2015年2月

 ここは、日本橋。「にいがた」の展示プララザにやってきました。(というより、前を通りかかっただけですが。)
 その名も「ブリッジにいがた」
 新潟県のアンテナショップと観光情報センターといえば、表参道にあります。が、以前からここ日本橋には新潟県の産業やビジネスの展示スペースがあります。都心の超一等地です。県が主体ではなく、地元の銀行の東京支店の一階部分が展示スペースになっているようです。ビル名も「だいし東京ビル」ですから第四銀行のビルです。
 全国各地のいわゆる地方銀行(地銀)は都心一等地に立派な東京支店として自社ビルを持っていることが多いです。ここもそのひとつで、オープンスペースとして地元企業、産業の東京進出の一助を担っているということでしょうか。
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 この日は、刃物の展示会。商品販売もしています。「カンナかけ体験」もありましたが、ウチの子はヒビってしませんでした。大人の女性が体験しています。「結構難しいですね~。力が要りますね~。」と言いながら研いで?削って?います。職人は力を入れずにスーっと削るのでしょうけどね。私が体験してもきっとキパッて力まかせジーズー研いで?削って?刃がかえってボロボロ、削った木面はデコボコになってしまうというとごろでしょうか(笑)。材木が波打っていたのではお話になりませんね・・・・・。
 展示、販売は主に体験を行っていたカンナなど大工道具と包丁。休日の日本橋ということで、主婦も買い物に来ます。ここで主力で売れるのは包丁でしよう。
 職人でないと日本橋のドマンナカでいきなり、カンナなどの大工道具を買うというわけにはいきません。金槌の品ぞろえはあまり無かったと記憶しますが、デカイくぎのような金属(名前が忘れた)が道具一式として販売されていました。包丁も料理人が使うような玄人モノが中心のようです。一般の主婦が使用するには重厚過ぎるのではないかと思いました。
 こまフェアは「与板」の刃物の展示、即売。昔でいう鍛冶、今でいう金属加工業が盛んな土地なのでしょう。与板といえば、井伊氏の領地があり、独立した二万石くらいの大名が置かれた武士の町でした。井伊分家のお殿様も産業を奨励していたのでしょうか。
 食器製造加工の盛んな燕市も近いので、昔から金属加工が盛んな土地柄なのですね。燕も以前は鍛冶職人が多くいて、明治大正以降、食器加工が盛んになり、戦後の洋風への食事の変化に伴ってスプーン、フォークなど洋食器の産業が更に発展したのでしょうか。