2015年12月6日。 (明治村 見学)

  博物館「明治村」の見学も終盤となった。「一丁目」を散策する。ただし、次の予定もあり、時間が無くなってきたので急ぎ足だ(笑)。


  正門から、近道を登り、林の中の丘の上にある「聖ヨハネ教会堂」(国指定の重要文化財)を見る。教会堂は丘の一番上に建っている。が、周囲は林なので、先程見学した「西園寺公望邸」のように入鹿池の眺望が無い。
 丘をやや下り、少し歩いたところに、建物が点在している。そのひとつが、「学習院長 官舎」だった。登録有形文化財に指定されている。

 ↓ 正面ではなく、横から見る。西洋的な窓と壁(板張りであるが)の瓦葺の建物と同じ瓦葺の日本家屋が連結している。
 12月の上旬。平野部では紅葉のピークだ。官舎の建物の横にはモミジが紅葉をしていた。
 カメラのアングルにモミジを入れて撮影する。

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 学習院長 官舎の玄関部分。斜めに玄関が附属している。
 西洋館と日本家屋の接合する部分に玄関がある。西洋館は、「縦窓」、タテに開閉する窓。(多分。横に戸外に向けて斜めにと開くかも知れないが・・・・。)対して、日本家屋の部部分は、横に開く伝統的な「戸」だ(笑)。


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 ↓ 説明の看板。
  明治42年の建築。当時の院長は乃木希典。説明によると「当初は、赤坂の私邸から通ったが・・・、のちに住居として使用した。」とある。
 かつての所在地は、現在の学習院大学がある豊島区目白町とある。赤坂から、目白まではそれなりに距離はある。かつて、乃木は乗馬で通ったのかは分からない。現在の場合、乃木邸から目白に至る場合は、地下鉄のその名も「乃木坂駅」から、南北線に乗り換え。あの「地下迷宮」を歩いて乗り換えし(笑)、学習院の最寄駅で降りて、地上に至るといった具合かな・・・。
 説明によると玄関は「車寄せ」とある。車寄席屋根の上部の紋章は、学習院の校章とのこと。

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↓ 玄関から、洋館の一階部分。奥が日本家屋の日本間の部分かな。
 当時としては、斬新なデザイン、というか意匠の住宅だったのかな。洋館に階段があり、二階に行くことが出来る造りになっている。

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 日本間には乃木の写真パネルがあった。
 当時、院長であった乃木が、明治天皇に殉死、つまり自決したのは、ここ目白の官舎ではない。赤坂の私邸である。現在は乃木神社の境内に隣接して旧乃木邸の建物が現在も保存されている。乃木は、自決した当時まで現役の陸軍大将であり、学習院長であった。すると、普段はここ官舎に起居していて、私邸には、明治45年の自決当時、あまり住んでいなかったのかも・・・・。

 建物の内部は、ガイド付で見学する仕組み。勝手に建物の内部を見学できない。ガイドの時間は終了していた。次のガイドの時刻があったかは、忘れた・・・・。時間も無い・・・・、よって、内部を玄関から少し見ただけだった。

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 時間が無いので、先を急ぐ。ほとんど外観だけの見学だった。思ったよりも地味で質素の家屋だった。「豪邸」という感じではない。パッと見たところ、説明無しでは、「学習院長官舎」というのは分からない、。ごく普通の昔の和洋折衷の住宅と間違ってしまいそうだ。
 すぐ近くの隣の敷地に重要文化財指定で有名な「西郷従道邸」が建っている。
 「従道邸」へ移動する。「乃木から西郷へ」、という訳だ・・・・・(苦笑)。