良月(りょうげつ)の たび日記

神奈川県 湘南地区在住。折口良月(おりぐち りょうげつ)の神奈川、東京、静岡、山梨、長野など関東近郊地域への行楽、外出。美術館、博物館めぐり。その他国内旅行などお出かけの記録。

2020年03月

 

JAICAプラザ横浜 ギャラリー 見学 (海外移住資料館 臨時休館中)

 JAICAプラザ横浜 ギャラリー 見学 (海外移住資料館 臨時休館中) 2020年2月29日

 横浜のワールドポータズにやってきた。駐車場に車を止める。いつもは混雑しているのだが、車はすいている。満車の状態から逆算すると、普段の土日祝日の1/5-1/6くらいではないか?。
 連れは買い物である。はて、俺はどこにて時間を消化させるかと考えた。近くには、以前行った日清カップヌードルミュージアムがあるな、と思った。一昨日の休校、休館発表の影響で多分、閉まっているな、とは思ったが、本当に閉館していた・・・・・。
 うーん、JAICAの海外移住資料館に行ってみようかなと。(多分、閉まっているぞと思ったが。)歩いてJaicaに向かう。普段の休日は歩道にも、人があふれているが、少ないな・・・。例の大観覧車のある遊園地もなんと、閉園していた。
 歩いて、海外移住資料館の入口に行ってみると、予想通り資料館は臨時休業・・・・。ただし、入口付近のエントランスのパネル展示は開放されていた。1階と2階のオープンスペースで自由に見学できる。JAICAプラザ横浜のギャラリーというそうだ。
 ギャラリーの脇の1階には受付のカウンターがあり、ここがJAICA横浜の受付なのだろう。老人の男性職員(非常勤職員かな?)と受付のデスクにすわっている女性が、来客がほとんど無いためか、ヒマそうに?、仲良さそうに?、おしゃべりしていた。
 「企画展示」「いまさらきけない、ジェンダー平等って!?」であった。

 ↓ 期間展示の告知。
 
IMG_3020

 私以外に見ている人はいない。
 外の通路は、人が往来している。赤レンガ倉庫も人出は少ないようだ。
 

IMG_3013

 
 主に1階のパネル展示を見た。2階にも展示はあるが、あまりみなかった。
 2階にある海外移住資料館は閉まっていた。「コロナウイルスの感染拡大をふまえ、・・・・2月28日から臨時休館」であった。
 ここには、レストランが附属している。食事を食べようかと主たが、ランチタイムは過ぎていた。
 
IMG_3021

 アジア、南米、アフリカなど地球上の地域での女性のおかれている現状についての解説パネルがあった。

IMG_3012

 インドでは報道されているように、女の子の誕生が喜ばれない、親が決めた相手と結婚する、夫の家族のために持参金を必要とする、などの習慣が根強いのですね。
 インド北部の農村地帯での暴力、差別についてや逃げ込める家の設置に関する解説。

IMG_3014

 南米パラグアイでの説明。「女性は家にいて家事をするもの」という考えが根強いのだそうです。スペインの植民地から独立した国家なので、意外に感じました。農地を開拓していく過程で、男は労働、女性は家事と子供の世話という習慣がついているのか、と思いました。更に女性も農業社会においては、労働力としての役割を求められているのだと思います。

IMG_3015

 同国での女性の生活環境向上支援に関する解説。

IMG_3016

 アフリカ・タンザニアでの若い女性の人生についての説明。
 19歳までに50%近くの女性が子供を産むと書いてあります。勉強をする機会に恵まれないため、親に生活を頼ったり(して自立が出来ず)、生活をしていくための知識や、お金を稼ぐための技術が無いという弊害があると書いてあります。


IMG_3018

 やはり、教育は大切なのですね。自分が教育を受けている間は、あまり意識しなかったのですが・・・・。いや、自分自身、今でも教育を受けていかねばならぬ(というよりも、自分で学習していかねばならぬ)立場かも知れない・・・・。

 JAICAを出て、ショッピングセンターに戻る。1階のフードコートはすいてる。以前食べた、沖縄のアイス店もあった。店内や付近には、若い人が多い。中学、高校生くらいの子が多いのだ。高校生カップルも来ているぞ。学校が終わった後で部活も中止になったからだろう。私立学校は土曜もあるだろうし。もっとも、月曜日からは休みであろう。今のうちに出歩いているのかな。これじゃ、休校にしても、意味ないぞ。ゲームコーナーも小さい子が遊んでいたし、中学生のグループもいた。通路のイスのあるところで、中学生の10人くらいの集団が皆、スマホゲームをしている・・・・。学校が休みになったため、ゲームセンター、シヨッピンク゛センターの無料で来れるコーナーが中高生、子供たちでいっぱいになるのではないか?。大型遊園地、行楽施設も閉まったし・・・・。これで、ウイルスの感染が拡大したらどうするのか?。
 












































































「関根正二展 生誕120年・没後100年」鑑賞4(最終) 神奈川県立近代美術館鎌倉別館 

 2020年2月29日
「関根正二展 生誕120年・没後100年」鑑賞4(最終) 神奈川県立近代美術館鎌倉別館 

 (追記 「新型コロナウィルス感染症拡散防止のため3月4日から15日まで休館します。」と館のウェブサイトで告知されている。)
  (3/15(日)追記 : 16日以降も休館と延期と告知されている。休館のまま会期終了となった。
 今から丁度100年前のスペイン風邪の大流行期、恐らくは結核との合併症で20歳で死去した画家の展覧会が、それ以来最大規模ともいわれる感染症の流行の影響で突然閉幕してしまうとは、何ということであろうか。)

  

 関根正二 作、重要文化財「信仰の悲しみ」。2003年に重要文化財に指定されている。

 前述の通り「大原美術館展」の際に国立新美術館で見たことがあるが、今回の展覧会の目玉作品である。今回は通期ではなく、「後期」の展示である。私もこの「信仰の悲しみ」を再び鑑賞するために、「後期」にやって来た。
 あのとき(「大原美術館展」のとき)の作品解説は忘れたが、今回の展示解説によると、キリスト教の信仰ではなく、「日比谷公園のトイレから出てきた女性を見て思い立った描いた・・・・」というようなことが書いてある。タイトルも全く別で、あとで「信仰の悲しみ」とつけたそうだ。絵の中の連なる女性達は「殉教者キリストに連なる女性をおもわせる」が、実際は用を足して出てきた女達・・・・!?。

 神秘的な絵だなと感じていたが、なんだか拍子抜けしてしまうような、作画エピソード!?。


 最初のうちは、来館者は数名だったが、そのうちに午後2時頃となった。たいてい、この時間帯は、来館者が一番増加する時間帯であろう。60-70歳台くらいの男性が多い。夫婦で来ている人もいた。 
 次いで、70歳くらいの老人男性2名や70くらいの小柄の女性3人連れなどもやってきた。一人で来ている30歳台とおぼしき女性もいる。彼女はグレーのチェック柄のスカートに、黒いタイツ、黒っぽいセーターに黒髪である。(すべて黒のような。)マスクをつけてる人が多い。看視員は全員マスクをしている。やはり「まだ、(ここは)開けているの?。」と聞いている老人の男性もいた。国立の博物館、美美術館は、既に臨時休館しているからであろう。誰か聞く人はいるだろうな、と思っていたヨ・・・・。
 すると大きいマスクをつけた女性の監視員は「今のところ、休館の措置はとっていませんが、いつ閉まるかわかり(休館してもおかしくあり)ません。」と答えていた。

 鑑賞者に学生らしき人はいない。退出するとき、順路の最初の第一展示室では、合計して15人-20人くらいの入館者いたのではないか?。私がきたときは、第一と第二合計しても、入館者は10人いなかったと思う。
 「信仰の悲しみ」を再びじっくり見てから展示室の外に出る。廊下にも展示品があった。壁に関ねの年譜などがはってある。(図録の年譜と同じ内容であった。)実は、これらを先に見てから展示作品を鑑賞した方が、展示室内の画家の作品などについて理解できたのではないかと思った。
 関根正二の祖父、利左衛門は、白河藩の3人扶持だったという。明治以後の族籍は(士族ではなく)平民という。父の弟は、第二次大戦後の1968頃まで存命している。正二の父は尾根関係の職人。小屋のような生家の写真がある。白河の城下町の郊外の、農村地帯に住居を構えていたようだ。正二の父は先に、白河から東京に出ている。当時、小学生で8歳くらいの正二は白河に残り、9歳で東京に家族を追って出て、深川に定住してる。

 階段をはさんで、反対側の壁、廊下の部分には、正二の手紙などが展示がある。主に鶴岡黒影との書簡である。壁に解説のバネルなどがあり、階段脇の廊下に平ケースに手紙などが展示されている。手が子には鶴岡に対して「貴兄」などと親しく書いている。色々な制作に関する自分の考えなどを手紙に書いているようだ。山形の、鶴岡黒影の実家に滞在中、「お世話になった家族によろしく」なども書いてある。差出人である、関根の住所は「東京 深川」と書いてある。

 解説によると鶴岡黒影歌人で、「黒影」は号。誰かの門下生という。70歳台後半の年齢で、1978年(昭和53)に死去している。のちに、山形県庁に勤務したそうだ。
 鶴岡は、山形県西川郡河北町?の出身らしい。字は溝延?といういかにも東北らしい地名。
 正二は東京・牛込の四(余丁)町の人物にも手紙を出している。あの
永井荷風の自宅(のちに売却)近くである。牛込区なので当時の私の祖父の家からも近い。1916年頃というと、大正の初めのころ。祖父は子供であった。
 「上野山と遊んだ・・・・。」などと手紙に書いてある。「上野山」は人の名前で友人である。上野の山で遊んだというわけではない。一見すると、上野で遊んだようなイメージだが・・・。

 正二の年譜は、当時の東京市内の地図とともに 階段近くの廊下の壁にはっている。図録に掲載されれていたものと同じ。先に展示室内の図録でも見たが、伊東深水の自宅は、のちに恵比寿に移ったのだが、深川からだと遠いな。
 廊下の突き当り、奥の小テーブルに1999年に開催された「生誕100年 関根正二展」の資料が展示してある。当時のチラシ、チケットなどがある。展示室内の観覧の風景の写真もおいてある。写真はデシタルではなく、フイルム写真である。デジタルカメラが急速に普及していた時期だ。私も当時は、フイルムカメラを使用していた。当時、神奈川を離れて遠いところに住んでいたので、開催は知らなかった・・・・。 写真に写っている、1999年当時の観覧者の服装は確かに当時のまま。夏に開催されていたようで、観覧者は白いポロシヤツにジーンズの人など当時の服装だな。(今でもあまり、変わっていないと思うが・・・。)

 当時のチラシのメイン掲載作品は今回も展示のある「姉弟」。少女が男の子を背負う横顔の絵の写真だ。姉が弟をいつくしむ、暖かさ、家族の愛を感じる絵だ。ほのほのとしている。たとえ、弟が夭折しても、弟に対する愛情は変わらない、永遠不変のものだ。
 当時、「信仰の悲しみ」は重文に指定されていなかった。1999年も2020年今回の展覧会ともチラシに「信仰の悲しみ」の画像掲載が無い。大原美術館の所蔵なので権利の関係でしょう。
 20年後の今回は「生誕120年・没後100年」なので、正二が僅か「20歳」で夭折したことを改めて感じる・・・・。
 神奈川県立近代美術館では1979年頃にも「靉光と関根正二展」として展覧会を開催している。今回が3回目の開催だった。


 今回の展覧会は、没後120年にあたる今年2020年に巡回するのかと思っていたが、三重と福島では昨年既に開催されていて、神奈川が最後の開催であった。

↓ 入口付近のモニュメントのブロンズ像。奥のガラス張の建物はカフェになっている。
  コロナウイルス拡散が言われている世相のためか、すいている。



DSC00689

 館を出て、鶴岡八幡宮方向に戻った。
 連れと合流する。連れ達は、小町通りにある某喫茶店に行ったのだが、いつもは行列しているのに、待ち時間無く入店できて、しかも「お店はすいていた」と。
 コロナウイルスのため、鎌倉の観光客も激減しているようだ。
 来週から学校も休校になるというし。何か突然、いろいろなことが起こったような感じだ。


 神奈川県立近代美術館鎌倉別館の庭の様子。↓

DSC00688






続きを読む

「関根正二展 生誕120年・没後100年」鑑賞3 神奈川県立近代美術館鎌倉別館 

 2020年2月29日
「関根正二展 生誕120年・没後100年」鑑賞3 神奈川県立近代美術館鎌倉別館 

 (追記 「新型コロナウィルス感染症拡散防止のため3月4日から15日まで休館します。」と館のウェブサイトで告知されている。)
  (3/15(日)追記 : 16日以降も休館と延期と告知されている。休館のまま会期終了となった。)

  
  神奈川県立近代美術館 鎌倉別館で展示室内を順番に鑑賞していく。壁に作品が展示されている。
 

 同じ部屋の角、監視員のイスの近くにはデッサンなどが展示されている。イスの下には看視員の荷物が置いてある。時折、荷物を持って別の監視員と場所の交代をしていた。室内がすいているせいか、時折座り、時折立って巡回している黒いパンツスーツに白い大きなマスクを顔いっぱいにした看視員が妙に目立つ(苦笑)。

 少女の死の横顔のデッサンの展示がある。2歳くらいの幼女の死のデッサンである。解説には「年齢よりも大きくかいている」とある。

 風景の画がある。海岸の風景の画の展示がある。「銚子海岸」というタイトル。千葉の銚子の風景だという。銚子に5歳上の姉が嫁いでいたそうだ。福島県出身だが、どうして銚子の家に姉が嫁いだのかは、不明である。実質、東京・深川で生育したので、姉は東京から千葉の銚子に嫁に行ったのであろうか?。

 先の記事で書いた自画像など、壁に沿って順に見ていくと、第一展示室(つまり、最初に見る長方形の展示室)の終わりほうの展示で、「白いロングドレスを着た女性二人が連れだって歩いている姿の絵」が目を引く。まるで、殉教者の列のような、キリスト教の信仰を思わせる作品だ。
『神の祈り』 1918年頃 福島県立美術館 所蔵
 まさに神に祈る、二人の女性を描いてある。白いロング丈の服が一層信仰心を引き立てるような。地面に描かれている花は、チューリップだろうか。ヨーロッパの女性の信仰を表現したのか?。
 焼けたため断片を集め、撮影された白黒写真とつないだ作品もあった。
 「天使」(断片) 三重県立美術館 所蔵

 姉と弟の絵「姉弟」。少女が子供の男の子を背負う絵。背負われる子は、関根本人、少女は関根の姉という。先の銚子に嫁いだ姉でろあうか?。カラフルでカワイイ色使いの絵だ。姉が弟を慈しむ絵である。

「小供」という作品もある。幼児の自画像のよう。「子」ではなく「小」の表記。関根本人であろう。

 伊東の紹介で関根は1914年に「東京印刷株式会社に就職した」と年譜には記載があった。
 
↓ 展覧会チラシ。左は「自画像」。ゴッホの自画像を思わせるタッチだ。真ん中は「姉弟」。
  右が『神の祈り』 1918年頃。3点ともに福島県立美術館 所蔵と表示がある。


DSC00711



 次いで、隣の展示室に。扉で仕切られてはいない、つながっている展示室である。便宜上、以下「第二展示室」と書くことにする。
 第二展示室は、ほぼ正方形で、第一展示室よりも狭い空間。関根に関連する画家の作品などの展示がある。幼馴染の伊東
深水の作品もある。

 奥の壁に、大黒天1918年 絹本著色(軸装)がある。そのまんま、まん丸いふくよかな(お腹!!??)大黒天の絵。
 個人現存唯一の日本画作品と解説。近くには、監視員の女性のイスがあり、私が近づいて展示をみていると 邪魔になると思ったのか、席を立って、見やすいようにしてくれた。

 第二展示室は真ん中に当時の美術雑誌などの展示が平ケースにあった。平ケースでの資料の展示は先の展示室にもあった。有島生馬の書いた雑誌の当時の記事の展示もあった。年齢としては、有島は17歳上、伊東は1歳上という。有島は、友人といいうか、先生ともいうべき存在だったようだ。


 出入口の近く、順路の最後には、油彩画が3点ある。一番端、ドアの横には、重要文化財「信仰の悲しみ」がある。前述の通り「大原美術館展」の際に国立新美術館で見たことがあるが、今回の展覧会の目玉作品である。今回は通期ではなく、「後期」の展示である。私もこの「信仰の悲しみ」を再び鑑賞するために、「後期」にやって来た。
 その最後の3点のうち1つの展示は「三星」という。三人の人物が描かれている。真ん中は、関根本人。左の女性は、姉。画面に向かって右の女性は、田口真咲という関根と知り合った新潟・新発田出身の女性ともいわれるが、写真で当時の田口の比較しても姿は、違うらしい。
 解説文らよると田口は、東郷青児に取られてしまったそうだ。フラれした当時の関根は落ち込んだらしい。おそらく、伝え聞く東郷の性格というか、「性向」からいうと、相当強引に田口をモノにしたのだろう。押しに負けたのかな?、田口は・・・。関根は、自画像から察するに大人しい性格のようなので、東郷のように強引に女(田口真咲)をモノにすることは出来なかった!?。
 ↓ 展覧会チラシに掲載。「三星」 東京国立近代美術館 蔵。


DSC00708


 「信仰の悲しみ」の展示の前のソファでは髪がボサボサの白髪の老女が座って、設置してある展覧会の図録をずっと見ていた。顔を近づけてい見ている・・・・。老眼であるが、老眼鏡が無いので顔を極端に近づけて見ていたようだ・・・・。来館者は 数名だったが、午後2時頃となり、たいていは、来館者が一番増加する時間帯であろう。60-70くらいの男性が多い。夫婦できている人もいた。 70歳くらいの老人男性2名や70くらいの小柄の女性3人連れなどもやってきた。一人で 来ている 30歳台とおぼしき女性も。 グレーのチェック柄の スカートに、黒いタイツ、黒っぽいセーターに黒髪。

学生らしき人はいない。順路の第一室では 15人-20人くらいいたのではないか。私がきたときは、第一と第二合計しても 10人いなかったと思う。


↓ 展覧会の看板「少年」(個人蔵)1917年 の拡大画像。

DSC00693






「関根正二展 生誕120年・没後100年」鑑賞2 神奈川県立近代美術館鎌倉別館 

 2020年2月29日
「関根正二展 生誕120年・没後100年」鑑賞2 神奈川県立近代美術館鎌倉別館 

 (追記 「新型コロナウィルス感染症拡散防止のため3月4日から15日まで休館します。」と館のウェブサイトで告知されている。)

 (3/15(日)追記 : 16日以降も休館と延期と告知されている。休館のまま会期終了となった。)

神奈川県立近代美術館 鎌倉別館のエントランス。券売窓口は1つしかない。
 ↓ エントランス付近には展覧会の看板が無い。
   

BlogPaint



 展示室に入り、解説パネルを読む。関根正二の画家としての活動期間はわずかに「5年程度」という。その画業を前期と後期に分けて展示をみていくというコンセプトであった。

 順番に鑑賞していく。壁に作品が展示されている。最初の展示作品から3番目くらいに1915年の作品「菊川橋辺り」という油彩画がある。「菊川橋」とは、現在地下鉄の菊川駅のある付近の地名のことのようだ。大正時代当時の東京の都会の街並みと思われるところの、水路にかかる橋の風景だ。東京の下町のような感じだ。
 関根正二が、どこの生まれの人だったのか、予備知識のないまま入場したので、彼は「東京の下町の人だったかな?。あれ、どこの人だったかな?。という感想をまず持った。
 ある作品(風景画だった。)では解説に、医師 福原道太郎の所有だったという。画家と交遊をもっていた著名な医師なのかな?、私は知らないなと感じた。  

 続いて「菊川橋辺り」と同年の作品、16歳の時に描いた「死を思う日」が展示されている。「第2回二科展に入選」と解説文にある。タイトルとは裏腹に、人の姿は画中になくて、葉のある糸杉?と枯れた木2本が真ん中に描いてあるろ・・・・。糸杉(と勝手に判断したのだが)はゴッホの作品を思わせる。深緑の色使いで、暗いタッチである。結核で死の予感が既にあったのか?。当時の死といえば思い浮かぶのは「結核」である。彼は若年の結核患者ではなかったのかと直感した。(壁面ではない)通路にも立てた状態でデッサン画の展示がある。その裏にも作品を展示している。  


 続いて壁面に沿って展示を見ていく。展示の解説を見ていると関根正二は「福島県白河の生まれ、幼少期に東京(当時)の深川に移住し、東京・深川で成長している。」ことがわかる。 

 東北旅行に出かけている。村岡黒影という、東京で知りあった?人の実家にも行っている。現在の山形県北部、最上川流域の村らしい。旅行の帰路には、自分が生まれた白河によっている。

 東北に旅行したときのデッサンなどの作品がある。東北地方の山形県に旅行して、世話になった家族の画の展示がある。

 老女の絵もある。「村岡みんの肖像」解説では「・・・女性は紋付をきて、正面を見て画家と向き合っている。・・・老女のシワなどを美化することなく、ありのままを描きだしている。」とある。お世話になった山形県出身、村岡黒影の実家、村岡家の母堂の肖像である。冠婚葬祭などに着用するであろう、村岡家の紋付の黒い羽織をまとった、日本髪の老女である。一番よい着物を着てモデルとなっている明治・大正当時の日本人の女性の服装がわかる。
 「真田吉之助夫妻像」の油彩画も、当時の山形県の夫婦の正装らしき着物のカラフルな絵である。

  ↓ 展覧会チラシ。 左の作品は「井上郁の肖像」福島県立美術館寄託


DSC00709
 

 長野県にも旅行している。河野通勢、という人物と旅行しているらしい。放浪の旅で、その途中で描いている。河野は長野県出身の人物である。その旅行や河野との交友ためか、長野県の信濃美術館の所蔵品が何点か展示されている。

  展示作品には福島県立美術館の所蔵、寄託作品が多い。その理由は白河の生まれということでわかった。次に長野県にある信濃美術館の所蔵か寄託作品が多いようだ。

 来館者は、数名だった。白髪の男性や50-60歳くらいの女性など。順路の反対には、別の部屋もあるようだが、入口を挟んでつながっている。特に扉はなく、長方形の展示室である。看視は小柄で黒髪を束ねてメガネをかけた黒いパンツスーツをはいている女性が部屋の隅に立っている。こんな時期なのでマスクをしてほとんど顔が隠れれいる。

 展示室内のソファの横に展覧会の図録を置いてあるので、見てみる。図録では、関係者の住所などを示す地図が掲載されている。先の作品の解説文にあった 医師 福原 の自宅は、関根の当時の自宅近くの水路の橋を渡って、北西の方向で近所である。パトロンとしての資産家医師ではなく、関根とは近所の知り合いの医者だったようだ。 

 掲載地図の恵比寿付近の拡大図に、伊東深水の自宅の表示がある。すぐ近くに恵比寿ビールの工場 現在の「恵比寿ガーデンプレイス」と書いてある。

 正二が交際していたというか、好意を抱いていた女の自宅は、現在の品川区というか、荏原の方向にある。「当時は(現在と比べて東京は)遥かに市街地が小さかった・・・・。」という説明が書いてある。

(あとで見たが、関係者の地図は、展示室を出た2階廊下脇の壁に大きく掲示してあった。)

 図録に掲載されている年譜によると正二は「結核で1919年6月に死亡」している。年譜の横の欄に社会の動きとして「・・・・・1918年の秋から1919年の春にかけて、スペイン風邪が猛威を振るい、(日本だけで)約38万8千人が死亡、・・・罹患は約2800万人(実際はもっと細かい数字が記載されていた)・・・・・・」と書いてあるのが、目を引いた・・・・。
 現在進行形の「コロナウルス」を想起させるではないか!!。


 順路最初とは反対の壁に、自画像の油彩画が展示されている。当時10代。若いな。デサッサンの自画像もあった。彼は卵型の面長顔である。伊東深水が所有していて、正二の死後に両親に返還したそうだ。「伊東深水」といえば、日本画家として著名な人物である。ジャンルは違うが、深水と交遊関係があった。東郷青児、有島生馬とも交流があったことがわかる。同じく夭折の画家、村山槐多との交流もあったという。

 室内の真ん中には平ケースが設置されている。当時の雑誌、新聞記事、正二のデッサンの展示など関連資料の展示がある。書簡の展示もある。

 展示の資料の中の記載に「・・・・正二は 発狂した・・・・。」ともかいてある。冬のある日、深川の野外で叫んで、倒れたのだという。結核の病気が進行していたのであろうか?。
 死亡記事のコピーも展示があった。写真入りの当時の記事で「関根正二氏死亡」とある。既に20歳にして新聞に記事が出るだけの画家であったのだ。
 村山槐多との交流については「(どれだけ交流があったか)不明である・・・・」と(解説文には)書いてあっが、村山は「・・・スペイン風邪で死亡」と書いてあった・・・・。
 当時の感染症の猛威が伝わってくる・・・・・。コロナウイルスの流行が叫ばれる現代(2020年2月の今、現在)の比ではないぞ!!。
 


 





続きを読む

「関根正二展 生誕120年・没後100年」鑑賞1(プロローグ) 神奈川県立近代美術館鎌倉別館

 2020年2月29日
「関根正二展 生誕120年・没後100年」鑑賞1(プロローグ) 神奈川県立近代美術館鎌倉別館 

(追記 「新型コロナウィルス感染症拡散防止のため3月4日から15日まで休館します。」と館のウェブサイトで告知されている。)
  (3/15(日)追記 : 16日以降も休館と延期と告知されている。休館のまま会期終了となった。)


 関根正二は、その作品1点が重要文化財に指定されている(記事投稿日現在)夭折の画家である。以前、国立新美術館で開催された「大原美術館展」で、重要文化財「信仰の悲しみ」を鑑賞したことがある。
 元々は今回の「関根正二展 生誕120年・没後100年」の開催を知らなかった・・・・。何故知ったのかというと普段はほとんど閲覧することのない神奈川県のサイトで、たまたま見つけたからである。
 神奈川県のサイトのトップページのスライド画面で「関根正二展」のポスターイラスト画像が出ていたので「ハッと」と気づいたのだ。開催は、神奈川県立近代美術館である。サイトの告知画面は切り替わってしまうので、ほんの数秒のことだった・・・。「新型コロナウイルス」の相談、連絡先の告知などもスライド表示されていたので、すぐに「新型コロナウイルス」の画面をクリックして(別のサイトページに移動して)いたら、気づかなかったであろう・・・

 これ程に重要な画家の展覧会を国立の美術館ではなく、神奈川県立の施設で開催するというのに何故神奈川県は大々的に広報しないのかと不思議に思った・・・・。サイトで(開催に)気づいた後、神奈川県の広報誌、おなじみの「県のたより」(つまり紙ベースの媒体)を見てみたが、最新号は既に捨ててしまっていた・・・。前号はなぜか残っていて自宅のリビングにおいてあった。しかし、前号の記事を見ても「関根正二展」については掲載していない・・・。改めて県のウェブサイトに「県のたより」最新号の PDF版のテータがあったので開いて見てみると、小さい枠に文字のみの記事で「関根正二展」の開催の告知があった・・・。
 あまりに扱いが小さい・・・・。これじゃ、気づかずに見落としてしまうョ・・・

 開催場所は、神奈川県立近代美術館の鎌倉別館である。鶴岡八幡宮の境内内にあった「鎌倉館」?が閉館して久しい。「葉山館」は、現在改装中?らしく、長期閉館しているので、今回は鎌倉での開催となったのであろう。
 会期は2月1日の土曜日から3月22日の日曜日まで。開催に私が気づいたときは、既に2月の10日くらいであった。前期と後期で展示替えがある。後期に岡山県倉敷市の大原美術館所蔵 重要文化財「信仰の悲しみ」が展示される。前述の通り、見たことはあるのだが、せっかくなので「目玉」(つまり重要文化財「信仰の悲しみ」)が展示される「後期」に行くことにした。

 ところがである・・・・。「新型コロナウイルス」関連で公共の博物館、美術館などの施設も臨時休館が続出となった。状況を振りかえると2/27(木)に 国立の博物館(東京・京都・奈良・九州)が2/28金曜からの休館の発表。次いで、2/28(金)には2/29(土)からの休館を上野にある国立の西洋美術館や都立の施設(都美術館)などが発表。
 先週行った台東区立の書道博物館は2/28から休みだった。「新型コロナウイルス感染症の感染予防・拡散防止のため、2月28日から3月16日まで臨時休館」と。行っておいてよかったョ。1月に行った台東区立朝倉彫塑館も2/28から休み。
 
 「はて、神奈川県立の施設は?。」と事前にサイトで開館しているか、調べてから来た。もしかしたら「閉まっているかも」と思ったが、開いていた!!。神奈川県立の施設としては、横浜に歴史博物館があるが、今のところ開館していた。(2/29の午前中の段階。でも、3/2の月曜日から休みなのかなあ。)
 しかし、同じ鎌倉市内でも市立の博物館施設、文学館、鏑木清方記念館、鎌倉国宝館などは既に休みに入っていた・・・・。神奈川県立近代美術館鎌倉別館と同時に鎌倉の国宝館(鶴岡八幡宮の境内にあるが、鎌倉市立の施設)も見学しようと思っていたのだが、不可能となった次第です(笑)。
  

 鎌倉市内の道路は空いているとおもわれたので、車で移動した。確かに普段よりはすいていた。鎌倉駅前から若宮通りの方法へ向かった反対車線の大船方向から鶴岡八幡宮前に至る道路は少し渋滞していたが、普段はもっともっと混雑している筈。
 車線沿いに神社(鶴岡八幡宮)の駐車場、料金1時間600円があるが、停めなかった。ほとんど駐車している車は無く、すいていた。この駐車場には停めなで更に先、一番、鎌倉別館に近いコインパーキングに停めた。1時間あたり330円だった・・・・、時間単価で30円違う。ここも、空車ばかりであった。

  神奈川県立近代美術館 鎌倉別館
 ↓ 道路に沿った壁に展覧会の看板があった。
   

DSC00692


 館の敷地に入る。空いているようで、入口付近には誰も人がいない・・・。建物の入口の横にひとつだけ、窓口があって券を販売していた。一般700円。
 入口付近は、ガラスの壁でシースルー?である。入口に接続してカフェが、1Fのロビーの横にあるが店内には誰もいない。中に入ると館内ロビーにもカウンターがあり、女性係員が一人いるが、ここは売店。ロビーの棚に今回の展覧会の図録がおいてあり、絵葉書なども販売していた。

 チケット窓口で「2階でもチケットを提示してください」といわれる。階段で2階に行く。比較的こじんまりとした階段だ。

 2階に行くと、すぐ展示室の入口がある。赤い書体で「関根正二展 生誕120年・没後100年」と大きい表示がある。若い女性係員がいてチケットを提示する。展示室内に入る。「入って、左から見てください。」と言われた。
 来館者は、順路に沿って左手の壁に一人、反対側の壁の展示を見ている来館者が2-3人くらいいる。老人の男性と年配の女性だ。

 しかしである。室内を見まわしても展示リストを置いていない・・・・。来館者もリストを手にしていない・・・。一旦、展示室入口の自動ドアを出て「展示リストはないの?」と聞くと、先の女性係員は受付台の下から青い文字で印刷されて いる展示リストを出して私に手渡した。「希望者にだけ配布しています。」という。

 
 解説パネルを読む。関根正二の画家としての活動期間は5年程度という。その画業を前期と後期に分けて展示をみていくというコンセプトであった。



 





プロフィール

りょうげつ

カテゴリー
  • ライブドアブログ