2016年1月31日 
 
 上野にやってきました。東京国立博物館の特別展「始皇帝と大兵馬俑」、略して「始皇帝展」の見学です。
 
第二章「始皇帝の実像」の展示、
「統一の事績」
 墓碑からわかる陶工の出身地、役務の人の出身地の解説がありました。

ある死亡した人物はは、今の山東省の人。陶工は主に洛陽、西安から西の人。秦の故地の出身が中心です。
労役について人は斉の国など あとから秦が征服した国の出の人が中心でした。労役について人の出身地に点がついていましたが、黄河沿いに咸陽から下流の人、現在の河北省や浦ほ線くらい 徐州付近の出身者までいたような。
 陶工は現在の洛陽から西、現在の西安の更に西、西域と呼ばれる地域の人もいたような。いわゆる「シルクロード」沿いです。こうした土で作る陶工技術もシルクロードを通じてもたらされたのかもしれませんし。高い技術が秦が統一王朝となる素地があったことに間違いはありません。

 墓碑の氏名は氏が漢字一文字、名が二文字。現在の中国の氏名とあまり変わらないような名付けです。すると日本の名づけは相当変わりましたね。正倉院文書にあるような名前の子どもは今はいませんね。「××マロ」のような名前は、現代の日本にはありません。

 宮殿建築の片りんとして、瓦などの展示が。当時の宮殿の陶器の水道管の展示がありました。宮殿の絵の残片と思われる「車馬行出図」はまさに馬車が走る様子です。菱型の枠の中に彩色で描かれています。宮殿を飾った絵のひとつです。
 第一展示室の最後には映像コーナーが。ここにありました。道理で一階の入り口外に無かった訳です。映像は10分と少し。大スクリーンです。イスはかぎられるので、背後で立って見る人のほうが多いです。

 現在の始皇帝陵墓の空撮映像から始まります。「1974年 ・・鍬が当たって発見につながった・・」とナレーションが始まります。映像中の説明には無かったと記憶しますが、史記にも記述が無いそうで。史記は始皇帝の時代から150年後くらいですから、さほど時間は経っていません。伝承が途切れたのか、秦が滅びた後、伝承が禁止されたのか、忘れ去られたのか・・・・・。

 NHKが撮影した、または元々持っている映像ですね。NHKが主催者である理由が分かりました。あの「シロクロード」の番組以来の蓄積された映像があるのでしょう。
 始皇帝の陵墓は川の北岸にあるようです。河岸段丘上の平地を利用しており、段丘のへりは崖になって
その合間を川が走って、渭水に注いでいます。乾燥地帯、しかも土地は黄土が堆積している地層なのでもろそうです。大雨が降ると水はけが悪いので一気に土地の土壌を削ってしまう鉄砲水に゜なるのでしょう。

 陵墓の東に兵馬俑が埋まっている映像が。現在の博物院の建物外観と保護のドーム屋根の様子が映ります。土を掘って、そこに発掘された膨大な兵馬俑を並べています。現在までのところ6000体以上発掘されていると説明ナーションでありました。
 なぜ、東のやや離れた場所に埋まっていたのか、分っていないようです。周囲には農村もあり、他の場所は発掘しないのでしょうか。陵墓の周囲は畑や集落のままです。陵墓の規模からすると、兵馬俑の埋まっている地帯はかなり限られています。
 陵墓の周囲すべてまで兵馬俑を制作して埋めるまで、秦の国はもたなかったのかも知れません。


 さて、展示室を出て、一旦売店の前へ。次に第二展示室へ。

 銅でできた馬車の副葬品「銅車馬」の展示です。

 ↓ ジュニアガイドのパンフレット。

DSC06105



 「銅馬車」ではなくあえて以前からの呼び名「銅車馬」で統一しているとのこと。一号の御者は立っています。

当時の服装などを知る貴重な資料です。

 二号の馬車の御者は座っています。二号のうしろには屋根のついた部屋があります。部屋の屋根の高さは低いです。部屋には、窓もついています。うしろから乗り降りする出入り口がついています。
 「これは始皇帝の専用車だ」と直感しました。始皇帝は馬車で移動の最中に死んだそうですから、もしかして最期に乗っていた馬車の模型として製作され副葬されたのでしょうか??。
 展示室内の壁面のガラスケースには 馬車についている小道具の展示が。銅の馬の首の裏側につける装飾品など。本物ではなく、副葬する銅の馬につける飾りです。細かいお仕事をしています。金製の装飾具や馬の面をかたどった「金馬面」があります。朽ちることなく永遠の輝きを放っています。どうやって昔の人は金を精錬したのでしょうか。


 「車馬」自体は複製品とあとで知りました。会場にいる間とその後しばらくはオリジナルと思っていました・・・・。よくよく「ジュニアガイド」を見ると、ちゃんと「複製品」と書いてありますね(苦笑)。

↓ 館内階段、エスカレータ前の垂れ幕(既出)


IMG_3306