2015年8月

 ここは愛媛県大三島。大山祇神社です。

 さあ、神社の境内に入ります。
 大山祇神社の由緒を確認します。昔は海から真っ直ぐ参道に来ることができたのでしょう。

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境内には斎田?、がありました。新嘗祭などでお供えする稲を栽培しているのだと思います。

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境内を進み門をくぐります。
「総門」といい、平成22年に再建されたと説明にあります。前回来たときは、再建前だったことになります。

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 門の正面にある大木。説明によると樹齢が2600年くらいで、国の天然記念物の「大楠」とのこと。古来から造船の材料として使用されたので、神木として祀られたのだそうです。縄文時代からある楠といったところでしょうか。
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と、門の傍らには楠が。よく見ると伊藤博文参拝記念植樹とあります。

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 近くによって看板を見ます。確かに伊藤博文参拝記念植樹です。常緑の楠です。落葉することなく常に緑色の葉が繁る「楠」は(造船の材料である以上に)国家繁栄の象徴でしょう。彼は明治42年3月22日に大山祇神社に参拝していたのです。
 明治42年というと、博文が暗殺された年ではないかと思いました。あれ、これは暗殺される直前のことではないか?と思いました。韓国併合が1910年、きっかけは前年の伊藤博文のハルピン駅での暗殺だったと歴史の授業で習ったと記憶します。すると、明治42年は1909年に当たり、やはり暗殺された年です。博文の大陸への渡航経路は明らかではありませんが、満州への途中でここに立ち寄ったのだと思います。
 まさか、その後ほどなくして自分の命が無くなるとは思ってもみなかったでしょう。
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 近代日本最初の首相にして稀代の性豪エロ男、明治の好色一代男、不世出の大宰相、その肖像が紙幣にもなった偉大な人物、栄達を極めて大勲位 公爵に昇った人 伊藤博文の最期の時が迫っていたなどこのとき誰が予測しえたでしょうか?。

 戻った後に調べて見ると、明治42年の10月に暗殺されています。すると、ここに来たのは暗殺の7か月前のこことで、博文「最期の旅」ではありませんでした。韓国統監だった筈なので、3月の参拝のこの時は、韓国(大陸)と内地(日本)を往復していたのでしょうか。

 「日本総鎮守」の大山祇神社。航海の神様として信仰を集めたことはよく知られています。同時に鉱山の神様としても信仰されていました。航海と鉱山では「海」と「山」で真逆ではないか?、と思いました。
 由緒には「地神」、「海神」兼備の大霊神とあるので、鉱山つまり「ヤマ」の神として全国で信仰されたのでしょう。
 が、戦前の社格において旧国幣大社とは意外です。官幣大社ではありませんでした。
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↓ 本殿。夏休みとあってか、家族連れでの参拝も多いです。
社殿は重要文化財の指定。ここ大山祇神社の建築物自体に国宝はありません。
奉納された武具などが現在文化財として国宝に指定されているので「国宝の島」なのでした。
実際には拝殿の前で参拝しているのであり、本殿はその奥です。


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↓ 夏の日の強烈な日差しに照らされる本殿。参拝者も汗だくで見るからに暑そうです(苦笑)。
本殿で参拝をした後は、回廊下の広い日陰の下に早く入りたい一心でした・・・・。



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↓ 本殿の傍らのお守り売り場。
子供達の関心はもっぱらこちらです(笑)。

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近年は国宝の島としても注目を集めていますし、「大漁屋」効果、「しまなみ海道」のサイクルの聖地効果などもあって、賑わっているようですね。