2017年2月
  寒い日冬のある日のこと。渋谷区にある国学院大学博物館を見学した。
(※ 本来は旧字体で表記するのが正しいが、ここでは現在字体の漢字で表記することにする。) 

 特別展「火焔型土器の機能とデザイン」 見学。
  
 展示室に入って、すぐ右手に 十日町市博物館所蔵 国宝 火焔型土器 の展示があった。


 ↓ ガラスケース正面より「国宝 深鉢形土器 火焔型土器」

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 大きい。立派だ。炎のような突起が確かにある。大きい突起は、均等に四か所ついている。左右対称の模様なのか、目をこらして、うーんどうかな~、と観察する。突起は向かい合っているものが「一対一」の「対」が×2=4個の突起になっているのか。「対」になっているようでもあるし、なっていないようでもあるし、不思議な形だ。
 突起には「ハート型」の穴も開いている。縄のように土をこねて、穴を付けたのだろう。「ハート型」土偶を思い出した。まるで、心臓のような、人の心を表現しているようなハート型の穴だ。
 
 縄文時代は弥生時代の前だから、西暦でいうと紀元前500年より更に前なのかな、という程度の認識でしかなかったが、この土器は今から5000年前のもの。「縄文時代中期」。
 紀元前でいうと3000年前。すると、現在私達が縄文時代と呼んでいる時代は3000年~5000年は続いたのだ。いや、もっと長く1万年だったかな・・・・?。
 長らく文明が進化しなかった時代というのは語弊があるが、文明、文化の発達がゆっくりだ。反対に弥生時代以降、現在までの進化のスピードがいかに速かったかを感じる。

 ↓ 同じ角度から拡大。上部の火焔のような尖った模様も気になるが、「ハート型の穴」も気になる。
  もしや人間の心臓を表現したのかとも思ったが、土器を持つための単なる取っ手のようにも見える(笑)。

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↓ 国宝とは別の 「深鉢形土器 火焔型土器」 と展示室内の様子。
  新潟県の文化財に指定。ぽっと見たところ、国宝の土器よりも小さい。模様も少ない。

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↓ 重要文化財指定の 深鉢形土器 火焔土器。壁に沿ったガラスケースに展示があった。
  国宝よりも小さい、側面も含めて模様が少ない。
  長岡市馬高遺跡の出土と説明に書いてある。

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 ↓ 重要文化財指定の 深鉢形土器 王冠型土器
  こちらも国宝と比較すると小ぶり。王冠の紋様だが、四つのタテの持ち手がついているようで、実用性も感じた。津南町の堂平遺跡出土。

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 新潟県の信濃川に近い地域に縄文時代、共通した模様の土器が発達したようだ。特別展のテーマにある「火焔型土器の機能とデザイン」については、時間の関係で説明をよく見ることが出来なかったので、なぜこのような模様の土器が普及したのか、制作されたのか、機能はどのようなものであったのか、理解していない・・・(笑)。遺跡の場所や出土品などの解説パネルも壁に掲示してあったが、よく見る時間が無かった・・・・(苦笑)。
 展示スペースの順路に沿って、土器以外の石器や三角形の土板の展示があった。十日町の遺跡から出土していた。調理などに使用したのだろうか。
 
 私が入館してすぐ直後には、三人くらいの入館者があった。スーツを着た私より年下の感じの男性だ。大学の関係者かも知れないと思った。その後、熟年のスマートな女性が2人連れでやって来た。国宝の前で、じっくり見ながら、話をしている。また、別の夫婦らしき熟年の男女もやって来た。
 比較的規模の小さい博物館であるが無料でもあるし、会期末ということもあってか平日にもかかわらず開館直後から見学者がやって来ている。
 時間の関係で10分くらいの滞在であった。特別展以外に常設展示のスペースもあるのだが、見学は
割愛した。古代の神社の建物の模型などが展示してあるのが見えた。古代というより、式年遷宮で建築された伊勢神宮の木造建築のような印象も受けた。
 展示室を出ると、エントランスのところに小学生が整列していた。先生らしき私服の男性が傍らに立ち、小学生の列の正面には男性が立って話をしているところだった。「博物館 学芸員の 〇〇 です。」とあいさつをして「それでは、中に入って見ていきましょう。」と展示室の中へ児童を引率して入って行った。
 児童たちは皆、制服を着ている。私学の制服ではなく公立小のような紺色の制服だ。5年生くらいかな、と思った。6年生というほど児童達は大きくない。6年生だと、この時期は、もうすぐ中学生だし、もっと大きいと思う。
 来ている児童は25人くらいだった。一クラスの人数かな。学年で一クラスなのかは分からない。都心部のビル街を歩いていると確かに制服で登下校している小学生を見ますね。

 帰宅した後、十日町市博物館のウェブサイトなどを見て、少し復習した。土器には「おこげ」もついていたものがあり、調理に使用されていたらしい。かまどに於いて、煮炊きするのにちようどよい大きさだし。また、祭祀にも使われていたらしい?。国宝の土器は、(発掘後洗浄したのであろうが)きれいで形が崩れていないし、祭祀などの飾りだったのかも知れないと改めて感じた。