2015年6月6日

 東洋文庫ミュージアム。
 昼食を食べてから、開催中の「ブラウの大地図展」と常設展示を見るべく入場します。
(後述しますが常設展示という呼び方はしないようです。)
 入館料は900円。受付は赤い模様の入り、ラオス民族衣装もモデルにしたという制服を纏った『MA』(ミュージアムアテンダント)の方でした(♪♪)。これが噂の制服なのか、と艶やかな彩(いろどり)と美しい模様にうっとりしました。どことなく、ベトナムのアオザイに似ていますし、タイの民族衣装にも似ているように感じますし、一番似ているなと思ったのは、「シンガポール航空」のCAの制服です(笑)。
 本当にこの艶やかな赤を基調とした色彩の服は「いかにも熱帯アジア地域の民族衣装」という感じがします。ついでに書くと・・・・・・、私は決して怪しい人ではありません(笑)。

 実をいうとチケット購入に際して、入場券は渡されませんでした。MAの方からシールを貼るように言われました。私は左胸に貼りました。これが入場券代わりのようです。少し驚いたのがパンフレットを渡されなかったこと。パンフレットではなく、A4版の白黒印刷の展示室の案内図と展示品リストを渡されます。レジの周囲を見ましたが、セルフでパンフを取るようにもなっていないようです。「パンフレットは無いのだな」と理解しました。(本当はあるのも知れませんが。)
 たしかに、ミュージアム内の展示室は大きくないし、展示品目は変わるので、上質紙に印刷した館の案内パンフよりもその時々の展示品リストを渡した方が合理的ですね。
 また、次回企画展の割引券を渡されました。入場料金が100円引きになります。次回はというと、8月下旬スタートでまだ先のことです。割引券をとっておくのが大変かも・・・・。忘れてしまいそうです(笑)。
 テーマは「幕末展」。おそらくは、東洋文庫に所蔵される幕末~明治初期の文献を展示すると思います。(幕末展の)内容はというと、シーボルトの著作に始まり、ペリーの「日本遠征記」、次いでやってきたハリス、イギリス公使のパークス、オールコック、通訳のアーネスト・サトウ、フランス公使のロシュ、武器商人トーマス・クラバーなどなど幕末~明治期に活躍したそうそうたる人物達の著書、文献、資料などが総合的に展示されるのだと思います。日本人としては、「幕末への胎動」として西洋関係の研究を志した者、杉田玄白らの「解体新書」、渡辺華山、高野長英などに関する展示もあるかもしれません。さらに数年前訪問した宇和島でその事績を知った二宮敬作、適塾の緒方洪庵などの資料の展示もあるかも知れません。
 もちろん、東洋文庫のコレクションの元となったモリソン関係の資料も展示されると思います。(以上はすべて私の勝手な想像ですが・・・・(笑)。)

 ↓ 東洋文庫の新名物「モリソン書庫」は二階にあります。一階の天井が吹き抜けになっているため、
   一階から書庫を見上げることができます。
   写真は二階から撮影しています。
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 ↓ モリソン書庫の前と一階をつなぐ階段上から。入口方向。
  入口のガラスドアとその右に受付カウンターがあります。ここでチケットを買います。MAの方も少し写っています。このときは二~三人受付にいました。シッョプコーナーはこじんまりしています。レジも受付でありチケット購入と一緒です。 

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 ↓ 二階の階段下にあるチェンバロの復元。かたわらにフェルメールの絵画の複製が展示されています。
   有名に「ブァージナルを弾く女」です。今回の「ブラウの大地図展」に合わせての展示と思います。

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↓ ガラスけケースに展示された書籍。
  三国史演義(満州語本) 何を書いているか全く分かりません。清朝の時代に発行されたと思います。
  支配者の満州族が漢文化を取り入れるために編纂したのでしょうか。
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 ↓ 二階から今度はお庭の方向。
   庭には芝生があり、その先に通路があり、小岩井のレストランと繋がっています。
   先ほどは入館前だったので、庭の外の通路を通って敷地の奥にあるレストランに歩いたのですが、
   一旦入館をした後でも、庭に面したドアから出て、芝生の庭の傍らを通り、直接レストランに行くことが
   できます。

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 一階の展示室は「オリエントホール」と名付けられています。

 ↓ 「オリエントホール」と展示ガラスケース、奥は入口。
   写真右の階段で二階の「モリソン書庫」の上がります。

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ガラスケースには東洋、とっいっても日本の書籍もありました。上田秋成「雨月物語」、「南総里見八犬伝」
江戸時代に刊行されたのでしょう。
あのインドの大叙事詩「ラーマ・ヤーナ」の書籍もありました。
中国関係では「水滸伝」も。





















 アジアの探検誌も展示がありました。アフリカを探検したリヴィングストンの日記や有名なヘディンの「さまよえる湖」も。私は昔、子供版のリヴングストンやヘディンの著作を読んで、冒険心を煽られたものです。特に「シルクロード」関連で「さまよえる湖」、タクラマカン砂漠の東に位置するロプ・ノールに関するヘディンの探検記は深く印象に残りました。「いつかボクもこんな探検をするぞ。」と大いなる夢を持ったですが、今ではすっかり世俗化して日々の生活に追われる、しがないおっさんになってしまいました(笑)。「日銭を稼いで糊口を凌ぐ」とは今のボクのことです(笑)。いつから夢の無い大人になってしまったのでしょうか!?、子供の頃の夢って実現しないものですね(笑)。

 話は戻って、リヴングストンやヘディンの著作がコレクションにある・・・。つまり、当時、岩崎久弥は西洋人の探検に関する書物にも関心を持っていたのでしょうか。とすると「大谷探検隊」との共通性を見出すことができます。当時、探検隊を派遣した西本願寺の大谷伯爵と岩崎久弥はほぼ同年代だったはず。恐らく当時の上流階級や華族、更には政治の関係で面識があった、どころか親しく交際していたのではないか、と想像も膨らみます。
  
 ↓ 東洋文庫の庭。奥が小岩井レストランの建物。写真右には樹木の下のレストランに
   つながる通路があります。更に右は・・・・敷地の外で一般のマンションのようです。
  実は写真の奥の小岩井レストランの建物の奥の方向には、アイソトープ協会もあるのですね。
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旧三菱財閥、医師会、アイソトープ
協会、何らかのかかわりを感じます。