2017年2月某日 「日本画の教科書-京都編 栖鳳、松園から竹喬、平八郎へ-」
 会期は2月5日(日)までだった。

 2か月ぶりに再び山種美術館にやってきた。冬の寒い晴天の日。 国学院大学博物館の特別展を見学した後の訪問だ。同大学から山種美術館までは、歩いて5分かかるかかからないくらい。道路を渡る信号待ちの時間によっても異なるが。
 
 前回11月の訪問時と同様、寒い日だ。あのときは、晩秋だったがこの日は真冬の本番。ただ、陽射しは明るいので、青空がまぶしいな

 前回の私(にとっての鑑賞)のメインは御舟作の重要文化財指定「名樹散椿」だった。今回は、竹内栖鳳の重要文化財指定「斑猫」が展示される。本館で一番有名な所蔵作品ではないかな。「斑猫」は三年くらい前に東京国立近代美術館で開催(のち、京都国立近代美術館でも開催)された「竹内栖鳳展」では代表作として展示された。その後、本館(山種美術館)で開催された展覧会で、展示されたことがあるかは、分からないが、今まで見たことが無いため今回やって来た次第だ(笑)。

 昨年(か一昨年)に同じ栖鳳筆の「絵になる最初」が栖鳳二点目として重文に指定された。「絵になる最初」は京都の美術館の所蔵。京都画壇の大家とはいえ、重文指定の代表作がそれまでは京都には無かったことになる。やっと、京都所在の作品、なおかつ近代京都画壇の大家の作品が重文に指定されたのだ。お目でとうございます(笑)。 「絵になる最初」は昨年に、東京国立博物館に展示されているときに見た。
 作品名からイメージしにくいが「初めて絵のモデルにならんとする、まだ十代の可憐な少女の姿、様子を捉えた日本画」だった。私がタイトルをつけるならば「初めてモデルになる少女(着物姿)」かな(笑)。
 
 山種美術館の入館料は1200円。実はこの日、前回訪問時に反省を生かし、どこかの美術館で入手した「日本画の教科書-京都編」のチラナに付いていた「割引券」を持って来たのだ(笑)。「割引券 命」だな・・・・ボクは(苦笑)。
 館内に入ると、平日のため人は少ない。一階ロビーにある「映像コーナー」のイスはすいているし。カフェも人が二、三人いるのみ。主婦らしき女性がコーヒーを飲んでいる程度だ。
  私はカウンターでチケットを購入して、展示室へ階段を降りた。 
 
 地下展示室の入口ドア付近には、だれもいなかった。土曜日、日曜日に来たときは、人の出入りが多かったが。

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 自動ドアを入って左手の廊下を進み「斑猫」を求めて小さい「第二会場」の展示室から見る。
 「炎舞」を以前、二回見たときと同じ場所の狭い部屋だ。今回は、室内に私以外に誰もいない。大型の作品が展示されていた。

 第一会場、つまり通常の展示室の最初の壁に重要文化財指定「斑猫」はあった。人が数名作品の前にいて、見入っている。作品は想ったよりも大きい。タテヨコ1メートルはあろうか。
 作品名は「まだらねこ」と思っていたが作品の説明にもあるように「はんびょう」が正しかった・・・・。

 重要文化財「斑猫」の前に立って長方形の展示室の奥を見ると、ざっと20人くらいの入館者がいる。入口付近はすいていて、人がいなかったが、平日でも入館者は多い。会期末も近いし、次の土日は何倍にも混雑するであろう。

 ↓ 館の外に掲示されていたポスターの部分。
    重要文化財指定「斑猫」の写真が小さくある。しかし、現物は大きい。

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 画面の中央に猫が大きく描かれている。猫の瞳が印象的だ。エメラルド色をしている。翡翠のような色というべきか・・・・。どのような画材を使用しているのだろうか。本当に深い色だ。説明によると「猫の目や毛のところには金泥(きんでい)を使用している」そうだ。金色以上に深みのある色だ。
 モデルとなった猫の写真も展示されていた。普通の猫だった(笑)。

 ↓ 入館チケットの写真は「斑猫」であった。

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 猫の毛には、確かに金色の体毛が表現されている。金泥によるものなのだろう。

 栖鳳は「本名、恒吉(つねきち)・・・動物画を得意とし、『動物の匂いまであらわす』といわれた・・・昭和12年に文化勲章を受章した・・・・」と説明にある。
 「躍動感」以上に感じさせるものがある、という意味で「においまであらわす」と称賛されたのでしょうか。毛の逆さだった様子まで見事に表現されている。

 栖鳳の本名であるが、竹内「こうきち」と読むと私は思っていたのだが、これまた誤解だった・・・・・。本名、竹内恒吉(つねきち)、第一回文化勲章受章者。受賞当時 正五位、勲四等。同時に受賞した横山秀麿(大観)は当時無位、叙勲も無しであったのと対照的であった。
 以前 文化勲章受賞決定の文書は国立公文書館の展示で見たことがある。

  観覧者は、中年以上の女性が多いような。ブーツをはいてピッチリとした服装の女性もいるが年齢は40台半ば以上かな。次いで、老年の男性。学生のような人もいる。私と同じような(仕事をサボッているような・・・・仕事の合間に来ているような)中年以上の男性は、私以外に一人くらいいたような気がしたが、基本的にはいなかった・・・・。

 ↓ 今回の展覧会のチラシの部分。
  福田平八郎「筍」、土田麦僊「大原女」。
  
 
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 福田平八郎「桃と女」ふくよかな作務衣姿の二人の女性が印象的だ。二人の女は、農作業の途中なのであろうか、頭に頭巾を巻いている。作品は大きい屏風絵だ。
 桃の季節なので、7月頃の暑い時期であろうか。女性の着物も薄着の感じ。胸元が強調されていて官能的な視点である、というような解説文があった。制作年は大正5年。のどかな、そして穏やかな桃の実る農村地帯の初夏の風景だ。
 その隣に土田麦僊「大原女」が展示されていた。
 「大原女」は大きい屏風絵で、桜の咲く春に京都の北郊、大原の女が薪を頭に載せて運ぶ様子を捉えている、いかにも京都らしき作品。女の姿も力強さとともに優美さを感じる。

 続いて、見ていく。角を曲がったところ、奥の壁の一番右に重要文化財指定作品 村上華岳筆 「裸婦図」が展示されていた。

 
 ↓ (既出) 広尾中側から見た山種美術館。
   寒い日で、春はまだ遠い枯れ木の並木ではあるが、よく晴れていて青空が映える。

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(続き)
 今回の展覧会、ポスターにあるように栖鳳と上村松園の作品がともに展示されている。二人は師弟関係であった。しかし、男の師匠と女の弟子。昔の師弟関係とはどのような関係だったのか?・・・・。こと、松園は生涯結婚したことは無かったようだ?。しかし、子はいる。つまり彼女は分娩をしているのだ。では、その子、松篁の父は?。栖鳳との関係が疑われるが実際は?、と別のことも考えてしまう・・・・・。
 封建的な師弟関係では、更に昔の時代、シーボルトの娘イネとその娘のことも思わずにはいられない・・・。女性が「手に職をつけて」1人で生き、そして時代に名を残す、というのは大変な時代だったのだ。そこには書くことが出来ないような不幸な出来事もあったろう。職業や時代は違うとはいえ、松園とおイネさんを重ねてしまうのは、私だけだろうか・・・・。