(2014.11.3訪問)
 続いて後半です。
 ここ国立公文書館の展示スペースは、「口」の字状になっていることは何回も書いています。←、↑、→、↓、← の順番です。(わかりにくい。笑)順路に沿って、前半の「逆コの字」の展示スペースが古い時代、後半の「コの字」の展示スペースが新しい時代(の展示)になっていめることが多いです。
 後半は、明治以降の文書の展示です。「公文録(図表共)並索引」として重要文化財に指定されてます。漢字の羅列で江戸期のものにも感じてしまいますが、要は「日本政府の公文書をもとめて保管していたもので、図や表も附属していて、さらに索引もあります。」ってトコでしょう。(笑)
 ↓写真は、明治時代の灯台の配置図。今まで数々の灯台を訪れている私です。そのため、熱心に見入っていまいました。ここに記載されている灯台で行ったところは・・・・、えっーと・・・省略します。(笑)それほど行っていないかも。(笑)
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 なんと、1872年の犬吠埼の灯台の絵図。説明よると今でもほぼ当時の姿を残したまま灯台として使用されているとか。
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 昭和に入って、「第一回文化勲章」の受賞者決定の公文書。天長節(当時)の前日である4月28日に決定されていたことがわかります。おりから、本日は(戦後に制定された祝日である)文化の日。皇居の宮殿では、文化勲章の親授式が行われます。
 受賞者筆頭は、物理学者の長岡半太郎。正三位で、すでに勲一等を授けられています。帝国大学教授としての業績などによるものでしょう。同じく、本多光太郎など著名な学者もすでに叙位叙勲されています。芸術家としては、洋画家の藤島武二は、すでに勲三等。竹内恒吉は、勲四等。誰かな?と思いましたが、文学者なのでしょうか?。「無位無勲」は、幸田成行と横山秀麿の二名。つまり、露伴と大観という、近代日本を代表するビッグな作家と画家が、です。これは、意外です。
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(帰宅後に調べたところ、竹内恒吉は、「栖鳳」であることがわかりました。本名は意外とどこにでもいる名前というか・・・。「東の大観、西の栖鳳」という言葉がありますが、当時、公的立場は栖鳳が上だった、ということになります。大観が「無位無勲」なのは、かつて官立の東京美術学校を辞職し、日本美術院を立ち上げ、長く在野の画家であったことと無縁ではなさそうです。今以上に「官職にあった」または「官に近い立場」でないと、勲章は授与されないでしょうから。栖鳳は、昨年お隣の近代美術館で展覧会がありました。現在のところ、栖鳳の作品中、唯一の重要文化財指定の「斑猫」の展示もありました。行っていませんが・・・。)

↓ 写真で撮影すると文字が判然としませんが、二・二六事件の対応に関する文書。
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↓ さらに時代は下り、平成の書。これが、現在でも公文書館に残されているとは思いませんでした。じっくり見てみると、「成」の字の右下へ伸びる「棒線」が長いのが印象的です。
 この写真は、今や教科書にも載るくらいの「歴史的瞬間をとらえた写真」ですね。
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 これは後日公文書館のサイトを見て知ったのですが、「平成の書」は元首相家の遺族から寄贈された物とのことです。

 ↓ 展示ケースの最後のほうにあった「終戦の詔書」。戦後生まれの私でさえ、「感無量」といったところでしょうか。ここに辿りつくまでにどれほど多くの人が死んでいったのか。正式名称を「終戦の詔書」というのかは、説明文の内容を失念してしまいました。8月15日の玉音放送の原文というのが分かりやすいでしょうか。
 有名な「・・・堪え難きを堪え忍び難きを忍び・・・」の文章もあります。末尾は「・・なんじ臣民共と克く朕が意を体せよ」となっています。
 最初は現物かと思いましたが、横に小さく「複製」と表示があります。分かりにくいので誤解してしまいました。(苦笑)この展示ケースは順路の最後というか、展示室の外にあり、エントランスに附属する廊下のような場所です。基本的に展示物は複製で展示物も変わっていないようです。いわば「有名な公文書複製品の常設展示スペース」です。
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 展示を見終わり、お隣の近代美術館に移動します。