2016年3月20日 千葉県佐倉市 佐倉城址公園 散策

 「国立歴史民俗博物館」(「歴博」)を見学した後、歴博がある佐倉の城跡を散歩する。 


  本丸の跡から出丸への道は急な坂道だった。下ると、田んぼの見える平地に出た・・・。出丸は本丸と同じ標高の台地の上にあると思っていたのでが、図らずも城の下に出てしまったのだ・・・・・。仕方無いので再び台地の上へと崖の坂道を登る。本当に「崖」なのだ。決して誇張の表現では無い(苦笑)。千葉の「洪積台地」のヘリを登るのだ。
 上へ戻ると先ほど、本丸に行く途中に横を通ったお茶屋が見えた・・・・。お茶屋は、歴博の建物から本丸へと向かう道の途中にある空堀の近くにあった。なんだ、ずいぶんと遠回りしたな・・・・。本丸から、平地(台地の上)の道をまっすぐ来れば、(崖を登り降りする必要はなく)近くだったよ・・・・。「下って、登って」疲れたよ(笑)。

 城跡の台地に戻ると、草地の広場になっていて、たくさんの人が遊んでいる。植物園もあり、遠くには別の駐車場もある。先程も来るときに迷った、佐倉武家屋敷の方面から入場できるようになっている。


↓ 新しい案内看板。


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 ↓ かつての聯隊の図。
  ことのきは「歩兵第二連隊」とある。兵舎の配置は、歴博の館内に展示されていた模型、図とほぼ同じ。
 今いるのは、兵舎などの建物なかった広場と思われる場所。戦前も広場だったと思われる。


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 ↓ 明治天皇御駐〇記念碑。
   昭和時代に入ってから、建立された碑のようだ。かつては、連隊の敷地の中にあったのだろう。

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 ↓ 「佐倉兵営跡」記念碑

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 記念碑は、元々連隊の兵舎や連隊本部などかあった跡地に建てられたが、歴博が建設されることになったので、同じ旧佐倉城内のここに移されたと説明にある。 
上の写真の案内看板にも説明があったが、記念碑の揮毫はかつて大佐時代に57連隊の聯隊長を務めた今村均・元大将のもの。

 広い広場の合間に浅い谷がある。子供がワーっと走って下って、遊ぶのに最適(笑)
 写真の右手が本丸、左が植物園側なのだが、かつての堀か空堀の跡だろう。
 落葉している木は、ケヤキかな・・・。

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 植物園の入口や温室の横から、遊歩道を散歩して、駐車場に戻る。昔は城の中の窪地だったと思われる谷もになっている。窪地の底には、池がある。丘陵公園のような景色でかつての城跡とは思えないくらいだ。昔は、城の中の池だったのか?。再び坂道を登る。坂を上り、やっと車の所まで戻る。


 ↓ 館の横、かつての城跡の二の丸との境にあった空堀付近より。
  春めいてきたとはいえ、まだまだ寒空。が、ビンクの花が明るく咲いていた。水色の空に映えるな~。春はすぐそこにあると感じた。
   

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 さて、帰ることにする。本当は佐原まで行くことが出来るかなと思ったが、到着する頃には午後5時を過ぎてしまう。見るべきところも閉まってしまいそうなので、やめておく。都内方面に戻ることにした。

 城跡の中にある駐車場を出て、城門(明治~昭和戦前期は連隊の営門)を下る。一般道路に出るところには信号がある。堀もあり、水がある。京成線の線路も通っている。城門を下ると、台地の下の道だった。
 佐倉の旧市街は、佐倉高校から、南西方面に傾斜になっている。すべて台地の上にあるのではない。しかも城跡は、台地の南西の端にあるようだ。城跡の南側一体は、たんぼ、湿地、川の平地だ。城は岬のように、台地したの平地に突き出ている。かつての戦での要害だったのだろう。 
 
 四街道のインターへ向かう。 インターへ道なりに進む。佐倉のはずれの平地の道である。進むとやがて台地の上の道となる。実は、佐倉~臼井の街などへ遠回りしたようだ。台地の上は、整然と区画整理された新興の住宅分譲地となっている。
 やがて道は再び畑と林 廃棄物置き場など混在地の風景となる。関東の郊外地域の雰囲気(笑)。「ザ・カントーの台地」。田んぼと雑木林の混合エリアー。
 インターの手前にあるY字路のところのガスステーションででガソリンを入れる。リッター99円。私の地元では104円くらいであり、ここは安いな。さすがチバ!。

 四街道インターから再び 高速道路に入った。