2015年8月

 萩の松陰神社。境内に宝物殿、その名も「至誠館」があります。
 実は、鳥居の手前、駐車場の近くにも資料館があります。こちらは、神社の宝物などを保管展示する施設のようです。
 建物は新しく2009年の竣工。建物の前には人工の池があります。炎天下なので涼しさを感じます。
 特別展「吉田松陰が生まれた杉家とその家族」を昨年からほぼ一年の期間で開催しています。

 ↓ 池の中に「徳」の字があります。
   池に面した壁に「タテの長方形」の窓が小さく開いています。建物の内部からこの窓の外を見ると、
   「松下村塾」の建物が正面に見えるようになっていました。
 パンフレットによると「村塾の観席」といって塾の建物がダイレクトで見えるように設計されています。四角い部屋で映像コーナーもあります。平らなイスがあり、腰をかけると小さい窓から松下村塾の建物が見えます。

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 特別展が開催されていたので見学します。
 入館して向かって左、上の写真に写っている建物の内部が展示資料室でした。

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 特別展は、杉家の系図の説明がありました。親族の手紙などを展示していました。
 展示室の奥には「留魂録」といって松陰が処刑の直前に書いた書跡の展示スペースがありました。文字は何とか読むことができます。死を前にして落ち着いています。そのタイトルの通り、死しても魂はこの世にとどまることを企図していたのでしょうか。

 明治維新後、神格化され、現在でも神社で祀られています。が、松陰その人の事績を知る人、ましてその事績を語ることができる人は多くないでしょう。何かを成し遂げた人、という訳ではありませんし、政治家でもありません。思想家ということはできると思いますが・・・・。ペリーにアメリカに連れて行ってもらおうとした人、幕府を批判して安政の大獄で死刑になった人ということは私も知っています。が、具体的に何を批判したのかは、実をいうとよく判りません。幕府の開国に反対したのか、政治そのものに反対したのか、倒幕を企図した人だたのか、よく理解をしていません(苦笑)。
 が、松陰を尊敬しているという人は多い。特に政治家、政治家志望者では多いのではないかと思います。アノ総理大臣様をはじめ、首相、閣僚経験者などを中心に多いのではないでしょうか・・・・・。今年、世界遺産になった理由のひとつでもありましょう。