2016年3月20日 お彼岸
 
 千葉県佐倉市にある「国立歴史民俗博物館」(略して「歴博」)にやってきた。

 常設展示 見学 (第5展示室) 

 次の部屋へ廊下を進む。第5展示室は「近代」。期間は、幕末明治から昭和の始めまでだ。明治維新から「十五年戦争」が始まる時期までということが出来る。大日本帝国の興隆と発展、そしてあの戦争へ向かう時代ともいうべきか。

 展示室ま角に、「つき米(ツキヨネ)学校」の模型がどんとある。以前、訪れたことがある。そのときに現地では写真撮影をしなかった・・・・。2013年6月のことだった。さくらんぼ狩りの後に、富士川に沿って南下し、静岡に出た記憶がある。

 代わりに今回、模型を撮影。思わぬこところでリベンジできた(笑)。

 学校建築の写真がいくつかある。甲信地区の学校についての説明があり、いくつかの当時の学校の写真が。須玉学校の写真もある。


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 鉄道の模型、横浜の港の模型など。 ↓赤レンガは現在でもありますね。
 現在はショッピング、観光スポットだ。

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 展示室内のアーチをくぐり、次の部屋へ。
 その途中で「被差別部落」についても展示がある。博物館で部落問題についてここまで踏み込んだ展示は、なかなかない。展示の性質上、当然であるが写真撮影は禁止だ。
 死後の差別についてまで解説がある。墓石にも刻まれていたと展示があった。その墓石のレプリカの展示がある・・・・。幼児で死んだ子にも 差別的な戒名を授けていた。具体的にどの宗派が差別的な戒名をつけていたかまでは言及していないが、×××宗は、そのような戒名をつけいていたことを私も知っていた・・・。が、その宗派はでけでなく、墓石の戒名から察すると〇宗の寺院、その他の宗派でもつけていたらしいのだ。
 近代以降の水平社についての運動の解説もあった。
 
 アイヌについても展示がある。「二風谷」地域の写真や説明がある。二風谷ダムの様子も写真展示があった。
 屯田兵の家の模型もある。以前、訪れた現在の旭川市周辺ではなく、いち早く開拓に屯田兵が入った琴似地区の模型だった。

 「近代」展示室の最後の展示は 大正か昭和はじめの街の様子の再現。
 遊郭につながっていたという、商店の様子。花柳病予防が目につく。遊郭と花柳病には密接な関係があったのです。(当たり前だけど・・・・。)
 いつも、カユがっていたのかな~(なったコトが無いので分からない~が・・・。)。

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 やっと見終わった。すでに午後3時を過ぎていた。食事の後、3時間近く見ていた。思ったよりも規模が大きい。じっくり見ると1日では、とても足りない。


 「近代」の第5展示室を出る。写真はあまり撮影しなかった。近代の展示は別の博物館などで見たこともあるし、今まで古代~近世の展示室まで、結構撮影したので「ここらでよいかな」と思ったから(笑)。

 半地下の中庭に面した廊下。第六展示室と第五展示室は隣同士だ。
  廊下を最初に入館した入口に戻ると企画展示室がある↓。
  更に構造が分かってきたゾ(笑)。


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 一旦 外に出る。中庭のコンクリ広場だ。