2015年9月21日の月曜日、北海道旅行2日目。
  
  前日の夜にチェックインをした旭川市役所近くの「ホテルクレッセント旭川」を慌ただしくチェックアウト。車(レンタカー)で出発。一路北に向かう。旭川の市役所を経て、川の北に行こうとするが、左折するところを真っ直ぐ進んでしまい間違えた。が、ほぼ碁盤目状に道が通っており、川の近くは斜めに市街地を通る道路のおかげをもってすぐに、元の道に戻り、リカバーできた(笑)。
 本日は、旭山動物園に向かい、ななんと、知床まで走る・・・・。旭山動物園は9時30分からの開園と比較的遅い。市内から動物園までは車で30分くらいかかる。地方都市であるのに、相当郊外にある動物園だ。
 それまでの時間調整、というか市内を視察をする。

 家と家の間の間隔が広く、道幅も広い。冬期の雪のためか、道路のアスファルトは削られている感じ。北国、積雪地特有のコンクリート打ちのような舗装道路である。
 川を渡る橋を通る。と、流れる川は石狩川であった。水量が多い。これでもダム湖が上流にあるため昔に比べると流れは穏やかだと思うが・・・。旭川駅は別の川の近くにあり、駅から自衛隊の基地の方へは、更に別の川を渡る必要があり。この川が国内有数の大河、石狩川だった。

  まずは旭川の自衛隊の基地近くまでやってきた。昔の軍隊駐屯地は現在、学校などに姿を替え、昔の練兵場の広場が現在の駐屯地となっているようだ。
 以前、私が住んでいた都市でも、かつて戦前の練兵場の跡地はグラウンドになり、実際の軍の駐屯地だった所は学校などになっていた。ただ、(以前、私が住んでいた都市では)自衛隊は全く別の場所にあって、その都市は防衛関連とは直接的に無縁となっていた。

 と、自衛隊の北の角の更に道路の反対側を見る。 ↓
 街路樹のある歩道、広い土地と広い道路。北国らしい街の風景だ。


DSC03882

 団地の傍らにある崩れかけた門。団地自体も住んでいる人はいないようだ。

DSC03883


 傍らに碑がある。ここが、かつて旭川に駐屯していた「第七師団」の司令部の跡地で、門柱は司令部の門であったのだ。

DSC03881

 早晩、崩れてガレキになってしまうのではないかと思うくらい、門柱は放置され、風化している。
 門柱の西の土地は空地になっており、その先は道路を挟んでコンビニや住宅地となっている。

 写真の左方向の先が現在の自衛隊の駐屯地。自衛隊の装甲車?のような車、深緑色に塗装されたトラックなどが停まっている。基地内には人がいない。連休でお休みだろうか。 ↓


DSC03884

 門柱の前から、真南の方向。正面に通る道は、現在では脇道というか、信号待ちをしたくない人向けの抜け道にしか見えない。しかし、この道はかつての師団司令部の門に真っ直ぐ通じる道であったのた。旧練兵場の北東の隅から真っ直ぐ北の伸びる道の突き当りに司令部があったことが分かる。
 ↓ 写真右の奥の林の内部が自衛隊。駐屯地の周囲はフェンスで囲まれている。

DSC03885

 駐屯地の中には、「北鎮記念館」があり、屯田兵時代、第七師団時代から現在の自衛隊の資料館になっている。観光用のパンフレットもあり、昨日に観光案内所で入手をした。しかも、自衛隊の施設なので入場は無料。記念館の開館は9時、ここを見て旭山動物園に向かうと、時間がかかってしまうので、今回は割愛です。

 ↓ 団地の建物と碑の様子。雑草が伸び放題。かつての自衛隊の官舎の跡だろう。人員的には昔より減っているので、使用されていないのか。
 実は妻の知人でこの付近に住んでいる人がいる。もちろん自衛隊関係者の夫人。今回は連休中の訪問なので、遠慮して特に連絡はとっていないようだ。

DSC03886


 写真の左が、自衛隊の駐屯地の角部分、道路を挟んでローソン。(見ればわかるが)
 実のところ昔は、ここ司令部から南西に練兵場に沿って、歩兵連隊があったようだ。しかも第26、27、28と三つも連隊が並んでいた。特に記念碑は無いようだが。戦争の激化で、南方に行って全滅になった隊もあったと聞く。
 沖縄の平和祈念公園でも北海道出身者の名が多く刻まれた碑があった。たしか、ここにあった連隊に入営して沖縄に派遣された兵士ではなかったのか。
 かつて、全国各地に連隊衛戍地があり、召集兵を集めていた。私の祖父も例外ではなかった。出身地の連隊に入営して、別の部隊に配属になったと聞いた。
 沖縄の碑に名前が刻まれた戦死者の出身都道府県には偏りがあった。ある碑では、〇〇県の出身者ばかりだったと記憶する。
 私が沖縄でその名を見た戦死した兵士の方々も数多く、ここ旭川で召集され入隊し、訓練を受けた後、戦地の部隊に送りこまれたのだろう。

DSC03887


 写真で見る限り、現在の自衛隊駐屯地の周辺は、何でもない現代日本のとあるコンビニの見える町の風景。かつて、この一帯が巨大な軍隊駐屯地で、多数の兵士を送り出したなど想像すらできない・・・・・。今、平和であることに感謝をしなければならない。