2016年3月20日 お彼岸
 
 千葉県佐倉市にある「国立歴史民俗博物館」(略して「歴博」)にやってきた。

 常設展示 見学 (第2展示室)。 


 最初の第1展示室から次の部屋へ。第2展示室は「中世」のテーマ。
 ガラスケースの中に文化財の複製品が展示されている。よって、基本的に撮影が可能。

 ↓ 御堂関白記の複製。5日、6日、7日と日記をつけている。
       説明によると、道長自身が金峯山に参詣したときの日記の部分の複製。
   「経巻を埋納した時の様子は、御堂関白記にくわしく記されている。」とあった。

DSC06185

↓ 御堂関白記の複製。5日、6日、7日と日記をつけている。丁酉、戊申なども毎日ちゃんと書いてある。
   埋めて奉納?したときの様子はどこに、何と書いているのかは・・・・、読めない(笑)。  

DSC06186

 藤原道長が奉納した経筒など国宝「金銅藤原道長経筒」の模型があった。京都国立博物館で見たことがある。見たのは、平成知新館の新規オープン「京へのいざない」のときの展示だったと思う。
 金峯山に奉納したお経の金属(金銅)製の筒。経典の文言が缶(つつまり、筒)に刻まれている。
 このときの日記が残っていたのだ。すごいです(笑)。
 京都国立博物館のときは「道長が・・・」と説明にあったが、本当に現地まで行って埋めたとまでは説明になかった。私は「本当に行ったのかな?。誰か使者を派遣したのかな?」と思ったが、ホンマに行っていたのだ。その事実が解かって驚いた。
 いや~、ただ国宝とはいえ、ただ「物」を見ただけでは何のこっちゃ分からない。その背景も知ることが出来てよかった。

 もちろん、京都国立博物館では国宝のオリジナル品は撮影禁止であった。しかし、ここでは複製なので撮影をした(笑)。

DSC06187

 
 ↓ こちらも経典を奉納した箱(複製)だった。

DSC06188

 現在の福井県にあった、朝倉氏のお屋形の模型もあった。庭園部分だけ現在残っているのだが・・・・。一乗谷へは、ちょうど二年前の2014年3月に行った。そのときの写真は、掲載省略です(笑)。リンクを張るのが大変なので・・・・。

 朝倉氏のお屋形の近くには、戦国時代の街の様子も模型で再現されている。板葺と板塀の家々だ。一乗谷の様子を再現したのかな。一乗谷でも屋外で一部だけ復元していた。

 ↓ 写真の手前が実際方角でいうと西。
  屋形は東西に広がり、南側が空いている。陽当たりをよくするためであろう。
 西には、山が迫り、模型では建物に隠れているが、湧水と斜面の地形を利用した庭園と池がある。
 模型にもあるが、上の敷地に行く狭い階段通路は現在も残っている。上の庭園跡も現在は石組みと池の遺構として残っている。


DSC06191

 上空から見た写真が展示されている。
 現地を訪問したとき、堀にかかる橋を渡って、館の跡地を散策した。

DSC06192


 模型の拡大。(左側の)西には、山があり山の下に湧水と斜面の地形を利用した石組の庭園と池がある。
 が、屋敷の建物に隠れて、庭園部分が実際、縮尺を考慮しても小さいのではないか?。
 模型にもあるが、上の敷地に行く狭い階段通路は現在も残っている。
 上の庭園跡も現在は石組みと池の遺構として残っている。

DSC06193

 有名な「徳政の記念碑」の模型もあった。「ほうそう地蔵」全体の実物大と思われる複製品の展示があるが、さすがに撮影はしない。現物を撮影したことがあるから(笑)。 2013年に現地(奈良市柳生)に行ったことがある。

 複製には「疱瘡地蔵」と説明がはっきりある。徳政を記念する碑ではなく、石に刻んだお地蔵さんの右下の部分に文字を刻んだもの。メインはあくまで「ほうそう(天然痘)」の撲滅?、治癒?を祈願する、お地蔵さん。碑文はのちの時代のオマケみたいなものか・・・・・?。


 「柳生徳政磨崖碑文」 部分の複製。↓
 

DSC06194


 ↓ 2013年11月撮影。奈良市柳生の「ほうそう地蔵」の様子。
  碑文の部分だが、現物では全く分からない・・・・・。
  当時、本当にその文字が刻まれていたのかと疑ってしまうくらい、摩耗している・・・・・・。


DSC08397


↓ 2013年11月撮影。奈良市柳生の「ほうそう地蔵」の様子。
 保護のとめの屋根がある。碑文は右下にあるが、判読は出来ない。

DSC08396
DSC08395


 展示の大きさに比べて、現地(奈良市柳生地区)での扱いは小さい。つまり、観光目的での訪問は、とても行きにくい。まず、案内の看板がでていない。場所を見つけることが難しいのだ。
 柳生の観光案内看板に「ほうそう地蔵」とだけあり、これでは普通のお地蔵さん扱い。道端でも案内はない。小さく「ほうそう地蔵」の「→」看板のみ。これでは、よそから来た人には分らない・・・・。


 「洛中洛外図屏風」は重要文化財指定の「歴博本」がここの所蔵である。その模型の展示があった。現物は、東京国立博物館で開催された「京都展」で見たかな。
 ↓ 「洛中洛外図屏風」歴博本の複製。
  清水寺とその東を流れる鴨川の様子の部分。
  

DSC06189

「洛中洛外図屏風」ではまず清水寺の舞台で位置を確認(笑)。
 ↓ 内裏?。


DSC06190


 戦国時代から信長、秀吉の天下統一、南蛮船までがこの「中世」展示室だった。

 ↓ 起請文の複製。
  西暦の1572年に信長が近江南部の村人達に一向一揆に味方しないことを誓わせたもの。
  

DSC06195

 タイトルに「・・・・起請文事」とある。文字がびっしりと書かれている。途中「・・日本国六十余州大小神祇・・・天照大神・・・・大原野大明神・・・・大明神住吉大明神・・・・伊豆・・・・権現・・・・」と書いている。
 カラスがたくさん集まっている起請文の用紙の模様、書き方は、以前永青文庫で企画展細川家「起請文の世界」で見た戦国末期~江戸時代にかけてのものと同じ。文字は「とにかくたくさんの神仏の名前」を書いている。書式、用紙はほぼ決まっていたのだ。 
 
 ↓ ポルトガル インド副王信書の複製
   以前、妙法院の公開時に宝物収蔵庫(龍華蔵)で現物を見た。いや、京都国立博物館で見たことがある。見たのは、平成知新館の新規オープン「京へのいざない」の第2期展示で見た。妙法院では複製品が公開されていて「現物は、京都国立博物館で現在展示されています。」ということだった。

  

DSC06196


 秀吉あてに来た、お手紙の複製品。本物もさほど色あせていなくて、色彩が鮮やかな信書であった。
 

DSC06197

 南蛮船までがこの第3「中世」展示室だった。
 今まで、現物を見たり、現地に行ったことがある文化財の複製、模型、レプリカを中心に見学した。
 特に絵画、書など屋内展示の文化財は、オリジナルの展示は例外なく撮影禁止なので、複製ながら撮影できるのはありがたい。

 ↓ 遣唐使船を思わせるような南蛮船の復元模型。
   大砲が船体に装備されているが、わかる。

DSC06198

 次の部屋へ歩く。