11/22(土)(2014)

  私達は、唐院大師堂を拝観し、灌頂堂から四脚門を出て階段を下り、大きな参道で結縁灌頂に向かうの参加者の列を見送りました。
 次に、灌頂堂、長日護摩堂の南側、西から東の琵琶湖へ上る斜面の途中にある勧学院に向かいます。
 ↓写真奥が山の斜面上方。(方角は西、比叡山の山の上の方向)。右は勧学院の石垣。
 境内の更に上の方には、別の子院(おそらく塔頭と呼ぶのでしよう。)がいくつかあります。
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 勧学院の門。門から内部の建物の様子はよく分かりません。
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 門を入り、L字状の敷石の道を歩くと、唐破風の屋根が見えます。ここが客殿です。閉まっているのが正門なのでしょう。
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 入口は庫裡と思われる場所から。テントが張ってあり、靴を脱いで上がります。光浄院と異なり、拝観料を支払う受付は建物の内部です。
 庫裡から客殿への縁側(板張りの廊下)を歩きます。廊下沿いには、障壁画で飾られている狭い畳の部屋があります。控えの間といったところでしょうか。
 南の庭園に出ます。縁側の端が広くなっており、説明のバンフ(白黒印刷)には「中門廊」となっています。先の光浄院と同じ造りです。庭園にせり出ししている縁側、といったところです。説明員の方が立っていて説明してくださいます。ここは三井寺の「学問所」とのこと。ここ一之間と二之間が南の庭園に面していて狩野光信の障壁画は複製で実物は収蔵庫です。
 庭園の建物の南に位置しますが、南が斜面なので日当たりはよくありません。こと、現在は晩秋の夕刻。太陽の光は当たりません。影になっていて寒いです。紅葉したモミジの葉が池に落ちています。斜面を利用して木を上、手前が池泉になり、庭石が斜面や池の周りに配置されています。「桃山式」の庭園です。覚えましたよ。(笑)。
 その名の通り「学問所」、光浄院は「お客をもてなすところ」。より実用的なのがここ勧学院でしょう。客人をもてなす所ではないので「上段の間」といわずに、一之間、二之間というのでしょう。
 勧学院の書院も庭園も当時の最先端の贅沢な造りです。ここで公家、大名など権力者をもてなすことも可能だったでしよう。すると、勧学院の部屋で勉学に励んだ学僧は随分贅沢ですね。
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 勧学院の入口。右の建物には個人の表札がかかっていました。住職の自宅なのでしょう。


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