2016年11月26日 神奈川県立金沢文庫。生誕800年記念特別展「忍性菩薩-関東興律750年-」 の見学。
 (以下「金沢」と現代字体で表記する。)

 一階の展示室を順番に見ていく。壁面に展示している金沢北条氏の肖像画の写真をしばし見入る。
 展示では「金沢」氏は、「かねさわ」とヨミガナをふっている。対して「金沢文庫」は「かなざわぶんこ」と読む。地名や駅の名前、横浜市の区の名前のヨミも「かなざわ」であることは、言うまでもない。
 元々は北条氏の分家でここ「金沢」に居館を構えた一族は「かなさわ」氏なのですね(笑)。
 国宝肖像画の写真を見ると、最後の当主、貞将は、若い武者姿だ。父の貞顕は、中年以上の年齢。 ということは、貞将の死後に描かれた?。作成の時期は、忘れてしまった・・・・。当主になったり、出家した後に、代々、その都度描かれて、所蔵されたものではなく、ある時に四人分一度に描いたような印象を受けた。
 若くして(といっても、展示の年表によると満で31歳くらいだが)戦死しているので、貞将の姿は若い。金沢氏最後の事実上の当主は貞顕だったのかな。

 大きな仏像の複製品がドーンと二階の吹き抜けまで届くかのように鎮座している。称名寺の本尊の仏像だ。平成17年には天皇・皇后両陛下がここ金沢文庫を見学され、この複製の仏像前で、説明をお聞きになっているご様子の写真の展示があった。
 壁面には、金沢文庫で保管されている称名寺蔵の「文選集注」の複製品というか、その写真と解説があった。現在の中国でもこの現物は残っていにないそう。昔、日本にもたらされ、金沢氏滅亡後も称名寺に保管されてていたことにより、現在は日本にのみあるのだそう。

 二階から、展示品の説明をしていると思われる声が聞こえてくる。解説の時間になったようだ。男性の声が聞こえてくる。
 二階への階段の傍らにガラスケースがある。「称名寺聖教」の一部の展示がある。このガラスケースで順番に少しずつ展示しているそうだ。「伝法灌頂秘印」などの古文書が三種くらい展示されていた。

 私とほぼ同時に入室した男女は、上に行ってしまったし、あとからゃって来た子供がいる家族連れの一団も一階の展示はざっと流すように見ただけで、二階への階段を昇って行ってしまった。
 私も二階への階段を昇る。
 と、広い長方形の展示室があった。階段の昇り口に近いガラスケースには、仏像などが鎮座して、展示してある。説明は、更に奥のガラスケースの前で行われている。説明を聞こうと、手前の仏像などの展示は、あとで見ることにして、説明員のいるとこに移動する。10名くらいの人が説明を聞いている。
 

 国宝指定の「金沢実時像」は、ガラスケースの左端に展示してあった。その他の関連資料と一緒に展示されているため、最初は見落とししていた。
 この企画展でのこの国宝の展示は一週間のみ。指定では四人の金沢北条氏の当主の肖像画が一件の国宝として指定されている。平安時代から鎌倉時代にかけての「似絵」の一種と思うが、神護寺の「頼朝像」と比べると小さい。軸装されているが、絵画そのものはほぼ、長方形でタテ1メートルも無いくらい。僧形の地味な色彩の北条実時の肖像画である。足元をみると、あぐらをかいているような感じで足は見えない感じ。これは、神護寺の「頼朝像」とも似ているボーズであるが、僧形なのでちょっと違うかな・・・・。


 外に出た後に撮影。↓ 正面入口と一階ロビーの様子。
 私は、写真奥の通用口のようなドアから入館した。

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↓ 正面側、称名寺からのトンネルを抜けたところにある告知看板。


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※ あとで知ったが、展示室の説明は土日、休日の午後2時と3時に開催されているそうだ。
私が聴いたのは、午後3時の説明の途中からであった。


 初代から四代目の貞将まで。現物展示以外は、一階にも写真パネルで展示があった。
  権力者一族の分家の歴代当主の肖像画。いずれも文化を保護した武家の大諸侯というべきか
 金沢氏は君主ではないが、歴代の肖像画はフランス・ヴァロワ王家の分家にして、他国、というか欧州各地にも領土を獲得して広げ、権勢を誇った「ブルゴーニュ公家」の歴代の当主の肖像画を思わせる。
初代(名前を忘れた・・・)から、暗殺された短命の二代目ジャン(Jean)、三代目フィッリップ・ル・ボン、つまり「善良公」(お人よし)、そして最後の当主シャルル突進(むこうみず)公。
 突進公が戦死して公家が滅びたところも共通しているかな・・・。滅びたといっても、ブルゴーニュ公家の女系子孫に領地は受け継がれたのであるが。
 国の制度や時代背景、西洋と日本など比較はできないのではあるが・・・、なんとなくかぶせてしまうのは私だけですね・・・・。