奈良国立博物館
特別展 「平安古経展」を見学します。
昨年の秋、正倉院展の宝物が展示され、ごった返していた展示室がこの日はすいています。ガラスケースの中の展示品をゆっくり観ることができます。「見」ではなく「観」です。
展示室内はガラ空き、貸切状態というわけではありません。ひとつのガラスケースに一人、長いガラスケースだと展示品一点か二点おきに一人は見学者がいます。本当に興味がある人でないと来ない特別展と思います。
若い人も多いです。正倉院展の見学者の平均年齢はざっと見ですが、意外と高い。
ここ「平安古経展」では、私よりも若い感じの女性や母娘連れ、学生らしき人もいます。50歳-60歳くらいに夫婦もいます。私くらいの年齢の男性もいます。たいていそういう人はお一人様です。私もそうですが(笑)。
いや、しかし正倉院展は同じ博物館での開催であるのになぜあのように大行列なのでしょうか。年代が古いという点もありますが、宮内庁、皇室秘蔵伝来の宝物という点が人々の興味を引くのでしょうか。
↓ 入口の看板です。
国宝も数多く展示され、時代の古さでは正倉院の宝物には及びませんが、当時の思想や信仰を知る上で貴重な資料です。
漢字も私達にわかる書体なのである程度の意味をつかむことはできます。しかしお経なので長い、とても全部読んでいられません。全部読んでいたら、一日ではとても見学時間が足りません。
昨年の国宝展でも展示されていたと思われる中尊寺大長寿院蔵の 宝塔曼荼羅がありました。別の宝塔の作品展示かもしれません。金泥のお経の文字で宝塔、五重か七重塔を描いてある精密な仏画です。文字によるミニアチュールというか、細密画というか、ものすく゜細かい仕事をしています。
都から遠く離れたみちのくの地で熱き信仰からこの作品が生まれたのでしょう。国宝展でも最も印象に残った作品のひとつでした。
展示リストによると今回の展示は「第六塔」とあります。昨年の国宝展のリストを後日見たところ「第一禎」と「第四禎」が出展されていたので、今回の展示品と違う場面のようです。
平面のガラスケースに国宝「一字蓮台法華経」の展示がありました。福島の龍興寺というお寺の所蔵です。
漢字とサンスクリットのような文字が書いてあります。奈良時代を思わせる文字で埋め尽くされた、優美な大和絵を排した不思議なお経です。
琵琶湖に浮かぶ島、竹生島の宝厳寺蔵、「竹生島経」もありました。
国宝の「中尊寺経」がいくつか展示されていました。高野山の金剛峰寺蔵となっています。なぜ、
中尊寺のお経が高野山にあるのか。もともとは中尊寺で製作された経典ですが、奥州藤原氏滅亡後、高野山に伝来し、今に伝わっているようです。散逸を防ぐため一括して高野山で藤原氏を弔う意味を込めて預けたのでしょうか。後の時代、戦国武将がすすんで高野山に寄進したのも、自家の繁栄を祈願することはもちろんですが、万が一お家が滅亡した後も高野山ならば未来永劫、一族、郎党の菩提を弔ってもらえると考えたのではないでしょうか。
昨年京都博物館で見たと思われる経箱の展示もありました。藤原道長の金峯山に埋めたとされる金属製の筒です。よくよく考えると奈良の吉野の山に奉納して埋めたので、奈良国立博物館で展示されるのが一番よいと思いました(笑)。
最後の展示は 久能寺経です。分割して所蔵されていますが、今回修復が終わり展示されたのです。美しく金箔銀箔などを押した絵巻です。平家納経よりも美しいのではないかと思われる優美な当時の貴族の生活などを描いたと思われる絵巻物でした。
西新館の半分は、奈良仏像館の展示品が移動して展示されていました。常設展示的な場所でした。工事中の
建物の展示品が移されて展示されているのでしょう。
昨年の国宝展の展示とかぶっているが
法華経 浅草寺蔵
法華経 久能寺蔵などでした。いずれも場面は違う所が展示されていたと思います。国宝の久能寺経は昨年の国宝展と違う場面が展示されていたのでしょうか。国宝に指定されているのは一部で、他で所蔵されている久能寺経は重要文化財指定などすべてが国宝指定ではありません。
浅草寺も金箔をまぶしたような美しくい経典です。江戸の街ができるはるか昔から浅草寺に伝わっていたのでしょうか。
特別展 「平安古経展」を見学します。
昨年の秋、正倉院展の宝物が展示され、ごった返していた展示室がこの日はすいています。ガラスケースの中の展示品をゆっくり観ることができます。「見」ではなく「観」です。
展示室内はガラ空き、貸切状態というわけではありません。ひとつのガラスケースに一人、長いガラスケースだと展示品一点か二点おきに一人は見学者がいます。本当に興味がある人でないと来ない特別展と思います。
若い人も多いです。正倉院展の見学者の平均年齢はざっと見ですが、意外と高い。
ここ「平安古経展」では、私よりも若い感じの女性や母娘連れ、学生らしき人もいます。50歳-60歳くらいに夫婦もいます。私くらいの年齢の男性もいます。たいていそういう人はお一人様です。私もそうですが(笑)。
いや、しかし正倉院展は同じ博物館での開催であるのになぜあのように大行列なのでしょうか。年代が古いという点もありますが、宮内庁、皇室秘蔵伝来の宝物という点が人々の興味を引くのでしょうか。
↓ 入口の看板です。
国宝も数多く展示され、時代の古さでは正倉院の宝物には及びませんが、当時の思想や信仰を知る上で貴重な資料です。
漢字も私達にわかる書体なのである程度の意味をつかむことはできます。しかしお経なので長い、とても全部読んでいられません。全部読んでいたら、一日ではとても見学時間が足りません。
昨年の国宝展でも展示されていたと思われる中尊寺大長寿院蔵の 宝塔曼荼羅がありました。別の宝塔の作品展示かもしれません。金泥のお経の文字で宝塔、五重か七重塔を描いてある精密な仏画です。文字によるミニアチュールというか、細密画というか、ものすく゜細かい仕事をしています。
都から遠く離れたみちのくの地で熱き信仰からこの作品が生まれたのでしょう。国宝展でも最も印象に残った作品のひとつでした。
展示リストによると今回の展示は「第六塔」とあります。昨年の国宝展のリストを後日見たところ「第一禎」と「第四禎」が出展されていたので、今回の展示品と違う場面のようです。
平面のガラスケースに国宝「一字蓮台法華経」の展示がありました。福島の龍興寺というお寺の所蔵です。
漢字とサンスクリットのような文字が書いてあります。奈良時代を思わせる文字で埋め尽くされた、優美な大和絵を排した不思議なお経です。
琵琶湖に浮かぶ島、竹生島の宝厳寺蔵、「竹生島経」もありました。
国宝の「中尊寺経」がいくつか展示されていました。高野山の金剛峰寺蔵となっています。なぜ、
中尊寺のお経が高野山にあるのか。もともとは中尊寺で製作された経典ですが、奥州藤原氏滅亡後、高野山に伝来し、今に伝わっているようです。散逸を防ぐため一括して高野山で藤原氏を弔う意味を込めて預けたのでしょうか。後の時代、戦国武将がすすんで高野山に寄進したのも、自家の繁栄を祈願することはもちろんですが、万が一お家が滅亡した後も高野山ならば未来永劫、一族、郎党の菩提を弔ってもらえると考えたのではないでしょうか。
昨年京都博物館で見たと思われる経箱の展示もありました。藤原道長の金峯山に埋めたとされる金属製の筒です。よくよく考えると奈良の吉野の山に奉納して埋めたので、奈良国立博物館で展示されるのが一番よいと思いました(笑)。
最後の展示は 久能寺経です。分割して所蔵されていますが、今回修復が終わり展示されたのです。美しく金箔銀箔などを押した絵巻です。平家納経よりも美しいのではないかと思われる優美な当時の貴族の生活などを描いたと思われる絵巻物でした。
西新館の半分は、奈良仏像館の展示品が移動して展示されていました。常設展示的な場所でした。工事中の
建物の展示品が移されて展示されているのでしょう。
昨年の国宝展の展示とかぶっているが
法華経 浅草寺蔵
法華経 久能寺蔵などでした。いずれも場面は違う所が展示されていたと思います。国宝の久能寺経は昨年の国宝展と違う場面が展示されていたのでしょうか。国宝に指定されているのは一部で、他で所蔵されている久能寺経は重要文化財指定などすべてが国宝指定ではありません。
浅草寺も金箔をまぶしたような美しくい経典です。江戸の街ができるはるか昔から浅草寺に伝わっていたのでしょうか。