2016年3月20日 お彼岸
 
 千葉県佐倉市にある「国立歴史民俗博物館」(略して「歴博」)にやってきた。

 常設展示 見学 (第3展示室) 「近世」

 展示室は、まず日本橋などかつての江戸の町の模型がドーンと置いてあり、傍らの畳の部屋で、江戸時代の文化の体験ができるコーナーがある。
 次の部屋には、先の記事で紹介した北前船などの模型の展示があった。
 江戸の模型ゾーンの付近では、警備員(男)が看視の制服の女性と私語をしている。「今日は、人が多いな。先週よりもはるかに多い。」と。急に暖かくなったし、お彼岸の連休なのでそりゃ、人は増えますよ。子供の入館者も多い。春休みも近いし、気候も暖かくなってきたのでお出かけです(笑)。

 展示室の端の部分で近世の「農村」についての展示があった。農村の家や農業の様子、暮らしなどの模型の展示であった。
  北前船の模型と同じ部屋には、江戸の「旅」などについての展示もあった。

 ↓ 「道標」の模型。 奥には、北前船の模型が。

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 ↓ 寺社縁起 の複製品。
  絵図で寺社の由緒などを説明している。現在のガイドブックといったところか。出版技術の発達も旅を後押しした理由の一つと説明にあった。出版物、印刷物により、庶民にも旅に関する情報が広まったのであろう。

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 ↓ 道中日記の模型。
   伊勢参りなど寺社参詣の途中、日記をつけていた。一般庶民も紙に日記を書いていたとは驚きだ。紙は貴重品であったろうし、製紙技術と紙の流通が整っていたことを意味するし、何より、寺子屋に代表されるように庶民でも読み書きができたのだ。高い識字率というのは、日本の文化の特長であろう。


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 ドーンと、当時の旅籠の再現模型がある。大きい。二階には行燈の光が漏れている。人影が写っている。給仕をする女や宿泊しているチョンマゲすがたんおじさん達の姿だろうか。

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 ↓ 帳場の板間。階段の下が収納になっている。
 

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 現在の三重県の津市にあった椋本宿の旅籠の再現だった。
 つまり、江戸を起点とすると東海道から亀山宿で分かれて、更に南下。「お伊勢参り」の途中の宿ということになる。

 企画展示として「和宮ゆかりの雛かざり」があった。この「近世」の部屋の奥での展示あった。明治維新の時期を挟んで、徳川家達の娘とその娘に代々伝わった「お姫様」の「お雛様」の展示だった。古いながらも立派なお雛様がたくさん展示されていた。
 雛人形は家達から「娘の鷹司綏子と松平綾子に伝わった。」と説明にある。鷹司家は、旧五摂家で公爵の家柄。徳川から嫁にいく際に持参したのでしょうか。

 ↓ 企画展示についてのパンフレット(部分)

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 展示期間は2月下旬から4月3日(日)まで。

 すでに、3月3日のひなまつりといえば、(訪問日現在で)日付を過ぎている。しかし、旧暦ではまだ3月3日ではない。江戸時代は現在の暦を使っていなかったので、太陰暦が暦だった。太陰暦ではまだひなまつりを迎えていない。よって、この時期にお雛様を飾ることは当然なのだ。だから、会期も4月3日までなのですね(笑)。

 あっ、ウチでも旧暦で、お雛様を飾っています。理由は「(現在の)3月3日の雛祭りを過ぎてすぐにしまうのでは、寒いので片付ける気がしないから。出してすぐに片付けるのは、面倒だから」というシンプルな理由です(笑)。
 通常、節分を過ぎるとすぐにひな人形を出して、3月3日まで28日程度(笑)、飾るのでしょうが、ウチの場合2月では、まだまだ正月気分の気だるさ(笑)が残って、出す気分がしない。2月の末になって(ようやく)出すので、3月3日を過ぎてから、すぐにしまうと1週間も飾っておく期間がないのだ・・・・。よって、ダラダラと旧暦まで飾るのです(笑)。