2015年9月21日の月曜日、北海道旅行2日目。
  
 網走の市街地郊外、「博物館網走監獄」の見学です。かつての獄舎にやってきました。囚人たちが、「ムショ生活」を送った場であり、刑務所のメインとなる所。博物館のハイライトでもある。
 

 三角屋根の木造建築。北国独特の積雪対策の屋根だろう。正面は、牧場の建物のようだ。刑務所なので、実用重視という感じ。

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 正面の入口に接続して、長屋のような獄舎がのびている。長い。とても、長い。横に翼を広げたかのように、長い廊下を持つ学校のようだ。
 入口の脇には、「哨舎」がある。守衛所のように、獄吏か警官かは分からないが、見張りで詰めていたのであろう。「登録有形文化財」に指定されている。

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 ↓ 反対側に伸びる。獄舎の建物。廊下の先が、獄舎になっているのであろう。

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 正式には「房舎」という。「獄舎」と書いてきたが、実は違う。なんと、昭和時代の後期まで使用されていたとのこと。先に通ってきた、国道と海と湖に挟まれた低地にある、網走刑務所にあった。
 木造では、冬はさぞかし寒かったでろう。現在では、鉄筋コンクリートとなっているであろう。暖房はあると思いうが、実際の刑務所には、無い?。 実際に体験したことは無いので分からないが、寒さの厳しい所では設置されているだろうというのは、推測。
 あっ、刑務所は今後も体験したくない(笑)。笑っている場合では無いかも・・・・・・・・・・。

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 中央部から、まっすぐに廊下が伸びている。その奥に、個々の房(ぼう)がある。

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 ↓ 斜めに伸びる房と右にも別の房がある。
   手前には、看守が使用したサーベルが展示している。銃の展示もある。


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 ↓ 房には、番号が振られている。第三舎。
   五本ある。すべて、中央部から放射線状に伸びている。現在でも使用される「刑務所建築」だ。首都高から見える東京拘置所でも、放射状に建物が伸びている。「*」のマークのようだ。
 中央部に看守を置いて、廊下をのばし、等距離で囚人を管理できるから。「中央管理方式」とでもいおうか。巨大ホテルでも同様の所がある。
 昔、ラスベガスのホテルでも似たような建築のトコロに、なんと泊まったことがある。中央部にエレベータがあり、そこから、放射線状に客室棟が伸びていた。何千室あるホテルかは忘れたが、まさに「刑務所ホテル」でなんかイヤな気分だった。たくさんの客を、集中管理するのに都合がよいからであろう。

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 入口を入ってすぐの所に、見張り所があった。制服、制帽、サーベルを吊り下げた怖ーい看守が番をしていたのであろう。中央から、五本の長い廊下を一望に見ることができる。「まさに、中央管理方式」。


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 房の奥、つまり先端近くの様子。ガイドツアーが催行されていた。有料で参加できる。が、私はそばで聞き耳をたてて、説明を聞いた。(でも、少しだけです。たまたま居合わせただけです。ホントに。言い訳・・・・。)

 ガイドさんは人形を指して「あれは、白鳥よしえといって、脱獄王の人形です。・・・白鳥は、・・・・。」と説明を始めた。昔実際にあった脱獄した男の話。刑務所を脱出して、二年間くらい、隠れて生活していたそうだ・・・。

 ↓ 脱獄王の人形。
   良い子はマネしてはいけません(笑)。

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 ↓ 脱獄事件の説明。実在の人物のためか、説明板では「Y・S事件簿」と匿名になっていた。
しかし、ガイドさんは説明で「しらとり よしえ」とフルネームで説明をしていた。


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↓ 房の説明。「第四舎 24房」での出来事。脱出口をそひかにつくり、脱獄。現代の忍者か、石川五右衛門か・・・。しかし、五右衛門が脱獄した人なのかは、知らない・・・・。


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 ↓ 脱獄事件の舞台となった房。


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↓ そして、獄につながれるワタクシ。(違う・・・。)
 奥は、厠だ。とある房は、見学者も「体験入房」できる。入ってみると、思ったよりも狭ない。獄につながれると身としては、まだマシか。と思えるのは、一瞬だけ、入るだけだから。実際にここで生活し、数年を過ごし、労役に服するには、大変だ。。しかも、冬期はマイナス20度の世界。一旦、外に脱走しようとでもしたら、それだけで命が無い・・・・。


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↓ 「へい禁罰」の説明。独居房とは、また違う懲罰の所のようだ。

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↓ 房につながれる囚人。

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