2017年1月9日

 この日は、年が明けて間もない冬の一日。東京国立博物館を見てから、徒歩で千駄木まで移動した。
 今、マスコミでもとり上げられている「谷根千」(やねせん)散歩である。この時期は寒いけどね(笑)。

 上野桜木から、北に歩く。谷中を通る。住宅やマンション、雑居ビルの合間には寺院の門が見える。進行方向右手には、谷中の墓地の高い壁がある。老舗と思われるお店もあるが、休日なのかお休みのところもある。
 谷中から更に、台地に沿って歩くと日暮里方向、朝倉彫塑館などがある方向だ。桜並木も見えるが、冬のこと。すっかり落葉していて、枯木が立ち並んでいるのみ。が、春4月ともなれば満開の桜で美しく彩られるのでとろう。そんなことを想像しながら、道を歩く。
 千駄木方向に坂を下る。地下鉄千駄木駅は、ちょうど谷の底を通る道路の地下を走っている。駅の近くになと、急に賑やかになり、人どおりが増えた。
 商店などがあり、買い物をしている人がいる。日常の生活の一シーンである。信号の交差点の名称は「団子坂下」。私は、そのまま直進し、団子坂を登る。
 台地の上から須藤公園に少しばかり寄り道し、団子坂上にある文京区千駄木の区立森鴎外記念館にやってきたのだった。

 コレクション展「賀古鶴所という男/一切秘密無ク交際シタル友」を見学した。
 さて、展示の末尾に協力者、団体の名前の掲載がある。筆頭に「賀古〇次」と女性の名前が。鶴所には、子はいなかったようだ(展示では特に書いていなかったが。)。よって、名前が出ている賀古氏は弟「桃次」の子孫のようだ。 
 桃次は、井上通泰と親しかったというから、和歌をたしなんだのだろう。恐らく医師でもあったろう。井上も医師であったので。

 一通り展示を見たので、階段を昇り、一階に行く。この階段が長いのだ。地下奥深くに地下室を掘っている・・・・。
 一階に戻ると事務室から二名くらい黒服の女が出てきた。すでにいた、同じ黒服の係員女性とともに走って作業している。皆、50歳前後くらいのの女性である。(本日最後の入館者)私が帰るので、閉館準備を開始したのだろう。 地下一階には看視の女性が一人いて、展示室の入口に立っていた。時折、室内を巡回していた。その立ち位置は企画展示室も廊下ごしに直接看視できる位置だ・・・・。ずっと、企画展示室内にいる私の帰りを待っているようだ・・・。展示を見た後は、映像室は見なかった。看視女性係員から「早く帰れオーラ」が出ていたので(笑)。
 外に出ると、すでに真っ暗だった。閉館時刻間際の慌ただしい見学となった。
 ただし、日没時刻はだんだんと遅くなって来ている。「冬来れば春遠からじ」かな。

 森鴎外記念館の入館前に撮影。 ↓
 「団子坂上」の信号付近から、「団子坂下」方向の「大観音通り。

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 森鴎外記念館を出た後、
 ↓ 団子坂下、地下鉄千駄木駅の地上出口付近の通り。どこにでもある、都会のとある街並みだ。
 かつての風情は写真で見る限りはあまり無い。
 
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 千駄木駅から地下鉄に乗り、帰宅した。


 

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