2016年3月20日 お彼岸

 ようやく、春めいてきました。千葉県佐倉市にある「国立歴史民俗博物館」(略して「歴博」)にやってきました。
 先日、「東洋文庫」の記事でも書いたように、夕方まで歴博を見て、神奈川に戻る途上で都内の東洋文庫の「解体新書展」に行きました。


 ↓ 企画展のパンフレットより。順路の解説図。

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 奥の部屋に進む。「日本の万年筆の技」の展示コーナーがある。万年筆の軸心を装飾する技術が発達し日本古来の「蒔絵」の技法を施した物もあるそうだ。西洋から輸入された万年筆が日本の伝統文化と結びついたといったところかな。蒔絵万年筆は輸出もされたそう。
 画面を操作して蒔絵の万年筆のデザインを体験できるコーナーがあった。先客のカップル(中年で男女とも明らかに40歳台半ば以上・・・。特に、だからなんだということは無いが・・・・。)がいた。が、二人が仲よく??操作しているので、長い・・・・・、ので、私は体験できなかった。
 蒔絵技術を施した万年筆の展示があった。金粉などをまぶした軸心の万年筆などが展示されていた。「プラチナ箔」の万年筆もあった。
 そこから、企画展示室Aの出口へ歩く。展示は、主に戦後発売された軸装の美しい万年筆などの製品、商品の展示。一旦、展示室の外に出る。エレベータのある廊下だ。

 企画展の「展示室B」は、廊下を挟んで斜め前にあった。再度、チケットを提示して入る。
 実際に万年筆を使用して描いた手紙、ノートなどの展示がある。

 日中戦争か太平洋戦争時の手紙がある。戦地から出されたもの。出征した兄から、弟にあて、万年筆で書いたものだ。1通は、中国の大陸の戦地から出された手紙。これは、どことなくのんびりした様子も感じる戦地からの手紙だ。現地の住民の様子なども書いてあった。
 もう1通、南方から出された手紙には「体にきをつけて」などとあり、重要なことは書いていない。所属は、××部隊と場所のわからない部隊名だ。切迫した戦況が伝わってくる。ハガキには、「検閲済み」というスタンプが押してある。書きたいことも書けなかったのだ・・・。熱帯の戦地で書いたものであろうが、インクはにじんでいない。文字もはっきりと判読できる70年を経過しても全く劣化していない。
 差出人はこの後、南方の戦場において26歳で戦死したそうだ。その説明を読んで、思わずハッとした。この方は、祖父とほぼ同年代だ・・・。というより祖父よりも年下だ・・・。これらの手紙は、戦時中は子供であり、当時受け取ったご本人から戦後に寄贈されたものであろう。
 その他、昔の大学で、万年筆で書いたノートの展示もあった。しかし、戦地から出された手紙ほど私の胸を打つものは無かった。

↓ 第6展示室の入口とその前の廊下。「現代」とテーマが天井に電光表示されている。
その奥に企画展示室AとBがある。

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 ※「現代」の展示「第6展示室」や、その他の展示室の見学記事は、後日書くことにします。

 展示室6 現代、 
 佐倉の聯隊の展示に関して、

 昭和11年の満州移動当時の聯隊の将校、下士官の職員表がある。大佐が山口直人大佐。連隊長。連隊本部は、連隊付の中佐がいて、副官の少佐がいる。旗手の少尉。の名も。
 「教主」の中佐がひとりいる。「教育係主任」という意味だろうか。少佐はあと二名くらいいる。隊長として少佐が三人。第一、第二、第三大隊の長。その下に中隊。第一から第十一まで。 十二はなく、機関銃中隊?がある。代理の中隊長は中尉もいる。「陸大」と書いてある隊長も。普段は不在で陸軍大学校に在学しており、籍だけ連隊の中隊長なのだろう。

 この移動については、「二、二六事件のあと」とは書いていない。この満州移駐は、第一師団についてのものであめことは明白。二、二六事件を起こした将校が多く所属していた、歩兵第一連隊、歩兵第三連隊もこの時に移駐している。
 昭和11年5月のことだ。第一師団はかねての予定通り、事件で遅れたが満州に移動したのだ。翌年、佐倉連隊が移動を完了したときは、日中戦争(盧溝橋事件)の発生わずか、四か月前のこと・・・・。