2014年11月24日

 平成26年秋 国指定名勝 旧彦根藩松原下屋敷(お浜御殿)庭園 特別公開。

 順路の奥まったところです。「順路」と書きましたが、観光コースのようには完全に整備されていません。空き屋敷となった建物が並んでいます。
 下の写真は、外から見えた蔵とは別の蔵のようです。明治時代は、当時華族であった井伊伯爵家の財物を保管していたのでしょう。
 
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 何か説明の看板があるぞ、と近づいてみました。
 すると「公園はここまでです。」との告知でした。
 ケヤキと思われる木々が黄色美しく色づいています。南の方向にあたります。自動車の通る音が聞こえてきます。
 この蔵の裏には、昔なんと「船屋形」があったのです。

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 左は、蔵の一部とかつての住居と思われる建物(右)。

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 池の跡に迫ってみます。南の池の奥まったところ。葦やヨシとみられる湿地性植物が植生しています。
ぬかるみには注意です。

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 一番上の写真と同じ建物を角度を変えて撮影。奥は蔵です。石燈籠もあります。
 かつては座敷前の庭を照らす役割をしていたのでしょう。庭石や燈籠石の破片が点々と置いたままになっています。二百年以上は前のものと思われる石材もあると思いますが、壊れた後は補修等の維持、管理されておらずそのままになっています。惜しいことです。屋根の瓦も蔵の前に置かれたままになっています。


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 上の写真とかぶりますが、南方向。この先の右にも池にかかる橋があったことが『解説シート』に記載されている古地図で分かります。橋げたの礎石は、写真ではよく判りませんがわずかに確認・・・できませんね。撮影したポイントより先に入ることはできないため、このアングルからが限界です。古地図によると、この庭園に橋は二個ありました。
 庭園や池の跡はかなり奥行があります。写真中央の奥まで水面は広がっていたと推測されます。岸に配置されていたと思われる石も点々としています。実は、『解説シート』によると下の写真の右側の丘(紅葉している木)の更に右方向には、水路がありました。船屋形もあり、玄宮園などへお城の中堀、内堀とつながっていて、舟で行き来できたとのことです。
 写真の奥は、(写ってはいませんが)湖岸道路であり、車が通る音が聞こえています。
 実は江戸時代の古き庭園でも、いつまでも静寂とはいきません。現代化はすぐ敷地の隣に迫っています。

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 庭の南から北(琵琶湖方向)を見る。うーん池の水が無いため、どこまでが水面でどこまでが岸か
分かりません。護岸の庭石や白洲を表現していたばすの玉砂利もあった筈なのでしょうけど、失われてしまったのか、元々無かったのか・・・。

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 池の端の方まで行き、再び「書院」前まで戻ってきました。
 紅葉したモミジがまるで屋根をつくっているかのように覆いかぶさっています。

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 庭園を去る前に、もう一度書院前の庭園正面を見る。

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見学者の人数は、私達が入場したときに、先に二、三組いました。先客が、いなくなったあと一時私達の貸し切り状態になりましたが、程なくしてあとから数組の見学者が入場してきました。駐車場に戻ると私達が来たときよりも停まっている車は増えています。 数は多くないが、切れることなく入場者があります。昼食の時間帯に訪れたので、他の時間帯よりは、入場者が少なかったかもしれません。