2014.11.9訪問

 (寺の外壁には「妙法院門跡」とありましたので、記事のタイトルもそれにならいます。特別公開の告知には写真の通り「三十三間堂本坊 妙法院」でした。)
  
 庭に面した廊下を戻り、先の永徳の襖絵のあった建物の方へ戻ります。順路は別の方向を示し、渡り廊下沿いに歩くと別のお堂につながっています。お堂は少し高くなっており、階段を数段登ります。
 ここの説明員は、男性です。(女子大の男子学生かは分かりません。他の大学の「学生連盟」の役員でしょうか??。笑。)
 説明は「ここは護摩堂という。通常は三間あるが、ここは二間の建物。中央には不動明王?の木造があり、その右は阿弥陀如来像?・・・。」 お堂の真ん中には、ろうそくをともしています。護摩を焚いているのでしょうか?。本尊の普賢菩薩はここではありません。一体どこなのでしょうか。
 順路は先に進みます。お堂の先にまた渡り廊下があり、すぐに宝物庫に接続しています。
 ↓写真右の倉のような建物が龍華蔵(つまり、宝物庫)。

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  龍華蔵の入口には、別の学生説明員(もちろん「京都女子大学」の名札を付けています。)が立っており、ここでは観光カイドでなく、注意事項を説明します。
「宝物がガラスケースに入っている。ガラスは曇っていて、歪んでいるように見えるが大正時代にベルキーから輸入されたもの。現在、作製はされていないので、壊れたら修復ができない。手などを触れないように。」と強調。

 蔵の正面ガラスケース(ベルギー輸入のもの。)には、ポルトガル副王文書が展示してあります。ただし、京都博物館に寄託していて、これは複製。
 私は子供に向かって「これは、この前(10月に来たとき)京都博物館に展示があったよ。」と説明しました。と、先ほど注意事項を説明していた女子学生がこちらに振り返って、「現在、京都博物館に展示されています。これは複製です。・・・」と説明を加えました。私達の会話に反応したようですね。(笑)。

 その他後小松天皇 宸翰がありした。秀吉関連の物や他には仏像や寺で使用されていた物など。ここの説明は若い僧侶の方でした。作務衣を着ているので修行中なのでしょうか。
 これらの宝物が伝わっている理由は、豊臣滅亡後、ここ妙法院に豊臣の文書や由来物が移されて保管されてきたからだそうです。まさに「秀吉の夢のあと。」
 
 次は、大きな建物に来ました。というより、上の写真のとおり龍華蔵と廊下でつながっておりすぐ近くです。「しんでん」というそうです。漢字だと「宸殿」。廊下の端と端にやはり二名の説明員の学生さんがいます。
 ここは、幕末に「8月18日の政変」で七落公卿の密談の場となったそうです。境内に七落卿の碑が建っているそうです。ここで密談したあと、七人の公卿たちは長州に落ちていったとそうです。ここで密談したとは知りませんでした。「徳川打倒」だから、秀吉に縁のある(豊臣関係の文物が伝来している)ここ妙法院で密談したのでしょうか。それとも、当時の門主?たる法親王を担ごうとした為なのでしょうか?。
 ↓宸殿外観。柵にかかっている白い看板は「七落卿」の説明文です。
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 ↓宸殿。中央の部屋には、仏像が安置されています。先の護摩堂といい、立派な建物の中にある仏像はいずれも本尊ではありません。
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  宝物庫と寝殿を見学後、庫裡に戻ります。宸殿の左の部屋には近代日本画が襖絵となっています。回廊にように廊下でつながっている建物を見学してきました。結構広くて、それぞれの建物も見応えがあり、見学に時間がかかりました。思ったよりも充実内容でした。大寺院にはいろいろな由緒物が伝わっているのですね。
 庫裡でご朱印帳を受け取ります。先ほどのトップバッターの説明員の学生さんが、新たにやってくる観光客に説明をしています。今日で今年の「秋期 非公開文化財 特別公開」も終わりです。説明員の「こびけん」の学生みなさんお疲れ様でした。\(^-^)
 くつをはいて外に出ます。