。)のこれら国宝もほぼ独占で鑑賞できる。大型連休なので、皆、どこかに出かけてしまって、都市の「箱モノ施設」には来ないのかな・・・・。

 第8巻 舟に乗り海上に出るシーン。久美浜(鎌倉の近く、ペリー来航で有名なだったか、久里浜だったかな?、と誤解してしまった・・・・。)から舟に乗る。龍が出現する場面だ。まるで、クジラが海面に出てくるような感じだった。
 舟に乗って、日本海側、山陰地方の巡回となっているのだ。すると日本三景のひとつ、天の橋立も訪れていることだろう。現在の岩手県の祖父の墓も訪れているし、そのときに松島は行ったのだろうか?。
 次いで、第9巻  覚えていない・・・。
 第10巻 安芸の国に場面は移動する・・・。厳島神社の場面。今とほとんど社殿の様子は変わっていない。
 日本三景も場面に入っているのですよね。今から700年以上も昔の鎌倉時代でも参詣必須の風光明媚の場所であったのだろう。
 第11巻 阿波の国に上陸するシーン。ここで発病している。療養し、再び・・・摂津に渡るようだ。いよいよ最終のシーンは近い。
 第12巻の第1段と第2段が展示されている。
 いよいよ、一遍の死の場面に・・・・・・。解説には「臨終が近くなり、・・・・紫雲が立つ・・・・・」と死を予感させる。
 摂津の国、現在の兵庫県西宮市付近の神社で快癒を祈るシーンの描写である。
 臨終の場面は後期の展示であるので、前期では現物の展示は無い。巻いて見えないようになっていた。

 近代以降の複製も展示しているので、臨終の場面も見ることは出来、連続して鑑賞した気持ちになることができる。もっとも12巻については、遊行寺宝物館で会期の最後近くにて、末尾の部分を見たとこがある。
 今回の展示での解説でも、「一遍の臨終後、7人の信者が(あとを追って)入水した・・・・。」という文章があった。現代感覚では何とも怖い結末である・・・・。

 2階に展示してある絵巻を最終の第12巻まで鑑賞した。
 途中、一遍が廻った諸国の日本地図が掲示してある。順路は現在の西日本が多い。東日本、鎌倉や陸奥の国にも足を運んでいるが、伊予の国の生まれで、少年の頃に大宰府に行き、熊野に行き、摂津で没しているので諸国の布教というか、巡回は西日本が中心である。
 時計をみると18時3分前。鑑賞を終えた。この辺で切り上げようと余裕をもって、1階へ階段をおりる。やっぱり、1階を先に見ておいて正解でした(笑)。

 18時に閉館の案内となった。1階のエントランスの売店(つまり、ミュージアムショップ)で少し商品を見て退出。
 
↓ 18時過ぎに、平成知新館を退出した後、京都タワー方面。
  GWに来たときに、以前も書いたと思うが、この季節、ツヅシがきれいに咲いている。

 
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  屋外に設置さていた看板の拡大。 次回、秋まで特別展が無い。
 10/12(土曜)から「佐竹本 三十六歌仙絵 王朝の美」の予告。

 
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 閉館直後の門前の様子。西日本、京都は関東と違って、18時でも全然、関東地方よりも明るいぞ。
 雨が強くなってきた。この後、夜半にかけて強い雨となった。

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 あーあ、歩き疲れた。ふたたび、京都駅に戻る気力が無い。傘をさし、七条駅に向かって緩い下り坂を歩き、七条駅の地下に潜った。
 (おしまい。)

 

特別展「国宝 一遍聖絵と時宗の名宝」 鑑賞3  京都国立博物館

2019年4月29日 特別展「国宝 一遍聖絵と時宗の名宝」 鑑賞3  京都国立博物館

 
 1階からエレベータで昇る。3階に来る。入室して展示を鑑賞開始。本来は、ここからスタートであるが、先に1階を見た。3階の入口付近には看視員がいない。昨年秋の「京のかたな展」では、ここ3階のフロアには、あんなにたくさんの人がいたのに・・・・・・・・・。

 1階の館内の表示には「第4章」 「歴代遊行上人と遊行 時宗の広まり」と第5章「時宗の道場とその名宝」と書いてあった。しかし、展示のスタートである3階の展示の章や展示テーマは忘れた・・・・。(あとで、博物館だよりで確認したら第1章は「浄土教から時宗へ」だった。)

 最初の展示は、遊行寺(正式には清浄光寺)の「空也上人立像」。これは遊行寺宝物館に展示してあった。入口のガラスドアを入ってすぐのケースにあった。室町時代の作品というのに、文化財指定が無いことを不思議に思ったものだ。「空也上人」を尊敬といか、崇拝というか、時代は違うが一遍の理想、目標とした人物であったから。
 次いで 壁のガラスケース内の展示を見る。重要文化財「二河白道図」。重要な作品のようだ。島根県の萬福寺所蔵。描け軸のようになっている仏画である。仏が2人いる。川が輪がれている。赤い河と黒いというか、紺色の河が画面上から斜め下に描かれている。火と水を現して、阿弥陀様と釈迦を描いているようだ。特別展のパンフレットにも画像が掲載されているので、時宗と阿弥陀信仰というか、浄土の教えに関して重要なものなのであろう。
 ついで、浄土宗の祖、法然の画像。二尊院の所蔵。紅葉でも有名なお寺であったかな。しかし、顔料が剥落していて、法然上人のお顔は判別しにくい。
 
 二番目の展示室に。
 真教上人の像がある。重文、福井のお寺の像。最古の真教像という。真教上人についての展示が多い。つまり、一遍の没後、時宗を広めた上人に焦点をあてて、展示、解説しているからであろう。
 上人の坐像、肖像画(頂相というのかな・・・。)は、いくつも展示されていたので、どこにどの坐像、画像が展示していたか、覚えていない。記憶があいまいで、間違って書いているかも・・・・。主に1階の奥の展示室では、木製の坐像、三階などでは、画幅の画像、西洋的にいえば肖像画の展示だったかな。

 二階に階段を下る。国宝 一遍聖絵はこのフロアのガラスケースにて公開されている。
 奥の展示室は重文指定、のちの時代の制作になる一遍上人縁起絵(絵巻)の展示だったと思う。ざって見て、移動した。

 国宝の展示されているガラスケースの前に来る。
 一遍、時宗に関連する年表を掲示している。「一遍は 伊予の国の生まれ」と解説がある。改めて、一遍が伊予の国(現在の愛媛県、松山市道後のあたり)の生まれであることを認識。今年の正月に道後温泉に行ったときにも改めて認識したのだ。
 第1巻の第1段が展示されている。詞の部分と絵の部分の巻物が開いていて、途中から丸まって見ることができようようになっている。
 現在は冒頭の部分の展示。
 今は「前期」の展示期間、「全段」公開ではないので、「後期」に展示場面替えをするのである。
 
 続いて、隣のガラスケース。第2巻の第1段と第2段が展示されている。4尺くらいの絵が開いているといったところかな。段詞は「文永十年」と年号が書いてある書き出しだったような・・・・。
 絵の場面は「伊予の桜井で、聖戒と別れる場面」である。つまり、現在の今治市、西条市のあたりの桜井海岸付近でのシーンということだろうか。故郷の、松山市道後付近からはやや離れたところにある地名。
 聖戒については、以前遊行寺宝物館での展示でも解説を読んだことがある。しかし、詳細は忘れた・・・。 
 特別展のパンフをみると、「伊予の奇岩の山」ではしごをかけて断崖山頂の社にのぼって修行する一遍の姿が紹介されていた。しかし、ボクの記憶にはあまり残っていない。奇岩の周囲の山の緑青の顔料の緑色が鮮やかだったと記憶はしているが・・・・。

  第3巻は第1段の展示。後期の展示は第3巻の「第2段と第3段」の展示という。巻によって、長さが違うので、均等に前期と後期で半々展示で巻物を広げるという訳ではない。
  特別展のパンフにも画像掲載があるが、熊野権現の参詣のシーンである。熊野本宮大社の長方形の、平地にある境内と建物の配置の描写が印象的である。舟をりて、3つある社殿のうちのひとつにお参りするシーンだったかな??。一遍の参詣当時は当時の熊野川の中州部分に造営されていた境内の描写で、現在のように山の中腹に造営された現在の社殿では無い。
 この個々のシーンは以前見た印象も残っていて、覚えている。特に熊野には行ったことがあるので、身近だ。
 公開されている部分の末尾には、那智の大滝も描いてある。

 第4段は絵が三尺くらい公開されていたかな。「備前福岡」のシーンだ。すっかり、刀剣女子のおかげもあって福岡の地名の由来、大名 黒田氏の発祥の地、太刀「福岡一文字」でも有名になった。
  第5段は、東国へのシーン。下野の国のシーンと白河の関を越えて、自分の祖父の河野××の墓へお参りする絵の場面である。以前、この付近の場面は遊行寺宝物館での公開時に説明も含めてじっくり見たので、今回は軽く見て先に歩く。

 ↓ 屋外に設置されていた看板の拡大。 
 
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 閉館直前の館内の様子。日が長い。外は18時でも余裕で明るい。
 
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特別展「国宝 一遍聖絵と時宗の名宝」 鑑賞2(と安祥寺 新指定国宝 拝観) 京都国立博物館

2019年4月29日 特別展「国宝 一遍聖絵と時宗の名宝」 鑑賞2(と安祥寺 新指定国宝 拝観)  京都国立博物館

 1年前の4月は、「池大雅」の特別展。そして、昨年の秋は特別展「京のかたな」。それ以来の訪問だ。
ロビーに入ると比較的、すいている。昨年の秋の「刀剣女子」の熱気は無い・・・。展示室は1階から見る。通常は「3階から見るように」言われるが、いつも1階で「時間が無い 無い!!」とせわしく見ているので、今回は1階から先に鑑賞することに。 
 1階の天井の高い、吹き抜けのスペース。先程、時別公開で拝観した安祥寺所蔵の今年(平成31年度)新規指定(答申)の国宝の仏像「五智如来坐像」2体が展示してある。「国宝」の表示になっている。先に東京で3体見た。京都で2体、合計して5体すべてを拝観した。坐像で、蓮の花のような模様を施した円形のような台にのっかっている。台坐は彫刻がほどこされているので、厳密には、円ではないのだが。
 その他の広いスペースには同じく仏像の展示がある。

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 1階の奥の展示室に。坐像が展示してある。歴代の時宗の上人様の木像である。展示は、真教上人の木像がが中心のようだ。特別展のパンフレットにも画像が掲載されているし。
 時宗を広めた功労者として、著名なのであろう。遊行寺を相模の国、鎌倉郡(のちの藤沢の宿場町付近)に開創した呑海上人の像は無かったと思う。藤沢の遊行寺宝物館で、呑海上人の話を聞いたことがあるもので。

 館内の表示には「第4章」 「歴代遊行上人と遊行 時宗の広まり」と第5章「時宗の道場とその名宝」と書いてある。しかし、展示リストには、章や展示テーマは書いていないので、分かりにくい。

 1Fの壁にあった大きなパネル。上に真教上人坐像の画像が掲載されている。
 
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 上人の坐像では、広島県のお寺の所蔵品も展示されていた。常称寺と西郷寺である。現在、本山のある神奈川県の蓮台寺や京都のお寺の所蔵の像も展示されている。神奈川や京都のお寺に所蔵されているのは、わかるが、どうして広島県のお寺の所蔵なのか?。常称寺と西郷寺広島県でも尾道市のお寺である。海上交通の要衝で、商業の栄えた尾道では、時宗も広く信仰されたのだろうか。

 ついで、南側の例の広い部屋に。展示室に入ると長い平ガラスケースに絵巻物が展示されている。入室してすぐに「人が少ない・・・・。」と感じた。展示室内には、私以外に2人くらいしかしない。すらっとした主婦らしき女性の観覧者が私の順路の前に一人いて、あともう一人のみ・・・。更に、紺色の制服姿の女性看視員が1名・・・・。これほど空いている特別展は、ここ京都国立では初めてである・・・・。1つの展示室に渡しと看視員を含めて4名くらいしかいない。
 時宗と京都はその発祥、布教などの歴史的経緯では密接な関係があるが、現代においては「関東が本山の宗派」であり、寺院の数が多い禅宗や浄土真宗でもないので、マイナーであることが動員入館者にも影響しているようだ??。
 ガラスケース内の絵巻物は、浄阿上人絵伝や重要文化財「遊行上人縁起絵(金光寺本)」。それぞれ、16世紀、14世紀の古い絵巻物であるが、絵の彩色は鮮やかだ。街や村落を布教して歩いている様子の横に長い絵巻物である。
 
 1階を順番に展示を見学していく。
 有名な後醍醐天皇の肖像も展示されていた。昨年、展示室内には、私以外に1人と紺色のスーツの看視員1名が廊下側に座っているくらい・・・。昨年、藤沢の遊行寺宝物館で、見たのだが、もっと人はいた、あのときは。「限りなく国宝に近い重要文化財・・・・」という解説だったのに、ここ京都でのせっかくの特別展であるのに、鑑賞者が少ない(別の時間帯や日にちでは、混雑していたかもいれないが・・。)。
 次いで各地のお寺の所蔵の文書、道具類、仏像、仏画の展示がある。阿弥陀如来、地蔵菩薩の仏像が多い。よって、本尊などこれらの仏像を信仰していたのであろう。

 次いで、係員にいつも言われるように「三階に」行くことにした。すているので、エレベータで昇る。
 三階に来ると展示が始まる。
 
 入り口ケートの通過時から入館者が少ないと感じていた。入り口付近では、人がいないので入館後、すぐに振り返って撮影できた。今までは無かったことだ。
 
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 平成知新館に歩いたときも入館者は少なかった。
 ツツジがきれいだな~。

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特別展「国宝 一遍聖絵と時宗の名宝」 鑑賞1 京都国立博物館

2019年4月29日 特別展「国宝 一遍聖絵と時宗の名宝」 鑑賞1 京都国立博物館

 京都 山科「安祥寺」と「毘沙門堂」の春の非公開文化財特別公開(特開)の見学を終え、山科駅に戻って来た。既に夕方の4時過ぎ。残るは、夕方の時間帯まで開いている「国立博物館」でしょう
 山科から16:26発のJR電車に乗り、京都駅に移動。最初は、地下鉄で三条京阪まで行き、乗り換えていつもの七条駅で降りるのかなあと一瞬思ったが、山科と京都は5分程度だし、多少歩いても(バスの方がよかったかも・・・。)時間は早いかなと考えた。
 山科側の地下改札を出る。いつもの、地下鉄乗換口の近くだ。工事も完成して久しい。地下街を抜けて、地上に上がり、バスには、乗らず歩く。バスを待つよりも、歩いた方が速いよ。オレの場合は。

 鴨川の橋の上より。「京都国立博物館」へゆるやかな坂を登る。特別展にやってきたぞ。 
 曇りがちではあったが、ポツポツと雨が降って来た。
 
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 ↓ ポルタの地下街から、地上に出た。


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 私にとっての「平成最後の春の京都散策」のトリを飾るのはココ京都国立博物館(笑)。
 時刻は16時55分ころ・・・・。東博の年間パスを窓口で提示して、1300円で入場券を購入する。本来は1500円。すべての国立博物館で年間6回まで特別展で使用できた年間パスが廃止されて久しい。
 入館したのは(お庭を歩いて平成知新館に)16時57分だったかな?(笑)。
 なんやかんやで、京都駅から京都国立博物館の平成知新館入館まで徒歩で20分以上かかった。(かなり早足でも。)標準時間としては、30分はかかるな。

 今回は京都のみでの開催。会期は 「6/9まで」である。前期での入場だ。この日は、金曜と土曜日の夜間開館日ではないため、18時で閉館。よって、見学可能時間は約1時間である。

 今回は東京、関東地域でのでの開催は無い。なぜ「京都のみで開催」と私が強調するのかというと、2015年の秋に神奈川県の遊行寺宝物館で「国宝 一遍聖絵」の「全巻公開」の展示が開催されたのだ。あのときは、ウチから自転車で見に行った。他にも金沢文庫や神奈川県立歴史博物館でも分散展示開催があった。東京国立博物館では、その所蔵で別途国宝指定されている「第7巻」や関連文化財も展示された。
 よって、国宝 一遍聖絵の全部の場面(「全段」と呼んでいる)はともかく、12巻すべて一度は見たことがあるのだ。 


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  2015年の全巻公開からわずか2年半で、再びの全巻公開となった。国宝の12巻の全巻が公開されるが、一度に全場面、つまり「全段」が同時公開では無い。あと、東京国立博物館の所蔵で別途国宝指定されている「第7巻」も展示される。(前期に。後期展示は12巻のうちの遊行寺所蔵国宝のうちの1巻。)

 当時の私の記事から引用するが新聞の地元版の記事では「・・・・準備は9年前から始められ、(一遍聖絵の)「全巻同時公開」は初めてのことで、「恐らくこれが最初で最後の全巻公開になるであろう。」とのこと。」と書いてあったのだ・・・・。
  しかし、たった2年半での再びの「全巻公開」となった・・・・。あのとき言われていた「最初で最後・・・・」ではなかった・・・・・・・・・、ということは、これからも「全巻公開」は、時折あるでしょう
 自宅から一番近い国宝ですね。次に近いのは川端康成旧蔵(現在は川端康成を記念する財団法人所有)の国宝である。もっとも「鎌倉大仏」の方が、やや手前かな。。。
 「一遍上人絵巻」と以前は、記憶していたが、実際の国宝指定名称は「一遍聖絵」であり、今回の特別展でも「一遍聖絵」となっている。「しょうえ」ではなく「いっぺん ひじりえ」である。

百舌鳥・古市古墳群「古市エリア」へ⑥ 誉田八幡宮 国宝 拝観続編 2018年春 大阪・京都桜のたび11

百舌鳥・古市古墳群「古市エリア」へ⑥ 誉田八幡宮 国宝 拝観続編 2018年春 大阪・京都桜のたび11

 今年も再び、タイトルの如く京都、大阪(及び神戸も)などを旅する機会を得た。
 ※ 記事を書いているのは「2019年」のこと。旅行記は「2018年4月当時」のものである。
 
 応神天皇陵古墳の南に鎮座している誉田八幡宮(こんだはちまんぐう)にやって来た。土曜日午後。境内にある拝観庫の鍵を開けて頂き、国宝などの収蔵文化財を拝観する。
 (「誉」は本来旧字体であるが、便宜上「誉」を使用する。)


   国宝の神輿の画像。「放生橋」の横にあった告知版の写真を拡大撮影した。
宝物の画像は、同八幡宮のサイトに掲載されている。(リンクは貼らない。)

  塵地螺鈿金銅装神輿(ちり じらでん こんどう そう しんよ) 1基 


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 壁に寄せて安置してあるので、正面と横面は見えるが、反対面は見えない。屋根やその上の鳳凰は金属製である。神輿の布のうえには、円形(実際は八角形)の鏡の装飾が吊り下げられている。神輿の屋根の四隅にも装飾を吊り下げている。
 螺鈿細工がなさめている。本当に細かい装飾というか、金工細工がされている。文化財の指定名称のように金銅製なので、やや黒ずんでくすんで見えるのであろうか。

 入り口のところに待機してる若い職員氏に聞く。「9月15日の大祭では、この神輿が応神天皇陵古墳の橋を渡って、敷地内に入るのですか?。」と。さすがに国宝の神輿は、使用せず、今は別の神輿を使用しているそう。現在使用する「橋を渡御する神輿」は、別の保管庫に保管しているそうだ。
が渡ることを「渡御」と書いてある。国宝の神輿を実際に使用していたのは「江戸時代かそれよりも前?」かずっと 「源頼朝が奉納した神輿」ということだった。八幡宮のパンフにも書いてあるが、この付近はかつての河内国(かわちのくに)で、河内源氏が拠点とした場所。よって、河内源氏に連なる(多田源氏だったかな?。)頼朝が奉納したのだろう。とにかく、源氏の故地ということで。

 重文の螺鈿の鞍もあった。昨年、京都の国立博物館の特別展「国宝」で見た、永青文庫の国宝 鞍に似ているような。
 入口に近いガラスケース内にもう一つの国宝の展示があった。金銅透彫鞍金具(こんどうすかしぼりくらかなぐ) 2具。
 うち、ひとつは京都の国立博物館の特別展「国宝」で展示されていたので、見た。普段は、このガラスケース内に保管されているのね。と妙に納得。ガラスケースは、博物館のように大がかりで頑丈そうなものではなく、ここでは簡単に持ち運びできそうな、ショーケースのようなもの。神社などが自力で国宝、重文など指定文化財を保管していくのは、大変なのだなと思った。国宝といえども神社の所有物だし、それを永年にわたって保管、維持していくのは並大抵では無い。火災や盗難の恐れもあるし。

  金銅透彫鞍金具などは、隣接する応神天皇陵 陪塚丸山古墳から発掘されたものであった。錆びたような鉄製の出土品の展示もあった。説明によると「鹿角装刀残闕、鉄鏃、鎧等残闕」というらしい。じっと見入っていると職員氏は「これは、隣の応神天皇陵から発掘されたもの(で、誉田八幡宮に伝わっているもの)です。」と説明をしてくださった。
 「きぬがさ形 木製品」もいくつか展示してあった。「応神天皇陵周濠出土 古墳時代」である。
 貸切状態で、一通りの拝観を終えた。靴をはいて外に出て、階段を下る。

 誉田八幡宮の拝観庫の様子。
(付き添いの職員の許可を得て撮影。)
↓ 

 
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見学を終えて、退出。扉を閉める前に、「撮影してもいいですか。」と確認し、開いているところを撮影。
扉の内側には、ちゃんと「宝物拝観 拝観料400円」と書いてある。扉の外側には一切表示は無いので、わからなかった・・・・。
「ありがとうございました。」とお礼を述べて、辞去する。お陰様で貸切拝観できました
職員氏は、扉を閉めて、鍵をガチヤガチャとかける。次の団体客が来たときに、再び開扉するのであろう。


↓ 誉田八幡宮の南門をくぐって、退出した。


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 境内の南側。壁の内側に拝観庫があった。
 舗装されていない、道路のような空地が門の外、壁に沿ってあった。地面が白っぽい土なので「西日本」とわかる。関東と関西や西日本は土の色が違うのだ。ドス茶色や黒っぽい、関東土(このような言葉があるか不明だが)を見慣れた人は違和感があるかもしれない。
 よって、春から夏にかけての晴れた日は、土が反射して明るく、時には反射して眩しく見えるのだ。
 
 

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近鉄古市駅に向かって歩いた。
(おしまい。)

百舌鳥・古市古墳群「古市エリア」へ⑤ 誉田八幡宮 国宝 拝観 2018年春 大阪・京都桜のたび10

百舌鳥・古市古墳群「古市エリア」へ⑤ 誉田八幡宮 国宝 拝観 2018年春 大阪・京都桜のたび10

 今年も再び、タイトルの如く京都、大阪(及び神戸も)などを旅する機会を得た。
 ※ 記事を書いているのは「2019年」のこと。旅行記は「2018年4月当時」のものである。
  (「誉」は本来旧字体であるが、便宜上「誉」を使用する。)


 「応神天皇陵古墳」と誉田八幡宮は、丸い石橋、放生橋で繋がっいた。応神天皇陵古墳の南に誉田八幡宮は鎮座しているのだ。境内は、ほぼ東西に細長く伸びており、ほぼ南北にある前方後円墳の形式の同古墳の南の一角を占めている。周囲は宅地化が著しい。

 国宝の拝観情報は、ウェブサイトで事前に調べた。しかし、個人の作成と思われるサイトには、拝観時間帯が土曜日の13時から16時と書いてあったりする。八幡宮の運営するサイトや羽曳野市の観光サイトには、一切時間については書いていないので、詳細は分からない。
 (いずれも、私がも見た限りであるが。)
 八幡宮の拝殿にお札所というか、お守りを販売している窓口があった。「国宝は拝観できるのですか?。」と聞いてみた。すると、窓口にいた人は「はい。えー、今日は出来ますよ。」と言った。やはり、土曜日のみのようだ。その旨は、書いてないので、わからない・・・・。
 「このあと、団体が来ることになっているので、少し待っていただければ一緒に案内しますけど大丈夫ですか?。」と聞かれ私は「はい。」と答える。「案内は出していないが、やはり見に来る人はいるんだ。」と思った。
 しかし、すぐに「やっぱり、先に案内しましょう。いいですよ。」と言われる。先に案内していただけることになった。
 400円の料金を支払い、神社の案内パンフレットを貰う。すると、「今、鍵をとってくるので待っていて下さい。」と言われて、拝殿の近くで待機。待っているあいだ、お札所付近の掲示物などを見たが(拝観庫の国宝の拝観案内は)書いていなかったと思う。
 カギを持って、その方が戻って来た。大きな鉄製のカギである。私服姿の若い男性。学生くらいの年齢。神職の息子さんではないかな、と思った。
 こちらですと、男性のあとについて境内を歩く。「どちらから、いらしたのですか?。」と聞かれる。私は「神奈川県からです。」と答える。言葉のアクセントで関西人ではないことは、すぐに分かるのであろう。
 完全な「関東弁」なので。ボクは。
 すると、案内されたのは、先程見たトイレのそばの拝観庫であった。鍵を開けている間、外で待つ。


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 鉄の頑丈な扉が開いた。内部には、収蔵品がある。
 てっきり、高床式の納蔵庫かと思ったが、違った。くつを脱いであがるようになっている。拝観する人は他にはいない。しかし、時折拝観に人が来るようだ。この日も団体がもうすぐ来ると言っていたし。申し出すれば、決まった日に拝観は可能なようだ。看視用のイスも内部に設置してある。
 拝観庫内は、1室のみで天井が高い。入って、目の前に大きな、山車のような車がある。「だんじり」でそう。昔は、使用していたが、今は使用していなくて、ここに保管しているのだそう。
 だんじりの装飾はほとんど外してあるようだ。車輪と持ち手と台がある。だんじり、そのものは特に文化財指定は無い。
 室内を反時計まわりに見ていく。入って、向かって右手の壁から見る。ガラスケース内には重要文化財「誉田宗廟縁起」が展示してあった。複製と書いてあったと思う・・・・・。解説によると年代は「室町時代」と書いてあった。神社(八幡宮)のお祭りの場面などのページが開いてあった。展示品がオリジナルであったか、複製であったかは、忘れた。壁には、パネル複製で縁起絵巻の場面が展示してあり、パネル解説があったかな?。 壁には八幡宮の解説の年表も展示されていた。たしか、この重文の現物は、2013年の東博「大神社展」では、展示されたと思う。
 ここから、持ちだして、貸し出しして、東京に輸送して、博物館に展示されたと思うと、感無量です。
 次いで見て行く。壁面には、重要文化財のお面の展示がある。「舞楽面」の陵王、陵王。男性職員のお話では、祭礼のときにお面(重文指定の面をつけるのかは、聞かなかったが)をつけて舞楽を奉納するそう。
 拝観庫の左端に国宝の神輿があった。
 見ている間は、シーンとしている。職員の若い男性は入口のところに立って待機している。扉は開け放したままである。外気に触れている。
 

 
  国宝の神輿の画像。「放生橋」の横にあった告知版の写真を拡大撮影した。

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 告知板。(前掲) 「放生橋」と国宝の神輿と秋季大祭の説明が書いてある。
 
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 「9月15日の大祭では、神輿が応神天皇陵古墳の橋を渡って、古墳の敷地内に入る・・・・。」と先に見た説明には書いてあった。」橋を神輿が渡ることを「渡御」と書いていた。待機している若い職員氏には、さすがに「とぎょは・・・・。」と知ったかぶっては聞いていない。・・・・・

誉田八幡宮の拝観庫の様子。
(付き添いの職員の許可を得て撮影。)
↓ 
 
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百舌鳥・古市古墳群「古市エリア」へ④ 誉田八幡宮 参拝 2018年春 大阪・京都桜のたび9

百舌鳥・古市古墳群「古市エリア」へ④ 誉田八幡宮 参拝 2018年春 大阪・京都桜のたび9

 今年も再び、タイトルの如く京都、大阪(及び神戸も)などを旅する機会を得た。
 ※ 記事を書いているのは「2019年」のこと。旅行記は「2018年4月当時」のものである。
 
 2019年5月 百舌鳥・古市(もず・ふるいち)古墳群が、世界遺産に登録されることが、確実なった。

 その「古市エリア」にある、応神天皇陵古墳に行った。同古墳の周囲をぐるりと歩いて誉田八幡宮(こんだはちまんぐう)の敷地に入った。
  (「誉」は本来旧字体であるが、便宜上「誉」を使用する。)

 同古墳と八幡宮との間には、「放生橋」の説明板が設置してあるった。放生川という川が陵墓と八幡宮の間にあり。古来からは同古墳と八幡宮が密接な関係にあったことがわかった。
 毎年、9月15日には八幡宮の大祭が行われ、八幡宮の神輿が応神天皇陵古墳の橋を渡って、敷地内に入るのだそうだ。橋を神輿が渡ることを「渡御」(とぎょ)と説明板には書いてあった。

 誉田八幡宮の境内地を歩いて、国宝の公開場所を探す。特に告知は出ていないし、案内看板も無いようだ。
 境内から一般道に出たところ、道路を挟んで別の場所には、高床式のコンクリート造の収蔵庫がある。鍵は固く閉ざされていて人はいない。周囲は、鉄柵が設置されていて、厳重である。というか、草刈などの掃除をしている人はいる。「ここに国宝があるのかな。」と思ったが、公開している様子は無かった。
 現在では、境内は細いながらも公道が通っていて、いくつか敷地が分かれていることを知った。普通に一般の車が通っている。


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↓誉田八幡宮の門の前。境内図では「南大門」とあった。
来たときは、この門を入らず、向かって左に歩いて時計回りに応神天皇陵古墳の周囲を歩いた。



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国宝の公開場所を探して歩く。
と「誉田八幡宮の層搭」という看板があった。

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更に「拝殿」があった。人は出入りしていない。袴姿の神職の男性が境内地を竹ぼうきで掃いている。


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どこかな、と一旦門の外に出たり。ぐるぐると歩きまわった。
↓ 門の外側から境内を見る。

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本殿の手前の参拝殿というのだろうか、左近の桜があった。桜は既に散ってしまっている。
4月中旬では、既に葉桜である。

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対して、右近の橘もあった。

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 境内においては、あまり撮影をしなかったのであるが、駐車場の付近には、公園もあって、遊具が設置されている。近所の子ども達が親に連れられて、遊びに来ている。平和な「土曜日の午後」の風景だ。
「境内案内図」の大きなスチールの看板もあるが、特に国宝の公開については、触れていない。
 先程外観のみ見た、高床式の収蔵庫は納蔵庫と看板に書いてある。もうひとつ、境内地には、子供達が遊んでいる公園に近い場所にも収蔵庫のような鉄筋コンクリート造のやや床の高い建物があった。「拝観庫」と看板には書いてある。ただ、床高が納蔵庫よも低い。「ここかな?。でも違うなあ。」と感じた。拝観している人が出れもいない。扉は鉄製で頑丈そうである。固く扉は閉ざされている。拝観庫に隣接して別棟のトイレもあって、自由に利用できるようになっている。

 時折、飛行機が飛ぶ音が聞こえる。
 伊丹空港への進入路である。八尾付近から、大阪城の東方上空、新大阪駅のど真上を結ぶルートで飛行機は、高度を下げて伊丹空港に着陸するのである。羽田から伊丹空港へ飛行でも機内の窓から見える風景は、このルートであった。

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百舌鳥・古市古墳群「古市エリア」へ③ 応神天皇陵~誉田八幡宮 2018年春 大阪・京都桜のたび8

百舌鳥・古市古墳群「古市エリア」へ③ 応神天皇陵~誉田八幡宮 訪問 見学 2018年春 大阪・京都桜のたび8

 今年も再び、タイトルの如く京都、大阪(及び神戸も)などを旅する機会を得た。
 ※ 記事を書いているのは「2019年」のこと。旅行記は「2018年4月当時」のものである。
 2019年5月 百舌鳥・古市(もず・ふるいち)古墳群が、世界遺産に登録されることが、確実になったというニュースが飛び込んできました!!!!!。 「祝 世界遺産登録 確実」
 「ユネスコの諮問機関のイコモス(国際記念物遺跡会議)が「百舌鳥・古市古墳群」を世界遺産一覧表に記載するよう勧告した・・・・。」

 世界遺産の構成資産は、応神天皇陵古墳のみではなく、小さい古墳(まさに古墳群である。)も含まれているとの報道であるが、訪問した当時、私は応神天皇陵古墳以外の古墳には、全く注目しなかった・・・・。よって、撮影もしていないので、画像も無い・・・・。

 宮内庁書陵部古市陵墓監区事務所の近くの道路に面して、「応神天皇陵古墳」と付近の古墳についての解説板が設置してあった。 誉田八幡宮所蔵の出土品についての解説と写真もあった。(前日の記事に掲載済み)


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 宮内庁書陵部古市陵墓監区事務所の敷地内にある応神天皇陵古墳の遥拝所には、入らなかった。惜しまれることをした・・・・。登録1年前の段階では、観光客は皆無であった・・・・・(言い訳)。
ただし、本当に宮内庁書陵部古市陵墓監区事務所の敷地内に入ることが出来るのか、確認したことは無いので、要確認である。世界遺産に登録勧告後は、入場制限が設けられているかも知れないし。最新の規制は、わからない。
 
 古墳の周囲をぐるりと、歩く。他に拝観できる場所があるかも知れないと推測したからだ。しかし、結局そのような場所は無かった。宮内庁書陵部古市陵墓監区事務所の管理する応神天皇陵古墳の濠の周囲のすべてに道路がある訳ではない。むしろ、濠に面しては一般住宅もかなりある。応神天皇陵古墳の濠のそばに近づく箇所も無い。
 時計周りに、西から東に歩く。近くには、高速道路の高架もあり、防音壁があるのだが、ゴーとひっきりなしに車の音が響いてくる。 よって、高速道路から古墳を確認すること出来ない。
 古墳の周囲を、ほとんど道明寺駅に近い方まで歩く。観光で歩いている人はいない。住民が普通の日常生活をしている。住宅の前では、子供達が遊んでいたりする。土曜日なので学校が休みなのである。お父ちゃんは、軒先で車の洗車をしていたり・・・・。
 誉田八幡宮近くまで歩いて戻ってくる。と、応神天皇陵古墳の東側に、視界が開けている土地があった。グラウンドか駐車場??のようだ。墳丘が見えるが、普通の丘のように見える。古墳の濠はあったのか、途切れているのかは、忘れた。

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やがて、道路を歩いて誉田八幡宮の壁沿いまでやって来た。古墳はもはや、視認することは出来ない。神社の壁に隠れてしまう。道路を挟んで東側、近鉄の線路側は住宅地である。



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 誉田八幡宮(こんだはちまんぐう)の敷地に入った。先程は八幡宮の門をくぐらず、古墳沿いに歩いて一周(ただし、古墳を周回する道路は無い。)してきたので、戻って来た恰好だ。
 敷地内の一角には、丸い石橋があった。応神天皇陵古墳を拝むことが出来る。ここは、宮内庁の敷地ではなく、八幡宮の敷地。応神天皇陵古墳は前方後円墳であるので、八幡宮は「後円」、つまり丸「〇」の部分の頂点、端にあたる。「後円」なので、円の部分のがうしろというのは、不思議だ。「方」の部分が前とは分からない。パッと見、円の頂点が正面のように思える。
 誉田八幡宮は、応神天皇陵古墳の祭祀のため、古代に創建されたのではないかと思った。(詳しい由緒は知らないが。)以来、現代に至るまで、古墳に隣接して、鎮座しているのだ。


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 すると、宮内庁書陵部古市陵墓監区事務所の敷地と対極にあることになる。応神天皇陵古墳の遥拝所が、「前方」の場所にある意味が理解できた。仁徳天皇陵も同様ですね。

 橋の傍らには、告知板がある。「放生橋」の説明が書いてある。
 濠ではなく、放生川という川が陵墓と八幡宮の間にあるそうだ。

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9月15日の大祭では、神輿が応神天皇陵古墳の橋を渡って、敷地内に入ると書いてある。橋を神輿が渡ることを「渡御」と書いてある。「とぎょ」と読むのであろう。

誉田八幡宮の門の前の敷地。
↓ 
 
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 誉田八幡宮の南門の前。
先程は、この門は、入らず、向かって左に歩いて、時計回りに古墳の周囲を歩いた。
神社の門のような朱色塗りではない。瓦屋根の立派な門。元々は、お寺の門であったと説明に書いてあったと記憶する。



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百舌鳥・古市古墳群「古市エリア」へ② 応神天皇陵古墳 2018年春 大阪・京都桜のたび7

百舌鳥・古市古墳群「古市エリア」へ② 応神天皇陵 訪問 見学 2018年春 大阪・京都桜のたび7

 今年も再び、タイトルの如く京都、大阪(及び神戸も)などを旅する機会を得た。
 ※ 記事を書いているのは「2019年」のこと。旅行記は「2018年4月当時」のものである。
 2019年5月 百舌鳥・古市(もず・ふるいち)古墳群が、世界遺産に登録されることが、確実になったというニュースが飛び込んできました!!!!!。 「祝 世界遺産登録 確実」
 「ユネスコの諮問機関のイコモス(国際記念物遺跡会議)が「百舌鳥・古市古墳群」を世界遺産一覧表に記載するよう勧告した・・・・。」
 登録勧告の一年前に訪れていた私は「先見の明」があった!?。

 道路に沿って、普通の街を歩く。「誉田八幡宮」の見学は14時から?のようなので、まだ時間があるため、歩いて応神天皇陵の方面へ。
 応神天皇陵は、観光地ではない。宮内庁管理の天皇陵である。よって、私が現地を歩いたところ、案内看板のような標識は道路沿いにはなかった。
 誉田八幡宮の付近の住宅地を歩いて、天皇陵と思われる方向へ。と、自動車が頻繁に通行する道路に再び出た。羽曳野市役所の庁舎もあった。天皇陵と市役所は近くであった。
 道路の視界が開けて、天皇陵と思われる木に覆われた丘とかつての古墳の濠らしき、空地というか、田というか、窪地のような土地が見える。
 ここで撮影すべきだったのだが、特に撮影はしなかった。あとから、わかったが、古墳を側面から眺めるのには、この市役所沿いの道路の歩道付近が最適だった。
 このときは、別に見るところがあると思っていたので・・・・。観光でやって来ている人は、ボク以外に出れもいない。量販店はあるし、部活帰りの高校生が自転車で通ったり、普段と変わらぬ日常である。
 
 

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  応神天皇陵に向かって歩く。本当に世界遺産候補があるのか、と思ってしまう。
 と、川沿いの住宅地の中の道をあるくとフェンスで囲まれた事務所のような建物があった。
 

↓ 「宮内庁書陵部 古市陵墓監区事務所」の表示が出ている。

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 歩いて来た遊歩道から「宮内庁書陵部 古市陵墓監区事務所」の敷地を見上げる。


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自動車道路から更に曲がり、川沿いの歩道を歩く。古市駅からこの付近まで、15分-20くらいだったかな。遠い。何の変哲もない、日本のどこにでもあるような住宅地。

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 「宮内庁書陵部 古市陵墓監区事務所」に至る前、
川沿いの遊歩道においてある、プランターに「世界文化遺産を大阪に」「百舌鳥・古市古墳群」の表示があった。
「応神天皇陵まで0.3km」と距離も示している。
 やっと「やはり、ここでよかったのだ。」と確信した。これ以外に、古市駅からの道中、世界遺産に関する表示は見なかった。
(あくまで、私が歩いてみた限りの範囲で。羽曳野市役所内に行けば、何らかの世界文化遺産指定に向けた情報は得られたかもしれないが。)

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 プランターの花はポピーですかね。ケシ科の花だったかな。
 4月から6月にかけて咲いたと記憶する。
 宮内庁書陵部 古市陵墓監区事務所の敷地内には、入らなかった。「立入禁止」とは書いていないので、入ることは出来たかもしれない。遥拝所が敷地の中にある筈なのだが、だれも人がいないし、不審者扱いされても嫌なので、入らず。別のところから、陵墓、古墳を見ることができないか、と更に歩いた。

 宮内庁書陵部 古市陵墓監区事務所の近く、道路に面して、「応神天皇陵古墳」と付近の古墳についての解説板が設置してあった。
 誉田八幡宮所蔵の出土品についての解説と写真もあった。

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百舌鳥・古市古墳群「古市エリア」へ① 2018年春 大阪・京都桜のたび6

百舌鳥・古市古墳群「古市エリア」へ① 2018年春 大阪・京都桜のたび6

 今年も再び、タイトルの如く京都、大阪(及び神戸も)などを旅する機会を得た。
 ※ 記事を書いているのは「2019年」のこと。旅行記は「2018年4月当時」のものである。

 そして、2019年5月 百舌鳥・古市古墳群が、世界遺産に登録されることが、確実になったというニュースが飛び込んできました!!!!!。
 「ユネスコの諮問機関のイコモス(国際記念物遺跡会議)が「百舌鳥・古市古墳群」を世界遺産一覧表に記載するよう勧告した・・・・。」
 登録の勧告の一年前に、たまたま訪れていた。「先見の明」があったのか!?。
 2018春の旅行では、特別公開、特別拝観をメインに見学したのであるが、「目玉」となるような公開は限られる。よって、どこか行くところは無いかなあと探した。(モチロン、ネットで・・・・。)
 「世界遺産登録暫定リスト」に登録(今もこの呼称が使用されているかは、確認していない。記憶の範囲で記載する。)されている古墳群が大阪にあることは知っていたし、「誉田八幡宮」所蔵の国宝は土曜日の午後に一般公開があるというので、両方の見学を兼ねて訪問することにしたのだ。
 誉田八幡宮の国宝、重要文化財は博物館の特別展などで見たことはある。博物館にも所蔵文化財を貸与公開をする方針の神社なのだろう、ということで行ってみることにした。
 「百舌鳥・古市古墳群」のうち、「百舌鳥エリア」の古墳、仁徳天皇陵は教科書に必ず写真が載っているし、知らない人はほとんどいないのではないか?。大変有名な古墳なに、未だ見たことが無いので、行ってみようかと思ったが、今回は割愛した。先に、関空からの電車で古墳の付近は通った(実際は南海の駅からの方が近いのであろうが。)のだけど堺市の観光は「ミュシャ館」のみの見学となった。

  大阪市内の道修町から移動した。「道修町ミュージアムストリート」を歩いて、淀屋橋駅に。地下鉄で天王寺に。近鉄に乗り換え。
 一旦、改札を出る。天王寺駅のコンコースというか構内は人が多い。「あべのハルカス」と隣接しているしね。近鉄の改札に歩く。近鉄阿倍野橋駅に。「あべのハルカス」は近鉄系なので近鉄阿倍野橋駅に隣接しているといった方が正しいかも。
 近鉄阿倍野橋駅から電車に乗るのは、初めてかも。橿原神宮前駅や近鉄名古屋駅方面の近鉄線特急は、阿倍野橋駅始発ではなく、近鉄なんば駅、上本町駅からだったかな。吉野方面は、ここ近鉄阿倍野橋駅始発だったと思う。
 急行列車が発車するところであったので、乗る。やがて20分くらいで、古市駅に到着。高校生がのっていたり、学校が休みなので、私服姿の中学生くらいの子が乗っていたり、全くの日常生活路線。
 道明寺から古市付近の近鉄線は古墳群などをぐるっと大回りするように線路が敷設されているようだ。
 
 誉田八幡宮に向かって歩く。
↓ 神社の看板が出ている。


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上の写真の手前、道路標識。
堺市方面に曲がり、歩道を歩く。古市駅からこの項さてまで、歩道が一部狭くなっている所もある。車の交通量も多いので注意が必要。道は元々狭かったが、現在は拡幅されていて、今も区画整理工事をしているようだ。

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古市駅で下車した。駅は何の変哲もない普通の駅。
古墳への道路を歩いていても、看板の地名や電話番号を見なければ、どこの街なのかもわからないであろう。
「埼玉郊外の某所」、「千葉県の某街」といっても判らないであろう。

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 駅の東口付近には、観光案内所のブースもある。観光案内のメインは「百舌鳥・古市古墳群」である。案内の係員もいた。

 ※ 2018年4月に私が訪問したとき、1年後に世界遺産に指定が勧告されるとは、思いもよらなかった。観光案内所も2019年は、大忙しとなることであろう!。

 (誉田八幡宮からの帰りに撮影。)

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大阪 道修町ミュージアムストリート 散策② 2018年春 大阪・京都桜のたび5

大阪 道修町ミュージアムストリート 散策② 2018年春 大阪・京都桜のたび5

 4/14
 今年も再び、タイトルの如く京都、大阪(及び神戸も)などを旅する機会を得た。
 昨年は、大阪の「造幣局桜の通り抜け」の桜がちょうど見ごろであったので、メインだったかな!?。今年もほぼ同じ時期の旅となった。
 
※ 記事を書いているのは「2019年」のこと。旅行記は「2018年4月当時」のものである。

  大阪市内中心部 道修町。武田科学振興財団の「杏雨書屋」の展示室と特別展示室を見学した。
この付近は「道修町ミュージアムストリート」と呼ばれている。
 この日は土曜日なので、スーツ姿の人は少ないな・・・、と思いつつ、時刻は昼近くになって来た。朝早く出たので、眠いは、腹は減るはで・・・・・。
 

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 杏雨書屋(つまり、武田薬品本社)の道路を挟んで反対側に、目立つお店を見付けた。前回来たときも、この店は目立っていた。この日、土曜日であるが、開いているので、昼食を食べることにした。
 「やまや」という店名。
 

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 ランチの定食のセットを注文。
 高菜、明太子がついているので、魅力的(笑)。

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 値段は千円。魚の定食にした。から揚げのセットもあるが・・・揚げ物はヤメておこう・・・・・。
 明太子と高菜は自由にとって食べることが出来る。高菜は好物なのでありがたい。

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 夜は、明らかに居酒屋の店。私はカウンター席に座った。店内には、大テーブルもあって、大人数で着席できるようになっている。やがて、若い男女が何人もまとまって入って来た。皆、スーツである。ほぼ全員、グレーや紺色のシックな色のスーツ姿。女性は皆、一様にパンツスーツ。この日も仕事のようだ?。もしかして武田科学振興財団の特別見学会か講演会に来た人達かなと思った。
 「高菜、明太子」そして、夜間は「もつ鍋」がメインのようなのだが、各地に店舗はあるが、福岡市内には無いらしい。よって、大阪中心のお店かな

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 早めの昼食をとり、次に向かった。

大阪 道修町ミュージアムストリート 散策 2018年春 大阪・京都桜のたび4

 大阪 道修町ミュージアムストリート 散策 2018年春 大阪・京都桜のたび4


 4/14
 今年も再び、タイトルの如く京都、大阪(及び神戸も)などを旅する機会を得た。
 昨年は、大阪の「造幣局桜の通り抜け」の桜がちょうど見ごろであったので、メインだったかな!?。今年もほぼ同じ時期の旅となった。
 
※ 記事を書いているのは「2019年」のこと。旅行記は「2018年4月当時」のものである。

 
 堺市駅の駅前広場近くのビル内にある「ミュシャ館」を見学。再び電車に乗り、天王寺駅に。地下鉄に乗り換えて、北浜駅に。大阪市内中心部にやって来た。
徒歩で、道修町に向かった。地下鉄の駅からは、やや遠いので何分か歩いた。武田科学振興財団の「杏雨書屋」の展示室と特別展示室を見学した。
  武田薬品の本社ビルがある、この付近は「道修町ミュージアムストリート」と呼ばれている。案内のパンフレットもある。昨年来たときは、見学する時間が無かったので、今回こそは、ということでやって来た。
 しかし、地名の文字が読めない。最初は「としゅうちょう」かと思い込んでいた。「道」を「と」とヨミ、濁点にならないのが、ポイント(笑)。
 「どしょうまち」とは、よそ者には、まず読めない・・・・。せめて「どしゅうちょう」かと思ったのだが、見事に「ブー」

 杏雨書屋の後、お隣の製薬会社の展示室を見ようとする・・・・。

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 しかし、この日は土曜日なので、休室・・・、と思いきや、外に見える看板には、「ガラスごしの見学」という。ビルの中は、立派な広い天井の高いエントランスであるが、入ることは出来ない。平日でも入館不可であった。
 杏雨書屋は、特別展示会の開催中だったので、開室しているのを知って、道修町にやってきたので休室は仕方無いと思ってきたが、元々入れず。
 

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↓道修町ミュージアムストリート の案内看板。
 同じ内容のパンフも配布されているので、杏雨書屋で入手した。
元々は大阪製薬株式会社を明治29年?に設立したそう。

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 大日本住友製薬展示室である。ガラス張りのエントランスと展示室。ガラスごしに、お隣の武田薬品、杏雨書屋の入居している建物が見える。
 当時の工場の模型が、ガラス張りの展示スペースの角地に展示されていた。
 「海老江製薬所」と書いてある。

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 「民間初の最大規模・最新鋭の製薬工場を建設」
とパネルに書いてある。明治時代に現在の福島区海老江に工場を建設したので、「海老江製薬所」。

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 明治17年にドイツから輸入されたという、蒸溜缶の実物。

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 日本薬学の父、長井長義博士についての解説と、展示スペースの様子。「DSP ギャラリー」と告知してある。
「P」はファーマシーの意味でしょう。(多分)

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 地下鉄の淀屋橋駅に歩いた。途中、田辺三菱製薬のビルもある。史料館があるのだが、休み・・・・・・・・・・・・・。最近の製薬会社も合併したり、外資が入ったり、買収されたりと、合従連衡が激しい。国際化、グローバル化の波であろうか。それでも、国内製薬会社は海外の製薬メジャーと比較すると規模は圧倒的に小さいという。神奈川県内にも製薬会社の工場、研究施設などがあり、再編、一部移転したり、外資が入って会社名が変更になったり、施設を新築したりしている。子供の同級生で親がその会社に勤務していて、遠方に転勤になった人もいた。事業拠点が変わり、神奈川県内の工場勤務ではなくなったという・・・。
 昔ながらの薬商のままでは、現代の情勢に対応できないということなのでしょうか。
 道修町は北浜と淀屋橋の駅の中間付近なので、駅まで少々歩いた。
 土曜日なので、スーツ姿のサラリーマンは少ない。スーツを着ている人は就職活動中の学生かな。

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関西空港到着  2018年春 大阪・京都桜のたび3

 関西空港到着  2018年春 大阪・京都桜のたび3

 4/14
 今年も再び、タイトルの如く京都、大阪(及び神戸も)などを旅する機会を得た。
 昨年は、大阪の「造幣局桜の通り抜け」の桜がちょうど見ごろであったので、メインだったかな!?。今年もほぼ同じ時期の旅となった。
 
※ 記事を書いているのは「2019年」のこと。旅行記は「2018年4月当時」のものである。

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 手荷物は無いので、すぐに制限エリアの外に出た。空港ターミナルビル内のお店もあるが、まだこの時間帯では開店前である。国内線の制限エリア内では、人が少なかったが、ビル内の到着フロアには、人が多い。若い人が多い。ロビーで集合している。団体で出かけるのでしょうか?。
 と、広いガランとした広場があった。以前は、国内線用の航空会社のチェックインカウンターがあった筈。伊丹に回帰しているため、国内線用のカウンターエリアがガランとしてしまっているようだ。
 
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「KIX GALLARY」と表示している。万博誘致のバネル展示コーナーとなっていた。
国内線が伊丹に大幅に復帰していなければ、本当はもっと人が多かったと思う。伊丹は昨年秋に来たときもターミナルビルが工事中だったな。伊丹は再整備中のようだ。

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ビルの外に出る前、吹き抜けで。
写真の先の方向は、国際線の到着ロビーだった思う。昔は、ハワイに行って、ここに帰って来たよ。まだ小さかった子供も帰国時の記念撮影をこのロビーで行ったよ。あのときの写真は今でもアルバムに保管してあるよ。



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 久しぶりの関空ターミナルビル内を撮影した。

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 ビルの外に出た。電車で大阪市内方面に向かうことにする。
 道路には、「リムジンバス」の表示があり、バスが行き来している。「あれ、空港の様子は、こんな感じだったかな。」などと思い出しながら、駅に歩いた。

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どんどんターミナル内に人が向かっている。

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ビルの裏手には、二期島と滑走路があるので、見えるかな、と思ったが、道路の高架の影になるのか、わたしの見たところ、全然見えない・・・・。よって、広大な関西空港島の全貌を見ることは出来なかった。
「以前と変わらないな・・・。」という感想。

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電車の駅に来た。南海線とJR線の2つの路線がある。JRの改札の方がターミナルビルから見て、奥にある。すっかり、忘れていた。駅の案内所では、外国人も多い。並んで切符を買っていたり??している。


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 電光表示を見ると、もうすぐJRの快速列車が出発する。急いでホームに。
  8:51発の関空快速で空港駅発。
 すいている。

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 関西空港橋にかかる。空港島と滑走路、その奥のターミナルビを見ながら、島から遠ざかる。

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 鉄骨の影に隠れて、景色の撮影はうまくできなかった。
 ゴトンゴトンと音を立てて、空港島から遠ざかる。

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 橋を渡り、本土側に来る。りんくうタウン駅でも乗車降車がある。航空管制官などの学校である、航空保安大学校はこの駅の隣接地にある。それらしき、建物は車窓から見えた。観覧車もあるし、アウトレットもあるはずだ。
 日根野駅経由、阪和線に。9:25 鳳駅。堺市駅にて降りる。駅前広場近くのビル内にある「ミュシャ館」に向かった。



羽田空港から関西空港へ  2018年春 大阪・京都桜のたび2

 羽田空港から関西空港へ   2018年春 大阪・京都桜のたび2

 4/14
 今年も再び、タイトルの如く京都、大阪などを旅する機会を得た。
 昨年は、大阪の「造幣局桜の通り抜け」の桜がちょうど見ごろであったので、メインだったかな!?。今年もほぼ同じ時期の旅となった。
 
※ 記事を書いているのは「2019年」のこと。旅行記は「2018年4月当時」のものである。
 
 ↓ 到着したKIX 関西空港のターミナルビル内。

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 7:10発の関西空港行。7:13に早くも機体が動いたが、滑走路までは時間がかかる。離陸したのは、7:30少し前ではなかったか。窓側の席ではないで、隣の人ごしに少しだけ、窓の外が見えるが、すぐに雲の中となった。
 シートベルトサインが消えると、私はコンビニおにぎりを取り出して、ささやかな朝食の続き
 その後、寝た。でも、ドリンクはしっかり貰う(セコイ)。雲の上を飛んでいて、下界の景色は見えないようだ。


 ささやかな眠りの後、目がさめた。時計をみると時刻は8:18。窓の外を見ると晴れている。高度も下がっているようだ。旋回すると海が見えた。眼下に友ヶ島が見える。加太付近の上空のようだ。転回するときに、2期島も見えた。埋め立てが完成し、関空の滑走路は現在2本ある。以前見た関空島の風景ではない。更に島が大きくなっている。
 機体は更に高度が下がる。関西空港に南側から着陸した。進行方向右手に、紀州と泉州の境の山々が見える。関西空港に着陸するのは、久しぶりだ。「以前は、(関西空港から)国際線にも乗ったな。」などと思いだした。滑走路は1本の空港であった。あの時見た、山々の風景と何ら変わっていない。オレは、歳を重ねたよ。
 着陸したのは、8:28頃。滑走路から、そのまま誘導路を走行し、8:32には、早くもターミナルビルの前に着いて機体はとまる。皆、一斉にシートベルトを外すので機内には、「カチャ、カチャ」といつもながら、音が響く。やがて「・・・・ディスアームドにしてください。」とアナウンスが。
 機体の一番後ろの席なので、しばらく待つ。3-3のシートなので、通路も機体の真ん中の1本のみ。人の流れにまかせて、飛行機を降りる。
 ターミナルビル内に。

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 「久しぶりのカンクウ(関空)だ。」と張り切って撮影を開始する。
 関空橋が見える。晴れているが、霞んでいる。関東地方から東海地方までは雲がかかっているようだ。関西地方は晴れている。

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 今回は、元々あった滑走路に着陸。現在は二期目の工事が完成し、滑走路が2本の巨大空港となっている。
 B737の機体であるが、本来は小型機といわれるが、こうして見ると大きいな。

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 ターミナル内部はすいている。人が少ない。
 これから、出発という機はこの付近には無い。国際線が中心だからであろうか。国内線は再び伊丹中心に写っているようだ。

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 曲線を描いたガラス窓のビルと鉄骨。本当に飛行機の翼のようだ。昔のニュースでは「レンゾ・ピアノ氏のデザインに決定・・・・」などと報道していたようなことを思い出した。東寺、ボクはまだお子ちゃまだったよ。国際コンペで外国人がデザインしたターミナルビルである。
 現在でもCMなので見ることがある。中部国際空港は行ったことがないので分からないが、今いる関空内のビルの様子を見ると「最近もCMで見たことがあるな。関空でロケ撮影したのだな。」と思った。


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 久々のカンクウのターミナル内部で撮影している間に同じ便の乗客は、ほとんど降りていなくなってしまった。ほぼ、最後の降機者となって、出口の方向に歩く。でも、撮影していたのは、ほんの数分。

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明るいターミナルから自動ドアを抜けて、次の部屋(天井は高いので部屋ではなくスペースというべきか)に入ると手荷物受取のターンテーブルであった。
まだ荷物は出てきていないようで、乗客が待っている。私の隣に座っていた女性も荷物を待っていた。私は荷物が無いので、そのまま制限エリアの外に出た。
大阪 到着~。









羽田空港から出発 2018年春、大阪・京都桜のたび1

 羽田空港から出発 2018年春 大阪・京都桜のたび1

 4/14
 今年も再び、タイトルの如く京都、大阪などを旅する機会を得た。
 昨年は、大阪の「造幣局桜の通り抜け」の桜がちょうど見ごろであったので、メインだったかな!?。今年もほぼ同じ時期の旅となった。
 
※ 記事を書いているのは「2019年」のこと。旅行記は「2018年4月当時」のものである。

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 ↑ 関西空港にて、搭乗機を撮影。
 
 早起きした。本日から出発だ。飛行機を無料マイルの特典航空券で予約。しかし、予約をしたのが、直前であったので、朝の伊丹空港行のフライトはすべて満席。 関西空港行は空席があったので、予約した。
 帰りは月曜日の平日。伊丹空港からの便を予約できた。昨年も無料航空券を予約したが、昨年よりも、空席が少なかった。昨年は往復ともに伊丹便を予約できたのだが・・・。
 理由は、マイル特典の航空券が前日でも予約できるようになったからだと思う。(他にも理由があると思うが。)いつから、変更になったかは、わからないが、以前は4日前までの予約であった。
 
 横浜駅に。

 6:00発の京急の特急で羽田空港へ。早朝ではあるが、京急横浜駅のホームには人が多い。しかし、座れたぞ。

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 この季節、既に日の出後の時間帯である。秋と違って、明るいなあ
 6:25羽田空港駅に到着した。すぐにエスカレータを昇り、改札の外へ。目指すは、改札の横にあるセブンである。ここのセブンイレブンでの買い物は恒例になっている。コンビニおにぎりを買って、長いエスカレータを昇る。人がどんどん上がっていく。せわしい。皆さん空港フロアに急いでいる。もちろん、乗客のみではなく、職員、従業員らしき人も多い。荷物を多くもっていない人、特に女性は髪を整えていて、いかにもCAかグランド(staff)か空港内の店舗、施設の従業員らしき人は、これから出勤のための通勤と解かる。
 出発フロアに行く。と、開店時刻前のお店がある。まだ新しいお店だ。以前は無かったと思う。(知らないだけだと思うが。) 朝食メニユーもある。

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 さて、保安ゲートをくぐって制限エリアに行くとするか。外で座っていても仕方無い。

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 関西空港行のJALの搭乗口は、第一ターミナルの18番で、つまり一番南(海に近い方)のゲート。「端っこのゲートから入るか」と遠いゲートまで歩くが、間違ってスカイマークの保安検査場から入らんとする。「スカイマーク オンリー」のゲートとは知らなかった・・・・。

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 保安ゲートの入口上には、巨大なオブジェ??があった。ガラス窓もあって、空港会社、航空会社のオフィスエリアであろう。ガラス窓の内側は廊下になっているようで、歩いている人もいた。出発フロアを見下ろすことができる構造になっているのであろう。
 
 さて、ゲートに。ベルトをしていたが、金属探知ゲートには、引っかからず。ドヤ顔で通過(笑)。
 長い動く歩道で、ターミナル内を移動。先には、これから搭乗するのであろう、紺色の制服のCAの人達も歩いている。

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 搭乗口に着いた。隣の17番は、秋田行だ。次の三沢(八戸)行の時刻も表示されている。

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 イスで待っている間にコンビニオニギリで朝食。搭乗の時刻になって、列が出来た。そくさと乗り込む。
 窓側は取れなかったので、その隣、通路側、というか三人がけの真ん中の席。隣りの窓側は、20歳台とおぼしきやや太った茶髪の女性。何となく、大阪の人で地元に帰るのかなと感じた(推測の根拠無し)。オレはおっさんだ。
 おっさんも乗客には多い。仕事か勤務明けで朝一番の飛行機で帰宅でしょうかね。皆さん。

 機内はほぼ満席。というか、私の付近はすべて人がすわっている。7:10の定刻ちょうどに「乗務員はドアモードをオートマにしてください。」の機内アナウンスが流れる。定時発着にこだわっているなあと感じる。
 7:13早くも機体は動いた。さあ、出発だよ。





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