2016年10月30日の日曜日のこと。

 早くも、中期の会期末も近づいて来た、宮内庁三の丸尚蔵館・書陵部主催 「書の美、文字の巧」展。
 副題は、今回の中期は「豊かな書-歴史を伝え、書風を展開する」だ。
 前期を見たのは、会期の終盤だった。その直後の10月15日から中期の展示が開始されたのであるが、会期は11月6日の日曜日まで。三週間程度しか会期が無い。あっという間に終了してしまう。よって、急きょ、この日の鑑賞をすることにした。
 前期は「玉泉帖」をはじめ、超国宝級の逸品が展示されて。中期は、時代がやや下がり、鎌倉時代、南北朝から室町、戦国時代~江戸時代と「武士の政権」の時代の作品が展示の中心。
 中期でも、その内容を細かく(私は)理解できないが、出品目録を見る限り超国宝級の逸品ぞろいであろう。

 この日は、昼食を有楽町の鹿児島アンテナシヨップ二階の「いち・にい・さん」で食べ、先に重要文化財「明治生命館」を見学しました。
 (見学記は、後日掲載予定)

 和田倉門から、皇居のお堀端を歩き、旧大手門をくぐり、三の丸尚蔵館に向かいます。
 途中、パレスホテルのそばのお堀で白い「鷺」が一羽いた。
 入館します。混雑している。外国人も多い。ガイドブックを片手にやって来ている外国人も多い。恐らく「無料で日本の皇室の珠玉のコレクションを見ることが出来るミュージアム」と紹介されているのでしょう。見学時間はこの日も20分くらいでした。

 入館すると、まず最初の展示は、「足利尊氏の書」、掛け軸になっていて書には「・・天下静謐・・」とある。
 次いで、隣の展示が「花園天皇宸記」。鎌倉時代、西暦でいうと1331年なので、幕府の末期。打倒幕府の時代
。書に「・・・西園寺大納言・・・」の文字がある。すでに、近衛、徳大寺、西園寺など、藤原氏は各家が分立していたと知る。
彼らの子孫(家名を受け継いだもの)は、数百年後の近代日本でも政治家として国家の中枢に参画した者もいる。その政治の結果は・・・・。私は知る由も無いが・・・・・。

 室内は、最初の展示作品の前から、混雑している。次に 「後花園院御文類」があった。

 真ん中、平ガラスケースには「手鑑」の展示が。「前田利為から献上された品とある。加賀前田氏の家柄で、明治、大正から昭和戦前期にかけての当主。戦死後、陸軍大将に昇進したことでも知られる。

 家康から秀吉などの筆になる和歌もある。 折りたたみ式で その部分だけ開いて展示してある。
13\17世紀とある。かなり時代は長い。 「へー
こうやって筆跡を見たんだね」と話をしている人がいる。

 奥の壁のガラスケースには、「紫式部石山参詣図」などが展示されていたと記憶する。別の作品でも(近いシーンを)見たことがあるのだ、「石山寺を参詣」する様子。牛車にのった式部の一行の様子を描いている。土佐光元作で 三条西公条の賛とある。賛文の内容は、読めないが・・・。


 天皇の書で、ひたすら「南無阿弥陀仏」と書いてあるものもある。外国人が多い。欧米人も多い。中国人は以前よりも少ない。韓国人はいない。
 順路を進んだ、壁側のガラスケースには「圓山応挙」の「富士山の絵」もある。なと、有栖川宮が賛文を書いている。やはり、その文字は読めないが。「応挙」の旧字体 タテの丁寧な楷書のサインは間違いない、他の応挙作品と同じ筆跡だ。確かに応挙の作品だ。

 同じ列の壁のガラスケースには、女性天皇の明正天皇の書もある。女性らしい、文字がおおきく、やわらかな感じだ。
 「古歌屏風」。斜めに丸い文字で 和歌を書いてある屏風があった。八条宮智仁親王の筆。親王は、後陽成天皇の弟で八条宮家、のちの桂宮、を創設したとある。有名な桂離宮も 親王のもとは邸宅だったのような説明がある。戦国から江戸初期の親王で 古今伝授に優れた親王であったそうだ。


 売店では、前回は売り切れだった、今回の展覧会の図録を販売していた。2,000円で購入する。レシートを見ると 「重版」と御丁寧に書いてある(笑)。



 ↓ 館の入口。この展覧会の掲示板の様子。前回と変わっていないが・・・・。
  入口に掲示されている写真は「玉泉帖」かな。
 

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