2014.10.5

 1時間ほど並んで、ようやくチケットを購入します。並ぶときは二列と言われていましたが、チケットは一人ずつ購入します。絵葉書のセットも売っていましたが買いませんでした。
 敷地内部に入り、敷石の上を庫裡へ歩きます。庫裡で靴を脱ぎます。そして、荷物を預け番号札を受け取ります。係員に本堂の方へ進むよう言われます。本堂の前に庭園があり、ここで25人が入るまで待機します。入場の際に赤い番号札を渡されました。中で渡すようです。
 説明が始まりました。見学者は庭園を望む縁側に座って説明を聞きます。説明係は「京都秋冬」の名札を下げた女性です。庭園は枯山水なのでしょうが、白ではなく、茶色い土の庭です。
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 ここは小堀遠州の建てた庵。もとは龍光院の中にあったが、16××年にこの地に移った。(大徳寺で)一番西にある塔頭。真ん中の部屋は本尊の釈迦如来像。小堀遠州の位牌、左?に大徳寺の開祖 春屋宗園、小堀家
一族の位牌がある。

 庭は禅宗なので枯れ山水。赤土の庭。庭園には、生け垣が三列ある。手前の二本は水を、一番奥の生け垣は水平線を表している。昔は(境内の周囲に生えている)木が多くなく、視界をさえぎるものはなかった。南の船岡山を借景としている。ここは、京の北にあたり南から緩い傾斜になっている。昔はかなり遠くまで京の街を見渡すことができた。


 縁側の扁額は右から「孤篷庵」と書いてある。遠州の直筆。部屋の障壁画は狩野探幽。向って左の部屋は松の障壁画。(説明はきき逃した・・・・。)
建築から140年後に一度焼けた。その後、松江の松平不味公が再建した。庭園と境内は史跡と名勝に指定されている。建物は重要文化財に指定。遠州はここを建てて三年後に死んだ。
 孤篷庵は舟に見立てている。
 「孤 」 の意味の説明がある。(詳細は忘れた・・・。)
 「篷」は草冠(かんむり)ではなく、「竹」冠。屋根のついた舟。舟で進む心境をあらわしたもの。
遠州の庵号でもある。


 先程の(入ってきた)入口は勝手口。正式な入口は、庭園の(向かって)左にある門。庭の左にある木は、背が低いが樹齢150年くらいのものもある。伸びないように手入れをしている?。
 京都の冬は寒い。雪がつもると(庭園の光景が)美しい。京都はたいてい、年に一回はどかっと雪が降ります。

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 本堂の真ん中の部屋とその左の松の障壁画のある部屋を順番に見学します。約25人の集団なのですぐには見れず、順番に、そうするうちに次の説明が始まってしまい、聞き逃した説明もあります。
 と、本堂の説明を聞いて、見学しているうちに気づいたのですが、先ほどのバスで一緒だった「青い服のメガネの黒い髪の女性」が同じ組にいました。先ほどは一人でバスに乗っていたはずですが、現地で待ち合わせしたのでしょう、背の高い女性(30歳前後くらいか)と一緒の二人連れでした。私のうしろでずっと並んでいたのでしょう。やはり、目的地はここでしたね。(笑)
 本堂の説明を終え、次に奥の部屋に進みました。その際に先の「赤い番号札」を回収されました。すぐに回収されたのでなんだか拍子抜けでした・・・・。
 中に入って説明を聞いた人数をカウントしているのでしようか。

↓ 写真は見学後に撮影。堀の上の石橋は遠州がかけたものだそうです。
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 写真であらためて見ると、並んでいる人は比較的年齢層はバラバラで若い世代も多いです。