話は、ちと前のことになるが、梅雨入りするかしないかくらい位の6月のある日のこと。
 「平塚漁港の食堂」の記事を投稿したので、(藤沢・茅ヶ崎方面から見て、その先)お隣の街、大磯の「漁港食堂 」に久しぶりにやって来た。三年~四年ぶりくらいだろうか。
 大磯漁港食堂「めしや」に来るのは、「平塚漁港の食堂」が出来てからは、初めてのこと(多分)。「平塚漁港の食堂」に行くまでは・・・、と思っていたが、昼食を食べていないとき、たまたま近くを通りかかったので、やって来た次第。

 すでに時刻は午後1時過ぎ。ランチのラストオーダーの時間も近い筈。お店の外には、その日のメニューを書いたカラフルな看板が出ているが、ほとんどは完売で「イナダの煮付け定食」しか出来ないとのことだった。「いいですよ。」と席に着き、 これしか出来ないというので、「イナダ煮付け定食」を注文した。値段は忘れたが1,300円くらいだった。
 
 味噌汁が磯の香りがして絶品。ハマチ、ブリと出世する「イナダ」の煮付けも大きい。刺身は、「キハダマグロ」かな・・・?。あと、特筆すべきは、小魚の揚げ物。最初は「イワシ」かなと思ったが、イワシ特有のにがいにような味では無いし、イワシのお姿ともちよっと違う。「ジンダ」という小鯵の唐揚げらしい。頭からまるごと食べることが出来る。いかにも「お魚食べました!」という感じになる。絶品でした。

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 私のあとからも客がやって来た。(コレしか出来ないというので)「ワラサ煮付け定食」を注文するのかと思っていたが、(何だ、他にも出来るじゃないか・・・。)カマスの定食を注文していた・・・。それとも、ボクがよく消していない(注文可能な)メニユーを視なかった!!??。それとも、交渉次第!?か、裏メニュー!?。
 ここのコンセプトは「うめえー魚を食わせてやるべ(湘南弁)。」なので、接客レベルはハッキリ言って××いです(笑)。よー(要)は、うまけりゃええんや(笑)。他に、ボクは求めまへん(笑)。

 ↓ 「めしや」の外観。
 午後の閉店時刻を過ぎたため、一旦店しまい。よって、行列が無い、誰も写真に写っていない。
 「めしや」の奥のコンクリの建物は漁協か港湾管理の建物。一瞬、学校のようにも見えたが。

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 実は、この付近、子供の頃海水浴に連れられて時々来た、なじみの深い所。「めしや」はここ数年の事だが、奥の建物は私が子供の頃からあった。そのまま老朽化といったところか・・・。あの頃、あどけない少年だった俺(敢えて「俺」呼び(笑)。)もすっかり歳を重ねたが・・・・・・。夏場は、ここに隣接する駐車場は海水浴客の車で満車になり、賑わったものだ。

 日本最古の海水浴場と言われる大磯の「照ヶ崎海水浴場」はここ大磯港のコンクリ壁の向こう側になる。少しばかり岩場のある海岸だ。しかし、当時の「照ヶ崎」は別のところだったとも聞いたことがある。もしかしたら、現在コンクリで護岸され、埋め立てされている「めしや」や漁協、駐車場のある大磯港付近の土地の下が、かつての岩礁や砂浜だったのかも・・・!?。
 大磯海水浴場の開設を提唱したのは有名な話であるが、初代軍医総監 松本順(良順)。松本順は、森鴎外の親戚の西周や、周の友人で鴎外の義父でもあった(過去形)赤松則良らと親しい旧幕人脈だ。榎本武揚も含めて明治以降彼ら、も親しく交際していたのだろう。森鴎外は(エリスと破局した直後に)結婚というカタチで押し付けられた、この旧幕人脈に連なる妻が嫌だったのかな・・・・?(複数ある理由のうちの一つではあろうが)。
 主流派の長州閥とは正反対のグループであるし、自身の父の実家、長州・周防人脈を頼みにしたかったのかも、とは以前書いた。

 ちなみに、私が親となった後、自分の子供を連れてここ大磯海岸に海水浴に来たことは無い(苦笑)。