2016年7月の雨の日。 新宿 中村屋サロン美術館。
 生誕150周年記念 「中村不折の魅力」の見学。

 展示スペースの壁には、洋画が展示してある。まずは、フランス留学時代の師であったフランス人の画家の作品。次いで、留学時代の油彩画が並んでいる。
  年賦、写真を見て、奥の展示室へ進む。
 
 ↓ 企画展チラシの表面。
  入場券やチラシに掲載されているこの写真の画。大きいサイズの作品であった。
  題名の漢字が読めなかった・・・・・。中国の何かの故事に基づいて描いた作品。奥に吊り下げられている、鼎に何かの意味があったような・・・・。誤解だったかな・・・・。

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 ↓ 企画展チラシの裏面。不折の写真も掲載されている。

  白黒の画は、コンテによるデッサン。「裸体習作」とタイトルが付いている。(留学前の作品の隣にあったような記憶が・・・・。)
  1902年頃の作品というから、日露戦争の前のことだ。

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 展示作見ると、多くは「台東区立書道博物館」の所蔵。
 初期の作品は、明治20年代、日清戦争前の19世紀の時代。年賦によると不折は、日清戦争に記者としても従軍している。「日清戦争で従軍記者」とは、誰かと同じだったような・・・・、と考えると不折の友人であった松山出身の「正岡子規」であった。近年放映された某ドラマでも従軍して大陸に渡った子規のシーンがあった。
 初期は身近な風景画が多い。留学をしてからは、展示スペースの最初にあったように油彩画が中心となっている。

↓ 展示リストに付随している説明のパンフ。



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 油彩画では、昭和時代に入っても女性の裸体画を描いている。ただし、タイトルは「懸泉」「湖畔」「眺望」のように女性の裸体をイメージさせないものだ。
制作年を見て驚いたが、女性のヌード画は、三作の展示があったが1939年から1942年にかけての作品。時代背景でいうと、戦争中である。不折最晩年の作品だ。
 あの戦争で統制が強かった時代にどうして不折は女性の裸体画を残したのだろうか?。
 「懸泉」豊満な乳房が垂れ下がった日本人の女性の裸体。
 「湖畔」裸体の日本人の女性が部屋の中にいて、外には湖が見える様子。
 「眺望」湖であろうか、水面の見える部屋の中での女性の裸体画。
   黒田清輝の「湖畔」を思わせるような絵だ。(勿論、シーンは違うが。)
      また、室内から外の水面を描いた絵は現在、重要文化財指定の「舞妓」を思わせる。

 いずれも、カラフルでこれでもか、と豊満な女性の裸体を表現している。とても、戦争の時代に描かれた作品とは思えない。 

↓ 展示リストに付随している説明のパンフ。

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 「書家」としての不折の作品展示はほとんどなかった。
 「山水図屏風」が一番大きい作品であった。水墨画の屏風絵。「不折」と落款が押してある。書道博物館蔵ではなく、寄託作品である。所蔵者は誰か分からない。
 卓上ガラスケースの中に挿絵などの作品の展示があった。「吾輩は猫である」の本の挿絵の展示もある。どうしても、写真でよく知られている「表紙」の絵(細くて首の長いネコがこちらを向いてニャアと鳴いているような絵)が不折のものと誤解してしまうが、不折作は本の中の「挿絵」である。

 展示室を一通り見て、最初の(レジのある)展示スペースに戻る。
 退出する前に改めて、不折の年賦や写真を見る。老年期の不折夫妻の写真の展示があった。丸顔で笑顔の写真である。夫人も笑顔である。陽気な性格の人物であったのであろう。それゆえ、荻原守衛、森鴎外、夏目漱石、黒田清輝など錚々たる人物と交友を結び、信頼されていたのだろう。
 「中村不折の魅力」の企画展のタイトルの通り、不折の人となりと魅力が伝わってくる展覧会であった。