2016年3月20日 お彼岸

 千葉県佐倉市にある「国立歴史民俗博物館」(略して「歴博」)にやってきた。
 
常設展示は、地下(実際は半地下だが)の「第6展示室」から見ていくことにする。第6展示室のテーマは「現代」である。 「現代」といっても、実際に部屋に入ってみると戦前の昭和時代以降の展示だった。
 「膨張する帝国」と「兵士の誕生」から展示が進む。
  「兵士の誕生」のコーナーに佐倉連隊の兵舎の模型などがあった。
 
 展示室の最初は、戦前期の日本、主に地元佐倉に駐屯していた佐倉連隊のことについての展示だった。「歴史民俗」といえば日本全体のことについての展示とイメージが湧くが、かなり「地元の千葉、佐倉」を意識した展示だ。

 佐倉に駐屯していた歩兵第57連隊についての展示。まさに、この歴博があるかつての佐倉城の敷地は、連隊の衛戍地であった。まず、ドーンと室内に兵営の様子の模型がある。
 展示室内の写真撮影は可のようだ。例の紺色の制服を着た係員の女性(50歳台くらいかな?)が、一人立っているので、念のため確認してみた。「撮影禁止」と書いてなければ、撮影はフラッシュなしで撮影はできるそうだ。 
 
 一通り展示を見てから、あとで写真を撮った。展示模型によると、現在博物館となっているこの場所、かつての佐倉のお城全体が連隊の兵営であった・・・・・。かつての城の石垣、廓の内部に木造の兵舎がいくつか建っていたことが模型から分かる。ただし、お城の旧本丸には、兵舎は建っていない。かつての二の丸に兵舎など主要な建物が建っている。

 
 ↓ 兵営の模型。写真の奥、上が佐倉城の本丸の跡。手前に兵舎がコの字状に建っている。
 兵舎の真ん中にある通路の下には門がある。先程、車で通って来た石垣の合間の道のところだ。門そのものは無くなっているが、間違いなく、現在の博物館の入口の道路と連隊の門が同じ位置である。


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 ↓ 別の角度から。模型。展示室内には、私以外には見学者がいなかった。例の係員が一人いるのみ。
 後から、男性の見学者が一人やってきた。よって、写真を撮影するとオトが響く・・・・・。

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 見学している間、「57連隊に弟が入隊して戦死したという人がさっきいた。誰かに話したいんだろうな~。」と。老齢の男性の監視員が巡回してきて、先の女性の監視員に「他人事のように」話していた・・・。余計な私語は、つつしみましょう、看視員、監視員の方々。

 兵舎の室内を再現した展示もある。実物大とのこと。「内務班の様子」と説明文にある。カーキ色の兵士の軍服、軍装の展示があるが、これは再現であろう。木製のベット、棚などの兵舎の室内の様子と食事の模型がいくつかある。明治村でも見た。食事の模型も。キャベツに汁、カツレツに白米の模型。明治時代よりも進んでいる。が、副菜まだは少ないような・・・・。改善されたとはいえ、現代と比較すると、パランスはまだまだ考えられていないようだ・・・・・・。汁の中には豆腐や青菜。何もないコンソメスープのような汁はお茶の模型だった・・・・・。




 ↓ 佐倉での兵舎の大きな模型。

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 軍装の様子の再現人形。↓
 兵室の様子も実物大で再現。ベッドが小さい・・・・。手前には、食事の模型も。
 明治村の旧歩兵第六連隊兵舎の内部で昨年の暮れに明治時代の食事の模型展示を見た。おかずは増えているようだ。かつては、森鴎外(林太郎)に代表された陸軍軍医部の栄養バランスに関する考えに基づいて、明治時代に比べると改善されたのでしょうか?。

 ↓ 上でも書いたが、カツレツ以外に味噌汁の具も多い、野菜が付いている。漬物は無いもよう。

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 昭和11年、満州へ移動した当時の写真も展示がある。室内においてある、展示に関するパンフレットにも掲載がある。タイトルは「山口部隊の頓営出発」とある。当時の連隊長の名前をとった部隊名だ。
 「奉祝門」が建っている。写真で見るとこの場所は、先ほど、ここ博物館の門を入り、車で登ってきた城の入口の所に間違いない。
 連隊旗手が軍旗を持って、奉祝門をくぐり先頭に歩き、まさに出発している場面だ。続いて兵士や乗馬の人が・・・・。日の丸を持った着物姿の見送りの人が多数写っている。明治時代の写真といってもよいくらいの着物だ。この写真、明治時代といっても区別がつかないくらい。
 服装を含めて、戦後にガラリと生活様式が変わったことを感じる。

 ※「現代」の展示は更に続く。
  長くなるのでここ「第6展示室」、その他の展示室の見学記事は、後日書くことにします。