2015年8月
 
 錦鯉の水路から移動しました。駐車場付近に戻り、「沙羅の木」のおもみやげ物屋を見て、暑いのでアイスを食べました。いや~「沙羅の木」グループの巨大さが分かりました。
 車でお城の跡まで移動します。津和野といえば、武家屋敷と水路に泳ぐ錦鯉です。写真でも「津和野」といえば鯉が必ず掲載されます。が、お城は鯉と比べてあまり有名ではありません。天守閣が復元されていないこともあるかと思います。ただし、城跡自体は山の上にあり、ロープウェイかリフトがあります。時間が無いので山の上までは行けません。
 旧藩庁の跡地は「嘉楽園」と名が付いていました。城跡といってもメインの城郭はリフトで登る山の上にあり、平地には御殿、藩の政庁があったのでしょう。

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 かつて御殿と庭園があったそうです。ゆえに「嘉楽園」と現在名前が付いています。かつての大名庭園跡といいたいところではありますが、その面影はほとんどありません。
 ↓ 跡地にこんもり丘が築かれていて大きな石碑(記念碑)があります。


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 城跡の土地のかなりの部分はグラウンドになっていました。道路を挟んで反対側に高校があるので体育や部活で使用するのでしょうか。サッカー、ラグビーに最適の広さです。
 ↓ 写真奥の建物が山の上へのリフト乗り場のようです。

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 正面からやや左を見る。石碑のある丘の左側。写真の中央の奥には御殿の庭があったようです。
写真の左側が南になるため、御殿の南側に広間が設けられ、縁側に面して池泉の庭園が築かれたことが想像されます。
 現在では城跡に接して民家が建っています。現在ではふつうの広場です。柵も特にないので、子供の遊びらは適しているかも知れません・・・・。

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↓ 津和野城跡の説明板
  石碑のある丘は庭園の築山であるとあります。

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 道路に面して櫓が残っています。現在、城跡の土地は櫓が門のように立っていて、山の裾野に広がっています。ただしね説明板によるともともとは現在のところではなくて、移築されたとあります。藩政時代は現在の高校の敷地も含む広い敷地だったのでしょう。
 「嘉楽園」は『萩、津和野』などのタイトルのガイドブックにも載ることは少ないと思います。観光地図でわずかに地名だけ載っているというケースがほとんどと思います。夏のとある一日のこと。訪れる人はほとんどなく、セミの声に包まれていました。

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↓ 物見櫓の説明板。

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 ↓ 城跡見学をする際の駐車スペース。グラウンドの来る人のための駐車スペースでもあります。
  写真奥は高校の体育館です。桜の木が多くあります。春は美しい桜が咲くことでしょう。
  訪れた季節は夏。せみがジージーないていました。ミンミンゼミではなかったです。

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※ この記事では「嘉楽園」を「大名庭園」と位置付けしてカトゴライズしています。通常、ここ津和野の「嘉楽園」
は旧大名庭園には分類されませんが、敢えて独自に分類しています。あしからずご了承ください。