2015年3月
 
  小田原文学館の敷地内に小田原に別荘などを構えた著名人の案内があります。
なんといっても筆頭は 山縣有朋、次に 伊藤博文。三番目にこの建物の建築者 田中光顕の紹介がありました。
 明治の後半から大正10年かに死去するまで政界、官界、軍界では「小田原」といえばまず「山縣有朋」を指したのではないでしょうか。「椿山荘」のある「関口」や「目白」が別名だったのではないと思います。(椿山荘は譲渡して晩年はもっぱら小田原にいたのかも知れませんが。)
 その後、昭和期に入り「小田原」といえば、閑院宮殿下を指したのだと思います。地名で政治家や高官を指す例といえば、昭和戦前期 「興津」といえば「西園寺公望」でしょうか。
 

IMG_2295



























 旧福岡藩の黒田侯爵家、山下汽船の山下家の邸宅もあったことが分かります。黒田家には閑院宮家の女王が降嫁しており、春仁王(戦後は閑院春仁、のち純人)とも交流があったと先の展示会でありました。
山下家といえば先年ドラマで主人公となった秋山真之と深いつながりがあることが分かりました。ドラマのついでに伝記などを少し読んだところ、実は秋山真之は小田原のここ山下汽船のお屋敷で療養していて死去したのだそう。同じ「愛媛」繋がりですね。しかし、秋山は現在の松山の人、山下家は八幡浜の出。旧領主は違います。ならば松山に母方のご先祖の墓がある私の方が近しいと思います。でも、秋山と同郷の私の先祖に交流があったという記録は一切ありません!!。小田原には瓜生外吉の別宅もありました。秋山真之と同じ海軍の軍人です。
 益田孝の名前も。三井の大番頭。のちに男爵まで授けられた人物。物産、商船などで政界に食い込んだ(日清、日露戦争などで功績を挙げた)のでしょう。

IMG_2294



























 看板下の方に「松永安左エ門」(耳庵)の説明もあります。同じく小田原に屋敷を構えた人でした。先年の原発事故、電力不足に関連して一時的に最注目された人物です。「電力の鬼」。現在まで続く戦後の地域分割、発送電一体制を築きあげた人物。茶器など東京国立博物館の展示、収蔵品にも「「松永耳庵氏贈」のものが多数あると思います。

 小田原文学館(旧田中光顕邸)の外観。八角形の部屋がおしゃれです。一階と二階が洋館で三階部分が和風の四角い部屋で瓦の載った屋根です。説明によるとスペイン風建築とのことで(説明によるとスペイン瓦を使用しているとか)、二階建てのイスパニョール風建築に日本の平屋を三階部分の増築したような印象を受けます。

IMG_2305



























 八角形の出窓部分と庭園。
 そろそろ春分を迎える早春の夕日に照らされています。

IMG_2306



























 駐車場の様子。林の先には小田原文学館の建物があるのですが、よく写っていません。正面の門から見ると立派な車寄せもあります。

IMG_2308



























 小田原文学館前の道路。小田原駅からは徒歩で20分以上はかかるでしょう。写真右の北方向が国道一号線で箱根駅伝の中継ポイントも近くです。道路を一本、二本入るとこのような静かな住宅地。桜並木です。あと一か月もしないうちに満開になるのでしょう。が、この日はどことなく暖かいがまだまだ気温は低いです。

 写真左は文学館前の広い空地です。昔はどこかの財閥のお屋敷があったのかもしれませんが、現在は更地です。地図を見ると数年前まで県や市の施設があったようです。移転して今は更地なのでしょう。
 
IMG_2309



























小田原文学館の前の住宅地。更地は昔の県などの施設の跡地。
東の空に雲がかかっています。冬から春への変わり目の季節。雲の北(写真でいうと左)は雪雲のように鉛色でした。春を思われる明るい青空と冬を思わせる鉛色の雲が印象的でした。

IMG_2293